↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
53/78

第49話 これがあたしにはお似合い



 誰もいない侯爵邸の廊下は、冷えた静けさを漂わせていた。


 磨き上げられた石床の上には、豪奢で赤い絨毯が廊下の端まで伸びている。

 天井近くに連なる細長い窓からは、夜の闇が薄く滲んでいた。


 遠くで鳴り続ける弦楽の旋律も、ここではすっかりと音を失い、微かに空気を震わせるだけ。


 ひと気の無い回廊には、いくつかの化粧直しのための小部屋と、賓客のための休憩室が並んでいる。


 その小部屋と小部屋の間の廊下の隅――


 ベージュのドレスに身を包んだハルネは、一人、壁に背を預け、床に沈み込んでいた。


 天井に並ぶ無数の魔石ランプが、誰もいない廊下すらも煌々と照らしているが、落ち込んだハルネの心までは照らしてくれなかった。




―――――――




「ふふふ……やっぱりそうだったんだ」


 思わず漏らした独り言が、静かな廊下に反響した。


 なんでかな? 冷たい石床がどこか心地良い。

 濡れたドレスに、なぜかほっとする。


 ああ、これでいい。 

 あたしには、これが、似合ってる。

 綺麗なドレスなんて、着ちゃいけなかった。


 「同情」――それは、とても甘美な言葉だった。


 令嬢たちに「憐れだ」って言われて、息が出来なくなるくらい苦しくなって。


 でも、どうしてかは分からないけれど…………安心した。


 憐れって言葉に、どういうワケか、すがりついてしまった。


 だって、納得できるもの。

 すごく、理解できるもの。

 自分が、一番分かってるもの。


 太ってる。 醜い。


 自分のそこだけには自信があった。

 

 だから冷たい石床も、濡れて不快なドレスも、全部あたしに相応しいもの。


 まるで、世界が予定通りに戻ったように安堵した。



「ああ……これでいいんだ」



 これがあたしなんだ。

 


 普段抑え込んでいる劣等感。

 今は我慢しなくていいんだよ。


 そうそう、アナタは太ってるものね。

 ワインの染みた汚いドレスも、よく似合うね。


 可哀想なあたし。

 よしよし、つらかったね。


 今は頑張らなくていいんだよ。


 頑張り屋さんなサフラン香房の店主でなくて、いいんだよ。


 健気に任務をこなそうとするあたしでなくて、いいんだよ。


 選ばれる期待なんて……しなくていいんだよ。



「……違う!! 何浸ってんのよ!」



 沈み込んだ思考を、自分の叫びで取り戻す。

 だけど、「ダメなモード」のあたしは、そう簡単には引っ込みやしない。


 なんでこんなに「同情」にしがみついてしまうんだろう?

 普通に考えて、すがりつくならオジさまへの信頼の方だ。


 でも、どうしてもそちらに向かう事が、できない。


 愛されたい。 選ばれたい。 甘やかされたい。


 もっと欲しい……ハッキリ欲しい。


 大好きなオジさまに、愛されたい。



 ……でも、本当にあたしを選んでくれるかは、わかんない。



 自信が持てない。


 それに、愛されたいと願ってしまう自分が恥ずかしくて情けない。



 あの夜、乗り越えたと思ったのに。

 あたし自身も上手く行きそうって思ったのに。

 あの時からずっと、オジさまと何かが繋がった感覚がしてる。



「大好きな、あたしの、運命の人……」



 声が出て、ほんの少し胸に温かさが戻る。


 でも、すぐに不安に塗り潰された。


 不安は、どうしようもなく我慢できないもので。

 だから、あたしの心は、選ばれない未来へと逃げ込んでしまう。



 だって、ダメな未来は簡単に想像が付くから。


 来るかもしれない幸せは想像が付かないから。



 健全じゃない。 きっと間違ってる。

 理屈では分かる。 全部間違ってる。


 ……でも、今までそうだったんだもん。


 前世での寂しさがあたしを捕らえる。

 殆ど覚えてなくても、誰にも興味を持たれなかった事だけは覚えてる。


 最初から諦める未来は、すごくイヤ。

 でも、諦めた時の痛みは想像できるの。



 「やっぱり」って、言えるから。



 期待して、ウキウキして、盛り上がって。

 そのうえで、もし選ばれなかったら?


 それが……怖い。


 想像のできない痛みと絶望。

 それがどれほど大きなモノになるか、まるで思い浮かべる事が出来ない。


 息が出来なくなるほどの、恐怖に縛られる。


 だから、最初から選ばれないって決めておく方が、痛くない。



 オジさま、これがあたしよ……?


 あたしが嫌いな、臆病な自分。


 選ばれないから初めから期待しないなんて、ウソ。

 愛されたいって願う、あたし自身が恥ずかしい。


 そして、期待した結果、選ばれないのが怖いから、期待しないだけ。


 オジさまは、こんな臆病で自己嫌悪だらけのあたしを知らない。

 こんなあたしを見せたら、絶対絶対嫌われる……


 だって……



 あたし自身が大嫌いなんだから。



「嫌い。 わがままで卑怯なあたしなんて、大嫌い……」


 自分を傷つける言葉は、やっぱり自分を傷つけて、寂しさと涙が零れ出た。


「……うぅっ…………」


 オジさまと出会ってから泣いてばかり。

 こんな自分もイヤだった。


 ワインの染みが、冷たさを主張してくる。

 せっかく……せっかく綺麗につくってくれたのに。

 ごめん、ごめんねトリサちゃん……


 涙でアイメイクが滲んでくる。

 せっかく綺麗にメイクしてくれたのに。

 ごめんなさい、リオーネさん……


 せっかく楽しんでって言われたのに、ご飯も投げ出して……

 一人で泣いて……ごめんなさい…………ヴァルさま……!


 遠くから聞こえる演奏が、楽しげな曲に切り替わった。


 その陽気な曲がかえって、今の惨めなあたしを、より一層寂しい感情で塗りつぶす。



 …………一人


 ワッと沸いた歓声が聞こえた。


 麗しの王族の美男美女でも踊っているのだろうか?

 対してあたしは、冷たい廊下に沈み込んでいる。



 ………………一人


 ……あたしは、ダンスなんて知らないし、踊れないけれど……


 もしも、オジさまと踊れたらそれは……


 楽しいのかな?

 幸せなのかな?


「…………うぅ……」


 幸せなソレを妄想して、惨めな気持ちでさらに沈みこむ。


「……つらい、よぅ」


 ボリュームのあるドレスは、膝を抱える事も許さない。


 あたしは、手で顔を覆い、掌で必死に溢れてくる涙を押さえる。


 嗚咽でしゃくり上げていると、耳元で揺れる何かを感じた。


 それは…………琥珀のピアス。


 オジさまの……色……



「……あたしに似合うかもって、選んでくれた、ピアス」

 


 震える手つきで、ピアスを外す。


 外したそれを見て、もっと切なくなった。

 当たり前だけど、オジさまの瞳と同じ色だったから……


 両手で、祈るようにしてそれを握りしめる。


 彼との絆を確かめるように……


 あの夜の気持ちを確かめるように……


 ヴァルさまの温もりを思い出すように……



 そこへ再び、あたしの劣等感が忍び込んだ。



――「選ばれたのではなく、憐れまれていただけ」



 氷色ボブ令嬢の言葉を思い出す。


 ウソだ! オジさまは、あたしを気に入ってくれて……



――じゃあ、ナンデ、オジサマは今ココにイナイの?



 ぎゅっと心臓が掴まれたような苦しくなった。

 心の綻びに、悪魔が割り込む。


 それは今、絶対に考えちゃいけない方向だった。


 ……オジさま。

 ……なんでいまココにいないの?


 そんなこと、オジさまが知るはずもないのに。


 ……あたし、こんなに傷ついてるのに。

 ……ねえ、慰めてよ!

 ……いつもみたいに、ハンカチで優しく……あたしを包み込んでよ!

 ……なんでいないのさ! ねぇ! オジさま!


 掌の中のピアス。

 オジさまだと思って縋ったソレに、怒りが向いた。


(ああ、やっちゃダメだよハルネ。 絶対に、それは……)


 分離した冷静な自分が、心のどこかで声を上げた。


 こんなに自分が嫌いなあたしでも……

 オジさまが選んでくれたハズじゃなかったの?


 ピアスを見れば見るほどに。

 ここにいないオジさまがムカツいた。


 なにがパートナーだ!


 なにが妻、よ!


 いい気になるな! ハルネっ!



「何さ! こんなものっ!!」



 ピアスを、勢いよく、投げ捨てた。


 キィンという甲高い音が、静かな廊下に鳴り響いた。


(ああ……)


 石床に落ちたピアスの音を聞いて、

 もう一人の自分が、落胆の声を上げた。


 そして、今、自分がした行動。

 オジさまが選んでくれた大切なピアス。


 傷つけた。 怒りのままに……



「ぅ、うわああぁぁぁぁ~~~んっ!!」



 自分で投げて、自分で傷つけた。


 すごくすごく、大切なピアス。


 オジさまの気持ちと、あたしの気持ち。


 それを、怒りのままに踏みにじった自分。


 その事実に耐えきれなくて。


 あたしは子供のように、泣き続けた。




……………



 誰も来ない廊下で、ひとしきり泣き喚いた後、あたしは壁にもたれて放心していた。


 あの時と同じだ。


 調査局の廊下で、勝手に嫉妬して、勝手に傷ついて、勝手に逃げ出した時と。


 泣いて、ほんの少しだけ取り戻せた自分を奮い立たせる。


 のそのそと、投げ捨ててしまったピアスを拾いに行く。


「……諦めてたまるもんか。 だって、好きなんだもん……」


 ほんのちょっとでも頑張ろうと、前向きな心がくすぶり始める。


 しかし、あたしよりも先に、それを拾い上げる人がいた。



「琥珀の……雫型のピアス。 ステキね。 アナタの物ですか?」



 放心していて、まったく気が付かなかった。


 暗い廊下に煌々と輝く、淡い金髪。

 流れるようなシルクの輝きを放つ、真っ白いドレス。


 そして、意志の強さを宿したような、鮮やかなルビー色の瞳。


 四つん這いのあたしに視線を合わせるように、わざわざしゃがみ込んで尋ねてくれた。


 その聖女のような女性の表情は……


 穏やかで、柔らかで……



――感情色も、心配と慈しみの翠色に輝いていた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。