迷宮都市 第一話
『そっちに逃げたぞ!!』
『北の方角だ!! 東に回りこめ!!』
周囲で飛び交う怒声に見えるはずもないのに巨漢の男は走りながら辺りを見回した。
「おい、ヤバくないか?」
そう問いかける彼の横では同じように額に汗を滲ませるリタニアが走っていた。
「わかっているわよ、そんなこと!! ほら、こっち!!」
ガムルの腕を引きながらリタニアは右手にある細い道に入った。
「なんてややこしい街なんだよ、ここは。」
「いまさらでしょうが。名前にも書いてあるじゃない。」
後ろを着けていた兵士たちを振り切ったことを確認したリタニアは少し走る速度を緩めながら次の曲がり角を左に折れた。
「『迷宮都市』か。本当によくこんなのを考えたよな、ここを設計した奴は。」
「一時期、要塞として使っていたんだから当然といえば当然ね。」
無駄口を叩くだけの余裕が出てきたのを感じたガムルはまた周囲を見回した。
彼らの周りに並んでいるのは四角い二階建ての家屋。そこだけを見れば普通の街だが、ここには普通の街と明らかに違うものがあった。
それは、『並び』。
家屋がそれこそ巨大迷路のように不規則に立ち並んでいるのだ。そのためか、ガムルのようにこの街に住んでいないものからすれば面倒極まりない街である。
今、彼らが逃げ切れているのは、リタニアがここに少しではあるが、土地勘があったからに他ならない。
ではなぜ彼らは追いかけられているのか。それは三日ほど遡る。
サムヘア湿原を抜けてから二週間、幾つか小さな村に立ち寄りながら一行は東へと向かっていた。
「なあ、今更だけどどこに向かっているんだ?」
「秦国との国境にある『三国共同研究所』ですよ。」
助手席に浅く腰掛け、投げ出したガムルの足をちらりと見ながらダンゼルが答えた。
「なんだ? それ。」
「あんたそんなものも知らないの?」
小馬鹿にしたような(実際しているが)言葉にガムルはムッとしながら振り返った。
「悪かったな、世間知らずで。」
「おっ、やっと認めたわね。」
「なんだと!?」
「何? やるの?」
「リタニアさん。紛らわしいからそういうのはやめようよ。知らないのが普通なんだから。」
立ち上がり睨み合うガムルとリタニアをルームミラー越しに見たダンゼルが呆れたようにその場を制した。
渋々といった感じに矛を収めたガムルはまた助手席にドカリと腰を降ろした。
その大きな態度に苦笑するダンゼルは、ハンドルを片手で操りながら傍らの画面に手を伸ばした。
様々な曲線や円などが表示された三つ画面のうちの一つに触れるとそれを左へ素早くスライドさせた。
「これがロザンツ帝国と秦国の地図なんだけど。」
そう告げるダンゼルの斜め前、つまり運転席と助手席の間のフロントガラスにそれは現れた。
その地図は草原や森林や山脈、さらに現在地や街、さらには道などの細かい情報が載せられたものが横長に表示されているため、素人であるガムルにも分かりやすいものだった。
「これから行くのは秦国との国境にあるその赤い丸がさっき話した『三国共同研究所』だよ。」
「へえ。で、そこはなんなんだ? 研究所っていうのはわかるけど『三国共同』って?」
「そのままよ。ラグレイト帝国、ロザンツ帝国、秦国の三つがそれぞれ一定額資金援助しているのよ。」
「はぁ? そんなことしたら競争がなくなって質が落ちるし、開発が進まないんじゃないのか?」
「へえ。」
ガムルの発言が意外だったのかリタニアは感心したような反応を見せた。
「お前、俺をどれだけ馬鹿だと思っているんだよ?」
「……そんなことないわよ?」
「なんで疑問形なんだよ!? というよりなんだ、その間は!?」
「いや、まあ、ねえ。」
「リタニアさん!! 説明が進まないから。」
調子に乗り出したリタニアを叱りながらダンゼルは横のキーボードを叩き、研究所を指していた赤い丸が拡大され、その研究所のものであろう画像が表示された。
「実は、さっきのガムルさんの指摘は意外と簡単に解決できるんだよ。」
「……なんでだ?」
「変人ばかりだから、よ。」
「は?」
なんとも奇妙な答えにガムルは首を傾げるよりもだらしなく口を開けていた。
「変人と言うよりも研究熱心な人の集まりというべきかな。」
ダンゼルがすぐに訂正を入れるがそれはそれでまたガムルを混乱させた。
「いや、研究者は基本的にそうじゃないのか?」
「確かにそうなんだけど。『彼ら』は特に違うんだよ。」
「『彼ら』?」
「『ジンク族』って呼ばれる一族だよ。」
「へえ。」
この大陸には今でこそ三つの国にまとまっているが、今から数百年前まではこのあたりで百近くの国々がひしめいていた。その名残からか、未だに数多くの『-族』と呼ばれるその血族の集まりが多く存在するのだ。『サメット族』がいい例である。
だが、ガムルもいくつかその血族の集落を知っているが、『ジンク族』という名前を聞いたのは初めてだった。
「元々、天体観測とか自然現象を数学で証明するということを昔からやっている一族でね。数学にものすごく強いんだよ。」
「なるほど、生まれ持っての研究者気質ってわけか。だけど、それじゃ三国共同の説明になってないぞ?」
「やっぱりあんたは馬鹿ね。」
「なんだと!?」
「まあ、要は彼らからしたら研究するという過程が重要で、結果はどうでもいいんだよ。だから開発されたものは全て平等に三国に提供する。だから『三国共同研究所』って言われているんだよ。」
いがみ合う二人を無視して結論を述べたダンゼルにリタニアはなぜか不満気な視線を向けるがダンゼルは無視した。
「へえ。だけどなんでそんなところを目指すんだ? 俺達には縁遠いところじゃないか?」
その当然とも言えるガムルの疑問にダンゼルはビークルのギヤを入れ替えながら頷いた。
「まああそこは公立の研究所なんだけど、実はその周りの集落でも『ジンク族』の個人経営の研究所があってね。そこに色々と研究をお願いしているんだ。」
「研究って、何のだ?」
「機械剣よ。」
代わりに答えたリタニアにガムルは視線を向けた。
「確かに今、私達が使っているのはこの大陸の中で最先端のものよ。でも、これが常に最先端であることはない。分かるでしょ?」
そこまで言われればガムルも二人が何を言いたいのか分かった。
「なるほど。俺たちみたいなハブられ者が最新技術を得るにはそこに行かなければならないわけか。」
「そういうこと。」
「というわけだからそこに向かっているんだよ。しかも、あそこは中立地帯。僕達がロザンツ帝国に追われる心配もないしね。」
「安全地帯でもあるってわけか。」
そう応えながらガムルは地図をもう一度眺めた。
確かにその赤い丸が描かれたところは彼らの言うとおりちょうど二本の国境線の間にある。本当に中立地帯なのだろう。
「それに、出来ればしたくないけど。いざという時はそこに駐屯している残りの二国に助けてもらえるしね。」
「そりゃあ、やりたくないな。」
ガムルも同感だった。
彼らが二国を頼ることはそのあたりにいる平民が亡命をすることとはわけが違う。彼らは元ロザンツ帝国の上層部の人間であり、さらにはこのロザンツ帝国に対し反乱を起こそうという危険分子なのだ。それが敵国に寝返るということがあれば、たとえ反乱が成功したとしてもよくてロザンツ帝国の統治に口出しをしてくる。悪ければ国そのものが残りの二国の支配下に入る、あるいは植民地と化してしまうこともあり得るのだ。
そのようなリスクはできるかぎり負いたくない。それはこのビークルにいる四人を含め、前を走る龍牙が共通して持っている認識だった。
「というわけだから、確かに今までよりかは安全かもしれないけど油断はできないんだよ。」
「ああ。分かった。」
『聞こえるか?』
「聞こえてるよ、リューガさん。」
ガムルが頷くと同時になりだした通信機を手に取ったダンゼルは傍らの機械の操作を始めた。
『もう少しで中継地点に着く。今は『ランズボー』の手前にある森の中にいるんだが……奇妙なことになっている。』
「奇妙なことって?」
操作を続けるダンゼルの代わりに尋ねたリタニアの前で龍牙の自動二輪から撮影されたであろう映像が流れた。
「うわ、」
「なんだよ、これ!?」
各々で驚きを表す視線の先に移されていたのは、無数に地面に突き立てられた太い木材。そこに張付けられ、カラスに啄かれている、死体達だった。
その数は映像に映る限りでもひとつの街では考えられない数が立ち並んでいる。
「……何が起こったのよ? 二年前までこんなものはなかったはずよ?」
『俺にも分からん。だが、見る限りどれも罪人として裁かれたものだ。』
そう答えながら映像が動き、今度は比較的新しい死体の腕が映された。そこには罪人、あるいは前科があることを示す太い線の刺青が二本引かれていた。
「リューガ、どうするの? ここを飛ばしても燃料や食料には特に問題はないようだけど。」
『少し様子を見るとしよう。我々で解決できるようであればそれに越したことはない。』
「だね。じゃあ、街の前の丘で合流にしますね?」
『了解した。』
今後の方針が決まったところでガムルはこの場に違和感を感じた。なんだろう、と思考を巡らすとすぐに思い当たった。
この場にいるべき人がいないのだ。
ガムルはリタニアに席を変わってもらってから、その人物がいるビークルの後部へと移動した。
「はあ」
もう何度目か分からないため息をつきながらフィロはいつもガムルが座っているソファに深く腰掛けた。
自分でも驚くぐらいに落ち込んだ気持ち。それはあの湿原を出発してから弱まるどころか、日に日に強まってきている。
これまで感じたことのない心の揺れにフィロは焦っていた。
何度も心を整理しようと目を閉じた。だけど、変わらない。逆に強まっていくだけの自分の感情を持て余していたのだ。
それがなんなのか、わかっている。
それは罪悪感。
自分が自分の保身のために彼の、彼が欲するものを与えずにいる。
そんな自分から目を背けたくて、フィロはまた目を閉じた。
「フィロ、」
「っ!?」
「うおっ!?」
だが、突然背後からかかった声にフィロは目を開くよりも早く、座ったままピョンと上に飛び上がった。
そんな奇行も相まって、妙な沈黙が二人の間に広がっていく。
(は、恥ずかしい……)
驚き目を丸くする今の自分の悩みの元凶たる人物に、振り返ったフィロはジトッとした目を向けた。
顔が赤くなっているのがわかる。だが、それよりも目の前の男に文句を言わずにはいられなかった。
「驚かさないでくださいよ、ガムルさん。」
だがやはり、刺々しい口調をその表情が台無しにしているのは間違いなかった。
「それは……いや、いい。悪かったな。そんなに驚かす気は無かったんだが。」
「そ、そうですか。」
重い沈黙。いつもと明らかに違う態度にガムルは訝しげな表情を浮かべながら俯くフィロの顔を覗き込んだ。
「……どうかしたのか? 最近様子がおかしいぞ?」
近寄ってくるガムルの顔を前にして、フィロは「あぅ、そのぅ、……」などと呻きながら視線をアチラコチラに彷徨わせた。
「人の気も知らないで!!」と叫びたい。だがそれでは単に変な人として扱われてしまう。
このなんとも言えない緊張感の中、フィロはチラチラとガムルの表情を盗み見た。
その表情から彼女がこのような態度を取っているただ一つの事柄の答えを読み取ろうとしたのだ。
この二週間、いつでも訊けたはずなのに一度も訊いてこようとしない。その答えを。
なんとも言えない重い空気の中、ガムルの足元に視線を固定したが、ここで先手を取られまい、とフィロが先に口を開いた。
「訊かないんですか?」
「ん? 何を?」
ガムルの応答にこの二週間ほどの自分の葛藤が否定された気がして、苛立ちと少しの脱力を覚えながら少し言葉を増やした。
「いや、その、だから私のこととか、後……零号のこととか。」
その弱々しい言葉にガムルは開きかけた口を引き締めた。
その表情から分かる。
やはり忘れてはいなかった。それが確認できた今、フィロはまた先ほどの思考の渦の中に落ち始めていた。
あの時、零号の攻撃を受け、意識が薄れていく中でガムルと零号の間で交わされていた言葉。それは明らかに自分が知らない別の次元での会話であるのは分かっていた。
そしてガムルはそれを聞いて驚いていた。
つまり零号はガムルの秘密、あるいは彼が隠したいことを知っているのだ。ならばその秘密を知っている人間の情報が欲しくないわけがない。
そこまで考えてフィロは自己嫌悪に陥った。
自分で覚悟が決まらないからガムルに無理やり聴きだしてもらって言い訳を作ろうとしているのだ。
(本当に最低ですね、私は。)
自嘲の笑みが微かに浮かべながらフィロはガムルの言葉を待った。
だが、ガムルは何も言わない。
ここまで言っているのに何をためらっているのだろう。そう疑問に思ったフィロはガムルの表情を窺おうと顔を上げたところでバッチリとガムルと目があった。
「いや、やっぱりいいや。」
「え?」
何を思ったのか、ガムルはフィロの予想と正反対の言葉を言ってのけた。
「なんで?」
「これで『あいこ』、だろ?」
『あいこ』が示す意味、そしてその意味をこの場で伏せる意味を考え、フィロは恐る恐ると言った形でまたガムルの目を見た。
そこには自分と同じように足元に視線を向けるガムルの姿。それを見て初めてガムルが言った意味を理解した。
「誰にだってひとつやふたつ、秘密はあるって。それに知らないの『俺だけ』だろ?」
「っ!? なんで!?」
「そんな気がしただけだ。」
今までのおどおどした雰囲気に代わって純粋な驚きがフィロの顔に浮かんだがすぐに目線を逸した。
「自分だけ除け者にしているんだろ?」、と暗に言われたような気がしてガムルの目を見ていられなかったのだ。
実際、ガムルの言うとおりだった。ガムル意外全員がこの秘密を知っている。というより、予め知ってもらった上でこの集団に加わったのだ。
そう言い訳をしても、ガムルはこのことを良い方向には捉えないだろう。
そう考えると、告げるという考えに思い当たらなかった自分が憎たらしくて仕方がなかった。
仲間なのに、そんなことも告げられないのか、と。
「責めることはねえよ。逆にそれが正解だ。」
「え?」
だが、向けられたガムルの言葉はフィロの予想とは正反対だった。
あまりにも予想外すぎて目だけでなく珍しく口までもぽかんと開けていた。
「何、驚いているんだ? だってそうだろ? 入ってまだ一ヶ月ぐらいのやつ、しかも得体の知らないやつなんだ。教えないで当然。教えること自体が間違ってる。」
平然と言ってのけるガムルにフィロはたまらず立ち上がった。
「だけどそれじゃあ、」
「じゃあなんだ? 教えたいのか?」
ガムルの追求にフィロは何も言えず黙り込んだ。
ガムルの言うとおり、言いたい、とは思えなかった。聞いていていい話ではないのもあるが、何よりそれによってガムルから扱いが変わることが一番嫌だったのだ。
「別にいいぞ、言わなくて。また今度、気が向いたら話してくれよ。」
「……はい。」
コクリと頷きながらフィロは軽く唇を噛み締めた。
これがガムルなりの優しさなのだとわかっていながらも、結局はそれに甘えるしかできない自分の弱さがたまらなく嫌だった。
どっちつかずな自分の気持ちにとてつもなく腹が立った。
「思いつめる必要はねえよ。俺が早く信頼を勝ち取ればいいんだから。」
そんなフィロの内心を見透かしているように言ってのけたガムルに目を向けると純粋な笑顔が返された。
「ま、そういうことだ。」
フィロがその笑顔に戸惑っている間に、ガムルはぷらぷらと手を振り、運転席の方へと歩いていった。
運転席までの数メートルの中でガムルは歩きながら先ほどの数分間を思い返していた。
最初に特に気配を消すこともなく近づいてみたが全くガムルの方を向かない。といよりも思考の海に漂っていて現実に意識が留まっていないようだった。
実はこれは今に始まったことではない。
サムヘア湿原から出発する前日から時々、今のように思いつめたような表情をするのをガムルは目撃していた。
そこから思い当たることはあの零号の言葉。
『帝国の技術の結晶』
この言葉からガムルの知識をもって予想できることは一つ。
遺伝子操作による冥術師の生成の被験体。
そう考えると零号の存在も説明がつく。
もし、六天を操ることにのみ特化した冥術師を作っていたならばあの男が『零号』と呼ばれているのも理解できる。
ガムルはそこまで予想がついていたがこれを彼女に問いただす気はさらさらなかった。
それは確かに気になっていたことだ。単純に自分たちの敵である者の情報が欲しくないわけはない。それに、ガムルからすれば、あの男はそれ以上の存在でもあった。
ただ単なる敵ではない。それこそ『ガムル』という存在をも脅かすかもしれない敵なのだ。
だからこそ一つでも多く情報が欲しい。
そう欲しいのだ。
だが、自分の目的のためにフィロに、いくらそのような操作を加えられているといっても、まだ十五にしかならない少女に問いただすなどガムルにできるわけがなかった。
だからあのようにして逃げたのだが、フィロと同じくガムルもまた自分の覚悟が足りないことを悔やんでいた。
結局自分はどこまでいっても非情になれず、最期にはそうであるがために自身の命を落とす。
「俺はどうすればいいのかね。」
「ん? ガムルさん、どうかした?」
ついつい口に出した言葉を聞かれたダンゼルをごまかしながらガムルは傍らにあったカップの中身を一気に煽った。
やはりいつもどおりの苦さだが、今のガムルにはそれが丁度良かった。