迷宮都市 第六話
『久しぶりだね。リューガくん。』
「ああ。ひと月ぶりだ。」
抑揚のない受け答えに画面に浮かぶ茶髪の男は困ったような笑みを浮かべた。
この大陸にも数えるほどしかない、映像付きの通信機ごしにリューガが話していたのは『銀翼旅団』のスポンサーでもあるヒューズだった。
「この宿もそうだがいつもすまないな。わざわざ宿を用意してもらって。」
『いや、気にしないでくれ。君たちは快く私のお願いを聞いてくれるから当然のことをしているだけだよ。』
そうこの館は元々、幼少期にヒューズが過ごした場所だった。
これまでの宿もなんだかんだとヒューズがうまく裏で手を回してくれたからこそこれといった証明書の提示もなく泊まることができていたのだ。
「で、今回はなぜわざわざこんな証拠の残りやすいもので?」
『さっそくだね。』
薄く笑みを浮かべながらヒューズは画面では見きれる横に手を伸ばした。恐らく端末でも操作しているのだろう。
その様子を背後で見ていたダンゼルの予想通り、画面上にヒューズの周りを囲むようにして幾つかの文書と画像が表示された。
『実はね、奇妙な事件がいくつかあってね。その真相解明を頼みたくて今回はこういう形を取らせてもらったんだ。』
「奇妙な事件?」
聞き捨てならない台詞に龍牙は眉をぴくりと動かした。
その反応に先程とは打って変わって引き締まった顔をしながらヒューズは頷いた。
『一つはこれだ。』
ヒューズの声に合わせ、画面の中央に現れたのは一枚の新聞記事。小さな文字が囲むその真ん中では白黒で何かが燃えている写真が掲載されている。
その奇妙な写真の上にある題にはこう書かれていた。
『何かの予兆か? 世界各地で同時に燃え出す大木達』
その題名にその場にいた三人はすぐにこれが意味するものを理解した。
『何か、強力な術者を使って起こしているのかと思ってね。君たちの意見を聞きたいんだが……』
「その必要は無いですよ。」
『ん?』
今まで黙って龍牙の横に座っていた少女にヒューズは今日、はじめて視線を向けた。
今にも折れてしまいそうなほど可憐な少女。だがその目には何にも屈さない強い意志と自信が満ちていた。
「これは私達、『銀翼旅団』が未然に防ぎましたから。」
そのフィロの発言にダンゼルは目を丸くした。
どこで傍受されているか分からないこの通信のなかで自分たちの正体を声にしたことも驚いたが、それ以上に彼女の心境の変化にダンゼルは驚いていた。
彼女が『銀翼旅団』という名称を出した。つまりそれは、疑うまでもなくあの男……ガムルを自分たちの仲間として認めていることを強調していることに他ならなかった。
そんな自分より一歳年下の少女。妹のような存在であるフィロの成長にダンゼルは頬が緩むのを感じた。
『そうか。なら構わない。君たちがそういうのなら間違いはないだろう。』
「で、他はなにがあるんだ?」
長く話せばそれだけ自分たちの関係を立証する証拠を残すことになる。
どこまでも冷静な龍牙の言葉にヒューズは少し焦った様子ですぐ横の端末を強めに叩いた。
『これだ。』
「これは……」
今度画面に浮かんだのは、写真のついていない文字だけの記事だった。恐らく一面を飾るほどではないがそれなりの事件というのが記者達の認識なのだろう。中途半端な文章量がその心境を物語っていた。
だが、そこに書かれた内容はその場にいる誰もが先程の記事同様に重要なものであることに気づいていた。
「『各地で冥術使用適格者が次々に行方不明』……リューガさん、これって……」
唖然としながらその記事を読むダンゼルに龍牙は無言で頷き、横に座るフィロの肩に手を回していた。
先ほどまでその目に灯っていた強い光はなりを潜め、代わりにその身体はプルプルと捨てられた子犬のように震えている。
何かを恐れるように、両腕で自分を抱きしめその小さな体を龍牙に預けている。
三者三様の反応を画面越しに見ていたヒューズは、やっぱりか、と呟いた。
『君たちのその反応、間違い無いようだね。』
「ああ。時期から言って、恐らく『研究の材料』だろう。」
その言葉にピクリと肩を跳ねさせフィロは一際肩を抱く力を強めた。
「ちなみにこれまで被害者は何人だ?」
『分からない。私が調べられただけでも二十はいたんだ。恐らくその倍はいるだろう。』
「そうか。」
しばし、沈黙がその場を支配する。
そこで全ての記事を消したヒューズが口火を切った。
『実はもうひとつ君たちに伝えなくてはならないことがあるんだよ。』
「なんだ?」
返答の代わりに現れたのはグラフ。縦軸に数字が書いてあり、横軸には……
『さっきの街ごとの件数を比較したものだよ。』
「比較? ……まさか!?」
答えに辿り着いたであろうダンゼルは声を上げ、
「……」
龍牙は画面から視線を外さず黙り込んだ。
彼らが見るグラフ。その中で最も大きな数字を出している街、それは、
「この街も標的になっている、か。」
『ランズボロー』の六文字だった。
「こっちだよ。」
鳶色の髪の少年の誘導に従い進んでいたガムルたちは先程の通りとは打って変わって、かなり入り組んだ裏道に入っていた。
「うぅ。」
彼のすぐ前を進んでいたリタニアは不満そうにうめいた。
彼女は未だに少年に任せたことに納得がいっていないのだ。
そんなこともつゆ知らず、自ら買ってでただけあって少年が選んだ道中で敵に一度も遭遇していない。それはとても喜ばしいのだが、彼女のこれまでの誘導を全否定されているようで、リタニア自身、複雑な心境なのだろう。
子供だな、などと心のなかでつぶやきながらガムルは変わってきた周りの景色に目を移した。
貧困街、という言葉がすぐに浮かんでくるような薄汚れた空間にはあまり人がいない。どうやら貧困街のなかでもさらに人が寄り付かない場所のようだ。
実際、彼らが今進んでいる道もいたるところに廃材が積み上げられ、彼らの行く手を小刻みに遮っている。
彼らが進んでいるのは、唯一地上に出ることのできる回廊、とは大きくずれた方向だった。
現に今、ガムルの右手にそびえ立っているその回廊の頂点の方が微かに見えている。
どこに向かっているのか。内心、だけでなく現実でも首をひねりながらガムルは迷いなく歩いて行く少年の背中を目で追った。
右手に長い棒を持ち、それでしきりに足元を叩いているその動作からよほどこの道を通り慣れているのであろうことが分かる。
だがそこまで進んでも、街の外壁とも言えるこの空間の壁に近づくばかりで目的地とおもわれる場所が見えて来なかった。
「おい、どこまで行くんだ?」
「あそこだよ。」
そう言いながら少年が指差す先に視線を移してみるがどう見てもその壁以外に見えなかった。
「壁しか見えないんだが?」
「いいんだよ、それで。」
そう言いながら少年は棒を放り投げた。
カランカランと乾いた音を奏でながら転がる木の棒を尻目に、少年はまた歩く速度を上げ角の奥に消えていく。
それを見失うまいとガムルも未だふてくされているリタニアの腕を掴みながら追った。
「ようこそ。」
「っ!?」
聞き覚えのない声に迎えられ、ガムル達はとっさに迎撃態勢に入るが、
「そんなに構えんでくれ。わしらにはあんたらを通報する気なんぞありゃせんよ。」
それは杞憂でしか無かった。
彼らの前に立っていたのは傍らに少年を抱えた老人一人だけだった。
しばらく二人の様子を窺っていたが、二人からもこの周囲一体からも全く敵意が感じられない。
さすがにこれ以上は失礼に当たる。そう判断したガムルは構えを解き、小さく頭を下げた。
「すまない。」
「いや、あんたらの現状を考えれば当然の反応だろうて。まあとりあえず中に入りなさい。」
そう言いながら老人が示したのは壁と家屋が接している箇所に空いた人一人通るのがやっとというような穴だった。
老人と少年はなんの躊躇いもなく一人ずつ、身を屈めながら暗いその穴の中へと消えて行く。
「うわぁ」
それを見ながら明らかに嫌そうな声がガムルの後ろから聞こえた。
だが実際、ガムルの心境も同じだった。
だが彼女と違うのは、汚れるのが嫌だからではなく、
「俺、通れるかな?」
その大きすぎる体躯を案じるものだった。
『今日、君たちに聞きたい、あるいは伝えておきたい事件はこれだけだ。』
「そうか。」
物思いに耽る二人を尻目に龍牙が平然とした態度で頷いた。
『残りの二人には君たちから伝えておいてくれるかな。一応、スポンサーとして君たちの安否はかなり気を使っているからね。』
「大丈夫だ。問題ない。」
『それを聞けて安心したよ。君は嘘をつかないからね。』
場を和ますように満足そうな笑みを浮かべるヒューズに龍牙は無言で頭を下げた。
龍牙は敬語を全く使わないが、上下関係を分かっていないわけではない。確かにヒューズは龍牙にとって付き合いの長い『友人』だが、今は雇い主であり自分たちは雇われた側である。そのことをはっきりと自覚した上で、言葉ではなく行動でそれを示しているのだ。
『この事件はここ半年ぐらいで起こったものばかりだ。くれぐれも気をつけて。』
「わかっている。」
『そうか。さて、これで私は失礼させてもらうよ。』
「ああ。分かった。」
『何かあればその館にいる執事たちに言ってくれて構わないよ。私に連絡を取りたい時も、ね。』
その示す人物は龍牙の右手。この部屋の入口の脇に背筋を伸ばしたまま微動だにせずただ立っていた。
それを目だけを向けて確認してから龍牙は頷いた。
「では遠慮無くそうさせてもらう。」
『それじゃあ、またの機会を楽しみにしているよ。』
「ああ。できるだけそれが直ぐでないことを祈っている。」
困ったような笑みを浮かべるヒューズの映像が途切れるのを待ってから、龍牙は後ろで物思いに耽る二人を引き連れ部屋を後にした。
ガムルが踏み込んだ空間は入り口ほど狭くはなく、逆に普通の家屋よりも広いように見える。
いや、実際広いのだろう。
玄関を入った先には長い廊下が続き、その両側には左右二つずつ扉が付けられ、奥には居間なのか、かなり広い空間があるのが分かる。
「こっちだよ。」
先に待っていた少年に促され、ガムル達は奥にある居間に向けて歩き出した。
途中の四つの扉は固く閉じられており、中を伺い知ることはできないが、人の気配が全くしないことから本当に待ち伏せをされているわけではないとガムルは結論付けた。
気になる扉の横を通りぬけ、その先にある空間に足を踏み入れたガムルは左手に見えるものに無意識に足を止めていた。
「ちょっと、ガムル!!」
「これは……」
後ろからぶつかってきたリタニアすらも無視してガムルは左手に向き合うように並べられたソファを通りぬけ、その先にある壁、正確に言えばそこに張られた大きな紙の前で立ち止まった。
「それって……」
リタニアも気づいたのだろう。慌ててガムルの横に駆け寄り、穴が空くほどそれを見つめた。
「ここ数年で起こった街の様々な事件とそれを示したこの街の地図よ。」
明確な答えとともに近寄ってきた足音の方へ振り返れば、先程の老人が奥から木でできたトレーに四つカップを乗せて立っていた。
「あんた一人で、か。」
テーブルの上に綺麗にソーサーに乗ったカップを置いてから老人は屈めていた姿勢を伸ばした。
その背丈はリタニアより少し低いぐらい。だがその身に着けている服はやはり少年と同様、薄汚れているが明らかに高級なものであるのは一目瞭然だった。
無言で首肯する老人にガムルは素直に信じられないな、と表情で感想を述べた。
「だけど、これは一人で集めきれる量の情報じゃないですよね? いったいどうやったんですか?」
代わりに尋ねたリタニアを右手で制し、その手で彼の座る向かいのソファへと二人を促した。
「まあ。まずは座ったらどうかの?」
二人もお互いに目で確認していたが、疲れも溜まっている彼らには断る理由もない。二人は促されるままにこの地下街には不釣り合いなすわり心地のいいソファに体を埋めた。
「で、どうやって集めたか、だったの。」
口をつけたカップをソーサーに音もなく戻してから老人はまた口を開いた。
待ったましたとばかりにガムルとリタニアの二人もまた音もなくソーサーに戻しながら老人の声に耳を傾けた。
「理由は簡単だ。わしは元々、『上』で働いていたのでな。ちょっとばかり顔がきくのよ。」
ニヤリと不敵に笑うその表情はその一瞬だけ十歳は若返ったようにガムルには見えた。
「ちょっと、なんていう話じゃないと思うけどな。」
そう言いながらガムルは振り返った。
彼の背後に張られている地図は二枚。それは地上と地下街の二つ。そのどちらも写真などと共に起こった事柄の概要と被害を簡潔にメモされていた。
(多分、別に詳細な情報をまとめてあるんだろうな。)
老人の評価を時間が経つ度に上方修正しながら、ガムルは顔を前に戻した。
「で、なんでこんなことをしているんだ?」
ガムルの真っ直ぐな質問に老人はしばし口元をキュッと引き締め黙りこんだが、覚悟を決めたように口を開いた。
「この街を変えるためだよ。」
だが言葉を発したのはその横に座っていた少年だった。
「この一年だよ、この街がおかしくなったのは。」
「おかしくなったっていうのは?」
ガムルは老人に顔を向けながら尋ねるとウムと頷いた。
「今のランズボローは騎士団により統治されているのは知っておるな?」
「ああ。」
「そこに二年ほど前、新しい所長が配属されてからよ。この街のいたるところで『行方不明者』が出始めたのは。」
「『行方不明者』?」
寝耳に水な話だ。少なくとも上ではそのような話は聞いていなかったと考えたがその理由は容易く想像できた。
「ああ。この街や上の貧しい階級の人間が暮らしているところで起こっている。」
「つまり、周囲からあまり認識されていないような情報操作が容易い人間ばかり狙われている、と?」
「そういうことだ。」
「で、それをやっているのが『騎士団』だと思っているのね?」
続いたリタニアの言葉にガムルはおいおい、と内心冷や汗をかいていた。
いくらこのような隠れ家とはいえもし騎士団の息の掛かった者に今の言葉を聞かれれば目の前にいる二人は間違いなく御用になってしまうのだ。それに今の話が本当ならこの二人こそいいカモにされてしまう。
「ああ。そうわしは睨んでいる。」
そうこう考えている間に老人は引き返せないところまで進んでいた。
「おいおい。滅多なことを言うなよ。聞かれていたら問題に……」
「証拠があるんだよ。」
代わりに理由を答えたのはまたしても少年だった。
「証拠というよりも目撃者というべきか。」
「目撃者? いるのか?」
「ああ。上のここみたいな場所の人間だが、何人かいる。」
「目撃証言じゃ確実とはいえないだろ?」
「いや、それ以外にも理由はある。」
即座に否定されたことにガムルは驚きながらも、姿勢を正した。とんでもないことを言われるような予感。彼の危険を察知する勘がそう囁いていたのだ。
「『行方不明者』、その全員が『冥術使用適格者』だったということよ。」
「っ!?」
その一単語にガムルとリタニアは驚愕のあまり言葉もなく息を吸いこんだ。
「……一人も例外なく、か?」
「その通り。」
「ちなみにこれまでの被害件数は?」
「二十六件かの。ここ二週間のがまだ調査が終わっていないのでな。まだなんとも言えん。」
「偶然ということは?」
「ないな。それに騎士団が実行したと考える理由の一つがここにある。」
「なぜそう思うの?」
「今の所長が来てから始まったことの一つが年一回、市民一人一人の『身体検査の義務化』」
そこまで言われればガムルにも老人がこの場でそう明言できた理由を理解した。
「つまり、リストを手にした騎士団になら百パーセントの確率で『冥術使用適格者』を連れされる、っていうわけか。」
「そういうことだ。」
「確かに状況証拠だけではあるけど騎士団は限りなく黒に近い灰色ね。」
リタニアの評価にガムルも無言で頷いた。
確かに状況証拠のみではあるが恐らく実行犯は騎士団だろう。
そこまで検討をつけたところでガムルはふとこの場の一角が妙におとなしいことに気づいた。
その一角へ目を移せば少年が自分で自分の手を力一杯握りしめていた。
その様子を見て今まで全く繋がりのないと思われた欠片達が彼の中でが一気に繋がった。
「もしかしてこいつの母親っていうのは……」
「勘がいいの。そう。この子の母親もまた先程の行方不明者の一人よ。」
老人に抱き寄せられる少年を見てガムルは何か言葉をかけようと思ったが、何も言えなかった。
「この子の母親とは長い付き合いでな。」
その『付き合い』が一般的な付き合いだとはとても思えない。それほどに老人の言葉には含みが多かった。
「……だけど、なんでそんな重要な話を私たちよそ者に? これで騎士団に報告されたらあなた達は速攻で絞首刑よ?」
「君たちの目を見れば分かる。」
そう言いながら老人はニヤッと笑ってみせた。
「何か、目的を成し遂げようとしている真っ直ぐな目を見ていればの。」
「……ハハッ、そうだな。」
ガムルもつられて笑いながら頷いた。
「いいぜ、爺さん。俺も協力してやる。」
「ちょ、ちょっとガムル!?」
「だが、条件がある。」
「条件?」
訝しげな表情をする老人にガムルは真剣な表情で頷いた。
「その所長とやらは俺に殴らせろ。」