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第15話 怒りたいわけじゃないのに


 第二調査局――そのロビーは、音がよく響いた。


 誰かの足音、誰かの溜息、軽く咳払いするだけで、その広い空間に遠慮は無しと駆け回る。


 光をよく通す高窓が清潔感を、しっかりとした石造りの床が冷たさを、控えめな装飾は武骨さを表していた。


 隅に置かれたただ一鉢の観葉植物だけが、春の陽気と、そして人が存在する空間だという事実を漂わせていた。


 受付には角ばった眼鏡をかけたどこか老けた男。

 仏頂面を張り付けたような顔は、初老にも見えるし若輩に見えなくもない。


 その前で声を荒げるのは、少々ふくよかな若い娘。

 ケープのリボンを胸に携え、桜の花びらを模した髪留めが、ストロベリーブラウンの髪に良く似合う。

 ハルネ・サフランだった。


 男は諦め半分、苛立ち半分の様子であしらってはいるものの、ハルネは一歩も引く様子はない。


 そして何度目かの言葉の応酬が、今また始まろうとしていた。




―――――――




 ギルドで調査局の場所を聞いたあたしは、迷わず第二調査局の建物へと向かった。


 人の出入りが激しそうな第一調査局と違い、どこか静かな雰囲気漂う第二調査局は、少しだけ入るのを躊躇させた。


 ええい、ここまで来たんだから腹を決めろと扉をくぐる。


 受付で面会の旨を伝え、面会書類を渡した所で押し問答が始まり……今に至る。


「だからぁ……アポは無いんだろ? 副局長は忙しいんだ。帰った帰った」

「だからちゃんと面会の書類も書いたでしょ! 会わせなさいよ!」

「相手がゼオファルド卿だと知ってたら、書類なんぞ書かせなかったよ。 ほら、帰れ」


 くそー……相手にするのも面倒だって感じの感情色してくれちゃって……


 何か無いかな、手札……


 生活が……お店がかかってるんだから!

 あたしだっておいそれと引くわけには行かないのよ!


「そうだ、事情聴取! 昨日、ヴァルグレイのオジさまが、あたしの店に来たの聞いてない? その時の事件で言うのを忘れてた事があったの! 本人に伝えたいの!」


 もちろんブラフだ。


 とにかく会いさえすれば……


「事件ん~?? ……面会書類の署名は『ハルネ・サフラン』……そういえば……いや、やっぱり知らん! そのうちそっちに捜査員が行くだろう、そいつらに聞け! 俺の手を煩わせるな!」


 ムカっ!


 こいつ今……――閃きの白い感情色を出したクセに……知らないフリしたな!


 こいつじゃダメだ。 話にならない。


 どうしよう……どうしよう!


 このままじゃお店が……サフラン香房が……

 うううぅ……


「おっ! ハル姐さんじゃないッスか! 探しやしたよ!」


 押し問答で気付かなかった。


 いつの間にか、入り口からブルーの制服を着た一人の調査局員が、あたしに話しかけてきていた。


 この人はたしか……


「レルガさん!」


 そうだっ!!


「レルガさん! あたし、ヴァルグレイさんに話してない事あるの! 話したいの! お願い、取り次いで!」

「え? ええ??」


 なんでレルガさんがここにいるのか、あたしを探してたのか分からない。


 けど……これを利用するんだ!


「いいよね!?」

「あ、ハイ。 わかったッス……俺もそのつもりだったんでいいっスよ」


 やった! 第一関門クリア!!


「そういうワケでこの子は俺が預かるんで。 いいッスよね?」

「レ、レルガ捜査官! は、ハッ! 了解であります!」




―――――――


 


「実は今朝早く、サフラン香房の方に寄らせてもらったッス。 調べたい事もあるし、掃除も手伝えって命令だったっスからね……」


 レルガさんが事の顛末を教えてくれている。


 けれど、あたしの耳には全く入ってこない。


 オジさま……ヴァルグレイのオジさま……やっと会える。


 自然と歩みが速くなる。


 会って……会って、話すんだ。


 ……どうして営業停止なんてひどい事するの?


 ……あたしの事、ちょっとでも気に入ってくれたんじゃなかったの?


 やっぱり気のせいだったの……?


 どうやら副局長室は応接室とは違う専用の部屋で、奥まった所にあるようだった。


 遠い。 遠い。 早く着け。


 早く着いて…………ううん、着かないで……


「掃除は正直面倒ッスけど、噂の美人姉妹と一緒なら逆に役得ッスからね! 張り切って朝早くから向かったんッスけど、どうやらハル姐さんとは、すれ違っちまったみたいで……いやね、俺もおかしいと思うんスよ。 即日急に営業停止だなんて……」


 一生懸命レルガさんが話しかけてくれている。


 けれど、やっぱりあたしの耳には全く入ってこない。


 靴音はどんどん速くなる。


 まるで今のあたしの鼓動のように、コツコツ、トクトク、加速を増していく。


 どうして裏切ったのさ……


 どうしてあたしからお店を取り上げるの……?


 ひどいよ……あんまりだよ……


 好きになれると思ったのに、理想だったのに、なんでこんなひどい事するの?


 あんな気持ち初めてだったのに……通じ合ったって思えたのに!



 ――そんなものは全部、お前の勘違いだ。



 ちがうっ!!!! 勘違いじゃないもん!!


 あんなに幸せな気持ちをくれたのに……!


 あんなに優しく涙を拭ってくれたのに……!!


「ここッスよ」


 いつの間にか、目的の扉に辿り着く。


 レルガさんは無遠慮に、そして気軽に扉をノックする。


 この扉の向こうにオジさまが………


――コンコン


「レルガっスー。 副局長、入りますよー?」

「――入れ」


 扉越しに聞こえたオジさまの声。


 ……ヒュっと、自分の息を飲む音が聞こえた。


 その呼吸を整える間もなく……


 扉は開かれた。




―――――――




 そこは、一人の私室としては少々広い部屋だった。


 落ち着いた色の木目の戸棚には、整然ときっちりと資料が並べられ、床にはチリ一つない様子。

 隅に観葉植物が一つ。

 ロビーと同じものだろうか?


 ……普段のハルネなら、もう少し部屋を観察する余裕があっただろう。

 しかし今の彼女の瞳は、とある壮年の男に釘付けだった。


 奥まった所にある業務用の机に座り、書類を読んでいたばかりと思しきヴァルグレイは、こちらをなんとも思わぬように一瞥しただけで、こう言った。


「……やはり君か」


――ぶわっ!


 噴き上がった怒りで背中が総毛立つ。


 叫び出したいところを、詰まった喉がそれを許さない。


「何それ……あたしが来るの、知ってたの……?」


 押し殺すように声を絞り出す。


「……ここに来ることが無いよう、レルガを寄越したはずだが?」

「へぇ、すいやせん、入れ違いまして……」


 そう答えるレルガさんを他所に、オジさまは興味が無いとばかりに、再び書類に目を落とす。


 その態度に再びカチンと来て、キレた。


「ちょっとっ!! それだけ!? ちゃんと説明してよ!! 貴方の仕業なんでしょう!!?」


 オジさまは、まるで聞こえていないとばかりに動かない。


「ボス……ちょっとは説明してあげても……」


 そんなオジさまの態度をあんまりと思ったのか、レルガさんが助け船を出してくれた。


「必要ない。 レルガ、何をしている? さっさと店に戻れ」

「……へい。 じゃあ、ハル姐さん、またいずれ……」


 レルガさんが気を使って、ドアの音を鳴らさぬようゆっくりと扉を閉めてくれたのも、この時のあたしは気付けない。


 部屋には、あたしとオジさまの二人きりになった。


 沈黙が支配する時間が過ぎる。 まるでこの部屋には人など存在しないよう。


「…………」

「…………」 


 ……なんで何も喋らないの?

 あたしみたいな木っ端市民に言う事なんか何も無いってワケ?


 再び苛立ちが募り、口を開こうとした刹那……


「……そこで何をしている? 早く店に戻れ」


 ギリッ! 歯を食いしばる音。


 オジさまのそのなんでもないような冷たい言葉に、一気に感情が……怒りが吹き上がった。


「何さっ! 何でよ! なんで営業停止なのよ!! 急にっ! 何の説明もなく!! 酷いよ! あたしの大事なモノ……取り上げないでよっ!!」


 酷いよ……


 オジさま、あたしの味方じゃなかったの?


 お店の味方じゃなかったの??


 助けてくれたじゃない……


 抱き寄せて、くれたじゃんか……優しく、抱いてくれて……


 あったかいコートも掛けてくれて……


 あんなに、優しくしてくれて…………全部、ウソだったの?


「営業停止にしたのは必要なためだ。 それ以上詳しく言う必要は、無い」


 無い……


 無い……無い……


 ……あたしへの気持ちも無いって事なの?


 なんでそんな突き放すのさ……どうしてそんなに冷たいの?


 あたしが傷つくって分からないの?


 だったら……どうして、こんな気持ちにさせたのよ!?


 なんで優しくしたのよ! だったらずっと冷たいままでいてよ!!


 もう好きになっちゃったのに……オジさまもあたしを気に入ってくれてるって思ったのに!!


 こんなあたしでも……太ってるあたしでも……選んでくれるって期待したのに!!


 あたしを特別に思ってくれるかもって、期待したのに!!


 涙を拭いてくれた時も、あんなに幸せをくれたのに……!


 あたしから……お店も、幸せも、取り上げないでよぉ………

 


 ついぞ、涙が零れ始める。


 オジさまは何も言葉を続けない。


 何も届かない。 あたしの気持ちは届かない。


 あたしは下を向いたまま、涙を落とす。


 まるで親に叱られた子供のよう。


 なんの涙かは分からない。


 あたしの感情はグチャグチャだった。

 自分で自分を制御できない。


 なんでこんなに腹が立つの?

 なんでこんなに悲しいの?


 好きなのに、ムカツく!!

 好みなのに、嫌い!!!


 この人しかいないって思ったのに!


 運命かもってトキメいたのに……

 


 オジさまの事もっと知りたかったのに……


 いっぱい知って、何が好きなのか、知りたかったのに……


 あたしの事も、いっぱい知ってもらって……


 初恋なのに……恋人になれるかもって……


 いっぱい、いっぱい……甘やかしてあげたかったのに!



 ……オジさまは、一体、何を考えてるの?


 ねえオジさま、ただの仕事だったの?


 あたしの事、気に入ってくれてたんじゃなかったの?


 ねえオジさま、一体、今、どんな感情なの?


 ねえ…………どうして……?


 なんで……どうして……?


 どうして…………感情色が、視えないのよぉぉ~~~ッ!!!!



 なんでさ! どうして?


 今!! 一番、知りたいの!! オジさまの感情!!


 肝心な時に! なんでさ!? なんで視えないの!?


 いくらオジさまを凝視しても、何の色も浮かんでこない。

 何の温度も感じない。


 こんな事、今まで一度も無かったのに!!


 今使えないで、いつ使うのよっ!!


 使えない異能に腹が立つ!


 期待した自分に腹が立つ!!


 視えないオジさまが一番腹が立つ!!!!

 


 涙はますます止まらない。


 歯を食いしばって奔流する感情に耐える。


 すると、いつの間に席から立ったのか。


 琥珀色の瞳が、すぐ近くに……


 オジさまは、昨日のハンカチを手に携え、こちらに向かって手を伸ばすところだった。


―――ギリッ!!


「何さ!  いらないわよ!! そんなもの!!」


 バシっ! とオジさまの手を払いのける。


 もういい、分かった。

 オジさまには頼らない。


 好きになったのも間違いだった!

 全部あたしの勘違いだった!!


 結局頼れるのは自分なんだ!

 お店だって、人間関係だって、今までだってそうして回して、生きてきたんだ!


 あたしなら、一人だって、出来るんだっ!!



「もういい! オジさまには頼らない! 結局ノクセラ草なんでしょ?! あたしが犯人捕まえて! ここに持ってくればいいんでしょう!!? そうすればほら、円満解決! あたしもハッピー! オジさまもハッピー! それで、満足よねっ!??」


 そうと決まればさっさと調査だ。

 こんなところにいられるか。


「ふん! 邪魔したわね! ばいばい!」


――バタンっ!


 あえて乱暴に扉を閉めてやる。


 へんだ、ざまあみろ。


 そのまま、あたしの店の入り口みたいに壊れてしまえばいいんだ。


 さあ、これからだ。 やる事だ。

 ……ノクセラ草、それがキーワードだ。


 だとしたらまずは……リゼラちゃんち!




―――――――




「入るわよー。 ヴァルグレイ?」


 魔女帽を被り、魔法省の制服を身に纏った、若い……いや少しばかり歳を重ねた美しい女性が、副局長室の扉を叩いた。


 その麗しい手には書類が一枚、握られている。


「何してんの、アンタ?」


 机の傍で、何をせず、ぼーっと立ち尽くしているように見えるヴァルグレイ・ゼオファルドの姿を見て、リオーネは意味ありげな視線を送る。


「はは~~~ん、さては、今そこでスレちがった、カワイイぽちゃ猫ちゃんと何かあったわね?」

「何もない」


 即答するところが怪しい、と睨むも……


「ま、どうせアンタに聞いたところで、何か答えてくれるワケないわよね」

「……何の用だ、リオーネ」


 どうせ答えをくれるはずもない。


 即座に諦める選択を選べる程度には理解がある仲の二人は、口調だけは気安い。


「ああ、ほら、受付行ったらさ。 ついでに雑用頼まれちゃって~。 何の用かといえば、これ、いわゆる一つの面会書類ね~」


 恭しく、そしてわざとらしく、副局長の机に書類を置くリオーネ。


「…………」

「ふーん、ハルネ・サフランちゃんか~。 ぷにぷにしてて凄く可愛らしい子だったわね。 10年早かったらアタシが食べちゃいたいくらい」

「馬鹿な事を言うな」

「あれま珍しい。 鬼のヴァルグレイが即ツッコミをくれたよ。 こりゃ明日は槍でも降るか……」

「……用はそれだけだろう。 早く行け」

「はいはい。 相変わらずツレないわねぇ~。 いや、これがいわゆる一つの放置プレイ……」


 謎な呟きを残し、去るリオーネ。


 部屋には妙な空気が残る。

 

 その空気を振り払うように腕を回し、再び副局長の机に座るヴァルグレイ。


 渡された書類に目を通す。


 いつもやっているように上から順に素早く目を滑らせ、鋭い目つきで確認を施す。


 


 そして、書類の末尾に書かれた本人のサイン「ハルネ・サフラン」の文字。


 本人の気質を示すような、丸みを帯びたどこか癒される文字。


 ヴァルグレイは、文字に指を運ぶと、まるで確かめるように、そっと撫ぜ……


「丸い……文字だ」


 そう呟き、二段目の引き出しに、そっとしまった。


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