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商業都市(中篇)




 暗く狭い階段を『それ』は降りていく。


「・・・・・・」


 闇をそのまま纏ったような黒いローブに身を包み、その顔は目深に被られたフードに隠されている。


 陽は昇っているのに、ここは夜と間違えるほどに暗い。


 コツコツと石段独特の足音が狭い通路に反響する。



 『それ』は無言のまま階段の最下層にある踊場にたどり着いた。


「・・・・・・」


 漆黒の世界に射す一筋の光。


 その先から漏れる光に照らされながら、『それ』は目の前にある扉を開いた。



 扉が開くにつれ強まる光。


 だが『それ』は暗闇から急に明るい場所に来たにも関わらず、何の反応も見せなかった。


「ん? すいませーん。まだ店は開けていなんです。」


 そんな男に快活な声がかかった。

 カウンターの奥から聞こえてくるそれはまだ若い女性のもの。


「・・・・・・」


 だが、それはその声を無視し、左手へと進んでいく。


「お客さーん?」


 更なる制止の声。


 それでも、それは聞かずに歩を進めていく。


 そして、それは立ち止まった。



 様々な色の石が並べられている棚。


 そのうちの一つの前にそれは止まっていた。


「・・・・・・」


 本当に『それ』は生きているのだろうか。


 『それ』は全く微動だにしない。

 呼吸のために上下するはずの胸すら動かない。


 その完璧なる制止を保つその手がピクリと動いた。

 ゆっくりと持ち上げたその手を目の前の物に伸ばした。


 黒い手袋をはめた手が取ったのは、



 『売約済み』の札がついた、紅い珠だった。





「おい、待て!!」


 高く昇っていた陽が傾き、空が赤く染まり始めた頃、無機質な壁に囲まれた路地を駆ける二つの影があった。


「くそっ」


 二つの内、後ろ。追いかけている巨漢の男、ガムルは前を走る黒い影を睨んだ。


 二人はかなりの距離を走っていた。


 現に坂を駆け上がっているが、そのスピードも、二人の距離も変わる様子がない。


 かれこれ数十分続くこの状況に、ガムルは苛立ちを募らせていた。


(何か、足止めできるものは・・・・・・あれは!)


 両脇にそびえる灰色の壁。


 辺りを見回していた目が、その下で止まった。


 スピードを落とさずに少し方向を変え、それを鷲掴みにした。


 手の中にあるのは、一メートルほどの二本の鉄パイプ。



 それに一度目をやってからガムルは前を走る影を見た。


 黒いローブに身を包んでいるせいで性別は分からないが、これまでの逃走劇での動きを見る限りただ者ではないのは明らかだ。



 それに標的を絞ったガムルは、走りながらその内の一本を投擲のように構え、


「おらぁああ!!」


 投げた。


 人が投げたとは思えない速度でそれは一直線にその影に向かっていく。


「・・・・・・っ!?」


 殺気を感じたのか、その影は顔を後ろへ向けずに大きく横へ飛んだ。


 パイプをなめるようにかわす、一瞬の気の緩みも許さない極限の動き。


 その人影の足がズザザッと地面を滑る横で、標的を失った鉄パイプはその先の壁につきたった。



「やっと追いついたぞ。」


 音叉のような音がなるそこは、直角に曲がった曲がり角だった。


 二十メートルは離れていたはずの二人の距離はもう三メートルしか残っていない。


 しかも、その人影は角に追いつめられている。

 簡単に逃げることができないのは明白だった。


(完全に、追い詰めた。)




 ・・・・・・なぜこの様な状況になったのか。それは半刻ほど遡る。




 まだ陽が高く昇っている頃、ガムルとダンゼルの二人は昨日訪れた商店街を歩いていた。


 夏が近づいてきている中、今日は快晴。


 ランニングから覗かすガムルの肩には大粒の水滴が浮き出ていた。


「あっちー」


 シャツの襟元でパタパタと扇いではみるが、ガムルの体には生ぬるい風しか来ない。


 それに本日何度目かのため息をこぼす。


「マジで溶けそう。」

「本当に暑いね。」


 そう横で同調するダンゼルはと言うと、いつも通りのコート姿だった。

 暑い暑いと言っているが、その体からは一滴も汗が出ていない。


 その平然とした立ち振る舞いを恨めしく思いながら、ガムルは額の汗を拭った。


「ったく、リューガさえあんなことを言わなければもっと涼しい時間に出れたのにな。」

「本当にね。」


 だるそうな、生気の失せた目でガムルは前を見た。


「フィロちゃんは何買う?」

「私はドレスとか着てみたいです。」

「いいわね。いいわね。じゃあ、まずは、」


 既視感を感じるその光景にまたため息をつきながら、今朝のことを思い出した。





 全ては今朝の龍牙の一言で始まった。




「明日だが、パーティーに出ることになった。」




 それは、ガムルが二度寝を終え、リビングで全員揃ってダンゼルが作った朝食を食べていた時だった。



 ピシッ


 その時、ガムルは確かにそのような音を聞いた。


 その出どころへ目を向けると、案の定リタニアが、そして意外にもフィロも固まっていた。


「ねぇ、リューガ?」

「なんだ?」

「私達も招待されているよね? リューガ」

「あ、ああ・・・・・・」


 キラキラと眩いほどに目を輝かせながら詰め寄る二人に、龍牙の顔が若干引きつっている。


 それを気にもかけず、尚も二人は詰め寄る。


「ちなみに主催は?」

「ヒューズだが、それが・・・・・・」

「よっし!! フィロちゃん。二十分後に街に繰り出すわよ!!」

「ラジャー!!」

「お、おい・・・・・・」


 龍牙の制止も聞かずに恐るべきスピードで朝食をかき込むと、二人はドタバタと部屋を飛び出していった。


 閉じられたドアの向こうからはドッタンバッタンと収納が開閉される音が忙しなく響いてくる。


 ガムルはしばらく無視された龍牙を憐れみの目で見ていたが、肩をつつかれる感触に、視線をそのままに体をそちらへ傾けた。


「なんだ?」


「リタニアさん達は買い物に行くんだよね?」

「そうだな。」


 ガムルは頷きながらカップに入ったコーヒーを啜った。


「それがどうかしたか?」


 いつもと変わらない味に小さく笑みを浮かべながら、妙に切実な声を発するダンゼルに先を促した。




「いや、荷物持ちは誰がやるのかなーって。」





 そのダンゼルの一言で、ガムルはカップを持ったまま固まった。


 脳裏によぎるのは炎天下の中、延々と重石を持たされ続ける拷問(荷物持ち)。


「ダンゼル、」

「うん。そうすべきだと思う。」


 頷きあう二人。


 決断は早かった。


 目の前にある朝食を急いでかき込み、コーヒーを一気に飲み干す。



 食べ物は大切に、という言葉を真っ正面から裏切ってから、二人は落ち着く間もなく立ち上がった。



 まだ何食わぬ顔でのんびりとコーヒーを飲む龍牙。


 その横をすり抜け、二人は大急ぎで玄関へと駆け出した。

「ダンゼル!! ガムル!! どこ行くの!!」


 走る二人の後ろから怒号が聞こえてくる。


 それに合わせ、顔の横を何かが通り過ぎた。


「ま、マジですか・・・・・・」


 走り続ける二人の横で、何リラするのか検討もつかない壷が跡形もなく砕けた。


「頭下げて!!」


 ダンゼルの悲鳴に近い叫びとともに、ガムルの頭が下へ押し下げられる。


 今度は一瞬遅れて、頭があった空間を氷の塊が貫いた。


 刃物のように鋭いそれは数メートル先のドアに突きたつ。


「こ、殺す気かよ!?」


 いきなりの死への恐怖につまずきそうになるのをこらえ、ガムルは尚も走り続けた。


 恐怖。それだけが今、ガムルを突き動かしていた。


 氷の刺さるドアまで、後三メートル。


 亀のように首をすくめたまま、勢いそのままに二人は玄関から飛び出した、


 バン


「バン? あがっ!?」

「ぐぇっ!!」


 逆さになる視界の中、するはずのない爆発音に首を傾げていると、ガムルはそのまま首から地面に落ちた。

 その横でダンゼルが背中から落下し、ひかれたカエルのような声を上げる。


 ぐらぐらと揺れる視界にガムルは横たわったまま動けない。


 何かが焦げる臭いに覚醒されたガムルは、痛む首をさすりながら体を起こした。


「いてて。おい、ダンゼ、ル・・・・・・」


 そして見つけた。


 真珠のように白く、だが虎のように発達した美しい足。


 ガムルは首の痛みなど忘れ、恐る恐るその視線を上げ、見てしまった。


「ガムル、どこに行くの?」



 満面の笑みを浮かべている、悪魔(リタニア)を。







「ほらそこの二人!! なにぼーっとしてるの!?」

 前方から聞こえる悪魔の声にガムルは過去から現在へと引き戻された。


「へいへい、すいません」

「はい、は一回!!」


 どこのオカンだよ、と言いたいが、言えない。

 それは火に油を注ぐことに等しい。


 ガムルはその微妙な表情でダンゼルを見ると苦笑いを返された。



「早く目麗しい美女二人をエスコートしなさい!!」

「・・・・・・自分で言うなよ。」

「何か言った!?」


 色々と突っ込みたい衝動を抑え、首を振った。


「いえ、なにも。」

「ならさっさとしなさい!!」


 リタニアの一方的な言葉の投擲に疲れたガムルは、素直に彼女達の方へと歩き出した。





「で、ガムルが言ってた店ってどこなの?」


 人の数も減ってきた商店街。夕飯の材料などを買い終えた客が思い思いの通路へと散っていく。


 その中リタニアは、他の迷惑などお構いなしに後ろを振り返った。


 薄れつつある喧騒。その中心に目的のものはあった。


「商店街の、外れ、だよ。」

「だけど、まだ、開いてない、ぞ。」


 両腕に塔のように箱を積み上げられたガムルとダンゼルだった。


 その色鮮やかな塔はリタニアからは二人の顔を完璧に遮っている。


 遮られた二人もなんとか顔を見て話そうと左右に首を傾けるが、その塔は横幅もあるため、頭の先が少し見える程度だった。


 その横では崩れそうな荷物の山をフィロが必死で押さえている。


「かなり遠いわね。なら私たちは帰るとしようかな。」

「は?」

「は?」


 全く悪意のない無邪気な意見に男性陣から声が上がった。


 それに周囲の人達が彼らから距離をとる。



「何よ、文句ある?」

「いやいやあるだろ。荷物は?」


 リタニアはしばらく考え込み、フィロと目配せすると、共に塔の中ほどを両手で挟んだ。


「仕方がないから半分持って帰ってあげるわよ。」

「半分かよ!?」

「なによ。か弱い女の子二人にこの荷物を持たせる気?」

「うっ」


 リタニアの傍から聞いたら正当に聞こえる言葉。さらにフィロの、この下衆が、と言いたげなその視線に、ガムルはがっくりと肩を落とした。


 ダンゼルもそれを慰めようとするが、彼自身も同じ状況にあることを思い出し、うなだれた。





「よろしくね~」

「お願いします。」


 満面の笑みで反対へ去っていく二人を残された二人は睨むしかできなかった。


 結局、リタニアの巧みな言葉に押し切られたガムル達は肩を落としたまま、元の方向へ向き直った。


 彼女達に荷物を押しつけたい。

 だが、いくら男勝りとはいえ仮にも女性。それは彼らの信念に反することだった。

 かといってこのまま荷物を置きに帰るのももったいない気がする。


 ガムルとしては荷物があるとは言え、あの破天石が今すぐ欲しい、という気持ちが強かった。

 ならばすることは一つ。


「とりあえず行くしかないな。」

「僕、帰りたいよー」


 泣き言を喚くダンゼルを軽く蹴飛ばし、ガムルは目的地へと歩き出した。



 腕に荷物を抱えたまま一時間。ガムル達はやっとのことで目的地、『夢の石』にたどり着いていた。


 商店街のはずれにあるその辺りは、もう闇に包まれている。ぽつぽつと灯りが設置されてはいるが、足下を照らすにはあまりにも頼りない。


 時刻はすでに八時を回ろうとしていた。



「やっとついたー」


 疲れたという表情を隠すことなく出しながら、ダンゼルはふらふらと近くのベンチに腰掛けた。


「僕待ってるから行ってきなよ。」

「ああ。」


 私的な目的というのもあって、ガムルは何も言わず荷物をダンゼルの横に置いた。


「荷物よろしくな。」

「はいはい。お金は渡したよね?」

「ああ。持ってる・・・・・・ん?」


 懐からかなり厚みのある茶封筒を取り出してみせながら入り口に近づいた、その時だった。


「痛ぇ!!」


 いきなり受けた肩の衝撃に仰け反ったガムルの横を黒い影が通り過ぎた。

 その一瞬の間、その目に見覚えのあるものが映った、



 紅い珠が。


「おい!! それは、っ!?」


 それを問い詰めようと振り返るが、それ以上前に進めなかった。


 その巨体がふわりと空中に浮かび、そのまま向かいの建物に叩きつけられたのだ。


「がっ!!」

「ガムルさん!!」

 ドサリとそのまま地面に落ちたガムルにダンゼルがすぐさま駆け寄る。

 だが、それよりも早く起き上がったガムルは見たくない光景を目の当たりにした。


「嘘だろ・・・・・・」


 呆然とするガムルの前で、あの店から煙が噴き出しているのだ。


 しかし、なぜだろうか。燃えているはずなのに階段から光が一切出ていないのだ。


 それに気づいたガムルはすぐに立ち上がり、同じく呆然としていたダンゼルに叫んだ。


「ダンゼル!! 中に多分一人、レイナっていう女がいるハズだ!! 全身にできるだけ高濃度の水の膜を張って助けてくれ!! この炎は普通じゃない!! 火がついたら最後だぞ!!」


 その言葉にハッと我に返ったダンゼルはホルスターから機械剣を引き抜いた。


「分かったけど、なんでそんなことを!?」

「いいから早く行け!! 俺はアイツを追う!!」


 ガムルの指差す先にはあの黒い影。

 かなり小さくなってしまったが追いつけない距離ではない。


「頼んだぞ!!」

「ちょ、ガムルさん!?」


 騒ぎを聞きつけた人達の塊の中、ダンゼルの制止を振り切り、ガムルは駆け出した。




「もう逃がさないぞ。」


 右手に持つ鉄パイプを握りこみ、ガムルは目の前の黒い影を見た。

 身長はガムルの肩より少し高い。平均より少し高めに見える。

 だが、それからは性別が判断できない。


 黒いローブを身に纏っているせいでガムルには女性特有の曲線の有無を確認できなかったのだ。


「お前・・・・・・誰だ?」


 ガムルはスッと目を細め、見失わないよう目の前の影を睨んだ。


 辺りはもう暗い。いつもなら満天の星空や月が地面を照らすはずだが、都市部の光のせいだろう。そこにはお互いの姿を視認できるだけの微弱な光しか差し込んでいなかった。


 闇の中、動かない影。


 そんな中、その手元で何かが紅色に光った。


「てめっ!!」


 それにいち早く気づいたガムルはすぐさま駆け出し、その常人より一回り大きいその右の拳を突き出した。


 冥力を纏ったその拳は、バチン、と空気の壁を貫く音を奏でた。


 そう奏でたのは空気を貫く音。


(なっ!?)


 驚くガムルの目の前に、その姿はなかった。


 一般の動態視力では視界に留めることすら難しい攻撃。なのにそれが捉えたのは影がいた空間だった。

 そして捉えたはずのその本体は、すでにがら空きとなったガムルの右側に潜り込んでいた。


 ガムルもすぐさま対抗しようとその頭部に向けて右肘を引き寄せる。


 だがそれよりも早く、その影は紅い珠を握ったままの拳を脇腹へと叩きつけた。


 拳を突き出した不安定な状態でそれがよけられる訳もなく、ガムルの体はくの字に折れ、そのまま吹き飛ばされる。


「ぐっ!!」


 一回地面で跳ねてから体勢を立て直し、屈んだ状態で地面を滑った。


 ザザザッと靴の裏で細かい小石をすりつぶす音が壁に当たり反響する。


 巻き上げた砂で視界が悪くなる中、ガムルは痛みに顔をしかめていた。


(体を反らさなかったら、肋骨が逝ってたな。)


 胃の奥からこみ上げてくるものを押し込み、ガムルは左手に握っていた鉄パイプを両手で構えた。

 鉄パイプは戦闘の補助として持っていたが、そんな余裕は今のガムルにはなかった。


 その動作の間にも影の左手に握られている紅い珠の輝きは増していく。


 もう時間がない。そう判断したガムルはまた駆け出した。


 上段に構えた鉄パイプを黒い影が間合いに入ると同時に振り下ろす。


 それを影が僅かな動きでかわしたところで、手首を返し、逆に一気に振り上げた。


 突然の切り返しに反応が遅れた黒い影は、舌打ちのような音と共に慌てて後ろへ飛び退いた。


 それには普段のガムルとは比べものにならないキレがあった。それでもその鉄パイプはただそのフードを掠めるだけだった。


「ちっ」


 ガムルは小さく舌打ちしながら一歩踏み出した。が、すぐさまその足で後ろへ飛び退いた。


 また地面を滑り砂煙を巻き上げながらガムルは目を凝らした。


 暗い闇の中、何かが蠢くのを感じたのだ。


 次いでガムルが感じたのは、鼻をつく空気が焦げる臭いとむき出しの肌をチリチリと刺激する熱。


 影が持つ紅い珠の光に照らされ、最初と同じ距離が開いているその二人の間に、なにやら黒いものが蠢いていた。


 それが何なのか、ガムルが認識した時に、その思考と共に退路は断たれた。


 彼らが走ってきた道にも、大通りへと続く角の先の道、そのどちらもがいきなり爆発したのだ。


 いや、そこだけではない。街の至る所で連鎖的な爆発音が轟いている。


 その状況を把握するとガムルは肩をすくめた。

「なるほど。誘いこまれたのは俺の方っていう訳か。」


 瓦礫に埋もれた通路。さらには他の場所でも爆発が起こっている。明らかにこの事態を予測していた。


 ふぅ、と小さく息を吐いたガムルは改めて鉄パイプを構え直した。


 退路を断たれた今、ガムルにはそれしか選択肢がなかった。


 ゆっくりと腰を落とすガムルの周りを、闇に紛れた何かがゆっくりと這っていく。


 それを気配で感じながら少し、ほんの僅かに足をずらした。


 それを待っていたかのように、今まで静止していた影の腕が動いた。


 それとほぼ同時に横に跳んだガムルを追うように黒い線が走った。

 それは影からガムルがいた場所まで引かれ、パチパチと木が弾けるような音が聞こえる。


 その間に、また距離をつめたガムルは鉄パイプを振り下ろした。


 それがたどる軌道は先ほどとほぼ同じ。


 それにあの二連撃を恐れてか、影は少し大きく飛び退いた。


 それを好機と見たガムルは上体を倒しながら全力で走り出した。


 全力の疾走を始めたガムルは冥力を刃を研ぐように鉄パイプに薄く張り巡らせ、それを横に薙いだ。


 ゴゥッという空気を押しのける音と共に全くの鈍器である鉄パイプが影の腹を薄く切り裂いた。


 だが、どうやら衣服を裂いただけらしくその動きには乱れはない。


 すぐさま振るわれた腕の動きに合わせ、黒い線に見えるそれが横からガムルに襲いかかる。


「くっ」


 逆に一瞬反応が遅れたガムルは無理やり体をよじり、それをかわした。

(間合いを・・・・・・)


 そのまま攻撃の手を止め、なんとか間合いを取ろうと細かくステップを踏んでいくが、回避によってバランスを崩したガムルにそんな隙など与えてくれるわけがなかった。


 明かりの少ない路地裏で、闇に溶け込む漆黒の何かによる攻撃。


 ガムルは自分の集中力がすり減っていくのを感じた。


 それでも狭い空間で微かな光に照らされる黒い線、いや奔流を必死によけていく。


 だがそれも長くは続かなかった。


 ドン


「っ!?」


 ガムルは自分の背に当たる固い感触に表情が強張った。


 知らない間に壁際に追い込まれていたのだ。

 元々広さもあまりない路地で逃げ続けられる訳がない。分かっていた。だが、回避に専念していたがために、完璧に慎重さを欠いていた。


 すでに周りは囲まれており、もうそこ以外微かな光で見える地面は真っ黒に染まっている。


 その空間を区切る壁も溝などが全くない滑らかな表面を見せている。


 もう安全地帯と呼べる場所は存在していなかった。


「くそっ!!」


 もう一度悪態をつきながらガムルは周りを見回した。


(何か、何か・・・・・・)


 思考を巡らすガムル。だが、影はそれを許しはしなかった。


 またゆっくりと、だが明らかな殺意を持って振るわれたその腕によって、黒い奔流はガムルの前方から押し寄せ、


 いとも容易く飲み込んだ。






「レイナさーん!!」


 モクモクと煙が立ち上る階段で、ダンゼルはリタニアが買っていたタオルを口に当てながら降りていた。


 暗がりの中、外からの明かりを頼りダンゼルは進んでいたが、そのことに違和感を感じていた。


 なぜ燃えているはずなのに明るくないのか。



 そのことを気にかけながらダンゼルは階段の最下層である踊り場にたどり着いた。


 ここまで来ると煙に遮られているせいか、全く光が射し込んでいない。

 ダンゼルは灯りを求め、ホルスターから機械剣を抜いた。


「『展開』」


 ダンゼルの言葉に機械剣は白く輝き始め、それが収まる頃にはその手に別のものが握られていた。


 その手にあったのは『長銃』と呼ぶのが相応しい、肘から先を差し込む大剣と見紛う銃身の長い銃だった。



 彼はその銃身に填められた幾つもの宝石のような破天石、その内の一つである黄色い破天石に触れた。


 それと同時にその表面から術式が展開。彼の頭上に光を灯す白い球体が生まれた。


 春の日差しのように優しいその光に照らされた彼の体は、キラキラと輝いている。


 よく見るとその体の周りには薄い透明な膜が張られているのだ。ガムルの指示にあった水の系統を纏えというのはこのことだろう。


 ダンゼルは一度それがちゃんと張られているかを確認してから、歪んだ扉に向けて引き金を引いた。 バウン、という大口径ならではの獣のような銃声と共にその扉は吹き飛んだ。


 少し間をおいてから、ダンゼルはそこに一気に駆け込んだ。


「なんだよ、これ・・・・・・」


 その頭上で輝く球体、それに照らされた室内はダンゼルはこれまでに見たことのない奇妙なものだった。


 室内をうねりながら動き、片っ端から家具を燃やしていくそれは、


 光を発さない『漆黒の炎』だった。



「うっ」


 得体の知れない炎に怯んでいたダンゼルの耳に微かな呻き声が聞こえた。


 声は目の前にあるカウンターの奥からのようだ。


 ダンゼルはすくみあがる自分の体に鞭を打ち、奥に急いだ。


 また傾いている扉を吹き飛ばし、ダンゼルはカウンターの奥にある部屋に踏み込んだ。


 入ってから目標を見つけるのにそれほど時間はかからなかった。


 真っ黒な部屋の中、入り口のすぐ横の床に、一人の女性が倒れ込んでいたのだ。


「レイナさん!!」


 すぐに彼女を抱え上げると、うっと唸ってからレイナはうっすらと目を開けた。


「あなたは・・・・・・」

 蚊が鳴いたようなか細い声にダンゼルは頷いてみせた。


「しゃべらなくていいよ。ガムルさんから頼まれたんだ。

 とりあえずここから出よう。」


 ダンゼルはレイナを背に担ぎあげようと彼女の体の下に腕を入れてから、あることに気づいた。


(なんで、この娘は燃えていないんだろ?)


 彼女が倒れている床にはもちろんのこと黒炎が燃え移っている。現に今も床に張っている板をかなりの速度で塵すら残さず燃やし尽くしている。


 にも関わらず、彼女の体はどうだろうか。

 全く焦げ目一つついなかった。


 首を傾げながらもそのまま持ち上げると、チラリと捲れたシャツの間から横腹が見えた。


 視線を逸らそう、そう思ったダンゼルの視界にほんの一瞬、またおかしなものが目に入った。


 再び気を失った彼女のシャツを捲ると、なぜかその腹部に殴られたような真新しい腫れがあったのだ。


(なんでこんなものが・・・・・・)


 通常では有り得ない事象の連続にダンゼルは思考を巡らせるが、


「それより、早く出ないと。」


 無理やりそれを中断し、意識を失ったままのレイナを背中に担ぎながらダンゼルは一目散に階段へと走り出した。




 僅かな光を打ち消した闇はゆっくりと一歩を踏み出した。


 先ほどまでガムルが立っていた場所では黒い炎がパチパチと乾いた音を奏でているだけでもう跡形もない。


 無音で進む黒い影。


 だが、ふとそこへ向けられていた足が止まった。


 フードの奥に隠れた視線がガムルがいた地点からゆっくりと上へ向けられていく。


 そして目的のものを捉えた。



 宙に浮かぶ巨漢の男を。


「ふぅ」


 ガムルは地面から三メートル上の空中にぶら下がっていた。


 黒炎が燃え移る寸前に、とっさに壁を蹴り、そこまで跳んでいたのだ。


 宙に浮かんでいるように見えるが、それはその伸ばされた左腕があるものを掴んでいた。


 そのたくましい左腕が掴んでいたもの、それは鉄パイプだった。


 彼の右手にはもう一本ある。

 つまり、それは一番最初に黒い影に投げつけたものだった。


 投げた場所が坂であったのと、避ける時に軌道をずらされた。その負の要因が正へと転換した瞬間だった。


 ガムルはその幸運を噛み締める暇もなく、そのまま右手に握るもう一本を力一杯壁に打ちつけた。


 冥力で強化されたそれは、若干の抵抗を受けながらも根元深くまで壁に差し込まれる。


 ガムルはそのまま両手でぶら下がった状態になると、一気に自分の体を持ち上げた。

 ピシリと壁に亀裂が入るがガムルは気にせず、体をその上まで持ち上げ、立ち上がった。


「全く。危なかったぞ、本当に。」


 ふぅ、と大きく息を吐いてからガムルを見上げ続ける影を見下ろした、挑発的な笑みを浮かべながら。


「黒い炎、やっぱりそれ、『黒天(こくてん)』か。」

「・・・・・・」


「どうしたんだ? 黙り込んで。

 ほら、早く攻撃しろよ。今ならがら空きだぞ?」


 明らかな挑発をガムルはしてみせるが、影は動かない。いや、動けないといった様子だった。


 それにガムルは予想通りだと言わんばかりにニヤリと笑ってみせた。


「そうだよな。それしか持っていないと、ここまで攻撃出来ないよな。」


 ガムルのこの言葉に黒い影は初めてその体を微かに揺らした。

 フッと鼻で笑いながらガムルは手をポケットに突っ込む。


「まあいい。一つ訊かせてもらおうか。」

「・・・・・・」


 無言を貫くそれに、ガムルは平坦な声をぶつけた。


「お前、どこまで知っている?」


「・・・・・・」


 やはり無言。だが、そんなことなどお構いなしにガムルは続ける。


「あの店にはかなりの数の『破天石』があった。なのにその中からお前はその一つだけを盗んだ。わざわざ店まで燃やしたのに、だ。」

「・・・・・・」

「痕跡まで消しているんだ。それを盗むのが目的だったのは明白だ。

 答えろよ。どこまで知っているんだ?

 『六天』か、『使徒』か、それとも『この国の裏』まで知っているのか?」


 その三つの名詞に影の肩が微かに揺れたのをガムルは見逃さなかった。


「知っているんだな。ならもう一つ質問しようか。」

 その反応にガムルはフッと満足気に笑いながらポケットから拳を出した。


「誰からそれを聞いた?」

「・・・・・・」

「この事はこの国じゃあ俺を含め、数える程しかいないはずだ。誰から聞いたんだ?」

「・・・・・・」

「おいおい。」


 まだ黙り込む黒い影に今まで平然としていたガムルは肩をすくめてみせ、


「もういい加減だんまりは止めにしよう、ぜ!!」


 その拳を壁に叩きつけた。


 ガムルの後ろにある壁は、強度、耐震、耐熱性を強化した最新の特殊な石材で造られたものだ。

 だが、冥力を纏ったガムルの拳は一瞬で壁に蜘蛛の巣なヒビを生み出し、瓦礫の雪崩を引き起こした。


 その流れの下にあるのは、黒い影。


 それをみた影はすぐに手元の紅い珠を輝かせ、先ほどは暗闇のせいで見えなかった赤黒い術式を男の頭上に展開した。


 その中心からは黒炎が吐き出され、降ってくる瓦礫を押し返した。


「へぇ。機械剣なしでそこまで操れるのか。」


 その異常なまでの熱量に一瞬で溶かされた瓦礫が、影の周りで凄まじい蒸気を噴き出していた。


「嘗て世界を破滅に導いた人間。それを駆逐するために産み落とされた漆黒の炎、『黒天』

 確かに聞いていた通りの威力だな。」

「・・・・・・」

 その光景に嘆息しながら、ガムルは壁を叩いた左手を服で拭った。


「なぜ知っている? と訊きたそうだな。だけどお前は答えを知っているはずだ。

 『俺』という答えをな。」


 ガムルの意味深な言葉に黒い影は視線を落とし、紅い珠を輝かせた。


 同時に赤黒い術式が突き出したその右手に展開。今度こそはっきりと見える漆黒の炎をガムルに向けて撃ち出した。


 打ち出された炎弾はそのまま一直線に進んでいく。


「届かねえよ。」


 だがそれは、ガムルを避けるように放物線を描きながらガムルの下の壁に当たった。

 黒い影はもう一度炎弾を放とうと術式を構築するが、撃ち出される前にそれは霧散した。


 その現象が理解できないのか黒い影は尚も構築を続ける。


 そんな黒い影がかなり動揺しているのがガムルには手に取るように分かった。


 何度か同じことを繰り返した後、苛立ちの込もった視線を向けてくる黒い影にガムルはやれやれと首を横に振った。


「無駄だ。黒炎は地上に巣くう罪深き人間を焼き尽くす、断罪の炎。

 地上を焼くための炎が空中を進める訳がないだろ。」

「・・・・・・ちっ」

「おっ、やっと声を発したな。そうだ、ついでにいいこと、いや、お前には悪いことを教えてやるよ。」

「・・・・・・」


 先ほどと同じように黙り込むが、その意味合いが変わってきていることにガムルは気づいていた。

 先ほどまでは情報を漏らすまいという警戒、そして今は、ガムルという破格の存在に対する警戒だった。


 主導権はガムルの手に渡ろうとしていた。


「破天石の店の女、生きてるぞ。」

「っ!?」


 意外な発言に黒い影はバッとガムルの方に視線を戻した。

 その反動で揺れるフードの間から覗いた瞳は明らかに動揺で揺れていた。


「黒炎は断罪の炎だ。つまり、『必要のない死』を生み出した者だけを燃やせる裁きの炎。

 アイツが死ぬわけがないだろ?」

「・・・・・・」


「悪いけど、逃がすつもりはないぞ。それに、息が荒れているな?」

 首を動かし、辺りを探ろうとする影をガムルは声で制した。


「そりゃあそうだよな。

 機器による補助無しの生身での術式の構築。しかも『六天』をだ。

 お前じゃ、容量不足なんだよ。」


 相手をあざ笑うような笑みを浮かべ、ガムルは二本のパイプの上でしゃがみこんだ。

 ゆっくりと動かされた手がパイプの一本を掴む。


「もう終わりにしようか。そろそろ兵士達が来るだろうからな。」


 ガムルはニヤリと口の端を吊り上げながら、曲げた足で壁を蹴り、砲弾のように飛び出した。



 が、


「ちっ」


 なぜか影に届く直前で鉄パイプを地面に突き刺し、その反動で反対側まで大きく跳躍。


 着地したガムルはそのままドサッと片膝をついた。


 その剥き出しの腕や顔、さらには破れた服の下で皮膚が焼けただれ、血が流れている。


「くそっ!!」


 視線を上げたガムルは拳を地面に叩きつけた。


 先ほどまで影がいた場所には、人一人が通れる縦穴が生まれていた。

 その穴の周りは赤く腫れ上がり、時たまパチパチと弾け、溶けた石材が熔岩となって飛び散っている。


 最後に展開した術式、それは影の足下に向けられたものだったのだ。


 超高温の黒炎を当てられた地面は容易く溶け出し、自らの重さに耐えきれず穴が開く。


 影はそこから脱出したのだ、恐らく傷を負いながら。

「油断した・・・・・・くそが。」


 もう一度、ガンと地面を殴りつけ、ガムルは唇を噛み締めた。


 だらだらと話さずに捕まえていれば、と。


 麗那のことが気になったガムルは立ち上がり、崩れた岩壁に向けて歩き出した。




 肩を落とし、歩みを続けていたガムルは知らず知らずのうちに『夢の石』があった場所に戻っていた。

 そこは全てが完璧に燃え去り、その塵だけがうず高く積もっている。


 その場に警備兵も駆けつけたらしく、立ち入り禁止の札が下げられた黒と黄色の綱が野次馬の侵入を防いでいた。


「ガムルさん!!」


 野次馬に混じり、ぼーっとそれを見ていたガムルはその声にハッと振り返った。


「ダンゼル・・・・・・」

「その様子だと逃がしたみたいだね。」


 薄い肌色のコートの裾を叩きながらダンゼルが歩み寄る。


「あの娘、別状はないって。かなり煙を吸っているけど問題はないらしいよ。」

「そうか・・・・・・」


 その報告に安心する一方、ガムルは唇を噛み締めた。


 麗那を店を一目見ただけで分かる。彼女がどれだけこの店を大切にしていたか。そして店の事を聞き、どれだけ悲嘆にくれるかを。


 それを思うと、ガムルの中でまた悔しさが込みあがってきた。

 それは犯人を逃がしたというだけではなく、間接的にではあれ、ガムルにもその責任があるからだ。


「一応検査入院をするらしいよ。

 面会は明日の昼からだってさ。」

「そうか。」


 声からして明らかに落ち込んでいると分かるガムルを、なんとか励まそうと考えていたダンゼルは、あっと呟いた。


「そういえば、野次馬の人たちから一つ、興味深い話を聞いたよ。」

「興味深い話?」

 眉根をひそめるガムルにダンゼルは頷いてみせた。


「最近、この街では放火が多いんだってさ。」

「だけどそれとこれとは関係な・・・・・・」

「いや、それなりにあるし、なにより『僕達』に関係大ありだよ。」


 『僕達』、つまり『銀翼旅団』にとって、という言葉にガムルは眉を寄せた。


「野次馬の人たちから聞いたら、最近、放火が相次いでいて、その周辺であの黒いコートの男を見たんだってさ。」

「どこでだ!?」


 目をカッと見開くガムルに若干たじろぎながら、ダンゼルはすぐ横のベンチに地図をひろげた。

 それはこの街の地図らしく、中心にある高層建築物の建ち並ぶ都市部、その周りにある商業区、さらにその周りにある居住区、この三つの円に分かれている。


 その中でダンゼルの指が指したのは商業区だった。


「実はこの放火は予告されてから行われたものらしいんだ。」

「予告?」

「そう。予告状が出されてから行われているんだって。」

 ハッ、と軽く鼻で笑いながらガムルはダンゼルの指した場所を追った。

 放火のあった商店は商業区内で円を描いているように散らばっている。


「それは放火にあった店に・・・・・・じゃないな。『僕達』と言うからには俺達に関係のある・・・・・・おい、まさか・・・・・・」


 ぶつぶつと自問自答を続けるうちに、ガムルはある一点に目が止まった。

 それにニヤリと笑いながらダンゼルは地図のある一点、ガムルが見ていたある一点を指差した。


「その通り。ヒューズさんが経営するヒューズ・クリプトン本社だよ。」





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