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第25話 第3章・序幕 くすぐったい朝


 東の空はすっかり明け、昨日降った小雨の水たまりが残る石畳を、陽光がキラリと照らす。


 朝の通りには、人の気配と窓辺の花に留まった小鳥が、囀りながら身じろぎし、ふらりとどこかへ旅立った。


 普段ならとうに開店しているサフラン香房の軒先。

 壊れた入り口はベニヤ板に変わり、「休業」の張り紙が。


 朝の太陽に照らされた木製の看板は、どこか休憩しているように風に柔らかく揺れていた。


 軒先には、ホウキを持ったハルネが、眠そうな目を擦りながら店先を掃いている。


「ふわあぁぁ……」


 思わず出た大きなあくび。


 昨日の夜更かしの成果が、しっかりと身体に残っている証拠だ。


 なかなか納得出来ない色合いや、瓶に貼るラベルに凝ったのも相まって、随分と寝るのが遅くなってしまった。


 休業だからと言って、日課であるお店の前の掃除をサボるワケにもいかない。

 こういうのは習慣がモノをいうのだ。


 ……と思いつつも、あたしの胸はある期待に満ち満ちている。



――「明日もまた来る」



 昨日の別れ際に聞いた、オジさまのその言葉が、朝からずっと頭の中を反芻している。


 ……いつ来るのかな? 朝かな? もしかして昼? 午後って事は無いよね?


 思い浮かぶのは、昨日の夕方の、ちょっと悲しそうなオジさまの顔。


 ずっと悠然と構えていたオジさまの、後悔の表情。

 ふとするたびに思い浮かんでしまって、集中できない。


 ……あ~あ、昨日まではお店の事で頭がいっぱいだったのに。


 オジさまがステキだと思ったのは間違いない。

 助けられてトキめいちゃったのも認める。


 でも、あたしの中の優先順位はずっと家族とサフラン香房の事だった。


 昨日、ほんの少し仲良くなっただけで、もう頭も胸もいっぱいになってしまった。 


 今もこうして、いつ来るか、まだ来ないか、早く来て、と待ちわびてる。

 ホウキを取る手も、さっきからずっと動いていない。


「来ないかなぁ……」


 思わず漏らした独り言。

 その呟きを神様が拾ったのか。


 直後、通りの向こうから歩いてくるブルーの制服に灰銀の髪。


「オジさま!」


 あたしのお尻にもしも尻尾がついてたら、きっとブンブン振り回していただろう。


 溢れる慕情を隠し切れず、あたしはオジさまに駆け寄った。


「おはよう! オジさま!」

「……ああ、おはよう。 ……店の掃除かね?」


 手に持ったホウキが連想させたのだろう。


「うん、そうだよ。 お店を開けてないとは言え、日課はこなさないと落ち着かなくって」


 ウソだ。


「……手伝いが必要ならば手を貸すが?」

「大丈夫だよ! もう終わりにしよっかなって思ってたから」


 気を遣ってくれるオジさまの気持ちは嬉しいが、そんな雑事をさせるワケにはいかない。


「それよりオジさま。 今日も……」


 ずっと一緒なんですか? という言葉を飲み込む。


 眼帯をしていない方の目の下。

 クマを見つけてしまった。


「あれ? オジさま、寝不足?」

「……ああ、少々仕事が立て込んでいて……心配せずとも、任務には支障はない」


 お仕事か~。


 むぅー、あたしが手を出せる領域じゃない。 残念。


「……キミの方こそ、寝不足じゃないのかね? 目元が少し疲れているように見受ける」

「えっ!!」


 やだっ!

 せっかく朝から気合を入れてキメたのに、シャリエナチェックもOKだったはずだったのに……


 うぐぅ~、恥ずかしい……


「あ、あはは、昨日ちょっと趣味に興じちゃって……」

「……疲れているのなら」

「そんなことよりオジさま! お腹空いてない? 朝ご飯ちゃんと食べた?」


 万全じゃない顔を見られるのが恥ずかしくて、思わず誤魔化すように尋ねる。


「……朝は、いつも食べない」

「え~~! それはダメダメだよ! 健康の秘訣は朝ごはんから! だからそんな痩せてるんだよ!」


 誤魔化しついでの質問だったけど、思わぬ回答を得られちゃったもんだ。


 あたしは朝ごはん食べない人を許せない。


「……そのような事を言われても」

「じゃあ今日はあたしが作ったげるから、一緒に食べよ? ね? ほら?」


 そう言ってオジさまの袖を引っ張る。

 さすがに手を取るのは恥ずかしい。


 しかし今のあたしは世話焼きハルネおばちゃんモードだ!


「遠慮なんかいらないよ。 どうせ今日もお母さんはいないし。 いっぱい作るんだし」

「……いや、しかし」


 躊躇するのは分かってるが、ちゃんとご飯は食べないと。食べさせないと。


 これは義務だ。 あたしの義務なのだ。

 そう心に決めつける。


「いいから! シャリエナ~! お客さ~ん! 朝ごはん一丁!」


 片手にホウキ、片手にオジさまの袖を持ち、お客だと言わんばかりに入り口を潜る。


 有難い事にオジさまからの抵抗は少なかった。


「……なぁに~、お姉ちゃん? ウチはいつから食堂に……って、ヴァルグレイさん?」

「……ご無沙汰している」


 店の奥から出てきたシャリエナと一緒に、そのままサフラン家のリビングへとなだれ込む。


 朝ごはんは、一日の、活力なのだ!




―――――――




「ヴァルグレイさん、思ったより早く来たね。 良かったねお姉ちゃん。 朝から気合入れてメイクしたかいあったね」

「シィーっ! 黙りんさい!」


 オジさまをリビングテーブルに無理やり座らせ、あたしたちは一緒にキッチンで調理に取り掛かっていた。


 今日のメニューは、パンケーキ!


 コンロの上には2つのフライパン。

 片方は特製パンケーキ、もう片方は魔導冷暗庫から取り出した大きめのベーコン。


 もちろん黒胡椒をたっぷり振りかける。

 パンケーキにはしょっぱくて味が濃いのも合うのよ、コレが。


 ジュージューと音を立てる肉汁の匂いが、さらなる食欲を誘う。

 やっぱり朝は……お肉よね!


「いつも思うけど、お姉ちゃん、朝からよくそんな重いの食べれるね」

「朝だからこそガッツリ食べないと」

「だから太……」

「……何?」

「だから朝からいつも元気なんだね、お姉ちゃん」


 食事のバランス量的に、朝が一番量を食べた方が良いとされている。

 あたしは、朝いっぱい食べると、つい勢い付いちゃって昼も夜も沢山食べてしまう。


 …………健康っ! 健康は何にも代えがたいのよ!


 焼きあがったパンケーキをお皿に積み上げ、出来たものから順にテーブルへ持っていく。


「はい、こんなもんかな」


 テーブルに並べられたのは、各々のお皿の上にパンケーキ。


 ベリーのジャム、はちみつ、バター、ハーブを煮詰めた濃い目のグリーンソース。

 付け合わせにベーコンと玉子焼き。


 我ながら美味しそうだ。


「オジさまはコーヒーで大丈夫よね?」

「……コーヒーがあるのか?」


 そして、2人分のコーヒー。 シャリエナはいつものハーブティー。


 そう。こちらの世界にもあったのだ。 コーヒー豆が。

 ウチの店では扱ってないけど、そこそこ貴重なモノ。


 あたしはそんなに好きってワケじゃないけど、たまーに飲みたくなる。


 お酒の好きなオジさまは、きっと苦めのブラックコーヒーが好きだろう。

 出しても何も言わない所を見る限りきっとそうだ。


 ストックがあって良かった。


「いただき……」



――ガランガランッ!



 いただこうとしたところで入り口のドアベルが鳴った。

 お客さんかな?


 休業の張り紙はしてあるけど、もしかしたら緊急の要件かもしれない。


「わたしが行ってくるよ。 お姉ちゃんは先に食べてて?」

「そう? 悪いわね?」

「せっかくヴァルグレイさんが一緒だもんね。 じゃあ行ってくるね」

「ちょっとっ……」


 余計一言は言ってくれたけど、余計な気を利かせてくれたシャリエナに感謝はする。


「先に頂いちゃいましょう」

「……妹さんを待たなくていいのかね?」

「いいのよ。 ご飯中に来客なんてそんなに珍しいものでもないし」


 家族だから今更気を遣うような間柄でもない。


「いただきます!」

「……神よ、今日の糧に感謝いたします……」


 パンケーキにペタペタとベリーのジャムを塗っていると、オジさまの様子が目に付く。


 手が止まっている。


「オジさま、甘いの苦手って言ってたもんね。 でも大丈夫だよ。 ベーコンとバターと一緒に食べても美味しいよ~?」

「うむ……」


 どう食べるか思案するような手付きながらも、その所作自体は洗練されていて綺麗だ。


 そういえばオジさまは爵位持ちの貴族さまだった。

 今更だが、こんな庶民飯を出すことに多少の抵抗を覚えたが、食べないよりはずっといい。


 そう思いなおしつつ、たっぷりとベリージャムを付けたパンケーキをほおばる。


「ん~~~、やっぱりあたしのパンケーキもベリージャムも、絶品だね」

「…………ふっ」


 !!

 オジさま、今、笑ったっ!?!


「……キミは、実に、美味そうに、食べるのだな」

「んぐっ……よく言われますです」


 は、恥ずい……

 思った以上に大口だった?


 自分の家だからか、リラックスし過ぎてるのかも……


「あたしばっかりじゃなくてオジさまも食べてよ!」

「……ああ」


 見惚れるくらいに気品あるナイフとフォークの扱い。


 オジさまは、あたしのオススメ通り、ベーコンを乗せたパンケーキを頬張ると……



「……美味い」



 そう言ってくれた。


 その瞬間、さっきの恥ずかしさも忘れて、胸にほわっと花咲くように嬉しさが広がった。


 嬉しい……嬉しい……


 作ったご飯を褒められる事は今までも何度かあったけど……


 今までで一番嬉しい……


 胸がつまって目頭が熱くなる。

 こんな、事で……


 でも……得も知れぬ達成感と嬉しさと共に沸き上がってくるのは……


 ちょっと強引だったけど、朝ごはん、誘ってよかったということ。


「良かった……どんどん食べてね!」


 いつもならもっと味を堪能するところだけど、今はちょっと分からない。

 誤魔化すように、あたしも自分のパンケーキを大きく頬張った。


「……ふっ」


 オジさまはまた柔らかい表情を見せて、気に入ったとばかりに、次へとフォークを口に運んだ。


 そうやって、お互いにしばらく食事に夢中になっていると、ふと向かいに座るオジさまの視線が気になった。


 あたしの顔をじっと見て……ほっぺのあたり?


 ……なんだか熱い視線。

 胸がとくんと高鳴った。


「……え? もしかして付いてる?」


 照れ隠しに大口で頬張った時かな?


 自分でほっぺを軽く拭う。


 オジさまの視線は外れない。


「ん~~……あれぇ?」


 再度、自分の手で拭うが、取れた感じはしない。


 オジさまの視線を確認しようともう一度表情を見ると、オジさまは眉を寄せ、困ったような表情で何かを考えていた。


 既視感がある。


 そうだ。 あの時、コートを掛けてくれた時のような……


 オジさまは、こちらに手を伸ばしかけては、引っ込める。


 そういう動作を2度ほど繰り返した所で、意を決したように懐に手を入れた。


 ハンカチを取り出す。


 そして、腰を浮かせ、テーブルを挟んだ向かいのあたしへ、ハンカチを持った手を近づけ……


 口元を拭った。


――ひくっ


 しゃっくりみたいな声が出た。


 拭われたあたしは硬直したまま、オジさまに成されるがままだった。


 顔の熱さをなんとか耐える。


 しかし、オジさまの奇行はそれだけでは終わらなかった。


 あろうことか。


 あたしの口元を拭ったハンカチ。


 それを、オジさまは、あたしの口元を拭った側を……


 自らの口元へ寄せた。


 ……まるで確認でもするかのように。



 ……へっ?



 理解できない。


 頭の処理が追いつかない。


 今、何をしたの?


 顔が熱い以上に混乱している。


 オジさまの、今の行動は……何?


 時間にしてわずか1~2秒。


 オジさまは、自らした行為に驚いているようにも見えたが、何も言わず、ハンカチを懐へしまった。


「ただいまー。 あ~、お腹すいた。 ……? 二人とも何固まってるの?」


 戻ってきたシャリエナは、あたし達に何が起こったのか気付いてはいない様子だった。


 その言葉に、ああ、固まってるのはあたしだけじゃないんだなあ、と、ぼうっとした考えを浮かべていた。




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