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近い存在

近くて遠い存在

 太陽が真上から少し傾き始めた頃、一行を乗せたビークルは草原を駆け抜けていた。


「これで『フィリーズ』まで行くのか?」

「うん。一応、三日後の正午に着く予定だよ。」


 余り身長の高くないダンゼルが運転席でガチャガチャと操作している姿に、ガムルの肩は自然と震えていた。


 吹き出ようとする笑いをなんとかこらえようと口に腕を当てる。



「なにがおかしいのかな?」


 だが、ガムルがそれに必死になっている間に、そのダンゼルは振り返っていた。


「いや、なにも。」


 笑顔だが、その目がガムルの未来を物語っている。


 その無言の圧力にガムルは固まったまま首を横に振るしかできなかった。

「ふーん。そうなんだ。へー。」


 明らかに好感度が急降下している。そう感づいたガムルは即座にその場に正座した。


「すいませんでした!!」

 今日、俺何回謝った?、とぼやきたかったが命には変えられない。


 ガムルは本日、三度目の土下座を繰り出した。


「全く、もういいよ。だけど次言ったら、」

「次言ったら?」


 ガムルが気づいた時には、額に硬いモノが当てられていた。


 全身の毛穴という毛穴から汗が噴き出しているのが分かる。


「風穴、開けるよ?」

「・・・・・・ここではそれが流行なのか?」

「さあね。」


 銃をホルスターにしまいながら、ダンゼルはまた運転席に戻っていった。


 誰も運転してなかったのか? とつっこむ余裕もなく、ガムルはへたり込んだ。


 恐い。それがガムルの率直な感想だった。


 太陽が真上から少し傾き始めた頃、一行を乗せたビークルは草原を駆け抜けていた。


「これで『フィリーズ』まで行くのか?」

「うん。一応、三日後の正午に着く予定だよ。」


 余り身長の高くないダンゼルが運転席でガチャガチャと操作している姿に、ガムルの肩は自然と震えていた。


 吹き出ようとする笑いをなんとかこらえようと口に腕を当てる。



「なにがおかしいのかな?」


 だが、ガムルがそれに必死になっている間に、そのダンゼルは振り返っていた。


「いや、なにも。」


 笑顔だが、その目がガムルの未来を物語っている。


 その無言の圧力にガムルは固まったまま首を横に振るしかできなかった。

「ふーん。そうなんだ。へー。」


 明らかに好感度が急降下している。そう感づいたガムルは即座にその場に正座した。


「すいませんでした!!」

 今日、俺何回謝った?、とぼやきたかったが命には変えられない。


 ガムルは本日、三度目の土下座を繰り出した。


「全く、もういいよ。だけど次言ったら、」

「次言ったら?」


 ガムルが気づいた時には、額に硬いモノが当てられていた。


 全身の毛穴という毛穴から汗が噴き出しているのが分かる。


「風穴、開けるよ?」

「・・・・・・ここではそれが流行なのか?」

「さあね。」


 銃をホルスターにしまいながら、ダンゼルはまた運転席に戻っていった。


 誰も運転してなかったのか? とつっこむ余裕もなく、ガムルはへたり込んだ。


 恐い。それがガムルの率直な感想だった。


「大変なんだな。」

「ま、慣れればそんなことないわよ。意外とスリルがあって楽しいしね。」

「お前、絶対後半が本音だよな。」


 呆れながらもガムルは細かく波打つ水面に目を落とした。


 中身は黒い色をした珈琲(コーヒー)のようだ。


 恐る恐るカップに口をつけ、少し傾ける。


 香りと共に口の中に広がる味は、思っていた以上に苦かった。






 太陽が山の向こうへ姿を消しかけてきたころ、一行は草原を抜けた先にある森の中程にいた。


「このペースなら予定より早く着きそうね。」


 燃え盛る火の前でリタニアは地図を広げた。


 ビークルの横でテントの杭を打ち終えたガムルは額の汗を拭いながら、その地図を覗き込んだ。


「今、どのあたりなんだ?」

 ガムルの問いにリタニアが綺麗な指である一点を差した。


「今日一日でこの『ザフィーラ草原』を抜けて、今はこの『タスピカの森』の真ん中ね。」

「もうこんなところまで来たのか。これなら本当に明日には着きそうだな。」


カサッ


 そこでふとガムルは茂みの方を振り返った。


「どうかした?」

「いや、なんでもない。」

「そっ。じゃ、あたしはもう寝るから。」


 ひらひらと手を振るリタニアの姿がビークルの中に消えるのを確認してからガムルは茂みに振り返った。



「いい加減出てこいよ。いるんだろ?」


 ガムルの声が闇に消えてから、一分、二分と沈黙が辺りを支配する。


 そして三分目、その茂みからため息と共に人の気配が現れた。


 ガムルは目を細め、木の陰からゆっくりと、焦らすように出てくる人物を見据える。


「まさか気づかれるとは思ってませんでした。

 どうやってお気づきに?」


 それは全身を黒いスーツに包み、同じく黒いシルクハットを被った男だった。そのシルクハットの下にあるのは白髪に恐ろしいほどに白い肌。


 その違和感の塊に顔をしかめながらガムルは口を開いた。


「お前のいる木の周りだけ鳥が全くいなかった、それだけだ。この森の鳥達は臆病で有名だからな。」

「なるほど。動物に感づかれないぐらい気配を消さなくてはならない、か。勉強になりました。」


 男は、黒いジャケットの内側から取り出した冊子に差してあったペンで何事か書き始める。


 止まらないペンの動きにしびれを切らしたガムルが一歩詰め寄った。


「で、俺達に何のようだ?」

「あ、そうでした、そうでした。」


 ポンと手を打ち、冊子を内側にしまうと反対から書類を取り出した。


「これを。」


 ガムルは訝しげな顔をしながらも差し出してきたそれを受け取った。


「意外と素直に受け取るんですね。」

「ふん。これに罠なんかを仕込むんだったら食料に毒でも混ぜた方がよっぽど効率的だろ?」

「確かに。」


 ガムルの言葉に頷き、男はまたあの手帳に何事か書き込む。


 ガムルはそれに何が書かれているのか気になったが、それよりも訊きたいことがあった。


「で、これはどういうことだ?」


 ガムルは右手に持つ紙をひらひらさせる。

 その顔は明らかに不機嫌だった。


「その紙面に書いてある通りですよ。」



「また『秦国』を攻める気なのか?」


 今いる『ロザンツ帝国』がある『ユーロピア大陸』にはこの国を含め三つの国がある。


 一つは、大陸の北半分を支配する工業で有名な『ラグレイト帝国』、もう一つは西側を支配する豊富な地下資源を売りにする『秦国』。


 『ロザンツ帝国』は度々『秦国』との交易を持ちかけていたが、失敗に終わっていた。


 それもそのはず。『ロザンツ帝国』は交易をさせるだけのメリットを提示できなかったのだ。


 そこで貿易を断念したこの国は、何度も何度も資源が豊富な『秦国』を奪おうと攻め込んだ。



 だが、その度に『秦国』に撃退されていた、秦国は無傷のままで。


 『ロザンツ帝国』は、いや、皇帝はまたその不毛な戦いを始めようとしているのだ。


「あいつらには勝てない。」


 ガムルは唇を噛み締めた。


「なぜですか?」

「奴らの強みは切り立った崖や急勾配な山々などの大軍が攻め込みにくい地形。後、その『力』にある。」

「ほぅ。経験者は言うことが違いますね。」


 ニヤリと不敵に笑う男にガムルは殺気に満ちた視線を向ける。

「おっと、言葉がすぎました。」

「で、これを俺に教えてどうしろと?」

 全く『掴めない』男をガムルは探るような目で見た。

 しかし男は一向にその態度を崩さない。


「あなたもご存知でしょう? 貴族の中にも今の皇帝のやり方に不満を持つ方がおられることを。」

「汚れ役をやれと?」

「ご名答。」


 ガムルはそこまで言って手に持つ紙に目を落とした。


 そこに書かれていたのは、皇帝を殺してくれという依頼の文字と莫大な報酬を示す数字だった。


「なぜこれを俺に?」


 ガムルは紙を揺らしながら問いかけるが、その問いを待っていたかのように男はさらに口元を歪めた。


「あなたが最も龍牙=F=エスペラントに近い存在だと記憶していたんですが?」


 その言葉にガムルは一度ハッとした後、傍らに置いていたバトルアックスを構えた。


「お前・・・・・・どこまで知っている」

「さぁ?」


 おちゃらけてみせる男の顔が一瞬固まった。


「答えろ。」


 予想外の方向から飛んできた声に振り返ろうとするが、動けない。


 先まで男と対峙していたはずのガムルがその首に巨大な刃を当てていたのだ。


「お速いですね。」


 だが、男は元の表情に戻りやれやれと首を振った。その動きには、どこか余裕が感じられた。


「吐け。」

 しかし、現状は圧倒的にガムルの優位。

 援軍でもいない限りこの優位は崩れない、ハズだった。


「ですが、まだ詰めが甘いようだ。」

「何を・・・・・・っ!?」


 とっさにに後ろへ飛び退くが、その胸を何かが浅く切り裂いた。


 ガムルの胸元には横一直線に赤い筋が現れていた。その端から赤い滴が滴っていく。


 一度その傷口を見てから、ガムルは男の方へと目を移した。


 その男は、人形のように蹴りを放った体勢で固まっていた。


 よく見ると、その持ち上げたままの左足の踵に小さな刃物が顔を覗かせている。


 だがその刃物以上にガムルは背中に冷や汗が流れるのを感じた。


(見えなかった・・・・・・)


 初動どころか途中の動きすら全くガムルは捉えることができなかった。

(いくら実戦を離れたからって、そんなに・・・・・・)


 思考を始めようとしたガムルは黙り込む口を無理やり開いた。


 今重要なのは、どれだけ情報を集められるか。ガムルはそれを理解していた。


「・・・・・・暗器か。やっぱりお前『諜報機関(タップ)』の人間だな。」


 動揺してはさらに呑まれ、主導権を握られる。

 ガムルは出来るだけ普通を装った。


「ご名答。で、お返事を戴きたいのですが?」


 ズレた帽子を被り直しながら、男はまたあの不敵な笑みを浮かべた。


「断る。」


 しかしこの状況でもガムルは冷静だった。


「ふむ。分かってはいましたが、なぜですか?

 悪い話ではないと思いますがね?」


 ガムルはふと紙面に書かれていた数字を思い出しそうになるが、なんとかそれを押しとどめる。

「その貴族すら俺達の敵だ。考えるまでもない。」

 はっきりと言い切るガムルに男はあからさまに顔をしかめてみせた。


「そうですか。」


 もしかしたらそれは彼の本当の感情なのかもしれない。帽子の端で顔を隠しながら男はガムルに背を向けた。


「ちなみに宣戦布告は一年後のようですよ。」


 背中越しに与えられる情報。それは今、ガムルが最も欲していたものだった。


「なぜそれを教える?」

「さあ? あなたの劇的な再会を祝ってということでしょうかね?」

「お前・・・・・・」


 男は何か思い出したのかピタッと足を止め振り返った。


「そういえば、申し遅れました。」


 帽子を取り、その白髪を外気にさらしながら、恭しく一礼。


「私の名はフォーメル。以後、お見知りおきを。」

 ガムルが歯を剥き出しにして睨んでいると、二人の間を突風が駆け抜けた。


「では、ご機嫌よう。」


 ガムルが目を庇っていた腕を外した時には、もうそこには誰もいなかった。




「で、何してたのよ?」

 翌朝、案の定ガムルはリタニアに捕まり、昨夜のことを尋問されていた。


「狐がいたんだよ、狐。」

「狐にこんなところを切られる?」


 リタニアが指差したのは昨夜フォーメルに切り裂かれた胸元。


 傷はもう跡形もなく治っていたが、流石にその服まで元に戻る訳がなく、ぱっくりと口を開いていた。


 ガムルはフォーメルを張り倒したいという気持ちが湧き上がってくるのをなんとか抑え、またリタニアが用意してくれたカップに口をつけた。


「ウマいな。」

「ありがとう。じゃなくて・・・・・・もういいや。」

 リタニアは諦めたのか、窓の前に置かれたソファにもたれかかり、流れる景色に目を移した。


 それを見て少し罪悪感を感じながらもガムルは黙り込んだ。


 口が裂けても話す訳にはいかなかった。


 それは自分の過去を暴かれる、悪ければこの『銀翼旅団』の信頼を裏切ることになる。


 まだそれは早い、そう判断したからこそガムルは沈黙を、自分一人で悩み苦しむ道を選んだ。



 そんな重苦しい空気を放つ二人を載せたビークルは、森の中を南へ走っていた。


 森の中とはいっても、昔は馬車などが通っていた道のため、それほど激しい揺れはない。


 ガムルもカップに口をつけながらリタニアにならい、彼女と反対の窓から外へ目を向けた。


 天気は曇り。それも今にも降り出しそうな暗い、嫌な雲だ。


 ガムルは一度それから目を離し、中を見回した。


 奥に二段ベッドを横に置き、その前に自分達が座るソファ、そこと操縦席の間に簡易キッチンとトイレと風呂がある。


 龍牙に会わなければ、恐らく一生目にできなかった光景。


 自分の生活の変わりようをしみじみと感じながら、ガムルはまた外を見た。



 暗い雲と鬱蒼と生い茂る森。それはガムルに何とも言えない胸のざわめきを感じさせた。


 何かが起こる。


 そう思ったのは昨日出会ったフォーメルのせいかもしれない。


 だが、嘗て死地で戦っていたガムルは知っていた、この予感は必ず当たると。



 直後、ビークルは激しく横に揺れ始めた。


「っ、なんだ?」



 揺れが収まるとガムルとリタニアは急いで、運転席へと向かった。


 そして見た。この場にあるべきではないものを。


「なんだよ、それ。」


 運転席の前、そこにあったのはでこぼことした円柱状の物体。しかも、なぜかぐねぐねと動いている。


 その向こうには粉々に砕かれた馬車の残骸と、一本だけ、馬の足が転がっていた。



 その惨状に目を奪われている間にも、それは大きく体を反らし、その先端を運転席に突き出してきた。


「俺達はどれだけついてないんだよ・・・・・・」


 そこにあっていたのは糸を引きながら何重にも鋭い歯だった。


 その予想外の出現に、リタニアはぼそりとその名を紡いだ。



「『砂漠の大食漢(サンドワーム)』・・・・・・」


「サンドワームって、確か北の砂漠の辺りに生息しているはずだろ!? なんでこんなところに・・・・・・」

「私だって分からないわよ!! とりあえず、一時退却!!」


 リタニアの言葉を合図に、ビークルは全速力で後ろ向きに走り出す。


 一瞬遅れて、目の前にサンドワームの頭が打ちつけられた。


 その質量を示すかのように、その頭部が地面に深くめり込む。


 それを引き抜いている間に、ビークルはなんとか距離を稼いだ。




 甲高いブレーキ音と共に止まったカーから飛び降りたガムルは、改めてそれを見上げた。


 その体は、宮殿の塔とそう大差はなかった。

 裕に二十メートルはあろう巨体が、まるで天を支えるかのように真っ直ぐに伸びているのだ。


「さすが『変異種(ヴァリアント)』ね。」


 そこにビークルからリタニアが降りてきた。




 この世界には様々な姿形をした生物がいる。


 人々はそれを総称して『人ならざる(モンスター)』と呼び、時にはそれを狩って食用としたり、家畜として、或いはペットとして所有したりするなど、様々な扱いをしている。


 だが、当然のように、中にはどうしようもなく狂暴な、或いは巨大なものも存在する。


 それらを人々は、『変異種(ヴァリアント)』と呼ぶのだ。


「で、なんで砂漠にいるはずのこいつがこんなところにいるんだよ。」


 そうぼやくガムルの横に、不機嫌そうなリタニアが並んだ。


 その後ろにフィロもいることから、どうやらダンゼル以外全員参戦するらしい。


「分からないわよ。だけど、一つだけ分かることがあるわ。」

「なんだ?」


 そう尋ね返すが、地面を割りながらこちらに向かってくるサンドワームから目を離さない、いや、離せない。


「殺す気満々ってことがね。」


 そして三人に向けてその巨大な頭部が降り降ろされた。


 それを合図に、迫り来る無数の牙を三人は別々の方向へ跳んだ。


 派手な破砕音と爆風に、リタニアの体は一瞬バランスを崩すが、すぐさま立て直し、着地と同時に駆け出した。


 バキバキという地面を噛み砕く音に、背筋が凍るのを感じた。

 もしあれを喰らえば、という考えが一瞬脳裏をよぎる。



 『人ならざる者』との戦闘は、対人戦とは全くの別物である。


 人は何かしら考えてから行動するが、『人ならざる者』達の行動には全くと言っていいほど思考がない。


 ただそれを聞くと楽なように聞こえる、だが実際は逆だ。


 考えない、それは人間が持つ思考から行動へという過程を飛ばしているということ。


 つまり、それだけ反応が早くなるのだ。


 それを理解しているからこそ、バランスを崩してもリタニアは動きを絶対に止めない。


 攻撃を避けながら、彼女は腰から『機械剣』を引き抜いた。


「『展開』」


 それを合図に、その銀色の棒は輝きだし光を纏ったままその形を変えていく。


 そして、駆ける彼女の手にはあの弓が握られていた。


 それが完了するまで、時間にして一秒。


 その短時間で現れた白い大きな弓をリタニアはしっかりと握ると、走りながら弦を引き、放った。



 ただ一度しか引いていないその弓からは、水の奔流のように矢が放たれていく。


 そしてそれらは寸分違わず円柱状の体を捉えた。


『フブオォォォ!!』


 角笛のような低い叫びを上げながら、サンドワームはその長い体をぐねぐねとくねらせる。


 だが、その反応とは裏腹に、その体には目立った外傷がない。


『ブオォォォォ』


 天に向かって吼えると、その頭部をある一人に向けた。


その先にいたのは、



「俺かよ!?」


 悲鳴に近い情けない声を上げながら、ガムルは迫り来る巨大な口をすれすれでかわした。


「おらっ!!」


 まだめり込んでいるその頭に、ガムルは思いっきり斧を振り下ろした。


 それは容易く頭部にめり込み、辺りに緑色の液体が飛び散る。


 だが半ばまで刺さったところで、ガムルはそれを引き抜き、すぐさま飛び退く。


「っ!?」


 その鼻の先を掠めるように、また巨体が持ち上げられていく。


 ガムルは立ち上がり喉を鳴らすそれに、目を見開いた。


 たった今、彼が刻んだ傷が、気泡に包まれ、治癒していくのだ。


 ガムルが呆然と見ていた数秒、たった数秒でその傷は完璧に塞がっていた。



「『超速再生』持ちか。面倒ね。」


 弦を引きながらリタニアはぼやいた。


「援護します。」


 その横にはいつの間にかフィロが並んでいる。


「フィロが出たら私がすることがなくなるんだけど?」


 チラリと見ながら言うリタニアの言葉を黙殺し、フィロは何もないはずの空間を右手で撫でた。


 その華奢な手が触れた部分から異変は起こる。


 絵の具を水に落としたように赤が大気に染み渡ってゆくのだ。


 それは徐々にまとまり始め、ある形、血まみれの牙を彷彿させる真紅の槍へと変化していた。


 それは蔓のように三本が絡まり、先端は牙のように鋭利なのが見て取れる。


「ガムルー。戻って来なさーい。」

「はあ?」


 かわしたサンドワームの頭に向けて斧を振り降ろしながら、ガムルは意味が分からない、という声を上げた。


「ほら、早くしないと、」


「『補足』」


 その間にフィロは一度その鋭い牙とも言える槍を祈りを捧げるように胸に抱え、刃とは逆にある石突(いしづき)を地面に打ちつけた。


 そこを中心に、赤い円形の術式が彼女を守るように展開される。


「死ぬわよ。」


「またそれかよ!! くそっ。」


 悪態づきながらガムルは迫り来るサンドワームに背を向け、リタニアの方へ駆け出した。


 後ろでまたガリガリと背筋の凍るような音がするが、ガムルは足を止めない。


 前回でガムルは学んでいた、この忠告を聞かなければ本当に死ぬ、と。


 必死に走るガムルに対し、リタニアは名残惜しそうに弓を元の筒状に戻した。


「あーあ、終わった。これ以上、私何もできないわね。」

「そんな余裕っ、で大丈夫なのかっ!?」


 突き出された大きな口による噛みつきをギリギリでかわし、ガムルはリタニアの横に転がりこんだ。


「ええ。まあ見てなさい。

 十階梯は・・・・・・伊達じゃないわよ。」


 諦めの混じった声。


 それを見上げてから、ガムルは唯一戦闘体勢に入っている少女へと目を移した。


 標的を変え迫ってくるサンドワームを平然と見据える彼女は、怖じ気づくことなくただ平然と告げた。



「燃え散れ。」



 その断罪の瞬間(とき)を。



 フィロの声に反応し、盾のようにその前にもう一つ術式が展開。



 そして、その中心が膨らんだかと思うと、刹那、真紅の線が吐き出された。



「うぉっ!?」


 凄まじい熱気と共に吐き出されたそれは、木の葉を焼き、大地を溶かし、そして直立するサンドワームの巨体を貫いた。


 それは瞬殺、という言葉が相応しい早業だった。



「・・・・・・」


 ガムルは何も言えず、ただ魚のように跳ね回るその頭部を見ていた。


 フィロの攻撃に呆気にとられたわけではない。


 胴と切り離されてもまだ生きているその生命力にあきれていたのだ。


「スゴいな・・・・・・」

「まだよ。」


 感嘆の声を零すとそれをリタニアが遮った。

 彼女は何やら通信機を手に誰かに話しかけている。


「ダンゼル? 本体は?」


『北西に五百、そこから百ぐらい。今動き出したよ。』


 その黒い機体からは、くぐもっているがまだ少し高い少年の声が洩れていた。


 リタニアは二、三事会話を交わしてからそれをボタンのついた胸ポケットにしまった。


 ガムルはその会話を終始聞いていたが、


「何の話だ?」


 全く話が掴めないでいた。

 期待の眼差しを向けてはみるが、リタニアは何も応えず、その顔をもう一人の方へと向けた。


「フィロ?」

「聞こえてます。」


 未だに分からないガムルに対し、この二人は何か理解しているようだ。


 フィロは槍を数回地面に打ちつけてから両手で構えなおした。


 それを確認したリタニアもまた機械剣を取り出す。


 ただ一人取り残されたガムルは何が何だか分からないまま、とりあえず斧を両手で構えていた。


 何が起こるのか、何とも言えない不安に、ガムルは忙しなく辺りを見回し続ける。


「ん?」


 そこでガムルは一瞬足下に違和感を感じた。


 そこにあるのは、何の変哲もないどこにでもある普通の石。



 だが、なぜかそれは小刻みに揺れていた。


「なんで・・・・・・うっ!?」


ズン


 突如起こった体の中を突き上げるような縦揺れ。

 それは足下の小石を跳ねさせ、ガムルに膝をつかせた。


「来たわね。」


 立て続けにくる衝撃の中、リタニアだけは平然と立ち、地面を睨みつけていた。


 ガムルも屈んだままそこへ目を向けるが、何もない。

 しかし、リタニアはその一点から目をそらさない。

 まるでその奥に何かがいるかのように。


『来た!!』

「ふっ。」


 突如響いたダンゼルの合図に、一点を睨んでいたリタニアは大きく上へ飛び上がり、



 先ほどまで彼女がいた地面が吹き飛ばされた。


 そこだけではない。


 その辺り一帯の地面が根こそぎもっていかれていた。




 冥力によって強化されたリタニアの跳躍は、通常では届かない遥か上空まで彼女の体を持ち上げていく。


 飛んでくる岩を身を捻ってかわしながら、未だ上昇を続けるリタニアは『それ』を見下ろした。


 地底から浮き上がってくる、茶色い物体。


 半球状のそれは、網のように縦横に線が走り、表面が盛り上がっている。


 一目でその強固さが分かる外形だ。



 そこまで見たところでリタニアの体は重力に絡めとられ、静止。落下を始めた。

 その高さは地上から数十メートルはあるだろうか。


 だが、彼女の体が急落下することはなかった。


「『浮床(フロア)』」


 その横で同じく落下をしているフィロが緑色の術式を展開したのだ。

 その術式が消えると同時に、二人の落下速度が緩まっていく。


「相変わらず便利な術式ね。」


 雲のように浮いているような不思議な感覚。それを楽しみながら、リタニアは横を向いた。


 しかし、それを発動した本人はなぜか不満そうだった。


 リタニアが問いかけるよりも早く、緑色に変わった槍に腰かけたままフィロはある一点を指差した。


「それより『あれ』どうしますか?」


「ん?・・・・・・あぁ。」


 ゆっくりと少しずつ下降する二人はそこに呆れたような視線を向けた。


「おい!! これなんなんだよ!?」


 だが、それを向けられている本人はその視線に気付いていないようだ。

 年甲斐もなく茶色い物体の上で叫び、跳び、地団太を踏んでいる。


「まさか、あの突き上げをくらってピンピンしてるとはね。」

「恐ろしいまでの頑丈さです。」

「全くね。」


 喚くガムルに今度は憐れみの視線を送ってから二人は全体を見回した。


 直径百メートルはあろうかという半球状の甲羅。

 その下からは先ほど千切られたのと同じ筒が四本、新たに出現していた。

 どうやらあの筒はこの物体の一部だったようだ。


「触手が五本。まだ『幼体(ようたい)』みたいね。」

 リタニアの意見にフィロは頷く。

「ええ。思ったほど大きくもないみたいですし。」


 ガムルがこの場にいれば、恐らくその言葉に呆気にとられているであろう。

 だがリタニアもまたさも当然のように頷いた。


「一気にけりをつける?」

「そうしましょう。じゃあ、リタニアさんはあれの救出をお願いします。

 私はそれが完了すると同時に起爆するので。」

「了解。一応援護よろしく。」


 リタニアがフィロと軽く拳を触れさせると、彼女の体はガクンとその落下速度を速めた。


 それをを待っていたとばかりに四本の筒が吼える。

「煩いわね。」


 その耳障りな音に顔をしかめながらもリタニアは右手で弦を引き絞り、放った。


 冥力によって作り出された純白の矢が一直線に飛んでいく。


 それは彼女に迫る四本の内の一本を貫通。大きな穴を穿った。


『ウボォォォオオアア』


 激痛に残りの三本が絶叫し、穴の開いた一本は声ではなく緑色の血液を飛び散らした。


 それでもそこは流石『人ならざるもの』というべきか、それだけの損傷を受けてもその触手は攻撃を緩めなかった。


 緑の軌跡を残しながら繰り出される横殴りの攻撃。

 常人が受ければ四肢がバラバラになるだろう。


 だが空中にいるリタニアはそれに対し、空気抵抗を減らすことでその速度を速めた。


 だが、あまりにも遅すぎた。

 それで避けられるわけもなく、その触手が容赦なく彼女に打ちつけられた、


「危なっ・・・・・・え?」


 それを下から見ていたガムルはだらしなく口を開けた。


 それもそのはず。


 あの攻撃を食らったはずのリタニアが『まだ落下し続けている』のだから。



 当のリタニアは落下を続ける体に纏わりつく緑の液体に顔をしかめながらも、次の行動を考えていた。


 通常、空中で移動などはできない。


 だからこそ彼女は開けたのだ、自分自身が通る『突破口』を。


 彼女自身が作り出した肉のトンネル。


 そこを通り抜けることでその攻撃をかわしきったのだ。



それでも危険は過ぎ去ってはいない。



 彼女の体はすでに地面まで後数メートルというところまで来ている。


 だがリタニアはまだ冷静だった。


 彼女はもう一度、今度は下にある甲羅に向けて引き絞っていた矢を放った。



 膨大な冥力を纏った純白の矢は、茶色の甲羅に突き刺さり爆発。肉が焼け焦げる臭いと共に爆風が巻き起こる。


『ウオオォォォォォ!!』


 残った三本から悲痛なうめき声が吐き出される。

 その間にも、噴き出された爆風は、それを起こしたリタニアを押し返そうと上空へと吹き上げていく。


 それを全身で受け止めたリタニアは落下速度を緩め、静かに甲羅の上に着地した。


「よし。」


 一度足場を確認してから大穴が開いている部分を飛び越え、彼女はガムルの方へと踏み出した、


「ガムル!! っ!?」


 だがその最初の一歩からそれ以上前へ進むことはなかった。


「カハッ」


 一瞬腹部に感じた痛み。


 肺から空気が全て吐き出され、痛みの代わりに腹部に熱が走る。


熱い。


 リタニアは少しずつ全身に熱が回っていくのが分かった。


 意識が、朦朧とする。


 揺れる視界の中、その先にいる仲間にリタニアは手を伸ばした。


 だがその手が届くよりも早く、リタニアの意識は熱に吸われるように薄れていった。




「リタニア!!」


 リタニアの悲鳴にガムルは駆け寄ろうとするが、その踏み出した足ですぐさま後ろへ飛んだ。


 飛び退く彼の横を凄まじい速さで何かが伸びていく。


 目の前で舞う数本の髪の毛に舌打ちをこぼしながら空中で一回転、甲羅の上を滑った。


 そこはリタニアとは正反対の方向だが、そう言っていられるほどの余裕は今のガムルにはなかった。


 斧を手に、なんとかリタニアの元へ走ろうとするが、それもまた目の前に突如現れたものに遮られる。


「くそっ。」


 頬に走る鋭い痛みに顔をひきつらせ、それを睨んだ。


 それは無数に並ぶ針の束だった。


 数え切れないほどの本数に加え、その一本一本が既に人の丈程もある、規格外の大きさ。


 ガムルは斧を叩きつけてみるが、予想通り弾かれ、鈍い衝撃が腕を突き抜けた。


 ガムルは仕方なく、また同じ場所、甲羅の中心へと舞い戻った。


「くそっ」


 その顔には焦りしかない。


 ここからは見えないが、ガムルは確かにリタニアが倒れるのを目撃していた。


「くそっ」


 早くリタニアのところへ、と気持ちばかりが急き、また焦りを引き起こす。


 その体は負の連鎖に絡めとられていた。


 今のガムルにはリタニアまでの数十メートルが、とてつもなく遠い場所に思えた。


 焦る気持ちをなんとか抑え、少しずつだが確実に思考を巡らせていく。


(考えろ、考えるんだ・・・・・・ん?)



 そこでガムルはある違和感を覚えた。


 数メートル先ではまだ針が剣山のように突き出されたまま残っている。


 なら甲羅から針を出せるのになぜ『ここを攻撃しないのだろう』か。


 その小さな疑問からガムルはさらに思考を深めていく。


 『攻撃しない』のではなくて、『できない』。

 なぜか。


「ここにいることが分からないから・・・・・・なるほど、そういうことか。」


 ガムルは愛用の巨大な斧を盾のように体の前に立て、走り出した。


 しばらく進むとまた同じように針が突き出される。


 それを斧で受け止め、飛び退くと、今度はまた別の方向へと走り始めた。



 何度それを繰り返しただろうか。また元の場所まで戻されたガムルは構えた斧を下ろした。


 その体には生々しい裂傷が至る所にあり、少なくない量の血が流れている。


 しかしその顔に浮かぶのは笑み。勝利を確信した笑み。


「見えたぞ、このデカブツ。」


 ガムルは腰に手を回し、何かを手に取るとそれを遠くへ放り投げた。


 投げ出された白い球体はしばらく空中をさまよっていたが、突然それから煙が吹き出した。


 その破裂と同時にガムルはそれと逆、つまりリタニアの方へと走り出した。


 斧を構えず彼自身の出せる全速力で走る。


 そして徐々にあの針のあった場所へと近づいていた。


 そう『あった』場所に。


 今は何も遮るもののないそこを、ガムルは全速力のまま走り抜けた。



 後ろをチラリと見ると煙のところで、あの大針が何度も突き出されているのが見える。


 それに心中でガッツポーズをしながら、ガムルは横たわるリタニアに近づいた。



 ガムルの読みは的中した。


 ガムルのいた場所、そこは甲羅の中心にも関わらず攻撃されなかった。

 ここで組みあがる仮説は一つ。


 そこが『死角』だったから。


 だがもし視覚で感知しているならこの平らな甲羅の上で死角などあるわけがない。


 ならなぜ見えない、いや、感じられないのか。


 四方にある四本の筒、その形状からも分かるが恐らく視力がほとんどない。地中で生活していたためだろう。


 では、何で感じているのか。


それは『嗅覚』


 サンドワームは匂いで獲物の位置を察知しているのだ。


 触覚や聴覚も視覚と同じく、ガムルのいた場所を攻撃できない理由がない。


 また攻撃範囲にも制限があることにもガムルは気づいていた。


 ある一カ所で針を出すと他のところでは出せなくなるのだ。


 色々な方向に走っていたのもそれを確かめるためだった。


 そこまで考えてガムルは賭けに出た。


 爆薬の匂いのする煙玉を投げることで敵の察知能力を撹乱したのだ。



 その賭けに見事に勝利したガムルは地に転がるリタニアの体を見回した。


 横たわる彼女の体に腹部のかすり傷以外、目立った外傷はない。


 だが、その顔は死人のように青白かった。


 この状態からガムルの中で思い当たるものは一つしかなかった。


「毒か。」


 ガムルはもう一度後ろへあの白い球体を投げてから、リタニアを抱えあげた。



 パン、という爆発音。


 それと同時にガムルはまた走り出した。


 この甲羅の端まで十数メートル。それをスピードを緩めることなく一気に駆け抜ける。


 毒が回らないようあまり動かすべきでないのは分かっているが、今はそうは言っていられない。


 ガムルはそのまま甲羅からためらいなく飛び降りた。



「うぉっ!? 高ぇ」


 飛び出してからガムルは初めて自分が今いる高さをはっきりと認識した。


 建物で言えば十階分ぐらいの高さだろうか。かなり樹齢のある木々が親指ぐらいにしか見えない。


「これ、死ぬかもな。」


 重力に引かれ落下を始めたガムルは他人事のように呟いていた。



 そうぼやきながらもリタニアを引き寄せ、上手く空気抵抗を受けながら足を下に向けた。


 無意味とも言える行為だが、ガムルにはもうそれしかできることがなかった。


「頼む。」


 後、五メートル。


 限界まで冥力を足に注ぎ、ガムルは衝撃に備えた。


一秒、二秒、



 スタッ


「ん?」


 もう来てもおかしくない足が砕けるほどの衝撃が来ない。

 代わりに足の裏に伝わる感触にガムルは閉じていた目を恐る恐る開いた。


「あれ? 立ってる、のか?」


 日常的に感じている、地に足がつく感覚。それを今ガムルは感じていた。


「なんで、まだ力は戻っていないのに・・・・・・」

「間に合いましたか?」


 飛んできた声に、ガムルは声の方を見上げた。


 そこにいたのは緑色の槍に腰掛ける黒髪の少女、


フィロだった。


「お前が?」


 まだ状況を掴めないガムルの前にフィロはゆっくりと舞い降りた。


「えぇ。ギリギリでしたが間に合って良かっ、いや、どうやらあまり時間はくれないようですね。」

 ガムルから視線を外し、彼女は軽く腰を落とした。


「時間って・・・・・・」

「気をつけてください・・・・・・来ますよ。」


 槍を構え直したフィロ目掛けて、またあの筒が振りおろされた。


 フィロは派手に岩石を巻き上げるそれを間一髪でかわし、体の回転を使って赤く染まった槍を横に振るう。


 それと同時にその筒の根元に巨大な術式が展開。そして、


弾けた。


『ウボオォォォォォア』


 生き物のようにうねる爆炎は、先ほどとは比べものにならない熱風を巻き起こし、その周りを容赦なく焼き尽くしていく。


「うっ。」


 その熱風に、樹の陰に飛び込んだガムルは肺が焼けないよう息を止め、布をリタニアの口元に軽く当てた。


 あまりの熱気に目を開けているのでさえ厳しい。

 だがそれを閉じるわけにはいかなかった。


 相手は『人ならざるもの』、常識は通用しない。


 しばらくその痛みに耐えていると、急に痛みがスッと消えた。


「ダンゼルさんのところへ行って下さい。解毒薬があります。」


 サンドワームを凝視したままフィロが声を飛ばす。


 フィロの術式だと理解したガムルは何も言わず、その小さい背中に頷いた。


 情けない話だ、とガムルは自嘲の笑みをこぼしたくなるが、そんなことよりもリタニアのことが優先だ。


 また小刻みに震える彼女の体を抱え上げ、恐らくダンゼルがいるであろう方向へと走り出した。




「私の仲間を傷つけましたね。」


 未だに呻き声をあげる怪物を睨みつけ、少女は一歩踏み出した。


「あなたは狙う相手を間違えました。」


 少女が一歩踏み出す度に残りの三本から威嚇の声が大きくなる。


 だがそれはどこか、来ないでくれ、と怯えているようにも聞こえた。


「ダメですよ。」


 しかし少女はその懇願を躊躇いなく斬り捨てる。


「この『ツケ』、しっかりと支払ってもらいますよ?」



 それが『合図』だった。



 史上最年少、第十階梯の虐殺が始まる。


「いた。ダンゼル!!」


 木々の間に見えた白いボディにガムルは声を張り上げた。


 そこにはすでに連絡を受けていたのであろうダンゼルが白衣を着て待っていた。


「ガムルさん!!

 話はフィロちゃんから聞いてる。早く中へ。」

「ああ!!」


 ダンゼルの指示通り、ビークルの中にある台にゆっくりとリタニアを横たわらせ、ダンゼルに目配せをした。


 それに頷き返し、ダンゼルはリタニアの顔色、傷口などを確認し、傍らにあった演算器(パソコン)に何事か打ち込んでからカバンから一本の注射器を取り出した。


「大丈夫なのか?」


「神経毒の一種だね。全身の神経が麻痺してる。

 でも思ったよりも少量でよかったよ。」


 腕に針を差し込み、少し青みがかった液体をゆっくりと流し込んでいく。


 全て流し終えたところでダンゼルはふぅ、と一息ついた。


「後一時間ぐらいで抜けると思うよ。」

「そうか。運んだ方がいいよな?」

「そうだね。ベッドに運んでもらおうかな。」


 ガムルは頷き、ゆっくりとリタニアを持ち上げた。


「もうすぐフィロちゃんも帰ってくるだろうから、出発の用意もしようか。」


 こんなに早く?とガムルが疑問に思うことはなかった。

 それは彼の中で常識が壊れてきているからかもしれない。


 この集団で『常識』は常識ではなく、『非常識』が常識なのだ。


「ああ。ありがとうな。」

「どういたしまして。だけどガムルさん、その傷、治療しなくていいの?」

「問題ない。」

「そう。」


 お互いに笑いあってから、ダンゼルは外へ出て行った。



「リタニア、ごめんな。」


 残ったガムルはすやすやと眠るリタニアを見下ろした。

 先ほどよりも幾分か顔色もよくなっているように見える。

 それに安堵の色を浮かべるが、すぐに陰った。



 ガムルは疲労の色を見せながら、ドサッと傍らのソファに腰掛けた。


「俺、足手まといだよな。」


 つい先日、『銀翼旅団』の一員だと豪語したばかりなのに、開けてみればこれだ。


 敵の存在に気づかず、そこを助けてくれたリタニアが逆にやられた・・・・・・・。



 ガムルはショックだった。


「俺にあの『力』があれば・・・・・・・」


 そこまで呟いたところで悪い考えを振り払うように首を強く振った。


「ないものを言っても始まらないだろ。しっかりしろ、俺。」


 ビシビシと頬を叩き、ガムルは深く深呼吸をした。


「昔から嫌なことがあればよくこうしていたな。」


 もう戻ることも取り返すことも出来ない、虚しい、だが懐かしい。忘れたくても忘れられない、家族との時間。


「またあの頃に戻れたらいいのにな。」


 そんな幻想を抱きながらガムルは頭上にある天窓を見上げた。



 その向こうでは、雲間から太陽が慰めるように顔を覗かせていた。




 だがそれを見るガムルは気づいていなかった。


 ベッドに横たわる瞳がうっすらと開いていたのを。






『ウボオォォォォォ』


 また一本数を減らすと、残りの筒が天に向かって吼えた。


「耳障りですよ。」


 眉をひそめながらフィロはまた赤い槍を振るう。


 それに呼応し、今度は術式が二つ同時に展開。

 吼える二本を塵すら残さず焼き尽くす。


 切り落とされた先端が先ほどと違い、力なく地に落ちた。


「そろそろ顔を出してもらえませんか? いい加減終わらせたいので。」


 茶色い甲羅だけが残るそこへ、フィロは明らかな軽蔑の視線を送る。



 挑発ともとれるその言動に、怒りからか、突然その甲羅が震えだした、いや、甲羅が波打っているのだ。


 それは地震の模型を見ているような奇妙な光景だった。


 あれほどまでの堅牢さを見せつけていた甲羅が水面のように波打つのだ。


 その揺れに周囲の大地はひび割れ、木々が倒れていく。


 だんだんとその振動は激しくなり、ついにはその甲羅が、


 浮いた。


「全く、手間取らさないで下さい。」


 フィロは呆れたようにため息をつき、すぐさま横へ跳んだ。



 バゴンッ


 それを追うように彼女がいた空間は、大量の空気とともに一気に呑み込まれた。


「空気はおいしいですか?」


 槍を構えながらフィロはもう一度ため息をついた。


 呆れる彼女の視線の先にあるのは、丸く、先端の尖った巨大な『頭』。


 よく見れば浮いているように見える甲羅も四本の大樹の如き足に支えられている。


 それは巨大な亀だった。


『ウオォォォォォア』


 尖ったくちばしを大きく開き、そこから発せられる雄叫びがまた大地を揺らす。


「うるさいですよ。」


 その怪物はその大きな目をギョロリと動かし、淡々と告げるフィロを捉えた。



『お前か、私の邪魔をするのは。』


 しわがれた声と共に丸い頭の五分の一を占める大きな瞳が少女を映す。

 対して、少女、フィロはそれに動じるどころか笑みを浮かべるほどの余裕があった。


「あれ、幼体でしゃべれるんですね。意外です。」


 皮肉の混じった言葉に怪物の目が細められる。

 それに気づいてもフィロはその口を止めない。


「やっぱり『召還門(ゲート)』を通ると話せるのですか? ねぇ? どうなんですか?」


『・・・・・・・』


「沈黙もまた肯定なり、ですよ。

 では次、あなたを呼んだ術者はどこですか?」


 無言のまま少女と怪物の視線が交錯する。


 最初にそれを外したのはサンドワームの方だった。


『・・・・・・・何の話だ。』

「とぼけないで下さい。それとも、こうしましょうか?」


 フィロの言葉に合わせ、また赤い術式が展開する。


 その上にあるのはその巨大な頭を支える首。


『ふん。まだ十数年しか生きていない小娘が。』

 ギョロリとまた目を動かし状況を確認してから開いたくちばしの間からしわがれた声が紡がれる。


「そういうあなたもまだ幼体ですよね?」

『それはまるで私の一族に会ったことがあるような言い方だな。まあ、そんなわけな・・・・・・・』


「ブギャナン」


『っ!? 小娘、なぜその名を知っている!?』


 フィロのたった一言で亀の雰囲気が豹変した。

 目は血走り、体全体が小刻みに揺れ、茶色から血のような赤に染まっていく。


 それはフィロに火山を彷彿させた。


「殺した相手の名前を覚えていておかしいですか?」


 だが彼女は物怖じしない。

 まだ火力が足りないと言わんばかりに油を注いでいく。



『お前が先代を、『六王獣(りくおうじゅう)』の一角を倒した、だと・・・・・・・』

「ええ。」


 そこで初めて亀の瞳に恐怖の色が混じった。


 『六王獣』、それはこの国にいる『異常種』の六大勢力の頭の総称。それ一体は街一つを容易く潰せるほどの力を持っていると言われ、膨大な懸賞金がかけられている。

 だが、六王獣の方は理由は分からないが、勢力同士の衝突はあってもめったに自分達から人を襲うことはない。


 そのため帝国側は牽制をするだけで刺激をしないようにしているのだ。懸賞金もまたかけられてはいるが帝国側の皇帝の許可が必要となる。


 なのにこの少女はそれを殺したと言っている。


 確かに一年前、その頭が変死を遂げていた。


 全身が焼けただれ、一部は炭化、消滅していた。


 そうこの少女の術と全く同じ現象なのだ。


 焦りを見せ始めるそれに微笑みながらフィロは一歩、踏み出した。


 氷の張った湖のような、肌を突き刺す冷たい殺気が彼女達を包んでいく。


「さて、私は答えました。つぎはそちらの番です。


 術者は誰ですか?」


『・・・・・・・知らない。』


 その声色からフィロは真実と判断し、軽く頷いた。


「じゃあ質問を変えましょう。それはどこにいますか?」

『分からない。いつの間にかここに呼び出され、操られていた。』


「なるほど。

 では、操られていたと言いましたが、どのような命令でした?」


 何の感情も含めず、彼女はただ淡々と質問を続ける。


『・・・・・・・あの道を通る男2人と女2人の集団を殺せ、と。』


「・・・・・・そうですか。ありがとうございました。」


 若干の歯切れの悪さに信憑性は欠けるが、フィロは軽く頷き、ぺこりと頭を下げた。


 その反応にサンドワームは身の安全を感じたのか、目を細めながらゆっくりと首を甲羅へ戻し始めた。


「さようなら。」


 しかし、少女の唐突な一言で、またその体が凍りついた。


 顔を上げたフィロは満面の笑みと共に、手にある炎のように赤い槍を地面に打ちつけた。


『ウオォォォォォアアアア』


 瞬く間に火柱が五つ噴きだし、剥き出しになっている肉を容赦なく炙っていく。


 その部分は火傷を通り越し、炭化。そして塵へと変わっていた。


『小娘ぇぇぇええ!!』


「言ったはずです。」


 叫び声を上げるそれに背を向け、フィロは歩き出した。


「仲間を傷つけるものは誰であろうと許さない、と。」


 後ろから炎を纏ったあの巨大な頭が迫る。


 尖った口が少女を呑み込まんと大きく開かれた。


『ウオォォォォォオオオオオ』


 最後の力を振り絞った決死の攻撃。


 だがそれは彼女の服に微かに掠るだけで、終わった。


 彼女のすぐ後ろで、長い断末魔の後に、もう一度だけ小さく地面が揺れた。


『私が、こんな、小娘に・・・・・・』


 老人のような奥から絞り出された声。


「本当は私はあなたと同じなのかもしれません。」


 それを背中越しに聞きながら、フィロはぼそりと間もなく死に逝くものに呟いた。


「私は道具。ただ戦うためだけに産み出された兵器。」


 彼女の表情に変化はない。いや、何も表情がない。


「だけど、そんな私をリューガは必要としてくれた。みんなが必要としてくれた。」


 淡々とした彼女の言葉だけが辺りを支配する。

 もうそれは事切れている。それが分かっていながら、フィロの口は止まらなかった。


「あなたはそれを傷つけた。あなたは私の絶対領域に踏み込んだ。」


 黒い塵を巻き上げた風が、彼女の黒髪をなびかせた。


「だから私はあなたを殺した。大切なものを守るために。」


 風に翻弄されるそれを押さえつけながら、彼女は元来た道を戻り始めた。





「あっ、ガムルさん。フィロちゃんが帰ってきたよ。」


 運転席でハンドルにもたれていたダンゼルが体を起こした。


 ガラスの向こうからフィロが近づいてくるのを確認してから鍵を捻った。


 ドルン、という起動音とともに車体が小刻みに揺れ始める。


「お帰り。」

「ただいまです。」


 激しい戦闘をした後のはずなのに、その体からは出ていった時と変わらず、全く疲労の色が見えなかった。


 さすがだな、と感心しながらもダンゼルは傍らに置いてあった水を差し出した。


「ありがとうございます。」


 それを笑顔で受け取り、フィロは助手席に腰掛けた。


「ガムルさん。出すけど、大丈夫?」


「ああ。大丈夫だ。」


 奥からの返答によし、と頷いてからダンゼルはペダルを踏み込んだ。








「ちっ。しくじりやがって。」


 そこからいくらか離れた森の中、木にもたれかかり、耳に手を当てた男がいた。

 茶色の着物を纏い、腰にはいくつも紙を丸めたものをさしている。



「砂漠の三大異常種の一つと呼ばれているから呼び出したのに、期待はずれにも程がある。」

「何がだ?」

「そりゃあ、・・・・・・・誰だ!?」


 いきなり後ろからかかった声に男はとっさに振り返る。


 だがそこには誰もいない。


「誰だ!? どこに、っ!?」


 右へ左へ首を巡らせていると男はその首もとに冷たい金属の感触を感じた。


 目線を落とすと、見覚えのあるものがそこにあった。


 刀身が通常の二倍はある、機械を彷彿させる片刃の剣。常人には扱えないであろう武器(えもの)


 こんなものを持っているのは、この国に一人しかいない。


「りゅ、リューガ=F=エスペラント・・・・・・・」

「さっきの話を詳しく聞きたいんだが、答えてくれるか?」


 龍牙は剣を男の首に軽く押し付けた。たったそれだけで首もとに赤い筋が走り、滴が垂れていく。


「何が、知りたい・・・・・・」

「お前が何者か、後、お前のバックについている者だ。」

「ちっ。ガッ、アアアアア!!」

 男は分かっていた。答えたところで自分が助かることはない。だから黙秘しようとした。


 だが何だこの痛みは。

 痛みのあまり思考は途切れ、ただその問いのみがぐるぐると廻る。


 今まで感じたことのない、信じられないほどの痛み。しかもそれが全身から感じられるのだ。


「な、何をした・・・・・・・」

「答えてくれるか?」

「誰、ガ、アアアアア!?」


 体中がタオルを絞るようにメキメキと捻れていく、そんな激痛が駆け巡る。


「仕方がないな。」


 呻いている男の前に回り込み、その目を覗き込んだ。


 龍牙の瞳が一段と濃い紅に染まるのを認識したのと同時に、男は左手に痛みを感じた。


 今度は捻られるのではなく、刺されたような鋭い痛み。


 今までと全く違う痛みに、自然とそこへ目が向けられる。


 信じられないほどゆっくりに感じられたその動作の後、男は自分の目を疑った。


(いつ、現れた・・・・・・)


 巨大な黒い物体が彼の腕をくわえていたのだ。


 獰猛さを際立たす、鋭く伸びた牙に四肢の先にある爪。


 それは犬だった。

 その体躯は男の背丈と変わらないほどに大きい。


「は、離せ!! ぐっ!!」


 払おうと右手をとっさに伸ばす。


 だがそれもどこからか現れた別の黒い犬に噛みつかれた。


「なんなんだ・・・・・・・お前らはいったい何なんだよ!?」


 なんとか振りほどこうと動かすが、牙が深く突き刺さっているのだろう、全く抜ける様子がない。


「なんだよ!? なんなんだよ!?」


 四方八方から向けられる殺気に、男はチラリと周りを見て、動きを止めた。


 いや、動けなかった。


 自分の両腕に噛みつく黒い大型の犬。それが周りに数え切れないほどひしめき合っていたのだ。


「嘘だろ・・・・・・なんで、」


 その黒い波はじりじりと獲物を追い詰めるように近づき、一気に飛びかかった。


「いったい何なんだぁ!!」


 質量を増していく黒い塊に埋もれ、男の声は虚しく掻き消されていった。


「永遠の地獄を彷徨え。」

 龍牙は膝をつき白目を向く男に背を向け、歩き出した。


 そこは先ほどの森の中。


 そしてそこにいるのは、二人。


 男の体には目立った外傷がないが、何度も痙攣を繰り返している。


 それを振り返りもせず龍牙は歩き続けた。


 しばらく進むと、前方から森の終わりを告げる光が差し込んできた。


 そのまま森を出るとあまりの明るさに手をかざしながらすぐ横にある茂みに近づいていく。


 龍牙の肩ほどまである茂みの前に立ち、右手を差し込むと、ゆっくりと何かを引き抜いた。


 出てきたのは愛用の黒塗りの『自動二輪(バイク)』。


 それについた葉を丁寧に払いのけてから跨ると、それは重低音を奏でながら走り出した。



 黒い狼は見渡す限りの青い地平線を駆け抜けていく。



 巻きあがる植物の葉が放つ独特の香りを風に乗せ、龍牙は走り続けた。


 彼を待つ、仲間の元へと。









  

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