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VALIANT OF REVOLT~反逆の英雄~  作者: 我狼 龍牙
濃い霧の中で
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濃い霧の中で 第四話


  限界を迎えたのだろう。そう悟った龍牙は勢いを緩めず、そのまま森を飛び出した。


「っ!!」

 自分が舞い降りる乾いた大地に舞い降りる。それと同時に自分の正面で何かが動いた気がしたが、それが何か認識するよりも早く消えていた。


「ちっ」

 珍しく舌打ちをこぼしながら龍牙はその何かが消えた場所から伸びる幾分新しい溝の行方を目で追った。

「ダンゼル、リタニアを頼む。」

「……了解。」

 自分に一切目をくれずに頼まれたことに少し不満を滲ませたが、渋々頷き、龍牙が抱えていたリタニアをそっと受け取った。

「じゃあ先にラウルさんの家に連れていきますね。」

「ああ。頼む。」

 この時ばかりは龍牙も視線を向けて頷いたが、すぐに視線をもとあった場所に戻し、ダンゼルが飛び立ったすぐあとに動き出した。


 何か建物を立てるためのものであろう広大な敷地は見るも無残に荒れ果てていた。

 至る所に落とし穴と見間違えるほどの穴が空いており、その周囲の家屋ではその内の幾つかが倒壊していた。


そんな周囲の状況を把握しながら、フィロを引き連れた龍牙は真新しい溝を辿り、壊れた家屋の中に足を踏み入れた。



中の状況は最悪だった。

恐らく民家だったのであろう家屋の中は、支えを失った二階が崩れ落ち、大小様々な破片が容赦なく広々とした居間を押しつぶしていた。

綺麗に飾られていたであろう棚は真ん中から板が折られ、大きなテーブルもまた真ん中から真っ二つに割られていた。


一体、どのようなモノが飛んでくればこうなるのか。

その正体を突き止めようと龍牙が一歩踏み出した、その時だった。


パラッ


「ん?」

 龍牙は踏み出した足を止め、自分の斜め前にある材木の山に目を向けた。


 恐らく、二階の木材や土壁の残骸で出来たのであろう廃材の山。その中に一つ奇妙なものが混じっていた。

「ん?」

「あれ? リューガ、これって……」

「ああ。」

 その山の中腹から突き出しているそれは、正しく人間の足首だった。

「どうするの? 助けるの?」

「ああ。」

 フィロに頷きながら龍牙はゆっくりとその山に歩み寄り、ふるふると震える、岩のような大きなその足をしっかりと握った。


 そして、

「ふっ!!」

「うっ、おわあああああああ!!」


 引き抜くと同時に外へと放り投げた。

 全身真っ黒な巨漢の男を。


「あれっ? ガムルさん?」

 見事に放り投げられた巨漢の男、ガムルは、そのまま空中浮遊を続け、先程の空き地の真ん中当たりで背中から地面に叩きつけられた。



「ぐへっ!!」

 惹かれたカエルのような悲鳴を上げるその物体を何をするでもなく二人は見ていたが、このままいるわけにもいかず、渋々といった感じに歩きだした。


「ガムルさん?」

 気を失っているのか、呼びかけても反応がなかった。

通りにあれば間違いなく邪魔になるその大きな体は仰向けのままピクリとも動かない。


(まさか、死んだ?)


 背中がゾッとするのを感じ、フィロはすぐさま走りより、手を伸ばした。


「いってえ!!」

「キャッ!?」

 だが、突然の大声に押し返されるように、フィロは意識するより早く乾いた地面に尻餅を付いていた。

 何が起きたのか、思考が追いつかない。

 呆然とするフィロの前では突然起き上がったガムルが打ち付けた背中ではなく横腹を抑えている。


 痛がるのそこ? と突っ込みたいがフィロは顔を真っ赤にして俯いた。


(は、恥ずかしい……)

不覚にも尻餅をついたこと、滅多に出さない悲鳴を上げたこと、何より今更だがこんな男の心配をしていた自分が恥ずかしくて仕方がなかったのだ。


「で、お前は何をしていた?」

 そんなフィロを横に龍牙は未だ痛がるガムルに冷ややかな視線を向けた。

「つつつ、」

「下手な演技はもういい。答えろ。」

 その平坦な声に呆然としていたフィロはハッと顔を上げた。

 見上げた先では、いつもなら無表情を常に貼り付けているが今は微妙にだが強ばっているのが分かった。


(龍牙が……怒ってる?)

「おい、怪我人に向かってそれはないだろ……」


 はあ、とあからさまなため息をつくと、ガムルは重ねていた左手をひらひらと振った。

だがそのふざけたようなその口調とは裏腹に、右腕は未だに脇腹に当てられているあたり、本当に痛むのだとフィロはすぐに理解した。


しかし、なぜだろうか。

フィロはあることを疑問に思わずにはいられなかった。

 なぜ、龍牙は痛がることを嘘だと『嘘の指摘』をしたのか。


 自分ではこの心理戦にはついていけない。

そう悟ったフィロはそのまま黙り込むことにした。



「相手は誰だった?」

「……分からない。」

 少し考え、口を開いたガムルに龍牙は少し形のいい目を細めた。

「本当か?」

「ああ。」

 尚も意見を変えないガムルに龍牙はぴくりと眉を跳ねさせた。

「お前はいつも重要なことを隠す。」

「……何の話だ?」

「フィリーズでの一戦。お前が戦っていたのは『四聖人』の一人だった。」

「っ!?」

 いきなりその話題を出してくるのか。不意打ちを受けたガムルは突然のことについつい動揺を顔に出してしまっていた。

「気づいていないと思っていたのか?」

「いや……いつかはと思っていたさ。」

 その自分の失態を知ったガムルはもうどうしようもないと観念したように呟いた。

 もう二年という月日がたったとは言え、かつては『英雄』と呼ばれていた人間だ。バレることなどガムルの想定範囲内だった。

(だが、こんな早く探りを入れてくるのは予想外だ。)

 しかし、ここまで早くそれを追求されるとは思っていなかった。そこから予想されるのは一つ。


 龍牙は既にガムルという存在に付いて何らかの推測を立てている。


 油断ならないな、と嘆息をつく前でその龍牙は口を開こうとしていた。


「なら改めて訊くとしよう……今回の相手は誰だった?」

「分からない。ただ、フィリーズで麗那の店を燃やした奴と同じ奴だ。」

「っ!? ほう。」

「そいつについて分かっていることは、いくつかあるが……今は時間がないんだ。頼む、後にしてもらえないか?」

「それもそうだな。だが、敵の情報を得るのも重要だ。」

「なら、通信器越しに説明する。ここなら使えるんだろ?」

「……いいだろう。」

 現状を思い出したのだろう。ガムルの言葉に龍牙の瞳から先程までの圧力が消え失せていた。

「あいつ、どこに行ったか分かるか?」

「さあな。俺が来たときには姿を消していた。」

「じゃあ手分けをしないか? 相手の狙いが分からない以上まずは敵の発見を優先すべきだ。」

「……いいだろう。フィロ、お前はガムルについて東を、俺は西に行く。」

「おい。俺なら一人で大丈夫……」

「自分の状態を考えてから言うんだな。」

 そう言い残し歩きだした龍牙の言うとおりガムルの状態は決していいものではない。

 組みわけとしては当然だろう。


「ああ……もう分かった。フィロ、行こうぜ。」

「私に命令しないでください。」

「……」

 これって最悪の組み合わせじゃないか? と不安に思いながらもガムルは顔を赤く染めたまま先に飛び出したフィロの後を追った。



 

「まずはあいつの周辺状況からだ。」

 南の方向へ走り出したガムルは通信器に左手を当て話し出した。

「俺が知っているのはどうやらあいつは誰かに命令されて動いている。」

『帝国か?』

 通信器から聞こえるノイズまじりの声にガムルは首を横に振った。

「いや違う。それは帝国の奴が否定した。」

『フィリーズでの四聖人のことか。』

「ああ。正直そのくらいまでしか分からない。それでだが、あいつの攻撃方法だが……俺にはその正体がわかるが、追求しないでくれるか?」

「それってどういう……」

『いいだろう。続けろ。』

 疑問の声をあげようとするフィロを遮るように龍牙が先を促した。

「助かる。 あいつが使う破天石の名は『黒天』 それによって発動する冥術は人間が『創り出したモノ』を全て焼き尽くす。というものだ。」

「人間が創り出したモノ?」

「つまり、例えば俺たちが使っているこの服、靴、武器。全て人間が創り出したものだろう? だがなこれにはさらに続きがあってな……」

『人間が創り出した人間もまた標的、というわけか。』

「正解だ。」

 屋根の上を少女とともに駆け抜けながらガムルはさすがだなと人知れずため息を付いた。


「これが俺の知る全てだ。」

『なるほど。で、それはどこに行ったか分からないのか?』


 その問いにガムルはピタリと足を止めるとその足元を見つめ思考を開始した。

 幾千幾万という場面を思い出し、あの男が向かったであろう場所を推測していく。


「確証はないが……」

『どこだ。』


 その龍牙の問いにガムルは視線を上げると自分の背後、上方にあるそれを見つめた。


「『世界樹エルデ』だ」

『なぜそう思う?』

「勘だ。」

 はっきりと言ってのけるガムルにフィロはあからさまなため息を零すが、

『いいだろう。』

 それとは対照的に龍牙は乗り気だった。

『お前たち二人で行け。もし違った時のために俺はここで待機しておく。』

「了解。」

 少し声を張って返事をするとガムルはすぐに目標へ向けて跳んだ。


上手くいった。


 屋根の上を飛び移りながらガムルは心の中でほくそ笑んだ。

 先ほど、二人に向かって勘だと言ったが、実際のところガムルには確信があった。


 この狭い里で、あれほどの実力者が来る理由などこれしかなかったのだ。



 『世界樹エルデ

 その神々しさを裏付けるその特殊さ。これのために軍隊までも投じられるのも納得できるほどだった。


「渡すかよ。」

 だからこそ、知っているからこそ渡せない。


 戦闘を行う前に飛び降りた入口。そこに立ったガムルはすーと大きく息を吸った。


 これからの激しさを増す戦いに備えての心の準備だった。


 深く大きく呼吸をする度に体の隅々まで細胞が神経が覚醒していくのが分かる。


 それは次第に痛みを忘れさせてもいた。


 別のあの男に蹴られた部位は数週間前のやけども相まって未だ鈍い痛みを放ち続けていたが、それもまたガムルの思考の中から消えていく。


 無駄な情報を全て消してゆき、ただ敵を倒すためだけに己の精神を整える。


 もう一度吸った息を吐き出した頃にはガムルが纏う空気は一変していた。


 これまでとは違う。強者としての気配。


「ガムル……さん?」

 その変化に気づいたのだろう。フィロは心配そうにガムルを見上げた。


 そんな自分を案じてくれる少女にフッと目元を緩めてからガムルは前へ一歩踏み出した。


「行くか。」

「はい。」


 歩きだした高低差の激しい二つの影は、そのまま光の届かぬ闇へと消えた。




 レイはゆっくりとだが彼の今の全速力で歩を進めていた。


 朦朧とする意識の中で、いつもの喧噪が消えた商店街を抜けた後、レイは知らず知らずのうちに暗い通路の中に来ていた。


 どうやって来たのか覚えていない。だがここが自分の目指している場所だという確信がなぜかあった。


 微かな足元を確認できるほどの光しか差し込まない暗い通路をただひたすら突き進む。


『はあっ、はあっ……まだ、なのか?』


 だがその息は荒かった。

 自由が効かないのであろう左足を引きずり、歩く度にズーッ、ズーッと引きずる音を響かせていた。


 先の戦いで移動の為に使った爆発の衝撃が積み重なり、もうまともに動かせなくなっていたのだ。


 だが、それは足に限ったことではない。

 彼の身体は、無事なところを探すほうが難しいほどに傷だらけである。

 そんな身体を動かすのが容易いわけもなく、彼はただでさえつまずきやすい凸凹の地面に何度も足を取られ、転倒を繰り返していた。


『くそっ』

 また、前のめりに倒れたレイは体を腕で持ち上げ、まだ今の自分には無限のように思えるこの道を睨んだ。


 どれだけ歩いたのか。もうそれすらも分からない。


 ただ『指定された』通りに、真っ直ぐ、ただ真っ直ぐに進んでいるのだ。


 ゆっくりと立ち上がると、また足を引きずるように歩き出した。


 ずーっ、ずーっ、と足を引きずる音が虚しく響く。


 それからどれだけの時間が経っただろう。

 暗く果てしなく思われた通路の中、微かにだがこれまでとは違う明るい光が灯ったのをレイは視界にとらえた。


『っ!?』

 出口だ。

 それを目にしたレイはそう思うよりも早く、痛む身体を無視して走り出した。


 一歩、一歩近づくに連れて強まっていく光。

 それが全身を照らす頃にはレイの身体はその通路を抜けていた。



『ここは……』

 レイが出たのは暖かい太陽のぬくもりに満ちた広い空間だった。


 周囲は樹の幹や枝、弦で覆われ、天井にいくにつれてそれが捻じれていく。


 そこはガムルが迷い込んだ場所と同じだった。

『いったい……』


「深淵への入口だ。」


 

「っ!?」

 すぐ横から聞こえる声。あまりに突然の声にレイはピクリとも動くことができなかった。


「とはいえ、ここでは何もできない。この先に行かなければ。」

「お前はなぜそんなことを知っている? この国の王子である俺ですら知らなかったのに。」

 第三者やレイから見たら当然とも言える発言。だがそれに対して返ってきた声は微かに震えていた。

「ふ、王子だから、か。」

「何がおかしい?」

「いや、平和だな。」

「なんだと!?」


 明らかな侮辱にレイはバッと振り返り、飛びかかろうとするが……それは叶わなかった。

「うっ」

 振り返ったその先、そこで煌く赤い殺意に満ちたその瞳に彼の身体が本能的に動きを止めたのだ。

「なんだ?」

 あくまで平坦に、感情を含むことのないその声にレイが出来たのはただ立ち尽くすのみだった。


 格が違う。

 先ほど自分の命を削るような文字通りの死闘を繰り広げ、ギリギリで打ちのめしたヴィネッツ。それよりも遥かに大きい殺気と身体が後ろに押されるような覇気に満ちていた。

ヴィネッツの殺気はありのままの湧き出るようなもの。だが目の前の男のはその対極にある。例えるなら研ぎ澄まされた一本のナイフ。

「は、早く俺の願いを叶える方法を教えてくれよ。」

 それを胸の前に突き出されたような錯覚に陥ったレイの声は知らず知らずに震えていた。

「ふふ、」

 だが帰ってくるのは侮蔑の笑い声と衣が擦れる音だった。

 固まるレイの目の前で黒いコートを持ち上げ、自身の機械剣、巨大な盾を取り出した。


 殺される。


 それを見たレイは直感的にそう思った。

 しかし取り出されたそれはレイではなく男の右、つまりレイの左に突き出されていた。


「そこにいる奴らに聞けばいい。全てを教えてくれる。」

「え?」

 ゆっくりと顔をそちらへ向けると視界に入ってくるのはここと同じ広く明るい空間。そしてその中心で佇む幾つもの影だった。


「あれは……」

 一歩影が踏み出す、光のあたり方が変わったことでレイの目にもはっきりとそれを捉えることが出来た。

「この地を創生期から統べる『六王獣』の一角……『キメラ』だ。」

 




『主ら、ここに何のようだ?』

 剥き出しにした牙の間から漏れるくぐもった声。それがこちらに歩み寄ってくる中央の一回り大きいキメラから発せられたものだと気づくのにレイは数秒を要した。


「あ、あ、あ、」

 ガクガクと足が震える。

目の前にいる男の殺気だけで動きを止められていたのに、さらに目の前にサメット族が信仰進行している存在が現れたのだ。


もうレイの頭が処理できる容量を遥かに超えていた。


 しかしそれとは対照的に、その横にいた黒いコートの男は身体をそちらに向け、真っ直ぐ盾を突き出していた。


「この樹をいただきに来た。」

(この樹をいただく? そんな目的でここに?)

 混乱する頭で無意識に男の言葉を拾い上げたレイはその小さな頭を抱えた。


 何がなんだか分からない。そうレイが顔色で表現している間にも事態は進行していた。


『なるほど。貴様も深淵を垣間見た者、か。』

 歩を進めていた足を止め、男の力量を測るように目を細めた。

『誰の差し金だ?』

「作戦時間が残り少ない。任務に移る。」

『……それはどういう意味だ?』

「ただの宣言だ……殺す前のな。」

 その男の一言。ただそれだけでその二つの空間は冬の山頂のように凍りついた。

『我を、殺すと?』

 腹の底から響かせたような低く重い声。それにはこれまで抑えられていた明らかな殺意が載せられていた。

 しかし黒いコートの男はひるまない。盾を下してはいるが尚もその赤い目をフェリクスから離さない。


「いや、違う。」

『ん?』

 肩透かしを食らったような感覚を覚えたフェリクスがさらに目を細める前で、フードの下で微かに見える口元がゆがんだ。


「お前らを殺す、だ。」


『貴様っ!!』


 その挑発にフェリクスの横のキメラが動いた。

 フェリクスほどではないが、レイたちの前に飛び降りてきたそれにレイはまた尻餅を付いていた。


 その身体は人の二倍、三倍はあろうかという巨体が飛んできたのだ。そうなるのも当然と言えた。

 しかしそれでも男は動じない。


 そんな男に向けてその獣独特の毛皮の上からもわかる締まった筋肉を躍動させながら一気に駆け出した。


 それでもまだ、男は動かない。

 飛びかかってくるそれを見ることもなく、ただ自身の武器を見つめたまま固まっていた。


 それを見て隙と思ったのだろう。一気に飛び上がると、鋭いレイの顔と同じぐらいの長さはある鋭い爪を天高く掲げ、振り下ろした。


 バゴン


「え?」

 瞬きをするようなほんの一瞬、その間に起こったことにレイは唖然とした。


 だがそれも当然と言える反応だった。


 男の前で爪を振り上げていたキメラが『消えたのだから』。


 そこにいるのは盾を先ほどとは違い、振り抜いた状態で固まる男。

もしや、何か思い当たったレイは奇妙な、何かがめり込むような音がした方へ目を向け、自分の予想が正しいことを理解した。


 壁である樹の幹にめり込んでいる巨体を見て、はっきりと。


 そう、あの一瞬で振り抜いた盾でそのキメラを吹き飛ばしたのだ。


 バタリとめりこんだ壁から落ちるキメラ。微かに動いているため生きてはいるのだろうが、その出血と腹部の変形からもう先は長くないというのを理解した。


 異常だ。レイはそう思った。

 レイ自身、自分は強者の部類に入ると自他共に認めている。だがしかし、目の前で行われていることはそのようなレイの自尊心を軽々と打ち砕くものだった。

 確かにレイは激戦のために疲れている。

だがそれすらも言い訳にならないほど格が違う。そう改めて実感させられた。


(もう、訳が分からない。)

 許容量を超えた現実にレイは、ついには両手で頭を抱え込み地面にへたれ込んだ。

 しかし男たちは気にも止めない。というよりも最初からその存在を忘れ去っているようにさえ思えた。


「さすが『六王獣』といったところか。しぶとい。」

『……なるほど。口だけではないということか。』

 その軽い身のこなし。さらにそれを為すことができるその肉体。全てが一流だとその一撃でフェリクスは確信した。


「さて、聞こうか。『祭壇』を素直に明け渡すか?」

『聞くまでもなかろう。』

「そうか。」

 今まで何の感情も見せなかった男は初めてやれやれといった風に肩を竦め、ごそごそと腰から何かを引き抜いた。


「なら、そうさせてもらうとしよう。」


 そして腰から引き抜いたもの、繭のような形をしたものをそのままフェリクスたちの方へ投げた。


『ん?』

『なんだ?』

 好奇心かそれとも危機感が働かなかったのか、全く動かないキメラたちの前でそれはくるくると回るそれをただ見つめていた。

それはただ回転を続けながら彼らの方へ進んでいたが、フェリクスたちにたどり着く、その寸前でそれはパカリと真ん中から割れ、



 激しい閃光と轟音が辺りを埋め尽くした。






「早くしろ。」

先程の通路よりも明らかに暗く狭い道を進みながら黒いコートの男は後ろを振り返った。

その先で獣の唸り声が聞こえるが、それはかなり遠くに聞こえる。

そんな奥にまで踏み込んだ男はすぐ後ろにいる男を見やった。

「なんで俺を……」

 閃光に焼かれた目を擦りながらその男、レイは細めた目で睨みつけた。


「使えるからだ。」

 そんな敵意剥き出しのレイの視線を真正面から受けながら男は何も言わずまた歩きだした。


 それはサメット族の王子としてのプライドからそう言った敵意を持つのは仕方がないと分かっていたからだった。


 サメット族にとってキメラは信仰の対象、つまりは神に等しい存在である。

それに対し宣戦布告を行い、挙句の果てには不意打ちという卑怯な手に出たのだ。

 これをそう簡単に許してもらえるなどありえる訳がない。


 ただこの男に限っては許してもらおうという考えは最初からなかったのもまた事実だった。


 それに感づいたのだろう。レイもまたその怒りを押し込め男の後を追った。

 ここまで来たのだ。この男が何をしようとしているのか、それを確認しなければという勝手な責任感を覚えていたのだ。

 

「どこに向かって……」

「お前が知る必要はない。お前はただついてくればいい。」

 男はそう告げるだけで伸ばされたレイの腕を払い落とし、速度を上げた。


 先程の広い空間とはうって変わって今いるのは人二人程しか通れない通路。だが、よく見ればいくつか人間のものではない足あともあり、天井や壁など所々で樹が削られている。


 この通路には意外にも頻繁に使われているらしき痕跡ばかりが残されていた。


「ここだ。」

 しばらく進むとまたレイの目が捉える光量が増え始めた。

 しかしその光は先程までの太陽の光とは何かが違った。


 レイはその疑問を解決するためにその原因へと踏み込んだ。


 そこは今の通路よりも広い、だが先程の空間ほどの広さはない空間だった。


しかし、ここはこれまで見てきたものとは明らかに性質が違っていた。

 仄かな緑色の光に照らされていたのは、床には灰色の石が一面に敷き詰められ、天井以外の壁もまた同じ石材で覆われているという明らかに人工的な空間だった。


 その光源はと言うと、その壁にはめ込まれた石材。その間の隙間という隙間から光が漏れ出していた。

 一瞬その隙間を覗き込みたくなるが、それ以上にレイの好奇心をくすぐるものが視界の中に飛び込んできた。



 それはその空間の中央にあるレイの二倍はあろう、巨大な石碑だった。


「なんだ、これは?」

 表面には無数の文字が刻まれているそれに近づきながらレイは尋ねた。もちろん答えが返ってくるとは思っていない。それでもこの日常とはかけ離れすぎた世界に問わずにはいられなかったのだ。

 何かに誘われるようにそれに歩み寄るレイはその石碑に文字が刻まれていることに気付いた。


 里に保管されている書物では全く記載されない文字。だがそれが何なのかはレイにも分かった。

「これは……創世期のものか?」

「ああ。」

 レイの自分に問いかけるような問いに意外にも男は頷いた。


「これはこの世界を手に入れるための手段の一つだ。」

「世界を手に入れる……それはどういう、」


「見ていればわかる。」

 その意味深な言葉にレイはもう一度問い直そうとするが、それよりも早く男はその石碑の中程の一文をなぞっていた。


「さて、そろそろ終幕だ。」



「フェリクス!!」

 見覚えのある空間に飛び込むようにして入ったガムルは声を張り上げた。


 入口からここまで来る間の通路、そこで激しい閃光を見ていたのだ。


 それが閃光弾によるもの。さらにはそれがあの男の仕業だと気づくのにそれほど時間はかからなかった。


 また、この状況もガムルにしてみれば予想の範囲内でもあった。


 だが実際の被害は、予想よりもかなりひどかった。


『ぐうぅ、目が……』

『くっ、人間風情めが……』


 神々しさに満ちていた広い空間。

 だが、今は苦悶の表情を浮かべるキメラ達に埋め尽くされていた。


 暗い屋内での生活に適応していた彼らの目には閃光弾の光は余りにも強すぎたのだ。


 そんな中、誰も失明までいっていないのが奇跡にさえガムルには思えた。


「これは……キメラ!?」

 遅れて中に入ったフィロはポカンと口を開けたまま固まった。


「ああ、そうだ。悪い、少し待っていてくれ。」

 信じられない。そう言いたげな表情を浮かべる相棒を残し、ガムルは目当ての者のところへと急いだ。


「フェリクス!!」

『ガムルか……』

 ガムルの呼びかけに数十分前に聞いたばかりの年数を感じさせる声が返ってきた。

 フェリクスは二つある空間の間にある若干細くなったところに寝そべり、前足で目を擦っていた。

 その猫のような仕草に常のガムルなら笑っていただろうが……もちろん今のガムルにはそんな余裕はなかった。


「あいつはどこだ?」

『恐らく『祭壇』にいるはずだ。』

「『祭壇』?」

 聞き慣れない名前にガムルは尋ねようとするが、それが口を突いて出ることはなかった


『……まさか、』

 ピクリ。今まで横たえていた身体を跳ねさせたフェリクスは鼻先を上に向けた。


『この臭い。この音。』

「臭い? 音? おい、一体何が……」


 まさかなんだ? そう言う前にガムルの耳にその情報が流れ込んだ。


 臭いは感じ取れない。だがガムルの耳にも恐らくフェリクスが聞き取ったであろう不吉な音を聞き取ったのだ。



 遠くから聞こえる無数の足跡を。



『なぜあの者は祭壇の場所を知っている……!?』

「おい、それよりもこれって……」

 足音の数は様々な方向から確実にその数を増やしていたのだ。

 サメット族はここを聖地のように考えているため、ここにこれほどの人数が入ってくるとは考えにくい。つまりこの足跡の正体は、


『帝国軍だ。恐らく、あの者が『扉』を開いたのだろう。』

「『扉』って俺が通ったあれか?」

『ああ……そうか。なるほど。それが『予行』だったということか。』

「おい、何がどうなって……」

『説明は後にさせてもらう。もう時間がない。皆、戦の用意を!!』


 獣らしい気高き吠え声が空間内を駆け巡り、不気味な足跡を一瞬だけ打ち消した。

『我らが存在のために、この樹を守り抜け!!』

そして再び轟く無数の咆哮。

それを合図に先程まで唸っていたキメラたちが一気に数え切れないほどあく穴の中へと飛び込んでいった。


 その光景はこのような場面であっても呆気に取られるものだった。

 それを唖然として見ていたガムルだが、上からかかった声に現実に引き戻された。


『我々はあの者を追うぞ。』

「ああ、分かった。フィロ!! 行くぞ!!」

「えっ? あっ、はい!!」

 急に慌ただしくなった場に戸惑いながらも取り残されていたフィロはすぐにガムルの元へ走り寄った。

 このような場面になれば子供とは思えない集中力と冷静さを発揮するフィロだが今回ばかりは歳相応に居心地悪そうに身体を小刻みに動かしていた。


『ついてこい。』

 しばらくガムルの横に並ぶ幼い少女を見つめていたが、その中に眠る強者の気配を感じ取ったのだろう。フェリクスはそのことについては何も言わず、背後の穴へ走り出した。






 その頃、最前線で混戦となっていたサメット族と帝国軍の両軍の間では不穏な空気が流れていた。

殺し合いの時点で穏やかではないが、今、両軍それぞれに戦いの手が鈍るような奇妙な異変が起こっていた。


 丘の上で戦況を眺めていたラウルは、ふうと息をついた。

 現状は明らかなサメット族の優勢で終局を迎えようとしていた。

 超遠距離からの幻術により、数の少ないはずサメット族は見事に右翼、左翼に展開する帝国軍歩兵部隊を挟撃することに成功し、帝国軍陣営は総崩れとなっていた。

 帝国軍の要とも言える『機関銃』もまたその巨大さ故に準備と移動に時間がかかり、それを使用するよりも早く制圧されていた。


 普通の兵士ごときが身体能力に秀でたドワーフに適う訳もない。作戦が予定通り成功した今、現状は予定どおりだった。


 そのことを念頭に置きながらラウルはもう一度現状を詳しく捉えようと下をのぞき込んだ。


 最初は綺麗な正方形を五つ形成していた帝国軍陣営は既にがたがたと崩れ、じりじりと退却を余儀なくされていた。

 冥術を使える騎士や冥術師を要する中央部隊はまだしもそれ以外の部隊はもう敗走寸前。


だがそんな中でラウルの予想外なのは撤退の遅さだった。

 帝国軍陣営はすでに総隊長に当たるカイルを失っている。にも関わらず撤退せずに尚も戦い続けるその意図を図りかねていた。


『策があるのかそれとも意地か。』


 口に出してつぶやいてからラウルは傍らの地面に突き立てていた斧を引き抜いた。

 機会剣ではない、単純な武器。それを肩に担ぎながら傍らの兵士に一言告げようとした、その時だった。



『なっ!?』


 突然足元を襲った激しい揺れにラウルは引き抜いたばかりの斧を地面に突き立てて身体を支えた。

 全身を揺らすその揺れはラウルだけでなくサメット族全員の平衡感覚を狂わせ、膝や尻餅をつかせた。


 この大陸上では地震はそれほど珍しいモノでもない。

 これまで、歴史上でも突然の地割れによってその戦いの決着がついたということもある。その戦争によって成立した国が現ロザンツ帝国であるのはこの大陸上では有名な話だ。



もちろんラウルもまたそのことを知ってはいたのだが、足元に向けていた視線を戦場に戻した時ばかりはその揺れを『異常』と言うしかなかった。



 残っていた帝国軍が全てドーム状の樹の壁に覆われていたのだから。



『一体あれは……』

 普通の成長ではありえない速度で天へと伸びていく樹の壁。

それは歪むことなく真っ直ぐ伸びていたが、ある一定の高さ、ラウルの立つ場所とほぼ同じ高さになると同時にそれは一気に真ん中へ収束した。


傍から見るそれは花の蕾のようだが、それから発せられる気配はそんな華やかなものではなかった。


帝国軍によるものなのか、それとも第三者によるものか。

もちろんのこと、自然災害などという候補はラウルにはなかったが、逆にこの現象に対して何の情報もない訳ではなかった。



『樹の幹……まさか!?』

 何か思い当たったラウルは考えるよりも早く斧を抱えながら一気に坂を駆け下りた。


 一気に最高速度に達したその動きは外見ほどの歳を感じられない。いや、その動きは彼の息子であるレイよりも高みにある。


(頼む、思い違いであってくれ!!)

 一直線に駆けるラウルは心中で叫びながらその樹に向けて飛び上がり、斧を振り上げた。


 これまで走ってきた速度とラウルの鍛え上げられた肉体。さらにはドワーフの代名詞とも言える肉体強化により強化されたその身体から打ち出されたその斬撃は音速を容易く超えた。


『ふんっ!!』


 そして一切のブレなく降りおろされたその絶大な破壊力を持つその斧は、




空を切った。


『っ!?』

 驚愕に染まるその顔を隠さず、ラウルは体が落下を始めるのも気にも止めずに足元を見つめ続けた。


 巨大な穴の広がる足元を。


 そうラウルが構え、振り下ろした。その一秒にも満たない僅かな時間の間にあの巨大な質量が消え失せたのだ。

 その後に残された巨大な穴、それは濃霧の影響を無視してもかなりの深さがあるのが分かった。


 あの巨体はどこへ消えたのか。


ラウルはしばらくそのまま穴の底へ視線を向けていたが、落下を続けているのを無視するわけにもいかず、何もない空間をその足で蹴った。


 肉体強化によってより強化された強靭なその脚は流体である空気を個体のようにしっかりと捉えた。

その一蹴りは容易く後ろへ押し戻し、飛び出した坂の上へと着地を果たした。


おさ!!』

 着地と同時に駆け寄ってくる兵士を手で制し、ラウルは再び穴の底を睨んだ。

 彼だからこそ出来た回避が他の全員に出来る訳がない。

 彼と同じように飛びかかったドワーフ達が予想通り落下していたのだ。


 先程まで巨大な質量があった場所は巨大生物の口のように大きく開かれ、成すすべのない何人かの優秀なドワーフ達を飲み込んでいく。

 その死を実感した彼らの表情と絶叫にラウルは唇をかみしめた。


 しかし、もうどうしようもない。

 ならば次に同じことが起こらないよう最善を尽くすのみ。

『ここに最前線の部隊を二つだけ残し、残りは急いで帰還する!!』

 拡声機なしで響きわたる声に兵士たちの間から戸惑いの声が漏れるが次のラウルの声に全員が一斉に動き出した。



『急げ!! 里を乗っ取られるぞ!!』


 どたどたと動き出した兵士たちを見つめながら大声を出したラウルの意識はこことは別の場所に向かっていた。


『レイ……無事でいてくれ』





「おい、なんだか騒がしくないか?」

 人工的な空間にたどり着いてからおおよそ五分。石碑に触れながら黙り込む黒いコートの男の後ろでその動作を見つめていたレイは不気味な足音が増えていることに気付いた。


 しかしそのレイの問いかけにも応じない。

 男はただ石碑に刻まれた創世期の文字を眺め続けていた。まるでレイの存在を忘れているように。

実際そうなのだろうが、その対応にレイは自分の中で沸き上がるものを必死で押さえ込んだ。


 ここで怒っては全てが無駄になる。

 彼が彼の願いを叶えるため、その対象である里を裏切ることになりかねない危険リスクを負ってまでここに来ているのだ。

 それを不必要な一言で潰すわけにはいかない。


 逆をいえばそれだけの力の差があることをレイははっきりと感じ取っていた。


 拒否すれば殺される。


 だが、この時レイは思慮が足りなかった。

もう少し考えれば分かったはずだった。それだけの力を持つものがわざわざ自分よりも下の者のために動くことがある訳がないと。


「こちらへ来い。」

「え? あ、ああ。」


 それから何をするでもなく、ただ大きく、多くなっていく足音に怯えながら男を待っていたレイは突然かけられた声に不覚にもびくりと肩を跳ね上がらせた。

 膝を折っていた男は立ち上がるとじっとレイの目を見つめた。


「っ!?」

 どこまでも深い闇、そしてどこまでも激しい殺意に満ちたその赤い目に見つめられ、体が竦み上がるのを感じたレイはすぐに目線を逸らした。

 視線を逸らしても感じる圧力は変わらないが、かといってそのままでいるなど出来るはずもなかった。


 額を滴る汗を拭うのも忘れ、レイは促されるままにおぼつかない足取りで石碑へと向かった。


 距離にして五歩。だがその五歩がレイにとってとてつもなく長く、長く感じた。


 レイは戸惑っていた。

自分の夢が叶うまでの五歩のはずなのに、なぜこれほどまで足を踏み出したがらないのか。

 しかしそのような疑問に頭を悩ませるような時間は与えられなかった。


 無言の圧力。

 それに押されるようにレイは少し足を震わせながらも石碑の前まで歩み寄った。


 それをすぐ目の前で見ればその異様さはより際立っていた。

 創世期の文字で埋めつくされた石版の表面はなんとも禍々しい雰囲気を醸し出していた。


「これに触れろ。」

 それを目の前にして固まるレイ。そんな彼に向けて男は平坦な声で告げた。


 その有無を言わさぬ物言いに抵抗出来るわけもなくレイはゆっくり腕を持ち上げ、その石版に突き出した。




『触るな!!』



 先に開けたところへ飛び込んだフェリクスに続き、そこへ踏み込んだガムルはその空間の異様さに呆気に取られた。

 人工的に作られたとしか思えない空間。だがそれ以上にその空間がガムルにこの樹が彼の予想通りであることも物語ってもいた。


「やはりお前が利用されていたのか、レイ。」

 しかしそれに気を取られている時間はほんのわずかだった。

そんなことよりも今は目の前の人物をこちらに引き戻すのが重要なのだと理解していたからだ。


「お前には……関係ない。それに利用もされていない。」

「ああ。関係ないな。だけどな、お前がそいつに利用されているのは明らかだ。

ちなみに今のお前が使用としている行動の意味、分かっているか?」

「……」

「それによって迷惑する奴がいるのも分かっているか?」

「うっ……」

 その言葉に声を詰まらせるレイに、ガムルはまだ説得の余地があることを感じ取った。とはいえ、ガムルにレイを説得し、改心させようなどという考えは毛頭ないのだが。

「とりあえずお前の親父を初めとするドワーフの奴らな。」


「そう……例えば俺たちとかな?」

「……なんだと?」

「実際お前の親父さんやお袋さんが心配するんだろうが、俺はそんな当然のことをお前に教えるつもりもないし、説教するつもりもない。

代わりにといったらなんだが、お前がその行動をすることで何が起きるかを教えてやるよ。」


 先ほど、ここへ向かう途中にフェリクスに聞いた事実を一字一句違わずにガムルははっきりとした口調で告げた。


「その石碑に触れたらお前は『生きたまま死ぬことになる』」


「……何を言っている?」

「その言葉の通りだ。お前がその石版に触れればお前の意識はこの樹に飲み込まれ、残った肉体はその石碑に取り込まれ、この樹の力を行使するための燃料になるんだよ。」

 淡々ととんでもないことを口にするガムルにレイはいつの間にか腕を下ろし、石碑からもその事実を告げたガムル達からも遠ざかっていた。


「そんな……そんな訳あるもんか。これは、これは俺の夢を叶えるために……」

「ならば、なぜお前の隣にいる奴は一言も話さないんだ?」


 そのガムルの指摘にバッと顔を横に向けたレイは見てしまった。

 黒く暗いフードの奥で唇が薄く弧を描いているのを。

「そんな……」

「お前が一体どんな幻想に晒されていたのか分からないがはっきりと言えるのは、




 お前はそいつの道具の一つでしかないんだよ。」


「フフフ、」

 ガムルの言葉の数々に唖然とするレイ。だが横から聞こえてきた息が断続的に溢れる音にハッとした。

隠そうともせず肩を揺らす男。その堂々とした振る舞いにレイはただ見るだけで何も身動きできなかった。


「何がおかしい?」


「全てだ。」

 ガムルの問いに肩を揺らすのを止めた男は自身のフードに手を掛けた。


「お前の温い言葉にも、この『王子様』の間抜けさにも、」


 そして自身のフードを剥ぎ取り、男はビシッとガムルの斜めしたを指さした。


「そしてお前にもだ!! 被験体『壱〇いちまるいち』号。」

 全く聞き覚えのない言葉にガムルはそう指をさされた横にいる人物。フィロへと目を向け、目を微かに見開いた。


 これまでにな見たことのない、目を見開き、全身を震わせる少女にも。

 そしてその少女が額から垂れる汗も拭わずに無意識に呟いた言葉にも。


「『ゼロ』号……」



「やっと思い出したか。」

 まったく、そう言いたげに男はさらけ出した眉を微かに動かした。


 フードの下から現れた素顔は特徴の少ないものだった。

 ガムルと同じ黒髪を少し伸ばしているがそれ以外の部位は街角の普通の青年と言われて大半の人間が思い浮かべる普通と形容するしかない顔だった。


 だが、その中で唯一つ彼が普通ではないと主張するものがあった。


その普通ではない唯一つの部位、赤い目を見てガムルは無意識に腰へ手を回していた。


横にいるフィロの状態は変わらない。

知った顔であるのは理解できるがこの驚き様、ただの知り合いというわけではなさそうだった。


だがしかし、今はそれに気を配っていられない。

ガムルと同じ考えに至ったのだろう。その横に牙を剥き出しにしたフェリクスが若干かがんだ状態で並んだ。


今まで全くその素顔を見せなかった男がこの場面で急に手のひらを返したようにフードを脱ぎ去ったのだ。

ここから推測されるのは、それを隠す必要がなくなったということ。


つまり、この男の言う作戦の完了、そして、


「さて、お前らも気づいているだろうな? 俺がなぜ素顔を晒したのか。」

不敵に笑う男にガムルは一歩前に踏み出し、フィロを背中にかばうようにして展開した機械剣を構えた。

「結構。だが、もう一つ忘れていないか?」

「何?」

 もう一つのこと。そう言われ、考え込んでいるとガムルの視界の端でそれを捉え、ハッとした。

 しかし事はそれよりも早く進んでいた。

 石碑の前に立っていたハズの男の姿は消え、いつの間にか一人立ち尽くしていたレイの背後に回り込んでいた。


「なぜ、作戦の完了のための道具への干渉に何も言わなかったのか? ってな。」


「やめろ!!」

 その行動と言葉の意味を理解したガムルが叫ぶが、やはり手遅れだった。

「え?」

 振り返ったレイの間抜けな声。それが消えていくよりも早く、男の右腕に持ち上げられたその身体はあの文字の刻まれた石碑に押し付けられていた。


 そこからまたガムル達は奇妙な光景を目の当たりにした。


 驚きに目を見開くレイの身体が水の中に沈むように波紋を作りながらその石碑の中へと入っていくのだ。


「レイ!!」

 駆け出そうとするガムルだったがその足は一歩しか踏み出すことができなかった。


「させるか。」

「ぐぅ」

 交じり合う巨大な斧と盾。

 だがその役割は逆転していた。


 護る(まもる)はずの盾が攻め、

 刻むはずの斧が守っている。


 しかしそれでもガムルの視線は石碑に向いていた。

 この交錯を続けている間にもレイの身体はゆっくりと石碑の中へと吸い込まれているのだ。

 しかし、それでもなぜかレイは動いていなかった。


 いや、動けないと言うべきかもしれない。

 目を見開いたままの表情で固まっているレイの顔は、まるで魂を抜かれたようだった。


 そんな状況の知人を見て見捨てられなかったガムルはやはり甘いのだろう。

「っ、コノヤロウ!!」

「フッ」

  ガムルの力を込めたひと振りを、男はその勢いを利用し、石碑の、いやレイの前に舞い戻った。


「クソっ レイ!! 目を覚ませ!!」

「無駄だ。もうこいつはこの樹との同化を始めた。もうレイという意識は消えている。」


 そんなことを言われなくても分かっている。ガムルはそれを口を大にして言いたかったが抑えた。

 ここで相手に主導権を握らせてはいけない。レイに向きそうになる意識を無理やり外し、ガムルは目の前の敵一人に集中しようとした。


 だが、できない。

 目の前に助かる見込みが少しでもある命を見捨てることができない。

 それが微かにだが、ガムルが構える斧の切っ先を揺らしていた。


『ガムル、』


 そんな彼の内心を知ってか知らずか、後ろから重い声がかかった。

 その力強い声に震えが止まるのを感じながら、ガムルは前に注意を払ったまま耳を後ろへ傾けた。


「なんだ?」

『我があの小僧を助ける。だから主があの男を。』

 抑えろ、と言外に告げるフェリクスにガムルは驚きを隠せないながらも頷いた。


「……分かった。」

 それからの二人の動きは早かった。いや、もうレイの体の八割が飲み込まれていたせいもあるが、それ以上に自分たちの身の危険を感じたというのが一番の理由だろう。

 駆け出した二人は最初こそ並んで走っていたが、石碑の前に着くと同時に直進するフェリクスの横からガムルは飛び上がり、男に向かって斧を振り下ろした。


 ガチン、と重い金属音とともにに容易く盾に受け止められるがそれは想定内。

 ガムルは男がはじき返す前に地面に足を付け、受け止められた斧を軸に男の背後へと反転した。

「っ!?」

 少なからずガムルの行動に驚いたような表情を見せる男だったが、それは表情だけだった。

 不意打ちという色の強いガムルの動きだが、そのガムルがその動きの流れに沿って横薙ぎを繰り出す頃にはあろうことか男はそちらへ盾を向けていた。


「っ!?」

 今度はガムルが驚く番だった。もちろんガムルはこれで決まるとは思っていなかった。だが、予定ではこれで男を石碑から遠ざけるつもりだったのだ。それが容易く受け止められたという事実はガムルを驚かすのに十分だった。


 だがガムルもまた動きを止めない。

 受け止められた時に生じる反力を利用し、後ろへ跳ぶと着地の瞬間にその手を地面に叩きつけた。

 それを合図に機械剣の破天石が光ったかと思うと、あのおなじみの巨大な刺が飛び出していた、



 はずだった。


「なっ!? 何が!?」

 だが現実には何の改変も起こらなかった。いや、起ころうとしていたのをかき消されたというべきか。そのような奇妙な間隔をガムルは感じた。そしてその細かい感覚を感じ取ろうと意識を向けるとガムルはもう一つあることに気づいた。


 青く染まるその眼で自身の、そして周りにいる他の者達を見てみると、全員の身体から冥力が漏れ出しているのだ。

 いや、ガムルの眼にはそれより繊細に映っていた。

 全員から染み出していく色とりどりの冥力が例外なくある一点に集まっている。


そうあの石碑に向かって。


「何ていう大食らいだよ。」

 そんな憎まれ口を零しながらガムルは斧を構え、男と対峙した。


 石碑が冥力を吸っている。そう考えると今、ガムルが冥術を発動できなかったのは合点がいく。

 冥力は言わば生命力だ。当然のようにそれが枯渇すれば死に至ることもある。だがその冥力は実は常に自身の身体に収まる以上の量を生成している。

つまり、あの石碑はそれを吸っているのだ。


ここでガムルはある仮説に辿り着く。

この部屋で冥力を放出すればそれだけ石碑に吸われてしまうのではないかと。


だが、実際のところ現実が如実にその仮説が正しいと物語っていた。


ガムルが冥力を発動しようと機械剣に流したはずの冥力が誰かに盗まれたように一切機械剣に流れ込まなかったのだ。


もちろん冥力が破天石に流れ込まなければ冥術が発動される訳がない。

そのためガムルの冥術は不発に終わったのだ。


ならばこの場は単純な肉体のぶつかり合いとなる。


 これならば対抗できる。そう思いガムルが一歩踏み出した瞬間だった、


 男がコートを翻し、石碑に触れたのは。


「ついてこい。」

「は?」


 ズズズとレイと同じように石碑に沈み込んでいく男。だがレイと違い、その瞳からは全く意志の光が失われることがなかった。


 そしてその姿は瞬く間にその空間から消え失せていた。


 予想外の展開にガムルが呆気に取られるということもなかったが、かと言って言われた通り男を追うこともまた難しい状況だった。


 目の前で何が起こったのか、それはガムルにも予想が付く。だがそれは石碑を、いやこの樹、『世界樹エルデ』を手中に収めたあの男だからこそ出来たのであって自分にはできないのではないか。そう考えるとこれは罠だとも言える。

 なによりすぐ横にいるレイを救い出そうとしていたフェリクスに何もせずどこかへ行ってしまったのがどうにもガムルは気がかりだった。


 だが、とりあえず今は現状を確認するのが優先だった。

「フェリクス、レイはどうだ?」

 男が消えた石碑に警戒しながらもガムルは少し足早に近づいた。


『……もう全身を取り込まれた。』

「おい、それって……」

 手遅れということか?、そうガムルが尋ねるよりも早くフェリクスが首を振った。

『いや、この石碑は未完成だ。』

「未完成? じゃあ、」

『ああ。方法がある。』

「じゃあ早くそれを……」

『ああ。だから主は早く奴を追え。これには罠を『仕掛けられない』はずだ。』

「だけど、その先で待ち構えているかもしれないんだぞ。」

『なら尚更だ。これが未完成のうちは奴はそう遠くへは逃げられない。だから早く。』

「あ、ああ。」

 立て続けに向けられる言葉に圧倒されながらもガムルは考え込むよりも早く、言われた通りに石碑に触れた。

 触れた部分からゆっくりと沈み込んでいく、決して気持ちのよくない感覚にうっ、と声を漏らしながらガムルは石碑の中へと踏み込んだ。



 

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