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VALIANT OF REVOLT~反逆の英雄~  作者: 我狼 龍牙
濃い霧の中で
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濃い霧の中で 第二話

 戦況はやはり帝国軍の優勢のまま進んでいた。

 最初こそ拮抗しているように見えていたが、今では雪崩のように里や逃げていくサメット族の方へ帝国軍の兵士や騎士たちが向かっている。

 その陣形は全くと言っていいほど崩れていない。

 先頭を進む重装歩兵部隊では最初より明らかに人数が減っているが、そこだけだった。

 だがその正方形に形作られた陣形の中心で、周りと違う奇妙な生物がいた。

 細長い緑色の尾に平べったい同じく緑の四足の身体。そしてその先に付いた巨大な目。


水巨竜イグアナ』だった。


 なぜそんな生物がいるのかというと、理由は明快だ。

「第一、第二部隊は左方より第三、第四部隊は右方より迂回。第五部隊はこのまま直進する。」


 その緑一色の生物の上に人が乗っているのだ。

 銀色の鎧を身に纏い、後ろで自身の金髪を結い上げた男だった。

青年というにはあまりにも存在感がありすぎる歴戦の勇者といった風格がある彼は、先ほど。丘の上でヴィネッツに報告をしていた男だ。

「カイルさん。偵察部隊より報告です。」

 そんな彼に兵士とは思えない線の細い青年が報告する。

「敵陣営は予想通りこの先の森の中で隊列を組み直した模様です。」

「そうか。」

 カイルと呼ばれたその金髪の男はしばし茂みを見つめた後、カイルは手元の通信機を手に取り、静かに、だがはっきりと命令を告げた。


「全隊、進軍止め。森の中に入らず、隊列を整えろ。」

 え? というどよめきは彼の周りからは起こらなかった。

 先ほど進軍を告げたばかりだというのになぜそれをすぐさま止めたのか。他の部隊では口にはしないがそのような雰囲気が流れていた。

 それに対し、彼の周りを囲む騎士のみによる部隊、第五部隊の面子は疑うという考えすらないといった風だった。

 それに特に何も言わず、カイルは通信機から口を離した。

「これから何をするか、もうお前たちには分かっているだろう?」

 その言葉にその場にいた全員が一切のずれなく頷き返した。それをうれしげに見つめながらカイルは腕を掲げた。


「やれ。」





『なんだ? 動きを止めた?』

 少し高台で木の葉で身を隠しながら様子を窺っていた兵士の一人が、その奇妙な動きに訝しげな表情をした。


 普通、敵が逃げ出せばそれを追いかけるのが鉄則だ。

 それはおもに、相手に体制を立て直させないのと自軍の指揮力を上げるためでもある。


 そして今、サメット族側は逃走を開始し、第二陣営まで下がってきている。この流れを途切れさせないために帝国軍は追いかけてくるに違いない。


そうラウルや彼らは予想していた。


だが、事実は違った。


追ってくるはずの帝国軍が全軍、森に入る前で出てくるのを待っているかのように隊列を整えてその動きを止めている。


この誤算はサメット族にとってかなりの痛手となっていた。


彼らの作戦は、この森に誘い込みそこに仕掛けた様々な仕掛けや白兵戦法で数を確実に減らすというものだった。

この入り組み、視界の悪い森の中では鎧に身を包んだ男たちよりも小柄なドワーフ達の方が機動性が優れているということも思慮したうえでの作戦だったのだが、それはもう実行不可能としか言いようがなかった。


 兵士は必至で望遠鏡を覗きこんだ。この帝国軍の動きがこちらの作戦に感づいてのことか、それとも別の目的のためなのか。そしてその突破口を見つけるために。


『いったい……ん?』

 手前から中心へと慎重に望遠鏡をずらしていたその兵士はあるものを見て固まった。

 その顔からは一気に血の気が失せ、目が大きく見開かれた。


『あ、あれは……』

 手から望遠鏡が零れ落ちるのも気にせず、兵士は口に手を当て、必死の形相で森に向けて叫んだ。


『逃げろ!! 殺されるぞ!!』


 だがそれを言うにはあまりにも遅すぎた。



「止まった……?」

 出陣しようとしていた龍牙は本来ならばありえない状況に知らず知らず呟いていた。

「あれ? もしかして終わったの?」

 その後ろからかかった声に振り返り首を横に振った。

「いや、」

 後ろから歩み寄ってきた三人は現在の戦況を見つめ、渋い顔をした。

「これは……まずいんじゃないのかな?」

「そうね。この状況で帝国軍がとる陣形としてはおかしいわね。」

「あの陣形は、超級の冥術発動のための術式を意識してのものですね。」

 三者三様の意見を述べていく。それはそれぞれの専門分野から見た上での意見だった。

 ダンゼルが言っているのはサメット族が完璧に包囲されていることから。

 だがその横で呟いたリタニアはかつて指揮官に付いたことがあるものとしてダンゼルとは正反対の危機感を持っていた。

 兵士の数で圧倒的に劣るサメット族に対し、ここまで兵を散開させるという帝国軍の戦法に納得がいかなかったのだ。

 これが平原のような見晴らしのいい場所ならば理解できる。だがこれから戦うのは森という機動性の落ちる場所なのだ。しかもこの森は視界が悪い。ここに住み慣れているサメット族に対し、最初から歩兵隊を突撃させるにはあまりにも代償が大きすぎる。

 かの名将がこのような失策を獲るわけがない。そう分かっていたからこそリタニアは逆に危機感を感じていたのだ。

(何かがある、絶対に。)


 そんな中、帝国軍の戦術を正確に理解していたのはフィロだった。


 フィロが注目したのは中央を陣取っていた騎士と冥術師による部隊。

それが先ほどから正方形から三重の円へと陣形を変えているのだ。

 それはこの世界の冥術の深いところまで知ってしまったフィロからすれば、理解するのは造作もないことだった。


 その部隊が構築している術式は『炎獄インフェルノ』。広範囲を焼き尽くす上級の術式だったが、フィロには彼らがやっていることがそれだけではないことも理解していた。


 彼らが作っている円。それは彼らの身体を術式の一部として利用することで術式全体を安定させ、より強大な冥術を発動するためのものだった。


 『冥術』はとても不安定なものだ。『冥術』を発動するにあたり、まず行うのが術式の書き換えだ。

 展開される円形の術式には様々な情報が書き込まれている。

 その術式の系統、形状、威力、距離、範囲など、見る人が見ればそれだけで発動しようとしている『冥術』が分かってしまうほどの情報量を含んでいるのだ。

 通常、これらを書き込むには多大な時間を要するため、冥術を使う多くの者が『機械剣』という『媒体デバイス』を通して書き換えを行うのだ。これで速度は著しく上がるが、あくまでこれは補助。結局のところ使える術式の難易度、速度はその術者の性能に帰結するのだ。

 だが、いくつかこの結論から外れられる方法が存在する。

そのうちの一つが、複数で一つの術式を構築するというものだ。


矢が束になれば折れにくいように術者が増えればその安定度は増す。とはいえ、元々人によって『冥力』の質が違うため増すと言っても微々たるものだ。

だが、今回、フィロの前で行われようとしているのは、それと一世代前の技術の融合だった。


数十年前に流行った地面に術式を直接人の手で書き込むことというものだった。もちろん時間の問題で実践投与はされなかったが、一部の物好きの間で別の形で使用されていた。


 それは外郭の指定。

 術式の外郭部分を先に地面に書き込むことで術式の規模を指定することでその術式の安定度と威力を高めるというものだった。


 そう、今回帝国軍が行っているのはこれだったのだ。

 彼らの肉体を術式の外郭と設定することでその術式を安定させ、より大規模な『冥術』を発動する。


 その威力はこの森を容易く焼き尽くすほどだった。


 そこまで理解したフィロはその術式を止めようと槍を高く掲げるが、

「フィロ。止めろ。」

「っ!? だけど……」

 龍牙にその手を掴まれた。

手を掴み、制止の声を発する龍牙の行動が信じられない。そういった風に、フィロは珍しく声を張り上げた。

 これをしなければ大勢の命が奪われる。それを龍牙も理解しているのが分かっているからこそフィロは龍牙が制止する理由を理解したくなかった。

「止めるんだ。」

「だけど、だけど、これで私たちの存在がばれるかもしれないけど、このままじゃ……」

「大丈夫だ、」

 フィロの疑念を振り払うように少し語気を強めながら龍牙は戦場と反対方向を見た。


「すでに手は打ってある。」





 そんな内輪もめが繰り広げられている間にもカイルを初めとする騎士と冥術師の部隊の術式は完成しようとしていた。

 三重の円を構築する騎士たちを繋ぐように赤い線が走り、その間に幾何学的な様々な情報を含んだ文字が書き込まれていく。

 徐々に輝きを増していく中、その完成を告げるようにその中心が一際明るく閃光が吐き出された。


 その赤い光に、

森にいた兵士たちは驚愕を浮かべ、

フィロ達は動揺の色を見せ、

そして、カイルは愉快げに笑った。


 術式の中心から発せられた赤い光は濃霧の中、天を貫き、そしてこの術式の本体というべき熱風が森に向けて吹き込んだ、


 はずだった。


「なっ!?」

 カイルは固まっていた表情を驚きに変えていた。


 だがそれも仕方がないと言えるだろう。

その熱風が、その場にいる者たちの表情が、どこかからか発せられた青い光によって『打ち消された』のだから。


「これは、いったい……」



「いったい、なにをしたの?」

 フィロ疑惑の視線を龍牙に向けるが、当の本人は帝国軍の中央部分が慌てふためくのをみて楽しんでいるようだった。

「ねえ?」

 あからさまに感情を表に出すという龍牙にしては珍しいことだが、それよりもこの疑問を解決することが先決だった。

「俺は何もしていない。」

「え?」

「ただ助言してやっただけだ。」

「助言ってだれに……?」

「何もサメット族は森にいる奴らだけではないだろ?」

「……どういうこと?」

「確かに向こうは冥術師や騎士が五百人いる。だが、こちらにはそれ以上の戦力がいるのを忘れたのか?」

 龍牙のその遠回しな答えに三人はハッとして戦場とは反対、里の方を向いた。

「もしかして、エルフの人たちを?」

 リタニアの他の二人もたどり着いたであろう答えに龍牙は、ああと頷いた。

「だけど、いくらエルフの冥力量が三倍っていっても、あんな巨大な術式に対処できないでしょ?」

 尚も納得のいかないリタニアは質問を繰り返すが、その中でフィロが何かに思い当ったのか目を大きく見開いた。

「まさか、サメット族のエルフの方に彼らと同じことを?」

 信じられない、そういった風に形のいい目を大きく見開くフィロに、龍牙は頷いた。

 それもそのはず。その答えから導き出されたのは驚愕の事実だったからだ。

「どういうこと?」

 意味が分からない。そう顔をしかめるリタニアにフィロは自分を落ち着かせようと胸に手を当ててから言葉を紡いだ。

「帝国軍がやっていたのは、自分たちの肉体を術式の一部として設定し、安定度を増した複数による大規模な術式です。」

「じゃあリューガさんはそれをサメット族の人たちに?」

「待ってよ。それじゃあ、リューガ!?」

 フィロもたどり着いたであろう結論に至ったリタニアは悲鳴に近い声を出した。

「あいつらの戦術、見抜いていたの?」

「ああ。」

 三人はその現実離れした所業に言葉を失った。

 確かに敵の兵士の動きを予想するぐらいならばリタニアにもできる。だが今回龍牙がやって見せたのはそのもう一歩、二歩先のことだった。


 冥術を『打ち消す』ことは、要は相手の『冥術』を自分の『冥術』の威力が上回ればいいのだから簡単といえば簡単だ。

 だが、それが『相殺』となるとその難易度は跳ね上がる。『相殺』するにあたり必要とされるのは、相手の『冥術』の規模に対応するだけの『冥力』 そして相手の『冥術』と対局に位置する属性の『冥術』だった。

 規模が小さければ可能かもしれない。しかし、今回はあまりにも術式が巨大すぎた。

 発動時に普通より長く術式が展開していたためフィロのように術式から冥術の種類を読み取ることは可能だ。これは知識さえあれば誰でもできるだろう。だが、それを相殺するにはそれと同規模のものを構築しなければ間に合わない。


 そう、龍牙は相手が使用する『冥術』の種類までも予想し、見事に的中させたのだ。

 まさに神の所業ともいえるものだった。


 エルフの冥力保有量は人間の三倍。基本的に発動できる『冥術』の規模もまた冥力の量に比例する。

 帝国軍の騎士、冥術師の数は五百。それに対し、里にいるエルフの数は三百。この点においては十分すぎる戦力だった。

「やっぱり英雄は違うわね。」

 嫌味とも取れるリタニアの言葉だが、それには一切そのような負の要素は含まれていなかった。単純な賞賛の声。残りの二人もただただ唖然とするしかなかった。


「だが、本番はここからだ。」

 もう勝ったと言いたげな三人に、というより自分に言い聞かせるように龍牙は呟いた。


「さて、ヴィネッツはここでどう出るか。」



 帝国軍の隊長は基本的にその部隊で最も力を持つ者がなることが多い。このヴィネッツという男もまたその例の通りだった。

 そのヴィネッツはというと、茂みの中を水巨竜イグアナに跨り、進んでいた。

 鬱蒼とした木々の間をなめるように進んでいく中、少し視界が開けたところで綱を引いた。

 地面を削る音と共に制止をかけるイグアナの上でヴィネッツは左腕に巻かれた腕時計にチラリと目をやった。

「爆発音がないな。」

 天を貫く赤い光を視界に捉えていたにも関わらず、届くはずの音がないことにあからさまに表情を歪めながら腰から通信機を取り出した。


「何か……?」

『た、大佐、』

 通信機に話しかけるや否やすぐに返ってきたのは、動揺を隠せていないカイルの声だった。

「どうした? そんなに慌てて。」

『実は……』

 できる限り正確に伝えようとしているのだろうが、まだ落ち着けていないのか、その説明はチグハグなものだった。

「つまり、冥術が相殺されたと?」

『は、はい。どうしましょうか?』

 ヴィネッツに話したことで自分の中でも整理がついてきたのだろう。カイルの声には少しずつ落ち着きが戻ってきていた。

「ふむ。ならば正攻法で攻めればいい話だ。その間に私が『目的』を完遂する。」

『はっ。ご武運を。』

カイルの言葉を聞き終えるかどうかというところで通信機を切ったヴィネッツはあからさまなため息をついた。

「情けない……」

 部下の前であれほどまで慌てることがどれだけ士気に影響するか分かっているのか? と苛立たしげに思ってみたが、これまで自分の右腕として共にしてきた彼のことを考えるとよほど衝撃的だったのだろう。


 だが、そんな報告をうけてもヴィネッツの表情には一切変化がない。

 あの部隊のほとんどがこうなることを予想していなかっただろう。確かに彼らの帝国軍の中での立ち位置やその実際の実力を考えると確かにその予想に達するのは難しいだろう。

 もし、相手がドワーフとエルフであると知っていればそれを考えるものもいたかもしれない。


 だが、だれにも言わなかったがヴィネッツはこうなることを的確に予想していた。


 なぜなら『あの男』がいるから。


 彼らは知らない。彼がなぜたった十五人で百以上のゴブリンを殲滅できたのか。


 ヴィネッツはそこまで思考を巡らせたところで一度自分の腰元を見た。

 剣を差すように腰にぶら下がっている棒状の機械剣。それは彼の階級の割には装飾もなにもないただの棒に見える。

 だがその実、見栄えよりも実践を考え、無駄なものを省き、必要なもののみを詰め込んだ洗練されたものである。

それを長いコートの中に隠しながらヴィネッツは前方上空を見上げ、握っていた綱でイグアナを叩いた。


「グエェ」

 奇妙な鳴き声と共に茂みへと走り出したその上で、ヴィネッツは見えなくなるまでその視線の先にある一際大きな樹を見つめていた。




「遠距離部隊前へ!!」

 冷静さを取り戻したカイルの命令に部隊の中央の方にいた集団が前に出てきた。

 かなり重厚な鎧に身を包んだ騎士たちに対し、遠距離部隊、つまり冥術師たちは騎士たちほど筋力や機動性がないからだろう。その身には鎧ではなく少し厚めのコートのようなものが纏われていた。


 『騎士』と『冥術師』は似ていてその実違うものである。

 これらはこの世界における共通の呼称であり、四年に一度行われる試験によって階級が分けられるのだが、同じ階級でも『騎士』と『冥術師』では全く意味合いが違ってくる。

 『騎士』の場合は、実戦的な試験によって合不が決められるが、『冥術師』の場合はあくまで『冥術』の発動速度、規模、使用可能な冥術の数、難易度などで決められる。

 では最後の一つ、『宮廷騎士』というのは何かというと、これは『騎士』『冥術師』それぞれの試験において六階梯以上の階級を獲得したものに与えられる称号である。

 つまりリタニアの言う『宮廷騎士』の九階梯というものは常人には届きえない、とんでもない階級なのだ。


 前方に二列になって並んだ冥術師の胸元には何階梯かを表す星が少なくとも五つ以上つけられている。

 その彼らの誇りともいえる星を揺らしながらそれぞれの機械剣を構えた。


「目標半径五百メートル以内全域!! 術式は火系統広範囲を選択!!」

 カイルの指示に冥術師たちは黙々と自身の機械剣の指を滑らせていく。

 そして、それらの先端に赤い光が灯ったのを確認してからカイルは掲げた腕を振り下ろした。


「撃てぇ!!」


 直後に展開される何十もの術式。そしてその先端からは赤い球体が射出され雨のように森の中へと降り注いだ。



『ぐうあっ!?』

『ちくしょう!! 覚えてろよ!!』

『落ち着け!! 撤退して隊列を整えるんだ!!』

 その火の雨が降り注ぐ森のなかでは以外にも悲鳴は少なかった。

最初の巨大術式、それを見たサメット族は例え相殺されたとはいえ、その精神的なダメージは計り知れないものだった。

その最悪の情景が脳裏をよぎる中、そのまま待機するなど彼らにできるわけもなく、その攻撃よりも早く撤退を開始していたのが功を奏した。そのままいれば全滅はないにせよ、その半数以上がやられていたのはだれの目にも明らかだった。


『俺たちの森が……』


逃げ切ったサメット族はしばらく呆然と逃げてきた森から目を離すことができなかった。彼らの安穏な生活を陰ながら支えていた古き友たちの最後から目を背けられなかったのだ。


焼け落ちていく樹齢何百年もの木々をどこかさみしげに見ながらサメット族の兵士たちは第三陣までの撤退を余儀なくされた。


『あいつら、絶対ゆるさねぇ。』

『当然だ。目にモノを見せてやる。』

『次が勝負どころだ。』

 口ぐちに恨み言を呟きながら兵士たちは緩やかな坂を登っていく。この森は湿原に近い方は平らだが、奥に行けば行くほど坂になっていく。いわばこれがサメット族にとっての砦なのだ。


 霧が徐々に薄まってきたその坂の頂上付近、そこにはラウル率いるサメット族本隊が陣取っていた。


「ラウル」

 その中心にある布で仕切られた場所から敵の動向を窺っていたラウルは視線を外さず、声だけで答えた。

 その背後から近づいてくる影は四つ。その先頭を歩く男の名をラウルは呼んだ。

「リューガか?」

「ここからが本当の戦い、か?」

「ああ。そうじゃ……手伝ってくれるのか?」

「ああ。約束は守る……だが、」

「ん?」

 急に口ごもる龍牙に視線を向けるとその本人は全く別のところを見ていた。

 綺麗に整列された軍列の中、その端のほうで奇妙な空気を振りまく集団があった。

「レイのことか?」

 そうそれはあのヴィネッツを打ち取ると言ってのけたレイの部隊だった。ドワーフだけでなくエルフも数名混ざった合計十人の小規模な部隊だ。

「ああ。」

「何が気になる?」

「雰囲気、がな。」

「雰囲気?」

「ギスギスしすぎているわよね。」

 リタニアの言葉にラウルはもう一度そこへ目を向けた。

 確かにラウルの目にもそこだけ他とあまりにも違う空気が流れているのは感じ取れた。だが、それがどのように危険なのか、皆目見当がつかなかった。

「だが、それは強敵と相対する前だからではないのか?」

「そうだったら、武器をあんなところに置いておいたりしないですよね。」

 ダンゼルの指摘する通り、その集団の誰もが鎧はつけているが武器を手に持つということはせず、中には武器を少し離れた場所にある荷物に立て掛けてさえいた。


 このギスギスした緊張感を発するにしては余りにも無防備すぎる。いつ敵からの攻撃を受けるかもしれないのに、だ。


「そうですね。まるで自分達が死ぬことはない、という感じですね。」

「それはどういう……?」

「そう。例えば、自分達の命を保証されているけどそれがバレると困る、みたいな、ね。」

「まさか……!?」

「予測の域を出ませんけど。」

 フィロの援護射撃なのか分からない言葉にラウルは口を噤み、自分の息子に視線を向けた。

 これから殺し合いに行く前だというのに仲間の一人と親しげに話、時々笑みをこぼしている。

(そんなわけ……)

「あの部隊はお前が決めたのか?」

  思考の渦にのまれる寸前で引きとめられたラウルはその問いを向けてきた龍牙をみやった。

「いや、あれはレイがいつも連れている仲間じゃ。その方がやりやすいと言って……」

「そうか。……俺たちはもう行くぞ。」

「え?」

 その意外な反応にラウルが言葉を失っていると龍牙たちはラウルに背を向け歩き出した。

「お前は目の前の戦いに集中しろ。」

(何を他人事みたいに……)

 背中越しにかけられる声にそんな反感を持たずにはいられなかった。

「だが……」

 だが、俯いたままのラウルは龍牙が立ち止まっていることに気付けなかった。

「安心しろ。」

 頭の上からかけられた声にゆっくりと視線を上げた。


 顔を上げたラウルが視界いっぱいに捉えたのは見たことのない龍牙の満面の笑みだった。

「俺たちがどうにかしてやる。」


 片手をあげて去っていくその後ろ姿にラウルは自然とその頭を下げていた。




「ねえ、リューガ?」

「リタニア、お前がついてくれ。」

「りょーかい。で、リューガ達はどうするの?」

「当初の予定通り、頭を潰していく。」

「そっ。わかったわ。」

 リタニアはそう答え、トントンと靴先で地面を叩いてからレイたちとは反対の方向に跳んで行った。

「でも、リューガさん。」

「なんだ?」

「ヴィネッツはどこにいるのかな? どこにも見当たらなかったけど。」

「ふん。」

 それに不機嫌そうに鼻を鳴らしてから龍牙は戦場の方を見やった。

「どこかでこれを引っ掻き回す準備でもしているんだろう。」

「あれ? リューガさん鬼将軍を知ってるの?」

「まあ、な。」

 龍牙の雰囲気からこれ以上は聞けないと察したダンゼルはそれ以上聞かなかった。その気遣いを知ってか知らずか、龍牙もまた話題を変えようと乱れていた襟を正した。

「俺たちも行くぞ。」

「了解。」

「うん。」

 足並みをそろえた三人の背中は、ゆっくりと濃霧の中へ消えていった。




「撃ち方止め!! 全隊、前へ!! 」

 通信機越しに飛ばされる指示に正確に従う帝国軍は一つの塊のように一切の乱れなく森へと進んでいく。

「遠距離部隊は最前列を歩兵隊に譲りつつ、前で敵の遠距離攻撃に警戒しろ!!」

 肉声によるカイルの指示通り、冥術師たちは歩行速度を緩め、二列ほどの騎士たちの後ろへと移動。冥術師や騎士を保有しない他の部隊では半数を森の前に残し、残りの半分が中へと歩き出している。

 それはあらゆる状況を考慮し、対応しえる布陣だった。


 その圧倒的な数による包囲網はまだ距離があるにも関わらずサメット族の兵士たちに何とも言えない緊張感を与えていた。

 じっと相手の接近を待つサメット族の方では一切の音が失われていた。

身動き一つ取らず、ただ己の視覚と聴覚のみに神経を集中させる。

 その中央でしっかりとした歩調で前にでたラウルは振り返り、すう、と大きく息を吸った。

『全員、聞け!!』

 そして吐き出された声は周りの音を全て打ち消した。

『かつて、我らが祖先は姿形を理由にこの森へ追いやられた。』

 サメット族の兵士たちはだれもが悠然と彼らの前に立つラウルを見つめていた。

『そして今、我々はこの最後の居場所でさえも奪われようとしている。』

 そうだ、戦おう、などと声が兵士たちから上がるがラウルは上にあげていた手を握りこむことで黙らせた。

『我々は戦わねばならない……だが、この戦いは憎しみを糧に戦ってはならない。』

 意味が分からないとざわめきが起こるがそれはすぐに収まった。ラウルが愛用の斧を墓標のように地面に勢いよく突き刺したからだ。

『この戦いは、我々ドワーフが、エルフが、悪魔の子などではなく人間と同じなのだと、何も変わらないのだと証明するための戦いだ!!』

 この言葉にもう兵士たちは声を上げなかった。それよりも、ただただラウルの言葉を待っていた。

『我々にとってこの森こそが全てだった……だがこの世界は狭すぎた。外から来た我々という異分子のせいで長い年月をかけて確実にこの森の寿命を削っていた。』

 ラウルはそう口にしながら脇に生える木々を見た。茶色だった幹には黒い腐敗の跡が刻まれている。

『もうこれ以上ここには留まることはできない。やはり我々はもっと広い、太陽に照らされた光の世界にいなければならないのだ!!』

 ラウルは地面に墓標のように突き刺さったままの斧を握り、一気に天に掲げた。


『さあ、剣を取れ!! この森のために、そしてサメット族の誇りのために!!』


 ウオオオオオオオオオオオ


 今まで黙っていた兵士たちはラウルに答え自らの武器を掲げ、力強く地面を踏みつけた。


『全軍、前へ!!』





『ふん、くだらないな。』

『おお、おお、手厳しいね。王子様?』

 その一団から離れたところで休憩していたレイは唾を吐き捨てながら、声をかけてきた人物を睨んだ。

『その呼び方は止めろと言ったはずだ、サイ。』

 ドワーフにしては珍しく長身なその男は頭には毛糸で編まれた帽子を、目元には大きなゴーグルを装着し、その手元にはレイの身長ほどある大砲のような武器が握られていた。

『ははっ。悪い悪い。つい、な。』

『ちっ』

 あっけからんとしたサイと呼ばれる青年に舌打ちを溢しながらレイは進軍を始めた兵士たちを見た。その横に今度は背の高い恐らくエルフであろう女性が腰をかがめ目元に影を落とすように額に手を当てた。

『あらら、正面からぶつかる気かしらね? いくら高台だからって冥術師がごろごろいるのに、馬鹿じゃないかしら。』

 戦闘装束かと疑いたくなるような露出の多いその衣装は女性らしい起伏に富んだ身体を惜しげもなく表している。

 その豊満な谷間に後ろから手を伸ばそうとするサイ。だがその手が届くより早く、神速の蹴りがその頭部にめり込んでいた。

『うっ……相変わらずだねぇ、メリーちゃん』

 崩れ落ちながら呟くサイをごみを見るような目で見下ろしてからメリーはレイに回答を促した。


『ふん。それはいずれ分かることだ。こっちはこっちで勝手に動く。』

『あらあら、白状ね。まあそこがいいんだけどね。』

 自分の肩ほどしかないレイの顔を自分の豊満な胸に押し付けながら満面の笑みを浮かべている。

 対してそれをされているレイは一切動じず、絡み付いてくるメリーの腕をほどき、森の中へと歩き出した。

『俺たちも行くぞ。』

『ええー もう行くの?』

 明らかに嫌そうな顔をするメリー。だがそれはレイの一睨みで黙殺された。

 しぶしぶと言った感じで彼女もまたレイが消えていった森の方へ歩き出した。


もちろん地面に転がったままのサイ(ゴミ)を踏みつけるのを忘れなかったのは言うまでもない。




ウオオオオオオオオオオ


 気高い雄叫びと共に走り出したサメット族の兵士たちは勢いをそのままに坂を下りだした。

 それはメリーの言う通り通常ならば考えられない戦術だった。

 単純に考えて、下では自分たちの何倍もの数の敵がしかも強力な遠距離攻撃を持つ者たちがいる中、制止の難しい坂での全速力は愚の骨頂としか言いようがなかった。

 それを真下から見上げていたカイルもまた口元に笑みを浮かべていた。

「遠距離部隊、最前列へ!! そのまま後退する!! 遠距離部隊は射程距離内に入り次第攻撃を開始しろ!!」


 後ずさりするように正面を向いたまま後退を開始する帝国軍。その最前列でついに火が噴いた。


 ヒューという花火のような音と共に数えきれない火の玉と鉛玉が駆け降りる兵士たちへ襲いかかる。


「っ!?」

 だが、それが兵士たちに当たることはなかった。

 帝国軍の攻撃を待っていたかのようにその火の粉を遮る巨大な岩の壁が出現したのだ。

 それは地系統の術式の複数同時展開によるものだった。坂に現れた小さな『棘』から新たな『棘』が生まれる。その繰り返しによってその壁は魚の鱗のように波打つ堅牢な城塞となっていた。

帝国軍から見れば巨大な龍に見下ろされているようだが、サメット族の兵士たちは大きな器の中にいるようだった。

その壁の裏側、つまり上は内側に反り、綺麗な曲面を見せていた。

その斜面にそびえる巨大な壁の上で勢いを殺しきったサメット族の兵士たちは、それぞれの武器を手に帝国軍からは見えないところに並ぶ、まではしたが、それ以上の動きはなく、全員が全員上を見上げていた。




その圧倒されそうな光景にカイルは少し目を見開くが、先ほどのように慌てることはなかった。


先ほどは予測できなかったが、今回は予想の範疇だった。ただそれだけだ。

だが、それ故に対処も早かった。

「あの岩の壁を砕け!!」

 カイルの指示に後退を止めたその先頭で術式の発動を知らせる赤い光が発せられた。


「うわあああああ!!」

「ぐっ!?」

「ぎゃああああ!?」


 だが続いて発せられたのは爆発音ではなく数えきれない断末魔の叫びだった。

「何が……っ!?」

 気配を察知したカイルは腰から機械剣を抜き様に展開。通常の剣の形に整えられると同時に自分の顔の前を薙いだ。


スパっ


こぎみよい音を立てながら綺麗な刀身が斬りおとしたのは目の前まで迫っていた矢。

それは一度では終わらなかった。二本、三本とその数は徐々に増えていく

「そういう、こと、かっ!!」

尚も飛んでくる矢を切り払いながら視線を上げると、その弓矢は鱗のような壁から雨のように降り注いでいた。

 それに対抗しようと冥術師たちが術式を組むが、それが発動するよりも早くその身体は崩れ落ちていく


「重装歩兵隊、前へ!! 壁を作るんだ!!」

 慌てふためく兵士たちに声を張り上げながら、カイルは目の前に術式を展開した。


 緑色の輝きを放つ術式が消えると同時に現れたのは、彼らの部隊を守る巨大な壁。だがその材質はサメット族のモノとは違うものだった。


  急に矢の雨が止んだ空を見上げた騎士たちは奇妙そうな顔をした。

彼らの前にそびえ立つ壁、それは巨大な樹の幹だった。家屋のように何本もの木々が彼らを守るようにそびえ立ったのだ。


だが騎士たちは困惑に近い表情を作っていた。その理由は至って単純だった。


なぜ燃えやすい木材の壁なのか? 火系統の攻撃を食らったらひとたまりもないのはカイルも分かっている。それを知っているからこその疑問だった。


だが、流石はというべきなのだろう。特に慌てることもなく騎士たちはそれぞれで回答を導き出していた。


カイルはあの一瞬で、この地面の湿り具合での壁の形成における強度と、地中を駆け巡る木の根、大気など様々なものを比較したのだ。


その一瞬で決めるその判断力に敬意を表しながらも、そこにいた騎士たちは一人として違わず、次にすべきことを考えていた。


「援護を頼む。」


 しかしそれよりも早くイグアナから降り、そう告げながら地面に手をつくカイルに騎士たちは何事かと見つめていたが、尚も続く矢の行き刺さる音に冥術師たちが壁の影から応戦を始めた。

 だが、その応戦は効果を発揮することはなかった。それは圧倒的なサメット族の攻撃に押されたから、ではない。

それは単純に、彼らの攻撃スタイルに問題があったのだ。


一般兵士たちが持つ遠距離武器は銃器ばかり。最新のガトリングもあの重厚な壁を前に無力化されていた。

 そして冥術師や騎士たちもまた、正確な座標を捉えられないがために決定打に欠ける術式を構築するしかなかった。

 文明が進みすぎたが故に生まれた差。これは彼らにとって明らかに不利な状況を作り出していた。

 そんな動揺のこもった様々な色が満ちていく戦場で、手をついたカイルのコートは自分の身体から吹き出す冥力の波にゆらゆらと揺れていた。


 周囲の情報を切り捨て、手にのみ全神経を集中させる。

数秒の沈黙の後、カイルは閉じていた目を見開いた。

「ふっ」

 微かな吐息と共に足元に展開された緑色の術式。それはしばらく時計のようにぐるぐるとまわっていたが、その速度は徐々に落ちて行き、ついには停止した。

 それを見届けたカイルは地面に突いていた手を地面から放し、肩より高い位置でその動きを止める。

一体何をするのか。それを見ていた全員がそう思う中、カイルは勢いをつけてその腕を地中へ思いっきり突き刺した。

液状に近い泥がその腕に付けた鎧の隙間から彼の身体を濡らしていく。

その奇妙な行動に唖然とする騎士たちの前で、肩まで地面に差し込んだカイルは腕を微かに動かしていたが、何かを掴んだのか、その肩に力が入っていくのがその横から見ていた騎士たちにも分かった。


「ふん!!」

 そして顔を紅潮させながら、カイルは力いっぱいその腕を引き抜いた。

 露わになっていく泥に汚れた鎧。その先でその手に掴まれていたのは、


「カイルさん、それは……」

「木の根だ。」

 そう木の根だ。だが、ただの木の根ではない。引きずり出していくうちに露わになる徐々に太さを増していく木の根。だが、他と違うのはそこではない。

他と明らかに違う点。それはその中心に人が通れそうな穴が開いていることだった。

 ある程度引っ張ったところでカイルは木の根から手を離した。

 ドスンと腹の底に響く音を出しながら転がるそれはもう大人一人が余裕で通れるだけの穴が開いていた。


「これを使って私が攻め込む。残りは私の攻撃を合図にあの壁とその上の坂に向けて攻撃を開始しろ。」

『はっ!!』

 司令官らしい厳格な声色に騎士たちはそろって敬礼を返す。 それに敬礼を返し、カイルは通信機から聞こえてくる返事に耳を傾けながら、その穴の中へと飛び込んだ。





「あら、意外ともってるみたいね。」

 木々の間を駆け抜ける集団。その前の方を走っていたエルフの女性、メリーは言葉の割に全く感情のこもっていない声を発した。

 それに戦闘を走っていたレイがチラリと視線を向けた。彼らは今、戦場とは別の方向に進んでいるのになぜメリーは戦況が分かったのか、普通なら疑問に思うところをレイは特に気にする風もなく前に視線を戻した。

「メリー、ヴィネッツはどこにいる?」

 視線を前に向けたままのレイにメリーはこめかみに白く細長い指を当てながら口を開いた。

「うーん。私たちから北西に十三キロかしら。」

「やっぱり進行方向は変わらないか?」

「ええ。」

 こめかみから指を外し頷くメリーにレイの横を走っていたサイが近づいた。

「やっぱり便利だな、その目は。」

 走りながらサイはメリーの目を覗きこんだ。

 通常、エルフは蒼い目をしているがメリーの両目は翡翠色をしている。

「俺もほしいぜ。」

「ふん。あんたなんかにわたったらここは無法地帯に変わるわよ。」

「ひどい言い方だな~ 流石の俺も傷つくぜ?」

「しつこい。」

 肩に手をかけ、執拗に覗きこんでくるサイを睨みつけると、走るために踏み出した脚を軸に一回転。その勢いを殺さずにそのままもう一方の足をサイに繰り出した。

「ぐぽっ!?」

 そんな急な攻撃をかわせる訳がなく、見事に喉元にくらったサイは奇妙な声を発しながら倒れこんだ。

「うおおぉぅ」

人間とは思えない声を発しながら周りに助けを求めるが、その誰一人として手は差し伸べられない。それどころか、皆が皆、それをためらいなく踏みつけていた。

もちろん真っ先に踏みつけたメリーは、急いで先を行くレイの横に並んだ。


「俺たちに遊んでいる暇はないはずだ。」

 並ぶと同時にかけられた言葉にメリーは明らかに不機嫌な表情を浮かべた。

「だけど、あれは……」

「言いわけか?」

「……いや、」

 殺意のこもった目を向けられ、メリーは黙り込むしかなかった。

「速度を上げるぞ。」

そんな彼女のことなど知らないと言いたげにレイは後ろに指示を飛ばした。

ただ黙々とレイの後ろについていく中で、メリーはレイの背中を見つめながらその本人について思考を巡らせた


どちらが本当のレイなのか。先ほどまで団らんしていたレイは笑顔をよく浮かべる温厚な少年だ。だが、いざ今のように一度戦闘に入るとその態度は一変する。自分の勝利のためには手段を択ばないのだ。例えそれが仲間であっても足を引っ張るようであればためらいなく切り捨てる。


温厚な彼と冷酷なレイ。

どちらが本当の彼なのか。


 そこまで考えてからメリーはその考えを打ち消すように小さく頭を振った。

「どっちも彼に変わりない、か。」

「何か言ったか?」

「いや、なにも。」

 そんな自分の思考も断ち切るように答え、彼女は目を見開き、遠くを見るように瞳孔を狭めた。

(自分がやるべきことをやるだけ。それが私がここにいる理由。)

 彼女にしかできないこと。

 瞳孔が狭まっていくにつれてその翡翠色の宝石はより輝きを増した。

 彼女が生まれつき持つ特殊な能力、『遠視』。それは読んで字のごとく自分よりも離れた位置にいるものを肉眼で捉えるように、その映像を脳内で正確に再生する。詳しく言えば冥力を周りに散布し、それを介して情報を直接脳内へ転送する、それが彼女の『能力ちから』だった。

 だが、もちろん無制限、という訳ではない。

 この能力の制限は、彼女の知覚可能範囲でしかできないこと。つまり、彼女が冥力を散布できる範囲でしかこれを使うことができない。

 これに加えもう一つ、それは彼女の容量を超えないこと。


 人間にも一度に処理できる情報量に限界があるようにエルフにもそのしばりがあるのだ。

 生まれてからずっとこの能力と向き合ってきたメリーは通常よりもはるかに多大な情報量を処理できるが、それでも範囲内すべての情報を受け入れるにはあまりにも少なすぎる。

 そのため、彼女は常に範囲内での知覚の精度を下げ、もやがかかったような状況で過ごし、いざというときにその一点で制度を上げているのだ。


 そんなもやがかかった中、メリーは奇妙な気配に気づいていた。

「レイ……」

「分かっている。放っておく。」

「分かったわ。」

 背後をチラリと見てから、メリーはまた速度を上げたレイの後を追った。





「気付かれていない、か。」

 鱗の壁の上、誰もいないはずの場所から人の声が零れた。

それにその壁の上にいる誰もが気付いていない。その声の主もそれを分かったうえで声を発しているのだろう。


だが、どこを見てもその影はない。

「意外とあっけないな。」

尚も響く声は、その斜面にポツンと一本だけ生えている樹から零れていた。

「さて、行くか。」

声と同時に響いたザクリという微かな音はその茶色い樹の根本からだった。最初は蟻の巣の入り口ほどだった小さな穴が徐々にその大きさを増し、ついにはぽっかりと大きな穴がそこに出現していた。

そしてその中からヌッと鎧の男が現れた。


カイルである。


地表から目までをだし、周囲を確認してから勢いをつけて一気に跳びだした。

「ふっ。」

 腰から引き抜いた機械剣を展開しながらカイルは駆けだす。

 そこから壁まではおおよそ百メートル。壁の上にはここから見る限り百近くいるがそのだれもが気付いていない。

この距離は通常ならば弓による反撃は可能な距離だ。


だが、カイルの意識の中にその攻撃に対する対処という思考は一切なかった。


 理由は簡単だ。その心配自体が杞憂に過ぎないからだ。


 カイルは斜面を駆け降りながら正面に幾つもの手のひらほどの大きさの術式を展開した。


 色は茶、緑、赤。


 それが展開されるとすぐに現実が改変された。

  駆けるカイルの左右の地面が隆起し、それが雪崩となって壁の方へ流れ込み、それを追うように地中に埋まっていた木の根が生き物のように群がっていく。



『なっ!?』

『なんだこれは!?』

『馬鹿な!? これだけの『冥術』を発動させる時間は与えてないはず……』

 案の定、上からの攻撃を警戒していなかったサメット族の兵士たちから驚愕の声が上がる。

 火の玉を目の前に出現させたまま走っていたカイルはその反応に妙な違和感を感じていた。


(なんだ、この違和感は……)


 だがその違和感に神経を集中している暇はなかった。一足早く壁にたどり着いた岩石や木の根は壁の上にいたサメット族の兵士たちを押しつぶし、押し流し、絞殺し、絡め捕った。

 パニックに陥る兵士たちを見ながらカイルはついに壁の上に足を乗せ、固まった。


「そんな……」


 火の玉を構えたカイルの前、そこには地面で悶え苦しむ百人近くの兵士たちがいるはずだった。

 だが、


「なぜだ……」

 そこにいたのは地面に転がる息も絶え絶えの十人ほどの兵士たちだった。

 確かにカイルの『冥術』により何人かの兵士を押し流し、押しつぶした。だが、あまりにも少なすぎる。

「いったい何が……」

『はん……かかったな。』

 火の玉を構えたまま周りに視線を巡らすカイルに一人の兵士がとぎれとぎれに呟いた。

『見事にかかってくれてありがとよ。』

「何を言っている?」

 サメット語をかじった程度しか勉強してしないカイルだったがその兵士が言うことは何とか理解できた。

『もうお前は、終わりだ』

「まさか……!?」

 ふと頭上を見上げたカイルは全てを理解すると同時に彼が感じていた違和感の正体を見つけ出した。

 斜面を下るときに感じた違和感、それは悲鳴の声があまりにも少ないこと。そしてこの行動をとる前から感じていた違和感は、なぜあれだけ強大な冥術を展開できるサメット族がもう一度それを使わなかったのか。

 そう。それは他でもない、カイル(じぶん)を騙すためだったのだ。


 彼らがとった戦術は単純なおとり作戦だった。


 一つ目の違和感は簡単だった。最初から視覚から捉えた人数よりもはるかに少ない人数しかいなかったのだ。そして二つ目の違和感、彼らは冥術を使っていたのだ。


 それは『幻術』


 特殊系に分類される光などを使った補助的な効果の多いものだ。

 彼らが使ったのは、『幻術』のなかでも光学系の『複写』だった。

 

 濃い霧を操作し画面として利用することで兵士の数を二倍にも三倍にも見せていたのだ。いや、それは兵士の数だけではない。弓矢の数もまた増やしていたのだ。

 通常なら動くものの座標指定は困難を極める。それができるということが理解はしてもカイルには信じがたかった。


 そんな動揺もあってかカイルは恨みが籠った目を兵士へ向けるが、それは兵士のドワーフの笑みを深くするだけだった。


『一緒に、死ねよ。』

「っ!? くそっ!?」

 動揺による判断の遅れか、一瞬のすきをつかれ、瀕死だった兵士たちが掴みかかってきたのに反応が遅れてしまった。

 それによって集中力が途切れたのだろう。構えられていた火の球は霧散し、カイルまたもパニック状態になっていた。

 必死に手足をバタバタと動かしもがくが、いくら瀕死とはいえドワーフが十人も掴みかかってきてはそれを振り払うなどほぼ無理だった。

「くそっ!! なっ!?」

 だがそれ以上にカイルは自分の耳に入ってくる音に背中からブワッと冷や汗が噴き出るのを感じた。

 壁の下から聞こえてくる術式が展開された音、つまり自分の部下たちが攻撃を開始しようとしている音だった。

 とっさに通信機に手を伸ばすが、もうその時には回線がめちゃくちゃにちぎられた後だった

 必死になって通信機のボタンを連打するが全く反応がない。

 そうこうしている間にカイルの上であるはずのない光が灯ったのに気付いた。

「やめろおぉぉぉぉ!! 」


 カイルの叫び声は木霊のように明るい火の雨の中で消えていった。





「さて、」


 その頃、するりとイグアナの上から降りたヴィネッツは嵌めていた手袋を外し胸元に仕舞い込んだ。


 乱れた服装を整え、いつもよりあえて大きめに一歩を踏み出すとその足元からザッと乾いた地面を踏みしめる音が響いた。


 そう、湿った地面ではなく乾いた地面を踏む音が。


 この森のなかでこのような音を奏でられる場所はただ一か所を除き存在しなかった。



 燦々と輝く太陽を望めるサメット族の里以外。



『止まれ!!』

 大胆にも里の西側の入り口から中へ踏み込んだヴィネッツは案の定かけられた声の方を見た。


 そこにいたのは片手で斧を構える二人の男のドワーフと弓を構える男のエルフだった。


 だが、ヴィネッツは動かない。それは自分が死に直面したから、などという理由ではなかった。


 それは言わばハンデだった。

 自分とその三人の間にある絶対的な力の差を理解した上での判断だった。


 そんなことをいざ知らず、エルフの弓が一際大きくしなり、弓矢が放たれた。


 彼らとヴィネッツの間の距離は十メートル。普通ならばかわすどころか反応するのも難しい距離だ。


 だが、ヴィネッツはそれを倒れるようにして交わした。

 そこに矢が放たれるとともに駈け出したドワーフ二人が斧を振りかぶる。


 二人と一人の距離はもう一メートルない。

 さらにヴィネッツの身体は完全にバランスを崩しており、二撃はおろか一撃ですらかわせないのはだれの目にも明らかだ。


 だが、その二本の斧がヴィネッツの血肉を断つことはなかった。


『なっ!?』

『なんだ、これは!?』

 代わりに断たれたのはドワーフ達の集中力だった。



 だがそれも仕方がない。


 最後の踏込のために踏み出した脚、それが地面に着かなかったのだから。


『何をした!?』

 目の前に平然と立つ何かをしたのであろう男を、宙に浮いたままのドワーフの男たちは喚きながら睨みつけ、そして気付いた。


 先ほどまで何もしていなかったはずの手に白い手袋が嵌められていることに。


 そしてその指の付け根のところに宝石のように輝く石が嵌められていることを。


 呆然とする二人を嘲笑うようにヴィネッツは口を開いた。

「詰めが甘いのだよ。君たちは。」

 不敵に口端を吊り上げながら意味ありげに指を三本くっつけた右手を突き出した。


 その優雅な動作はもがく二人を時が止まったかのように黙り込ませた。


 それほどの有無を言わせぬ威圧感がそこには存在した。


「さようなら、だ。」


 そしてパチンと指を鳴らした瞬間、生肉をミンチにしたような、ぐちゃという生生しい音が響いた。


 ただ一人、後ろで弓を構えていたエルフの青年だけ、それが自分の仲間を押しつぶした音だと遅れて理解した。


 いつ地面に押し付けられたのか分からない、そんな『過程』を飛ばしたあまりにも激烈すぎる『結末』は容易く青年を恐怖のどん底に突き落とした。



 こんな化け物に勝てるわけがない、と。



 震えが止まらない足はもう言うことを聞かず、もう立っているだけで精一杯だった。


ぴちゃり


『ひぃっ!?』

 赤い水たまりの表面を乱す波。

 黒いブーツが踏みしめるたびに生まれるその波が、その悪魔の足音が、自分の死への秒読みだと青年は理解した。


 そしてその理解が精神の崩壊に繋がるのにそれほど時間はかからなかった。



『うわあああああああああ!!』

 錯乱状態に陥った青年にもう策など思い浮かばなかった。


 らなければ殺られる。


 ただその考えに支配された青年は声の限り叫びながら、腰元のナイフを手に切りかかった。



「失せろ。」


 だが、相手が悪すぎた。

 獣のような形相で迫るエルフに対し、ヴィネッツは冷静そのものだった。


 元よりヴィネッツには動揺などできるはずもなかった。


 彼の目には、それはもう『モノ』としてしか映っていなかったのだから。


 血走った目をこれでもかと見開き、飛びかかってくるそれにヴィネッツはただ手を突き出し、指を鳴らした。


パチン


『ぎゃあああああああ!!』

 何かに弾かれるように後ろに吹き飛ばされた青年から零れたのは、激痛を訴える叫び、そしてその身を焼き尽くす業火だった。



 生きたまま炭になるまで焼かれる激痛に、青年の断末魔は意外と短く終わった。




『全軍突撃ぃ!!』

 壁がカイルと共に崩れ落ちるのを見届けてから、ラウルは罪悪感に押しつぶされそうな心を無理矢理奮い立たせ、声を張り上げた。


 それこそ、囮となって逝った同士のために。


 戦争で一人の死者も出さずに勝つことなどありえない。それは分かっている。理解している。だが、それでもそれを願わずにはいられなかったのだ。

 ラウルは尚もそのようなことを考える自分を戒めるために唇を血が滲むほど強くかみしめた。

『うおおおおおおおおおお!!』

 そんなラウルの心情を思ってかそれとも自らの心を奮い立たせるためか、兵士たちはこれでもかと声の限りに叫んだ。


 人の何倍もの冥力量を持つドワーフ達の突進は圧巻だった。

 冥力によって強化された脚力は容易く地面を踏み砕き、緩やかな坂を駆け降りるのではなく、それこそ飛び降りるように跳躍をし、一気に帝国軍へと詰め寄っていく。


 それに対し帝国軍は、どうすればいいのか慌てふためいていた。ドワーフに混じったエルフたちの冥術により彼らの壁となっていた木の根は炎上。もう一刻として猶予がないのは火を見るより明らかだった。


 だが、その中ですぐさま行動を起こした部隊があった。

「全軍、遠距離部隊を三列目に!! 最前列を重装歩兵部隊で固めろ!!」

「全員、機械剣を展開。迫ってくる敵を確実に潰していくぞ!!」


 それは騎士と冥術師によって構成されたカイルが率いていた部隊だった。


 通信機を持っていた一人が全体に対し支持を飛ばし、その横でもう一人が彼らのいるその部隊に指示をだしていた。

 この二人はカイルの補佐を務めている騎士たちだったためすぐにこのような行動に出れたのだが、

(カイルさん……)

 その二人の頑張りも虚しくなるほどに、帝国軍の士気は明らかに落ちていた。

 それは他でもない、カイルが壁の破片にまみれながら落ちていくのを見たものが何人もいたからだった。

(精神的なダメージが大きすぎる!! )

 あの場にカイルに匹敵する人物を置いておくことは考えられない。つまり、何らかの策を講じられての結果だろうと予想を付けていた。

 しかしそうであるならば、とその騎士は近づいてくる足音を聞きながら思考を進めていく。


(名将として名高いカイルさんを二度も陥れるなんてそうそうできることではない。向こうの指揮官は本物だ。)

 足元を通して身体に伝わってくる振動にもう時間はのこり少ない。それを実感したせいか、その騎士の頭は冴えわたってきていた。


(ならば、そんな優秀で策士とも言うべき指揮官が、この状況、この場面でここまであからさまな攻撃をするだろうか?)

 そこまで思考し、ひらめくと同時に初めて金属同士が交わる音が戦場に響いた。

 もう集団の先頭では激しい戦闘が始まっている。

(カイルさんが嵌められたのは恐らく囮作戦、しかもその場にいる本人にしか分からないような……つまり、『幻術』か!!)

 そこまで思考したところで恐ろしい考えが脳裏をよぎった。

 そしてそれが真実だと一瞬にして理解した。

「右翼、左翼部隊の最後列、反対の方向に壁を作れ!!」

「おい、何を!?」

 同じように支持を飛ばしていたその騎士の同僚の焦ったような声を敢えて無視してさらに続けた。

「敵の主力は正面の集団じゃない!! 敵の本体は我々の背後から現れるんだ!!」

「だから何を・・・・・・なっ!?」

「来たぞ。」

 口ごもった二人は同時に正反対の方向に目を向けた。


 今までは聞こえなかったはずの数えきれないほどの足音が聞こえる左右の部隊の後ろへと。


「そんな……」

「やはり、か。」

 動揺する同僚を捨て置き、通信機に手を掛けると声の限りにさけんだ。


「全軍、前方、後方に壁を形成したのち迎撃に当たれ!! 中央部隊はこのまま中央を一気に制圧の後に右左翼の援護に回る。」

「お前、あの数のドワーフだぞ!? 正面からぶつかってそんな簡単に倒せる訳が……」

「それが向こうの狙いだ。」

「えっ!?」

 呆気にとられる同僚を押しのけ、彼は中央部隊と通信機に向けてまた叫んだ。


「聞け!! 中央にいる敵部隊だが、恐らく半数ほどが幻影だ!! 敵は少ないぞ!!」

 その現実離れした言葉に一瞬騎士や兵士たちに動揺が走るが、それが雄叫びに変わるまでそう時間はかからなかった。

「てめえらよくも!!」

「ぶっ潰す!!」

「おらあ!!」


 徐々に士気が戻ってきたところで彼は通信機越しに今度は声を押さえて連絡を取った。

「ガトリングの準備はどうだ?」

『今、調整中です。あと数分で完了します。』

「それまでそれを何としても死守しろ!!」

『はっ!!』

 通信機を切り、吐き出したくなるを押しとどめた。

 現状は帝国軍劣勢と言わざるを得ないだろう。明らかに『流れ』を持って行かれてしまい、そしてなにより帝国軍の精神的な柱でもあるカイルの脱落がこの勝敗を決してしまいかねない程の打撃を与えていた。


 それこそ、敵の思い通りに。


 ヴィネッツ率いるこの部隊は常にこのような戦い方をしていた。


 ヴィネッツ本人が目標物の奪取、あるいは破壊し、カイルが指揮をとり最前線で戦う。

 通常では考えられないことだが、カイルはどの戦いにおいても必ず単独で危険としか言いようのない行動をとっていた。それはカイルの個人としての戦闘力が飛びぬけているのが理由でもある。


『騎士』の第九階梯。一人で千人以上の戦闘力を持つこれを正面きって倒せる敵がいるなどだれも考えられなかったのだ。

「油断、か。」


 その原因を憎々しげに呟いてから胸に八つの星を付けた騎士は最前線へと駈け出した。




「リューガ、どうするの?」

 緩やかな坂の上、樹の影に身をひそめていたフィロが耐え切れないといった感で声を上げた。

 それにその横にいたダンゼルもまた促すような視線を向けるが、向けられた張本人はそんなことなど気にせず、太い樹の枝の上で眼を閉じていた。

 その姿勢から今、龍牙が戦う気がないのが二人には分かった。だが、それでも目の前でとてつもない数の人間が命を落としている。そんな現実を前にして黙っていられるほど二人の精神は図太くはなかった。

「リューガ、」

 催促するようにまた名前を呼ぶフィロに龍牙はしぶしぶといった具合に目を開けた。

「出ない。」

「なんで……」

 最初から分かっていた通りの答えが返ってきた。だがその理由を聞かなければ分かっていても納得などできるはずもない。

 そんな二人の考えを理解している龍牙は持たれかけていた背中を離し、戦場の方へ目を向けた。

「今、サメット族の優勢で進んでいる。俺たちの助けが必要になるとは思えない。」

「でも、約束はどうするつもりなの? リューガさん」

 龍牙はダンゼルをチラリとみてからもう一度戦場に目を移した。

「……これから、またサメット族の劣勢になる。」

「え?」

「その時に出る。」

 傍から見れば予言のような言葉だが、下にいたフィロはすぐに、ダンゼルは少し茫然としてから頷いた。

 彼らは知っているのだ。龍牙のこの言葉は絶対なのだと。


「相手が勢いづき、油断が生まれたところで叩く。これでこの戦いは終わりだ。」





「もっと静かに逝かせるべきだったか。」

 静かに呟いたヴィネッツは、かぶった帽子の鍔を握り、自嘲の笑みを隠すように目深にかぶり直した。

 平然と佇む彼の周りには里の守りを固めていたサメット族の兵士、十数人がいた。恐らく先ほどの悲鳴を聞きつけたのか、またはその惨状を見たのだろう。

『よくも、ネルたちを……』

 どうやら後者らしいと適当に当たりを付けながらヴィネッツは話しかけてくるエルフに見向きもせず、何かを探すように首を廻らせた。

「ここでは見えない、か。」

『無視するな!!』

 相手にもしないヴィネッツにしびれを切らしたエルフの一人が手に持っていた杖を突きだした。

 その杖は、先端には青い破天石が埋め込まれているが、ガムル達が持っている機械剣とは全く違っていた。


 それは単なる破天石を埋め込んだ杖。そう機械剣にはある補助機能が全く備わっていないのだ。

 それでもそのエルフは機械剣を使う騎士や冥術師と変わらぬ速度で氷塊ひょうかいを撃ち出した。


「ほう。」

 そのエルフ特有ともいえる豊富な冥力量と処理能力に感嘆の声を溢しながらもヴィネッツはそれをひらりとかわし、指を弾いた。

 瞬きの間に術式が出現し、弓を構えるエルフにどこからともなく雷が落ちた。


『ぎゃああああああ!!』

 一瞬にして周囲を支配する轟音と閃光、そして血肉が焼け焦げる臭いが充満する中、虚しく断末魔の声が響いた。

 プスプスと肌が弾ける音を奏でながら倒れるエルフ。だがここにいる誰もが先ほどの三人より訓練されているのだろう。十人ほどいる兵士たちはただ目の前の出来事を情報としてしか捉えず、それぞれが自分の武器えものを手に動き出した。


 ドワーフとエルフが半分ずつほどでヴィネッツを囲むように形成されている円の中から、ドワーフの兵士たちが飛び出した。

 飛び出したとはいっても先ほどのような直線的なものではない。だが通常、稲妻のようにジグザグと複雑な動きをすれば速度が遅れ、捉えられやすくなる。だが、彼らの動きは直線と同等あるいはそれよりも速い動きのようにヴィネッツの目には映っていた。


「面倒な。」


 背後から横に薙がれた剣を屈んでかわし、地面を手に付き身体を横に流し流しながら指を弾こうとするが、それよりも早くもう一人がそのヴィネッツの頭部に向けて斧を振り下ろした。


「ちっ」


 それにヴィネッツは発動しようとしていた術式を変更。薬指と親指を擦り合わせた。


バンッ


 赤い火花とがヴィネッツの足元で弾け、その力で無理矢理その斧から逃れ、されに二度足元で弾けさせるとヴィネッツの身体はその包囲網を抜け、一つの家屋の上に舞い降りていた。


「ふぅ、意外にやりにくい。 ……仕方がないな。」


 ずれた帽子を直しながら爆発を起こした足元に視線を落とした。

 何度も起こされた爆発により加熱された靴の裏は赤く輝きだしており、木造である足元の屋根から煙が立ち上っていた。だがそれを見下ろす本人は顔色一つ変えない。といのもこのような使い方をすることを最初から想定したうえで作られたものなのだ。そのため、靴の裏は特殊合金で覆われており、その気になれば相手が撃ち出した火の球を蹴り落とせるほどの熱処理が施されている。

 そんな靴を履き直すように靴先をトントンと屋根に打ち付けてからヴィネッツは彼の相棒である両手の手袋をきっちりと嵌め直した


「悪いが、本気で行かせてもらう。」


 それを展開すると同時に屋根の端に足をかけ、屋根を踏み砕きながら飛び出した。

 一直線に跳んでくるそれに向かって後方で控えていたエルフたちが術式を展開していく。


「ふっ」

 ヴィネッツはまず最初に飛んできた氷塊の群れに向かって中指と薬指を連続で弾いた。

 それによって飛んできた氷塊は全て地面に木端微塵になるほどの勢いで叩きつけられ、叩きつけた張本人はまた足元を爆発させ、新たに向かってくる熱線を空中でかわした。


 とはいえ、彼が今戦っている場所はいわば住宅街。それほど道に幅はない。つまり急に方向転換した彼の勢いを消しきるほどの距離は残されていなかった。

 目前に迫る家屋の壁。だが、ヴィネッツはその勢いは殺さず空中でひらりと回転。頭と足の向きを変え、トンッ、と微かな音とともに何の衝撃も与えずに壁に着地した。

 まるで足が壁に張り付いたような状態からヴィネッツは素早く目を走らせ兵士たちの位置を確認。すぐさま深く折られた足に力を込め、一気に飛び出した。


 その力に一気に崩れ落ちる壁を背中に、ヴィネッツは凄まじい速度で五本の指を何度も弾いた。


 それと同時に世界は改変されていく。


 地面を走るドワーフ達は爆発や不可視の力に押しつぶされ、エルフ達はどこからともなく飛んでくるいかずちに焼かれ、迫る不可視の刃にその身を切り裂かれていく。


 もちろん彼らもただやられるつもりは毛頭ない。

 彼らも必死に冥術や弓を撃ち出していくが、目にも止まらぬ速度で移動するヴィネッツの残像すら捉えられずに赤みがかった空へと虚しく消えていくばかりだった。



 そしてヴィネッツの動き出しから僅か二分。


 道一面に広がる血の海の中に立っていたのはもう一人しかいなかった。

 ガタガタと震える身体を無理矢理押さえつけ、最後の一人であるドワーフの男は迫りくる冥術の嵐をドワーフの豊富な冥力を使って強化した脚力でかわしていく。


 彼はこの部隊の中でも部隊長を努めるかなりの実力者だ。

 だが、そんな彼ですら自分が勝つという映像が思い浮かばない。それほどの圧力がヴィネッツから発せられていたのだ


 それでも、この部隊長は部下のためにも、逃げるわけには、止まるわけにはいかなかった。


 地面を覆う部下たちの血の海に足を滑らせそうになりながらも、そのドワーフは平然と立つヴィネッツ(バケモノ)へと向かっていく。


『はああああああ!!』

 そして間合いに入ったドワーフの男は雄叫びを上げながら、腰だめにした斧を一気に振りぬいた。


パチンッ

「悪くない。」


 だが、その渾身の一撃はその体に傷を付けることはできなかった。

 かなりの重量を誇る彼の斧が突き出された手の手前、触れる寸前で切っ先を震わすに留まっているのだ


 その事実にその男は愕然とした。


 これだけの人数をかけて、

 これだけの決意をこめて、

 まだ、まだ傷一つつけられないのかと。


「すまないが、消えてくれ。」


 そんな彼の心をあざ笑うかのように指を鳴らす形で右手が突き出された。


 それと共に突き付けられた圧倒的な実力差に、その部隊長にはもう指先一本すら動かすことができなかった

 そして指同士がゆっくりと擦りつけられ……


「ふんっ」

 たが、意外にもその手は指を鳴らす寸前で、部隊長のドワーフの男を押し倒していた。


 一瞬、部隊長は何が起こったのか理解できなかったが、その直後、視界に入ってきた新たな影にその行動を理解した。

 

「ちっ、完璧に読んでやがったな。」

 新たな現れた影は部隊長に背を向け、反対側、向き合う形となったヴィネッツに流暢な発音で男性特有の声で憎々しげにつぶやいた。

 そんな彼の手にはひと目でかなりの業物であることがわかる槍が握られていた。

 そう乱入者が呟くように、ヴィネッツは部隊長を突き飛ばす反動で乱入者の攻撃を紙一重にも見える、最小限の動きでかわしていたのだ。


 そう呟かれたヴィネッツの口元にはそれを証明するように弧を描いていた。


「それを分かっていながら切りかかってくるとは。よほどこれが大切なようだ。」

 何かスイッチが入ったのか先ほどとは明らかに違う、獣のように獰猛な目で、目の前で刀を構える男を見た。


「お前には関係ないだろ。」

 代わりに横から飛んでくる声にヴィネッツはその笑みをさらに深めた。

 ゆっくりと首を向けた先、そこには先程までなかった影がいくつもあったが、そのうちの一つにその視線を止めた。


「王子の登場、か。」


 それは、レイだった。


 

「私に何か用?」

 樹の枝の上で、幹に手をついたリタニアはどこか呆れたような口調で目の前の人物に言葉を投げかけた。


「いや、後をつけてくるから俺に気があるのかなと思ってさ。」

 そうふざけた風に返した人物、サイはリタニアの目の前の樹の上で背中を幹に預けた。

 その真意のつかめない応答にリタニアは眉をひそめると同時にふと疑問が浮かんだ。

「話せるのね?」

「女の子に声をかけるために勉強したんだよ。」

「少しはまともに答えたらどう?」

「俺は真面目だぜ?」

「ふん。で、私に何か用?」

 無理矢理話題をもとに戻すとサイはつまらなそうに煙草を吐き捨て、靴底でもみ消した。

 真意かどうかも分からない行動をしながら、サイは傍らに立てかけた大砲のような銃器を持ち上げ、肩に担いだ。

「……簡単な話だ。つけ回すのはもうやめてもらおうってハナシだ。」

 明らかな威嚇の体制に入ったサイに、リタニアもためらいなく機械剣を引き抜いた。

「断るわ。」

 サイも反応できないほど瞬時に展開された彼女の機械剣である弓。それを限界まで引いた状態で拒絶の意を告げた。


「だよな……」

 その速さに驚きの表情を浮かべながらも落胆のため息を零した。

「女の子を殺すなんてやりたくないんだけどな。」

 だがその言葉とは裏腹にリタニアに照準を合わせるその手に迷いはない。

 お互いに発射されてもギリギリでかわせる、そんな距離を保ったままリタニアはできる限り情報を引き出そうと口を開いた。


「これからヴィネッツと戦うんでしょ? なら私の追跡を拒む理由はないはずだけど?」

 まっ先に浮かんだその的確な指摘に、サングラスの奥に隠れたサイの瞳が微かに揺れ動くのをリタニアは見逃さなかった。

「何をたくらんでいるの?」

「……命令なんだ。悪く思わないでくれよ。」


 決裂の言葉を合図に二人の手が動くが、先に動いたのはサイの方だった。


背丈ほどもあるその銃器から発せられた弾丸が真っ直ぐ向かいのリタニアに飛んでいく。それに対しリタニアは回避行動は取らず、そのまま引き絞った弓矢を放った。

同じように直線で進んでいく矢はついには弾丸と衝突し、丁度真ん中で爆発が巻き起こった。


 二人の間で黙々と立ち上る黒煙。

 急に悪くなる視界の中、二人は同時にそれぞれの機械剣で牽制をしながら時計回りに駈け出した。

彼女達の指が動くたびに木の枝が弾け飛び、幹には大きな穴が穿っていく。


「キリがないな、っと。」

 足元に飛んできた矢を跳んでかわし、尚も追ってくる矢を空中で軽やかに避け一度、二度と横に側転をするように宙を跳んでいく。

そしてそれが三回目に達したとき、サイが先に動いた。

さきほどまでと同じように側転をするように跳んだ後、逆さになりながらサイは銃器をしっかりと構えた。


「喰らえ。」

 小さく笑みをこぼす彼の右手がグリップのある箇所に触れると、その銃口に赤い術式が展開。回転を続けるその中心を銃弾が貫いた。


「ちっ」

 微かに舌打ちを溢しながら、リタニアは赤い軌跡を刻む弾丸に、無意識にこれまでよりも少し深く膝を曲げ、先よりも大きな跳躍を見せた。


「弾けな。」

 結果的にその行動は正しかった。

 その赤い弾丸が彼女がいた場所に着弾すると同時に、これまでとは比べられない爆発が巻き起こったのだ。

 その爆発は容易く樹齢数百年はある木々をへし折り、抉り、吹き飛ばしていく。


「っ!? くっ!?」

 そしてそれはまた、いち早く空中に跳躍していたリタニアも巻き込んだ。


とはいえ、本能的に危険を感じ大きく跳躍していたおかげで直撃は辛うじて避けてはいる。だが、直撃ではないにせよ、その衝撃はリタニアの痛覚を刺激するには十分すぎる威力だった。


 何本か木の枝をへし折りながら吹き飛ばされた彼女は痛む体に鞭を打ち、なんとか一際大きな枝の側面に着地した。


「物体への『術式付加』、か。面倒、ね。」

 痛みに小さく顔をしかめながら淡々と自分のなかで情報を整理するように呟いた。


 『術式付加』とは銃弾や弓矢のような遠距離系から剣や槍などの近距離系のぶきまで全てに冥術の効果を付加する技術だ。

 冥術が発動してから効果を発揮するまでの時間は特に差はない。だがこの技術の利点は術式の構築速度にある。

 相手の正確な位置が分からなければ発動できない冥術を、敢えてその位置情報を削除し、ただその弾丸に位置情報を委託することで一気に術式の構築速度を上げたのだ。


 つまり、武器というすでに座標指定を行われているモノを使うことで、冥術の発動速度を向上させる技術なのだ。


 だが、リタニアが危惧しているのはそのことではなかった。彼女が危ぶんでいること、それは相手にも『術式付加』の知識があるということだった。


 そう、リタニアもまた『術式付加』の使い手なのだ。


 『術式付加』の戦い方の鉄則はいかに相手を欺けるか、だ。


 だがこの条件は相手も同じ、と言いたいが、状況は楽観視できるほどよいものでもなかった。

理由は単純。この森を覆う濃霧のせいでリタニアは相手を見失っていたのだ。


 この状況で頼りになるのは聴力と勘。

 そう自分に言い聞かせながら、リタニアは弓を構えた。

「……」

 不用意に攻撃はしない。自分の手の内を明かさないためだ。

「おいおい。口の割にはあんまり強くないんじゃないか? 御嬢さん?」

 様々な方向から聞こえる余裕に満ちた声に目を左から右へ動かしながらリタニアはふう、と息を吐き、弓を引いたままそれを下に向けた。

「ははっ、もう諦めたのか? こりゃあ傑作だ。」

 戦意喪失のように見えたのか、その声は明らかにリタニアのほうへ近づいていた。


「はっ、誰が諦めるってのよ!!」


 獰猛だがどこか美しさと気品を感じる笑みを浮かべながらリタニアは引いていた弓をいきなり上空へ打ち上げ、

「何の真似だ? ついにいかれた……」

「『妖精のフェアリーティア』」


 喚くサイの声を打消し、そして濃霧すらも貫く閃光が辺りを埋め尽くした。






「ふむ。王子の親衛隊の勢ぞろいとは。ここまで歓迎してもらえるとは思っていなかったのだがね。」

「口の減らない男は嫌われるわよ。」

「これは手厳しい。だが、」

 メリーの一言にヴィネッツはあからさまに肩をすくめて見せた。

 彼の前にいるのはサイを除いたレイが率いる部隊全員だった。

「この程度で私を殺す気か?」

 向けられた明らかな敵意と殺意という圧力に何人かがたじろぐがレイとメリーは平然とヴィネッツと向き合っていた。

「ああ。本当は俺一人で十分だと言ったんだが……」

「レイは私がいないとだめだからね?」

「途中の雑魚を殺すのに無駄な力は裂きたくなかったからな。」

「ぶ~」

「ほう、それはそれは。道理で私が密かに潜り込ませた騎士たちと連絡が取れない訳だ。」

 目は冷静なまま驚いて見せるヴィネッツに気味悪さを感じながらもその場にいる八人がそれぞれ武器を手に取った。

「お前は、この森を痛めつけすぎた。その罪の重さを知れ。」

「ではそれを知らせた後、君たちはいったい何をするつもりだ?」

「なぜだ?」

 予想だにしない切り返しのせいだろう。レイは無意識に肯定をしめす応えを返していた。

「簡単な話だよ。君たちが今立っている場所だ。」

「……何が言いたい?」

 妙に回りくどい説明にレイの警戒心は強まっていく。

「ここはこの里の西側。で、君たちは北側から来たにもかかわらず、なぜか東側からここへ現れた。」

 帽子の下に顔の隠しながらヴィネッツはピッと右の人差し指を天に向けた。

「ここから考えられるのはただ一つ。」

 そこまで言われてレイはキッと目を細めるだけで何も言わなかった。


もうヴィネッツは答えに行きついていることを理解していたからだ。

「私に東側に行かせたくない。いや、あるモノに接触させたくなかったから、ではないのかね?」

「ちっ。」

 やはりそうだった、とヴィネッツの考察力に感心すると同時に、自分の浅はかな行動に観念に舌打ちを零した。


「で、それを知ってどうするんだ?」

「いやね。目的が同じなら協力しないか、と……」

「断る!!」

 一瞬でヴィネッツを間合いに捉えたレイは腰に差した刀に手を掛け、一気に引き抜いた。白銀色に染まるその刃は勢いそのままにヴィネッツめがけて斜めに斬り上げっていく。

 瞬きをする間に行われた神速の斬撃。だがそれは足元に爆発を生み出したヴィネッツの軍服を切り裂くだけに終わった。


 レイから距離をとったヴィネッツは小さく切り裂かれた腰のあたりを見て、わざとらしく肩をすくめた。

「居合とは……なかなかの腕前だ。」

「お前に褒められても嬉しくない、な!!」

 両手で下段に構えたレイは他の槍と鎚を構えた二人と共に動き出した。

 それに対し、正面三方向から向かってくる三人にどこか嬉々とした目を向けながらヴィネッツは両手を突出し、指を鳴らした。


 それは完璧な先制攻撃だった。

さらに近距離しかない三人に対し、中距離、しかもこれまでと同じく不可視の、あるいは突如として現れる攻撃をぶつけているのだ。それをかわすのは不可能に近い。

だが、

『レイ!! 上!! ナブ!! 右から爆発!! ディン!! 正面から鎌鼬かまいたち三つ!! 槍で弾けるわ!!』


 三人が三人とも、指定されたとおりの攻撃を全て交わしきり、また自分の路線へと戻っていく。

 ヴィネッツは迫り来る三人を視界に収めながらも、その的確な指令を飛ばしたメリーを何とも言えない表情で見つめた。

「まさか、『複合体アマルガム』がそれも『風の精霊ウィンディーネ』の血統がここにいるとは。素晴らしい。」

「っ!?」

 まるで宝石でも品定めするような、背筋が凍りそうになるほどの冷たい視線に、メリーは声にならない悲鳴を漏らした。


「お前には関係のないことだ!!」

 だがそれを遮るようにレイは正面から下段に構えた刀を振り抜いた。

「おっと。」

 おどけた風にかわすヴィネッツ。だがレイの攻撃は終わらない。

 斜めに振り上げた刀を返し、袈裟斬り。その斬撃でまた緑の軍服に切れ込みをいれながらレイはさらに一歩踏み込んだ。

「っ!?」

 跳躍をする余裕すら与えない連撃にヴィネッツの顔から余裕は消え、真剣な表情へと瞬時に変わる。

対して、レイは未だ傷が付けられないことに舌打ちを零しながらも、返した刀でヴィネッツの胴を狙って横へ薙いだ。

「うっ!?」

「もらったぁ!!」

 そしてついに体勢が崩されたヴィネッツにレイを含めた三人は上段に構えた各々の武器を一寸の迷いなく振り下ろした。



ガキィィィィン


 もうよけられない。そう確信したはずの攻撃。しかし実際そこから発せられたのは、金属同士がこすれ合う音だった。

「ちぃっ。」

 レイの表情に若干の焦りが混じっていく。

それもそのはず、後ろに反るような不安定な体勢の中、レイ達の武器えものはヴィネッツの目の前でその先端を震わすだけで終わっていたのだから。

 レイは柄をしっかりと握り込んだまま、慎重に自分の攻撃を押し返す力が働く場所を見、わずかに目を見開いた。

「甘く見ないでくれたまえよ。」

「クソッ」

 彼らの攻撃はなんの変哲もないヴィネッツの両腕によって防がれていたのだ。これに残りの二人は驚きの表情を露にするが、レイが驚いたのはそれだけではなかった。

さらにレイを驚かせたのは、そのヴィネッツの腕にレイの刀が触れてはいなかったことだった。


「『流体の空間固定』か。」

「正解だ。」

 大気や液体などの流体を一定の座標に固定することで金属と同様の強度を与える術だ。


とはいえ、これは口で言うほど生易しいものではない。


流体、すなわち形の定まらないものに形を与えるということはそれを実行するだけの空間把握能力とそれを制御するだけの繊細さを持ち合わせていなければならないのだ。

 それを瞬時に行うという時点でヴィネッツの力量が『強者つわもの』と呼ぶにふさわしいものだと容易く予想が出来た。

 しかし、レイはそれに恐れることなど無く、刀を握る力を強めた。

「無駄だよ。君ごときではこれを切り裂けやしないのだよ。」

 たしかにレイがさらに力を加えているはずなのに刀身とヴィネッツの腕との位置関係に変動はない。

 だがそれを見てレイは不敵な笑みを浮かべてみせた。

「それは、どうかなっ!!」

 チラリと左右に視線を向け、ヴィネッツは気づいた。いつの間にかあの二人がいなくなっていることに。


「何を……っ!?」

 一瞬で目の前に展開され、消える術式にヴィネッツは咄嗟に回避行動を取るが、遅かった。


「吹き飛べ!!」

 ほぼ零距離とも言える二人の間を分かつように赤燈色の爆発が巻き起こった。

 その爆風に身を任せ、レイはひらりと空中で回転してからメリーの前へ着地をした。


 もくもくと上がる黒煙。それを見ながらレイは右手に握る刀を前に構えた。

『お前ら、構えろ!!』

 左右で武器を下ろす二人に激を飛ばしながら、レイは煙の向こうを見るように目を細めた。

『メリー、見えるか?』

 何を、という主語を省いた言葉に、メリーは自身の目で同じ場所を確認し、首肯した。

『ええ。残念ながら、ね。』


「ふふふ。」

 その応答の直後、風に流されていく煙の間から漏れてきた声に、レイは舌打ちを零した。

「まさか零距離で爆発を起こされるとは。私は君を甘く見すぎていたようだ。」

 ゆっくりと晴れていく煙の間から現れたのは先ほどとほとんど変わらないヴィネッツの姿だった。

 唯一違う点があるとすれば、頬に一点、赤く爛れていることぐらいだろう。

「危なかったよ。まさか私が傷を付けられるとは。」

「……化け物が。」

「そのまま死ねばいいものを。」

 口々に恨み言を連ねる彼らの声など気にもかけず、ヴィネッツは舞台に立つ役者のように大げさに腕を広げた。


「そうは行かない。私にはなさなければならないことがあるのだよ。」

 どこの大根役者だ、と罵声を浴びせたくなるのを我慢し、レイは浅く腰を落とした。

「それにしてもドワーフとエルフの混血ハイブリッドは便利だね。こんな荒業でも怪我一つしないのだから。」

「ちっ」

 自分を『もの』のように見てくるその視線に吐き気を覚えながらレイはその体勢のまま、ザッと地面を踏みしめた。


『さっきと同じだ。ただ今度は連携でいく。メリーはそのまま、ルイス、ピーリは遠距離から援護、ベイとクォンは分かるな!!』

 口早に支持を飛ばしながらレイがまた同じ道を駆け出すと同時にまた何回か乾いた音がレイの耳に届いてくる。


『レイ、前方!! 空気の塊!! ナブ、上!! 加速して!! ディン、右!! 爆発よ!!』

 ほぼそれと同時に飛んでくる指示に意識を集中しながら前方から迫る殺気を切り裂きレイはさらに前へ進んでいく。


ヴィネッツを自分の間合いに捉えるまで後五歩。

 レイは走る足にさらに力を加え、ヴィネッツが指を鳴らすよりも早く間合いに入ると、上段からその肩めがけ刀を振り下ろした。


「同じ手はくわないよ。」

 先ほどと同じように腕で刀を受け止めたヴィネッツは止めをさそうと左腕を掲げるが、

『させるかよ!!』

その手は指をこすり合わせるより早く、真横から打ち付けられたハンマーを受け止めるために宙に開かれた。

「面倒な。」

『二人でもだめか。』

『だが、終わりだ。』

 完璧に両手を塞がれたヴィネッツ。その背後から最後の一人、槍を持つディンと呼ばれる青年がその中心に向けて構える槍を突き出した。


 ボウッと空気が破裂する音を響かせながら伸びる槍。一寸のズレもなく伸びていくその槍はついに捉えた。


そしてグサッと肉を貫く音が辺りに響いた。



カハッ


 吐息の溢れる音。その最後の灯火が消えかけている声に一同は言葉を失った。


 俯くようにして槍を突き出したディンは敵を討ち取ったことを確信し、嬉々としたその目をゆっくりと自分の槍の刃先に向けた。


 鉛色の一切のくすみのない刃。そこに滴る一筋の血を目で追っていく。

 そして血で濡れる槍の突き刺さった腹部を確認してから、ディンは一気に視線を上げ、


「・・・・・・えっ!?」

 愕然とした。

 彼の正面にある顔、それが先ほど自分が助けたはずのドワーフのものだったのだから。

「な、なんで……」

 確かにあの余裕たっぷりのヴィネッツを突き刺した。なのになぜ、目の前にあのドワーフの男が立っているのか、その余りにも信じ難い現実にディンと呼ばれた青年は言葉を失った。

今の彼にはただその現実から後ずさるしかできなかった。

『ぐふっ』

 ズプリという音と共に抜けた槍の後から、ドバドバと地面の赤い液体が流れ落ち、その水たまりにバタリと本体が倒れ込んだ。


「……お前。何をした?」

 両手でぶらりと槍を下げるディンにヴィネッツはチラリと視線を向けると、未だ彼の左右で攻撃してくる二人を弾き飛ばした。

「くっ」

『ぐぅ』

 軽々と弾かれた二人は、空中で体を捻り、倒れ込みそうになる体を必死に抑えながら最初と同程度の距離でその勢いを殺しきった。

 そんな音に背を向け、ヴィネッツはディンへと向き直った。

「何をした、だったね。なら答えは簡単だ。」

 見上げてくるディンにヴィネッツはさらなる苛立ちを与えるようにより高圧的な視線を向けた。


「彼を盾にした。それだけだよ。」

「ヴィネッツぅ!!」

 それははじき返された二人が視線を上げると同時だった。 

怒りに身を任せたディンの高速の突きが繰り出されていく。これまで何千何万と繰り返され、身体に刻み込まれた動き。

だが、兵士の三原則、心、技、体。このうちの一つである『心』を失ったディンにこの化物に傷を付けられるわけなどなかった。


「甘い。」

 ヴィネッツは迫り来る槍の側面に空気の鎧を纏った右手を添えると、そのまま下に押し込んだ。

その力の方向の変化に前傾体勢だったディンの身体が耐えられるわけもなく、ディンから見て左下の方向へとその体勢を崩していた。


 ここまで来れば、あとはもう一瞬だった。

 体制を崩したディンにヴィネッツが余裕をもって左腕を突きつけ、指を鳴らす。ただ、それだけだった。


『ぎゃあああああああああ!!』

 冷静さという最も重要な部分を失ったディンはそのまま、どこからともなく現れた雷に焼かれ、黒こげになりながら地面に伏した。




「あの馬鹿が……」

「あら、これだけの美人を前にして他の人のことが気になるの?」

 片膝をついたまま、サイはチッと舌打ちを零しながら、皮肉が飛んでくる方を見た。

「自分で美人なんて言う奴はだいたいブスなんだぜ。」

「言ってくれるわね。」

 また最初のように二人は向かい合った形で固まった。だが二人の状態は全く違った。

 リタニアの身体は爆風やすすのせいでその衣服の所々は破れ、その下から血が滲んでいる。

 対してサイは、比べ物にならなかった。肩には何箇所か突き刺さった痕が、腕、足には貫通している箇所さえもあり、その顔を被っていた大きなサングラスにはヒビが入っていた。

「で、まだやるの?」

「はは、やらないわけないだろ?」

 リタニアの挑発に乗るようによろよろと立ち上がるがその顔は激痛に歪んでいた。

手足の筋繊維を貫かれているのだ。立ち上がるだけでかなりの激痛を伴うのは予想に難くない。

「もう止めたら?」

 弓を構えたまま近づくリタニアを一瞥してからサイはフッと自らを自嘲するような笑みを浮かべた。

「やっぱり諦めているんじゃないの?」

 それが敗北を認めたようにリタニアに見えたのだろう。少し矢先を下げながら前に踏み出す足を早めた。


「誰が、だ?」

 だが、その足はすぐにピタリと止まった。

「えっ?」

 リタニアはピタリと止まってしまった自分の足を不思議そうに見た。

 制止の司令を出していないのに足が止まれば誰でもそのような反応を見せるだろう。だが、リタニアはその理由がすぐに分かった。


「っ!?」

 咄嗟に横に跳んだリタニアの後を追うように炎が走っていった。



黒い炎が。


「何よ……これ?」

 いち早く跳んでいたリタニアとその炎の距離はかなりあった。にも関わらず、彼女の金髪を巻き上げるほどの熱風が吹き荒れていた。それだけでその炎の温度の高さが伺い知れるが、リタニアが疑問に思ったのはそこではなかった。

 それだけの高温のものが通ったにも関わらず、その樹があった場所に全く燃え移っていないのだ。彼女がいた場所ですら焦げ目一つ浮かんでいなかったのだ。


「あんた、一体……」

「答える義理はない。」

 明らかに口調の変わったサイは割れたサングラスと一緒に抱えていた大砲のような銃器を投げ捨てると、腰から機械剣を引き抜いた。

それと同時に彼の体を覆うように黒いくるぶしまで隠すような長く黒いコートが彼の体を覆っていった。


 動きやすさを重視したのだろう。そのコートには体中に余裕があるものだった。

その膨らみの中でゴソゴソ動いていたかと思うと、その右手に棺桶のように巨大な金属の塊が現れた。


「盾?」

 

 そうそれは最前線で守備のために使われる、盾だった。

「そんなものでどうやって……」

「答える義理はない。」

 明らかに口調が変わったサイは腕を真っ直ぐ伸ばし、取り出した盾を腕を覆うように構えると、動いた。


 リタニアが捉えられたのはそこまでだった。


 気付いた時には彼女の身体は吹き飛び、何本もの木々をなぎ倒し、最後は受身も取れずに地面に打ち付けられた。


「ガハっ、ガッ、ハッ」

 荒く息を付くリタニアの口からはダラリと決して少なくない血が流れ出ていた。

 全身をなんども強打したのだ。リタニアも自分で身体の至る所が『イかれて』いることが分かった。


「まだ生きているとは、凄まじい生命力だな。」

 かけられた冷たい声にリタニアはただ目だけを動かした。いや、目だけしか動かせなかった。


 それを悟ったのだろう。サイは持ち上げていた盾を下ろし、筒状に戻した。

「なんの、つもりよ……?」

「お前を殺すことは禁止されている。」

 バサッとコートの端をなびかせながらサイは横たわるリタニアに背を向けた。

「待ちなさいよ、サイ!!」

 サイはそれに足を止めるとフードの下に潜めた目を向けた、


「どこでその名を聞いたか知らないが、それは偽りの名だ。」


 血のように紅いその瞳を。


 そこでリタニアは意識を手放した。


 

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