迷宮都市 第拾八話
扉の向こうに消えていく嬉々とした背中に苛立ちを覚えながらもガムルはそれ以上言わなかった。
もうガムル自身、先ほどの自分の発言で未練がたらたらなのが知られてしまったことは分かっている。だが、それでもあの男に対するつながりはここで全て断ち切らなければならなかった。
今のガムルには少し狭い扉、そこにかけられた梯子に足をかけながらガムルは自分の決意を心の中で反芻した。
久しぶりに再会した元同僚であり、自分の復讐の対象であるその男は、もうどうしようもないところまで堕ちていた。
コツコツと慎重に足を運びながらガムルは昔のことを思い返した。
五年前、丁度、秦国との小規模な戦争が起こったとき、同じ部隊にいた自分とエリック。共に同じ任務に挑み続けたこともあり、『親友』と呼ぶに値する信頼関係が出来上がっていた。少なくともガムルはそう思っていた。
だけどあの男、エリックは裏切った。
「チッ」
小さく舌打ちを零しながらガムルは三段程の高さからためらいなく飛び降りた。
ドシン
ガムルにとっては僅かな衝撃だが、その下で支えるビークルにとっては大きすぎる衝撃だったようだ。岩のようなその巨体を平然と支えられず、ビークルはまるで地震でも起こったような縦揺れを起こした。
こういった移動手段に弱い者にとって死活問題なるほどの揺れに一瞬しまったとした顔をするが、チラリと運転席を見た後何事もなかったかのように後部へと足を向けた。
責めるような視線が後頭部に突き刺さっているのがわかるが、ガムルは努めてそれを無視し、少しでも視線から頭を守ろうと頭の後ろで腕を組むと同時に思考を打ち切った。
もう、感がても意味のないことだ。そう自分に言い聞かせながらガムルは別の議題を取り出した。
「こんな終わり方は気に入りませんか?」
「っ!?」
ガムルの正面、ガムルの特等席となりつつあるソファの向かいからかかった声にガムルは意味もなく肩を揺らした。
「なんだ、フィロか。」
「なんだとは、失礼ですね。」
膝の上に何やら分厚く大きな書物を抱えた少女はソファに腰を下ろし、ジッとガムルを下から鋭い視線を向けてくる。
「悪い。そういうつもりじゃなかったんだ。」
さすがに耐えられなくなったガムルは両手を上げ、首を振りながらその向かい、自分の特等席に腰を下ろした。
「素直に謝られると逆に調子が狂いますね。」
お前の方が失礼じゃないか、という言葉をぐっとこらえ、ガムルは姿勢を正してから先を促した。
「別に、そんな不満はねえよ。こっちの私情も粗方片付いたしな。後は……」
「リーブくんはどうなるのか、ですか?」
言葉をかぶせてきたフィロに頷きながらガムルは背もたれにもたれかかった。
「そう聞いてくるってことは、あいつのために何かしてやったのか?」
「いえ、何も。」
ガクッと後ろにずり落ちながら、冗談かなどと考えてみるが、そんな彼を見るフィロの目は真剣そのものだった。
そんなガムルの心情を察したのだろう。フィロは膝の上の本を閉じるとそれを傍らに置いた。
「ただ、彼は大丈夫です。」
「なんでそんなこと言えるんだよ?」
「それは彼が安全な状況下にいるからです。」
珍しく事務的な口調で即答されることに違和感を覚えながらも、ガムルは思ったことをそのまま口にした。
「リーブはあのジジイと一緒にいるんだぞ? どこに安心できる要素があるんだよ?」
そうゲンと名乗ったあの男は情報のためだけにリーブに近づいたような男なのだ。それに任せるなど、いくら龍牙やダンゼルたちの命令とはいえ十分納得できるものではなかった。
しかし、フィロの反応はガムルの予想の正反対だった。
「だからこそ大丈夫だと言っているんです。」
「なんだと? あいつは情報を求めてリーブに近づいた男だぞ!? そんなやつに任せて……」
「最初はたしかにそうでしょう。でも今のゲンさんは違います。」
「なんでわかるんだよ?」
大声を張り上げたいのを我慢し、小さく唸るように問い詰めるガムル。それに対し、一切表情を揺らがさないフィロはフゥと小さくため息をついた。
「リューガとゲンさんがにらみ合ったとき、彼はこう言いました。」
『それにこんなところでお前とやりあったら勝ち負けは抜きにしても『俺達の家』がなくなっちまうのは確実だからな。』
「それに最後にも言いました。」
『これは『ランズボロー』の問題じゃ、余所者に手伝ってもらうわけにはいかんよ。』
あっさりとしたフィロの答えにガムルは何も言えなかった。
たしかにあの老人はリーブと情報源を求めて接触したと言った。だが、たしかにその言葉の端々に決してそれだけとは思えない言葉が散りばめられていることに今更ながらガムルは気付いた。
「ではもう一度聞くとしましょう。こんな終わり方は不服ですか?」
「……リーブのことは納得した。だけど研究所は潰さないとこれ以上の被害が、」
「それも問題ないでしょう。」
ガムルの危惧すること全てに即答してくる少女に大人気なくムッとするが、何も言わず先を促した。
「今回、ガムルさん達に合流する際、リューガが盗みだした研究所の書類を印刷して街にばら撒いておきました。」
「で?」
「さらに地下での虐殺行為も相まって今、街の中ではいたるところで暴動が起こっています。」
「まあ、そうだろうな。で、それがなんで街の安全につながるんだ?」
そのガムルの問いに今まで表情を変えずに語っていたフィロは初めて眉を揺らした。もちろん、不機嫌な方へ。
ガムルとしてはなんとも不本意な反応ではあるが、説明してもらっている手前、何もいうことができずに辛抱強く続きを待った。
「ふう、まあいいでしょう。例え、私が研究所を潰したとします。」
「ああ。」
「さて、それでこの街での研究は終わるでしょうか?」
その問いにガムルは直ぐに首を横に振った。
「終わらないだろうな。再建設しようと動くだろう。」
「ではどうすればそれを防ぐことができるでしょう?」
「えっと……」
「答えは簡単です。」
ガムルに悩む暇も与えずフィロは続けた。その対応に不満そうな視線を向けるがものの見事に無視された。
「街に住む市民の多くの『自衛』意識を高めることですよ。騎士を頼りにするのではない。自分たちの力で街を、自分たちを守っていく。そういう形を作り上げる必要があるのです。」
そこまで説明されてガムルはやっと理解した。龍牙の言葉の意味が。
「それをするためには今回しか機会はなかったのです。平和ボケした民衆の意識を改革するにはこの時しか。」
「だけど、あいつらに戦えるのか? どう考えても戦力が……」
「恐らくそう遅くないうちに本部の方から調査員が派遣され、今、この街にいる騎士の多くが何らかの処分を受けるでしょう。この街での闘いはこれからなんですよ。」
「なるほどな。」
「というわけですが。納得していただけましたか?」
証明終了とでも言いたげにまた大きな書籍を開いたフィロにガムルは頷いた。
「まあ、理由はわかった。できればもっと早くに知りたかったけどな。」
「緊急事態でしたから。それに分かっていなかったのはガムルさんだけですよ?」
「……やっぱりか。」
先程からダンゼルといい、フィロといい、その反応にまるで出来の悪い子供を相手にしているような節が見えていたので予想はしていたが、できれば的中して欲しくはなかった。
「まあ、次から気をつけるよ。」
照れくささを紛らわすために頭の後ろに手を伸ばすが、それはピタリと止まった。
「次はしっかりと周りを見るようにしてくださいね?」
「あ、ああ。」
眉をピクピク揺らしながら向けられる殺気のこもった視線に、ガムルはただガクガクと頷くことしかできなかった。
通信の切れた受話器を手に持ったまま外を眺めていたミリートは自然と口元が釣り上がるのがわかった。
たしかに自分を出し抜いた彼らに怒りや悔しさを覚えていないわけではない。だが、それ以上に嬉しかった。
久々に心躍る敵に巡り合えた。
ただそれだけで、色あせていた風景が一気に色づいたようにすら感じられた。
猟奇的な集団をまとめる彼もまた、戦闘をこよなく愛する生まれながらの武人なのだ。
「どういうことだ!? 説明しろ!?」
久々の好敵手の登場に胸を躍らせていたミリートは後ろから聞こえる怒鳴り声にふと殺意が沸くが、なんとかそれを押さえ込んだ。
今はこんな奴の相手をしている暇はない。
「奴らは街の外へと逃げたようだ。お前の無能な部下のせいでな。」
「なんだと!?」
傍らの椅子の背にかけていた上着を手に取り、控えめに袖を通した。
「いや、そんな部下を使っているあたりお前にも問題があるのか。」
「貴様……!!」
獣のように唸る所長に通信機を投げ返し、ミリートは襟を正しながらふうと一つため息を零した。
「悪いが俺はここで抜けさせていただく。地下街のことは俺を含めた全員の永久追放でいいだろう。慰謝料もこの街に残す俺達の金を使えばいい。」
「そんなもので許されるとでも……」
「思っていないさ。だが、俺はもうこの街に興味がなくなってしまった。」
純粋な怒りが向けられてくるのも気にせずその横をすり抜けようとした。
「今まで生活できたのは私のおかげだというのを忘れたのか?」
「たしかにその件は世話になったのは間違いない。だが、もうそれだけの仕事はさせてもらったはずだ。」
「なんだと、貴様!?」
肩を掴まれ、無理やり振り向かされたミリートはその目を、顔を怪しげな光を宿した目で見つめた。
「地下通路を使った裏からの資材の搬入、実験体の確保、並びにそれを行う犯罪組織の統率。私がここにいることでお前の立場がより悪くなるぞ?」
「くっ!?」
会話の主導権を握ったことを確信したミリートはニヤリと笑い、対称的に容赦のない言葉を向けられたエリックは苦虫を噛み潰したような表情で上体を仰け反らせた。
地下の住民達、それを支配していたスーツ姿の男達。彼らはたしかにエリックがミリートを使って指揮統括していた者たちだ。
彼らはこれまでに窃盗、殺人、その他様々な罪状を抱える犯罪者集団だ。このつながりがバレてしまえば、エリックの首は間違いなく跳ねられるだろう。もちろん、物理的に。
「……だが、さきほどの虐殺はどうする!? 実行犯を逃がしたとあればそれは……」
「しかしお前の指示で行われたことにはならない。たしかに非難は浴びるだろうが、お前と下の奴らのつながりは全て消しておいてやったんだ。部下の暴走とした方がお前の罪状は僅かだが軽くなるだろう。軍法会議で即刻処刑は免れるはずだ。」
そこまで言われるともうエリックには返す言葉が見つからなかった。
地下の統率は全てミリートの部下たちによって行われていたため、ここで彼らが逃げ出せばその事実は公にならずに済むかもしれない。
追い込まれたエリックは足元に視線を落とし、ミリートの言葉を信じるかどうか一瞬思考を巡らせる。
そして自分の身を考えるともうこの話に乗るしか生き残る術はないのだとそう長くない時間で悟った。
俯き肩を落とす『元』上司にミリートは改めて背を向け、扉の間に身体を滑り込ませた。
「というわけだ。後始末ぐらいは自分でやるんだな、所長さん。」
ゆっくりとしまっていく扉の向こうで、微かに呪詛が聞こえた気がしたがそんなことに気にかけるはずもなく、ミリートは軽い足取りで歩みだした。
その歩みは真っ直ぐに新たな好敵手へと向かっていた。
そして帝国史上『三番目の』大騒動はなんとも言えないほろ苦さを人々の心に残しながら、終息への道を歩みだした。