迷宮都市 第九話
そして現れたその姿にエリックは今度は別の意味で眉をしかめた。
晴れてきた埃の中から現れたのは、全身が黒く、日に焼けた巨体の男。
そう彼の記憶の中にある姿とは明らかに違っていたのだ。
「疑問に思ってるな。」
後五歩。少し足を踏み出せば触れられるところにまで接近した巨漢の男をエリックは見上げた。
目の前にしてみればその大きさがよくわかる。
エリックも決して小柄な方ではない。平均的に見るならば大きな方だ。
だが目の前の男は明らかに体格が違う。
百八〇近くあるエリックが見上げなければならないほどその身長は高く、周りを囲まれているようにすら感じるほどその横幅も大きい。
とはいえ、現代の戦い方の主流は冥術と体術、剣術などの武術の組み合わせである。
そのため何百年も前のように、体格のみで勝敗が決まることはありえない。
だが、それでもその身体から発せられる圧力はその常識をも覆すようなそんな妙な圧力があった。
そしてエリックはその圧力の中に強い、負の感情が混じっていることもまた感じ取っていた。
「お前……ローガ、なのか?」
「ハッ、お前の口からまた俺の名前が聞けるなんてな。」
つばを吐き捨てながらガムルは腰に差してある機械剣を手に取ると展開せずその手を前につきだした。
「久しぶりだな、相棒。」
「なぜお前がここにいる……いや、なぜ生きている!?」
先程までの余裕はどこにいったのか。エリックは瞬きも忘れ、滝のような汗を滴らせている。
「ハハッ」
「な、何がおかしい!?」
先ほどまでいらついていた自分が馬鹿みたいだった。
自分を陥れ、『あの女』に売った男をあの二人ほどではないが殺したいほど憎んでいた。だが、いざこの男を前にしてみると自分のそんな憎しみ、それを持ち続けること自体が馬鹿らしく思えてきた
そのあまりにも予想通りすぎる反応にガムルは怒りよりも先に笑いが出てきたのだ。
「やっぱりお前は利用されただけ、か。」
「どういう意味だ……?」
「俺をこんな姿にしたのは、俺を殺そうとした張本人。」
「そんな馬鹿な……あのお方が、そんな。たしかにお前を殺すと……」
「やっぱり知っていたんだな。」
「うっ」
ガムルの抑揚のない声にエリックは自らが墓穴を掘ったことを悟った。
頬を自分のものとは思えないほど冷たい汗が伝う。
「まあ、知っていたんだけどな。お前が、騎士団上層部の言いなりになっていることはな。」
「……」
もうエリックは何も言えなかった。もう彼がこの男に隠せるものは何もない、そうガムルの口ぶりから分かっていた。
今、彼が出来ることは、ただ正直に偽りなく肯定するだけだった。そう、今はまだ……
「あの時に気づくべきだったんだ。お前の代役であの部隊に加わった時、残りの面子が全員俺と同じ、『問題児』ばかりだったんだからな。」
「……わ、私は、」
「自分は言われたままにやった、だから自分は悪くないとでも言いたいのか? だから今回も自分のせいじゃないってか?」
「うっ……」
また言葉に詰まるエリックを見下ろしながらガムルは暗い部屋の中を見渡した。
「結局俺もここにいる奴らと同じだった。いいように騎士団に利用され、そしていらなくなったら切り捨てられる。」
そう独り言のように呟くガムルは後ろの『三人』を見た。
どうやら『超速再生』は備えていなかったのだろう。両足の腱を切られ、立ち上がることすら出来ないこの『三人』が、まるで昔の、『あの時の』自分に重なって見えた。
いや、騎士として市民権を捨てた自分には彼らと同じだと言う権利すらないのかもしれない。
そんな感慨にふけりながらガムルは目の前の男を睨みつけた。
「お前は、お前だけは違う。そう信じたかったんだけどな。」
「ロ、ローガ、待て、早まるな。」
残り五歩しかなかった間をガムルが一歩縮めた。
それに子犬のように震え、怯えるエリックにガムルは自分の中でさらに怒りが湧き上がるのを感じた。
自分はこの程度の男に、自分の、『ローガとしての』人生を終わらされてしまったのか。
「お前さえ、」
「ひっ、」
「お前さえいなければ……」
ゆらり、と体が揺れたかと思うとその冥力の鎧を纏った右腕が振りかぶられ、
「この因縁は俺自身の手で終わらせる。」
「やめろぉっ!!」
エリックに向けて振り下ろされた。
突然の足元の揺れにダンゼルは走っていた足を止めた。
「地震?」
首を傾げるその足下では細かい埃が跳ねている。
その揺れは立っていられないほどではないが、真っ直ぐ進むには難しい程度だ。窓の向こうでは慌てたように鳥の群れが羽ばたいている。
見れば、彼の前でもやはり同じように龍牙が立ち止まっていた。
「リューガさん、これって……」
「ああ。地下だな。」
宝石のように紅く輝く瞳を足元に向ける龍牙の横で、ダンゼルは彼らが向かっていた方向を見た。
今、彼らがいるのは二階。昨夜見た資料によればここには騎士団の詰所があるはずだった。
だが、実際はそのような部屋はなく、先程から彼らは一度も騎士の姿を見ていない。
それは喜ばしいことに思えるが、今、この状況では、ただ不気味さを増すばかりだった。
外を警備していた騎士達は恐らく地下に向かったのだろうが、それでも無防備すぎる。
(一体何が起こってるんだろう……?)
明らかに異常な状況。
ダンゼルは心の底になんとも言えない粘着質のものが溜まるのを感じた。
そう、まるでどこかに誘い込まれているような……
「そういうことか。」
「え?」
間抜けな声を上げ、振り返るダンゼル。しかしそれよりも早く、その身体は誰かに抱えられていた。
ゴオオオオウウウン
「痛っ!?」
鳴り響く轟音に鼓膜、さらにはその奥の三半規管を、さらに物理的にも身体を揺さぶられた後、ダンゼルは前触れもなく地面に落とされた。
痛む頭を摩りながら身体を起こせば、前後左右上下すら分からない状態の中でも、目の前の光景が朧気ではあるが見えてきた。
歪む視界の中で認識できるのは、大穴が空いた床、埃が舞う廊下、そしてその穴のすぐ横にいる白い甲羅のようなモノを背負った青年だった。
「ん?」
しかし、ダンゼルは怪訝な顔をすると自分の目を擦った。
そんな行動をするのも無理はない。なぜなら、彼の視界の中で青年が背負う甲羅から六本の足のようなものが蠢いているように見えたのだから。
「あれ?」
だが擦っても、擦っても見えるモノは何も変わらない。逆にそれはより鮮明なものに変わっていた。
そしてやっと現状を理解した。
彼の前に立つ青年は普通なら持ち得ない、新たな六本の足を操っていることを。
「ここでも人体実験が……」
全てではないかもしれないが、ここで行われていることを理解したダンゼルは唇を噛み締めた。
また、救えなかった。
悔やんでいるダンゼル、その前で突如火花が散った。
遅れて彼の視界を覆う紺色の布。
それがダンゼルに向けて突き出された攻撃を龍牙が受け止めたのだと気づくまで数秒を要した。
「悔やんでいる暇があれば戦え。」
「は、はい。」
龍牙の戦闘状態に入ったことを示す冷たい声に、ダンゼルはすぐに起き上がると機械剣を引き抜いた。
ダンゼルは顔を引き締め、小型銃の形態を取った機械剣を握り締めながら攻撃を弾き返した龍牙の横に並んだ。
「これは……」
『戦場』に立ってダンゼルは初めて今の状況を正確に把握した。
二人の前に立ちはだかる先ほどの青年、だが今ダンゼルの視線が向けられていたのはその後ろだった。
そこに銀色の鎧に包まれた男たちが四人、剣を構えているのだ。
そう、銀色の鎧を纏った男達が。
「『また』騎士団が人体実験に……」
「……」
龍牙はダンゼルの驚きの声に敢えて何も答えずにチラリと後ろを窺った後、その五人の力量を探るように目を細めた。
「後ろをやれ。」
「え? あ、はい。」
振り返るダンゼルの視界に移ったのは同じように銀色の鎧に身を包んだ三人の男。
ダンゼルがそこに向けて走り出すのと、目の前の青年が動き出したのはほぼ同時だった。
先程まで突っ立っていたとは思えないほどの加速を見せた青年は、一度、瞬きをする間にも龍牙を攻撃範囲内へと収めていた。
最後の左足での踏み込み、そこから生み出した力を込めながら右腕を繰り出した。
先ほどは背中の足が特徴的で気づけなかったが、よく見ればその右腕も得意な形状をしていた。
言うならば、蟹の鋏。
人が持つには大きすぎるそれは、その間に一回でも挟まれたらその部位は諦めるしかない。そう思わせるほどの威圧感があった。
だが龍牙はこともなげに、ダラリと下げていた大剣を持ち上げることでその攻撃を防いでいた。
「ふん。」
期待はずれだ、と言いたげに鼻を鳴らしてから龍牙は少しだけ剣を握る手に力を込めた。そして、
「っ!?」
青年が微かに目を見開く前で、その巨大な鋏を弾き返した。
そして龍牙は一歩、左足を踏み出すと逆袈裟に剣を振り下ろす。
息を付く暇すら与えぬ連撃に回避を取ることすらできなかった青年は、右腕に取り付けられた鋏を突き出した。
それは、剣を挟み込んでへし折るつもりだったのか、それともただ受け止めるつもりだったのか。
だが青年はここで気づくべきだった。
それが龍牙の狙い通りだということに。
「ふっ」
小さく息を吐きながら降り下ろされる大剣。それは空気が燃え出しそうなほどの剣速をもってそこにぶつかった。
スパッ
そして鳴ったのは、何かが切り裂かれる音。そして、青年の目の前でその巨大な鋏が呆気なくずり落ちた。
「っ!?」
信じられない。そう言いたげな表情で固まっていたが、それは愚行としか言い様がなかった。
そんな完璧な隙を龍牙が見逃す訳もなく、
「安らかに逝け。」
返す二の太刀で青年の胸を深く、斜めに切り裂いた。
「……」
龍牙は地面に伏せる青年を無言で見下ろした。
もう青年に息はないのは確かめるまでもなく明らかだった。
何より、龍牙は最初から殺す気で斬っていた。そしてそのひと振りは的確に心臓を切り裂いていた。
傍から見ればなんと無慈悲な、などと言われるだろう。実際、ガムルがその場にいれば殴りかかっていたかもしれない。
確かに彼は無関係の人間で、ただここに連れてこられ改造された人間なのかもしれない。
だが、ここまでの改造を受けた者がまた『人間』に戻れないことを龍牙はよく知っていた。
そしてこのまま生きながらえさせれば、このまま騎士団の『兵器』として使われるのはほぼ明確だった。
「……させるか。」
それをさせるわけにはいかない。
自らの決意を再確認してから初めて、龍牙は前に視線を向けた。
だがこいつらは違う。
その視線はそう語っていた。
今まで後ろで静かに戦況を見つめていた騎士達はそれぞれが剣を構えたまま固まっている。
いや、何かが彼らの中から膨れ上がっている。そう感じた直後、
「っ!?」
咄嗟に背ける彼の顔の横を、熱が通り抜けた。
それが炎弾であり、騎士たちから打ち出されたものであることはすぐにわかった。だが、何かが『おかしかった』。
その原因を探ろうと龍牙は足を止め、三人を注意深く見つめた。
身につけている鎧は騎士団に一般的に普及しているもので、特におかしなところはない。その背中にも何かが背負われているわけでもない。
ここに手がかりはない、そう思い龍牙が視線を逸らしたところで、ある一点で固まった。
それは騎士達が握る剣。騎士団であれば例外なく数十万リラはする機械剣を支給されている。
だが、彼らの両手に握られているのは『普通の剣』、
『破天石がはめ込まれていない剣』だった。
(なぜだ?)
『普通』の人間に破天石もなく冥術を使うことは不可能である。
(なのになぜ……)
目の前に突き出された難題に龍牙の動きが止まった。
だが目の前の騎士達はその隙を見逃さない程度には力があった。
明らかに無防備な龍牙に向けて、四人の手から炎弾や雷撃が打ち出された。
それは彼らが打ち出せる最高の速度で、そして最短距離で龍牙の身体を捉える……
「なっ!?」
寸前で、その全てが何かに遮られるようにかき消された。
目を見開く四人の前で尚も龍牙は自然体でいた。だが、その周りは数秒前と少し変化があった。
それは、壁や床に刻まれる傷跡。
それを見て初めて、それが彼の手にある大剣によって無力化されていたのだと四人が気づいた。
だが未だ思考の海を漂い続けている龍牙に、四人は今度は憎々しげに歯を食いしばった。
意識を割かずとも対処できる、それだけの地力の差と余裕がその身体から滲みでていたからだ。
下手に動けば逆に殺られる。それだけの実力差があることを嫌でも認識させられた彼らにはもう、遠距離を打ち続けるしか手段が残っていなかった。
そんな彼らを前にしても龍牙は思考を続けていた。
彼が尚も疑問に思っているのは、彼らのその威力や速度に対するものではない。引っかかっているのは、冥術を発動する際に現れるべきものが現れないことだ。
(どうなっている?)
いくら睨んでも見えてこないそれは、空中に展開されるはずの幾何学的な文様。
そう、騎士達が冥術を発動する際に術式が展開されていないのだ。
(どうなっている?)
再度内心で呟きながら龍牙は飛んでくる雷撃を首を傾けることでかわした。
普通の、冥術に精通し、冥術を使って戦う者にとって術式が展開されなくとも特に問題はない。
なぜなら、術式は膨大な情報量を持ってはいるが展開されるのは一瞬のため、せいぜい属性と発動されたことが分かる程度の情報量しか得られないからだ。
だが龍牙は違った。
龍牙にはこの『眼』があった。
それは多少の例外はあるが、術式が展開されるその一瞬で何が発動されるのか読み解けてしまうのだ。
「かかれっ!!」
ついに痺れを切らした四人の騎士達が剣を手に斬りかかってくる。だが、固まったままの龍牙の思考はまだ終わらなかった。
龍牙の相手の虚を突く攻撃は全てこの能力によるものだった。
そんな龍牙にとって術式が見えないということは攻撃の幅を狭める以上の効果があった。
これまで絶対だったものがなくなる。その不安感は、普通なら決して抱かせることのない『焦り』を龍牙の心に宿させていた。
だが自分が焦っていると自覚すると同時に、何かが頭の片隅で引っかかっているのを感じた。
街の片隅、それも地下で行われる研究。現れた人間とは思えない姿をした青年。そして術式を展開せずに冥術を発動する騎士達。
この三つの点がゆっくりと繋がっていく。
そして、
「死ねえ!!」
「っ!?」
龍牙が目を見開くのと騎士が振り下ろしたのは同時だった。
降り下ろされる両刃の剣が狙うは、彼の頭部。
その剣が龍牙に触れる。その瞬間を目の前にした騎士はニヤリと笑みを浮かべた。彼は四階梯だが、騎士としてこの時機で避けられない程度の修練は積んでいるのだ。
自分が剣を降り下ろした時点で動いていない者に避けられる訳がない。そう思っても仕方がなかった。
目の前の人物が龍牙でなかったならば。
龍牙はその一瞬で相手の狙いを察知すると、自身の剣を素早く頭の上へと掲げた。
キンッと金属がぶつかる音。そしてその直後、なぜか龍牙の前の騎士がその体勢を崩していた。
「なっ!?」
意味が分からない。そう言いたげな驚愕の表情が浮かんだ。
それもそうだろう。決定的とも思えた攻撃を受け止められ、挙げ句の果てに体が前のめりに倒れているのだから。
だがそれは全て騎士の未熟さがそう感じさせたに過ぎなかった。
龍牙がしたことは単純である。
ただ、持ち上げた剣で振り下ろされた剣を受け流す、それだけだった。
たったそれだけ、だがほんの一瞬でそれを正確に成し遂げてしまうその基礎力がこの勝敗を決めていた。
未だ驚きの表情のまま固まる騎士に、龍牙は一歩踏み出した。
体勢を崩したことでがら空きになった腹部、そこに空いた左手を軽く当て、
「失せろ。」
爆音とともに騎士を吹き飛ばした。
黒煙を纏いながら傍らを通り過ぎていく同僚に、残りの三人の騎士達は龍牙を中心に円を描くような配置で走るのを止めていた。
「やはり、な。」
だが龍牙には分かっていた。彼らが立ち止まっているのはその騎士がやられたことに対してではない。彼らが驚いているのは、そのやられた方法に対してだ。
「分かったぞ、お前たちの目的が。」
龍牙は目を見開く三人を前に正眼に構え直しながら、微かに口を歪めた。