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迷宮都市 第拾弐話

 


「ここだな……ダンゼル。」

「分かってますよ。」

 今、二人が踏み込んだ部屋が『当たり』だというのはすぐにわかった。

 広さは今までに見てきた会議室とほぼ同じ大きさである。だがその部屋に揃った映像出力、記憶蓄積、入力機器などの情報を保存するあらゆる機器を見れば十中八九、二人の予想が正しいことを証明しているように見えた。

 さらにその予想を決定づけるようにその反対側にある書棚には、恐らく機器から出力したのであろう紙媒体にされた記録が所狭しと並べられていた。その背表紙には『方法①による実験結果』などと書かれており、これを撮った画像を見せただけであらゆる情報伝達機関が騒ぎ出しそうな衝撃がそこにはあった。


「とりあえず電子情報だけ持ち出せばいいですよね?」

「ああ。本当は紙媒体も持ち出したいがな。」

 そう言いながら龍牙は画面の前の椅子に腰掛けるダンゼルから目を外し、改めて書棚を見やった。

 壁一面が書棚に覆われたそこにはどう考えても二人で持ち出せる量ではない。

 だがそれと同時に龍牙はこれだけの書類が制作出来るほどの実験が繰り返されたことに改めて実感させられた。


「腐っている。」

 ぼそりと呟く龍牙の瞼の裏にはこれまで見てきた悲惨な映像が矢のように流れていった。


 『人工破天石の精製実験』

 『人工冥術師の生成実験』

 そして、『人工複合体の生成実験』。


 この国は、『あの男』は一体どれだけの罪を犯せば気が済むのだろう。いや、それ以上に、一体これだけの危険リスクを負って何を目指しているのだろうか。


 嘗て、自分が『英雄』という名声と決別した原因であるこの疑問に龍牙は何十回目かの思慮を試みた。

 

 まさかこれだけのことをしておいて世界征服などが目的な訳はないだろうというところまでは分かっていた。

 確かにロザンツ帝国は他の二国ほどの国力も軍事力もない。とはいえ、それは正面でぶつかれば、の話である。

 秦国などを相手にするのであればこれまでのように正面からぶつかるのではなく、相手の地の利を打ち消すべく策を練るべきなのだ。

 なのに、実際はどうだろうか。

 そんな策を練るどころか逆に敵の力を確認しているようなそんな雰囲気さえ感じられたのだ。


 そしてそれを進言した龍牙は、いや嘗ての『英雄』は、その他の軍の命令に従わない者と共に『殺された』のだ。


「何をしようとしている?」

 あの男が行う政策のどれをとっても国力を高めようなどというものがない。ただ彼と一部の貴族の懐を肥やすようなその程度のものだ。

 一体、何がしたいのか全く見当がつかない。


「リューガさん、終わったよ。」


 背中越しに飛んでくる声に、龍牙は何十回目かの失敗を忘れるように軽く両方のこめかみを抑えながら画面に向き合うダンゼルに歩み寄った。

 


「どうやら紙にしてあるのはデータが消えた時のための保険みたいですね。パッと見ただけだけどあそこに並んでいるものも入っているみたいだし。」

「そうか。分かった。」

「あ、そうそう。こんなものを見つけたんですけど。」

 そう言いながらダンゼルはカタカタと入力機器を叩くと目の前の画面にあるものが表示された。

 そこに表示されたものは騎士団本部とは書かれてはいるが、その畏まった文体は間違いなくあの男のものだった。


「『皇帝』か……!?」

「うん。これも一応、取っておいたけど……一応見てみます?」

「ああ。」

 ダンゼルはまたカタカタと操作するとその細かった文字の羅列が大きく画面一杯に表示された。


「……今回の実験における定期報告についての返答か。」

 画面に映っているのは恐らく最初にこの研究所から送られたのであろう実験結果とそれにかかった費用、そして今後の予定に、一つ一つ細かく支持が書き加えられていた。


「これで騎士団本部も関わったことが明らかですね。」

「ああ。ここの奴らが間抜けでよかった。」

「本当ですね。普通ならこんな証拠、すぐに削除するはずなのに」

 とはいえ相手のミスは喜ぶべきこと。これで銀翼旅団の手札は一枚増えたことになる。

 それもただの一枚ではない。全国民が帝国に対し反旗を翻してもおかしくないほどの一枚だ。


「で、リューガさん。この研究所はどうするんですか?」

「さすがに俺たちでも手が出せない。それに爆破して証拠を隠されても困る。」

「だけど侵入者があったとなれば研究所を移設されるんじゃないですか? だったら早い段階でこの札を切っておいた方が……」

「それは後で考えればいい。今は脱出を優先する。」

 確かに今この場では情報の公開など出来ようもない。ダンゼルは若干自分が興奮していることに気づき、呼吸を整えるために胸に手を当てた。


「落ち着いたか?」

「はい。行きましょう。」


 連なって部屋を出ようと歩きだした二人だが、その扉に向かう直前でどちらともなく立ち止まるとそれぞれの機械剣を引き抜いた。


 チラリと龍牙がダンゼルに視線を向けるとその意図を汲み取った彼もまた小さく頷き、銃身を短くした二丁を肩の高さで固定した。


 ダンゼルが構えるのと扉が開くのは、ほぼ同時だった。


 扉を開けたのは恐らく文官であろうメガネをかけた男。その後ろにも三人、銀色の鎧を身につけた騎士たちが見える。

 それを捉えた瞬間、ダンゼルは迷いなく引き金を三回引いた。


 


 最初は何が起こったか分からなかった。

 文官である彼はただ自分が担当している部署である情報管理室。そこで侵入者に情報を盗まれないように向かった。ただそれだけのはずだった。


 だが、今、自分がいるこの状況はなんだ?


 自分が扉を開けた瞬間、目の前にいたのは両手に銀色の銃を構える少年とその横で大剣を構える銀髪の青年。

 その姿を認識をしたときにはもう耳に痛みが走っていた。

 それが目の前に並ぶ二つの銃の発砲音であることに気づいたころには後ろで何かが砕け、そして倒れる音が聞こえた。


 遅れて響く噴水が吹き出したような液体の音。


 一瞬の出来事に先頭にいた彼は何が起こったか分からなかった。


 ただ目を大きく見開き、白煙をあげる銃を両手に構える少年を見つめる。それだけしかできなかった。


 そして自分を警護していた騎士達が全員殺されたのだろ気づくのに数秒の時間を要した。


「う、うわああああああああ!!」

 二人から放たれるとてつもない殺気に文官は懐から銃を引き抜くが、焦るあまりその手から滑り落ちた。さらに運の悪いことに綺麗に磨かれた床も相まって鈍く輝く金属は無情にも銀色の髪の青年の足元にまで滑っていた。


 完璧に丸腰となってしまった男にはもう対抗する手段がない。

 男はただ声にならない悲鳴を上げながら床にへたり込み、震える手足で必死に逃げようと動かす。

 だがすぐに後ろに転がっていた騎士の死体にぶつかり派手に後頭部を打ち付けた。


 脳を直接叩かれているような衝撃に徐々に意識が遠のいていく。


 男は薄れいく意識の中、最後に見たのは微かに歪む自分を見下ろす二人の口元だった。


 


「おらあああぁぁ!!」

 またしても駆け出したガムルは斧を持つ手に力を込めた。

 雄叫びと共に降り下ろされる巨大な漆黒の斧。それは岩でさえも容易く斬り裂けるほどの威力を保ったまま、黒い素肌に激突する。

 だが、

「ぐっ!?」

 手元に返ってくるのは肉を断つ柔らかい感覚ではなく、鋼鉄の塊を殴ったような鈍い衝撃。

 電流が走ったような痺れを残したままガムルはすぐに後ろへ飛んだ。


「やっぱり固いな。」

「まあねぇ。高級装備の素材として使われるくらいだから当然よね。」

 また一本、矢を放つリタニアの横に着地したガムルはメデューサを見る目を細めた


 どうやら先ほどのガムルの一撃はほとんど効いていないのだろう。彼女は斧を打ち付けられた肩をただゴキゴキと解すだけでそれ以外特に動きに変化はない。

 衝突の衝撃ですらその体内には響いていないのだ。

 さらに悪いことに刈り取っていたはずの蛇たちがまたその数を増やしていたのだ。

 頭をもがれた場所から今度は二本の頭が生えてくるそれは、見ているだけで戦意を失われてしまいそうなほどの衝撃があった。

 凄まじい回復力に、一撃必殺の攻撃、そして堅牢な盾。どうにも打つ手がなかった。


「何か手はないのかよ?」

「火よ。」

 ないだろうな、そんな勝手な予想をしていたガムルは答えがすぐに返ってきたことに逆に驚き、一瞬固まった。

「……わかっているなら先に言えよ。」

「いや、自分で見つけるかな、と思って。」

「てめぇ……わざと教えなかったな?」

 ジトッとしたガムルの視線に、リタニアは素知らぬ顔であからさまに視線を逸らし、逃げるように走り出した。


「覚えてろよ。」

 舌打ちを零すような不機嫌な表情のまま、ガムルは自分の機械剣を見下ろした。

 正確にはその先端に埋め込まれた五個の破天石のうちの一つ。一人の少女から預かった、燃え上がっているような情熱的に赤い珠。

 ガムルが見つめたまま、機械剣の柄からそれに冥力を流し込むとよりその輝きが増した。


「また力を借りるぞ、麗那。」


 そう呟くガムルの前でより一層輝いたかと思うと、その輝きは水面に石を落としたように、徐々に広がってゆき、ついには漆黒に染まっていた斧を真っ赤に染め上げていた。

 

 そして表面に展開されるのは巨大な赤い術式。


 それを合図に斧から紅蓮の炎が噴き出した。

 その圧倒的な熱量はすぐそばにある床、壁、その全てを例外なく焼き焦がし、溶かしていく。天井からは消火のために大量の水が降り注ぎ、その周りでは熱せられ、一瞬にして膨張した空気が、メキメキとヒビをいれながら押しのけている。


 これで研究所内にいる騎士達全員がガムル達の場所を把握しただろう。


 だがもうそれはガムルにとってどうでもいいことだった。


 目的であるリーブの母親は目の前におり……もう、手遅れなのだ。


 ガムルは握る力を強め、キッと前を睨んだ。

 メデューサは本当に火が苦手なのだろう。完璧に動きを止めた、隙だらけになっているガムルに全く攻撃をしてこない。ただしているのはその熱量の届かないところから蛇と共に威嚇の声をあげるだけだった。


 だが事態は意外な局面を迎えた。


『キシャアアアァアア!!』

 その異変にいち早く気付いたメデューサが咆吼を上げたのだ。

 それは威嚇……ではない。そこに込められたのは、動けることへの喜び。


 そう火に怯える彼女の前で視界一杯に広がっていた真紅が、一瞬にして『消えた』のだ。


 それを術式の発動を失敗した、つまり好機とみたメデューサは初めて立ち尽くすガムルに向かって飛びかかった。

 これまで動かず蛇を動かし続けていたことを考えると彼女がいかに先程の一瞬でガムルを危険視していたのかが分かる。


『キィイイイアァァアア!!』

 そしてメデューサは傘のように全方向に蛇を展開しながら、ガムルに向けて鋭い爪を備えたその手を突き出した。


 その手が、牙がガムルに触れる。そう確信し、怪しく猟奇的にその先端が輝いた……


 その全てが音もなく塵と化した。


『ギャアアアアアアアア!?』

 突然、自分の身体に巻き起こる痛みにメデューサはたまらず後ろに下がった。

 激痛が走る場所、その右手はまるで獣に噛みちぎられたかのように、皮膚、そして筋肉の下にある骨までもが露になっている。


だが、普通の獣と違うのはその傷口の全てが黒く焼け焦げていることだろうか。


 生きたまま骨を炙られるという激痛に、黒い瞳を赤く染めながらガムルを見たメデューサは何かに気付いたようにガムルを見た。


 本当は最初に気づくべきだったのだ。斧を振り抜いた形で固まるガムル、その握られた斧の周りで起こる異変に。


 まるで蜃気楼のように歪む、その黒い刃に。


 そう、先ほどの炎は消えてなどいなかったのだ。

 炎は極限までその火力を高めるとその色はまるで火が消えてしまったかのように無色透明になる。


 つまりその斧を取り巻く炎の温度が、人の目には捉えられないほどの高温にまで上昇していたのだ。

 

『ギャウウウゥウウゥウゥ!!』

 だがそれでもやはりメデューサも一筋縄ではいかなかった。

 喉を震わすような声をあげたかと思うと焼き焦がされたその手が驚くべき速度で回復を始めていた。

 骨は焦げたところが塵となって捨てられまた見事な真っ白なものに、

焼き切られた血管はうねうねと蛇のように蠢きながら、腕の方から反対側へとつながり、

 筋繊維もまた布を重ねていくように瞬く間に再生していく。


 それはまるで時を巻戻しているかのような光景だった。


 また元の姿に戻るまでかかった時間は数秒。それは『異常種』の上位種が持つ『超速再生』と呼ばれる能力だった。

 

 そんな異常な光景をガムルはただ無言で見つめていたが、その手が治りきるよりも早く、何事か小さく呟きながら豪快に床を踏み砕いた。


 その反動で、メデューサの視界から消えるほど低い体勢から駆け出したガムルは一瞬で間合いに捉えると、迷いなく歪んだ刃を右下から斜めに振り上げた。


 恐らくそんなガムルの姿を捉えることはできなかっただろう。だが本能が囁いたのか、メデューサの前には黒い壁が顕現されていた。


 自分の肌のように壁の元である蛇の表面を硬化させた今、その壁は鋼も目ではないほどの強度を持っている。

 その強度を頼りに受け止めたまま下がることで、まだ迎え撃つには不十分な体勢を整える。それが本能が囁くままに行動した彼女の動きの一部始終だった。


 だが、彼女の本能すらも今のガムルの斬撃力を正確に測りきれていなかった。


 完璧に正面からの光を遮っていたはずの壁。だが一瞬、流れ星のように光が点った、そのようにメデューサの目が捉えた時にはもう、彼女の視界は斜めに流れていた。


 


「ごめんな。」

 そう小さく呟きながらガムルは足元を見た。

 そこに転がるのは膝をつく腰から下と仰向けに倒れる腹部から上しかない女性の裸体だった。

 何が起こったのか分からない、そう言いたげなほど目を見開いたままその女性の瞳がガムルを捉えた。

 黒く染まった瞳はこれでもかと充血していたが、徐々にその赤みは消えてゆき、その周りでは、もう操るだけの力も残っていないのか、彼女の頭から生えていた無数の蛇たちが力なく横たわっている。



 ただ無言でそれを見つめていると、その左肩に手がかかった。

 チラリとそちらに目を向けると同じように口惜しそうな表情を貼り付けたリタニアが横に立っていた。

「よくやったわ。」

「……ああ。」

 もうピクリとも動かないそれから目を離そう、そう思いガムルが機械剣を腰に差した時だった。


「ありがとう……」

 小さい、だがはっきりとした声にガムルはハッと視線を上げた。

 ピクリとも身体は動いてはいないが、そこに横たわっていた黒く淀みきっていた目が、白く性来持っていたであろう茶色い瞳に戻っていた。


「お前……意識が、」

「ありがとう……私を止めてくれて。」

 僅かに顔を上げ、ガムルを見上げてくるその顔もまた、変化が起こっていた。黒く、硬質化していた皮膚も徐々に剥がれ落ち、元々の白い肌へと戻っていた。

 それが正気に戻ったことを示すと同時に、恐らくかなりの致命傷を負ったのであろうことを示していた。

 斬られた腹部を確認すると少しずつ回復はしているが、その速度は明らかに遅くなっている。


 もう暴れることはないだろう。そう判断したガムルは敢えて彼女の前に膝を着いた。

 

 さて何から話すか、一瞬思考を巡らすが、やはりこの一言しか思いつかなかった。


「お前の息子、リーブに頼まれてここに来た。」

「……そう。」

 どこか悟っていたようなそんな表情で彼女は頷いた。

 黙り込む彼女の傷口を眺めながらガムルは何か決心したようにその目を正面から見た。


「俺たちは『銀翼旅団』、小規模だが反政府組織だ。」

「ちょっと、ガムル……!?」

「そう……」

 情報の漏洩を恐れたリタニアの声が掛かるが、ガムルは敢えて無視して続けた。


「正直、この状況下でリーブの依頼通りお前を連れ出すことは難しい……だからこれ以降、お前みたいな被害者がでないようにするために聞きたい。」

「ええ、いいわ。」


「ここにいる被験者たちは誘拐されてここに連れ込んだんだよな?」

「違う。」


 まさか即座に否定されると予想していなかったガムルは狐につままれたような顔をした。その後ろでまたリタニアも驚きを隠せずにはいられなかった。


「騎士団が毎年行なっている身体検査の結果を元に誘拐しているんじゃないの!?」


「いいえ、私たちが自らここに来たのよ。」

「嘘だろ……!?」

 信じられない、驚くガムルを見て、彼女はふっと小さく笑った。


「あなたたちは本当に知らないようね。ここの名前、『迷宮都市』の本当の意味を。」

「本当の意味……? まさか!?」

 聞きなおすリタニアは何か気づいたのか、また驚きの色を濃くした。それを横目に見ながらガムルは先を促した。


「どういうことだ?」

「ここは街が迷宮のようだからそう言われているんじゃない。騎士団を正式な処理もなく抜けた人達が集まった街。元騎士達が迷路に迷いこんだように今後の生き方に迷う街。だから『迷宮都市』なのよ。」

 それを聞いたガムルは、何も言えなかった。

 何千年もの間、戦争が起こるたびに脱走兵が現れ、それが戦場から少し離れた街に流れ、新たな生活を始めるということは珍しくない。

 だがそれがかなりの知名度を誇る『ランズボロー』のあだ名の由来などと予想もしていなかった。


「じゃあ、もしかして……」

 

「そう、脅されたというのは正解。だけど、私たちは自分達の足でここに来たわ。」

「家族を守るためにか?」


「……ええ。」

 騎士団を正式な処理もなく脱団した場合、その騎士には市民権は与えられない、というより返してもらえないのだ。

 そしてそれはその子供にも同様に適用される。

 市民権をもたない親の子供もまた市民権は与えられないのだ。


 市民権が与えられない人間は建前上は法律などが適応されることになるが、実際、平等などはありえるわけがない。

 そしてここで忘れてはいけないのは、冥術を使うのに長けた者の子供もまたそれに長けている。


「あの所長に言われたの。私が来なければリーブを実験台にするって。」


「そんな……」

 もう何も言えず、ガムルは黙り込んだ。

 こんな非人道的なことが許されていいのか。しかもそれが市民を守るべき騎士団の手によって行われている。

 そんな不条理にガムルは無言で唇を噛み締めた。


「ガムル、そろそろ行くわよ。」

「……ああ。」

 さすがに暴れすぎた。

 床はえぐれ、壁は吹き飛び、そしてガムルとリタニアの火系統の術式によって天井に備え付けられたスプリンクラーから水が噴出されている。


 これで研究所内にいる騎士達全員がガムル達の場所を把握したことだろう。耳をすませばかなり近くからいくつか足音が聞こえる。


「俺たちはもう行く。何かリーブに伝えることはあるか?」

「……これを、」

 問いかけるガムルに彼女は左手を差し出した。

 恐らく彼女が差し出したのは、その手に着けられたただ一つの装飾品。その長い薬指に嵌められた銀色の指輪だった。


「この指輪を、リーブに……」


「いたぞ!! あそこだ!!」

 その手から受け取ると同時にガムルの右手から四つの人影が現れた。聞こえる声は先ほど地下二階にいた三人の騎士のものであり、そして残る一人はその気配から先ほど対峙した男だとすぐに分かった。

 それでもガムルは横たわる彼女から視線を離さなかった。とはいえ、そんな体勢のガムルを狙わない訳がない。


「喰らえ!!」

 射程範囲内に入った三人の手から、迷いなくガムルに向けて炎弾や雷撃が打ち出された。


 だが殺到するその全てが例外なく、ガムルに当たる前に撃ち落とされた。


「早くしなさい。」

 それを撃ち落とした張本人であるリタニアは二人を守るように弓を構えた。

 急かす彼女はさらに弓を弾いた。一度引かれる度に、彼女の正面にある炎弾、雷撃、鎌鼬、その全てが撃ち落とされ、さらに残った矢が迫り来る四人に降り注いだ。


「くそっ!?」

 四人はすぐさま床を変形させて創り出した、厚さ数十センチもある壁の背後に身を隠すが、その圧倒的な火力に照準を合わせる時間のない攻撃ではそれは牽制以外の意味はなかった。


 すぐ横で行われる戦闘をちらりと見ながら、ガムルはもう一度目の前の女性に視線を向けた。


「他に伝えることは?」

 わずかに逡巡するが、彼女は強い意志を宿したその目でガムルの目をしっかりと見据えながら、固く結ばれていた紫色の唇を開いた。


「……愛してる、って。今までも、そして、これからも。」

「……分かった。」

 小さく頷き返すとガムルは立ち上がり、リタニアの方を見た。

 ただ視線だけ合わせると二人はほぼ同時に駆け寄ってくる三人とは反対へ駆け出した。

 

「待て!! うっ!?」

 それを逃がすまいと前に重心を傾けた騎士達はすぐに追いかける速度を上げるがすぐに足を止めた。


「どういうつもりだ!?」

 足を止めた理由、まるで世界が侵食されたかのように目の前に広がる黒い幕に騎士の一人が吼えた。


「ここから先は、行かさない……」

 だがその実行犯であるリーブの母親は全く物怖じした様子はなかった。

 もう死というものを感じだした彼女にとって目の前にいる騎士達など取るに足りない存在だと認識していた。

 対する三人はその出処である彼女を視界に収めるなりすぐさま剣を構えた。一介の騎士である彼らからすれば目の前にいる女性は例え負傷しているとはいえ、その実力は自分たち三人よりも上であることは疑いようもない事実だったからだ。


 だが、そんな緊張状態をスーツの男、ミリートが手で制した。

 それに素直に応じ、剣を下げる三人の前へミリートはスっと一歩前に出た。

 まるで彼女の視界から部下から守るような構図だが、彼にそんな考えは全くなかった。ただ彼女の意識、その全てを自分に向けさせたかった。ただそれだけだった。


「自分が何をしているか分かっているのか?」


 冷静に、そして冷ややかに最終宣告を告げるミリートに、彼女はまた肌や瞳を黒く染め上げた目を、決別を示す闘志に満ちた瞳を向けた。


「ええ。私は散々お前たちに利用されたから……だから最後くらいは自分の意思で動くわ。」


 そう応えながら、彼女は先ほど『失ったはず』の足でフラリと立ち上がり、しなだれる蛇の間からその殺気に満ちた目を四人に向けた。


「もうこれ以上、お前たちの好きにはさせない!!」




 

「よかったの?」

「これが彼女の選んだ最後だ。」

 後ろで戦闘が始まったことを知らせる爆音。それに伴って発生した揺れに体勢を崩すことなく、ガムルとリタニアは走っていた。


「……いいんだよ、これで。」

 視線を足元に向けたまま答えるガムル。その仕草にリタニアは小さく呆れたように笑うと、力一杯その背中を叩いた。

 バシン、と乙女から発せられないような痛々しい音が通路に響きわたる。そしてそれを受けた本人は、あまりの痛みに前のめりに倒れた。


「いってえっ!? 何すんだよ!?」

 うつ伏せの状態から起き上がり、涙目になりながらガムルは訴えかけるが、その視線を正面から受け止めるリタニアの方はなぜか笑顔を向けるだけだった。


「なんだよ?」

「……よく決断したわね。」

 ポンと今度は優しくあやすように背中を叩き走り去るリタニアにガムルはしばらく呆然としていたが、それが自分が慰められているのだと気づいた。


「ちっ、余計なお世話だ。」

「可愛くないわね。」

 呆れたような表情で振り返るリタニアにガムルは悪態づきながらも走り出した。


 額に浮かぶ汗を袖で拭う『ふり』をしながら、ガムルはリタニアの後を追い、脱出地点へと急いだ。


 



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