百年後も五千年後も
「嘘ついてたんですね、あなた。ずっと騙されていました」
初対面の相手からそんな苦情をぶつけられて、私は戸惑った。
「ええと……どちらさま?」
「あなたの読者です。本も買いましたし日常の呟きも追っていて……」
私は以前、趣味で書いた小説を時々SNSに上げていた。自分で本を作り、イベントに出たこともある。どうやらその時のフォロワーらしい。
「そうなんですか。ありがとうございます」
ひっそりとしたアカウントだったので、見ていたと言われると少し嬉しい。
「ありがとうじゃありませんよ。私、すごく傷ついてるんですから」
むっとしたのか、相手の声が少し尖った。
「あなたよく、百年ぶりに旅行に行ったとか言ってたじゃないですか」
「え?」
「十年分寝たとか。このキャラ五千年推せるとも言ってましたよね」
「はあ」
そんなこと言っていただろうか。かつてSNSに入り浸っていた頃の記憶をそろそろと手繰り寄せる。
……言ってたな。言ってた言ってた。息を吐くように言ってた。一を百に、時に千に、デカければデカいほどいい、という信仰があの頃の私たちにはあり、推しの足が十メートルあるとか、舞台が良すぎて五千回通ったとか、桁数をいたずらに増やしていた。
「あれ、全部嘘だったんでしょう」
「いや嘘というか、大げさに言ってみたというか」
「誤解を招く言い方ですよ。配慮に欠けています」
「でも他の人たちもやってたわけですし」
「知りません。あなたしかフォローしてないので」
「ええ……」
誰もが当たり前のように発していたインターネット特有の誇張表現を、今更とがめられるとは。困惑している私の頭の上に、はあ、とため息が吐かれる。
「あなたには本当にがっかりしました」
雪のように白い顔が、ベッドに横たわる私を見下ろす。明け方の夢を描いたような、恐ろしく美しい顔立ちだった。
「このところ更新されないからどうしたんだろうと思っていたら、まさかこんな……」
そのアカウントを使っていたのは、最近どころか、ずいぶん昔の話だ。私はもう何十年も小説を書いていないし、他愛ない日常の発信もしていないし、パスワードもとうに忘れた。
綺麗な顔が私を見下ろしたまま、悔しそうに歪む。
「何が五千年推すですか。たった百年ぽっちも生きられないくせに」
明日の誕生日で私は八十五歳になる。さすがに体中にガタがきていて、医者が言うには、あと二週間持てばいい方らしい。酒に徹夜にと不摂生の限りを尽くしてここまで生きられたのだから御の字だ。
お迎えを待つばかりの私は、起き上がることもできずに、ただ眉を下げた。
つられたように、彼か彼女かわからない美貌が眉を同じく下げ、それから俯いた。
「次のイベント待ってたのに……」
『次回は百年後かな』
脳裏にゆっくりと蘇る。最後にイベント参加した後、しばらく創作活動は控えるつもりで、私は確かにそう発信した。真に受ける人がいるとは夢にも思わなかった。
嘘つき。嘘つき。人間の言うことなんか信じなきゃ良かった。
うなだれたその人は、弱々しく悪態をつきながら、べそべそと泣きだしてしまった。お見舞いと思しきお菓子の箱を、膝の上でぎゅうぎゅうと握りつぶしている。それは私が当時、無限に食える! とこれまた大袈裟な文言とともに、たびたび写真を載せていたお気に入りのお菓子だった。
当人でさえ忘れていた空き家のようなアカウントを、この人はずっと眺めていたのだろうか。百年後に出るかもしれない新刊や、くだらない呟きが更新されるのを心待ちにして。
「ごめんね」
なんだかひどく申し訳ない気持ちになって、私は素直に謝った。
「あの時は五千年くらい生きられる気がしてたんだけど」
さすがに気力だけで寿命を伸ばすことはできない。
私が詫びると、涙に濡れていた切れ長の瞳が震えて瞬きした。へたりこむ子供みたいな表情でぽつりと言う。
「新作、読みたかったです」
「じゃあ書くよ。来世で」
「ほら。あなたすぐそういうこと言うじゃないですか」
その人はまた怒って、すぐにまた泣きべそをかき始めた。




