第4話
シュヴァルツフェルド公国が王都に構える大使館は、王城に勝るとも劣らない壮麗な建物だった。
リアムに案内された客室は、天蓋付きのベッドに、肌触りの良いシルクのシーツ、そして優雅な猫脚のソファが置かれた、夢のように豪奢な部屋だった。
「今夜はゆっくり休むといい。必要なものがあれば、侍女に何でも言いつけてくれ」
そう言ってリアムが部屋を出ていくと、セレスティアは一人、ベッドの端に腰掛けた。
ふかふかの感触が、現実味をなくさせる。
(……夢、なのかしら)
数時間前まで、自分は国中の笑い者だった。
それが今、隣国の高貴な公爵に求婚され、こんな場所にいる。
あまりの状況の変化に、思考が追いつかない。
部屋に満ちる、上品な焚きしめられた香りが、セレスティアを少しだけ落ち着かせる。
けれど、静寂は、心の奥底に沈めていた澱を掻き混ぜるには十分すぎた。
――出来損ない。
――魔力なしのお荷物。
――お前など、生まれてこなければよかったのに。
耳の奥で、聞き慣れた声が蘇る。
父の冷たい視線。母の失望のため息。義妹のあからさまな嘲笑。
ふと、自分の両手を見つめる。
白く、細い指。何の力も持たない、空っぽの手。
(違う……本当は……)
ズキリ、とこめかみが痛んだ。
脳裏に、忘れたい記憶が鮮やかにフラッシュバックする。
あれは、まだ自分が10歳にもならない頃。
弟が熱を出して苦しんでいた夜のこと。
何とか助けたい一心で、必死に祈った。すると、自分の体から淡い、白銀の光が溢れ出したのだ。
『きゃあああ! 化け物!』
それを見た母親は、喜びではなく、恐怖の悲鳴を上げた。
光はセレスティアの意思を離れて暴走し、部屋の窓ガラスを粉々に砕き、カーテンを焦がした。
『近寄るな!』
駆けつけた父親に突き飛ばされ、投げつけられた言葉。
それ以来、セレスティアは「魔力なし」ではなく、「不吉な力を持つ化け物」として、家の地下にある埃っぽい部屋に閉じ込められた。
自分の力は、人を傷つけるだけ。
愛する家族にさえ、恐怖を与えてしまう。
そう悟った日から、セレスティアは無意識のうちに、その力を心の奥底に固く固く封印してしまったのだ。
「……っ」
冷たい汗が背中を伝う。
あの日の孤独と絶望が、再びセレスティアを暗い海の底へ引きずり込もうとする。
震える身体を、ぎゅっと抱きしめた、その時だった。
コン、コン。
控えめなノックの音に、びくりと肩が跳ねる。
「……セレスティア? 入ってもいいか」
リアムの声だった。
返事をする間もなく、扉が静かに開かれる。
彼の手には、銀の盆に乗せられた一杯のカップがあった。
「眠れないかと思って。カモミールとラベンダーをブレンドさせた。安眠効果がある」
彼はそう言うと、セレスティアの隣にカップを置いた。
立ち上る湯気から、ふわりと優しい香りが広がる。
その香りを吸い込んだ瞬間、セレスティアははっと息を呑んだ。
(この香り……どこかで……)
そうだ。
地下室に閉じ込められていた、あの頃。
一人の少年が、こっそりと窓から差し入れてくれた、小さな匂い袋。
中には、乾いたハーブが入っていた。
不安で眠れない夜、その香りを嗅ぐと、不思議と心が安らいだのだ。
『大丈夫。君は、化け物なんかじゃない』
顔も名前も知らない、優しい声。
あの時の少年と、目の前のリアムが、なぜか重なって見えた。
「……温かい、ですわ」
カップに触れると、心地よい熱が指先に伝わってくる。
それはまるで、今、隣に座っている彼の体温のようだった。
氷血公爵。その異名が、ただの噂に過ぎないのではないかと、セレスティアは思い始めていた。




