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VALIANT OF REVOLT~反逆の英雄~  作者: 我狼 龍牙
濃い霧の中で
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濃い霧の中で 第一話

「へっくしょん!! いってえ!!」

 盛大なくしゃみをしたガムルはソファの上で転げまわった。街を出てから早五日。ダンゼルやリタニア、フィロといった面子はあの襲撃による怪我はもうすぐ完治という状況だった。

 その中、ガムルはただ一人、全身に包帯を巻かれたままだった。ダンゼルの持つ塗り薬とガムルの驚異的な回復力で普通ではありえない速度での回復をみせてはいるが、それでも完治まではまだ幾日かかかる様子だった。

 その証拠にくしゃみをしたガムルは全身に走る激痛に悶えている。その様子にリタニアはあからさまなため息をつき、運転するダンゼルとその横に座るフィロはくすくすと笑っていた。

「うぅ……なんか寒くないか?」

「そりゃあ、そうよ。私たちが今いるのは『サムヘア湿原』なんだから。」


 『サムヘア湿原』


 『フィリーズ』から街道ではなく道なき道を西へしばらく進むとこの大陸でも最大級の湿原がある。それが『サムヘア湿原』である。

 一年中、濃霧に覆われ、太陽光が遮られているため、冬はもちろん、夏でも他の地域での冬と同等の気温までしかいかない。

 そのためここら一帯は他の地域では見られない生態系を築き上げていた。そうそれはあまりにも異世界としかいいようがなかった。牛、犬などといった他の地域では普通にいる動物などは存在せず、植物ですら全く別物だった。


 光ではなく霧を体内で分解し、栄養とする植物。視力を削り、聴力、嗅覚が発達した生物。そしてそれを狩る大型の生物『ヴァリアント』、そして『幻獣』と呼ばれる希少種が存在するのだ。


 そのため生物学をはじめとする様々な研究者がこぞってこの中へと入りこむのだが、その中で帰ってこれるのはほんの一握りだけだった。


 とはいえ、人間が全く住めない、というわけではない。

 中には古くからここに住む、特殊な技術を持つ『サメット族』と呼ばれる少数民族が存在する。

 研究者の中にはこの技術を求めて入り込む者もいるらしいが、その関連の商品が出て来ていないことから恐らく、失敗したのだろう。

 まあ、私個人としては……

「って、またこの雑誌かよ!!」

 リタニアに渡された雑誌を床にたたきつけるとその表紙に、『猿でもわかる地域事情(サムヘア湿原編)』と印刷されていた。

「ちょっと、それ私のよ!? なにやってるのよ!!」

「お前か、お前なのか。このふざけた雑誌を買ってたのは。」

「そうよ!! なにか文句ある?」

「もっとましなの買えよ!!」

「私はこれが一番わかりやすいのよ。文句ある!?」

「だから……もういいや。疲れた。」

 徐々に痛みが増してきた身体をまたソファに倒しながら、ガムルは右側の窓を見つめた。


 どこに木が生え、どこに沼があるのか分からない、自然がつくった罠の山に不安を隠せなかった。


「……またいやな予感がするな。」


 ぼそりと呟いたその予感がまた当たる。そんな確信がまたガムルの中で廻っていた。








「そういや当たるだったな、俺の予感。」

 霧で数メートル先が見えない中、そう呟くガムルの少し先に白い箱が見えた。

 それはガムル達が乗っていたビークルな訳だが、心なしかその車体は傾いていた。

 今ガムルがいる場所が斜面なのではない。


「脱輪ね。」


 隣からかかった声にガムルは顔を向けると、不機嫌そうに腕を組みながら近づいてくるリタニアが見えた。

「ああ。」

 そう、消えることのない霧や降らない日の方が珍しい雨。その悪条件が地面にぬかるみを生み出し、後輪を沼の中に引きずり込んでいた。

「だめだ。かなり深く沈んでるよ。」

 そう言いながら額の汗を拭うダンゼルが二人に近づいた。その肩には様々な工具を詰め込んだバッグが抱えられている。

「やっぱり何か引っ張るものがいるみたいだよ。」

「ここじゃ、土系統の術式は使えないわね。」

「まあ、この土質じゃあな。」

 ガムルが蹴りつけた足元を見てみると、抉れた土の間から水がしみ出していた。

 土系統の術式は基本的に強力だが、その地形に左右されやすい。それは単純に強度の問題だった。

 いかに多くの冥力をつぎ込んでも泥は泥。強度はたかが知れている。

 そのため、彼らには今、手段がなかった。

 火系統で乾かそうとしてもこの湿度では思ったような火力も確保できず、また乾かしたそばから湿ってしまう。

 水系統でもここまでの水分を操るのはなかなかに骨が折れる。なによりこれ一度で終わるとは限らないのだ。

「とりあえず、リューガに連絡しました。」

「ひとまずそれで様子を見ましょう。」

「うん。そうだね。」

「了解。」

 そう結論づけ、ビークルへ戻り始める四人。だが彼らの足はその乗車口に足をかける前で止まっていた。

「おいおい……」


 彼らの鼓膜を揺らす音に、勘弁してくれよ、という顔をするガムルを残し、残りの三人が駆けだした。

「くそっ」

 それに気づき悪態付きながら駆けだしたガムル。急いでダンゼルの方へ向かうその横で派手に地面が弾け飛ぶ。

 突然、真横で起こった爆発に吹き飛ばされながら、ガムルはダンゼルがいる方向に別の人影があることに気付いた。

 最初は一つだったそれは一つから二つ、二つから三つと瞬く間に増えていく。そして気付いた時にはもう一切の隙間なくガムル達の周りを囲まれていた。

「なんなんだよ、こいつらは。」

「『サメット族』だよ。」

 岩陰に滑り込んだガムルの横でダンゼルが答えた。

「攻撃する理由は?」

「わからない。だけど、どうやら向こうは僕たちを今すぐ殺す気はないみたいだね。」

そう予想するダンゼルにガムルは頷いた。どうやらこの砲撃はあくまで威嚇のようでビークルには全く当たっていないのだ。


性能のせいかもしれないと疑ったがすぐにそれは晴れた。

それはビークルから五十メートルほどの距離からこれだけの数を撃ってビークルは愚か、その周囲のものに当たらないなど考えられなかったからだ。

「つまり、俺らに降伏して出てこいと?」

「まあ、そうだろうね。」

「どうする?」

「うーん……リタニアさん。どうする?」

『半殺しぐらいで止めてあげるわ。』

 肩につけていた通信機を通して聞こえてくる恐ろしい言葉に苦笑いしながらガムルとダンゼルは機械剣を取り出した。



「さて、さっさとやるか。」




 二人が戦闘を開始してから数分。

敵の目的が分からない以上、『殺す』という手段に出れない彼らの状況は、あまりよくなかった。

 得意な土の系統を封じられたガムルはただ風の刃を生み出すのが精いっぱいの攻撃だった。ダンゼルについても狙いがはっきりと定められないため、うまく戦えないでいた。


 そのような状況で彼らが無事なのはただ一つ、『サメット族』が遠距離にこだわっているからでしかない。


 女性陣の方からもいつものような派手な音が聞こえないでいることから状況はあまり変わらないのがガムルには容易く予想できた。


 周囲の状況を確認し終えたガムルは、またさっきの岩にもたれかかった。

「ガムルさん大丈夫なの?」

息を荒げるガムルに近づいてきたダンゼルは、チラリと視線を向け、霧の中に引き金を引いた。


「……大丈夫だ。」

 そう返すガムル。だがその額にはそれが嘘だと主張するように冷や汗が噴出していた。

「ガムルさんは休んでいてよ。」

「だから大丈夫だって言ってるだろ!! っ。」

 怒鳴ろうとした身体を丸めるガムルにため息を一つ。ダンゼルは銃身を岩の角に当てて構えた。

「やせ我慢したって無駄だよ。」

 岩の影から銃口だけが飛び出したような状態でその引き金を引いていく。

 それが引かれるたびに周囲の霧に赤い光が映し出され、遠くで爆発音が轟くのがガムルの耳に届いた。

「おい!! 殺すな!!」

「威嚇だよ。流石に殺さないって。それに、」

睨むガムルから視線を外すとダンゼルは銃を下げ、ニヤリと意味ありげに笑った。

「……それに?」

 そう尋ねたあと、ガムルはダンゼルの背後から聞き覚えのある音が近づいてくるのに気付いた。

 その音は間違いなくガムル達の方へ一直線に近づいてきている。

敵か、そう思い斧を構えたガムル。だが近づいてきたそれは向かいにいるダンゼルのすぐ後ろで高く、高く舞い上がった。


「最強の援軍がきたしね。」



 

 長いコートをはためかせながら着地したそれはザザザッと泥を跳ね飛ばしながらガムル達とサメット族の間で止まった。


「止めろ!!」


 あの冷静沈着な龍牙にしては珍しい獣のような咆哮にガムル達は愚か、サメット族ですらその動きを止めていた。

 龍牙はバイクを立てかけるとそのまま剣を片手にガムル達とは違う、霧の向こうへと消えていった。


「リューガ!!」

 それにハッと動きを取り戻したガムルはその屈強な手を伸ばすが、そう長く宙をさまようことはなかった。

 それは何かガムルに起こったのではない。ただ、霧に消えていく龍牙が振り向かずにすっと手を上げたのだ。


心配するな、そんな意図がその行動から感じ取れたガムルにその行動を止めることなどできる訳がなかった。


同じ気持ちなのだろう。あうあうと声が出ず、口の開け閉めを繰り返すにダンゼルの肩にガムルは上げていた手を乗せた。

「待つしかないな。」

「・・・・・・うん。」


 取り残された二人はただ無言で霧の向こうを見つめ続けた。



   



  隠れていた岩に腰かけたガムルとダンゼルはビークルの方から二人、近づいてくるのに気付いた。

「リューガは?」

 開口一番のこの言葉にガムルとダンゼルは無言で消えていった方向をみやった。

「そう。」

 その反応にただ頷くと傍らにいるフィロを連れてガムル達の近くの別の岩に腰かけた。

 霧の向こうでは緊張感が切れたのか、がちゃがちゃと金属が擦れあう音が鳴り響いている。それをボーと聞きながらガムルはリタニアの横に座るフィロがあまりにも静かすぎるように感じた。

 龍牙ほどの実力を持てば、もしやといったことは起こらないだろう。だが、フィロはなぜか妙に龍牙になついていた。それこそ本当の家族のように。

 だからガムルは不思議だった。だが、彼女のまっすぐな瞳を見てすぐに分かった。


 彼女は龍牙を信じているのだ。それも『絶対』という言葉を付けるほどの確信をもって。

(敵わないな。)

 ガムルは改めてこの集団の結束の信頼の堅さを思い知らされた。


「帰ってきました。」

 そうやって一人嘲笑の笑みを浮かべていると、フィロの言う通り霧の向こうから人影が近づいていた。

 だがその数は一つではない。真ん中を先頭にして三人が歩いてくるのだ。

 ガムル以外の三人は立ち上がりその影を待ち受けるが、ガムルは立ち上がらずに腰の機械剣に手を掛けた。


「お前ら、何のようだ?」


  霧をかき分けるように現れた三人にガムルが威嚇の意味を込めて機械剣を引き抜いて見せる。

「『銀翼旅団』の方ですね?」

 それに全く動じず、真ん中の一人が発音に不快感を感じる言葉と共に一歩前に踏み出した。

 そこで座ったままのガムルにも姿がはっきりと見ることが出来た。


 頭から足先まで茶色のマントを被っている。唯一外気にさらしている顔はと言うと口元は布で覆われ、目元は大きめのゴーグルで隠されていた。

 ガムルから視認できる体の部位は結局『サメット族』の特徴でもある大きな鼻だけだった。

「そうだけど?」

「我々と共に来ていただきたい。」

 返答など分かっているとでも言いたげにそれはリタニアの言葉に続けるように声を発した。

「もう一度訊く。何の用だ? リューガはどうした?」

「それは我々について来れば答えましょう。」

「ちっ」

 表情の読めない相手との交渉はあまりにも分が悪い。それを理解しているガムルは舌打ちを一つ、岩から飛び降りた。

「では、こちらへ。」 

 それを了承と理解したのだろう。短い手を霧の方へ伸ばし、一同を誘導し始めた。

「待て。先にこいつを引き揚げろ。」

「それは我々が責任を持って回収させていただきます。皆さんは早く村の方へ。」

「ちっ」

 あっさりと追及をかわされたことに舌打ちをこぼしながらガムルは右手に握る機械剣を腰に戻した。


「では、ご案内いたしましょうか、我々の村に。」


 どこか嬉しげなその声に四人は違和感を感じながらもそのあとに続いた。







 ビークルを残した沼地からしばらく進むと七人はさらに霧の深い森の中に踏み込んでいた。

 すぐ隣の人ですらぼんやりとしか見えないほどの濃さにガムル達四人の緊張感は増していた。その緊張感は霧のせいだけではない。その向こうにあるもの、つまりガムル達の両脇を固めるようにして並んでいるサメット族から向けられる視線のせいでもある。

「異様な雰囲気だね。」

「ああ。だけど・・・・・・」

 言葉を濁しながら辺りを見回すガムルにリタニアは首肯した。

「敵意が全く感じられないわね。」

「どちらかというと、探っている感じですね。」

「なんでだ?」

「さあ? あ、霧が晴れてきましたね。」

 こそこそとそれぞれの感想をかわしていると、フィロの言う通り、少しずつだが周囲の霧が薄まっているのがガムルにも分かった。

だがそれと同時に、その先に奇妙なものがあることにも気が付いた。

「なんだよ、あれ。」

 この原生林にしか存在しない、日光ではなく大気中を生き物のようにさまよい続ける霧を使って養分を生み出す木々。それを餌にしている小型の目のないトカゲのような生物。さらにはそれを捕食する大型の二つ足で羽の生えたライオンのような生物まで全てが、


死に絶えていた。


 そしてこれまで幾多の死骸を見てきた彼らの目には明らかだった。それが、銃弾や爆発物によるものだと。


「そういうことか。」

 その奇妙な焼野原は彼らの左右へ霧で見えなくなるまで延々と続いている。明らかに人為的な惨状に四人の足は自然と早まっていた。

 そんな四人の足がまたひたりと進むのを止めた。


「フーン、フーン」


 それはどこかから聞こえる風の音のように微かに聞こえる甲高い鳴き声。そしてそれは彼らの前にいた。


「フーン、フーン」

 彼らの進む先、そこには小さい黒い身体で大きなものを必至に押している何かがいるのが見える。

 全身に白と茶色の縞々の模様を刻んだ身体は猪に近いが妙に長い尾が印象的だ。

 その小さな身体で押しているのは恐らく、母親なのだろう。自分の数十倍はあろうそれを、ただただその小さな頭で押し上げていた。


 そんな必至な子に対し、やはりその母親の身体には生気が宿っていなかった。

身体の半分が焼け焦げ、その身体の縞々の模様が消えかかり、頭部にはいくつもの銃痕が覗いていた。


 だが、それでも子豚はあきらめない。必死に、押し続けていた。

 そこへ七人が近づくと子豚は振り返り、牙を剥き唸りだした。

「ヴー」

 逃げ出しそうになる身体を押し付け母親の前に立つその宝石のような瞳には強い光がともっている。

 戦闘を歩いていた三人は見向きもせずに通り過ぎていくが、後ろの四人はそのすぐ横で立ち止まっていた。

 その中から一人、可憐な少女がその子供に向け歩き出した。


 晴れてきた霧の中、艶やかな黒髪をなびかせながら、フィロは全身を震わせる子供に手を差し出した。

「おいで。」


ガブリ

「っ!!」

 鋭い痛みを感じた右手を少し引っ込めると、ぷっくりと血が浮き出ていた。

だがフィロはその鮮やかな赤が滴る右手をかばわずにまた手を差し出した。

「フーン、フーン」

「大丈夫だよ。」

 諭すようなゆっくりとした口調にその子供は迷いが生じたのか後ろの母親の亡骸を見やった。


 たったの一言。だがそれが全てだった。幾千幾万の言葉よりその一言が擁する真意は深かった。

 子供がこの数日味わってきた孤独感、恐怖、悲しみ。その全てを覆い尽くすようなやさしさに満ちた言葉だった。


 恐らくそう言われたその子供も、現状を理解しているのだろう。母親がもうこの世にいないことを知っていたのだろう。

亡骸を見るその瞳がそう告げていた。


 だが、その子供の決意は固かった。

赤い滴を垂らす手をその小さく震える頭で押し返してくるのだ。

その反応にフィロは身動きができず固まるしかなかった。その肩に後ろから近付いたガムルがポンと手を置いた。

「止めておけ。」

「……でも、」

 ガムルの声が正しいと思いながらもあげる抗議の声。だがその声には力がなかった。

「……分かりました。」

  ふう、と小さく息を吐いてからフィロはゆっくりと立ち上がった。服に付いた泥を払い、それをつぶらな瞳で見てくる子供の頭を撫でた。

 自分と同じような孤独を抱えるその小さな身体を、抱き上げたい。

「元気でね。」

 だが、それはもう許されない。

 その気持ちを断ち切るために小さく囁くようにそう告げてから、フィロは先に進みだした仲間の後を追った。






「変わった方々ですね。」

「何がだ?」

 先頭に追い付いた四人を迎えた侮蔑の言葉にガムルはあからさまに不機嫌さをだすと、その三人は軽く肩をすくめた。

「いえ、あんな小さな命を気にするのがおかしかったので。」

「命に大きいも小さいもないだろうが。」

 さらに眉間にしわを寄せながら、その三人に近づくが、

「何人も殺してきたあなた方には言われたくないですね。」

「てめえ!!」

「ガムル!!」

 その一言に真ん中のサメット族に掴みかかろうとするその寸前でリタニアに肩を掴まれていた。

「怒るのは図星だからでしょう? これだから人間は嫌いなんですよ。」

「止めなさい!!」

 獣のように激しくもがくガムルを必至に押さえつけながら、リタニアはキッと三人を睨んだ。

「私たちは確かに人殺し。それを否定する気はないわ。それは……私たちの選んだ道でもあるから。」

「ふふ、面白いですね。殺人鬼は言うことが違う。」

 さらなる挑発にガムルのなかで爆発しかけているのを感じたリタニアはさらにその腕に力を込めながら目つきを険しくした。

「だけど私たちは殺人鬼ではない。純粋に殺しを楽しむほど狂っていない。」

「口では何とでも言えますよ。」

「あなたはよほど私たちを殺人鬼に仕立て上げたいみたいね。ならなぜその私たちを殺さず誘導しているの?」

 あくまで冷静に。その漢書の問いかけに三人の視線が一気に彼女に集まった。

「それは着いてから長の方から説明があるでしょう。」

「その里はどこにあるのよ?」

「ここですよ。」

 リタニアの問いに即座に答えたサメット族が指差したのは彼らの進む先。一層霧が濃くなり、伸ばした手の端までしか見えないところだ。

「ここって?」

「ここですよ。」

 そうダンゼルに答えながら、先頭を歩いていた一人が何もないはずの空間にその姿を消した。

「え?」

「結界か。」

 そこにあったのはあのビークルを受け取った『駅』と呼ばれる場所と同じものだった。

 空間に広がる波を見ていると、残りの二人も四人を残し、先にその波の中心へと姿を消していく。


 四人はそれにしばし様子をうかがっていたが、

「行くしかないか。」

 そう呟き、やっと怒りの収まったガムルが一歩そこへ踏み出した。その言葉に頷き返し一同はほぼ同時にその結界の中へと踏み込んだ。



 水中にいるような何かが肌に張り付く感触を耐えること数歩。青く歪んでいた景色がまた光を取り戻した。


「あら、いたって普通の村なのね。」

「そうですね。もっと洞窟のようなところだと思っていました。」

 結界を通り抜けた先の景色にいつの間にかリタニアの口から声が漏れていた。

 だが、彼女たちがそう思うのも仕方がない。霧に包まれたこの地にある村ともなれば、薄暗い洞窟のような場所に住んでいると予想するのが当然だ。


 しかし、実際は違う。

分厚い雲と濃い霧で包まれているはずなのに、なぜかこの村にだけは太陽の光がさんさんとふりそそいでいたのだ。

太陽光があるということは、それはその村の生物の多様性を促進していた。植物や家畜ではすぐ脇の農場でガムル達が見てきたものと同じものが存在している。その大多数は、この森にしか棲息しないものだが、一部に牛などの普通のものが混ざっているのだ。


「ようこそ。サメット族の里、『楽園エリシウム』へ。」


 それに見入ってる四人にまたあの声がかかった。

「どうぞこちらへ。」

 護衛を兼ねていたのだろう。村に着いたら必要ないと言いたげに、そこに残っていたのは真ん中に立っていたサメット族一人だけだった。

 いやな奴を見たと舌打ちをこぼすガムルを先頭にそのサメット族の差し伸べる方へ四人は歩きだした。


 彼らがいる里の入り口の方は全くと言ってもいいほど人がいない。だが、ガムルの耳にも遠くの方で多くの人の気配を感じ取っていた。


 入ってすぐ二股に分かれた道を右に折れ、その気配のする方向へ進んでいると、並ぶ建物の影から何かが見えてきたのにガムルは気付いた。

「おい。」

「なんですか?」

 呼び止め、指差すと前のサメット族はその指先へと視線を向けた。

「あれはなんだ?」

 建物の影から頭だけだしたそれを指差すガムルにゴーグル越しにチラリと視線を向け、若干歩く速度を落としながらもごもごと口を動かした。

「あれは『世界樹エルデ』ですよ。」

「エルデ?」

 聞き覚えのない言葉に四人は同時にその名を冠するものに視線を向けた。逆光のせいで輪郭は分からないが、歩くにつれその大きさが増していく。それを感じながらまた速度を増したサメット族について足を速めた。


 しばらく進んだ後左手に曲がると人通りの多い通りにかかっていた。

 商店が立ち並び、通りを埋め尽くさんばかりにサメット族がその間を行き交いしている。

 だが四人はそんなものには興味がないと言いたげに揃って上を見上げていた。

「あれ、本当に樹か?」

「まるで山ね。」

「大きいです。」

「初めて見たよ。」

 通りの彼らとは反対側にあるものに彼らは茫然と呟いていた。

 圧倒的だった。彼らを見下ろすようにそびえ立つ山のように巨大な樹『エルデ』。その圧倒的な存在感に四人は確実に呑まれていた。

「この里にしかないからな。」

 それぞれ思い思いの言葉を紡いでいるとガムルの前でぼそぼそとサメット族が妙に自慢げに呟いていた。

 その反応にしばし四人は固まっていたが、すぐにリタニアの顔に悪魔の笑みが浮かんだ。

「あら、あんたやっぱりこの里が大好きなのね。」

「……何が言いたい?」

 本人は冷静に言っているつもりなのだろうが、その声は先ほどよりも少し高かった。それにまたにやにやと笑いだしたリタニア。その笑みに不穏なものを感じたのだろう。そのサメット族はすぐに踵を返し、その『エルデ』の方に歩き出した。

「おい。待てよ。」

 呆れ気味に呼んだガムルはそれに追い付くためにだるそうにその足を速めた。

「ガムルさん。傷、大丈夫?」

 そのだるそうな歩き方が気になったのか、徐々に距離が縮みだしたガムルの横にダンゼルが並んだ。

「ん? ああ。大丈夫、大丈夫。」

 その心配そうな顔にニッと笑いかけながらガムルはバシバシとダンゼルの肩を叩きだした。

「痛い!! 痛いよ!!」

「俺はこんなもので音はあげねえよ。」

「……さっき上げてたよ。」


 平手打ちを背中に叩きこみ、ガムルはガッハッハという明らかなごまかし笑いを披露しながら早足でダンゼルの横を追い抜いた。







「よくぞ来られた。」

 広い応接間のような部屋に通された四人は野太い声に迎えられていた。


 あの商店街を抜け、その先にある『エルデ』。そのふもとにある里の長の屋敷に四人は通されていた。

 石造りの高い塀にぐるりと囲まれた敷地は、遠くから見ても相当のものだと分かるほど横幅、縦幅ともに大きい。

 だが実際、その大きさが逆に後ろの『エルデ』の大きさを強調してしまうことに、ガムルはその主に同情せずにはいられなかった。

「本当にデカいな。」

二メートル四方の立方体の石を積み上げた中心にある円柱状の塔。その高さは縦に窓の数を数えると六。

石材による建築物としてはガムルが見てきた中で最大のものだ。

だがそれでもガムルの目は自然とその先にある巨大な樹に目を奪われていた。

圧倒的な存在感。それに目を奪われたまま門の中へ踏み込むと、まだ見えるはずのその木は消え、いつのまにかこの状況になっていたのだ。


突然の出来事に四人は現状が理解できず、目を右往左往していると、それにガハハと笑う声が響いた。

四人はほぼ同時に目をその声の方へ向けるとそこには長いひげを生やした男が目に入った。

「ハハハ、この屋敷はちと変わった作りをしているのでな。驚いただろう。」

 正面の大きな椅子に座るこれまた大きな身体を揺すりながら、それは立ち上がった。

「へっ」

 立ち上がったのであろうそれを見て、ガムルは目を瞬き、リタニアは手を口に当て、ダンゼルは目を擦り、フィロはボーとしていた。

 それは大きな目に大きな鼻、大きな口とその身体に備えている部位に異常はない。だが、その身体そのものがおかしかった。

「ハハハ。主ら、ドワーフを見るのは初めてか?」

 そう、その身長があまりにも小さいのだ。白髪交じりの頭を見る限りその歳は若くない。だが、なぜかその身長は五歳児ほどしかなかったのだ。

全ての大きなパーツを動かす様に見入っていると、ガムルの横でダンゼルが震える指を突き出した。

「ドワーフ……ドワーフってあの?

「おお。知っておるか。なかなか博識じゃな。」

 そのはっきりとした肯定の言葉にダンゼルは自然とその指の振幅を増していた。

「だ、だけど確か北の方にしかいないはずじゃ……」

「その通り。じゃが、わしらはここにいる。このロザンツに、な。」

「おい、ダンゼル。一人で勝手に理解しないで俺たちにも説明しろ。」

 理解できないと首を小さく振るダンゼルの肩を掴み前後に揺すると、うぷっという何かが出そうな音を発しながら答え始めた。

「北の、方に、いる、種族の、一つ、だよ……ガムルさん、気持ち悪い」

「俺は気持ち悪くない!!」

「いいから放しなさい!! ガムル」

 バシッと小気味よい音を立てた頭を押さえるガムルの横でリタニアが腰に手を当てた。

「先に進まないじゃない。」

 リタニアの制止の声にガムルはしぶしぶ手を放すと、ぜえぜえと荒い息を続けるダンゼルは苦しげにだが説明を続けた。

「身長は普通の人間の子供ぐらいしかないけど、筋力が人間のおよそ二倍。さらに冥力による肉体強化を得意としているんだよ。だけど昔、それが原因で、」



「ガムルさん、リタニアさん、ダ「『ドワーフ狩り』が行われた。」

 さっきまでそのドワーフが座っていた椅子の横、そこに腰かけていた見覚えのある顔が意味深な言葉を紡いでいた。

「強力な戦闘能力を有する『ドワーフ』。だが、同時にドワーフは平和を愛する種族でもあった。ここまで言えばさっきの意味が分かるんじゃないか?」

 その視線にガムルは、いやその場にいる皆が龍牙が言わんとしていることをすぐに理解した。

「……国がドワーフを狩りだしたのか。」

 ガムルの言葉にその場の空気は一気に凍りついた。というより、ガムルを除いた三人はいきなりの急展開に目を白黒している。

「そう。そこで我我の祖先は同じく狙われたあるもう一つの種族と結託し、この国で唯一安全だったこの森の中へと逃げ込んだんじゃ。」

「もう一つの種族って?」

 リタニアの問いに頷くと後ろを振り返った。

「それはの・・・・・・リリー来てくれんかのぅ。」

「ええ、ただいま。」

 あの大きな椅子、その向こうから現れたものに四人は目を丸くした。

「お呼びかしら、あなた。」

そこにいたのは、淡い緑のドレスに身を包んだ女性だった。

切れ長な吸い込まれそうなほど美しいな瞳にすっと通った鼻筋。その顔目立ちはそれ以上言う必要もないほど整っておりなによりその身長は、女性のなかでは高いリタニアを超えていた。

明らかにドワーフとも人間とも違うその体躯に四人はそろって首を傾げるが、突然腕を組んでいたダンゼルがバッとその女性を指差した。

「まさか、『エルフ』の方ですか?」

 おそるおそる尋ねるダンゼルにリリーと呼ばれた女性は笑みを浮かべたまま頷いた。

「ええ。」

「……ダンゼル、」

「分かった。分かったから、教えるから、だから肩を掴まないで。」

 先のがトラウマになりかけているのか、ガムルの手を払落し、ダンゼルは口を開いた。

「ドワーフとは対称的な種族だよ。肉体の強度は人間に劣るけど、体内にある冥力は二倍以上。だから人間の何倍も強大な術式を構築できるし、寿命も何倍も長いんだ。」

 その説明をにこやかに聞いていたラウルが深くうなずき、もう終わりだと言わんばかりに一歩前に出た。

「紹介が遅れたの。わしがここの長、ラウル=サメット。こっちが妻の、」

「リリー=サメットです。」

 ペコリと頭を下げられ、慌てて四人も頭を下げ返し、各々自己紹介を始めた。



「ガムルさん、リタニアさん、ダンゼルさんにフィロさんですね。」

にこにこと笑顔を崩さないリリーに頷くとラウルがおっと声を上げた。

「忘れとった。レイ。こちらに来なさい。」

「・・・・・・分かりました。」

 不機嫌さが滲んだ返答と共に近づいてきた声にガムルは無意識に顔をしかめた。

「わしの息子のレイじゃ。ほれ、ゴーグルを外しなさい。」

「……」

 口元を覆う布と一緒に外したゴーグルの下から現れた顔に四人は目をパチパチとした。

 それもそのはず、体格こそドワーフであるラウルに似通っているが、その顔はリリーの血を多く受け継いでいるのが分かるほど整っていた。唯一、鼻だけが他より大きいが、それだけだった。

「何だ?」

「いや、お前が王子ねえ。人は見かけによらないな。」

「つけ上がるなよ、人間。」

「なんだと?」

「とまあ、紹介も終わったところでそろそろ本題に行くとしようか。」

わしわしとレイの頭を撫でまわしながら、それと火花を散らすガムルに席に着くように促した。

その有無を言わせぬ圧力にとりあえずすぐ横の椅子に腰かけると残りの三人も続いて楕円状の机を囲むように席に着いた。

だがガムルはまだ収まらない苛立ちを鋭い視線をもって、さも当然のように座る龍牙にぶつけた。

「とりあえず、なんでお前がそこにわが物顔で座っているのか教えてもらえるか?」

「それはの……」

「特に理由はない。ただ昔、俺が個人的にこの里に世話になっただけだ。」

 明らかな挑発。だがそれからかばおうとするラウルを手で制し、冷静に龍牙は答えた。

「で、その個人的に縁があるこの里に俺たちを呼びつけた理由は?」

「それが今回の本題じゃ。すまぬがここから先はわしが進めさせていただく。」

 そう言いながら、ラウルは傍らから一枚の紙を取り出し、机の上に広げた。

「これが、『サムヘア湿原』の地図じゃ。」

一メートル四方の厚めの紙には確かにガムルが記憶している『サムヘア湿原』の輪郭と一致している。だが、その精度の面では比べものにならなかった。

湿原を歩く上で目印となるもの、最短ルート、採掘採集場所、危険地域などその情報量は桁外れだった。

「恐らくここへ来る途中に見たじゃろ?あの焼野原を。」

「ああ……まさか、」

「そう、あれは帝国軍の仕業じゃ。」

 その言葉に部屋の空気が一瞬で変わった。それは焼野原の事実を知ったからではない。先ほどの会話から推測される結論。帝国軍の目的がはっきりと見えてきたからだ。そして理解した。自分たちがなぜ呼ばれたのかを。


「……あいつらは、また『ドワーフ狩り』をやろうとしているのか。」

「そして『エルフ狩り』もな。」


 しばし部屋を沈黙が支配するように思えたが、リタニアがそれを許さなかった。

「で、私たちに何をしろと?」

「我々と共に戦って欲しい。」

「父上!!」

 頭を下げるラウルにレイはすぐにその肩を掴み、引っ張り上げた。

「レイ……」

 先ほどとは打って変わって弱弱しい目をするラウルから視線を逸らし、レイは背を向け立ち上がった。

「私は反対です。いくら彼らが父上の知人とはいえ、人間に頼るなど……」

「レイよ・・・・・・今、種族の話などしているときではないだろう。」

「今だからこそ言っているのです!!」

 諭そうと差し出された手を払い落とし、レイはその横の龍牙をキッと睨んだ。

「いくら帝国と敵だと言っても所詮人間は人間……群れない訳がない。」

「レイ!!」

 叱責の声が飛ぶがレイは気にせず言葉を紡いでいく。

「いいえ!! 私はやめません!! この五人は災厄を持ち込んでくる。そうイヴァ様のお告げには出ています。」

 『イヴァ』という声にうっと一瞬息を詰まらせるが、浮かした腰をおろし、手を組んだ。

「あんな不確定なものを信じるほどの余裕は我々にはない……」

「こんな時だからこそ昔からの風習を重んじるべきではないのですか!?」

 目を吊り上げ、必至に自分が正しいと言い続けるレイにラウルは力なくゆっくりと横に首を振った。

「どうやらお前とはもっとしっかりと話さねばならないようだな。」

「……ええ、そうですね。」

 数秒、親子で睨みあうと、レイは足早に部屋を飛び出していった。


「申し訳ない。見苦しいところを見せてしまった。」

「気にするな。時間に余裕があるわけではないが、全くないわけでもないだろ。」

 照れ隠しにぽりぽりと頭を掻くラウルに、龍牙は感情のない返事をしてから立ち上がった。

「こんな状態で話し合いなどできないだろ。俺たちを部屋に案内してもらえるか?」

「……ああ。案内してくれ。」

 最初とは違い沈んだ声で使用人を呼びつけると、ラウルは悲しいような悔しいようなそんな背中を見せながら奥の方へと消えていった。





「さて、いろいろと聞かせてもらおうか。」

 案内された部屋は客室らしく、色鮮やかな絨毯が引かれた部屋はビークルよりはるかに広い。その壁にある大きな窓からは先ほどの街並みが見える。

 その部屋に備え付けられたベッドに腰かけながらガムルは向かいに座る龍牙の目をまっすぐ見た。

「ああ。」

 残りの三人も思い思いの場所に着くのを待ってから龍牙は口を開いた。


「先に言っておくが、ラウルとは特にそれといった事情はない。今回この話を受けようと思ったのは、俺たちの利益になる、そう感じたからだ。」

「利益、ねえ。で、なんでそう思えるの?」

 窓に寄り掛かるリタニアの問いに龍牙は懐から一枚の文書を取り出した。

「今回の帝国軍の攻撃はどうやら議会を通したものではなく、あの皇帝の独断だ。しかも報告なしのがな。」

 机の上に広げられたのは『中央制御室』から地方に向けて出された秘匿文書。そこには確かに龍牙の言う通りのことが書かれていた。

「だけどそれなら、皇帝は危険を感じたらそれを切り捨てるはずじゃあ……」

「それでいいんだよ。」

 疑問の声をあげるダンゼルにガムルはふう、と息を吐いた。

「つまり、これを解決することを条件に、あいつらに『国崩し』の手助けをさせようということだろ?」

「ああ。」

 ガムルの言葉に頷きながら龍牙は懐からもう一枚、今度はこの国の地図を取り出した。

「あいつのことだ。国内を治めたぐらいで満足できるわけがない。つまり、『首都セントラル』から秦国に行くためにこの湿原の近くを通るはずだ。」

「そこの妨害をしてもらおうと?」

「ああ。その時が来たらな。」

 龍牙の意図することを理解したガムルは深いため息をこぼした。

「……ならその『国崩し』が失敗したときはどうするんだ?」

「どういう意味だ?」

「『国崩し』が失敗し、俺たちに加担したことがバレたとき、どうするんだよ!!」

 突然の大声にさすがの龍牙も驚いたのか、目を見開き立ち上がったガムルを見た。

「俺たちに加担する。それは国家反逆罪だ。」

 それに黙って聞いていた三人はガムルから龍牙へと視線を向けると、龍牙はなにも思っているのか分からない目をしていた。

「お前はあいつらを俺たちの戦いに巻き込む気なのか!?」

「いや、違う。」

 詰め寄ってくるガムルに龍牙は平坦な声で答えた。

「これは、ラウルの頼みだ。」

「あの人の……」

 意外な人物の登場に高ぶってきていた感情が一気に冷めるのを感じた。

「この里だったら確かに安全かもしれない。だが、それでは一生この狭い世界しか知ることができない。」

 龍牙はそう話しながら目の前に広げていた地図を取り上げた。

「ラウルはな、子供たちに、里の者に知ってもらいたいんだ。自分たちの世界がどれだけ狭いか。この世界がどんなに広いのか。」

 ガムルには必死に息子であるレイを説得するラウルの姿が脳裏に浮かびあがった。

「俺は友人としてこの願いを叶えてやりたい。だから受けた。これでも、文句があるか?」

 しばし強い意志を宿している紅い瞳を見つめていたが、ちっと舌打ちをこぼしてからガムルは外へつながる扉に手を掛けた。


「……勝手にしろ。」


 そんな話を聞かされてガムルに断れるはずがなかった。それは彼もまた人情というものを重んじる男だからこそそんな親心に満ちたラウルの意志を切り捨てる、そんなことできなかった。


 複雑な気持ちを抱えたまま扉をくぐったガムルは、またいつの間にか屋敷の正面に出ていた。だがそのことに驚く余裕はガムルにはなかった。


「……散歩にでも行くか。」


 久しぶりに浴びる太陽の光がその気持ちを溶かしてくれる、そう信じながらガムルは通りに向けて歩き出した。





「霧の岬で手に入れた『ギビリム』だよ!! 新鮮だよ!!」

「今朝狩ったばかりの『ラモウ』の新鮮な肉だよ!! 安いよ!!」

「おっ、そこの御嬢さん。一ついかがかな?」

 フィリーズほどではないが、活気に満ちた通りには普通の街では見られない一風変わった形の果実や魚などが売られている。

 果実は三日月のように湾曲し毒毒しい紫や青といった色をしており、魚は目が無く、巨大な鼻と口しかない。そのどちらも全く食べようとは思えない見た目をしている。


 それを当然と言えば当然だがその奇妙な食物を買っていく里の住人に若干引き気味になりながらも、モノは試しとすぐ前にある台に乗っている青い星型の果物を手に取った。

「これもらえるか?」

別の客の対応を終えた中年の女性に声をかけると、はいはい、と明るい声が返ってきた。

「はいはい、五十リラだよ……おや、珍しいね。人間がここにいるなんて。」

 明らかに下がったトーンにガムルは首を傾げた。

意味が分からない、そう行動で示すガムルに店の中にいたその女性は周囲を見回しながらそっと耳打ちした。

「全員が全員じゃないけどね。人間嫌いもいるんだよ、気をつけな。」

「えっ!?」

 狐につままれたような顔をしたまま周りに目を向けると、いくつかの視線を感じた。中にはただ単なる好奇心もあるようだが、そのほとんどは明らかな敵意に満ちていた。

「ちょっと前まではそうでもなかったんだけどね。ほら、森を燃やされただろ?」

「ああ。なるほどな。」

 レイの言っていたことは予想以上に深刻だった。

 外とのつながりが薄いこの里では帝国のしたことそれがすなわち人間全体の仕業とされるのだ。

「仕方がないよ。あんたはそんな人には見えないけど、他はどう思うか分からないしね。」

「そうだな……」

「まあ、がんばりな。」

 赤い変わった形の果物もそっと手に握らせてからその女性は別の客の方へと歩み去って行った。

「こりゃ、大変だな。」

「よう、」

「ん?」

 肩を叩かれる感触に振り返るとそこには見覚えのないドワーフの男がいた。

「何かよう……」

ドゴッ

「っ!?」


 鈍い音と共に後頭部に走る鈍い衝撃。それと同時に回り始める周りの景色の中で笑っているその男の顔を捉えたところでガムルは意識を手放した。





 薄暗い部屋の中、背の低い二つの人影があった。

 一つは光の柱に照らされた椅子に腰かけ、もう一つの小さい影は扉の方からその椅子の方に歩み寄った。

埃の舞う部屋の中、その靴音と共にトントンと指で椅子の手すりを打つ音が響く。


 そのまま歩を進め、椅子から二メートル前のところで近づく影が停止し、一礼した。

『王子……』

 舌を巻いた独特の発音であるサメット語で紡がれる言葉。だがその一単語にピタリと手すりを打つ指が止まった。

『……その呼び方はやめろと言っているだろ。』

 ドスの低い声に近づいていた影はピンと背中を伸ばし、すぐさま膝をついた。

『申し訳ありません。ですが……』

『……俺に同じことを二度言わせたいのか?』

『いえ!! 滅相もないです!!』

 深く頭を下げる影にふん、と息を吐いてから指の動きを再開した。薄暗い部屋の中、そこだけが明るいせいか、照らされているはずのその椅子の男の姿が黒ずんでいるように見える。

 その動作の再開を許しと取った膝をつく影は、また一礼してから立ち上がった。

『今日の昼ごろ……里に人間が入り込んだようです。』

 その言葉にまた打つ音が止まった。だが今度は影はひるまない。その指が止まった原因は自分ではないことを理解していたからだ。

『人間が、』

『はい。』

『……そうか。』

 乱れたリズムを取り戻しながら、その男はゆっくりと天井の隙間から差し込む光を見上げた。長い金髪がその動作に合わせ、その顔を覆うようにずれ落ちていく。

『分かっているな?』

 その髪の間から鋭い眼光で目の前の影を見つめるとその影は恭しく一礼した。

『はい。』

 もうそれだけで二人には十分だった。もう一度一礼した後、膝をついていた影は部屋を後にした。


『許さない。』

 残された影は立ち上がり、差し込む光をその手で遮った。

『我らこそが最も優れ、最も強い。なのに、』

 そしてその逞しい手をグッと握りこんだ。

『奴らは我々を恐れ、こんな場所に追いやった。』


「そうだ。許すな。」


 今まで全く聞こえなかった、しかもロザンツの公用語で紡がれる声。それは光の届かない部屋の奥から発せられていた。

『お前には感謝している。』

 だがその言語が理解できるのか、それに受け答えするように言葉と共にそちらへ視線をチラリと向けると、その声の先にあった影はスッと肩をすくめて見せた。大したことではないという意味だろうと受け取りながら男はそちらへ向き直った。

『変わった奴だ。人間のくせに『俺たち』に恐れを抱かず、協力してくれる。』

「当然だ。あんな奴らはこの世には全く必要ない。必要なのは……お前たちのような存在だ。」

 コツコツと靴音を響かせ、低い声と共に差し込む光の下に来たそれは、黒いフードに包まれていた。

 あまり背丈の変わらないそれを一瞥し、顔を上にあげた。埃に遮られるのも気にせず、目を細めながら天井に空いた穴。いやその先の太陽を見つめた。

「なのにお前たちは迫害され、こんな責務を負わされている。その弱い、人間のために。」

『ああ。もうこりごりだ。』

「そうだ。これはその存在を知らしめるための第一歩だ。そうだろ?」

『ああ。分かっている。』

全く表情の見えないその黒いフードの男にふっと笑いをこぼしながらまた椅子に腰を下ろした。

『分かっているさ。』






「ガムルさん、遅いね。」

「そうね。」

 暮れはじめた太陽を見つめながら、気だるそうにダンゼルに相槌を打つリタニア。

 しかし、その動作とは裏腹に彼女の中は穏やかではなかった。

(いやな予感しかしないわね。)

 そう心中で呟きながら、そっと窓の端に見える街を横目で捉えた。

 商店が閉まり始めたのか、先ほどまでリタニアのいるこの部屋まで聞こえていた活気に溢れた声が消えていく。

 そんな時間なのに全く帰ってくる気配がない。これまでの感覚からリタニアは大体の予想がついていた。

「また、何かに巻き込まれたんでしょうね。」

「いや、そんなさらっと言われても。」

 ソファの背にのせた腕に顎を乗せるリタニアに苦笑いをこぼしながらダンゼルは自分の荷物を腰に巻き、立ち上がった。

「僕、見てくるよ。」

 そうダンゼルが口にした瞬間、リタニアの肩がピクリと跳ねた。だが、どこか負けず嫌いの性格が出たのか、なにも言わずただそわそわと身体を動かしている。

「リタニアさんは行かなくていいの?」

「そうね。私も行くわ。」

 その言葉を待っていたと言わんばかりにすぐさま用意を済ませたリタニアは扉の前に立つダンゼルを押しのけるように飛び出していった

「全く、どれだけ行きたかったんだか……」

 はは、とあきれたような笑いをフィロと交わしてから、それじゃあ、と手を振りながらリタニアの後を追った。




 どこまでも続いているかのような一本の並木道。その道を巨漢の男、ガムルはただ黙々と歩いていた。

 陽は傾き切り、山の向こうに消えた太陽からの光は徐々にその量を減らし、もう灯りなしでは歩けないほどの暗さだった。さらに今日の天気は曇り。唯一の頼りである月明かりすらガムルの瞳には全く届いてこなかった。

 この暗さに若干の危うさを感じたガムルはひたすら前に出していた足を止め、辺りを見回した。


「さて、どうするか。」


 なぜ彼はこのような場所で立ち止まっているのか。それは数時間ほど前まで遡る。




「んっ」

 軽いうめき声と共にガムルは閉じられた瞼をゆっくりと開いた。

 霞みがかった視界に何度か瞬きをしていると自分が見覚えのない場所にいることに気付いた。

「どこだ? ここは……ん?」

 一度辺りを見回した後、起き上がろうと手をつこうとしたがなぜかその腕は動かない。そのことに首を傾げながら胸元を見てみると、いつの間にかガムルの身体は綱でぐるぐる巻きにされていた。

「……なんだ、これ?」

「やっと目が覚めたか。」

 傍ら、それもかなり近くから聞こえる声にハッとして全身を使い、後ろへ身体を回転させると、

「……」

「やあ。」

 ガムルと同じく縛られた男が転がっていた。だがその姿恰好にそれはもういっそのこと忘れたいと思えるほどに見覚えのある姿だった。

「……お前は何をやっているんだ?」

「あなたと同じですよ、ロー……」

「その名前はやめろ。」

「おっとすいませんね、『ガムル』さん。」

「ワザとだろ。」

 黒いスーツに寝転がっているはずなのに、首を曲げてしわを付けまいとするトレードマークともいえる黒いシルクハット。


「で、お前はいったい何をやっているんだ? フォーメル。」



「あなたと同じく捕まっているんですよ。」

 ほらほら、と縛られている手を見せてくるいい大人に、はあ、と息をつきながらごそごそと腰のあたりをまさぐり、目当てのものを見つけたのかそれを引き抜いた。

「お、意外と器用ですね。」

「意外は余計だ。」

 隠し持っていた小型ナイフで縛られたロープを切り落とし起き上がると、それをじっとフォーメルが見ていることに気付いたガムルは手首をさすりながら明らかに不機嫌な目をして見せた。

「なんだ?」

「私のも切ってもらえませんか?」

「嫌だ。」

「なんでですか? こんな無力な一般市民を見捨てるなんて……」

「いや、お前は一般市民とは言わないだろ。というより暗器はどうしたんだよ?」

「全部取られちゃったんですよ。」

「・・・・・・」

「なんですかその目は。」

明らかに冷たい視線を向けるガムルに色白の顔を左右にフォーメルがじたばたともがきだした。

「私のも、切ってください。」

「お、おい。じたばたするな、バレるだろうが。」

「なら、切って、ください。」

「分かった、分かった。だからじっとしていろ。」

 完璧に根負けしたガムルは急かされるようにすぐ横のフォーメルの紐を切り出した。



「ふう、あー、痛かった。」

 大げさに伸びをして見せるフォーメル。だが、それに向けたガムルの視線は先ほどと違い、妙に鋭い。

「……で、本当の理由は?」

 ニヤリと笑みを貼り付けながらフォーメルはガムルを見るが、開きかけたその口を閉じた。

 冗談は通じない、そう感じたのだろう。一度形のいい目を伏せてから口を開き直した。

「先日の『ヒューズ・クリプトン本社襲撃事件』とそれに類する放火事件についての調査ですよ。」

「ん? ならなんでここにいるんだ?」

「なんでもなにも、」

 呆れ顔を見せながら、窓の外を指差した。



「ここはフィリーズですよ。」



「は?」

 フォーメルの言った意味が分からず、ガムルは耳の穴をほじくり、一歩フォーメルに近づいた。

「いやいや、ここは『サムヘア湿原』だろ?」

「じゃあ、あれはなんですか?」

 窓の外に見える高層建築物群。そんなものこの国には一か所しか存在しなかった。

「本当に、フィリーズ、なのか?」

「ええ。そうですが、どうかしましたか?」

「おいおい……じゃあ俺、一体何日気を失っていたんだよ。」

「六日です。」

「……マジかよ、嘘だろ。」

 その巨体を後ずさりさせていると、部屋に置かれた木箱に膝裏を叩かれバランスを崩すとそのままその上にドスンと腰かけた。

ビキビキと木目が裂ける音がするが、気にしない。いや気にする余裕がなかった。

もう、現状を理解しようと全ての脳細胞を一片も余すことなく稼働していたのだ。


(どういうことだ?)


「いや、正直、あなたが連れてこられた時は驚きましたよ。この街を離れたはずのあなたがここにいるんですから。」

 考えこむガムルに切れ長な目を細めながら声をかけるフォーメル。だが、なぜだろう。ガムルにはそのフォーメルになにか違和感を感じていた。

「……お前は本当にフォーメルか?」

「なぜそんなことを? まあ分からなくもないですけど。」

 冷静なフォーメルの返しに、問いかけたガムルはそれ以上訊けず黙り込むしかなかった。

「ただ、」

「……ただ?」

「気のせいかもしれませんが、」

「なんだよ。」

「あなたが現れるちょっと前、何か空間が、」

「空間が?」

詰め寄ってくるガムルの間に手を出しながらどもり気味に続けた。

「歪んだ気がしたんですよ。」

 普通の生活では聞くことなどありえない言葉にガムルは目を見開いた。

「空間が……歪んだ?」

 だが目を泳がすほどの驚き、それは初めて聞くからという理由で説明できないほど大きかった。

「気のせいだとは思いますがね。」

(気のせいじゃねえよ。)

 内心で否定しながらガムルは、おもむろにこの部屋唯一の出口に向かった。

 それを面白そうに見ていたフォーメルもまたゆっくりと腰を上げた





 人通りもまばらになってきた通りの中、たたずむリタニアにダンゼルが駆け寄った。

「だめだ。やっぱりいないよ。」

 そう、と返しながらふと周囲からの視線に目を向けた。

「見た人は?」

「いや、それがさ……」

 言葉を濁しながらリタニアと同じように周囲を見るダンゼルに彼女は彼が何を言いたいのか理解した。


 周囲から向けられる視線、それは心地よいものではなかった。奇異の視線、悪く言えば、嫌悪のこもった視線を向けてくるのだ。

「人間に教えることなんか何もない、だってさ。」

「そう……」

 また視線を足元に向けるリタニアに何か声を掛けようとダンゼルは手を伸ばすが、それが届く前に下した。

 今、どのような言葉も意味をなさない、そう分かっていたから。

 ダンゼルはラウルの言った言葉の真意に触れたような気がした。

「とりあえず、できるだけ訊いてみるよ。」

「ええ。私も訊いてくるわ。」

 この空しさを埋めるように必要以上に声に力を込めて二人は反対に走り出した。





 ゴウン、という轟音とともに吹き飛ぶドアからガムルは一歩外に踏み出した。


 もう太陽は沈みかけ、徐々にその暗さを増していた。

 だがその中でもガムルの目に鮮やかに映るものがあった。

ドアのあった場所を出てすぐ、その先にある一本道を境に左右に色とりどりの花々が咲き乱れていた。

その景色はあの無機質な感を受けたフィリーズとは思えないほど、自然本来の美しさを感じさせるものだった。

「おや、珍しいですね。」

 遅れて出てきたフォーメルもガムルと同じようにドアの脇に立ち、微笑をこぼした。

「どこだ? ここは」

 こうしている場合じゃない、とガムルはせわしなく辺りを窺いだした。

 そんなガムルとは対照的にフォーメルはある一点を見つめていた。

「どうやらザフィーラ草原の西の端でしょうね。」

「なんでわかるんだ?」

 キョロキョロと周囲を見回す自分と違い、ぼう、とある一点を見ているフォーメルがなぜわかるのか、そう疑問に思わずにはいられなかった。

 だがその疑問に対する回答は単純なものだった。

「いや、あの山に見覚えがあるだけですよ。」

 指差すさきにあったのは、頂上付近に生える『世界樹エルデ』ほどではないがかなり大きな樹。樹齢も百年、二百年では済まないであろう大きさである。

「あの樹は……」

「どうかしましたか?」

「……いや、なんでもない。」

 フォーメルの追及を避けようと首を振りながらもガムルはその樹から目が離せなかった。


(『世界樹エルデ』まさか、そういうことなのか?)


「では、ガムルさん。私は失礼しますね。」

「お、ああ。」

 一人物思いにふけるガムルを後目に歩き出すフォーメル。それに焦るように返事をしながらガムルは迷っていた。

 自分の勘を信じるべきか。


それともいち早く『サムヘア湿原』に戻ることを考えるか。


「まあ、勘を信じるのが俺か。」

 自分に言い聞かせるような、言い訳をするような言葉を口にしながら花畑を抜け、街へ向かうフォーメル、それと反対にある山の方へ歩き出した。

 いつも的中する予感。今回も当たるか分からない。だが、今やらなければ絶対に後悔する。なぜかそんな気にガムルは駆り立てられていたのだ。




 そしてそれから数時間、完璧に日が暮れた森の中、獣道を進んでいたガムルの足が止まった。


 だがそれは目的地に着いたからではない。

「……ちっ」

 周囲から感じられる殺気。自分を狩ろうとする明らかな意思表示。だがそれは明らかに人間のものではなかった。


グウウウウウウウァァァァァァ


 その殺気に遅れて、鳴り響く唸り声。それにガムルは反射的に腰に手を回すが、

「……しまった」

 引き抜いたその手にあったのは先ほどロープを切った短いナイフ一本。目当ての『機械剣』はそこにはなかった。

「どうするかな……」

 包囲を狭めてくるそれをガムルはやっと視認した。『双頭狼デュアル』と呼ばれる双頭の小型の狼、それがガムルの周りに、


「一、二、……十か。」

 小型の『人ならざるモンスター』ではあるがその戦闘能力、特に集団のでは一小隊など目ではない。それだけの強力なものがここにいる。その事実にガムルは自分の勘が当たっていることを確信した。

 だが、

「生きて帰れるのかね?」

 答えが返ってくるわけがない。そう分かっていても問わずにはいられなかった。

「仕方がねえな。全く。」

 手にあるナイフを逆手に握り直してからガムルは浅く腰を落とし、深い深呼吸の後叫んだ。。


「かかってこいよ!! このワン公が!!」


 それが戦闘の合図だった。





「お帰りなさい。」

 また部屋に戻ってきた二人を透き通った声が出迎えた。

「ただいま。」

「ガムルさんは……見つからなかったようですね。」

 二人の表情からすぐに予想がついたフィロは何も言わず、手に持つ書籍にまた視線を落とした。

「リューガが、『明日、会議をする』、といっていました。」

「分かったわ。ありがとう。」

 礼を言いながら、リタニアは歩き回って疲れたその身体をソファに投げ出した。

「疲れたー」

「僕はちょっとシャワーを浴びてくるよ。」

 その子供っぽい行動に苦笑しながらダンゼルは横の個室の中へと消えた。

「どこまで行っていたんですか?」

 キリのいいところまで読み終えたフィロは本を閉じ、寝転がるリタニアの後ろに立った。

「この里のはずれまでよ。」

「それはまた遠くまで行きましたね。肩もみましょうか」

「あ、嬉しいかも。それがね、この里の人が全然口をきいてくれないのよ。」

 小さい手から伝わるほどよい刺激に目を細めながら里の住人の反応を思い返していた。

「溝はかなり深いようですね。」

「ええ、そうね。」

 ラウルの理想とする未来。その重要性は彼女たちの予想よりもはるかに高い。そう実感せざるをえないほど今のこの里は閉鎖的だった。その事実に自分たちが負うことになる責任、その大きさを嫌でも実感させられた。

「それにしてもあの人はどこに行ったんですかね?」

 その重い空気を取り払おうとフィロは少し語気を強めた。

 その幼い少女の気遣いにリタニアはふっと自嘲の笑みをこぼしながら感謝するようにその話題に意識を戻した。

「さあ、もしかしたらとんでもなく遠いところにいるのかもね。」

「だけど、」

「ん?」

「絶対、帰ってくる。そんな予感というか、」

「確信がする?」

「はい。」

 恥ずかしそうに言うフィロ。だがそれにリタニアは真面目そうに頷いた。

「実は私も同じことを思っていたのよ。」

 肩に置かれた白い肌の手に自分の手を重ね、ゆっくり肩から降ろしながらリタニアはふう、と息をついた。

「今すぐは無理かもしれないけど、いつか必ず帰ってくる。そんなことをね。」

 そう自分で言ってからリタニアは笑い出した。

「全く、会って一か月ぐらいの奴をこの私がこんなに信用するなんてね。」

「同感です。」

 ふふふ、と笑いあいながらフィロはまたリタニアの肩に手を置き力を入れた。不満を口にしたからかその方は先ほどよりも柔らかくなっている気がした。





「昨日はすまなかった。」

 最初に通された部屋、そこに踏み込んだ龍牙をはじめとする四人はラウルの謝罪に迎えられた。

結局、待っていた姿は現れることはなくそのまま夜が明けてしまったのだ。そのため朝早いこの集合に、龍牙以外の三人は眠たげな眼を擦り、あくびを溢していた。

「気にする必要はない。どうやら全員、この里の現状をよく理解したみたいだからな。」

その言葉に頭を下げていたラウルの目が後ろの三人を捉えたかと思うと、今度は窓の外へと向けた。

「この里はいわば孤島だ。」

 その言葉にリタニアは眉をひそめた。そのラウルの吐き捨てるような言い方に違和感を感じたからだ。

「だけど、今のあなたたちの状況を考えたら当然じゃないの? 人間に迫害を続けられている訳だから。」

「だからこそ、じゃ。」

 奥の壁に刻まれた円の中に幾何学的な形が並ぶ文様の前に立ち、ラウルはスーと大きく息を吸った。

「我々の祖先より受け継いだ、この身体、この魂、そしてこの胸にくすぶる強き意志。」

 建物が振動するほどの大声を出しながら振り返るとスッと右手を胸の前に掲げた。

「その全てが叫んでいるのじゃ。ドワーフやエルフが人間と対等だと認めさせろ、とな。」

 そこまで話したところで、険しい顔を崩し、ぎこちない笑みを浮かべて見せた。

「わしらがわしらであるために、な。」


 その言葉にリタニア達は何も言えなかった。自分たちが旅をする上で常に持ち続けていた決意。それをもう一人の自分に言われたような、そんな気分だった。

「お前らにも分かるだろ? こいつの気持ちが……俺たちと同じだと。」

 龍牙のトドメの一言に三人は自然と頷いていた。やはり、否定できないと。だから三人は自分から昨日座った席に腰を下ろした。

 それに満足げに頷き、龍牙はラウルの横に座った。

「そういえば、レイと口論していた彼はどこに?」

「それが……」

「ああ。またふらふらとどこかに行ったんだろう。気にしなくていい。」

「そうなのか? ならいいが。」

 突然自分の言葉を遮られたことにリタニアは目を見開くが、ラウルはそれに気づかず話を進めていく。

「そちらに頼みたいのは、明後日攻めてくる『帝国軍南西部統治部隊』の迎撃、及びその統率をしているその部隊を指揮するヴィネッツ大佐の撃破、あるいは捕縛をお願いしたい。」

「かなりの難題だね。」

「ああ。まさか南西に移っているとはな。」

「鬼将軍ですか。」

 

四年前、ゴブリンと呼ばれる、背が子供のように小さな緑の身体を持つ『人ならざる者』の集団が、四つの村と街を壊滅に追い込むという事件が起こった。

その集団は百を超えるという『人ならざる者』としては前代未聞の事例に国中に衝撃が走った。


だが、この事件を最も世間に知らしめたのは、『クロン・ヴィネッツ』  この男だった。


その地域を担当していた部隊がその報告を受けるとすぐに三十人の騎士による大隊を編成、その根城と報告を受けた街へと出動した。

だが、結果は惨敗だった。

ゴブリンたちの訓練されたのではと疑うような集団戦法に大隊は一日も持たずに壊滅。支部に戻ってきたのは怪我人八人のみだった。

その報告に本部が四聖人の投入を考え始めた頃、あるもう一つの報告が舞い込んだ。


『ある中隊がゴブリンを殲滅した』、と


 たった十五人しかいない部隊。それが騎士三十人でも敵わなかった百以上ものゴブリン達を殲滅したというのだ。本部は耳を疑った。

 だが、その真偽を確かめるために現地に派遣された調査員が見たものとは……


一方的な虐殺だった。


 闇夜の中、逃げ惑う緑の小人たちを容赦なく焼いていく紅い炎。そして鼻を突く強烈な肉が焼ける臭い。


 地獄だ。そうその調査員の記録に書かれていたという。


 そしてその奇跡とも取れる勝利をもぎ取った中隊。その隊長が当時少佐のヴィネッツだったのだ。


 個人の実力もさることながら、その頭脳から繰り出される数々の『奇策』 その事件で大きく評価されたこの彼の能力に対する本部の期待がどれほどのものかは、たった三年の間に二階級昇格という通常ならばあり得ない昇進ぶりを見れば明らかだった。

個人の実力は騎士団の中でも屈指を誇り、次の四聖人入りの候補にも挙がるほどの実力者だ。


そして何より評価されているのは、異常ともいえるその正義感だった。


『全ては国民のために。』


 これを口癖にするほど彼はこの国の民に対して軍に身を置いている者とは思えないほど気を配っていた。だが、それと同時に行き過ぎることもある。その例がゴブリンの事件だった。

 彼が一度『悪』と決めつけたものは上からの指令がない限り、殲滅するまで殺し続ける。そう人間ではない。伝記にもその名を残す、『鬼』と形容しても遜色ない狂気の塊でもあったのだ。


 その恐ろしさは同じ帝国軍に身を置いていた四人はよく理解していた。


「最近、あまり名前を聞かないと思っていたらこんなところにいたとは、予想外だったね。」

「私たちにとって最悪の相手よね。」

「ええ。正直この中で彼と対等に戦えるのはリューガぐらいですが……」

「リューガじゃ目立ちすぎて例えヴィネッツを倒してもまた帝国に攻め込ませる口実を与えてしまう。」

 ため息交じりのリタニアの言葉に焦りを見せるラウルは身体を少し乗り出した。

「そんなにそいつは強いのか?」

 向けられた視線に少し答えるべきか迷っていたが、ダンゼルはコクリと頷いた。

「ええ。正直僕たち三人がかりでも勝てるか分かりません。フィロちゃんの冥術も彼の前では無力でしょうし。」

 そう言いながらダンゼルがフィロに視線を移すと、彼女はすっと悔しげに俯いた。

 その反応に事実なのだと判断したラウルは助けを求めるように龍牙を見るが、

「さて、どうするか……」

 その龍牙ですら策がないのか、天井を見上げ思考を巡らせていた。

普段見ることのない動作に、銀翼旅団の団員である三人は、いや、そうではないラウルでさえも現状の厳しさを再認識していた。

 ガンッと堂々巡りを繰り返す思考への腹立たしさを机にぶつけると、ラウルは何かを決心したのか、鋭い視線を龍牙に向けた。

「龍牙、」

「なんだ?」

 その先ほどとは違う雰囲気に預けていた背中を引き戻した。

「明日がなければその先はない。そうだな?」

「ああ。その通りだ。」

「ラウルさん、それって!?」

 龍牙との会話でラウルの意図することを理解したダンゼルはガタンッと椅子を倒しながら立ち上がった。

「……それしかあるまい。」

「だけど……」

 その諦めにも似た言葉に何か言いたげにダンゼルは口を開くが、あうあうと息を吐くしかできなかった。

言いたいのに言えない。そんな弱い自分に腹立たしさを感じずにはいられなかった。そんなとき、脳裏に浮かんだのは、昨日、他人ひとのために怒り、そして消えた男の顔だった。

(もし……)

「だから、龍牙、お主が……」

(もしここにガムルさんがいたら……)



「私がやります!!」

「僕が……えっ?」



 自分のものではない声にダンゼルは驚きのあまり言葉を止めた。一歩前に踏み出そう。その決心を踏みにじる声をダンゼルは急いで探した。そして見つけた、入り口に立つ者を。


「レイ……」

 一斉に集まる視線を受け流し、その声の主、レイは入り口から堂々とした足取りで龍牙の向かいの席の前に立った。


「私がそのヴィネッツを倒します。」



「ちょっ、ちょっと。」

 混乱していた思考がやっと追いついたダンゼルは制止の声を発していた。そのダンゼルらしくない行動に驚きの表情を見せるメンバー。 その中でそれにギョロリと空のように碧い瞳が向けられた。

「何か?」

「……あなた一人で倒せると思っているんですか?」

「じゃあ、あなたにはできると?」

 なぜ意義を唱えたのかダンゼル自身、分からなかった。自分の決心を踏みにじられたからかもしれない。だが、それ以上にレイの身を案じている自分がいることにダンゼルは気付いていた。

「いえ、ただ……」

 口ごもるダンゼルにふん、と小馬鹿にしたように息を吐き、レイは入り口へと踵を返した。

「大した力もないのに大口を叩く。これだから人間は……」



「あんたに私たちの何が分かるのよ。」



 囁くような、どこか独り言にも似た一言に、一定のリズムを刻んでいた足が止まった。

 ゆっくりと向けられる鋭い視線を、その呟きの主、リタニアが前髪に隠れていた目で受け止めた。

「何か言いたいことでも?」

「ええ。おおありよ。」

 ゆっくりと椅子から立ち上がると、自分と同じぐらいの身長、だがその気迫からそれ以上に大きく感じる男の前に立った。

「まず、大した力もないのにとか言っていたけど……先に言わせてもらうけど、私たち全員、あなたよりも強いわよ。」

「なに?」

 ピクリと眉を揺らすレイを無視し、リタニアはさらに続けていく。

「人間だから、人間だから。何回もこう言っているけど、あんたに人間の何が分かるのよ。」

「分かりますよ。人間は欲深く、傲慢で群れをなすしか脳がない種族でしょう?」

「じゃあ、ドワーフやエルフにはそんな人はいないと?」

「ええ。我らは誇り高き種族。そんな下等生物と同じにされては困りますよ。」

 明らかな挑発に吼えたい衝動を押さえようと拳をギュッと握り締めた。

「だけどその団結するという脳がないから今苦しんでいるんじゃないの?」

「ですがそれは、あなた方人間のその果てしない欲が原因でしょう?」

 悪びれもなく答えられる言葉。それに怒鳴りたい衝動を押し付け、リタニアは尚も続けた。

「じゃあ、ドワーフやエルフにはそんな人はいないと?」

「ええ。我らは誇り高き種族。そんな下等生物と同じにされては困りますよ。」

 その明らかな挑発にダンゼルは吼えたい衝動が沸き上がるが、ただ平然と耐えるリタニアを思い、拳をギュッと握り締めた。

「だけどその団結するという脳がないから今苦しんでいるんじゃないの?」

「ですがそれは、あなた方人間のその果てしない欲が原因でしょう?」

「それはそうかもしれない。だけどそれはある一部の者の仕業だわ。」

「ですが、私たちはそんな人間しか知らない。」

「なら、私たちを知ればいい。」

 それをニンマリと優越感に満ちた笑顔を浮かべながら告げるリタニアにレイは意味が分からないという顔をした。

「あんたたちののそのつまらない先入観、それをぶち壊してあげるわよ。」

 レイはしばらく呆気にとられていたが、思い出したかのように入り口の方に振り返った。

「ふん、低俗な種族らしい考えだ。」


 そう吐きながら自信を削られたのを示すように少しゆっくりな歩調で光に満ちた出口に消えた。


「楽しみにしてますよ。」


 



「おいおい、まだ楽しませてくれるのかよ。」

 ぜえぜえ、と肩で荒く息をつきながらガムルはナイフを握る手で額の汗を拭った。

 彼が立つ周りには、少し前まで獲物に群がっていた黒い肢体が転がっている。だがそれは一つや二つではすまない数だった。少なくともその胴は二十はその場に転がっている。

だがその黒い円の周りにはまだ十を超える獣の姿があった。

「ちっ、まずいなこりゃ。」

 そう呟きながら手に握るナイフに目を落とした。ガムルを縛っていた紐をすぐに切り裂いたそのナイフは、赤い血に濡れ、もうその切れ味を維持してはいなかった。

「どうする・・・・・・つぅ」

 その現状を理解することで集中力が切れたのか、麻痺していた痛覚が戻ってきていた。

 空いている左手で抑えた脇腹は、着ていた服が切り裂かれ、その下に巻かれた包帯が血に染まっているのが微かな光の中でも分かった。

「くそが……」

 もう斬るという動作に使用できなくなった武器を折れそうなほどに握り締め、歯を食いしばった。

 最初に襲われた場所からはかなり移動しており、ガムルには自分がどこにいるか分からない。このような状況で地の利を生かすのは厳しい。

かといってこのまま戦っても、鋭い牙や爪をもつこの獣たちを相手に満足に戦うことは難しかった。

(どうする……)

 包囲している『双頭狼デュアル』は、味方の半数以上を倒したガムルの戦闘能力に危険を感じているのか、なかなか攻めてはこない。これがガムルにとって唯一の救いだった。

 もう一度辺りを見回していると、雲の隙間から差し込む月明かりの中にあるものを見つけた。


「どうやら、まだ見捨てられたわけじゃないらしいな。」

 フッと自嘲気味に笑いながらガムルは一気にその方向へ駈け出した。

 突然のガムルの疾走に、動き出しが遅れた狼は、身動き一つする間もなく、鈍らと化したナイフに心臓を一突きにされ、ただの入れ物となったその身体をガムルに踏み砕かれた。


 だが流石というべきか、この突然の出来事に恐れを抱くことなどなく、狼達はすぐにそのあとを追いだした。


 ガムルの目に映る目標、そこまでの距離はおおよそ百メートル。狼たちに捕まるかどうか微妙な距離だった。


「ふん!!」

 それをよく理解していたガムルは加速を付けたまま、木々が生い茂る中大きく前に跳躍。

「オラァ!!」

そして地面に着地すると同時にその地面を盛大に踏み砕いた。

 バキバキとひび割れる音と共に狼たちの悲鳴がガムルの耳に届くが振り返らない。それは、その不安定な足場の中、未だに殺意を振りまきながら迫ってくる個体がいくつかあるのが感じられたからだ。

 現に、突然の足場の変化に後ろを走っていた狼たちはバランスを崩し、五体が転倒していたが、残りはまだ走り続けていた。

それでもその速度は明らかに落ちている。

 その間にガムルは木々の間の視界の開けた場所へと飛び出していた。


「やっぱり、そうか。」

 茂みから飛び出し、少し進んだところで立ち止まったガムルは目の前のものを凝視した。


 それはあの崖に生えていた大きな、大きな樹だった。


 その堂々とした佇まい。それは樹とは思えないほどの存在感に満ちている。それに圧倒されそうになりながらガムルは急いでそれに駆け寄った。

(どこだ。どこにある?)

 唸り声が近くなる中、何か、ガムルは何かを求め樹の周りを手探りで探し出した。

(『あの巻物』が正しいなら、ここに、ここに必ずあるはず……)

 少しずつ少しずつずらしながら探すガムルが目的のものを発見するのと狼たちが樹の根本にたどり着くのは同時だった。

 すぐ下から聞こえる吠え声にガムルはチラリと視線を移しながら、ニヤリと口元を歪めた。

「悪いな、ワン公。もう鬼ごっこは終わりだ。」

 ガリガリと樹の幹を削りながら上がろうとする狼に向けて手に持つナイフを投げつけると、ガムルは目の前にある幹を強く押し込んだ。


 ガコッ


何かがハマる音。それと同時にガムルが押した幹が窪み、その中から少しずつ光が漏れだした。

闇夜を切り裂く眩い光。それに本能的な恐れを抱いたのか、狼達は樹を登るという行動を止め、先ほどよりも控えめな唸り声を絞り出していた。


それに一切見向きもしないガムルの前でそれは大きさを増し、ついには子供一人が通れそうな大きさの穴が、いや光の扉が口を開けていた。


 グウウゥゥゥゥワウゥゥゥゥゥゥ


 普通の人なら一度も見ることもないであろう、異常な光景。そしてその奥から漏れてくる『双頭狼デュアル』とは違う腹底に響く獣の声と只者ではない気配。

 それを見つめていたガムルの口からぽつりと言葉が零れた。

「……『おさ』、またあんたのが役に立ったぞ。」


 誰に向けて言っているのだろうか。その彼を誘う光を見つめながら囁くその表情はどこか懐かしそうでどこかさびしげだった。


「……あのくそ野郎。殴った分倍返しにしてやる。」


 だがその表情は一瞬だった。


その囁きがなかったかのようにガムルは悪態をつくと、恐れを抱く狼達をさげすむ目を向けてから、迷いなくその光の中へと飛び込んだ。






霧が立ち込める平地。その真ん中で、部下と思われる男から報告を受けた銀色の鎧の男はやや足早に霧の中に歩き出した。

後ろで結わえられた金髪を揺らしながら歩くその歩幅は大きい。

しばらく歩き、うっすらと霧の向こうに人影が見えたところで男は跪いた。

「大佐、準備が整いました。」

「そうか。」

 ガチャリと一際高く鎧が擦れる音と共にそれはすぐ横に身体を向けた。


 鎧でその身を固める茶髪の男とは相反し、その声の主、クロン・ヴィネッツは騎士団の上層部が会議に着るような緑を基調とした制服に身を包んでいた。

 この明らかに戦闘に不向きな服装。だが、茶髪の男もそれが当然と思っているのか、何も言わない。

「兵たちはどうなっている?」

「はっ、皆、早く正義の鉄槌を下したいそうです。」

「正義の鉄槌、か。」

 ふふっ、と小さく笑うヴィネッツの前で視界を遮っていた霧がゆっくりと流れたかと思うと、その向こうから信じられない光景が飛び出してきた。

 銀、銀、銀。どこまでも広がり不気味に輝く鋼鉄の色。それを視界におさめてからヴィネッツはスッと息を吸い、


「今、ここで、『悪魔の子』の殲滅が始める!!」


 吐き出した、その細い身体に似合わない大声と共に。

「稀有な力を皇帝のために使わない種族。人と同じ姿でありながら我らが皇帝に、帝国に抗い、恐怖を与える異常種たち。」

 徐々に熱がこもっていく兵士たちを見ながらヴィネッツは腰に差した機械剣を抜いた。


「そんな悪は、必要ない!!」


 ドウッと沸く歓声と足踏みの音に、遠く離れた場所にいた鳥は飛び立ち、獣たちは森のさらに奥へと逃げていく。

 ヴィネッツはその鼓膜が張り裂けそうな音の乱舞の中、先ほど以上の大きな声を発した。


「これから振り下ろすこのつるぎこそが正義。我らが正義。」


 ウオオオ、と収まることの知らない歓声と共に地面を踏みしめる音が地震のようにヴィネッツの身体を揺らす。それを心地よさげに笑みを浮かべながらその手にある機械剣をそのまま天に掲げた。


「先人が成しえなかった正義の鉄槌。今日、この日。君たちの前で、叩きつけて見せよう!!」


 その言葉に兵士たちの沸き立ちは最高潮に達した。


「全軍、進軍開始!!」




『長、敵が動き出しました。』

 こちらも濃い霧の中で、ラウルがサメット語で報告を受けていた。

「ついに始まったか。」

 ボソリと呟くラウルの横で背の高い者が片膝をついた。

「俺たちはあくまで迎撃に専念するが、大丈夫か?」

 そのラウルの表情を気遣う友人に、大丈夫だ、と返しながらラウルは後ろを振り返った。

 空気中を漂う霧の向こう、そこに隠れる『世界樹』の方を見ていると横にいた龍牙がラウルの耳に顔を近づけた。


(本当にいいのか? お前の息子にやらせて。)

 ぼそぼそと小声でささやかれる言葉にラウルは一瞬迷ったが、しっかりと頷いた。

(息子を信じる。これが親の務めだ。それに……)

(それに?)

 尋ね返す龍牙から目を離し、ラウルはもう一度『世界樹エルデ』の方を見た。

(それに、もしものときは『彼』が助けてくれるはずだ。)

(彼?)

 何を指す言葉なのか理解できない龍牙。その肩をポンと叩き、ラウルはニッと笑って見せた。

(気にするでない。時が来れば分かる。)

(……ならいいが。)

 もう終わりだと察した龍牙はコートに付いた土を軽く払いながら立ち上がり、霧の奥で控えていた他の三人の方に歩み寄っていった。

「作戦に変更はなしだ。」

「ふーん。で、私たちはどうすればいいわけ?」

「俺たち四人はここの防衛の方を手伝う。」

「遠距離からの狙撃は大丈夫ですか?」

 ダンゼルからの質問に龍牙は首を横に振った。

「必要ない。それにお前たちの術式は目立つからな。」

「じゃあ、私たちは何をするの?」

 可愛らしく首を傾げるフィロに何か奇妙な光を宿した目を向けた。


「目立たないようにやる、それだけだ。」




ドスン

「っ、いってえ。」

 岩でも落ちたような落下音とともに発せられた声が周囲の壁に跳ね返されていく。その中で落下してきたそれはのそりとその身体を揺らした。


「つう。ここが中か?」

 痛む尻に手を当てたまま、落ちてきたもの、ガムルは立ち上がった。


 そこは塔のように天井の高い場所だった。


彼が踏みしめる地面は、枯れ枝や枯葉で敷き詰められ、その声を跳ね返す壁は全て太い植物の茎に覆われている。ガムルが落ちてきた天井もすでにその扉を閉じている。

だがガムルはふとある違和感があることに気付いた。


「どこから出てきたんだ?」

 上を見上げるがガムルは自分が出てきたと思われる入り口を全く見つけられないでいたのだ。

彼の頭上ではただその周りを囲んでいる樹の幹が捻じれ、先の尖った塔の中のようになっている。

それに首を傾げていると、同時にもう一つ疑問が浮かび上がった。


 なぜこんなに明るいのか。

 今度は口にすることはなかったこの問いはすぐに解決された。

 三百六十度囲まれたもの、樹の幹。何の変哲もないそれに、ザクザクと枯れ枝を踏む砕きながらガムルは歩み寄った。

 何か特別なものがあったわけではない。ただ、そうしなければならない、そんな使命感に支配されていた。


 そしてその手が幹に触れた。その瞬間、


「ウオッ」

瞳を焼くような、だがどこか暖かい光がその空間を満たした。

とっさに驚きの声を上げたガムルだったが、その懐かしさのような感覚に自然とそれを受け入れていた。

どこかで感じた、そう母親の腕の中にでもいるような安心感。その黄金に満たされた音のなき世界の中で、ガムルの耳に微かなガチャリという何かが外れる音が入ってきた。


眩しさをこらえながらゆっくりと目を開けるとガムルが触れていた場所に、先ほどまでなかった裂け目が出現していた。

「来いってか。いい身分だな。」

誰に向けてなのだろうか。そう毒づきながらガムルは新たな光源に向けて歩き出した。






『戦況は?』

 ガムル達が通った沼地と正反対の場所に位置する小高い丘の上。濃霧が立ち込める中、背伸びをしながら双眼鏡を見続けるサメット族の兵士にラウルは声をかけた。

『予想通り、あまりよくないようです。』


「おらおらおら!! この程度か!? この悪魔どもが!!」

「弱いな!!」

「この程度の力で俺たちを止められると思うなよ!!」

 ついに始まった両者の衝突。先頭を突き進んでいた重装兵とドワーフの一軍の交戦を開始したのだ。


だがその状況はおの兵士や飛び交う言葉の通り、サメット族にとってあまり好ましいものではなかった。

『黙れ、下郎共が!!』

『この森から無事に帰れると思うな!!』

 負けじと声を張り上げ、士気を保とうとその部隊の隊長が声を張り上げるが、ぐらついていた情勢は予想よりも早く帝国側に傾こうとしていた。

 霧の濃いこの森の特性を生かし、白兵法ともいえる少人数による撃退を彼らは試みていたが、それはほぼ完ぺきに無効化されていた。


 その原因はただ一つ。帝国軍が持ち込んできた、『機関銃ガトリング』のせいだった。


 通常の火薬を使った銃ではなく、『火』『風』の冥術による補助を追加した強力な大型兵器。

 サメット族の兵士たちは通常の銃などでは決して貫けない巨大な岩やこの特有の木々の影に潜んでいたのだが、その兵器を前にしては無意味な行動となっていた。


『第一陣が崩されるのは時間の問題かと。』

『そうか。第二陣は?』

『先ほど準備が完了したようです。』

『そうか。戦力は報告通りで間違いはないかの?』

 その問いに兵士はもう一度背伸びをしながら双眼鏡を覗きこみ、頷いた。

『はい。敵の数はおおよそ三千。その内、騎士団、冥術師が五百ほどです。』

『こちらは五百と少し。リューガ達がいるとはいえ、表だって戦えないことを考えると……厳しいか。』

『ええ。それに……』

『どうした?』

 ラウルの問に敢えて答えず、兵士はラウルに双眼鏡を手渡した。

 しばしその無言の意味を考えてからラウルは促されるままに双眼鏡を目に当てた。


 濃霧に満ちた沼地。普通なら見えないはずのその双眼鏡の向こうでは銀色の塊が綺麗にいくつもの正方形に並んでいる。それだけでもただならぬ雰囲気を醸し出しているのだが、その中心で一際異様な空気を出している一団があった。

 周りにいる兵士や騎士とも違う、特注であろう鎧をまとった騎士たちの集団。


 ヴィネッツ率いる騎士五十人で形成される部隊だった。


 そこまではなにも言われずに理解したラウルはすぐに兵士が伝えたかったこともすぐに見つけた。


『肝心のヴィネッツがまだ姿を現していないのか。』

『はい。どうしますか?』

 差し出された双眼鏡を受け取ると兵士は傍らに置いてあった子供の頭ほどもある四角い箱を差し出した。

 その箱の上面にはきれいな正円の穴が開いている。

 ラウルはそこを覗きこむように顔を近づけるとすう、と大きく息を吸った。


『作戦に変更はしない。このまま続行する。』

 そう告げるラウルの顔は箱から発せられるほのかな黄色い色に照らされている。

 そのまま数秒、帰ってくるはずの声が帰って来ないことを確認してからラウルは顔を上げた。

『例の件はどうじゃ?』

 先ほどまでとは違う押し殺した声にかけられた兵士も決して崩すことのなかったその表情を険しくした。

『現状を詳細に伝えましたが、向こうからは何も反応がありません。』

『そうか……基本的に我々とは無干渉だからのう。仕方がない。』

『どうしますか?』

『どうするもこうするもないじゃろ……こちらからは何もできないのだから』

『そうですね。』

『誰か、』

『え?』

 風のように微かな声に兵士は意外そうな顔をした。それはラウルというドワーフが里の英雄ともいえる彼がこんな弱弱しい声を出すなど信じられなかったのだ。

 だがそれと同時に、そんな人には見せない弱さを自分に見せてくれたことに不謹慎と思いながらも嬉しさを感じていた。

 そんな兵士の心境などいざ知らず、ラウルは遠くで聞こえる冥術独特の破砕音、それと共に広がる振動に目を細めた。


『誰か、あの方々に好かれる人がいれば、な。』


 その声は風に乗り、この湿原を見下ろす大木へと流れていった。




 ザクザクと枯葉を踏みしめ、また壁のような樹の割れ目をくぐったガムルは、これまでと違う風景に足を止めた。

 

 これまでと比べものにならない高さの縦穴がそこにはあった。

 石粒のようにしか見えないほど天井は遠い。だが、なによりガムルを驚かせたのはその側面に空いた無数の横穴だった。

 大きさも形も様々なうろと表現すべき穴の一つを覗きこんだ。

 ひゅお、と音を立てながらガムルの頬を風が撫でていく。その風に覚えのある匂いを感じたガムルだったが、それが何だったか思い出せず、とりあえず他の穴も覗きこんでみることにした。

最初に覗いた穴はガムルの胴ほどの大きさだったので、今度はガムルの背丈ほどもある穴を覗きこんでみるが、先ほどと同じように風が匂いを運んで来ていた。 

 どうやらこの横穴全てが大小関係なく外へとつながっているようだ。

「へぇ。」

 その訪れたことのない奇妙な空間に自然とガムルの口から感嘆の声が漏れていた。

 だがその声はどこか誰かに向けた賞賛の声にも聞こえた。


「で、お前等は俺をこんなところまで連れて来て何の用だ?」


 そのガムルの言葉に、彼の頭上から突然、今までなかったはずの気配が姿を現した。

 しかも一つではない。最初は一つだったのが、一つ、また一つと増えて行き。最後には三十以上の影がガムルの頭上で輪を作っていた。

 その情景を平然と見回していると、ガムルはふっと正面に向き直った。

 理由はただ一つ。強大な気配を感じたからだった。

 その感覚に狂いはなかった。徐々に視線を上げていくガムルの前でそれは悠然と姿を現した。


 強靭な筋肉を浮かびあがらせた黒と金の縞模様。その四肢の先に備えられた強靭な爪。ゆらゆらと宙を漂う蛇のような頭が着いた緑色の尾。獰猛な肉食獣ならではの鋭い眼光と共に光る白く鋭い牙。

 そして何より目を引くのは、極彩色ともいえるその身体にはあまりにも不釣り合いな純白の翼。


 それは『六王獣』の一角、『合成獣キメラ』と呼ばれる『変異種ヴァリアント』だった。


『主がそうなのか。』

 純白の翼を大きく広げたまま開けられた口から発せられた言葉にガムルは疑問符を浮かべずにはいられなかった。

「何の話……」

『主が、『使徒』なのか?』

 そのしわがれた声にガムルは閉口した。

別に驚いたわけではない。仮にも相手は『六王獣』、知っていて当然なのだ。

 ガムルが口を閉ざしたのはただそれ以上にそこまで知ったうえでどのような話を振ってくるのかが気になったのだ。

 相手にもその沈黙の意味を理解したのだろうが特に話の間を縮めることはせず、平然とまた話し出した。

『なら、問おう。若き『使徒』よ。主はこの国の、この世界の真実にどれほど近づいた?』

 ガムルはその声とは別に獣の唸り声を発する口を見つめ、黙り込んだ。

 それはこの問いについて正直に答えるべきか迷ったからだった。

『六王獣』の使命ともいえるものの一つに、その秘密の保守が含まれているのを彼は知ってしまっていたからだ。

「……お前ら六人が共有するところまでだ。」

 そこまで考えた上での答えに正面に立つ他より一回りも二回りも大きなキメラはその切れ長な目を細めた。


『なら『六天』が本来、誰が元にあるべきかは知っているな?』

「……ああ。」

 今度は目を細めるのはガムルの番だった。その正面に立つ恐らく『六王獣』であろうキメラ。その口に銜えられた黒い棒に見覚えがあったのだ。

黒い棒の先に付いた黒い刃。そしてそこに填まった五つの宝石たち。


 それは間違いなくガムルの『機械剣』だった。


『この世界に存在する、自然の中で生成しえない六つの珠、六つの『そら』、そして六つの『災厄』。』

「それは『六天』のことか? どういう意味だ?」

『そうか。主はそこまで知らないのか。』

 機械剣を口からこぼし、やれやれと言った風に首を振る仕草にガムルの不機嫌さは急上昇していた。

 ガムルはこの国の、世界の闇を知っている数少ない人間だ。そういう自負もあり、客観的に見ても彼より深いところまで知っているのはこの世界でも数えるほどしかいない。

 そんな自分を、深い闇を見てきた自分を否定するように子供のように扱うキメラに苛立たずにはいられなかった。


「知らないって何をだ?」

 その苛立ちからか、それとも自分が知らないということに対する恐怖からか、ガムルの言葉は自然とその語尾を強めていた。


そんな小さなガムルの醜い自尊心に呆れたようにキメラは前足を伸ばし大きな伸びをした後、全身の筋肉を躍動させ、ガムルの頭上に向けて跳びだした。


 針の穴のように小さく見える真上の穴から差し込む舞台の明かり。そんな光の柱の中に優雅に飛び込んだキメラはゆっくりと、そして力強くその大きな翼を開いた。


『この世界の真実を、だ。』




「そろそろ出るぞ。」

割り当てられたテントの中、傍らに立てかけていた片刃の剣を持ち上げる龍牙。それにつられ、フィロやリタニアも立ち上がった。

 里と沼地の中間地点に位置するここでも戦闘の激しさが増していくことを耳で、目で、身体で感じていた。

 気味の悪い緊張感が満ちた外と中、龍牙はそれを仕切る布を持ち上げるが微かに入った声にその動きを止めた。


「ガムルさんはどこにいるのかな?」

 ただ一人腰を上げず、自分の手の中にある機械剣を見つめながら呟くダンゼル。それにチラリと視線を向け、何か言うのかと思えば、龍牙は何も言わずに外へと出て行った。

 それを慌てて追いかけるフィロを見送ってからリタニアは木箱の上に座るダンゼルの横に腰を下ろした。


「ダンゼル、」

「えっ? あっ、ごめん。もう行くのかな?」


 自分が言葉を発していたことにすら気づいていなかったのだろう。ハッと顔を上げると大慌てで機械剣をホルスターにしまい、立ち上がろうとした。

「ダンゼル、」

 が、リタニアの制止の声にピタリとその動きを止めた。

「もしかして、僕、口にしてた?」

 恐る恐るといった感じに見てくるダンゼルにリタニアはただ無言で頷いた。

「……そうかー」

 その反応を見て自分の不注意さに呆れたような声が口から零れた。

「そんなにあいつのことが心配?」

 俯けた自分の顔を覗きこんでくるリタニアのまっすぐな瞳を見返せず顔を背けた。

「リタニアさんは心配じゃないの?」

 子供がすねた時のような声色で問われる言葉にリタニアは両手を後ろに付き、天井を覆う布地越しに微かに光を照らす太陽を見上げた。

「心配よ。」

「なら、」

 バッとダンゼルは身体を乗り出すが、リタニアはそれを軽く手を上げることで制止した。

「だけどそれ以上にあいつを信じてみたい……私はそう思う、って言わなかったかな? 」

 どこかいじわるげな言い方をして見せるリタニアに対し、ダンゼルは冷めた目を向けた。

「初耳だけど……」

 呆れるような口調のダンゼルの横で爆風によって壁替わりの布が大きくなびく。

 それに一切注意を向けず、リタニアは顎に手をあてうーんと唸った。

「ああ、あれはフィロに言ったんだっけ? まあ、いいわ。そういうことだから。」

 無理矢理話題を終わらせ、先いくわよ、と言い残し布地の向こうに消えていく彼女をダンゼルはぼーと見つめた。

 普通ならばため息をついていたところだろう。



だが、今回は違った。

ざっくばらんとした言い方だが、その言葉の節々に彼女なりに悩んだ痕跡を垣間見たのだ

「……どうしたのかな、僕は。」

 もうダンゼルが悩むことはなかった。

 それは人生の先輩が悩みぬいて得た答えを否定するだけの解答をダンゼルは見いだせなかったからではなく、単純にダンゼルもまた彼女と同じように信じてみたくなったのだ。

『ガムル』という存在に。


 また布地が大きくなびいた。どうやら戦火は着実にこちらに近づいてきているようだ。


「行くとしようかな。」


 それに急かされるわけでもなく少年は決して大きくないその一歩を踏み出した。

実際は成人男性の半分ほどしかない歩幅。だがその時ばかりは少年は自分の一歩をとても大きく感じていた。








 この世界には『神教』と呼ばれる宗教が存在する。

 この世界はある一人(?)の神によって作り出され、今もなおその神によってこの世界は統治されているという考えだ。

 その『神教』では伝承をまとめたものを聖書としているが、その中の一説にこうあった。


『激しい閃光の中、人の形をしたものが六対の翼と共に天より舞い降りた。』

と。


 今、ガムルは脳内でその一説が何度も再生されていた。

 彼はその一説が示す意味をある程度のところまで理解していた。

 神、という存在。これは何を示すのか分からないが、六対の翼、の意味は理解した。

 いや、この言い方は不適切だろう。そう、その答えが目の前にある、というべきなのかもしれない。


 上から照らされた光のせいで表情は見えない。だが、ガムルにはそのシルエットだけで十分だった。


 格が違う。


 そう直感的に思わせるほど、大きく広げられたその翼からは神々しさにも似た圧倒的な存在感があふれ出していた。


『主は……』

 それをただ茫然と見上げていたガムルはその影から発せられた声にハッと現実に引き戻された。

『主はまだ弱い。』

 自分でもそんなことは分かっている。いつもならそう反抗心が心の中で顔を覗かせるのだが、なぜだろう。今のガムルにはこれに反抗しようなどという考えが浮かばなかった。

『我ら『六王獣』はこれまで世界の安定のために、常に人間を監視し、時には武力を持って殲滅した。』

 そこでキメラはガムルに発言の意がないことを察するとすぐに続きを話しはじめた。

『そんな中ここ数十年で、人間は我々の脅威、さらに言えば世界の崩壊にも繋がりかねない技術を確立してしまった。』

「人工破天石の生成と遺伝子への直接的な干渉による十階梯の生産か?」

 思いだしたかのようなガムルの発言に是とも非とも取れるような頷き方をした。

『確かにそれもだ。……だが、奴らはそれとは別に、この世に存在してはならないものを生み出した。』

 そう言いながらまた元の場所に舞い降りていくキメラ。

「存在してはならないもの?」

『そう、その名は『究極アルテマ』、この世界を一瞬にして滅ぼしてしまう最強最悪の兵器だ』


 ガムルは絶句した。


『世界の崩壊』などという話をいきなりされてすぐに納得できるほどの情報処理能力をガムルは保持していなかった。

「嘘だろ……?」

 そんなガムルにはこう口にするしかなかった。このキメラが嘘をつくわけがないことなど分かり切っている。だが、それでも疑いたくなる、いや、疑わずにはいられない。それほどの威力をそれは持っていた。


 それを分かったからだろう。キメラの方も何も言わずにガムルの言葉を待っている。

「なぜそんなものが……?」

 やっと思考が追いついたガムルにキメラは伏せていた視線を上げた。

『ある一人の『男』が、この世界の真実にたどり着いたのだ。』

「一人の男……おい、まさか!?」

 目を大きく見開く前でキメラは頷いた。

『そうだ。その男の名は……



ノーブル=ヘイル=ロザンツ 現、ロザンツ帝国皇帝だ。』


 予想はしていたが、それを実際にキメラの口から発せられたことにガムルは衝撃を受けていた。

「あいつが……じゃあまさか、あの『十五年前の殺戮』は!?」

『そうか、やはりそうだったか。』

「ッ!?」

 話しすぎた、とガムルはとっさに口を押えるがもう遅かった。

『やはり主があの里の三人の生き残りのうちの一人か。』

 その落ち着いた口調にガムルは驚きを隠せなかったが、同時に当然だなとも思っていた。『当事者』以外、誰にも知られていない事実だが、彼らなら知っていてもおかしくないそう思えたからだ。

 だが、その『当事者』であるガムルはキメラのある一言に違和感を覚えずにはいられなかった。

「三人、だと?」

(あの時の生き残りは俺たちだけだったはず……)

『ああ、三人だ。主ら二人にもう一人。主のよく知るものだ。』

「俺の知るもの……そんな馬鹿な。」

 そんなわけはない。そんな現実逃避とも取れる、ハッという笑いを溢すがキメラの表情は変わらない。

『信じるか信じないかは主の自由だ。それに、私がこのことについて話せるのはここまでだ。』

「どういう意味だ?」

『そのままの意味だ。』

「なぜだ? 知らないという訳じゃないんだろ?」

 その鋭い指摘にキメラは目を細めた。

 驚きに驚きを重ねたせいだろうか、ガムルは徐々にだがいつもの冷静さを取り戻していた。

『我々の口からそれを語ることはできない。』

「なぜだ?」

『それが我々六の種族が護らなければならない契約だからだ。』

「契約……いったい誰とだ?」

 質問を繰り返すガムルにそのキメラは黙り込んだ。もう何も話すことはない、そう無言で告げていた。

「おい、」

『我々が与えられる情報の中にその問いに対する答えはない。』

「ちっ。なら訊く。その兵器とはなんだ?」

『答えられない。』

「発動条件は?」

『答えられない。』

「なら、それはどうやって知ればいい?」

 答えられない範囲をうまくなぞるようなその問いにキメラはしばし黙り込むが恐る恐るといった感じに口を開いた。

『まだ答えられない。』

「まだ?」


『私にはまず主に答え、実行してもらわなければならないことがある。』

 その何とも言えないやり取りに苛立ちを覚えながらもガムルは今の自分が置かれた状況を再認識したうえでもう一度問うた。

「今回のこの湿原での戦い。帝国の狙いはなんだ?」

 忘れかけていたこの疑問に初めてキメラはその大きな口を歪めた。

『奴らの狙いは『ここ』にある。』

「ここ……?」 

 その示す場所、つまり今いるこの場所を見つめ、先ほど嗅いだ匂いを思い出したところである一つの場所に思い当った。


「『世界樹エルデ』、か。」


『その通り。なぜか……主にはもう分かっているのだろう?』

「ああ。」

 ここが『世界樹エルデ』、つまりあのサムヘア湿原にいるというならばもう思い当ることは一つしかなかった。


『そこで頼みがある。』

「さっきの答えと引き換えに、奴らを倒せ、か?」

『話が早くて助かる。『使徒』よ。』

「その『使徒』っていうのは止めてくれ。」

『ならばロー……』

「ガムルでいい。」

『そうか……フフッ ハーハッハッハッ』

 ガムルの強引な物言いに正面のキメラはこらえられないと言った感じに笑いだした。

 その突然の笑い声にそれを取り巻く他のキメラたちは同じように笑うべきかどうか迷っているのだろう。先ほどまでのピンと張りつめた緊張感は消え去り、全員がそわそわしている。


 そのまましばらくそのキメラは笑っていたが、パンパンと前足で地面を叩いてから穏やかな表情を浮かべた。

『そうか。なら我のことはフェリクスと呼ぶと言い。』

「……ああ、そうさせてもらう。」

 ガムルは若干の沈黙の後に頷いた。

それは『六王獣』が軽々しく自身の名を告げたことに対する驚きだった。

『冥術』の中にも相手の名を知ることによって発動する『特殊系』と呼ばれる系統があるからだ。


 ガムルに対する信頼の証なのか。それともその程度の『冥術』では倒せないという自信なのか。


 両方なんだろうな、と結論付けながら、それから投げつけられた機械剣を受け取った。二日ぶりの相棒の感触を確かめながらガムルは背を向け、元来た道を戻りだした……が、ふと何かを思い出したように立ち止まった。

 それにフェリクスをはじめとするキメラたちも何事かとざわめいた。

『どうかしたか?』

「それで、だが……」

『ん?』

 振り返ったガムルは頭を掻きながら恥ずかしそうに笑った。


「出口、教えてくれないか?」


 これにキメラたちが四本足で器用にずっこけたのは言うまでもない。





 


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