商業都市(前篇)
何かを失うことで手に入るものもある。
俺はそれを見つけたんだ。
「リタニアさん。調子はどう?」
焚き火を挟んで向かいに座るリタニアにダンゼルは不安そうな視線を向けた。
「大丈夫よ。流石に3日も経てばね。」
当の本人はそれとは対称的に元気そうな笑みで頷き返した。
それにつられ、ダンゼルもまた笑顔を浮かべる。
「そう。それは良かった。」
あの異常種の襲撃から三日、一行は目的地、商業都市『フィリーズ』のすぐ北、『タスピカの森』の南にある『バナー丘陵』にいた。
ここはなだらかな丘の続く地で、近くに大きめの川がいくつもあるため、あまり不自由を感じない場所だ。
今、彼らがいるのは『バナー丘陵』に南北に流れる三つの川のうち東側の河原だった。
「僕はもう寝るよ。」
「私もそろそろ失礼しますね。」
「うん。おやすみ。」
頷くリタニアの前で、ダンゼルに続いて立ち上がったフィロは、チラリとリタニア、ではなくその背後を見た。
傍らに流れる大きめの川。
そのほとりに辺りが暗くなってきても分かる大きな背中があった。
「大丈夫。私がなんとかするから。」
その視線の意味を察したリタニアは、もう一度にっこりと笑ってみせてから歩き出した。
「フィロちゃん。リタニアさんに任せようよ。」
「・・・・・・はい。」
歩き出すダンゼルを追ってフィロも足を踏み出すが、ピタリとその足を止めた。
ゆっくりとなにか名残惜しそうにもう一度振り返る。
その先では丁度、リタニアがその大きな背中の横に座るところだった。
親しげに話す二人にフィロは小さく首を傾げてから早足でビークルへと向かった。
「なぁに落ち込んでるのよ?」
後ろからかかった声にガムルは何も言わなかった。いや言えなかった。
何を話せばいいのか、皆目見当がつかなかった。
「よっと。」
答えないガムルにしびれを切らしたのか、リタニアはガムルのすぐ横に腰をおろした。
「・・・・・・大丈夫なのか?」
散々悩んだ挙げ句、なんとか紡いだ言葉はなんともお粗末なものだった。
「平気、平気。あの程度でやられたりするようなヤワな鍛え方はしてないわよ。」
それでもリタニアは笑って答えたそれに答えた。
「そうか。」
その気遣いに感謝しながら首肯した。
しかし、また沈黙。
黙り込んだガムルはチラリと彼女の脇腹を見た。
もう熱や腫れは引き、完治したと聞いていたが、ガムルが心配することには変わりない。
これは自分のせいなのだから、と。
「もしかして私が怪我したのを自分のせいだとか思ってるの?」
核心をつく問いかけにガムルはピクリと肩を震わせた。
その反応に、やっぱりか、とため息をついてからリタニアは肩を落とした。
がっかりだ、と言いたげな表情だ。
「ガムル、一つ言わせてもらっていい?」
顔を横に向けると、彼女が真剣な表情で見てきていることに気づき、ガムルは少し驚いた。
「・・・・・・なんだ?」
慰めの言葉かと少し肩の力を抜くが、
「自惚れるんじゃないわよ。」
返ってきたのは予想の遥か斜め上をいく叱責だった。
「・・・・・・は?」
ガムルは予想外の叱責に驚きを隠せなかった。
自惚れるな、などと言われることをした覚えはない。
「あなたは私が倒れたのが自分のせいだと言う。
どうしてそう思うわけ?」
「それは・・・・・・俺が弱いからだろ?
もし俺が戦えたら、お前は倒れる必要なんてなかった。」
ガムルは思う通りのことを話した。
「それが自惚れなのよ。」
だが、返ってきたのは同じ否の声。
「・・・・・・どういう意味だ?」
またのダメ出しにガムルは何がなんだか分からなくなってきていた。
「そのままよ。階梯持ちですらないあなたが、第九階梯である私の怪我を自分の弱さのせいだという。
これほどの自惚れはないわ。」
「何を、」
高圧的なリタニアの口調に反論しようと口を開くが、すぐに閉じた。
彼女の目には、どこか哀れみの色が混じっているように見えた。
「分かる? あなたは今いる、私達五人の中で間違いなく一番弱いわ。
それこそ騎士と平民なみの差がある。」
その言葉にガムルは言葉を詰まらせるしかなかった。
今、一番聞きたくなかった言葉だ。
自分は弱い。その現実を突きつけるなんの装飾もない言葉。
「騎士達は何の力もない平民を守るわ。それこそ命がけで。
平民からしたら助けてもらうことに負い目を感じるかもしれない。
だけど、騎士の強さはその弱い平民を守った上で評価されることなのよ。」
なんとなくリタニアの言いたいことがガムルにも分かってきた。
「その守る対象にそんなことを思われたら、私達は自分の力を否定され、存在意義を無くしてしまう。」
彼女達はまだ国民を守る騎士なのだ。
弱い者を危険から守る。
それが彼らの使命であり誇り。
そこに平民から、ガムルのような気持ちをもたれるということは、彼女達に力がないということを暗に示し、さらにはその誇りを汚すことを意味する。
だからこそ彼女は怒ったのだ。
だが、
「それでも俺が、お前らを、仲間を守りたい。
そう思うのはいけないことなのか?」
震えるガムルの言葉にリタニアは無言で首を振った。
「そうじゃないわ。
ただあなたはまだ弱い、一人で飛べない『ひな』よ。」
ガムルは口の中に血の味が広がるのを感じた。どうやら唇を噛みすぎたようだ。
「だからまだ今は私達があなたを助けてあげる。」
だが、止めない。
唇を喰い千切らんばかりに噛み締める。
「いつかは飛べるように、ね。」
ガムルは水面に目を落とし、小さく頷いた。リタニアに気付かれないように唇を噛み締めたまま。
分かっていた。そう、ガムルは分かっていた。
「そうだな。そうだったな。」
ガムルは悔しかった。
本当なら、昔の彼ならそのようなことは言われない。言われるわけがない。
だがガムル自身が一番現状をよく理解していた。
今、自分は『弱い』のだと。
これまでに何度も感じた敗北感、劣等感が彼の中を掻き乱す。
特に今回加わったものは一際大きかった。
「じゃ、私はもう寝るわ。」
「・・・・・・ああ。」
叫びたい衝動を抑え込み、それが表に出ないようになんとか平然を装う。
暗闇であったのも幸いしたのか、予想通りリタニアは気付かなかったようで、何も言わず立ち上がった。
そこに吹く風が彼女の金髪を靡かせる。
女性特有の香りを漂わせてからリタニアはガムルの視界から外れた。
彼女の靴が小石を踏みつける音が徐々に遠のいていく。
リタニアがビークルの中へ消えていくのを背中で感じながら、ガムルはまた視線を水面に落とした。
後から後からとめどなく流れ続ける川。
その煌めく水面には、歪んだ満月が浮かんでいた。
「荷物はもういいよね? 行くよ。」
その翌朝、ダンゼルの軽快な声と共に一行を乗せるビークルは走り出した。
いつものように風景が矢のごとくすぎていく窓の横にガムルは座っていた。
鼻歌混じりに運転をするダンゼルとは対称的に、その表情は複雑だった。
昨日のリタニアの言葉もあるが、最大の原因は目の前にいる男。
「どうかしたか?」
「いや・・・・・・なんでもない。」
ガムルは向けられた視線に耐えきれず顔を俯けた。
そう、珍しくビークルに龍牙が乗っていたのだ。
この辺りは治安がよく、盗賊も出ないため、めったに騎士団も通らない。
治安がいいことはよいことだ。だがこの時ばかりはガムルはそれを恨まずにはいられなかった。
(気まずい・・・・・・)
発車してからまだ数分だが、ガムルの全身がすでにこの沈黙に耐えられなくなってきていた。
「そうだ。ガムルさん。」
「なんだ?」
ダンゼルの鶴の一声にガムルはその空気から逃げるように運転席へ向かった。
「どうした?」
内心で礼を言いながらガムルは運転席の背もたれに手をつく。
「フィリーズでガムルさんの『機械剣』を造ろうと思ってさ。注文はある?」
「そうだな・・・・・・」
「私、外しますね。」
「おっ、ありがとな。」
助手席から立ち上がるフィロを通してから開いた席に腰掛けた。
「で、まず埋め込む『破天石』だけど、何がいい?」
傍らに置いてあるパソコンを見もせずに操りながら運転を続けている。
そのダンゼルの器用さに目を奪われながら、ガムルは顎に手を当てた。
「そうだな。メインは『地』系統でその他ははっきり言って何でもいいかな。
ただ、こいつを嵌めてくれないか?」
ガムルはポケットから取り出した黒い石をダンゼルに差し出した。
ダンゼルはそれにチラリと目を向けてから、パソコンを操っていた右手でそれを受け取った。
左手でハンドルを握り締めたままダンゼルはその石を光にかざす。
表面は磨かれており、宝石のように滑らか。だが、その石は宝石とは決定的に違う部分があった。
「珍しいね。真っ黒な輝かない『破天石』って。」
「ああ。うちの家に代々伝わるものだ。潰れちまったから拝借してきたんだよ。」
潰れた、というところでダンゼルはチラリとガムルを見やるが追求はしなかった。
「へぇ。じゃあ系統は? 分かる?」
その石をパソコンの横にある機器に差し込む。
「ああ。一応、『召還』術式だ。」
「へぇ。本当に珍しいや。」
ダンゼルが運転しながらチラチラと目を向ける画面には、様々な数値や曲線、表が表示されている。
相変わらずそれが示す意味をガムルが分かりかねていると、ダンゼルは機器からあの石を取り外し、その横に置いてあった容器に丁寧に入れた。
「じゃあ、次は形状とギミックかな? どうする?」
ダンゼルが容器のふたを閉めたところで床が縦に揺れた。
ビークルがまた一つ丘を越えたのだ。
下り坂になったそこからは、かなり遠くまで見渡せるようになっていた。
「そうだな・・・・・・」
下り始めるビークルの先、そこにはこれまでとは全く違う、異質なものが横たわっていた。
高くそびえる防護壁。何十メートルもあるだろう。
だがそれでもその全体を隠しきれないものがあった。
それは天まで伸びる、建物の群れ。
そしてそれを内包する、視界一面に広がる巨大な都市がそこにあった。
だが二人はそれを気にもかけず、その話を続ける。
彼らの会話が途切れたのは、それからしばらくして、その街へ到着してからだった。
「ほぉ。」
ダンゼルとの会話が一段落したところでガムルは窓から外を見た。
「やっぱりこの街はデカいな。というより、またデカくなってないか?」
そう言いながら見上げた建物はその頂上が正午に近い太陽と重なっている。
「ほんとうにね。まあ、技術力を誇示したいだけだろうけど。」
小川にかかる橋を渡り、ビークルは街の中へと続く門のところまで来ていた。
「衛兵がいるけど、大丈夫なのか?」
ガムルの視線の先にあるのは街の中へ入れる唯一の門。
その両脇にはガムルの言う通り、衛兵が二人ずつ並んでいる。
通る車両を一台一台呼び止め通行証の提示を求めているようだ。
「大丈夫だよ。パスもあるしね。」
そう言いながらガムルに差し出したダンゼルの手には身分証明書が握られていた。もちろん偽造だ。
相変わらずの用意周到さにガムルはもう驚かなかった。
街に入る門のところで待っていると、順番が回ってきたのか、衛兵が軽く窓をコンコンと二度叩いた。
それにダンゼルはゆっくりと窓を開け、衛兵に偽造した身分証明書を提示。
衛兵はそれを左から右へと目を動かしてから、もう一人の方へ合図を送った。
「お通り
証明書を返してから一礼。衛兵は次の車両へと向かっていく。
ダンゼルは受け取ったそれを様々なカードの入ったケースに戻し、前方に横たわっていた棒が上に上がのを待ってからゆっくりと発進した。
『商業都市 フィリーズ』
数ある大陸中に散らばる商業を売りにする都市の中で随一の実績を上げている都市である。
海に面しているため、長距離の海運業も盛んで、ロザンツ帝国の港町としての側面も持つ。
貿易は儲かる。自国で作るものより格段に安い値段で商品を仕入れられ、さらに通常よりも割増に値段をつけても普通よりも安くなるのだ。
つまり船成金と呼ばれる富裕層が生まれる。
さて、その成金達がその儲けた金で何をするのか。
それは、自らの権力の誇示。すなわち、建造物だ。
他よりも巨大な、あるいは奇抜なものを作ることに稼いだ金を使う。これによって今度は建造業の技術が向上。
さらに、それに続くようにして他の分野でも技術が進み、数年前、エネルギー革命が起こった。
それによって産まれたのが『自動二輪』や『自動車』といった、これまでの馬とは違い、疲れることの知らない『重灯石』による輸送方法だ。
これは瞬く間に国内に広がり、富裕層から絶大な人気を得ている。
値段のため市民にはまだ手は出せないが、後数年もすれば全国民に普及することだろう。そこで技術開発局では・・・・・・
「だとさ。」
助手席の脇にあった『猿でも分かる街の裏情報』という見出しのガイドブックを捲るのを止め、それを放り投げた。
さぞかし面白い情報が分かりやすく載っているのだろう、とガムルは期待していたが、どうやら普通のガイドブックに私的な意見が入っただけのようだ。
「ここまで言うならなんでビークルとかを他の国に売らないんだろうな?」
「必要ないんだってさ。」
綺麗に整備された市街地の間をなめらかに曲がりながらダンゼルはチラリとガムルを見た。
「必要ないって言うのは?」
「そのまんまだよ。ラグレイト帝国はもう自国で開発しているから、秦国は単純に必要ないからだってさ。」
「へぇ」
技術者の泣きそうな顔が目に浮かび、ガムルは小さく笑った。
彼らは今、フィリーズの市街地を走っていた。
市街地は標高のある建物の群れを囲むようにある。
最近開発されたゴムなどを加えた特殊材質による舗装などもあって綺麗に区画整理されている。
明るい印象を受ける街だ。
建物自体もそれぞれデザインや色などが違っているが、上手く調和が取れている。
何台か対向車とすれ違ってから、ダンゼルは右にハンドルをきった。
「で、最近売り出そうとしているのが、アレだよ。」
「ん?」
ガムルは一旦交差点で停止したビークルの窓から顔を出し、ダンゼルの指さす方を見た。
街の中心部にいくつもある高い建物のうち、一つだけ飛び抜けているものがある。
ダンゼルが指したのはその頂上付近にくっついているの奇妙なもの。
「なんだ、あれ?」
「『飛空挺』って言うんだって。
燃料は『重灯石』
速度は船で一週間かかるところを二日で行けるらしいよ。」
「マジかよ。」
ガムルは動き出したビークルからまた顔を出し、それを見上げた。
逆光であまり形状はよく見えないが、かなりの大きさがあるのが分かる。
「積荷の量は船には劣るけど、速さを重視して連絡船みたいな形で売り出すみたい。」
「へぇ。よく知ってるな、そんなこと。」
頭を中に引っ込めながら感心したように呟く。
「仕事柄、そういうのに敏感なだけだよ。」
そんなガムルにダンゼルは照れたように応え、もう一度ハンドルを右にきった。
「はい。みんな、着いたよ。」
少し声を張り上げながらダンゼルは荷物の整理にかかった。
荷物の少ないガムルは手持ち無沙汰になり、何気なく窓の外に目を移した。
綺麗に整備された道路。
その横に周りよりも一際縦にも横にも大きな建物があった。
『ホテル ウァルファーレ』
ガムルはふと先ほどのガイドブックに書いてあったことを思い出していた。
『ホテル ウァンファーレ』
貴族の屋敷を彷彿させる豪奢な造りに豪華な食事を売りにするホテル・・・・・・というのは表の顔。
その実、反逆者などに隠れ家などとして使われたりしている。そのため騎士団も度々潜入しているらしい。・・・・・・
またガイドブックを放り投げ、背もたれにもたれかかった。
「ここ、あまりよくないんじゃないのか?」
ぼやくガムル。
「ガムルさん?」
だがその後ろからかかる抑揚のない声、それにガムルの背筋は自然と伸びていた。
「ガムルさん?」
もう一度かけられる声。
「は、はい。」
ガムルは恐る恐る顔を後ろ向け、後悔した。
「みんな待ってますよ?」
そこにいたのは、恐怖を感じさせる笑顔を貼り付けた鬼。
「は、はい。すいません。」
ガムルの額から冷や汗が滝のように流れる。
(目が、目が笑っていない。)
「行きましょうか。」
疑問系にすらなっていない有無を言わせぬ言葉。
もう何もかもが手遅れだ、そうガムルは直感した。
「はいぃ。」
この後一時間、ガムルは説教と正座から解放してもらえることはなかった。
「いてて。」
「大変だね。」
まだ痺れる足を引きずるようにして歩くガムルにダンゼルは苦笑した。
「他人事みたいに言いやがって。」
「だって他人事だから、ね。」
ニヤニヤ笑うリタニアにガムルは何か言おうと口を開くが、言葉が見つからずそのまま閉口した。
「ま、あなたの服を買いに行くんだからいいじゃない。機嫌直しなさいよ。」
「・・・・・・ああ。」
先ほどから周りからの視線が痛い。
不満そうな顔のままガムルは自分の体を見回した。
フォーメルに裂かれた胸元、さらにサンドワームによって肩から先や脇腹を破かれ、筋骨隆々の二の腕や腹筋が露わになっている。
露出狂のように見られているんだろうな、とガムルは心の中で嘆息した。
「確かに、早く新しい服が欲しい。」
「でしょ? ならさっさと行くわよ。」
呆れる二人に構わずリタニアは人がひしめき合う商店街に入っていく。
「はぁ、行くか。」
「うん。」
それをどこか遠い目で見ていたガムル達もまたゆっくりと歩き出した。
両脇の建物の間に丸い屋根が端から端までかけられた商店街では、ガムルが外から見たよりも多くの人でごった返していた。
衣服類から始まり、果ては護身用の武具まで、幅広い店が所狭しと軒並みを連ねている。
ゆっくりと進むの人の波。だが、その中をスイスイと進むものが一人いた。
「ガムル~!! これいいんじゃない?」
「あっ、これもいい!!」
「かわいい~ フィロに買って帰ろ!!」
「おじさん。この手袋いくら?」
止まることを知らないリタニアの口と手と財布、それに比例してガムルの腕に重なる荷物も増えていく。
ついにはダンゼルの腕にも荷物が出現していた。
「リ、リタニア。そろそろ帰らないか?」
「あっ、これかわいい!!
おばさん、これちょうだい!!」
「はいよ。千リラだよ。」
ガムルを完全に無視したリタニアが選んだのはマフラー。
それをその店の白髪のおばさんが素早く包装していく。
「はい。」
「毎度あり。ほれ、かわいい娘にはサービスだよ。」
リタニアが渡した代金の代わりにおばさんは商品と後もう一つ、手渡した。
「わっ、ありがとう。」
サービスでもらった耳当てを品物と共に満面の笑みで受け取り、手を振りながらガムル達に近づいた。
「かわいい娘だって。かわいいからサービスだって。」
「分かった。分かったからもう帰ろうぜ。」
耳当てを手に近づくリタニアの目は眩いほどに輝いている。
お前はガキか!? と突っ込みたかったが自粛した。
仮にも服を買ってもらっている立場なのだ。多少のことも流さなければ、というガムルの大人な対応。
それに対し、リタニアはハイテンションはそのまま、マフラーと耳当ての入った袋をガムルの荷物の一番上に乗せ走り出した。
「なあ、ダンゼル。」
「なに?」
また何か見つけたのか新たな店へ突入するリタニア。
それを目で追いながらガムルは溜め息混じりに呟いた。
「俺の中のリタニアのイメージが崩れていく。」
「ハハ、実は僕もそれの体験者。」
力無く笑いあう二人。
「二人とも!! 次、次行くわよ!!」
そこにまた集合の声がかかった。
それに呆然とした後、二人は自然と顔を見合わせていた。
「ガムルさん、今回は僕も呟きたい・・・・・・」
「ああ・・・・・・」
「マジかよ・・・・・・」
「マジかよ・・・・・・」
始めてガムルとダンゼルの息が合った瞬間だった。
「つ、疲れたー」
「もう無理、動けないよ。」
それからさらに数時間後、新しい服に身を包んだガムルとダンゼルは、揃ってソファの上でぐったりしていた。
あの後、休む暇もなくリタニアに連れ回されていた二人の体力はもう限界だった。
だらりとソファにもたれかかったまま、ガムルは逆さに今いる部屋を見回した。
そこは彼らに割り当てられた部屋。だが普通の部屋ではない。
そこは貴族の最上級階級が使う、スイートルームと呼ばれる部屋だった。
広さは通常の二人用の部屋のおおよそ八倍。最上階の三分の一を占める広さだ。
一泊でどれほどの金額に及ぶのかガムルには皆目見当がつかなかい。
実際、この部屋は膨大な会費を必要とする会員にならないと借りられないものだ。
そんなものがガムルに予想出来るわけがなかった。
頭に血が上ってきたのを感じたガムルは、それを持ち上げた。
疲労感漂う二人、だがその正面で別の二人が騒いでいた。
「フィロ、似合うじゃない!!」
「そ、そうですか?」
「でね、でね、これをこうやったらもっと、やだー、かわいい!!」
「リタニアさん、苦しいです。」
先ほどから延々と繰り返されるこの行動。
買ってきた服をフィロに着せてはフィロに抱きつく。
さっきまであれだけ騒いだのにどこからあの活力が出てくるのか。
疲労感の原因をガムルとダンゼルは恨めしげに見ていた。
ガムルは、最初はリタニアに対してクールというイメージを持っていた。だが、今はもうその幻想は欠片も残っていない。
「はぁ。ダンゼル、俺、少し出てくる。」
「・・・・・・うん。僕は寝ることにするよ。」
二人揃ってゆっくり立ち上がると、ダンゼルは寝室、ガムルは玄関へノロノロと歩き出した。
何か言われるかなと思っていたが、ガムルの心配は徒労に終わった。
どうやらリタニアはフィロに夢中で周りが見えていないようだ。
なんとなくゆっくりと玄関のドアを閉め、ガムルは溜め息を一つついた。
「キャー、これもかわいい!!」
「・・・・・・」
ドアを挟んでも聞こえるこの騒ぎようにガムルはただ呆れるしかなかった。
「はあ。」
もう一つ溜め息をついてから、ガムルは階下へ行くため『移動個室』へと向かった。
『昇降機』とは、人を十人ほど乗せたまま上下へ移動する箱のことで、最近になって高層建造物につけられるようになったものだ。
それを利用するため廊下を進み、一度右に折れ、目的地であるそれがいくつも集まる広間に出た。
四つある左右にスライドして開く扉。
ガムルはその扉と扉の間にあるボタンを押した。
そのボタンが黄色く点灯すると同時に駆動音が奏でられる。
扉の上につけられたエレベーターの場所を示すランプを眺めていると、すぐ後ろで、チン、という到着を告げる鐘の音が聞こえた。
ガムルが振り返ると、開き始めた扉の向こうに見知った顔があるのに気づいた。
長く結った銀髪にサングラス。
龍牙だった。
「ん?」
扉が開ききると龍牙も気づいたようで、ガムルに近づいてきた。
「何をしているんだ?」
「いや、街に行こうかと思ってな。」
軽く肩をすくめるガムル。
それに、そうか、と応えながら龍牙はサングラスを外した。
「ならすまないが、それは後にしてもらいたい。」
「何かあるのか?」
警戒するガムルに龍牙は不敵に笑ってみせた。
「後ろ盾が来る。お前の紹介をしておきたい。」
「ああ、なるほどな。分かった。」
その理由にガムルはあっさり頷くと龍牙よりも先に部屋へと歩き出した。
「で、そのスポンサーはいつ来るんだ?」
「もうすぐだ。」
ガムルが先を歩きながら尋ねてみると相変わらずの抑揚のない声が返ってくる。
部屋まで後数メートルとは言え、沈黙は辛い。ガムルはなんとか会話を続けようと続けた。
「ちなみに、誰だ?」
「ふっ。会えば分かる。」
(またあの笑みを浮かべているだろうな。)
ガムルは敢えて後ろを振り返らず、目の前の扉を開け、中に入った。
玄関を進んだ先にあるリビング。その入り口でガムルは立ち止まっていた。
龍牙を待っているわけではない。
まだ継続されているファッションショーに呆れていたのだ。
「もう、フィロはかわいいわね、本当に。」
「リタニアさん、あの、」
恐らくガムル、さらにはその奥にいる龍牙に気づいたのだろう。フィロはさっきよりもさらに顔を赤らめ俯いた。
だがその意図することに気づかず、リタニアは新たなワンピースを手に持ったままその顔を訝しげに覗きこんだ。
「ん? どうかしたの・・・・・・ああ、リューガ、帰ってたの?」
そこで立ち止まるガムルの横をすり抜け、リビングに踏み込んだ龍牙に気づきリタニアが声音を落とした。
もう少しやりたかったのに、といいたげな表情を浮かべるが龍牙は気にもかけない。
「ああ。スポンサーが来るからな。」
ガムルが座っていたソファに座り、取り出したタバコをくわえた。それと同時にその先に火が赤く灯る。
「相変わらず便利ね、リューガの能力は。だけどここは禁煙よ。」
しかし龍牙が一度吸い込んだところでリタニアはそれを取りあげ、握り潰した。
それに少し眉間にしわを寄せながら龍牙は渋々それをしまった。
「それより、どう?」
「どう? というのは?」
「フィロよ、フィロ。かわいいでしょ?」
そう言われた龍牙の目を見て、ガムルは即座に分かることがあった。
(こいつ、今気づいたな。)
ガムルも服に関しては詳しくはない。
今のガムルのランニングにベスト、カーゴパンツという服装もリタニアに選んでもらったものだ。
だが、そんなガムルでも分かる。
龍牙はそんな感性を微塵も持ち合わせていないことが。
「ああ、そうだな。」
曖昧な龍牙の反応。
それにリタニアは呆れ、フィロは若干目を赤くし、ガムルは、
「プフッ」
口に腕を当て笑いを必死にこらえていた。
「ククク」
「何を笑っている。」
龍牙が若干苛立たしげな声を上げるが、ガムルは肩を揺らし続けた。
いつもと違い、八つ当たりのように視線を向けてくる龍牙。その意外な子どもっぽさにガムルは笑いが止まらなかった。
「騒がしいなー」
混沌と化しつつあるその部屋に、欠伸混じりにダンゼルが入ってきた。
いつもと様子が違うことに若干戸惑いながらも、ダンゼルは近くで笑うガムルに近づいた。
「ガムルさん、どうかした?」
「・・・・・・いや、別に。ププ」
若干引き気味にダンゼルが尋ねてくるが、ガムルは笑いのせいでそうとしか応えられなかった。
「教えてくれてもいいじゃん。」
不満げなダンゼルはガムルを問い詰めようと詰め寄るが、
リンゴーン
それを遮るように鐘の音が鳴り響いた。
それにダンゼルは部屋を見回すが、客が来たというのに、目の前のガムルを含め誰一人として動こうとはしない。
それに仕方なく足を止めると、ダンゼルはそれを玄関へと向けた。
その背中を見ながら、ガムルはやっと収まった笑いがぶり返さないよう、深呼吸を一つした。
未だに騒ぎ続ける三人の横をすり抜け、玄関とは反対にある窓に向かう。
ベランダへと続く一面ガラス張りの壁。
ガムルはそこに近づくにつれ、表情が険しくなっていく。
辺りが暗くなっているせいだろう、ガラスには鏡のようにガムルの全身が映しだされていた。
チッと小さく舌打ちをしながらも、外から見られないようガムルはカーテンを引いた、
「ん?」
だが、後数センチで締まりきるというところでガムルはふと手を止めた。
(誰かが、見てる?)
誰かの視線が体に突き刺さるのを感じる。
ガムルはカーテンが引っかかっているような仕草をしながら、辺りの気配を探り始めた。
近くから徐々に距離を伸ばしてゆき、
(あそこか。)
見つけた。
開始から発見までおよそ、二秒。
チラリとガムルが一瞬だけ視界に捉えたのは、正面にある建物だった。
高さはここと変わらない何の変哲もない無機質な建物。
気配はその屋上から感じられた。
距離はそれなりにあるとはいえ、それでも感じ取れる気配は常人では感じ取れないほど微量だ。
フォーメルほどではないにせよ、かなりの技量を持っていることは確かだった。
ガムルは気づいたことに気づかれないよう、無言ですぐさまカーテンを締め切った。
(いったい、誰だ・・・・・・? それに・・・・・・)
少しそこで佇み思考を巡らせたかったが、狙撃される可能性を恐れ、そのまま三人のいるリビングへと戻っていった。
ガムルが締め切った後、その建物の上で蠢く影があった。
「あちゃー、気づかれたか? 結構頑張ったんだけどなー」
隠密行動を失敗したとは思えない、あっけらかんとした声。
「勘がいいのか、それとも実力か。微妙なところだなー」
街の灯りに照らされたその顔はまだ幼さの残る、若い青年だった。
服装は工場の作業服のようなぶかぶかとしたものを着崩している。
「あーあ。叱られるかもな。
どう思うよ?」
「・・・・・・お気づきでしたか?」
その青年が振り返る先、何もない闇からそれは現れた。
闇から新たな闇が産まれるように現れた黒ずくめの男は、頭に乗せたシルクハットを外し優雅に一礼した。
「周りとそこだけ違和感があったからな~」
「そうですか。まさか『四聖人』の方と話せるとは思ってもいませんでした。
今週は色々と勉強になることが多いみたいですね。」
ジャケットの内側から冊子を取り出し書き込む。
その服装と冊子。それはまさしく数日前、ガムルと接触していたフォーメルだった。
「で、諜報機関がなぜここに・・・・・・って決まってるか。」
自嘲ぎみに笑う青年にフォーメルも小さく笑ってみせる。
「そちらにとって不利益となりうることのためです。」
「じゃあ、ここでお前を殺した方がいいか?」
チリッ
肌を突き刺すような研ぎ澄まされた殺気。だがそれを向けられたフォーメルは笑みを崩さない。
「止めておきましょう。お互い、あちらにバレると色々と面倒だと思うので。」
「なんだ? 本気でやったら俺に勝てるとでも言いたげだな?」
「ええ。私の術式なら可能ですよ。」
フォーメルの返答に青年は一瞬キョトンとするが、すぐに大口をあけて笑い出した。
「ハハハッ、気に入った。俺と対等にやれるなんてな、よく言えたもんだ。」
胡座をかく青年はポンと膝を打ち、立ち上がった。
「分かった、今日は退いてやる。
だけど、次は容赦しない。いいか?」
「それなら出来れば会いたくないですね。」
「つれないな。じゃあな」
つなぎの青年は声だけ残し、一瞬にして姿を消した。
「全く、騎士団の方は血の気が多くて困りますね。」
残されたフォーメルは青年が消えたであろう方向を見つめてからホテルに視線を戻した。
「さて、これからどう動くんですか? ロー、いや、ガムル=ランパード」
そしてその姿は闇に消えた。
「やあ、久しぶりだね。リューガくん。」
「久しぶりだな、ヒューズ。」
ダンゼルの後ろからついてきた茶髪の男は笑顔で龍牙と握手を交わした。
「何ヶ月ぶりかな?」
「もう一年ぐらいか。」
龍牙はヒューズに座るよう促し、ヒューズは、失礼、と軽く会釈しながらはソファに腰を下ろした。
それを少し離れた所で見ていたガムルは、その意外な人物に純粋に驚いていた。
ヒューズ=クラーク、二四で設立した会社を僅か十年でこの国でも五指に入るほどの企業に育て上げた凄腕の企業家。
「確か、今、三七ぐらいだよな?」
「うん。この間パーティーやったらしいよ。」
両手に持つグラスのうちの一つをガムルに差し出しながら、ダンゼルは答えた。そういえば、とガムルはあの雑誌の記事を思い出した。
そこにはこのホテルもまたヒューズの会社の傘下だと書かれていたのだ。
「悪い。で、あの超有名な社長がなんでこんな小さな集団に援助するんだ?」
ガムルは受け取ったグラスを口に運んだ。
ゴクリと飲み込むと二酸化炭素を高圧で溶かし込んだ、炭酸ジュース独特の弾ける感覚が広がる。
「なんだか売上の一割を納税しろって言われたらしいよ。」
「あの皇帝にか。」
嫌な話を聞いた、と憎々しげに呟くガムル。
それをダンゼルは横目で見ていたが、不意に疑問を口にした。
「前から気になってたんだけど。ガムルさん、皇帝と面識あるの?」
「いや、ないぞ。」
素っ気ない答え。
訝しげな表情を浮かべるダンゼルから追求されないために、ガムルはまたグラスをぐっと傾けた。
その爽快感を心地よく感じながらも、その口を離した。
「お前はあるのか?」
逆にガムルが問い返すと、ダンゼルは意外そうな顔をした。
「僕? 前の皇帝はあるけど、今のはあまり好きになれなくて会いに行かなかったよ。」
ダンゼルの表情には若干の陰りが見えるが、それを疑問に思うよりも早く、ガムルの口は動いていた。
「・・・・・・何でだ?」
「だって、『皇帝』は基本的に王家の中で議会による投票によって決まるのに、王家ではないアイツが即位するのはおかしいよ。
絶対に何か裏があるんだ。」
ダンゼルのその発言にガムルの肩がピクリと震えた。
ガムルは知っている、いや、見た。今の皇帝が即位したその許されない方法を・・・・・・
「それに最近、王家からの発表が一つもないし。」
王家とは言わば、ロザンツ帝国の『象徴』である。
そのため、重大な事件や決定事項があれば王家の方から発表があるのだ。
しかし、最近では王家からではなく、皇帝、上級貴族によって組織されている『帝国議会』の方から発表されている。
これはこの国では初めてのことだった。
それだけに、ダンゼルだけではなく国民全員が疑問に思っているのだ。
それに加え、私腹を肥やそうとしているのが見え見えの皇帝の政策。
そんな皇帝を支持する者は、貴族以外にいないといっても構わないほどに少ない。
だが、そうは言っても帝政における皇帝の権力は絶対。国民達にはどうしようもなかった。
「本当にな。なんでだと思う?」
ガムルはなぜか知らず知らずの内にこう質問していた。
聞く必要はないのに。
ただ、自分の古傷を触るだけだと言うのに。
「まさか王家が滅ぼされたとか・・・・・・」
ズキッ
だが訊いてしまった、聞いてしまった。
ダンゼルの言葉にガムルは心が悲鳴を上げるのを聞いた。
手が震える。グラスからジュースが零れ落ちそうになるのを何とかもう一方の手で押さえた。
だが、その代わりに足が震え始める。
「・・・・・・悪い。気分が悪くなったから休んでくる。」
「え? だけど挨拶しないと・・・・・・」
「適当に言っておいてくれ。」
焦るダンゼルに背を向け、震える足に鞭を打ち、すぐ後ろにある扉をくぐった。
後ろ手にしっかりとドアを閉めた後、ガムルはまだ震えの治まらない足を引きずるようにゆっくりと自分の部屋へ歩き出した。
「全く、どうするんだよ。」
ダンゼルは恨めしげに扉を見、口を尖らせた。
傍から見れば子供がいじけているようにも見える。
「この場の意味がないじゃないか。」
「ダンゼル、ガムルは?」
歩み寄ってくるリタニアにダンゼルは首を横に振り後ろの扉を親指で指した。
「気分が悪くなったんだってさ。」
「ふーん。ちなみに二人で何の話をしてたの?」
「ヒューズさんや皇帝についてだよ。」
そう答えながらダンゼルは気づいた、リタニアの目が一瞬細ったのに。
「ダンゼル、その会話覚えてる?」
「う、うん。」
リタニアの何時になく真剣な眼差しにダンゼルはぎこちなく頷く。
それを確認しながらリタニアは近くの椅子に腰を下ろし、ダンゼルを促した。
「それ、詳しく教えて。」
「・・・・・・っていう話だよ。」
先ほどガムルと話したそのまま伝える終わると、リタニアは顎に手を当て黙り込んだ。
「なるほど・・・・・・これは放っておけないかもしれないわね。」
微かに動く唇とともに吐き出された吐息のような呟き。
だがそれは微かに空気を揺らすだけでダンゼルの耳には届かなかったようだ。
「リタニアさん?」
微動だにしないリタニアの顔を不安げに覗き込む。
確実にその視界には入っている。だが反応はない。
しばらくその前で手を振っているとやっとそれに気づいたのか、リタニアは手を目で追い出した。
「ん? ああ、ごめんごめん。ぼーっとしてた。」
リタニアは常に明るく振る舞い、周りを元気づける、そのような立ち位置だとダンゼルは認識していた。
だが、今の彼女は違う。
どこか悲しげな、迷っているような、複雑な表情をしている。
そのような顔を見るのは初めてだった。
「じゃあ私、リューガにガムルのこと伝えてくるから。」
「え? あ、ちょっと・・・・・・」
だがそれをダンゼルが問うよりも早く彼に背を向け歩き出した。
足早に去っていくリタニアに手を伸ばすが、その手が掴んだのは生ぬるい空気だけだった。
暗い灯りも点いていない部屋の中、ガムルはベッドに横たわっていた。
開け放たれた窓から昼間に蓄積した熱気が街の明かりと共に入ってくる。
少し汗ばんだ額を光らせながら、ゆっくりと瞳を閉じた。
瞼の裏に浮かぶのは『二度』の惨劇。そして、月を背に歯をむき出しにして笑う、狂気に満ちた獰猛な獣。
そう獣だ。
口を裂けそうなほど吊り上げ、狂ったように人の血を求める。
獣だ。
窓にはめられた格子の向こうで、親しい人達の頭を千切る、切り落とす、吹き飛ばす。
地獄だ。
人形のように声もなく、ただ水しぶきの音を奏でながら倒れていく。
それに対して出来ることは、目の前で震える唯一の繋がりの耳を塞ぐこと。
そして、ただただ強く目を閉じ祈ることだった。
これが夢だと。
これが幻だと。
いつかこれが覚めるのだと。
だが、月が山の向こうに消え、獰猛な笑みが消えても、何も変わらなかった。
少年は目を閉じ続けた。
もう二度とこれを見まいと。
ただ、強く、強く、強く。
そして響くのは悪魔の囁き。
『『私が憎いか? 少年』』
「ハッ!!」
そこでガムルは飛び起きた。
「嫌な・・・・・・夢だ。」
より暗さを増した部屋の中、短針に刻まれている数は四。
もう街から灯りは殆ど消え、月明かりのみが仄かに射し込んでいる。
ガムルはベッドから降りるとすぐに着ていたシャツを脱いだ。
汗を吸ったそれは肌に張り付き、ガムルの心のように重い。
脱いだシャツをベッドに放り投げ、上半身を空気にさらしたまま鏡の前に立った。
大きな鏡に映る、射し込む光に照らされた自分の体。
普通の男よりも大きな肩幅に、筋肉。そしてその上につけられた大きな目、鼻、唇、手、腕、足。
それにガムルは無意識に拳を振りかざしていた。
だが、鏡が砕けることはなかった。
彼に残された自制心がその拳が鏡に触れる寸前で止めていた。
「クソッ」
どす黒い感情が彼の中を駆け巡る。
それを抑えつけるようにガムルは長く息を吐いた。
「あと少しだ。」
他の四人には見せない深い闇を閉じ込めた瞳。
「後、一年・・・・・・まだ一年もあるのかよ、くそっ」
歯が砕けそうなほど強く噛み締める。
ギリリと砕けそうな音が鳴ると、ガムルはふとその力を緩めた。
まだ、落ち着いてはいないがいくらかましになった心と共に彼は動いた。
強く握った拳を開き、昼間に買ったシャツを頭に被りながら彼は部屋を飛び出した。
ふらふらと歩いていると、ガムルはいつの間にか昼間、服を買っていた商店街にいた。
夜中だと言うのに昼間ほどではないにせよ、かなりの人が行き交っている。
ただ昼間と違うのは、開いている店が、バーや風俗店に変わったことと、アルコールの臭いが嗅覚を刺激することだけだ。
ガムルはブルッと体を震わせた。
いくら夏が近いとは言え、流石に夜中は肌寒くなる。ガムルは上着を持って来なかったことを悔やんだ。
だが取りに帰るのも面倒だ、とそのまま道を歩き出した。
奥に進むにつれ、相変わらずアルコールや衛生上よろしくなさそうな臭いが充満しているが、幾分か寒さも和らいでいた。
特に目的もなく出てきたガムルはキョロキョロと辺りを見回す、こともなく、ただ前を見据えて歩いていた。
ガムルが外に出てきたのは、ただ喧騒にまみれるため。気分が落ち込んだ時、部屋に引きこもっていても仕方がないという考えからだった。
店の方から風俗嬢が誘いの声がかかるが、無視。
肩がぶつかり怒鳴られるが、それも無視。
どこも煌びやかに飾られているが、どれ一つとしてガムルを惹きつけるものがなかった。
「そろそろ帰るか・・・・・・ん?」
長い商店街の最後、行き止まりまで歩いたガムルは、ふと一番端にある店が目に止まった。
『夢の石』
人一人がやっと通れる入り口の横にかけられた看板にそう書かれていた。
「夢の石ねぇ。」
雰囲気から『破天石』を扱っているのだろうと予想したガムルはその入り口の前に立った。
どうやら店は地下にあるようで、入ってすぐに階段がある。
少しためらいながらも好奇心に負け、ガムルはそこに踏み込んだ。
階段は狭いが長さはかなりあるようで底で何か仄かな光が見えた。
ガムルは石で出来たそれを慎重に降りていく。
横の壁が石で積み上げられているせいか、ガムルは肌寒さが増したように感じた。
まるまる二分かけて降りきると、目の前に木製の扉があった。
一枚の板から作られたもののようで、かなり年季がいっているが割れたりなどは一切していない。
少し錆び付いたノブに手を掛け、ゆっくりと開いた。
急に増してくる光量。それに目を細めながらガムルは足を踏み入れた。
そこは地下ということもあってか、ガムルが想像したものよりも広く、また明るかった。
入って左手には様々な鉱石が所狭しと並べられ、右手には酒場がある。
酒場にはこれまた意外にも、かなりの人が集まっているのが見える。
「いらっしゃい。」
ガムルはそこでボーっと立っていると、そう声をかけられた。
声の方を見るとそこには、腰にエプロンを巻いた茶髪の若い女性が立っていた。
「やあ、見かけない顔だね。ここは初めてかな?」
「あ、ああ。」
ガクガクと頷くガムルに微笑みながら、彼女は頭に巻いていたバンダナを外した。
「じゃあ初めましてか。
私はここの店主兼職人をしている麗那だ。よろしく。あんたは?」
「ああ、ガムルだ。よろしく、レイナ。」
差し出された手を軽く握り返してからガムルはもう一度店を見回した。
「何をお探しかな?」
「いや、実はふと目に止まって入っただけ・・・・・・」
「ちなみに本日のオススメはこれだよ。」
ガムルの言葉を遮り、麗那は近くに置いてあった珠を取った。
「いや、だから持ち合わせが・・・・・・」
「鉱山の最深部でしか採れない特殊系だよ。」
「だ・・・・・・」
「見てみなよ、この中に刻まれた紋様。綺麗だろ?」
押され負けしたガムルは渋々それを手に取り、固まった。
綺麗な赤い透明な珠、その中に刻まれているのは鷹が翼を広げている紋様だ。
ガムルの瞳がそれから離れない。
真紅の珠を握るガムルの手は、微かに震えている。
(なぜ、ここにある?)
「珍しいだろ? あまり見かけない・・・・・・」
「どこに、これがあった?」
「ん? スラヌ鉱山だよ。それがどうかしたかい?」
急に真面目になったガムルの顔を麗那は覗きこむ。
だが、ガムルの狭まった視界に彼女が入ることはなかった。
唯一ガムルの目が捉えていたものは、その血のように紅い珠。
(なんでこれが、これは長が封印したはず・・・・・・)
「おーい。封印ってなんのことかな?」
目の前で手を振る麗那にガムルは目を見開いた。
「なんで、それを!?」
「いや、自分で言ってたから。」
呆れたように応える麗那にガムルは恥ずかしさからか顔を背けた。
この暑さにも関わらず、真っ赤な顔から湯気が出ている。
「なぁ、これいくらだ?」
それを隠すように敢えてぶっきらぼうに尋ねた。
「五十万リラだよ。」
目を輝かせながら応える麗那に苦笑しながら、まだ顔を赤らめたままガムルは珠に視線を落とした。
(いい値段するな・・・・・・)
「実は今、持ち合わせがないんだ。
だから、これ取っておいてくれないか?」
「はいはい。了解了解。」
ガムルの提案に麗那は間髪入れず、満足げに頷いてみせた。
「一応、三日は取り置きしてあげるから。どうせそんなに早く売れないだろうしね。」
「ああ。助かる。」
その後、二三事話してから、にこにこと満面の笑みを浮かべる麗那に見送られながら、ガムルは店を出た。
その帰り道、ガムルは来た道とは違い薄暗い路地裏を歩いていた。
灰色の大きな壁には所狭しと大きな文字や女体の落書きがされ、地面にはゴミが散乱し異臭を放っている。
そこをさらに進み、銀翼旅団のメンバーのいるホテルが見えてきたところでガムルは足を止めた。
「一応、お前と話すためにここを通ってるんだ。出てこいよ。」
少し大きめの声が路地裏に木霊する。
それに混じり、後ろからコツコツと足音が近づいてきた。
「全く、あなたはどれだけ私の自信を打ち砕くおつもりですか?」
振り返ったガムルの前に立つのは、お馴染みの黒い服に身を包んだファーメルだった。
「何の用だ?
前回と違って全く殺気を感じないぞ?」
表情を貼り付けないガムルにフォーメルはいつものごとく一礼。
「今日は『忠告』、いや、『警告』をしに来ました。」
「『警告』?」
眉をひそめるガムルにフォーメルは頷く。
「ええ。ご存知ですか? この街に今、『四聖人』がいるのを。」
一言。
そのたった一つの言葉に、ガムルは自分の中で何かが沸き立つのを感じた。
「誰だ?」
「はい?」
ガムルは憎しみと怒りに満ちた目をフォーメルに向けた。
「『四聖人』の内の誰だ、と聞いているんだ。」
ガムルの表情の意味を理解したフォーメルはいつもの笑みを浮かべたまま首を横に振った。
「残念ながらあなたの『意中の人』ではありませんよ。」
「ちっ」
その舌打ちを合図に、ガムルの中で沸騰していたものが一気に冷めていく。
「で、それがどう俺達に関係があると?」
「その方の目的は、もちろんあなた方です。」
「・・・・・・なぜそれを俺達に教える?」
「我々にとっても、邪魔な存在ですから。」
さらっと国内の裏事情をこぼすフォーメルにガムルは溜め息をつくしかなかった。
「昨日の晩にお前と一緒にいたやつのことだよな?」
だが、ガムルもある程度フォーメルという男を把握していた。
ならばやることは一つ。
一つでも多く情報を得る。
「やはりお気づきでしたか。
それにしても、上手く打ち解けているようで安心しましたよ?
どうでしたか、久しぶりの『再会』のご感想は?」
気味の悪い笑みで尋ねてくる色白の紳士。
それにガムルはあからさまに嫌そうな顔をしてみせた。
「ない。」
「それにしても本当によく潜り込めましたね。何と話したんですか?」
素っ気ない答えで話を切ろうとするが、その反応が面白いのか、フォーメルの口は止まらない。
その問いにガムルはさらに顔をしかめた。
「思ったことを話しただけだ。人聞きの悪いことを言うな。」
失礼な、と言いかけたが、元々無礼なやつに何を言っても同じだと敢えて口にしなかった。
「ははっ、そうですか。」
敵同士とは思えない和やかな会話。だがその裏でどす黒い腹の探り合いが行われていた。
「お前はどこまでついてくる気だ?」
「一応、あなた方の旅が終わるまでですよ。監視しろと命令されているので・・・・・・」
「命令ということは上も動いているんだな?」
してやったりというガムルに対し、フォーメルは額に手を当てた。
「誘導尋問ですか。やられました。」
ガムルは、これまでの仕返しができた、とニヤニヤしながら、がっくりと肩を落とすフォーメルを見た。
それを恨めしそうに見返した後、男は一歩後ろにさがった。
「そろそろ失礼します。
これ以上話すと叱られてしまうので。」
シルクハットを頭から外し、一礼。
だが、まだ引きずっているのか、微かに手は震え、その笑顔はどこかぎこちない。
「まあ、落ち込むなよ。こういうこともある。」
「・・・・・・次は、負けませんよ。」
捨て台詞なのか分からない言葉。
その声が消えていく前に、フォーメルの姿は空気に溶け込むように消えた。
「ククク」
いいストレス発散になった、と小さく笑いながらガムルもその路地を出た。
薄暗い路地と違って、ホテルの前は既に朝日が射し込んでいる。
その角を出たところでガムルは足下で何かが輝いているのに気づいた。
しゃがみこみ、太くごつごつ手で掴んだそれは、少し長めの金髪だった。
「汚ね。」
それをすぐさま払い落とし、手をズボンにこすりつけながらガムルはホテルへと歩き出した。
ガムルはホテルの最上階にある彼らに割り当てられた部屋の扉をゆっくり開いた。
夜明けが近いとは言え、中央にある廊下はまだ薄暗い。
そんな中、リビングの向かいの部屋から光が一筋漏れているのが見えた。
(誰か起きてるのか。)
出来るだけ音をたてないようにガムルはゆっくりと玄関のドアを閉め、擦り足で廊下を進んでいく。
「遅かったね。」
だが、その努力も虚しく、丁度その部屋の前で聞き覚えのある声に呼び止められた。
一瞬、素通りしようかという考えがよぎるが、呼び止められては仕方がない、とガムルはその部屋の扉を開けた。
「どこに行ってたの?」
唯一の明かりが灯った机に向かったまま、ダンゼルは背中越しに尋ねてきた。
「夜風に当たりに行ってただけだ。」
「ふーん。」
返ってきた適当な相づちにガムルは何気なくそれに近づいた。
ダンゼルの影に隠れてあまりよく見えないが、スタンドライトに照らされた机の上にはパーツが広げられており、それを組み上げているようだ。
その中で、小さなパーツと同じようにガムルの見覚えのあるものが机に置かれていた。
「注文通り、ガムルさんの斧を使わせてもらってるよ。良かったかな?」
読心術でも使ったのかと聞きたくなるようなタイミングにガムルは若干戸惑いながらも頷いた。
「ああ。全く問題ない。
後どのくらいかかるんだ?」
ガムルの質問にダンゼルは机の上に視線を落としたまま頭をかいた。
「えっと、これで最後・・・・・・あっ、しまった。これじゃダメだ。」
「どうかしたか?」
頭をかきむしるダンゼル。それに驚いたガムルは机の上を見下ろせる位置まで移動した。
「ごめん。ガムルさん。僕のミスだ。
『破天石』のバランスを間違えちゃった。」
机の上に手に持っていた赤い破天石を置き、頭をかきむしった。
「僕がこんな初歩的なミスをするなんて・・・・・・」
「悪い。俺の変な注文のせいだよな。」
近づいたガムルにダンゼルは首を横に振ってみせた。
「いや。その注文に応えるのが僕の仕事なんだ。ガムルさんは何も悪くないよ。」
そう言うダンゼルの肩越しにガムルはそれを覗いてみた。
ガムルの漆黒の斧、それ自体特に形状は変わっていない。ただ、その刃の部分に五つの窪みが彫られていた。
既にそのうちの四つが埋まり、後一つ、ガムルから見て左端の窪みのみがぽっかりと口を開けていた。
ダンゼルは他の『破天石』をそこに嵌め込んでみるが、机上にあるパソコンを見てため息と共にそれを外した。
「全然ダメだー」
そう言いながらも不機嫌そうに今置いた破天石をつついた。
「こいつは使えないし、持ち合わせでハマるやつもないし。」
「なあ。悪いけど、何の話だ?」
ガムルがダンゼルの言葉の内、理解できたのはおよそ三割。残りは全く耳に留まりもしなかった。
キャスター付きの椅子をくるりと回し、ダンゼルはポンと手を打った。
「『機械剣』には二つの特徴があるのは知ってるよね?」
「ああ、多分。」
やや自信なさげなガムルにダンゼルは指をピッと上に立てた。
「一つは『形状変化』。携帯時の『銀筒』と呼ばれる棒状から複数の武器に形を変えることだね。」
そう言いながら、机の上にあった斧を手に取り、『銀筒』の状態にしてみせる。
それを見て頷くガムルにダンゼルはまたもう一本指を立てた。
「で、今回問題なのは二つ目の『増幅機能』
『機械剣』には装備できる『破天石』の効力を増加する機能があるけど、何でも装備出来るわけじゃないんだ。」
そこまでダンゼルが言ったところで、何を言いたいのかガムルは理解した。
「相性ってことか?」
「そういうこと。
『破天石』も人と同じだよ、好き嫌いがあるんだ。
それをこの機械で調べるんだけど、ほら、波が見えるでしょ?」
ダンゼルは銀筒を斧に戻し、それを机に置くと代わりにパソコンを手に取った。
ガムルがその画面を覗きこんで見ると、四角く区切られた表に緑色の波が描かれている。特に異常はなく、綺麗な曲線だ。
「これが大きくて綺麗だったら言い訳だ。」
「そう言うこと。だけど、こうすると、」
ダンゼルが机の上にあった『破天石』をはめ込んでみると、
「へぇ、確かに小さくてぐちゃぐちゃだな。」
ガムルの感想通り、綺麗な曲線を描いていた波は乱れ、波自体の高さは半分以下にまで落ちてしまった。
「つまり、『破天石』と『機械剣』、更にはその持ち主との組み合わせ次第で最強の武器にも最弱の武器にもなりえるんだ。」
斧を見ながらダンゼルは続けた。
「それに悪ければ暴発することもあるし。
まあ、そうならないようにそれを調整するのが僕達『整備士』の仕事だけどね。」
「へぇ」
ガムルは納得した風に頷きながら机の上に転がる『破天石』を手に取った。
「なあ、じゃあ新しいのを買いに行かないといけないんだよな?」
ガムルの確認にダンゼルは頷く。
「この辺りに鉱山はないから、そうなるね。」
そう答えるダンゼルから視線を外し、ガムルは一度手の中の石を見た。
赤色のそれは宝石のように綺麗だが・・・・・・だが、あの珠ほどではない。
どうやら思った以上にあの珠に惚れ込んでいたらしい。
そう気づいた時には、すでにガムルの口は動いていた。
「実はさっきまで商店街にある『破天石』の店に行ってたんだ。」
今までとは違う遠回しな言い方に、ダンゼルはガムルが言いたいことを悟ったのだろう。ニヤリと笑ってみせた。
「気に入ったのでもあったの?」
「ああ。だけど・・・・・・」
金が、と続くはずのガムルの言葉は、またもダンゼルに遮られた。
「お金は気にしなくてもいいよ。たんまり軍資金はもらってるから。」
それでも金額が金額なだけに不安を隠せないガムルは、本当に大丈夫か、と視線で問いかけるが、ダンゼルは「大丈夫だよ」、と頷き返した。
「・・・・・・それに、こんな夜中にやっている店っていうのも気になるしね・・・・・・」
ぼそり、と囁かれる言葉。それは微かにガムルの鼓膜を揺らすだけだった。
「ん? 何か言ったか?」
「いや、何も言ってないよ。
それより部屋に戻って寝たら? あまり寝てないんだよね?」
何か言ったような、とガムルは首を傾げていたが、それを問い質す前にその巨体は部屋の外へと押し出されていた。