迷宮都市 第五話
夕焼けが歴史を感じる石畳を照らす。
その大通りの一角にある喫茶店では本日最後の賑わいを見せていた。
一人で暮らすものは自身の空腹を満たすために。家族を持つものは一人のやすらぎの時間を得るために。
そして恋人がいるものはこの幻想的な光景を肴に愛を育んでいく。
そんな多くの人がそれぞれの癒しの時間を過ごす店の中、大きな窓の横に設置されたテラスの下だけ周りと空気を異にしていた。
そこに座っているのは一組の男女。
男のほうは夏場にも関わらず全身を覆うようなコートを身に付けているが、汗一つかいていない。
女(いや少女というべきか)のほうは逆に季節にあった肩から先を露出した足先まである純白のワンピースを身に纏っている。
だが何より目を引くのは、二人のその整いすぎた彫刻のようなその美貌と男の椅子の背もたれに垂れる一纏めにされた銀髪だった。
周りからチラチラと向けられる視線を全く意に介していないのか、男は本を片手に黒い液体の入ったカップを傾け、少女は赤い液体が入ったカップを時々傾けながら目の前に出された黄色いアイスにスプーンを入れていた。
その優雅な貴族の『紅茶休憩』のような所作に店内に戸惑いの色が満ち始めた頃、通りの方から一つ長い影が近づいてきた。
「リューガさん!! フィロちゃん!!」
コトッ
少女、フィロの方はスプーンを置いて声の方を向くのに対し、左手に本を持ったまま口に運んでいたカップを置き直すだけで、呼ばれた男、龍牙は声の方を向くことすらせずペラリと一枚ページを捲った。
その素っ気無い態度など気にもとめず、声の主は円形テーブルに座る龍牙とフィロの間にある椅子に慌ただしく腰を降ろした。
「ダンゼルさん、どうかしたんですか? そんなに慌てて。」
「ちょっと面倒なことになったみたいでさ。」
「面倒なこと?」
鸚鵡返しに尋ねるフィロにうなずき、ダンゼルは先程の出来事を簡潔に話した。
「なるほど、で、まだお二人は帰ってこないと。」
「そうなんだ。まあもしものことはないと思うけど、追っていたのが騎士団だからさ。一応伝えておこうと思って……」
「放っておけ。」
「……え?」
何を言っているのか分からない。そう言いたげな表情を浮かべるダンゼルを前に龍牙はそれ以上何も告げずにまた本に目を戻した。
たしかに二人なら大丈夫だとは思うけど……
そのある意味、龍牙らしい反応にダンゼルが何も言えず固まっていると、反対側に座っていたフィロがその耳元に口を近づけた。
「リューガは何も見捨てろとは言ってないですよ。」
「え?」
振り返るダンゼルの視界一杯に広がるのは可憐な美少女の笑み。
それに少し頬を染めながらもダンゼルはフィロの形のいい大きな目を見た。
「下手に動けばガムルさん達だけでなく私達まで騎士団の標的にされてしまう可能性がありますから。」
そこまで言われてダンゼルは龍牙の意味するところを理解した。
ここで下手に動けば顔の割れたガムルと仲間と思われ、厳しい監視が付き自分たちの目的に支障が出るかもしれない。
ここで他人の振りをすればその危険性は僅かではあるが、『銀翼旅団』全体としては下がる。
そう考えればこの龍牙の言動が最良と言えた。
「ちゃんと言ってくれればいいのに。」
恨めしそうに龍牙の方を見るダンゼルにフィロはクスクスと口に手を当てて笑った。
「それがリューガですよ。」
「敵わないなー」
そうぼやきながらダンゼルは喉の渇きを潤すために手を上げた。
「いてぇ……」
ボソリと呟くように発せられた声は予想以上に響いた。
どうやら少しの間、意識を手放していたようだ。
軽く頭を打ったせいか、少し意識が混濁しているのが分かる。
ぼーっとうまく動いてくれない頭を押さえながらガムルは身体を起こした。
そこは先程まで立っていた場所の真下のようで、光が射しこむ上方を見あげれば彼らが落ちたであろう大きな穴が見える。
逆に足元に目を移すが光量が足りず、視認するのは難しいが、ついた手の平から伝わる感触は冷たく平で硬い。
どうやらここはたまたま空いていた空洞などではなく、人の手によって造られた空間のようだ。
要塞として使われていたことを考えると別に不思議ではない。
貯蔵庫、抜け穴、避難所、使用用途はいくらでもある。
現にここ以外の街でもこのような空間は珍しいものではない。
今でこそ保存技術や生活環境の向上で使われなくなっているがかつては全ての生活用水、食料は地下に保存されていたのだ。
中にはそこを荒れくれ者が縄張りとするのを恐れ、埋め立てる街もあるが、今でも倉庫として使われていることが多い。
「いたたた」
ガムルがこの空間について思考を巡らしていると横で同じように頭を押さえながらリタニアが起き上がった。
彼女もまたそう短くない時間、意識を手放していたようで状況を把握しようとしきりに辺りを窺っている。
「ここは?」
「さっきの行き止まりの真下。どうやら『地下街』に落ちたみたいだ。」
「そう。」
ガムルに頷きを返してからリタニアは若干よろめきながらも立ち上がった。それにつられ、ガムルもまた立ち上がる。
いざ立ち上がってみると意外と今いる空間の様子がよく見えた。
彼が想像しているよりもそこは狭いようだ。
一辺五メートルほどしかない正方形の部屋。その壁際にはいくつか木箱が置かれており、彼らの正面には木製の扉が見える。
二人は無言でどちらともなくその扉へと歩き出した。
彼らの上では少々騒がしくなってきていた。どうやら騎士たちが到着し、本部と連絡し今後の対応について指示を仰いでいるのだろう。
(組織も良し悪しだな。)
組織は大きくなればなるほど動きが鈍くなる。そんな無意味なことを考えながらガムルはそっと扉の取手を捻った。
扉の先は思っていたよりも明るかった。
どうやらこの辺り一帯は未だに使われているようで細い彼らが立つ細い廊下の壁に埋め込まれた台には仄かな光を放つ石が置かれている。
これ以上、妙な騒動に巻き込まれたくない。
二人はなるべく足音を立てないよう細心の注意を払いながら歩を進めた。
その廊下はそれほど長くはなく、彼らはすぐにその先にある落ちた部屋とは比べ物にならないほどの広さを持つ部屋に出ていた。
いや、部屋というよりは街と言うべきか。
石や煉瓦のみで造られた家屋が両脇にずらりと見渡す限り伸びているのだ。
「……お前、ここのこと知っていたか?」
目を丸くし尋ねるガムルに、
「私が知っていた頃より遙かに大きくなってる。」
リタニアは首を横に振った。
あまりの規模に驚きをあらわにした二人だが、それと同時に同情の念を持たずにはいられなかった。
このような空間が地下に広がるといことは、つまり『地上』では生きていけなくなった人間が増えていることに直結しているからだ。
二人は自分たちの姿を隠すことも忘れ、歩きだした。
近づくにつれはっきりと分かる。
彼らのどこか疲れたような、まるで生きることを諦めたようなそんな虚脱感。
もちろんそれは一部の人間だけである。大多数はまだ必死に生きようとせわしなくこの真っ直ぐな道を走り回っている。
だがやはり地上の住民と違いその表情に余裕はない。
それは子供も例外ではなかった……いや、子供の方が多いと言えるか。
元気に走り回り働く子供もいればその辺りの路地に薄汚れた毛布を巻きつけながら蹲るものも、道の脇で獲物を探すような鋭い視線を向けるものもいる。
「ひどいな……」
ボソリとガムルの口から零れた声にリタニアは無言で頷いた。
「ここはこの街の高圧的な政治についていけず住み慣れた家を追い出された人たちの『最後の砦』よ。」
「そんなにひどいのか?」
問いかけるガムルにリタニアは速度を少し緩めながら頷いた。
「五年前、改革があったでしょ?」
「ああ。地方の役所と騎士団の合併、だったか?」
「実際は騎士団による役所の吸収よ。」
そこまで聞けばリタニアの後に続く言葉はすぐに検討がついた。
「つまり騎士団が好き勝手やっているって訳か?」
「ええ。私がいた頃からそんな感じだったけど……明らかに悪化してる。どうやら今の所長がかなりあくどい手を使ってるみたいね。」
「所長、ねえ。」
ガムルの言葉に違和感を感じたリタニアは探るような目を向けた。
「ここの所長のこと知ってるの?」
「……ああ。ちょっとな。」
そう無理やり話題を終わらせながらガムルは視線を前に戻した。
地下だというのにこの空間は明るい。
上から射しこむ日差し以外にもどうやらあの通路と同じように自らが光を放つ鉱石が天井からぶら下げられているようだ。
エネルギー革命が起こった現代では珍しいその照明道具を物珍しげに見ていたが、その視線はすぐに目の前に広がる街に向いていた。
上から射しこむ光はこの空間の悲惨さをより鮮明なものにしていた。
石材で造られた建物は所々が崩れ、薄い板があてがわれており、その前を通り過ぎる人の服もまた薄汚れているのが目についた。
そしてそんな汚れ以上にガムルは前から歩み寄ってくる一人の少年に視線が止まった。
周囲で座り込む子供たちと同じように、目が隠れるほどまで黒い髪は伸び、薄汚れた服を身につけている。
そんな周りと変わらない子供になぜ目が止まったのか。
理由は簡単だ。
前ではなく横を見ながら歩くその姿は、あえてこちらを見ていないように見えたからだ。
ならなぜそのような仕草をするのか。
それは、
「っ!?」
「やめとけ。」
驚きの表情を浮かべる少年。ガムルは自分の懐に伸びるか細い腕を掴んだ。
少年はしばしもがくことも忘れ、自分に視線を向けてくるガムルを見返した。その少年の手に握られているのは赤い皮の財布。
「あ、それ!!」
無言で固まる二人の間に潜り込み、少年の手から財布をもぎ取るとそれを胸元に抱き寄せた。
「私の、ロザンツ一と噂される『マサミ=ショーン』の今夏限定モデルじゃない!! これ高かったのよ!!」
よく言う、わざわざ取らせてやったくせに。
ぎゃあぎゃあと一人で騒ぐリタニアの横でまたガムルは少年と視線を合わせた。
リタニアはこの少年に恵みを与えるつもりだったのだろう。だが、ガムルは知っていた。
これは間違っている。
悪意で手に入れた金銭で幸せは買えない。
綺麗事ではない。こんな少年でも働こうと思えば必ずどこかにその口はある。
それをこの少年はやろうとしていないのだ。
そんな甘えを、ガムルにはどうしても許すことができなかったのだ。
その反応が不満だったのだろう。リタニアはあからさまに頬を膨らますが、それ以上は何も言わなかった。
余裕がなかったというべきだろうか。
その小さくない財布を自分の谷間に押し込みながらリタニアは少し腰を屈めた。
(まずいわね。)
目だけで辺りを見回せば、少しずつだが先程まで道の端に座り込んでいた浮浪人達が遠巻きにだが彼女たちを囲っているのが分かる。
そして何より、向けられる視線。その中に隠そうともしない、明らかな敵意が混ざっていることにもリタニアは気づいていた。
早く立ち去らなければ。
だがこの包囲網の中、下手に動けば騒ぎになって追ってきた騎士たちに情報が回るかもしれない。
こういう街では基本的に無干渉なのが暗黙の了解なのだが、時に『この街』と敵対する存在が現れれば彼らは驚くほどに共同でその存在の排除に動くのだ。
その風習とも言うべき対応をリタニアは当然のごとく知っていた。
だからこそあまり動けなかったのだが、変に固まっているのは上策ではない。そう判断した彼女は身体の硬直を解き、未だか細い手を掴んだままになっているガムルの右手にその手を乗せた。
「ガムル、もういいわ。行くわよ。」
リタニアの制止の言葉にガムルは目を丸くしたが、その後に見たチラリと周囲を見やるリタニアの所作にその意味を理解した。
「そうだな。」
ガムルはゆっくりと少年の腕を離すと正面に少年を捉えたまま。一歩二歩と後ろに下がった。
その動きに若干、周囲の緊張感が薄れていく。
それを確認してから二人は少年に背を向け歩き出した……
「やれ。」
が、それはすぐに疾走に変わっていた。
彼らの正面に仁王立ちする、この場所に似つかわしくない高級そうなスーツに身を包んだ男の掛け声によって。
彼のそれほど大きくない声。だがその一言で周りを取り囲んでいた人々が動き出した。
杖をついていたはずの老人はその身体を支えていた杖を振り回しながら、飢えで死にそうになっていたはずの少女が目の色を変えて追いかけ出したのだ。
その明らかな変化に呆気に取られながらも本能的な危機感からガムルはリタニアの腕を取り、最も壁の薄いところめがけて走りだしていた。
「どけぇ!!」
元々屈強な、かつ冥力によって強化された彼の身体は勢いをそのままに、包囲していた何人かを吹き飛ばし包囲網を飛び出した。
誰かの足が絡まり、よろめくが駆ける足を止めることはない。
ガムルはリタニアの手をすぐに離すとその通りを走り抜けた。
「くそっ、まだ追ってきやがる。」
「あなたがあの子を止めなければこうならなかったのよ。」
そのリタニアの追求にガムルは意外という感を禁じ得なかった。
「どういうことだ?」
「あの子、私達の前に現れる前、少し離れたところで『男』と話していたわ。」
強調された『男』が誰なのか、ガムルには言われなくても分かっていた。
「つまり命令されていた、ってか?」
「ええ。恐らくこの地下街全体でそういうことになっているみたいね。」
そう指摘され、ガムルが耳をすませば慌ただしい無数の足音がいたるところから聞こえてくる。
そしてその内の三つがすぐそばからだと言うことに気づくのとガムルが十字路に飛び出すのはほぼ同時だった。
「い、があっ!?」
「沈んでろよ。」
叫ばれるよりも早くその身体を吹き飛ばすことで意識を刈り取りながらガムルはそのまま直進した。
「とりあえず地上に出るわよ!! ここにいるよりかは幾らかマシなはずよ!!」
「分かった!!」
人ごみをかき分けながらガムルは少し視線を上げた。
そこに見えるのは地上から降り注ぐ光と渦を巻くように上へ伸びる螺旋状の階段だった。
目算でも後、一キロ弱はある。
上から降りてくる騎士たちのことも考えると正直なところぎりぎりというのがリタニアの判断だった。
「いたぞー!!」
「ちっ」
彼らの横で窓が開け放たれ、侵入者である彼らの居場所を逐一そこの住人たちに大声で喚いている。
彼らが逃げ切るために一番確実なのは、出てきた敵を的確かつ迅速に潰すことだが、さすがに家にまで乗り込んで『本当の』賊のようなことはしたくない。
結局、彼らにできるのはただ出口に向けて走り続けることだけだった。
それから半分ほどの道のりを過ぎた頃。
情報が行き渡ったのだろう。もうこの通りには彼ら二人以外目立った人影は完璧に失せていた。
「マズいな。 っ!?」
前方から迫る気配に察知するよりも早くガムルは横に跳んでいた。
「ちっ、冥術師か。」
先ほどまで彼がいた場所に落ちる落雷に舌打ちを零しながらその術者へと視線を向けた。
この街に似つかわしくない、黒髪を後ろに撫で付け、小奇麗なシャツに黒いベストというどこか貴族のような出で立ちをした男がそこに立っていた。
「ほう、これを避けるか。只者じゃない、がほぉっ!?」
「うるせえよ、馬鹿。」
ガムルは余裕綽々といった具合のその男の腹に拳を叩きこみ、また疾走を開始した。
かなりの時間を無駄にしてしまった。
そのことに若干の焦りを覚えながらもガムルは横を走るリタニアに声をかけた。
「ここにも冥術師がいたんだな。」
「冥術師というよりも、ただがむしゃらに破天石に冥力を流し込んでいるようにしか見えなかったけどね。」
そうリタニアの言うように、先ほどの男は機械剣を持っていなかった。つまり、破天石のみで術式を展開していることになる。
これはかなり効率が悪い。
元々、人間と破天石の元になっているヴァリアントとでは最初から構成されている物質に違いがあるのだ。性質の違うものに干渉するにはそれだけ無駄にエネルギーを消費する。
リタニアが言っているのはこのことだった。
だがガムルはそのこと以上に気になっていることがあった。
(あいつ、破天石を持ってなかったよな?)
そう彼の手には一つも破天石が握られていなかったのだ。
破天石がなければ術式を発動することができない。これは冥術師が最初に習う常識だ。
確かにガムルはこの『例外』を知ってはいたが、それがそう簡単にこのような街のそれも地下街にあるなど考えられなかった。
(何がどうなっている?)
そのようなことに思考を巡らせている間にも彼らはもう地上への階段の麓にまで迫っていた。
この角を左に折れれば到着。
だがガムルの前を走っていたリタニアが取った行動は『急停止』だった。
「あっ、むぐ」
危なく声が漏れそうになるのをリタニアの手に塞がれたガムルは驚きのあまり暴れそうになる身体を凄まじい精神力で押さえつけ、その華奢な手を口から外した。
「いったい、なんだってんだよ?」
「しっ、見なさいよ。」
リタニアの指差す方向は彼らがこれから曲がるはずだった壁の向こう。
ガムルは恐る恐る片目だけ壁から出し……眉間にシワを寄せた。
彼の見る先にあったのは、薄汚れた服と小綺麗なスーツ。
そして銀色の鎧。
そう、彼らを追う三勢力が集結していたのだ。
まだお互いがいがみ合っているならまだ救いようがある。だが彼らの間にそのようなわだかまりなどなく、その集団は共通の目的に向けて一体となってそこに防衛線を築いていた。
「遅かったのか?」
「いや、向こうが早かったのよ。」
「……なんでだ?」
「さあ。ただここは他の街みたいに『上』と『下』でいがみ合うわけじゃなくて、協力しているように見えるわね。」
「それは全員がか?」
「いや、一部の人間が、と考えるべきね。さっきの子も明らかに無理やりやらされていた。」「つまり、この街を仕切っている奴と上の騎士団が繋がっている、と?」
「あくまで推測だけど、多分、合っていると思うわ。」
この推測にガムル自身もまた異論はなかった。まだ少ししかこの街全体を見てないが恐らくリタニアの見立てが一番答えに近いだろう。
だがここでやはり気になるのはやはり騎士団所長、そして先程の男の存在だ。
だがそれを今ここで考えるほどガムルは間抜けではなかった。
「封鎖されているなら他に回ろうぜ?」
「馬鹿ね。そんなもの同じように封鎖されているに決まってるじゃない。」
「じゃあ、俺達が落ちてきた穴は……」
「それも却下。まずこれだけの距離を人気のないところを通って監視の目をくぐり抜けるのは不可能だし、なによりあっちは地上から騎士団が抑えているでしょうね。」
「そりゃそうか。」
落盤事故が起こったのだ。
恐らく騎士たちによって一般人が踏み込まないよう規制を敷いているのは容易く想像できる。
「ならどうするんだ?」
「ちょっと静かにしてて。今、考えているんだから。」
額に人差し指を押し付けながら唸るリタニアにガムルは訳もなくため息をつくと、ふと何気なく後ろを振り返った。
視界に真っ先に入ったのは鳶色の髪。次いで、その身体を覆う元々かなり上質のもので造られていたのであろう薄汚れた衣類。
「ん? お前は……」
そして最後にその顔を見てガムルは、はて、と首を捻った。
それはリタニアから財布をくすねようとしていた少年だった。
尚も唸っているリタニアから離れ、ガムルはその少年に近づいた。
「なんか用か?」
普通ならば敵であることを警戒し近づかないのが定石だが、ガムルはその少年にまるで友人に会いに行くがごとく躊躇うことなく歩を進めていた。
特に理由はない。
敢えて挙げるとすれば、少年から敵意を感じることができなかったこと。そして、その少年の目に何か決意の光を感じたように思えたからだろうか。
もし近づいたところで攻撃されればされたで、ガムルにとってこの程度の少年の攻撃を避けるのは容易い。
結局のところ、そのような打算で動いている辺り、ガムルらしいとしか言いようがない。
俯く少年の真正面に立ち、砂で汚れた鳶色の頭頂部を見つめているとガムルの耳に何かが引っかかった。
「……がしてやる。」
「は?」
蚊の鳴き声のようにか細い声にガムルは耳に手をあて、少年に近づいた。
「だから、あんたたちを逃してやるって言ってるんだよ!!」
さすがにこの状況で叫ぶのを避けるだけの脳はあったらしい。少年の荒らげた声にそんな評価を下しながらガムルは今の言葉を脳内で反芻した。
「……お前、裏道とか詳しいのか?」
「もちろん。おいら、この街の道という道を全て、最新の状態で記憶してるんだからな。」
最初は根暗なのかと思っていたが、実は真逆の溌剌とした少年らしい。
自分の見る目のなさに内心ため息をつきながらガムルは無言で頷き返すと後ろのリタニアに声をかけた。
「おい、リタニア。」
「何よ、っていうかここで名前を呼ぶのはやめなさい。」
一切振り向かず答えるリタニアに嘆息を零しながらガムルは少年に目でここで待っているように伝えた。
それは淀みなく伝わったようで少年もまた無言で頷いた。
「おい、方法が見つかったぞ。」
「は、どうせあんたのことだから強行突破とかじゃないの?」
その物言いにはさすがのガムルも黙ってはいられなかった。
「おい、馬鹿にするのも大概にしろよ。」
「うるさいわね。あんたはそのまま待っていればいいのよ。」
「ちっ、いいから来いって。」
「ちょっ!?」
腕を引っ張り、無理やり立たせると、リタニアは明らかに不機嫌そうな表情を張付けながら彼に向きなおった。
「誰の許可で私に触っているのよ?」
「それは後で謝るから先に本題だ。」
「……分かったわよ。で、その方法って……まさかあんたの後ろの子、なんて言わないでしょうね?」
そこで初めて気づいたのだろう。少し緩まっていたはずのリタニアの雰囲気はガムルの後ろでそわそわとしている少年を捉えた瞬間、また固く引き締められた。
「そのまさかだ。」
頷くガムルにリタニアは手を額に当てうなだれた。
「はあ。あんたって本当に馬鹿ね。今この状況を創りだした張本人をその場で信じるなんて……」
顔をガバっと上げながらそこまで言ったところで、リタニアは口を噤んだ。
「う……ひっく……」
彼女の視線の先にいる涙があふれる少年の目のせいで。
さすがにこの場面での子供の涙はいくらリタニアとはいえ強力だった。
確かに、信じるのは難しいが、この少年はあの大人に無理やらされていた可能性があることを先程、自分の口から発したばかりだったのも大きかった。
そして無言の数秒間の後、
「……分かったわよ。」
渋々といった具合にリタニアは頷いた。はあ、とあからさまにため息を付くリタニア。その前で、少年は彼女に見えないところでグッと拳を握り締めているのをガムルは見逃さなかった。
(なんなんだ? こいつ?)
その少年の異常とも言えるガムル達二人に対する執着心がガムルには不可解で仕方がなかった。
高々、道案内に任命してもらっただけで普通あそこまで喜ぶだろうか。
(何か裏がありそうだな。)
自分で進めておきながらそのような分析をしながら、ガムルは先導を始めた少年の後を追った。