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迷宮都市 第拾六話

 


 暗い、灯りが付いていない部屋の中に入っていくガムルを見送ってからリタニアは自分の前に置かれたカップに初めて口を付けた。


 出されてからしばらく経っているため中身である紅茶はかなり冷め切っているが、喉のあたりで詰まっている言葉を吐き出すには十分だった。


「そろそろ、本当のことを話してもらっていいかしら?」

「……何のことじゃ?」

「とぼけても無駄よ。」

 リタニアは呆れたように肩をすくめてみせるとポケットから取り出したものを机に放り投げた。

 机の上に放り出されたのは音声、動画、画像を撮影、保存できる携帯端末だった。

「研究所内でリーブの母親と話したわ。」

「……何か言っておったかの?」

 こちらの出方を探ってくるような

「彼女は元騎士で無断で騎士団を抜け出した、と。」

「それがどうかしたか?」

「それを聞くまでは思い出せなかったわ。『ゲン』なんて変わった名前、どう考えても秦の国のもの。」

「ほう、で?」

「だけどこの国に住んでいることを考えると、秦とロザンツの混血と考えるのが打倒。そして、騎士と面識があり、一般人とは思えないほどの情報収集能力、そして『ゲン』。

 ここまでの手がかりをもらったらさすがの私でもわかるわよ。」


 またため息。だがそれは自分の思慮が足りなかったことに対する自虐的なものだった。

 

「『夢幻奏者』、あなたの二つ名でしょ?」

「……昔の話だ。」

 正解だ、と言外に応えるゲンに小さく頷くとリタニアはさらに続けた。

「『諜報機関』にいながらその余りにも強力すぎるその力に『四聖人』入りさえ囁かれた嘗ての雄。すぐに思い出せなかったのが恥ずかしいぐらいよ。」

「十年も前の話。君のようなお嬢さんには似合わぬかび臭い話よ。」

 苦々しげに顔を歪めながら老人はカップを初めて口に運んだ。

 

「でも、だからこそ、これだけの情報を得ることができた。だけどここで疑問に思うことがある。」

 そう言葉を切るとリタニアは一度カップの中の液体を口に含んだ。

 緊張のあまり、パリパリと音がするほどに乾いてしまった舌がまた潤いを取り戻していく。ゆっくりとそれを飲み込んだリタニアは、一番聞きたかったことを口にした。


「あなたの本当の目的はなんなの?」

 

「どう言う意味じゃ?」

 傾けたカップで口元を隠したまま、鋭い眼光を向けてくるゲンにリタニアも視線を一度手元の水面に落としてから口を開いた。


「言葉のとおりよ。最初に侵入するときに警備にあたっていた機械兵と遭遇した。だけど考えてみれば内部の地図を手に入れられるほどのあなたがこの程度の警備情報を見逃すわけがない。そうよね?」

 確認するように少し前に身を乗り出してみるが、目の前の老人は微塵も動かず、ただリタニアの次の言葉を待っているようだった。

 リタニア自身も直ぐにゲンが口を割るとは思っていない。だからこそ彼女がたどり着いた答えを先に提示してみせた。


「……となると考えられるのは、あなたが『敢えて私たちを機械兵に当てた』という可能性よ。」

「……」

 未だ無言を貫くゲンから視線を逸らし、リタニアはその細く艷やかな人差し指で研究所の地図の上を何度もすべらせた。


「なぜそんなことをするのかわからない。だけど、もし本当に狙っていたならもう一つ分かることがある。」

「なんじゃ?」


「あなたが、研究所で行われていたことを知っている、ということよ。」

 そのほぼ確信に近い予想に、初めてゲンがその眉を微かに揺らした。

 それを目ざとく見逃さなかったリタニアは口元が微かに歪むのを堪えながら詰にかかった。


「あなたが最初に私たちに目的を話した時の言い方、まるで誰かと共同でやっているかのような言い方だった。

 『街を変える』、こんなことを言うには今のあなたは『弱すぎる』わ。実力はあってもこの街を統治するほどの実質的な権力ちからがなさすぎるのよ。ここから考えられるのは、だれか『協力者』がいるということ。」

「ふっ、確かにそうじゃな。」

 降参だ。そう表情で示したゲンは背もたれに深く背中を沈めた。


「なら教えてもらってもいいかしら?」

「別に構わんよ。特に君たちに隠す必要もない。それに、いずれは話すつもりだったからの。」

「話すつもり? それってどういう……」


コンコン


「ほれ、そう話している間にきたようじゃぞ。」


 リタニアのさらなる疑問を遮るようになった扉を叩く音にゲンは立ち上がり、音がする玄関とは真逆、この部屋の壁にあった扉に手をかけた。


「これが答えじゃ。」

 そして開いた扉の向こうに立っていたのは、


「あんた達は……」

 


「……っていう話だ。」

「そんな……」

 リーブは生まれて初めて言葉を失った。

 ガムルが自分にだけ明かしてくれた過去は、自分が今いる世界とは異世界の話にしか聞こえなかった。

 自分の体が自分のものではないような、そんな感覚にたまらず自分の身体を抱きしめるリーブにガムルはフッと小さく笑いを漏らした。


「この話をしたのは別にお前の悲しみなんか大したことない、なんて言うためじゃない。その悲しみを憎しみを俺みたいな方向に向けるな、っていう意味だ。」

「……なんでだよ?」

「俺を見ていればわかるだろ。」

 疑問ではなく断定。確かにリーブはその意味を理解していた。だがそれを受け入れるほどにはまだ少年は成熟していなかった。

「でも……」

「俺のように憎しみに囚われて人生を不意にするやつはもう沢山だ。」

 そう語尾を強めるとガムルはおもむろに機械剣を引き抜いた。

 斧に展開されたそれを目の前に掲げながらガムルはこれまで口に出したことのない自分の決意を初めて言葉にした。


「この世界、この国とまでは言わない、だけどせめて目の前で生まれる憎しみを全て俺が受け持ってやる。」

「……」

 その鋼のように堅く、強い意志にリーブはもう何も言わなかった。

 先ほど聞いたガムルの過去。たしかに目の前のこの男が自身の目的を果たせば、今、彼が口にした決意は大体実現できるだろう。

 


「そんなの無茶苦茶だよ。」

「……そうだな。今の俺を見ればそんなのは逆立ちしても無理だ。でも、復讐のためだけに生きるのは、俺はやっぱり違うと思うんだ。」

 憎しみを糧に動く集団にいながら何を言っているのか、それは分かっているが、今この場に来るまでに失った存在を考えればガムルの中に新たな思いが生まれていた。


「復讐は絶対に成し遂げる。だけど、それが終着点じゃ意味がないと思うんだ。」


 それは先のまた先、未来のまた未来の話。


「まあ、何をすればいいのか分からないけどな。」

 フッと小さく笑うガムルの顔にはもう先程までの負の感情はほとんどなかった。


「だから、リーブ。お前にも自分の未来のために生きて欲しい。憎しみを、悲しみを忘れろなんて言わない。いや、逆に忘れないでくれ。お前の母親は死んだ。だけど、お前の記憶の中で生き続けるんだ。」

 そこまで言うとガムルは拳を握られたリーブの手にそっと自分の手を重ねた。


「お前の母親は死ぬ間際でもお前のことを想っていた。『愛している。今までも、これからも』これが彼女の最後の言葉だ。」

 その言葉にもう枯れたと想っていた涙がリーブの目から溢れ出た。

 最初は一滴だけだった。だがそれは徐々に量を増やし、ついには滝のように流れ出ていた。


「彼女の生きた証であるお前が、復讐を目的に生きるなんて母親に言えるのか?」

「言えない……言えるわけがないよ。」

「な。だから、」

 必死で涙を拭う少年の頭を抱え込みながらガムルはそっとその耳元で呟いた。


「俺のようには、なるなよ。」


 


 


 目を真っ赤に腫れ上がらせたままではあるが、やっと涙が止まったリーブとともに扉をくぐったガムルは、リーブの手を握ったままあんぐりと口を開けていた。


 石像のように固まってしまったガムルを不思議そうにリーブが見上げているが、当の本人はそれに気づいていない。

 いや、あまりの衝撃に真正面しか見えていないというべきか。

「な、なんで……」

 パリパリと一瞬にして張り付いた唇をはがしながら呟いた言葉は小さかったのか、それとも最初から無視しているのか、それを向けた相手は背中を向け続けるのみだった。その向かいにいるのは小さく苦笑を漏らしている辺り、後者が正解なのは明確だった。


そして驚きよりも苛立ちが勝った瞬間、ガムルは叫んでいた。


「なんでお前らがいるんだよ!? リューガ!!」

 その大声にやっと振り返った赤い目をガムルはこれでもかと睨みつけた。

 そう新たに居間に加わったのは龍牙、ダンゼル、フィロの三人だった。


 椅子の背もたれに持たれたまま振り返る龍牙の向かいでは、ダンゼルが両手でカップを抱えたまま苦笑し、その横ではブスっと不満気な顔をしたリタニアがカップに口をつけている。

 最後の一人、フィロはと言うと、恐らく龍牙の横に座っているのだろうが、背もたれが大きいがために、その頭頂部しか見えていないがその頭頂部が前後に揺れている辺り、リタニア達と同様、優雅に紅茶でも飲んでいるのだろう。


 だが、今のガムルにとってそんな三人の仕草はどうでもよかった。


 ただこちらを一度みやり、すぐにまた無言で体の向きを戻した龍牙になぜだか頭に来ていた。


「何か言えよ。おい。」

「まあまあ、ガムルさん。」

 掴みかかろうと龍牙に歩み寄るが、それはカップを置いたダンゼルに遮られた。その額に薄く汗が浮かんでいるあたり、ここで暴れることを危惧しているのだろう。

 年下にそのような気遣いをされたこともあわせて、ガムルはこれでもかと表情を歪めながら手近にあった背もたれのない椅子にドカリと腰を下ろした。


 ひとまず騒動が収まったことに安堵の息を漏らすダンゼルが席に着いたのを確認してからガムルは改めて口を開いた。


「これはどういう状況なんだ?」

「ヒューズがゲンの協力者だったのよ。」

「……へえ。」

 あっさりとした答えにガムルは感嘆の声を出す一方、心の中では納得していた。

 ゲンの実力の程は知らないが、例え制圧できてもこの街を実効支配していくには力が足りないとガムルもまた思っていたのだ。


「なるほどな。だからお前らがここにいるわけか。」

 わざとらしく呟きながら、横目で平然と黒い液体に口を付ける団長をみやった。

 見られている方は何も気にしていないのか、その優雅な動作に微塵もゆらぎがない。


「ちっ」

「まあ、そういう事なんだよ。だから事後処理の打ち合わせのためにヒューズさんの使用人の方に場所を教えてもらったんだよ。」

 不機嫌顔を直そうとしないガムルに苦笑を漏らしながらダンゼルが龍牙の代わりに応えた。


「だからこれからは大人のお話になるから、リーブくんも少し外してもらっていいかな?」

「おい、こいつは……っ!?」

 当事者だぞ、と続けようとしたガムルの肩を掴んだのは、意外にも小さな手だった。


「分かった。それじゃ、外で待ってるよ。」

 平坦な声で応じた少年はガムルの顔を一度も見ることなく、地下街へと続く扉の向こうへと走り去っていった。


「ダンゼル、どういうつもりだ?」

「これから先は彼にとって、とても衝撃的な話になる。だからだよ。」

「衝撃的、だと?」

 鸚鵡返しに訪ね返すガムルに頷くダンゼル。だが、その横でピクリと肩が跳ねた。


「リタニア……?」

 その張本人の名を呼んではみるが、こちらを一切見ようともせず、じっとカップの紅い水面を見つめている。

 まるで負けたことを悔やんでいる子供のように。

 そのことがかなり気がかりではあったが、ガムルは直ぐにダンゼルに視線を戻し先を促した。

 

「まず最初に、僕たち四人が侵入したことに関する映像資料、書類は全て処分してきた。だから、僕たちの姿を直接見た人間以外には恐らく僕たちの存在は漏れていないはずだよ。」

「見られているやつ、ね。」

 ひっかかる言い方だ、と内心嘯きながらガムルは無言で頷いた。

 それに頷き返しながらダンゼルは口を開いた。


「所長についてはこちらと直接接触する機会があったから、その時に今日のことは忘れてもらったよ。」

 どうやって、と聴く必要はなかった。ガムルは視線も向けず、となりに座る男に意識を向けた。

 妙に静まり返る場に小さく首をかしげながらもダンゼルは事後報告を続けた。


「とまあ、事後処理についてはこの程度。頭を抑えたから多分、問題なく外に出れると思うよ。で、次に……」

 そう言葉を切り、傍らにおいていたカバンの中から布に包まれたものを机の上に取り出すとそれをゆっくりとすべらせた。


「ヒューズさんからの報酬です。受け取ってください。」

「かたじけない。」

 ゲンの前へと。


 だが、なぜかそのやり取りにガムルは違和感を覚えずにはいられなかった。

 確かに契約関係ということを考えるとこのやりとりは何もおかしくない。だが、ガムルはそのゲンの表情に根拠のない『違い』を感じ取っていた。


「ガムルさん、ここで一つあなたに報告しないといけないことがあるんだ。」

「なんだ?」

 その違和感を暴き出そうと視線を鋭くしていたガムルだったが、その横槍に止むなく視線を正面に向け直した。

 だが、その言葉を向けてきた本人はと言うと、視線をゲンの方へ向けたまま黙り込んでいた。

 何をためらうことがあるのか。それほどに『銀翼旅団』にとって不利益なことが起こったのか、その傍から見れば僅かな沈黙の間にいくつもの憶測が浮かんでは消える。


 そしてたっぷりぴったり五秒後、ダンゼルはゆっくりと口を開いた。

 

「……ゲンさんとリーブの母親であるラウさんには、何の関係もないんだ。」

「は?」

 なんだそれ。それがガムルの正直な感想だった。

 母親と何の関係もない、それはつまり、


「……てめえっ!?」

 リーブを外へ追い出した理由、その全てを悟ったガムルはゲン飛びかかろうと立ち上がった。

「うっ!?」

 だがそれをいち早く察知していた彫刻のように美しい手がその襟首を掴んでいた。そしてその女性のようになめらかな指に引きずられ、為すすべもなくそのまま椅子に引きずり戻された。


「ゴホッゴホッ、龍牙っ!? なぜ止める!?」

 椅子の上に凄まじい力で押し付ける美青年をガムルは目に涙を貯めながらも睨みつけるが、押さえつける力が緩まることも、表情が揺らぐこともなかった。

 ただただどこまでも冷たく冷静な目が怒りに揺れるガムルの瞳を捉えて離さなかった。


「抑えろ。お前がこいつを殴ったところで何も変わらない。」

 小さく囁くような声量だが、不思議と憤怒に我を失うガムルの耳にもハッキリと届いていた。


 だがここで抑えるつもりはガムルには全くなかった。

 自分の心のよりどころとし一番の信頼をおいていた人物が、ただ自分を利用するだけのためにいままで一緒にいた。そんなことをリーブが知ったらどうなるか。

 恐らくその心は再起不能なまでに打ち砕かれることだろう。


「うるせえ!! 俺は、こいつを殴らねえと気がすまねえんだよ!!」

 そんな哀れな少年のために再度起き上がろうと腹に力を込めるが、また椅子の上に引きずり戻された。


「やめておけ。お前ではこの男に触れることすらできないぞ。」

「なんだと!?」

「ハッハッハッ」

 にらみ合う二人。その前でニヤニヤと数え終えた札束を机に投げ捨てながら、ゲンは笑い出した。


 もうそこに先ほどまでの友人の死を悲しみ、子供を哀れんでいた老人はいない。


 ただ金の誘惑に囚われた亡者がそこに座っていた。


「何がおかしい!?」

 押さえつけられたまま獣のように叫ぶガムル。だがそれはゲンの笑いの火に油を注いだだけだった。

 

「お前が俺を殴るだって? 無理な話だなぁ、ハッハッハッ!!」

「てめぇ……」

 先程までと雰囲気がまるで違うゲンの行動に戸惑うガムルの前で、老人は一通り笑うとまた袋の中に手を突っ込み、新たな札束を取り出した。

 自分の正体が割れた今、わざわざ自分を偽り、演技を続ける必要がなくなったと考えたのだろう。まるで二重人格者を前にしたような違和感に、ガムルの声も知らず知らずのうちに先ほどに比べ若干弱々しいものになっていた。


「俺は嘗て、『四聖人』入りも内定していた猛者だぜ? お前ごときが勝てるわけないだろうが。」

 指先をペロリと舐め、小馬鹿にしたように言ってのけたその言葉にガムルは一歩踏み出したところで固まっていた。

「四聖人……本当なのか?」

 視線でダンゼルに問いかけるが小さく頭を振り返された……横に。


「マジかよ……」

「カカッ、こんな嘘を言ってどうする? ここまで自分をさらけ出してさらに嘘をつくほど俺は愚かじゃないぜ?」

 愉快げに口元を歪めたゲンを憎々しげに睨むガムル。だが、それ以上足が進むことがなかった。

 少し周りと会話をしたおかげか少し冷静さを取り戻していた今だからこそわかったのだ。


(隙がねえ……)

 ただ夢中になって札束を数えているようにしか見えないが、その身体に一切の力みはなく、恐らくここで自分が殴りかかっても目の前の老人は木の葉のようにヒラリとかわしてしまう。

 そう直感的にガムルは感じ取っていた。

 

「……内定ってことは実際は入ってないんだろ。」

 だがそこまで分かっていてもガムルは言わずにはいられなかった。

「ああ?」

 このガムルの挑発はよほど頭にきたのだろう。今まで一切表情を揺るがさなかったゲンが初めてあからさまに怒りを表に出した。


「ガムルさん!?」

「はん、四聖人になってすらいないのに偉そうにふんぞり返ってるんじゃねえよ。どうせ採用の際に切り捨てられたんだろ?」

「お前……言わせておけば好き勝手言いやがって……上等だ。」

 スッと立ち上がった。ただそれだけなのにゲンが纏う空気はその一動作で一変した。

 つー、と汗がこめかみを伝う。だがガムルにはそれを拭う余裕すらなかった。

 ゆっくりとただ腕がガムルに向けて持ち上げられる。ただそれだけなのに、まるで首元に刃物を当てられたような重圧が押しかかり、蛇に睨まれたようにその身体は身じろぎ一つできなかった。


「そこまでだ。」

 だがその圧力は一瞬で吹き飛ばされた。


「ゲホッゲホッ」

 自分の視界を遮る影。その後ろで椅子の上に崩れ落ちたガムルは大きく咳き込んだ。

 身動きどころか呼吸することさえも忘れていたようでガムルの肺が酸素を求めてバクバクとうるさいほどに膨らみ、しぼむを繰り返している。


「それ以上やるならば、俺も動かなくてはならないからな。」

 酸欠で少し揺れる視界の中、ガムルは自分に影をかける団長を見上げた。

 影になってよく見えないが、その暗い横顔で紅い瞳だけが鮮明にガムルの目には映っていた。

 その目から発せられる殺気。それはガムルたちの方には向いていないが、対峙しているゲンには嫌というほど向けられているのだろう。先程まで余裕が浮かんでいたその顔には若干の焦りが滲み出ている。


 その体勢のまま数秒が過ぎた。


「やめだやめだ。俺にお前とやりあうつもりなんざこれっぽっちもねえよ。」

 そんな無言の時間に先に音を上げたのはゲンだった。

 やめだやめだと連呼しながら最初に座っていた椅子に座りなおすとまだ数え終えていなかった札束を手に取った。

 

「それにこんなところでお前とやりあったら勝ち負けは抜きにしても俺達の家がなくなっちまうのは確実だからな。」

 カッカッカッと先程よりも若干遠慮した笑いを響かせるゲンの額には冷や汗が浮かんでいた。

 その様子を見ていたガムルは何気なく目の前に立つ龍牙をもう一度見上げた。


 やはり、龍牙は別格なのだ。

 四聖人と同等の力を持つ者ですら龍牙と戦うのを避けているのがそれを偽りなく証明している。それだけの実力が目の前の銀髪の男にはあるのだ。


(遠いな……)

「少しは立ち振る舞いを考えろ。」

「……っ、あ、ああ。」

 その龍牙からいきなり言葉を向けられたことにガムルは若干反応が遅れながらも慌てて頷いた。

 明らかに挙動不審なガムルに一瞥すらくれず、龍牙はさっさと自分の席に腰を下ろすとまた読書を始めようと書籍を取り出した。


その時だった。


「ガムル!! みんな!! 街が!!」


 悲痛な叫び声が部屋の中に飛び込んできた。


 


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