迷宮都市 第拾壱話
「ちっ」
縦穴をくぐり抜けたスーツの男は二つの吹き抜けの空間をつなぐ通路の中央に立ち、服についた汚れを払い除けた。
「全く、これだから人使いの荒いやつに使えるのは面倒なんだ。」
耳が痛くなるほどの大声で追跡を命じてきた彼の主であるエリックを脳裏に思い浮かべ、男は唾を吐き捨てた。
だが男は任務を放棄するでもなく首を左右に巡らせた。
面倒ではあるが、命令を無視するわけにもいかないのもまた事実なのだ。
「さて、どちらか……」
素直にもう一方の階段を使ったか、それとも裏をかいて、もしくはこれらとは違う別の方法で……、
「そこにいるのは誰だ!?」
そこまで考えたところで男の背後から足音ともに怒声が飛んできた。
面倒くさそうに不機嫌さを露にしながらも男は声の方を振り返った。
彼の背後にいたのは先ほど、ガムルの進行を阻んでいた三人のうちの一人だったが、その男の顔を見た瞬間、真っ青に顔を染めた。
「私はそちらの協力者だが?」
「こ、これは申し訳ありません、ミリート特尉!! 」
騎士団の中ではその実力を表す『階梯』を使うと同時に、軍部と共通でその役職を表す階級が存在する。これは基本的に他二国でも共通で、一般兵から始まり、少尉、中尉、大尉、少佐、中佐、大佐、そして将軍。
この将軍の階級を付ける者は基本的に『四聖人』、あるいはそれに近い実力あるいは能力を有するものに与えられるものである。
そう少なくともロザンツ帝国の階級の中で『特尉』などというものは存在しない。
しかし極希にではあるが、騎士、あるいは軍人ではないのにその軍務に協力し、ある一定以上の功績を得たものに中佐以上の地位のものが独断で与えられる階級である。その地位は設定した者のさじ加減一つで、この街においてはその地位は所長であるエリックに次ぐ権力があった。
「こっちに大男がこなかったか?」
焦りを見せる騎士を敢えて無視し、質問を優先した。
「い、いえ。誰もこちらへは来ていません。私は先程からこの辺りを巡回していますが、不審自分や影あるいは足音を聞いていません。」
「そうか、わかった。警備に戻ってく……」
ウウウウウウウウウゥゥゥゥゥウゥ
戻ってくれ、そう命令しようとした男の声はけたたましいサイレンの音にかき消された。
「これは……」
そして目に痛みを感じるような黄色い光を発する灯りが点灯している。
「何があった?」
「今、確認します!!」
通信機を取り出す騎士を尻目にミリートは未だ光り続ける灯りを睨んだ。
この施設に取り付けられた赤と黄色の灯りはそれぞれに意味がある。赤は外部からの侵入、あるいは攻撃が行われたことを示すもの。そして黄色は、
「確認が取れました。どうやら実験体のうちの一体が暴走を起こしたそうです。」
「こんな時に……」
憎々しげに呟きながらミリートは天井を見上げた。
実験体が収容されているのは全て例外なくこの一つ上の階である地下一階。しかしそれでも聞かなければならないことがあった。
「部屋はどこだ?」
「……壱号室です。」
「……面倒な。」
壱号室とは様々な実験体や方法による数少ない成功例を収容する部屋。このミリートもまたその部屋に一時収容されていた人間である。
だが忘れていけないのは成功例とはあくまで『人の形』を留めたまま『異常の力』をその身に宿すことを指すのであり、精神状態までは考慮していない。
ミリートのように精神状態が安定しているのは逆に少数なのだ。
それは即ち、異常種と同等の威力を持つ攻撃を本能の赴くままに、だが人間という高度な頭脳を駆使しながら繰り出すことを意味する。そのあたりにいる騎士ごときでは全く歯が立たないことは明白だった。
「司令部のほうからは、捜索は我々に任せ、特尉はまずはそちらから当たるように、と。」
「やむなし、か。了解した。」
「ハッ、ではご武運を。」
自身の胸の前に右手をかざす、騎士団の敬礼をしてから立ち去っていくその騎士を見送りながらミリートは、先ほど以上に気だるそうな表情を浮かべた。
「追加手当を請求するしかないな。」
なんとも男気に欠ける決意を口にしながら男はガムルが向かったのと同じ方向へ歩きだした。
「おらぁっ!!」
「ブフッ!?」
ガムルは固く握り締めた拳で中々ガタイのいい騎士の顔面を殴り飛ばしていた。
冥力で強化されたガムルの拳を的確にその左頬にもらった騎士は、そのまま受身も取れず何度も床を跳ね、最後は通路の落下防止の手すりにぶつかってその動きを止めた。
「ったく、何人いるんだよ……」
そう言いながらガムルは振り返った。
彼の背後では五人の騎士達が体勢は様々だが、全員揃って体のどこかを腫れ上がらせながら意識を失っている。
ゴキゴキと指を鳴らしながらガムルは辺りを見回した。
今彼がいるのは地下一階の踊り場。どうやらこの建物は左右対称に作られているようで柱から階段の位置まで全てが最初に向かった方と正反対に位置していた。
元々頭に入れていた地図と照らし合わせ、そして先ほど入った部屋のことを考えると自然と最初に向かうべき場所は決まっていた。
「やっぱり、まずはあっちだよな。」
視線を向けたのは階段に背を向けているガムルの右側。
そこにはこれまでと同じような白い通路が伸びているが、その左右に三個ずつ一定の間隔をあけながら同じ白い扉が並んでいる。
先ほどの実験体が並んでいた部屋の位置を考えるとこの二箇所が最も怪しいのだ。
まずは怪しいところから。ガムルは周囲に気を配りながらも一番手前にある右手の扉に早足で近づいた。
今、騎士達を沈めはしたが、いつ援軍が来るかわからないという現状はかなりガムルの精神を削っていた。
確かに今のガムルは普通の騎士達よりかは強い。だが、それでも龍牙やリタニアのように同時に何十人も相手はできないのだ。
いち早くリーブの母親の成否を確認し連れ出さなければ、時間がかかればかかるほどここからの脱出は難しくなってくる。
そんな焦りも無意識に覚えながら、ガムルはドアのノブに手をかけ……
「っ!?」
すぐさま後ろへ飛び退いた。
反射的な動きによって空中を移動するガムルの前で、その扉はものの見事に吹き飛ばされた。
「ちっ」
視界を覆うように飛んでくる大きくくの字型にひしゃげた金属板を跳ね除けたガムルは、開けた視界の中に二つの色を見た。
サラサラと扇のように広がる金、そしてそれを侵食するように伸ばされる黒。
膝を折り、壁に『着地』したガムルは二色の内、金の方に声をかけた。
「何があったんだ? リタニア。」
「見れば、わかるでしょ!!」
無数に伸びてくる触手を弓の両端で切り裂きながら美しい金髪を靡かせる美女、リタニアは殺気立った視線をガムルに向けた。
彼女の前ではグネグネと気味悪く蠢く触手が板を失った入口を埋め尽くしていた。
それに軽く肩をすくめるガムルの足元で壁が砕けた。そう思った時にはガムルの姿はその場から消えていた。
「ギシャアアアアアア!!」
突如鳴り響く、金属を爪で引っ掻いたような奇声。それに遅れてドシンと何か重いものが落ちる音が響いた。
「貸し一な。」
「調子に乗るな。」
いつの間にか横に立っていたガムルをリタニアは睨みつけた。
そんな二人の前では綺麗な断面を見せる触手の塊が転がっていた。
そう、弾丸のような速度で飛び出したガムルがその斧で入口から出ていた黒い触手の束を一刀両断にしたのだ。
「で、これはなんだ?」
機械剣を両手で構え直しながらガムルは目の前で蠢くそれに目を細めた。
切断したにも関わらず尚も蠢き続ける黒い塊。それは転がり落ちるように床に広がり、その本性を曝け出していた。
「なんでこんな大量の蛇がいるんだよ……?」
そうその黒く細長いその管の先端には、誰もが一度は恐怖を覚える黄色い目、ヌメヌメと光る鱗、そして獰猛さを表す鋭い牙、そう拳ほどの大きさの蛇の頭が付いているのだ。
「見ればわかるわよ。」
若干力のない声で応えるリタニアの目にガムルはどこか陰りが見えた気がした。
「見ればわかるって……やっ!?」
ヤバイ、ガムルがその言葉を紡ぎきるよりも早く、目の前の壁が中からの圧力に耐え切れず弾け飛んだ。
弾丸のような速度で拳大、あるいはそれ以上の瓦礫が飛んでくる。
それをそれぞれの機械剣で弾き返していたが、何か精神的な圧力を感じた二人は必要以上に大きく、反対の壁際にまで飛び退いた。
「とんでもないな。」
「……でしょ?」
二人は乾いた笑いを零しながら大きくなった穴をくぐってきた『それ』を見た。
『キシャアアアアア!!』
扇のように視界一杯に広がる黒い蛇の群れ。その中央でそれは叫んだ。
それは一人の女性だった。浅黒い肌に赤い唇、その用紙は十分美人というに相応しい。ある一点、その頭部を除いては。
艷やかな黒髪が靡いていたであろうその場所にあったのは、
「……『妖女蛇』か。とんでもないものを連れてきたな。」
そう後ろで蠢く蛇達、その全てが彼女の頭部から伸びているのだ。
その圧倒的な体積は知らず知らずのうちにガムルの額に冷や汗を浮かばせていた。
「メデューサとやったことは?」
「ないな。」
「そう。」
徐々に彼らの方へ侵攻してくる黒い影を睨みながらお互いの情報の共有を謀るが、残念ながらガムルには『異常種』の中でも『希少種』に属するメデューサに対峙したことはなかった。
だがそれでもリタニアに落ち着きがあるのだろう。そうガムルが予想している間にもリタニアは続けた。
「メデューサの特徴は三つ。」
だがまるで彼女の説明を遮ろうとするかのようにその影のように地面を這い蹲る蛇の群れが飛びかかった。
「まずは、この蛇。」
何百もの頭がその鋭い牙を突き出しながら迫ってくる。だがそんな状況でもリタニアは焦ることもなく弓を引いた。
「『炎蝶』」
自然と口から溢れた言葉に呼応するように、放たれた一本の炎を纏った赤い矢。
(なっ!? 小さすぎるだろ!?)
だがそれは小さすぎた。ガムルとリタニアの二人を同時に飲み込んで余りある量が迫っているのだ。
それに対してこちらは弓矢一本。
防ぎきれない。それを見たガムルは間に合わないと分かっていながらもすぐに自分の冥術を発動しようと機械剣に冥力を注ぎ込むが、その顔の前に白い陶磁のような肌が突き出された。
「必要ないわ。」
そう告げる彼女の顔に浮かんでいたのは笑み。
そんな彼女の目の前でその矢は蛇の群れに激突した、いや、飲み込まれた。
そしてそのまま進行を続ける蛇の群れはリタニアの目前にまで迫った、その時だった。
一瞬、黒一色の視界の中、何か赤いものが瞬いた。そうガムルが感じるよりも早く、
ゴオオオオォォオオン
爆音が轟いた。
「うっ、」
ガムルは目を焼くほどの光量から自分の目を守るように腕をかざし、その間から見えた光景に驚愕した。
「なっ、」
彼の前でその凄まじい光を放っていたもの。それは全身に炎を纏う、いや、炎によって象られた巨大な鳥。
「『不死鳥』の破天石……!? お前、そんなものを!?」
凄まじい光量を裏切らない、圧倒的な熱量。それはあれほどの群れを成していた蛇達を一瞬にして焼きはらい、形を残すことすら許さない。
圧倒的。その一言に尽きた。
だがガムルはその威力もそうだが、それ以上にその術式に驚きを隠せなかった。
「そういうこと。詳しい話は後でしてあげるから。先に邪魔な蛇は焼き払ったんだから本体を叩くわよ。」
未だ固まるガムルの脇腹に軽く肘鉄を入れてからリタニアはガムルと交錯するように駆け出した。
「メデューサの特徴は三つ。一つ目は頭から無数に生やす毒蛇。」
メデューサの周りに円を描くように移動しながらリタニアは炎を纏った矢を的確にその身体に向けて放っていく。
「なっ、あれ毒蛇だったのかよ!?」
「ええ、しかも猛毒。それ一滴で『百獣王』をも殺せるって言われているわ。」
「うぇ……」
顔をしかめながらガムルはリタニアとは逆の方向へ走った。
「次の特徴はその目、個体によって変わるけど『石化』とか『混乱』みたいな特殊系の能力を宿している場合があるわ。」
「なるほど、な。」
リタニアの説明の間にもガムルは先ほどのリタニアの一撃によってがら空きになった左側面に走り込んだ。
メデューサの意識は未だ蛇を大量に残した右側を叩いているリタニアに向かっている今が好機。そう囁く彼の勘を信じ、大きく振りかぶった斧をその肩目掛けて振り下ろした。
「おらあああ!! うっ!?」
だが冥力で強化された筈の彼の斬撃はその肉は愚か、その表面にすら傷をつけられてはいなかった。
「三つ目は強硬なその体皮よ。普通の斬撃攻撃なんかじゃ全く歯がたたないわ。」
「先に言えよ!!」
弾かれたことにより大きく体勢を崩したガムルはすぐに後ろへ退避しようと地面を蹴った。
幸いなことにメデューサはチラッと視線を向けるだけだったが、ガムルは向けられたその顔を見て宙を飛んだまま固まった。
そしてよろめきながらも着地したガムルは驚きのあまり呆けた表情をしていたが、徐々に苦虫を噛み潰したような険しいものに変わっていた。
「手遅れ、だったか……」
そのメデューサの顔、その肌や目、唇の色は違う。だがそれぞれのパーツの配置、そして形は正しく写真に写っていた、リーブの母親のものだった。
「気づいたか。」
「……どうするんだ?」
「やるしかないでしょ。」
最悪の結果を前に顔をしかめるガムルに、リタニアは強い語調で返した。
それはガムルを叱りつけるというよりどこか自分に言い聞かせているように聞こえた。
「だよな。」
その答えは分かっていた。だがそれでもあの純粋な少年の悲痛に歪む顔を思いだすと、どうしても他の手段はないかと探してしまうのだ。
『母さんを絶対救ってくれよ!!』
昨晩、すがるようにして頼まれたリーブの顔が何度も脳裏にうかぶ。
そんな迷いを見せるガムルにリタニアは大きく跳ぶとそのまま無防備な足を踏みつけた。
「いてぇっ!?」
「迷ったら死ぬわよ。」
若干涙目で抗議の視線を向けてくるガムルを無視し、リタニアはただ前を向いて応えた。
もう、彼らにはそんな迷いですら許されてはいないのだ。
「構えなさい……来るわよ。」
そして二人の前でまた黒い弾幕が引かれた。