商業都市(後篇)
何かを失う事で手に入るものもある
俺はそれを見つけたんだ
広い会場の中、スーツを自然に着こなす人や華やかなドレスを纏った貴婦人がひしめいていた。
そんな中、明らかに周囲の空気に呑まれているのが分かる二人の男がいた。
「結構な人だな。」
「そうだね。」
それは黒いスーツに身を包んだガムルとダンゼルだった。
そこはヒューズ・クリプトン本社ビル最上階、四十九階にあるパーティー会場だ。ワンフロアを丸々会場にしているそこは、数百人、いや千人以上を軽々と収容している。
その収容されている人々もまた違った。
会場や主催者が一流であれば招待される客もまた一流揃いだった。
パッとガムルの目に映るだけで、伯爵や大貴族、その他の分野に置ける実力者がごろごろいる。
ガムルは苦しい襟元に指を引っ掛けたまま、キョロキョロと辺りを見回した。
それは何も有名人を探している訳ではない。いや、ある意味では有名人だが。
「来ると思うか?」
「多分来るよ。」
あえて主語を抜いた会話を紡ぎ、ガムルは腰にある堅い感触を確かめながら、昨日のことを思い出していた。
彼らが根城とするホテルのリビングでガムルとダンゼルの二人は『銀翼旅団』のメンバーと今後の予定を話していた。
「予告状ねぇ。」
「時代錯誤もいいところだけど、本当らしいよ。放火があった八回が八回とも来たらしいから。
だから今日聞いてみようかな、と思ってさ。
で、ヒューズさん。教えてくれるよね?」
「ははっ、君達にはかなわないよ。」
向かいのソファに腰掛けた、まだ若さの残るヒューズは、そうぼやきながら懐から何かを取り出した。
「丁度、今日はその話をしに来たんだ。見てもらえるかな?」
六人が囲むテーブルの上に置かれたのは、九つの茶色の封筒だった。
「へー、本当に来ているのね。」
なぜか感心したように呟きながらリタニアがそのうちの一つをヒョイとつまみ上げた。
それにならい、残りの四人も目の前にある封筒を手に取っていく。
『我々は貴殿の会社に対し、新技術の発表を中止することを要求する。
『飛空挺』、空飛ぶ船。
これは神への冒涜であり、決して許されるものではない。
即刻廃止にしてもらいたい。
この要求を聞き入れてもらえないようであれば、我らの正義の炎が、貴殿の周りで無関係な者達がその生活を、その命を消し去るだろう。
銀翼旅団』
「銀翼旅団!?」
中身を読み終えたガムルとダンゼルが同時に素っ頓狂な声を上げた。
それにゆっくりとヒューズは頷く。
「恐らく、船舶関連の仕事をする崇神派の仕業だと思うんだけどね。」
「崇神派?」
「この世界を作った存在を『ユビキタス』として崇めている神派よ。」
ガムルの疑問の声にすぐに答えてから、リタニアは先を促した。
「だけどどうにも情報が少なすぎるんだ。
何より、君達の存在を知っているのが気になる。」
「だから、これの出番か。」
ヒューズの言葉を遮り、龍牙が何かを机の上に投げた。
それは今朝、龍牙が全員に見せた薄い桃色の封筒だった。
「じゃあ、その犯人達を明日のパーティーに誘い込むということですか?」
「いや、待てよ。放火が八回なのに来た封筒は九、つまり犯行予告が来たと?」
フィロとガムルに頷き、ヒューズは懐からおもむろに五つ、変わった形のブレスレットを取り出した。
「だから、私は君達を護衛として雇いたいと思う。」
「えっ!?」
意外な申し出にこういう場面では冷静なリタニアでさえ驚きの声を上げた。
「この街の自警団に頼まないのか?」
唯一、動じなかった龍牙の問いにヒューズは小さく首を振った。
「正直に言って、この犯人は冥術を使っている。しかもかなりの手練れだ。自警団では逆に現場をかき回すことになりかねない。」
「確かにな。」
龍牙もその意見に首肯した。
それぞれの街にある『自警団』要は軍隊だが、紐解けばちょっと訓練した一般人の集まりで、正式な兵士ではない。
そのため『冥力』を使う冥術士への対処ができないのだ。
「引き受けてもらえないだろうか?」
引き受けてくれる、そのような確信がヒューズから感じられた。
恐らく龍牙と昔からの付き合いなのだろう。
何となくガムルはそのように感じた。
「分かった。引き受けよう。」
その言葉にヒューズの顔を一瞬にして笑みが覆った。
「感謝するよ。
謝礼は軍資金に上乗せさせてもらうから。」
「分かった。
明日の予定についてだが、何かあれば教えてくれないか。」
「一応、ここにあるんだけどね・・・・・・ああ、これだこれだ。」
一緒に持って来た鞄の中から書類を五束取り出し、机の上に並べた。
「これが明日の予定表だ。
今のところ変更はないけど、何かあればすぐに連絡するよ。」
「分かった。」
それに一通り目を通し終えた龍牙が頷くと、ヒューズは安心したように笑い、そのまま扉の向こうへと姿を消した。
「参加ありがとうございます。この度はそちらの鉄鋼のおかげで完成出来ました。」
「いやいや、ヒューズ君の会社の技術力の賜物だよ、これは。」
部屋中にぶら下げられた幾つものシャンデリアに照らされる中、高級そうなスーツやドレス、アクセサリーを身につけた人が幾つかの集団を作っていた。
中には、挨拶まわりをしている人もいるが、この世界では当然と言える光景だった。
強い者をいかに味方に引き込むか、それがその会社の勝敗を分けるのだ。パーティーとはいえ、気を抜くわけにはいかない。
それはガムルとダンゼルも同じだった。
多くの人に囲まれたヒューズから一定の距離を置いた場所、そこにガムル達はいた。
それぞれがそれぞれの空腹を満たすべく食べ物に手を伸ばそうとするが、毒を混ぜられている可能性も考え、控えているのだ。
「いや、やっぱり美味しいねー」
「そうですねー」
そんな中、耳に入って来た声にガムルとダンゼルは揃ってため息をついた。
リスのように口に一杯料理を詰め込む二人には愛らしさがあったが、もうガムル達は呆れるしかなかった。
「いや、お前ら食べ過ぎだから。」
その二人の視線の先にあるのはリタニアとフィロの手の上にある皿。そこに溢れんばかりにのせられていた料理だった。
リタニア達が食べている名目は、即効性の毒が入っているかもしれないから念のため毒味として全ての料理に手をつけておくというものだが、山のように盛られたそれは、明らかに『毒味』の量を超えていた。
「・・・・・・豚になるぞ。」
「何か言った?」
「いえ、何も!!」
急に視線が鋭くなるリタニアに、ガムルは慌てて手を横に降った。
「ふーん。まあ、いいわ。
フィロ、あっちにデザートあるみたいだから取りに行こ?」
「はい!!」
頷きあう二人に、ガムルはただ新たな料理に向けて二頭の獣が放たれるのを見るしかできなかった。
その間にもパーティーは進んでいく。
先ほどまで参加者と談笑していたヒューズが移動を始めたのだ。
「行くぞ。」
「うん。」
部屋の中央へ数人のボディーボードと共に進むヒューズを追って、二人もまたゆっくりと歩きだした。
「そういや、次は何だっけか?」
尚も襟元に指を引っ掛けたまま、ガムルは隣のダンゼルに目を向けた。
その二人の数メートル先では、ボディーガードに囲まれたままヒューズが身なりをチェックしている。
「ヒューズさんの挨拶だよ。」
「・・・・・・ああ、そうだったな。」
「普通に考えてパーティーの間にヒューズさんがすることと言ったら主催者の挨拶だと思うけど? いたっ」
ぼそぼそと呟くダンゼルの頭を若干顔を赤くしながらガムルは叩いた。
「痛いなー あ、始まるみたいだね。」
ガムルに冷ややかな視線を送ってから、ダンゼルは部屋を見回した。
微かに明かりが差し込んでいた窓にはぶ厚いカーテンがかけられ、部屋中の照明が消えていく。
演説の開始を告げる合図に、招待客の間から会話が途切れていくのが感じられた。
そして話し声が全て消えるのと反比例して、部屋の中央に設置された舞台が明るく照らされ始めた。
「皆様、本日は我が社、ヒューズ・クリプトン社の世界初の新技術、『飛空挺』の御披露目パーティーに参加いただき、ありがとうございます。
まずは、社長であるヒューズ=クラークより挨拶があります。
社長、お願いします。」
司会者の呼びかけに軽く手で応えながら、若き社長は明るく照らされたステージの真ん中へと登った。
「皆さん、我が社の新技術、『飛空挺』の御披露目パーティーに参加いただき、ありがとうございます。
今日、この日に皆さんをここにお招き出来たことを嬉しく思います。」
マイクを片手に話すヒューズは口調と共にどこか楽しそうだ。
「『飛空挺』は、我が社の技術を総動員し、六年という歳月を費やして生まれたものです。
この技術は、このロザンツ帝国の新たな光となるのは間違いないでしょう。」
ヒューズは高々と手を上げ、指を鳴らした。
すると、彼の図上に6つの巨大な画面が現れた。
「では、少しばかりネタばらしといきましょうか。
今回、開発した『飛空挺』はこれまでの輸送界に革命を起こすことは間違いありません。
まず注目すべきはこの飛空挺が出す、『速さ』です。
従来の船で一週間かかっていた距離を、多少の誤差はありますが、これはたったの十二時間で飛ぶことが出来ます。」
それに、おおっ、と観客がどよめく。
「凄いね。」
「ああ……ん?」
ガムルはおもむろに振り返った。
照明が落とされ、判別できない顔が見渡す限り並んでいる。
その中に何もおかしなものはない。
だが、ガムルは何か違和感を感じていた。
「……ちょっとトイレに行ってくる。その間、頼んだぞ。」
「うん。」
まだ続くヒューズの演説を背に、ガムルは入口の方へと歩きだした。
廊下に出たガムルは左右に首を廻らせた。
ホールから続く赤い高級そうな絨毯を踏みしめながら、彼はその足先を左に向けた。
理由はない。それは数えきれない程の修羅場を潜り抜けてきたガムルの勘だった。
「…
…」
無言のまま彼はゆっくりと進んでいく。
最上階であるそこには会場となっているホールがかなりの広さなので、それ以外には化粧室、着付け室、用具室しかない。さらにホールの照明も落ちていることもあり、奥に行けば行くほど暗さが増していく廊下でガムルはふと立ち止まった。
「お前らか? 予告状を出したのは。」
腰に右手を廻しながらそう口を開いたガムルの周りで、その空間を支配する闇が動いた。
ヒュッ
風切の音と同時に死角の闇から何かが飛んでくる。
「くだらないな。」
だが、それは全てガムルの肌に触れる寸前で叩き落とされていた。
先ほどと変わらぬ姿勢のガムル。ただ一つ、ガムルの右腕を除けば。
天井に向けて伸ばされた右腕、その先に握られる物に闇の中の動きが一瞬止まった。
その闇に潜む幾つもの気配は全員こう思っただろう。
「何だ、あの馬鹿でかい斧は?」と。
そう、ガムルの右手に握られているものそれは、ダンゼル作、ガムルの新たな相棒だった。
以前と変わらない闇に溶け込むような漆黒の本体に四つの珠が輝いていた。
いや、これも不適切だ。輝いているのは三つだけ。もう一つ、その中心に備え付けられた珠は、ただ自分の存在を強調せず、ただそこに収まっていた。
「変わった武器を使うな。秦の方のだよな? これ。」
そう言いながらガムルは足元の何かを蹴り飛ばした。
それは鎖。しかもただの鎖ではない、その先端に分銅が付けられているのだ。
「崇神派は確か秦の血筋の者が大半らしいからな。濡れ衣を着せるには十分すぎる相手だな。」
ガムルの言葉に返答はない。代わりと言わんばかりに、新たな鎖が伸びてくる。
「どうやら当たりみたいだな。」
それを叩き落としながらガムルは一歩前に踏み出した。
「誰に命令された……なんて聞くまでもないか。あのくそ野郎が考えそうなことだ。」
そこまで口にしたところで、闇の中で動きがあった。ガムルの周囲四方から一人ずつ飛び出してきたのだ。
その手には、片刃の短刀や投げナイフ、鎌といったものが握られている。
それでもやはりガムルは微動だしない。そして四人がガムルの間合いに入った瞬間、
キンッ
微かな金属音と共に鮮やかな赤が舞った。
「この程度かよ。」
ガムルはそう呟きながら、腰を落とし駆け出した。その巨体は一直線に正面へと向かっていく。
闇に慣れてきたガムルの目はまず、正面の二つの気配を捉えた。
一方はいかつい男、もう一人は身体のラインから女性なのが分かる。
ガムルの突撃に意表を突かれたのか、二人の反応は遅い。
その隙を見逃さず、腰だめにした斧を、床を割るすさまじい踏込と同時に振り出した。
ゴウッという通常ではありえない音とともに二人は吹き飛んだ。
残すは四人。
吹き飛ぶそれらに見向きもせず、ガムルはさらに駆ける。
すぐ横にいた男の腹部に柄の部分を叩き込み、屈みこむその背中に飛び乗るとそれを踏み台に大きく跳躍。勢いをそのままに残りの三人のうち二人を横薙ぎで切り伏せた。
残り一人。
それには着地したガムルから五メートルという近いような遠い距離を残していた。
「お前が大将か?」
突撃の体制を解いたガムルは構えていた斧をそれに向けて突き出した。
「正解、だが間違いだ。」
その初めての返答にガムルは、ふん、と鼻で笑った。
「それは計画の発案者のことを言ってるのか? それとももう一人別にいるのか?」
切っ先を揺らさずにさらに問うガムル。だが、その言葉は徐々に不機嫌さを含んできた。
「くっくっく」
「何がおかしい?」
うっすらと見える肩が揺れているのにガムルは眉をひそめた。
油断しているようで全く隙のない立ち振る舞い。なにより突撃しようとしたガムルの身体が彼の意思とは関係のないところで制止をかけたのだ。
(こいつ、強い。)
「結構な手練れを連れてきたのに、こうもあっさりやられるとはな。しかもその洞察力……すばらしい。この一言につきるな。」
「ふん。敵に褒められてもうれしくないな。」
「そう言うな。俺は認めているんだ。今の構えだってそうだ。俺にお前右側を攻撃させようとしているんだろ?」
「ちっ」
ガムルは渋い顔をしながら斧を下した。
「そう睨むなよ。この俺が褒めてるんだ。喜べよ。」
「慢心は時に仇になるぞ。『燈赤のレオン』」
暗闇の中から歩み出てきたのは、あのつなぎ姿の少年だった。
「へえ、本当なんだな。万人の冥力を識別できるってのは……」
キンッ
つなぎの少年レオンの目の前で二つの金属が衝突した。
一つはガムルの斧、そしてもう一つは……レオンの持つ工具として用いられる『レンチ』と呼ばれる工具だった。
大きさも色も形状も通常のものと変わらず、両端が二股になっているだけの金属の棒である。しかし、そんなもので、大の大人を軽々と吹き飛ばすガムルの横薙ぎを片手で受け止めていたのだ。
その光景は明らかに異常だった。
「奇妙な『機械剣』を使うな。」
「これが一番しっくりくるんで、ね!!」
片腕とは思えない力にガムルは即座に後ろへ跳んでその力を逃がしていく。
「誰が逃がすかよ。」
レオンのレンチが赤く輝き、そこから五発、橙色の炎弾が撃ち出された。
その大きさと威力をすぐに悟ったガムルは、空中で身を捻り、無理矢理左足で床を蹴った。
それによって身体を横へと急転換することでかろうじて避けるが……
(体制が!?)
無理な回避による体制の崩れを直そうと踏ん張ろうとするが、その度にレオンの追撃に遭い、それはどんどん悪化していく。
そして、その時が来た。
後ろへ跳び退るガムルに覆い被さるようにレオンが接近し、腕を振り上げた。
(速い!?)
回避も間に合わないと即座に判断。ガムルは受け止めようと構えるが、
「壊れな」
いつのまにか両手で構えた斧ごとその身体を地面に打ち付けられていた。
「がはっ!?」
押しつぶされた肺から一気に空気が漏れる。
「悪いな。俺は強いんだよ。」
そう言いながら見下ろすレオンにガムルは何も言えなかった。
その息は荒く、その身体は急な衝撃に耐えきれず痙攣を起こしている。
もう戦闘を続けるのは無理だった。
「だけど、まだ弱いな。お前のその『機械剣』を完成させれば少しはマシになるんじゃないか?」
口から唾液を垂らしながらガムルは覗き込んでくるレオンを睨んだ。
「おお、恐っ。 だけど、お前にはまだ手を出すなって言われてるからな。」
レオンはそう呟きながら立ち上がった。
「かわりにヒューズの命を頂こうか。」
「とりあえずここは大丈夫みたいですね。」
ヒューズの演説が終わりに向かおうとしていることにダンゼルは安堵の声を出した。
ダンゼルは今、舞台から少し離れたところで様子をうかがっていた。
「ええ、とりあえず山は越えたでしょう。」
ダンゼルの横には黒いスーツに身を包んだ上背の男がいた。黒い髪は全て後ろになでつけ、スーツの下では鍛え上げられた肉体がこれでもかと自己主張している。
「これもあなた方が協力してくれたおかげですよ。」
「カイルさん、まだ終わっていませんよ?」
ダンゼルの指摘にカイルは苦笑いしながら腕を引っ込めた。
「その通りだ。恥ずかしい限りだよ。秘書兼ボディーガードとして最後までやり抜かせていただくよ。」
「頑張ってください。」
ダンゼルは軽く会釈をしてからその場を後にした。
「ガムルさん、遅いな……リューガさんもどこか行っちゃうし。」
二人を捜しに行きたいが仕事を投げ出す訳にはいかない。
ダンゼルはしぶしぶ、カイルが向かった方と反対側、つまり入り口に近い側の舞台に歩を進めた。
途中にまだ料理を食べている女性陣が目に入るが無視して与えられた位置についた。
円形の舞台に二メートル間隔で黒服の屈強な男たちが囲んでいる。ダンゼルが立ち止まったのはそこから十メートルほど離れたところである。
本当はその円の中に入る予定だったが、彼らの身分上、断念したのだ。
腰元に忍ばせている二本の円柱に軽く触れながらダンゼルは舞台の上に視線を上げた。
「我々はこれからもより一層の努力と共にこの国を新たな境地へ誘うことを今ここに約束いたしましょう。」
手に持つグラスを高く掲げヒューズは一際声張り上げた。
「ヒューズ・クリプトンとロザンツ帝国に乾杯!!」
それに習い会場にいる人たちがグラスを掲げ一気にあおった。
そして会場を拍手喝采が会場を満たす……はずだった。
「ううぅ……」
だが、実際に会場を埋めたのはどこからともなく聞こえる呻き声とバタリと床に倒れこむ音だった。
「いったいなにが……っ!?」
それは客人だけではなかった。
舞台上でマイクを握っていたヒューズも苦しげに顔を歪め、身体が傾く。
「社長!?」
それに一斉にボディーガードたちが駆け寄るのを見ながら、ダンゼルは傍らに倒れこんでいる男性の横に屈み覗きこんでみる。
(呼吸は正常……全身に痙攣……それにこの全身の斑点……『ナンブダケ』か。)
『ナンブダケ』は秦の国に多く見られる毒性の強いキノコである。隠密行動時によく使われるらしく、かつて起こった秦の国の者による貴族の子息誘拐事件。その大半でこれを使われているという記録もある。
(じゃあ、これも秦の国が? だけど何のために……?)
ダンゼルはおもむろに立ち上がろうとした瞬間、背後からの気配にとっさに横へ跳んだ。
パン
回る視界の中、ダンゼルは見た。
自分を捉えるはずだった鎖がその奥にいたボディーガードの頭部を粉砕するのを。
ダンゼルはすぐに立ち上がると腰から二本の円柱を引き抜き、振り向き様に腕を前に突き出した。
それに呼応して展開したその二つの機械剣が彼の代わりに吠える。
ダダダダッとマズルフラッシュが暗い部屋の中対照を照らしていく中、撃ち出された弾丸は吸い込まれるようにいくつかの影に向かうが、なぜか一つとして肉が弾ける音がしない。
意外な結果にダンゼルは目を少し見開きながら、さらに横に跳び、勢いそのままにテーブルの影に滑り込んだ。
(結構数がいるし、かなりの手練れ揃い……ちょっと厳しいかも。ヒューズさんは?)
ダンゼルはぶつぶつ呟きながら舞台へチラリと視線を向けると、丁度ボディーガード達がヒューズを舞台から引きずりおろしているところだった。
「カイルさん!!」
「大丈夫だ!! 応戦に専念してくれ!!」
「はい!!」
焦りの混じった声に返答しながらダンゼルは耳をすました。
未だ明かりは灯らず、思うように視界が確保できない以上頼りになるのはこれだけだった。
(足音が遠い……ということは壁にそって移動してるのか。)
ダンゼルは出した機械剣を肩に当てた。
その機械剣は前回、麗那の店で出したものとは形状が異なっていた。
前回は肘から装着するような巨大なものだったが、今回は機動性を重視したのだろう。銃身も短くまた手首から装着するものへと変わっていた。
それでもこの状況はダンゼルにとって明らかに不利なものだった。
銃の利点はその威力と命中精度、さらには連射性能があげられる。
だが今の状況は明らかにその利点が打ち消されていた。
会場中には客人が倒れているため、相手の機動性を削るための足元への攻撃がしにくい。同じ理由で火力も落とさなければならない。残った二つの利点だが、幾つものテーブルに囲まれている以上銃身は必然的に短くなり、命中精度も落ちてしまう。
そう、戦場としてはダンゼルにとって最悪だった。
それでも戦いを放棄する訳にはいかない。
まずは、ふう、と一息。
そのまま立ち上がると近くのテーブルを踏み台に高く跳び上り、両手に構える二本の引き金を引いた
パン、パン、という乾いた音と共に正面の一人の頭部を撃ち抜く。
彼の前方の至る所から飛んでくる刃物を撃ち落しながら白いテーブルクロスを踏みつけ、もう一度跳躍。
また一人、撃ち抜こうと銃を構えるが、横からの殺気に無理矢理身体を回転させた。
「づぅっ!?」
こめかみからジョリッといういやな音を立てながら、自分のではない力に押され背中から床に落ちた。
一瞬、思考が停止した。
脳震盪で揺らぐ視界の中、やけにうるさい自分の心音に混じり、誰かの足音がダンゼルへと近づいてくる。
「ふむ。期待はずれだな。」
徐々に回復してきた視界の中、ダンゼルはテーブルの影からその声の主を見た。
それは長く伸びた黒髪を三つ編みにした普通のどこにでもいそうな男だった。だが、一つだけ普通と違うものがあった。
それは、目。
その男の目には黒く深い闇が住み着いていた。
そのあまりの濃さにダンゼルは鳥肌が立った。ここまで人は闇に堕ちることができるのか、と。
「正直、もっと楽しませてくれると思っていたが……もういい。」
男は何事か手で合図をしながらダンゼルに背を向け歩きだした。
「くそ……」
霞みはじめた目に力をいれながらダンゼルは三方から迫る影を睨んだ。
もう分かっている。邪魔者を排除した今、その男が向かうべき場所が。
「行かせるわけには……いかないんだよ。」
ダンゼルはこめかみの血を拭い、握るグリップに力を込めた。目には見えない力、『冥力』がダンゼルの手から銃へ、銃からはめ込まれた『破天石』へと流れ込んでいく。
「もう、許さないよ。」
「もう、ゆるさねぇぞ。」
先ほどまでいくつかの影があった赤い廊下は、変わり果てていた。
赤い絨毯がひかれていた床はめくれかえり、とげのように鋭い灰色の突起物が飛び出していた。それは壁もほとんど同じだった。
たった一瞬、言葉の通り怒りを具現化したようにその空間は変わり果てていた。
その中心で巨大な斧を地面に打ち付けている男が一人。
そう言いながら見つめる先にももう一人、その向かいで背中を丸めた男がいた。
「ちっ」
その男は巨大なレンチを杖替わりにして、その左手を腹部に当てている。
そう、二人の立場が変化していた。だが変化しただけだ。決して逆転した訳ではない。
現に、ガムルもまた地面に突いた斧に寄り掛かるようにして立っている。
「予想外だった。まさかここで『冥術』を使用するなんてな。油断した。」
「よく言う。お前だって微量だが機械剣に『冥力』を流し込んでたくせによ。」
両者とも肩で息をしながらそれぞれの武器を構えた。
「やっぱり『冥力』の流れを見る能力を持っていると違うな。」
「この程度、お前でもできるだろうが。それよりもお前に訊いておきたい。」
「何が知りたいんだ?」
「なぜ俺に正体をばらした? 俺を殺すなという命令があるにも関わらず、だ。」
ガムルの問いにレオンはふっと薄く笑みを浮かべた。
「さあな。」
「俺がばらさないとでも思っているのか?」
「いや、お前の場合『ばらさない』じゃなく、『ばらせない』だろ。」
レオンの言葉にガムルはスッと息を飲んでから、先ほどよりも強く斧の柄を握り締めた。
「何が言いたい?」
「簡単さ。お前は自分の『正体』をあいつらにまだ知られたくないはずだ。誰よりもあの出来損ないの英雄さんに……」
「黙れ」
レオンはその一言にすぐ口をつぐんだ。故意ではない。すさまじい殺気に彼の身体が自然と声を出すのを拒否したのだ。
その殺気をまき散らす方へ眼を向けるとその視線だけで人を射抜けそうなほどに鋭かった。
「構えろ。」
「は?」
意味が分からないといった顔をするレオンに構わずガムルは斧を下段に構えた。
「一瞬で逝かせてやる。」
意味深な言葉を呟きながらガムルは下段に構えたそれを床に突き刺した。
ピシリ
「っ!?」
足元から聞こえた何かが裂けた音に危険を感じたレオンは即座に上へ跳んだ。
遅れてそこから飛び出したのはあの突起。
材質は先ほどと同じ金属、だがそのサイズは桁違いだった。先ほどのは人の胴ほどしか太さがなかったが、今回のはそれの優に五倍はある。
そのとげはレオンを貫かんと弾丸のような速さで上へ伸びていく。
それよりもいち早く逆さに天井に着地したレオンはすぐさまガムルの方へと飛び出した。
その背後でとげが天井を貫き、周辺に雨のように瓦礫が振りまかれる。
接近を続けるレオンは、上から迫る凶器を振り払うように巨大なレンチをバトンのように軽々と頭上で回すと、そこから生み出した遠心力をそのままに目標へと振り下ろした。
ガゴン、と床が陥没する音が床、壁、天井、至るところへ伝わっていく。
レンチを打ち付けたレオンは振り下ろした体制のまま、なぜか彼の右側を睨んだ。
「くそが」
「隙ありだ。」
巻き上げられた砂煙の中から飛び出した大きな影が茶色の残像を残しながら、その巨大な斧で地面すれすれを薙いだ。
打ち付けた反動で空中で止まったままのレオンに、剣山のようなとげが迫る。
「ふっざけんな!!」
まさにとげが彼を貫く寸前、レオンは力ずくで身体をレンチに引き寄せ、引き抜いた。
「『粉砕』!!」
そして、先端の二股の間そこに溜められた冥力が爆ぜた。
目を焼くような鋭い閃光と共に、二人を中心に辺り一帯を爆発が呑み込んだ。
「なんか揺れたな。」
「別働隊で何かあったんじゃないか? 退避ルートの確保をしくじったんじゃないか?」
「なら援軍に行かないと、な。」
「ぐっ」
腹部を蹴られ、食道まで何かがこみあげてくる。
それを飲み下しながら周囲を見回し、目当てのものを見つけた。
頭上で繰り広げられる会話にダンゼルはおおよその状況を理解していた。
だが今、この状況だけはダンゼルにとってありがたいものだった。彼らの意識は外から聞こえる爆発音にいっている。
ダンゼルはゆっくりと傍らにこぼれた機械剣に手を伸ばした。
「いや、向こうにはあの人がいるんだぞ? 助太刀にならないと思うが。」
「いないよりかましだろ。」
「僕もそう思うよ。」
「は?」
三人がきょとんとした顔で声の方を向くのと、銃口から弾丸が吐き出されるのは同時だった。
一瞬の間に吐き出された三発の弾丸は三人の胸骨に衝突。その圧力で内臓を押しつぶしながら後ろへと吹き飛ばした。
それを見ながらダンゼルはもう一つの相棒を捜した。
異常に気付いたのだろう。テーブルの影を進むダンゼル目がけて幾つものナイフなどが飛んでくる。
その内のいくつかを撃ち落しながら、ダンゼルは目当てのものへと飛び込んだ。
着地と同時にそれを掴み、身体が持ち上がると同時に反撃を始める、そのはずだった。
「あれ?」
だが、ダンゼルが振り返ったときには、そこには誰一人としていなかった。
隠れているのではない。本当にいないのだ。
「すまないが、もらったぞ。」
聞き覚えのある声にダンゼルはため息とともに振り返った。
長い銀髪に紅い瞳、そして代名詞とも言うべき巨大な片刃の剣。
「他人の獲物を奪うのはずるいですよ。リューガさん。」
「安心しろ。まだ終わりじゃない。」
そう言いながら龍牙はダンゼルの後方を見つめた。
それに気づき視線を追ったダンゼルは納得したという風に頷いた。
「ああ。なるほどね。」
二人が見つめる先では、まだ十を超える影がうごめいていた。その手にはじゃらじゃらと物騒なものが握られている。
「リューガ=F=エスペラント、ヒューズ=クラークをどこにやった!?」
その中から一歩、一人の男が出てきた。それはさきほどダンゼルをさげすんだ男だった。
だが、先ほどとは違い、あの深い闇を宿していた瞳がこれでもかと揺らいでいる。それにダンゼルは肩を揺らしているとこれでもかと睨みつけられた。
「答えろ!!」
「俺は知らないが?」
「貴様、あれだけ私の追跡の邪魔をしながら知らないだと?」
よく見れば、確かに男の服は所々破けており、その下から赤いものがにじんでいるのが見える。どうやら手荒く妨害を受けたようだ。龍牙らしくない行動に疑問に思いながらダンゼルは構えた。
「ああ。」
「貴様……もう許さんぞ。」
「ああ。こちらもそのつもりは全くない。」
ダンゼルにちらりと目配せしてから彼もまた愛剣を構えた。
「リューガさん。あいつをください……」
「無理だ。」
「ですよね……仕方がないか。巻き添えを食わないように気を付けてくださいね?」
そういうダンゼルの両手をまばゆい光が包んだ。
「誰に言っている?」
「ははっ。それもそうだね。」
ダンゼルは笑いながら光の収まってきた両手を前に突き出した。
突き出された両手に握られていたのはあの長銃だった。
「さて、もう覚悟してよ。」
肘まで差し込んだ銃を微妙に動かし、その引き金を絞った。
パンパン
「ぐあっ!?」
部屋中に木霊する二つの悲鳴。
だが、銃口を突き付けられていた男たちは現状を理解できずにいた。
銃声とともに確かに銃口から煙がでている。確かに発射されたにも関わらず、なぜ『俺たちではなく奴の背後の奴らが撃たれたのか』と。
「疑問に思ってる?」
「っ!?」
「簡単だよ。君たちは銃弾の檻の中にいる。」
「は?」
「はい。もう終わりだよ。」
唖然とする男たちに明らかな侮蔑の笑みを浮かべながら、タン、と空中に跳んだ。
そして横に一回転しながら男たちの頭上に休みなく連射。そしてゆっくりと着地した。
「消飛べ。」
その一言が引き金だった。どこから飛んできたのか分からない無数の弾丸は、茫然自失と立ち尽くす男たちの急所を的確に撃ち抜いた。
「堂々と姿を現した時点で君たちの負けは決まっていたんだよ。」
機械剣を円柱状に戻しながらダンゼルは残りの二人がいるであろう方向へ目を移した。
「どうやら終わったらしいな。」
「黙れ。」
男は右手に持つ鎖を横から龍牙に向けて振るった。
「ん?」
異常を察した龍牙はすぐさま回避の距離と速度を増やした。
その残像を切り裂き、龍牙の剣にかすめながら鎖は通り過ぎる。
だがそれで終わらない。
その先端にある分銅の影から男が飛び出してきたのだ。
意外な死角からの敵の出現に若干目を見開きながら龍牙は振り下ろされた刃物を受け止めた。
「っ!?」
手に伝わる鈍い衝撃。だが、受け止めてもなお迫ってくる刃に龍牙はとっさに剣をぐっと前に押し出した。
「ちっ」
「惜しいな。」
鍔競り合いとなったところで龍牙は初めて相手の武器を視認した。
剣で受け止めているはずなのに刃が龍牙の喉元に触れている。それを可能にする武器。
それは『鎖鎌』。
しかし、それも特注品なのだろう。通常、鎌は片手剣ほどのサイズしかないが、それはどちらかというと槍に近かった。
槍のように長い柄に大きな黒い刃。突きも考えているのだろう。柄の先端にも突起物がある。
その姿はまさしく崇神派の文書にある魂を刈り取る『死神』だった。
「ふん。やはり秦の国の者じゃないな。」
「……何のことだ」
「その鎌。あの女、『魔女』の真似だろ?」
「……」
黙れ。もう一度振るわれた鎌はそう言っているように龍牙には聞こえた。
左から迫る湾曲した刃に自分の刃を当て、うまく受け流しながら龍牙は時計回りに回転。
その回転力の加わった、高速の斬撃が男に向けて繰り出された。
「っ!?」
予想外の早さの反撃に驚きの表情を浮かべながらも男はそれを長い柄で受け止めた。
「ぐっ」
だが、止まらない。歯を食いしばる男の身体は引きずられるように右へとずれていく。
そう、受け止めたはずの剣の圧力を消しきれないでいるのだ。
「ふん。やるな。」
必至に受け止めようとする男に対し龍牙はまだ余裕が見えた。龍牙はさらに剣に力を込め、そのまま一気に振りぬいた。
「ぬぉっ!?」
さらに加えられた力に男の身体ははっきりと斜めに傾いていく。
そこに向けてあの大剣が高く掲げられ、
「本気でいくぞ。」
左足の踏込と同時に振り下ろされた。
(回避をっ!!)
ボゥッと発火でもしそうな異常な剣速で振り下ろされる大剣に、男は回避などできる訳もなく、鎌を交差するように持ち上げられた。だが、
「がふぁっ!?」
その口から奇妙な声が零れていた。
(な、なぜ……)
赤く染まっていく視界に映ったのは、滑らかな黒い柄の断面と自分の血液。
「ありえん……」
「今ので決まらないか。お前、意外とやるな。」
突然のことに男の脳は完璧に動きを停止していた。傍から見れば、それはあまりにも単調だった。
ただ龍牙が男の構える鎌の槍ごと男の顔を斜めに斬ったのだ。
斬ったとはいえ、男は寸前で顔を上に向けていたのが功を奏したのか、斬られたと表現するにあたる負傷は彼の口から顎までですんでいた。
だが、
「だけど、これで終わりだ。」
その幸運を男が生かすことはなかった。
龍牙は茫然自失とする男にまた高く剣を持ち上げ、振り下ろした。
最後の抵抗か、真っ二つに裂かれた鎌を頭上に掲げたが、龍牙にとってそれは木の葉に等しかった。
ピッと素振りのような音と共に振りぬいた龍牙は、内臓などと一緒にずり下がる黒装束の上体に憐れみの視線を向けてから振り返った。
カラン
金属が落ちる音。それを聞きながら汚いものを払うように剣を薙いだ
「格の違いを知れ。」
ボタボタと垂れる水音ですら汚らわしいと言わんばかりに龍牙は足早にその場を立ち去った。
「お疲れさま。龍牙さん」
「ああ……ふっ、こっぴどくやられたな。」
龍牙の微かに歪んだ口元にダンゼルは唇を突き出すが直ぐに顔をしかめた。
少し身体を動かすだけで色々なところに痛みが走るのだろう。その表面の傷口からそれが容易く龍牙には予想できた。
その痛みを我慢しながらダンゼルは辺りを見回しながら傍らのテーブルに腰かけた。
「終わったみたいですね。」
「ああ。あいつらは?」
龍牙の問いに、はははっとかわいた笑いがダンゼルからこぼれる。
「あそこですよ。」
「ん?……ああ、なるほどな。」
その指の指す方を見て龍牙の口からもまたあきれたような声がこぼれた。
「あいつら、何しに来てたんだろうな?」
「さあ?」
二人のあきれたような、憐れむような冷たい視線が向けられる先にいたのはリタニアとフィロの二人だった。だが、周りに無関心な龍牙にそんな目をさせるだけはある。二人はある意味予想通り、客人と一緒に床に倒れていた。
その彼女たちの手の中にワイングラスがあるのが龍牙の目に映った。それもまた予想通りだが、そうあってほしくなかったというのが龍牙の本音だった。
龍牙は小さく歪めた口元を戻しながら、また周りを見回した。
「龍牙さん?」
「もう一人はどこだ?」
「……あ!!」
「はあ」
テーブルから跳び上がり、涙目になっているダンゼルに額を押さえた。
「忘れていたのか?」
「いや……それよりガムルさんが部屋を出たまま帰って来ない……」
「なるほどな」
その説明に龍牙は納得した、と頷いた。
先ほどから微かにだが徐々に強くなってくる気配を龍牙は敏感に感じとっていた。
一つは恐らくガムルのもの。そしていくつかの微かな気配に混じり、ガムルと同等、いやそれ以上の強さのものを感じていた。
さっきまで感じられなかったということは、気配を隠す気がなくなったということ。
つまり、全力で攻めに来るということだ。
「助けに行くべきか、否か。」
龍牙はしばらく思考してから入り口とは違う方向へ歩き出した。
「え? 龍牙さん?」
「ダンゼル、この爆睡している姫たちを連れて帰れ。」
足元の二人に龍牙は自分のコートをかけてやると今度こそダンゼルの背後にある入り口へ歩きだした。
「だけどガムルさんが……」
「俺が行く。あの弾幕の裏に非常用エレベーターがある。それを使って地下に行け。」
肩をポン、と叩かれたダンゼルの頭に、地下? と疑問符が浮かぶがすぐに理由が分かった。
『ヒューズ=クラークはどこだ!?』
はあ、とため息をつきながらダンゼルは目を廻す二人を担ぎ上げた
「重っ。」
二人が起きていれば風穴が空くことは必然とも言える発言。だが龍牙はただ微笑むだけですぐに入り口に向かって消えた。
「ちっ、無茶をしやがる。」
傍らにある瓦礫で体を支えながらレオンは武器を構えた。
彼の周りはもう原型をとどめていなかった。赤い絨毯は焼け焦げ、天井からは満天の夜空と満月が顔を覗かせている。
「ふん……どっちがだ。」
まだ残る火に照らされた、右腕に刺さった瓦礫を引き抜きながら笑みを浮かべるガムルの顔は、心なしか青白い。
そんな彼の腕から赤い滴が一つ、床に落ちた。よく見れば、その腕にこぶし大の瓦礫が突き刺さっているのだ。
だがそれとは別にガムルの眉がピクリと動いた。
「何のつもりだ?」
そう問いかける先でレオンの機械剣が円柱状に変化していく。
「もう終わりだ。」
「なんだと?」
「終わりなんだよ。あいつらしくじったみたいだからな。」
「俺たちをなめるからだな。」
「ああ。だから今日は引かせてもらうぞ。」
レオンは天井の穴から外へ飛び出した。
「待て!!」
「最後に一つだけ教えてやる。だから代わりに一つ教えろ。」
膝を曲げ、すぐに飛び出せる状態でレオンはその目を青白いガムルの顔に向けた。
「昨日の朝、街で火事があったのはしっているな?」
「ああ。」
「あれを起こしたのは俺たちじゃない。」
「……本当か?」
「ああ。それは俺たちじゃない。いや、ロザンツ帝国の意向じゃないと言うべきかもな。」
「お前らのうち誰かが勝手にやったということは?」
「俺たちは極力無駄な殺しはしない主義を通してるんだ。そんなことはない。なによりうちはそっちと違って管理はしっかりしてるんだ。馬鹿にすんなよ。」
ガムルは終息しかけていた脳細胞を叩き起こし、思考を再開した。
確かにヒューズに見せてもらった調査書には死傷者ゼロ。それゆえにガムルの中でその一件が引っかかっていたのだ。
だが、まさか自分が求めていた情報がこうも容易く手に入るとは。そのことにガムル驚きを隠せないが、同時に疑問を感じずにはいられなかった。
「なぜそれを今教える?」
「別に隠す必要もないし、冤罪はごめんだからな。」
「……そうか。」
「代わりに一つ訊かせろ。」
「なんだ?」
「なぜ奴らにお前のことを話さない? お前の持つ情報であの国王を追いつめられるのによ。なによりあいつらは『お前の目的』を達成するのにうってつけの『駒』だろ?」
その問いにガムルの肩がピクリと跳ねた。
レオンの『事情を知っている者』として当然の疑問に、ガムルは視線をそらさずにはいられなかった。
なぜそれを知っているなどという無粋な質問は必要なかった。
「ふん。証拠もないしな。それに……」
自分が持っている情報。もしそれを事実であると証明できれば確かに国王を失脚させることができる。だが、それでは足りない。足りないのだ。
「そんなもので終わらせる訳ないだろ。」
「っ!?」
足元から伝わる地震。だがそれは違った。レオンは自分の身体が上へ持ち上がっていくのを感じた。
「何の真似だ!?」
レオンはとっさにまた中へと跳びながら、腰に手を回した。
その背後でガンッと何かがかみ合う音が放たれる。
反対側の壁に横に着地しながらレオンは状況を理解した。
彼がさっきまで屈んでいた場所、そこが巨大な岩壁によって煙突のような形で塞がれていたのだ。
予想だにしなかった不意打ちに驚きながらも、レオンはキッとそれを起こした張本人を睨んだ。
獣のように鋭い橙赤色の瞳。そこには映るガムルは業火に焼かれているかのようだった。
「俺が殺してやるんだ。俺を二度も地獄へ誘ったあの男をこの手で……」
それを見返すガムルの瞳もまた鋭い。漆黒ともいうべき純粋な黒に染められたガムルの瞳はレオンを捉えて離さない。
二人の距離はおおよそ五メートル。だがガムルはそのまま腰だめにされた斧を片手一本で横薙ぎに振るった。
それに沿ってまたあのとげが一気に空中で無防備なレオンへ飛び出していく。
「そうかい。まっ、その程度の力じゃ無理だろうがな。」
あきれた。そう言いたげな声色だが、彼の目はそうは言っていない。
レオンは展開した彼の機械剣をすぐそばの壁に叩きつけた。
バウン、と火薬に引火したような音。それと共にレオンの姿が一瞬にして消え、
「ふん!!」
そしてそれは背後から現れた。
突如、背後から現れたレオンにガムルは冷静にあの岩壁を生み出す。
炎を先端に纏ったレンチが壁とぶつかり、派手な爆音が木霊する。
だがレオンの攻撃は止まらない。
右、左、前、後ろ、そして上と目では追えない速さで、移動しては攻撃。攻撃しては移動を繰り返していく。
(わかってるさ。)
爆音によって足音を消され、防戦一方になるガムルは心中でぼやいた。
そう願うガムル自身がよく分かっていた。自分にはまだ力が足りないことを。
この世は力が全て。そのような時代錯誤ともいうべき古い世界が大きな壁となってガムルの前を遮っていた。
サンドワームの時もそうだ。結局、昔の栄光にすがり、現在の自分を見失っていた。
今の自分もそうだ。今の自分の実力では到底敵わない。相討ち覚悟でやっと一撃だろう。
だがガムルは今の自分の選択をなぜか正しいと思っていた。
五つの方向からの攻撃にガムルはついには自分の周りに岩の箱を生み出していた
「ふん。甘いんだよ!!」
狩人にとって獲物が動きを止めてくれることほど楽なものはない。レオンは術式を同時に五つ、岩の箱の周りに出現させた。
なぜそう思うのか、疑問でしかたなかった。
「殺すなと言われてるんだけどな。」
術式の中心が徐々に赤みを増していくにつれ、獰猛な笑みが広がっていく。
そして、太陽のような輝きに至った瞬間、レオンの口は自然と動いていた。
「消えてくれ。」
だが、今なら分かる気がする。
橙色の閃光が射出されると同時に一帯の音が消えた。
「……決まったか。」
廊下から漏れてくる鋭い光に龍牙はぼそりと呟いた。
龍牙には『力』を感知するような能力は持ち合わせていない。だが、これまでの何百何千もの戦いの中で、気配でその力量を測ることができるほどに彼の気配に対する感覚は鋭く研ぎ澄まされていた。
今の光もそうだ。建物そのものを揺らすほどの力の衝突、そして閃光。確かに凄まじかった。だが、それと同時にどこか『抜き』があるのも感じていた。
自分の身を守るためのとっさの抜きだろうが、これほどの威力のものをその微妙な力加減でコントロールした時点でその力量は明らかだった。
「強いな。」
それこそ自分と同等に。
そこまで思考を廻らせながら龍牙は薄く笑った。まるで、お前たちのしたいことが分かったぞ、と言わんばかりに。
会場が襲われた時、ダンゼルが戦う中、実は龍牙はヒューズのボディーガードに紛れ、避難をさせていた。その時に龍牙はヒューズから興味深い話を聞いていた。
『知っているかい? 龍牙』
『何をだ?』
『また秦国と戦争をするらしいよ。』
なぜこのタイミングでヒューズがその話題を出したのか、龍牙は今まで分からなかった。
だが、今なら分かる。開戦まで後一年。その情報がこの事件を紐解く鍵だったのだ。
「腐っているな、この国は。」
反吐がでる、そう口にしながら龍牙はもう一人の仲間の元へと足先を向けた。
激しい閃光が収まっていくのと反比例して、外から聞こえる騒音は先ほどよりも大きくなっていた。
バチバチと火花を散らす切れた電線。その微かな光が周囲の惨状を照らしていた。
それが通っていた天井が、壁が、床が、全てが吹き飛んでいた。
天井は先ほどガムルが塞いだが、関係ない。なぜなら、
建物の一角が丸々吹き飛んでいたのだ。
ひびの入っていた壁は跡形もなく消飛び、ひんやりとした上空の空気が流れ込み、捲れる程度だった床も削り取られ、階下が丸見えになっている。
「……ぐぅ」
また巻き上がった粉塵が外へ流れていく中、微かな呻き声がパチパチと火が爆ぜる音にかき消されながらも、かろうじて辺りへと届いていた。
それに加え、ガラガラと瓦礫が崩れる音が二か所から聞こえてきた。
一つは建物の外側に近い壁。
もう一つはその一つ下の階の部屋の中央だった。
生命が生きているなど奇跡とも思える現状で、もぞもぞと二つの影が頭を持ち上げた。
倒壊した天井から差し込むほのかな光がその二人の姿を映しだす。だが時間のせいか、二人ともその身体のみしか視認することができない。
しばらく二人はぜえぜえと荒くかたで息をしていたが、
「てめえ」
怒りでか、それとも痛みでか分からない震えた声、それを合図に二人がよろよろと立ち上がった。
あの凄まじい熱量を持った熱線による衝突。その威力は明らかに常軌を逸していたのだ、撃った方も撃たれた方もただではすまないだろう。
「詰めが甘いんだよ、お前は。」
だが二人は立っていた。
あのような爆発を受けたのにもかかわらず立っていたのだ。
あの衝突は、いやあの熱線はフィロが使ったものと同等あるいはそれよりも強化されているともいえる。そんなものを受けて、撃った方と同じように立っているなど異常以外のなにものでもない。
その異様な空気の満ちた廊下だった場所。その中央で一歩前に踏み出した彼の顔を月明かりが照らしだした。
青白い、ガムルの顔を。
あの協力な熱線を彼は全方向から受け止めた。なのに彼の身体にある傷は腕の刺し傷と一部の皮膚が赤くただれているだけだった。
「くそっ」
それに対して、自分の身体を抱きしめるようにしているレオンは、体中から少なくない血を流していた。
「なぜだ!? なぜあの状況で避けられた!? それになんなんだよ、これは!?」
だがそれも熱線によるものではない。その傷跡は『銃痕』のようだがそれでもない。
その奇妙な傷跡にレオンは叫ばずにはいられなかった。全身を襲う尋常ではない痛み。気を失わなかったのがある意味奇跡といえる。
だがそれよりも、なにより『四聖人』の一人として現状をそのまま受け止めることなど不可能だった。
それを知ってか知らずか、ガムルはうっすらと笑みを浮かべた
「簡単だ。石を弾丸みたいに飛ばしただけだ。」
「そんなことがあの一瞬でできるはずが、なによりよりお前の身体が持つわけがな……まさか!?」
信じられない、そう言いたげな表情を浮かべるレオンにガムルの口元の歪みが増した。
「やっとわかったのか? ああ。俺はあの中にいなかったんだよ。」
「だが、なぜ俺の射出のタイミングが分かった!? 視界が確保できないはずなのに……」
「お前、忘れてないか? 自分で言っていたのによ。」
ニヤリと笑うガムル。その瞳が一瞬、『蒼く輝いた』。
「その眼か!? その眼で俺の術式を!?」
「あとは壁の中に引火しやすい気体を詰めこむだけだ。簡単だろ?」
「くそっ!!」
ガンッとレンチで床を叩いてからレオンはよろよろと立ち上がった。
「俺が、この俺がこんな奴に……」
一歩、だがそこまでだった。体中に傷を負ったレオンはそれ以上前に進むことができなかった。
「その驕りが勝敗を決したんだよ。普通にやれば俺の負けだった。」
「くそっ」
そんなレオンにガムルが歩み寄っていく。しかし、そのガムルも傷は少ないとはいえ、あまりにも血を流しすぎた。彼の相棒を引きずるようにして、一歩、また一歩と近づいていく。
そして二人は初めて真正面から向き合った。
「俺はあまりとどめを刺さない主義なんだが、お前は許す気がさらさら起きない。」
「くそっ」
「お前はあいつらを駒だと言ったな? だがそれは違う。」
お前は間違っている。ガムルは青白い顔を横に振って見せた。
「くそっ」
「全てを失うことで得られるものがある……俺はそれを手に入れたんだ。」
「くそっくそっ」
弱い自分を決して見放さず、『仲間』と言ってくれる四人。そんな最高の仲間を手に入れた。その喜びは彼自身の無力さを遥かに上回るものだった。
「だから、その仲間を駒と言ったお前を許すわけにはいかないんだよ。」
「くそっくそっくそっ」
俯き、同じ言葉を呟き続けるレオンにガムルは残された全ての力で巨大な斧を持ち上げ、
「後悔はあの世でやれ。」
振り下ろした。
「くそがぁぁぁぁぁぁぁああああああ!!!!」
ただの死に際の叫び声。だがその声になぜかガムルの身体が吹き飛ばされていた。
「くっ」
大気を振動させる、ただそれだけなのに気付けばガムルの身体は反対側の壁際まで押し返されていた。
「マジかよ……」
先ほどまでお互い力を使い果たし、もう立ち上がることすら難しかった。
だが、今はどうだろう。
ガムルの前にいるレオンの身体が火によって形造られた円に囲まれていくのだ。
「俺は、負けられないんだ。負けられないんだよ!!」
そしてその炎の高さは増してゆき、ついにはその身体を完全に覆ってしまっていた。
「マジかよ……」
同じ言葉を繰り返すガムルの瞳には鮮明にその変化が映し出されていた。
「『力』が、戻っていく?」
そう、空っぽで『眼』にすら映らなかったレオンの輪郭が今、はっきりとその眼に映っているのだ。
「まさか、お前は……」
「俺は、お前とおんなじだ。」
炎の奥から聞こえてくる声にガムルは全身から汗が噴き出るのを感じた。
逃げろ、そう言っているかのように。
だが彼は動かなかった、いや動けなかった。もう彼の身体には動くだけの力が残っていなかったのだ。
それと同時にガムルはあることを思い出した。レオンの持つ機械剣、それにはたった一つしか『珠』が着いていなかったことを。
わなわなと震えはじめるガムルの前で幕が開けられるように、その炎の壁の中から『それ』は姿を現した。
赤黒く染まった身体。黒く長い爪。歪みなく並ぶ鋭く長い牙。窪んだ瞳。そして、橙色だったその髪の間から人間にはないはずの『角』が二本、生えていた。
もうその姿は人間からは程遠い、その姿はまさしく、
「炎神……」
「レオン、お前も……『複合体』だったのか。」
大きく目を見開くガムルを、レオンは長い爪で指した。
「俺は……負けられないんだよ。」
その瞳は彼の意志の強さを表すようにその赤みを増していく。
「お前もだせ、今のお前の本気を。」
レオンの言葉にガムルはハッと自分の斧の中に納まる黒い珠を見つめた。
その隙を見逃さず、レオンはその手に赤い術式を出現させ、それをガムルに向けた。
ゴウッ
ガムルはかろうじて身をそらすと、その彼のすぐ横をあの熱線が通り過ぎた。
(速いっ!?)
絡まりそうになる足を無理矢理動かし、次々と襲ってくる赤い狂気をかわしていく。
「まだそんな力があったか。なら、」
そんなガムルにレオンは太さも増した脚を曲げ、砲弾のように飛び出した。
「させるか!!」
一直線に向かってくる赤い砲弾にガムルは走りながら残った少ない冥力を注ぎ込み、岩の壁ととげをその前に幾重にも並べて出現させた。
「くだらねぇ。」
だが今のレオンにとってそれは大気に等しかった。一メートルはある厚い壁を、人の胴ほどもあるとげの束を、全て溶かして突き進んでいくのだ。
「なっ!?」
そして何も遮るものがなくなり、膨らんだレオンの身体がガムルにぶつかった。
「うあああああああああああああああああああ!!」
じゅう、と肉が焼ける音と臭いをまき散らしながらガムルは壁を突き抜け、その先の壁に叩きつけられた。
「う、ああああ」
床に崩れ落ちたガムルの姿はひどかった。彼の身体を覆っていた服が彼の皮膚と一緒に焼け爛れているのだ。その痛みは想像を絶していた。
床に転がるガムルを見ながら全身が赤く染まったレオンが暗い中へと踏み込んできた。
「お前は俺と同じだ。なら早くお前も出せよ。本性を。」
一歩、一歩、それがカウントダウンだと言わんばかりにゆっくりと歩みよってくる。
「もし出さないなら、」
そして、それは目の前で動きを止めた。
「死ぬだけだ。」
『死ぬだけだぜ。』
奇妙な合成音にガムルは頭を押さえた。耳から聞こえてくるレオンの声、それと同じタイミングで彼の脳に直接語りかける声があった。
『俺を忘れたなんて言うなよ? ロー、おっと今はガムルだっけか?』
(黙れ、『煌月』。)
『覚えてくれていたのか、嬉しいねー』
ガムルは耳から流れてくる情報を全て無視し、頭の中に響くわざとらしい口調に集中した。
(今更、何しに出てきた?)
『お前が死にそうだからよ。パートナーを見捨てるわけにはいかないだろ?』
声に出さず、心中で呟くように話しかけると答えが返ってきた。
(何が言いたい?)
『俺を使え。』
その言葉にガムルの眉がピクリと動いた。
『俺を使えばお前は本来の力を使える。それならあんなガキ、一捻りだろ?』
(……条件はなんだ?)
明らかな警戒を見せるガムルに声は笑い声を響かせた。
『ハハハッ、なーに、簡単だ……お前の身体を貸せ。』
(断る。)
『ちっ。やっぱそう言うよな。はあ。』
ガムルの即答にやれやれと言う声色で答えながら、仕方がねえ、と声は続けた。
それと同時にガムルの身体を黒い何かが覆い始めていた。
『使う、使わないはお前次第だ。好きにしろ。』
(ありがとな。煌月)
『ちっ』
照れ隠しなのか舌打ちを残しながらガムルの頭から声が消えた。
そこでガムルは初めて通常の時間を取り戻した。
「本当はここで使いたくないんだけどな。」
尻餅をついた状態から立ち上がるガムル。
月の光が遮られた暗闇の中、ガムルの身体を黒いものが蠢いていた。
「あの出来損ないの英雄さんのためか?」
鋭い牙の間から漏れる声にガムルは顔を上げた。
「答える気はない。」
そっけなく答えながらガムルは暗闇から月の光の元へ一歩踏み出した。
「それが、お前の本当の姿か……っ!?」
声を発していたレオンは突如自分の頬を襲った圧力に、その身体が外へと押し出された。
「正解だが、間違いだ。」
レオンのお株を奪うガムルの腕は黒く、どこまでも黒く染まっていく。そしてそれは徐々に彼の顔にまで伸びていた。
「まだ、破壊は始まったばかりだ。」
「ちっ」
何事もないように立ち上がりながらもレオンは焦っていた。
顔面に受けた攻撃は大したことはない。だが、それ以上に、レオンはガムルの攻撃の動作を感じられなかったことに焦っていた。
「お前の特殊系の破天石もなかなかだ。だけど、これには勝てない。今の俺には勝てない。」
「ふん。驕りは身を滅ぼすとか言っていた奴の言葉かよ。」
「これは驕りではない。事実だからな。」
「なめるな!!……ちっ、時間切れか。」
レオンは牙をむき出しに唸っていたが、ふと左に顔を向けてから後ろへ走り始めた。
「ガムル、覚えておけよ!! 次会った時、お前を殺す!! 絶対な!!」
「待て!!」
ガムルの制止を振り切り、レオンは走った勢いをそのままに壁の亀裂から人工の光に満ちた外へと飛び出した。
「生きているか?」
「なんとかな。」
赤く光る獣が飛び出した後、穴の開いた壁をくぐり座り込むガムルに影が落ちた。
「ふん。お前もこっぴどくやられたな。」
「お前もってあいつらもなんとか無事なんだな……」
「少なくともお前よりはマシだ。」
「手厳しいな。」
自嘲の笑みを浮かべながらガムルは立ち上がった。
「誰に襲われた?」
「……知らない。」
「本当か?」
「ああ。」
正面から龍牙の紅い瞳を見つめ、よろよろとその横をすり抜けた。
壁の割れ目ではなく扉から出ていくガムルを目で追いながら、龍牙は、はあ、と息を吐いた。
「わかりやすい奴だ。」
これまで何千、何万の人間を見てきた龍牙にとって、ガムルが何かを隠していることは論ずるまでもなく明らかだった。
だが、それと同時にそれは気軽に尋ねられるものでもないということに気づいていた。
「仕方がないな。全く、なんでこうも訳ありな奴ばかりが集まったんだろうな。」
面倒だ、そう言いたげなその言葉とは裏腹にその顔はどこか楽しそうだった。
「いや、今回は本当に君たちに頼んでよかった。」
またあのホテルの最上階で『銀翼旅団』の四人とヒューズがそろっていた。
「報酬はいつもどうりあの口座に頼む。」
「分かっているよ。今日にでも入れておこう。後で引きだしてくれ。」
「助かる。」
「でも、あそこまで大事になるとはね。」
あのホールの強襲から三日、ロザンツ帝国中の都市はこのことでもちきりだった。
新聞などの情報端末では表紙を飾り、そのためにヒューズは記者に常に囲まれ続け、今日になってやっと解放されたのだ。
だがそれは龍牙たちにとってもありがたかった。重傷者が二名もいる状態で長距離の移動はできる限り避けたかったからだ。
それを心得ていたのだろう。ヒューズは何も言わず一同を見回し、首を傾げた。
「あれ、そういえば例の彼は?」
「ああ、ガムルなら……」
コンコン
「はい。」
白い壁や天井がまぶしい部屋の中、同じく白いベッドに横たわっていた少女、麗那が身体を起こした。
意識が戻ってから三日、検査も正常で明日で退院となっていた。
「よう。」
白い横滑りの扉をくぐってきた人物に麗那はクスリと笑った。
「何笑ってるんだよ。」
彩り豊かな花束を抱えたままガムルは複雑そうな表情をした。
「ごめん。ごめん。いや、似合わないなーと思ってさ。」
「せっかく、恥を忍んで来てやったのによ。」
「ごめんってば。」
ベッドの傍らに置かれた椅子に腰かけてからガムルは棚の上の花瓶に花を挿しだした。
「これでよし。」
「まあ、及第点かな。」
「手厳しいな。」
苦笑をもらすガムルに麗那は、ははは、と笑うがすぐに暗い表情になった。
「ねえ、」
「ん?」
太い指で器用にリンゴの皮を剥いていたガムルは手を止め、麗那を見た。
「私は……ここを出てからどうすればいいのかな?」
俯く彼女にガムルはただ黙ってナイフを棚の上に置いた。
「なんでそんなことを考えるんだ?」
「だって、店もお金も、私の作品も全部燃やされちゃったし。それに……」
「大丈夫だ。」
「え?」
一言そう呟くと突然、ガムルは病室を出て行った。
「なんで……」
彼女は自分が混乱するのが分かった。入院していた四日間で見舞いに来てくれたのはガムルただ一人だった。それも毎日。だからこそ麗那は信じたくなかった。
ガムルが自分を見捨てたのだと。
「うっ」
はっきりとそれを意識した瞬間、彼女の口から呻き声が零れた。それに続いて手が、肩が、足が、身体が震えだすのを感じた。
(私はどうすれば……)
手で顔を覆っていると扉が荒々しく開かれる音が聞こえた。
ゆっくり、恐る恐る手をずらしていくと先ほど飛び出していったガムルがそこにいた。
服装は先ほどとおなじだったが、なぜかその両手にはバッグが一つずつ下げられ、もう一つ背中に背負われていた。
「結構重いもんだな、これ。」
ガムルはそっと荷物を床に下すと、その内の一つ、背中に背負っていたものをベッドの上に置いた。
「お前のだ。」
「え?」
開けられたバッグの中身に麗那は涙を拭くのも忘れてそっと手を伸ばした。
ゆっくりと手に取ったその感触、形、色、輝き。間違いなかった。
「私の……『破天石』」
「そうだ。建物や店の金は無理だったけどこれだけは多分全部ここに入ってると思う。」
「だけど、なんで……」
「詳しくは話せないが、燃えなかったんだ。」
唇を軽く噛むガムルに麗那は問いを紡ぐ口を閉じた。
「そうだ。後、もう一つ。」
そう言いながら、ガムルは下げていたバッグを開け、その中から一つ取り出した。
「ど、どうしたの? それ。」
ガムルの手に握られていたのは、札束だった。しかもバッグの中にはそれが後二十はあった。
「慰謝料だよ。」
「え?」
「俺からの、俺たちからのだ。」
「だけど、あれはあなたたちがやったわけじゃ……」
「だが、俺を狙っての行動だった。それに、この行動そのものを俺には防ぐことができた。なのに、しなかった、できなかった。」
「……」
「だから頼む、今は受け取ってくれ。」
ガムルが手に乗せてきた札束を麗那は虚ろな目で見つめた。
それをしばらく見ていたが、ガムルは何も言わず立ち上がり、扉へ歩き出した。
「じゃ……」
「これが……その『責任』の取り方なの?」
取手にまでかけた手をおろし、ガムルは振り向かずに答えた。
「思っていないさ。」
「なら、その『責任』をこんなお金じゃなくて、誠意で返しなさいよ。」
彼女の声に力はない。だがその奥にガムルの心を動かすものが眠っていた。
「それができないからって、こんなお金で済まそうなんて……」
「じゃあ、どうしろって言うんだ!!」
「っ!?」
凄い形相で詰め寄るガムルに麗那はビクッと震えた。
「俺たちは……国賊だ。」
「え!?」
「この国が全力で俺たちを殺す気でいるんだ。死ぬ気はないが、俺たちそれぞれの目的のためには死ぬのも覚悟でいかないといけないんだよ。」
「あ……」
「俺だってできるならしたいんだよ!! だけど、だけどな。」
顔を俯け、拳を強く、固く握りしめた。
「それでも俺にはやらなくちゃいけないことがあるんだよ。」
その様子を静かに見つめていた麗那は足の上のバックから手を突っ込んだ。
「……わかったよ。」
そう頷きながらガムルの手を取り、取り出したものを握りこませた。
「それが終わってから、それを持って私に土下座しにきな。」
握りこまされたものを見てガムルは目を見開いた。そこにあったのは紅い『破天石』だった。
「これは……」
「私の作品で一番の傑作だよ。壊したり、なくしたりしたら容赦しないからね。」
目の端に涙を残したまま笑顔を見せる彼女にガムルは顔を上げ頷いた。
「……ああ。」
差し出された手を握り締め、ガムルは名残惜しさを感じながらも部屋を後にした。
「どうだい?」
暗い部屋の中、二人の影が向き合っていた。一人は椅子に腰かけ、もう一人はその前に跪いている。
「さすが、というべきです。」
「そうか。で、例のものは?」
「ここです。」
椅子に座る影に跪いていた方が懐から出したあるものを手渡した。
「ふふ、これでやっと一つ目だね。」
その手に握られた『紅い珠』に照らされた口元は愉快げに歪んでいた。
「さて、後もう一つか。情報は?」
「いえ。やはり『六王獣』の巣をあたるのが最適かと。」
「流石にヴァリアントの巣を一人で行くというのはあまりさせたくないんだけどね。どうしようか?」
「奴らに探させては?」
「……そうさせてもらおうか。彼らから一番近いのは?」
「……『翼王獣』です。」
「そうか。方法はまかせるよ。」
「はい。『機械剣』の使用を許可していただけませんか?」
「いいよ。できる限り、痕跡を『残す』ようにね。」
「はい。」
そして二人は霧のように姿を消した。
「本当に良かったの?」
「……お前もしつこいな。」
また走り出したビークルの中、あのソファに腰かけていたガムルは振り返った。
その視線の先にいたのはいつものようにカップを片手に見下ろすリタニアだった。
一同と合流したガムルはヒューズから振り込まれた報酬金を引き出し、その足でビークルで街から出たのだ。
引き出した報酬の額にガムルは唖然としていたが、ベッドの横にポンと置かれている鞄を見ているとなんだか夢のような気分だった。
無骨なガムルの反応にリタニアは、はあ、とため息をついた。
「そんなものはいらない。それに、今のあいつに俺なんか必要ないんだよ。」
自分に言い聞かせるようにそう呟いたガムルは手の中にある紅い珠を見つめた。
あの『珠』ほどではないが、その輝きもまた鮮やかで美しい。
それから視線を外し、ガムルは頭上にある窓を見た。
そこから見える空はここ数日で一番晴れ渡っていた。