2016年12月11日(日)18時17分
2016年12月11日(日)18時17分
客席を埋め尽くす聴衆――推定1,000人超。それでもホールの中には、息を呑むような静寂が満ちていて、まるで空気そのものが震えることを拒んでいるかのようだった。
そして、聴衆たちの意識は、舞台上の表彰式へと釘付けされ、響いてくるのは、衣擦れがマイクにかすかに触れる音と、自分の心臓が内側から打つ鼓動だけだった。
「では……最後の代表となります」
その言葉に、空気がさらに引き締まる。
審査員の息を吸った音が、マイクを通して異様なほど大きく反響し、ホール全体に染み渡る。
冬のアンサンブルコンテスト――県予選。
私は金管八重奏の代表者として、ステージの上に立っている。
手応えは、あった。
いい演奏ができ、心からも満足している。
それなのに……脳裏に蘇るのは、あの夏だ。
あのときも、手応えはあった。
それでも、名前は呼ばれなかった。
あの瞬間の悔しさが、胸の奥でひそかに疼いている。
だから、今回も……。
喉が焼けつくように乾いて、指先が、わずかに震えた。
――お願い、今度こそは。
お願い。
お願い……。
42……。
どうか、私たち金管八重奏の42番。
どうか、42番が呼ばれますように……!
「では、発表します――」
その声が聞こえた瞬間、心臓が破裂しそうなほど脈を打った。
「プログラム――42番!」
その数字がホールに響き渡った刹那、客席が大きくざわめいた。
どよめきが波のように広がり、拍手と歓声が一斉に溢れ出す。
「第二甲府高校、金管八重奏!」
審査員が言い切るのを待たずに、私は理解した。
聞こえた……。
いや……、聞こえた!
聞こえたはず!!
全身の細胞が、一斉に沸き立つ。
先ほどまでの恐怖が、まるで嘘のように消え、胸を駆け巡る心音は、いまや喜びそのものの音として鳴り響いていた。
「――代表者の方、前へお願いします」
審査員のその一言で、ようやく現実を受け止め、私は急ぎ足でステージ前方へと進む。視線の先には、すでに代表に選ばれた三組のメンバーが立っている。
先頭は……瑞希だった。彼女もクラリネット四重奏で代表に選ばれた。
いつもと変わらぬ、完璧な姿勢。無表情のまま、こちらを一瞥し、すぐに前に向き直す。 その仕草、いつもと変わらない――が、今日ばかりは、その背中に、ほんのわずかに喜びがにじんで見えた。
そして、その隣には、韮崎中央の代表。
さらにもう一校――竜王高校、木管六重奏。その代表者で部長でもある、髪をきっちりと団子ヘアにまとめた上宮茜が、こちらを見ていた。
目が合った瞬間、彼女は明らかに眉をひそめ、あからさまに視線を逸らす。
――よく、そんな“いい加減なお前”が、代表になれたものね。
そんなふうに語りかけてくるような目だった。
*
ホールを出た瞬間、夜の空気が全身を包み、指先から熱が逃げていくのがわかる。
もう空はすっかり闇に沈み、街灯の明かりが道に長い影を落としている。そんな寂しい景色の中で、それ以上に、あたたかな声が空気を裂いた。
「ちさああああああ!!」
瑠璃は私を見つけると、まるでディズニーランドでマスコットキャラクターを見つけたかのように走ってきて、その勢いのまま飛び込んでくる。ダウンジャケットの感触ごと、心まで押し包まれる。
「こ、こら! 離せってば……!」
「えへへへへ」
抱きつきながら笑う瑠璃の声が、どこまでも無邪気で、心地よかった。
――山見瑠璃。
高校に入ってからずっと同じクラスで、吹奏楽部ではホルン担当。少しクセのあるショートボブは、彼女のチャーミングさと勝ち気な性格をそのまま表している。
本当に私の後輩の雪ちゃんと同じく何事にも前向きで、明るさでは双璧だと思う。
が、雪ちゃんが心を許した相手にはどこか天然っぽい“癒し系”なのに対して、瑠璃は誰に対してもズバズバ物を言う“姉御肌”。
でも、肝心なところではちゃんと寄り添ってくれるからこそ、こんなにも自然に、彼女と親友でいられてるんだと思う。
その後、ホールの外で顧問の反省会という名の長い講評が進んでいく中、それに飽きた様子の瑠璃が小声で、口角を上げながら私にささやいた。
「……やったじゃん、副部長様」
「こら、からかわないの」
「ふふ。でもさ、代表の楯を受け取ってるときのあんた、完全にロボットだったよ。無感情モードって感じ」
「な、何それ……!」
「そこ、うるさいよ!!」
顧問の声が飛び、二人してビクッと背筋を伸ばす。
けれど、それ以上に、もうどうしようもないくらい浮かれていた。いや、とにかく誇らしかった。
秋の県の芸術文化祭では、実質一位の扱いである”芸術文化大賞を”受賞。
そして今回のアンサンブルコンテストでも、代表枠四つのうち、私たち第二甲府が二枠を獲得するという快挙。
ようやく、自分が積み重ねてきた朝練の日々を、まっすぐに肯定できる気がした。
ちょっとだけ、くすぐったい。でも、悪くなく、むしろ、ほっとした。
それに――何よりも。
「で、あるからに……」
顧問の話は、まだ続いている。
それをよそに、瑠璃がまた、そっと私に声をかけてきた。
「……で、どうするのよ?」
「え?」
瑠璃は、しっかりと私の目を見つめていた。
「あの日の続きを、進める気になった?」
彼女は、笑ってもいなければ、からかってもいなかった。
真剣な顔。少しだけ心配そうで――それでも、どこか背中を押してくれるような眼差しだった。
*
あのパン屋の日から、私と大気君との距離は、少しずつ変わりはじめていた。
言葉を交わすたびに、互いのあいだに流れる空気が、以前とは違う意味を帯びている気がした。
けれど、それでも、どこかで牽制し合っていた。
進展はなく――いや、きっと大気君の方は、覚悟を決めていたと思う。
なのに、私のほうがまだ心の準備ができていなかった。
いや、違う。
もしかすると私は、自分でも気づかないうちに、「今は来ないで」という雰囲気を出していたのかもしれない。
あんなふうに気持ちを通わせたはずなのに、少し距離を置いてしまう私に――
大気君は次第に戸惑い、まるで痛いものに触れるみたいに、慎重になっていった。
申し訳なかった。本当に、心が苦しかった。
私は大気君が好きだ。
たぶん、大気君も私のことを――好きでいてくれている。
それでも……どうしても、踏み出す勇気が出なかった。なぜなら――
「あら、ずいぶん、”いいご身分”の方じゃん」
あの日のパン屋の余韻にまだ浸っていた私に、浮ついた気持ちを一瞬でかき消すような声が、前から飛んできた。
地元の駅の改札を抜けたところで、顔を上げると、立っていたのは上宮茜だった。
竜王高校のアルトサックス。今は部長。そして、私の中学時代の戦友。……いや、元・友人と言ったほうがいいのかもしれない。
「……茜」
「久しぶり。元気そうで何より。あ、“恋も楽器も絶好調”ってやつ?」
その言い方に、思わず眉をひそめてしまう。
「何それ……」
「いやいや、うらやましいな〜って思ってさ。恋愛も順調で、さぞかし毎日キラキラしてるんだろうなーって」
「……何が言いたいの?」
「別に? ただの挨拶だよ。前さ、パン屋で男の子……てか、あの輿水大気君でしょう? 彼と千紗が仲良くしてたって、佐紀が言っててさ〜。いや〜青春でいいよね、しかも彼は有名人! 超優良物件で羨ましい~!」
その言葉に、胸の奥がざわついた。
目をそらした私を見て、茜はふっと目を細める。
「……まあ、いいんだけどさ。恋愛できる余裕があるなら、もっと上手くなってると思っていたよ。夏、あれだけの結果しか出せなかったのに。すばらしいねぇ」
一瞬、言葉が出なかった。
「なに……その言い方」
「文字通りの意味。私があんたの先輩だったら、きっと怒りで震えてると思うよ。最後のコンクールで代表を逃して、あっさり夏を終わらせて、それでも今は何事もなかったかのように恋して、ちゃっかり”芸術文化大賞”まで取って……」
茜は一歩近づき、声を落とす。
「本当に”いいご身分”。天才って、ほんと羨ましい」
一つ一つの言葉が、心に棘のように突き刺さってくる。
でも――怒りよりも、悔しさのほうが先に来た。
「……別に、何事もなかったなんて、思ってない。そもそも私、天才なんかじゃないし」
「へえ。そういうの、昔から上手だったよね」
茜は静かに言葉を重ねる。
「きれいごとを並べて、謙虚なフリして、でも結局、自分はどこか引いてる。努力してるように“見せる”のは得意だけど、ほんとはいつも、一歩外にいる」
「……」
「だからこそ私が中学で部長として、前に立って必死に引っ張ってたとき、あんたは部員の気持ちに寄り添って、私のやり方を否定し始めた。最初に言ってたよね、一緒に頑張ろうって。でもさ――最後に裏切ったの、そっちでしょ」
ああ――そうだった。
茜は、昔から私のそういうところが嫌いだった。
茜は本当に努力していた。誰よりも真剣で、誰よりも真っ直ぐだった。私もその姿に心を打たれて、並び立ちたくて、歩調を合わせてきたつもりだった。
でも――彼女のやり方は、いつしか部員たちを追い詰めてしまった。
最終的に、私は仲間の側に立った。部長として孤独に戦っていた茜を、言葉では支えながら、最後には見放してしまったのだ。
彼女からすれば、私は、持ち上げるだけ持ち上げておいて、土壇場で裏切った存在なのだろう。
しかも、普段の練習にしても、あの頃の私は、茜ほど本気でぶつかることができなかった。そんな私に、彼女はずっと苛立ちを感じていたに違いない。
――それなのに。
最後の最後で、第二甲府の顧問がスカウトしたのは、茜じゃなくて、私だった。
あの瞬間、すべてが決まった。茜との関係は、あれで終わった。
「……言いたいことは、それだけ?」
「うん。でも、“友達”として最後にひとつだけ言っとく」
彼女の声は、やけに静かで、重かった。
「あなたの“友人”として忠告かな。本気で練習しながらもできないくせに、その男の子も、あんたの“半端な気持ち”で遊んだら、かわいそうだから。人を不幸にすんなよ。じゃあね天才」
その言葉が、心の奥底にひびを入れた。
誰にも見えない場所が、静かに崩れていく音がした。
*
11月15日の朝がやってきた。
夜の気配がまだ空に色濃く残るなか、朱雀会館の壁がほんのりと朱色に染まり始めていた。
その静けさの中で、私は一人、言葉にならない思考の渦に沈んでいた。
ここ数日、ずっと茜の同じ言葉が、何度も何度も、頭の中でループしていた。
――人を不幸にすんなよ。
やめたいのに、忘れたいのに。
思い返すたび、胸の奥がひりひりと痛んで、心が少しずつ擦り減っていくのが分かっていたのに――止まらなかった。
そんなときだった。
「……先輩」
背後から聞こえた声。
それは、私の名前を呼ぶでもなく、ただ“先輩”と優しく響いた。
だけど、そのたった一言で、私は現実に引き戻された。
「あ、大気君……」
振り返った私を見て、大気君の表情が固まった。
そして、その時、私も気づいた。
――ああ、私、泣いてるんだ。
「せ、先輩、どうしたんですか?!」
その声は、いつもと同じように優しいのに、今はそれがつらかった。
心の奥に触れられるようで、堪えきれず、私は大気君の言葉を遮った。
「いや、違う!」
声が少し上ずった。
すぐに背を向ける。顔を見られたくなかった。
こんな情けない顔、大気君には見せたくなかった。
これ以上、迷惑をかけられない。
この気持ちに向き合ったら――彼まで、傷つけてしまう。茜のときのように。
「ごめん……」
小さな声で呟いて、私はその場を離れようとした。
けれど次の瞬間――
「……っ!」
思い切り腕を掴まれて、そのまま、大気君の胸に引き寄せられた。
世界が止まったように感じた。
そのぬくもりが、あまりに唐突で、現実味がなくて、でもちゃんと、あたたかくて。
「た、大気君……?」
心臓がうるさい。
自分の鼓動なのか、彼のものなのか、わからない。
だけど、彼の胸元から伝わるリズムは、確かに私と同じように、早く、高鳴っていた。
彼も、きっと――緊張している。
「せ、先輩。何があったのか、教えてください。逃げないでください」
その声は、かすかに震えていた。
でも、まっすぐで、必死だった。
「俺に話すのでは、不十分ですか?」
たった一言だったのに、その真摯な声に、胸の奥が静かにしんと響いた。
不十分なはずがない。むしろ、十分すぎるくらいだった。
それでも――彼は、最初、ただの後輩だった。
信二の後輩で、野球部の子で、台風の朝にたまたま話しただけの人。
でも、不思議だった。
その日から、彼の声が、ずっと耳に残っていた。
彼はスター選手なんかじゃなかった。
不器用で、口下手で、でも誰よりもまっすぐで、自分の弱さを隠さない人だった。
だからこそ、彼の言葉はいつも胸に響き、その優しさは、計算ではなくて、心からのものであった。
あの朝、寒い空の下で渡された、あたたかい缶のココア。
楽器を吹く前だったから飲めなかったけど――それ以上に、その気遣いが、何より嬉しかった。
……いつの間にか、大気君は私の日常の中に、自然と入り込んでいた。
ある日、雪ちゃんが楽しそうに彼の話をしていたとき、胸の奥が、きゅっと締め付けられた。
――もし彼が、誰かのものになったら。
私は、この朝を、失ってしまうのかもしれない。
そう思った瞬間、私の中で何かが決定的に変わった。
彼がいることで、私は本気で悔しいと思えた。
彼がいることで、朝の練習に意味が生まれた。
彼がいることで、私は私を信じてみようと思えた。
……だから。
「だから、先輩に悩みがあるなら、一緒に向き合いたいです」
その大気君の言葉は、優しさじゃない。覚悟だった。
私の悩みや弱さに、逃げずに並んで歩いてくれる。
そんな人が、すぐ目の前にいる――
「だって、俺は……あなたの笑顔が、何よりも好きです」
涙が止まらなかった。
こんなふうに言われて、笑わずにいられるはずがない。
「うん……」
私は、ただそれだけを、声にならない声で返した。
それ以上の言葉は、もう要らなかった。
あたたかさが、心の奥まで、じんわりと染みていく。
あの朝のココアみたいに。
*
そこから少し落ち着いて、私たちは自販機の前で並んで缶ココアを買った。
缶を手にした瞬間、ふっと胸が温かくなる――あの朝と同じ温かさ。けれど今は、それ以上に温もりをくれる人が隣にいる。
朱雀会館内のソファーに腰を下ろすと、大気君は缶のプルタブを開けると同時に、少しバツが悪そうに私を見た。
先ほどの“ハグ事件”がまだ彼の中では消化しきれていないらしい。
「……さっきの、すみません。なんか、我ながら突発的で。思い返すとすごい恥ずかしくなってきました」
苦笑混じりに頭をかくその姿が、どこか子どもみたいで、思わず笑いそうになる。
私は缶ココアを軽く揺らしながら、少しずつ、自分のことを話し始めた。
茜のこと、中学時代のこと、どうして心に引っかかっていたのか――その全部を。
大気君は最初、少し焦ったような様子でうなずいていたけれど、私の話が核心に触れ始めると、だんだんと顔がほころんでいった。
「……あ、そっちだったんですね」
ほっとしたような笑顔を浮かべて、大気君は言った。
「いや、実は……本当に嫌われたんじゃないかって思ってました。あの、前の……間接キス? あれが嫌だったのかと……。返事ないまま自然消滅かと思って、正直、胃が痛かったです」
「ふふっ……そんなの、あるわけないじゃん。それに、あれは……私が仕掛けたんだし」
顔を見合わせて、私たちは同時にふっと笑った。
張り詰めていた空気が、音もなくほどけていくような瞬間だった。
「……てか、なんて人なんでしょうね、その言い方。わざわざそんなタイミングで、言わなくてもいいのに。嫌な女ですよ」
「……うん。まあ、私も……茜の気持ち、ちゃんと考えてなかったから……」
自分で言って、少し胸が痛んだ。
でも、大気君はゆっくりと首を横に振った。
「でも先輩、中学のこと、後悔してないんですよね?」
「……うん。そうかも」
実際に、茜に詰められたあとで、部活をしばらく休んだ後輩もいて、私はこっそりフォローをしてあげた。
だからこそ、その子からはとても感謝された。あの子が笑って卒業できたことは、今でも私にとって、大切な記憶だ。
「それに……」
ふっと、大気君が微笑む。
「先輩の、”部活と恋愛を両立できるか”っていう不安も、ちゃんと分かります。だから……先輩が“自分で納得できるまで”付き合ってもらえるのを、俺は待ちます」
その言葉は、あまりに優しくて、心に静かに沁みた。
「急がなくていい。焦らなくていいです。お互い、部活は大事だし……まあ、勉強に関しては、俺のほうがやばいですけど」
茶目っ気を混ぜるように笑って、でもすぐに、大気君の目は真剣になる。
「でも、俺は信じてます。先輩なら、どっちもできるって。部活も、恋も、全部ちゃんと、自分らしくやってのける人だって」
そのまっすぐな言葉に、心がじんわり温かくなって、でも少し不安もにじんだ。
「……でも、難しいよ」
「分かってます。でも、今って“両方やる”のが当たり前の時代じゃないですか。野球だって、二刀流の時代ですし。恋と部活、両立してみせましょうよ。”二人で”、です」
あまりに自然に「二人で」なんて言われて、私は返事ができなかった。
――なんて人なんだろう、この人は。
傷つくかもしれないのに。
拒まれるかもしれないのに。
それでも、私の迷いごと、全部受け止めようとしてくれるなんて。
「……そんな簡単に、いくかな」
私がぽつりとつぶやくと、大気君は柔らかく笑って言った。
「いけますよ。たぶん、片方だけの努力じゃ難しいですけど……。ちゃんと話して、悩んで、迷って、それでも一緒に考えていけたら、きっとなんとかなる。俺、自分のことが信用できない時はたまにあるのですが、でも先輩のことだと、いつもなぜか自然に信じられるんです! だからこそ、自信が湧いてくるんです……。“先輩とだから、俺たちならいける!”って、なんか思えちゃうんです」
まっすぐで、優しくて、あたたかい。その言葉が、心の奥で、静かに灯り続けていた。
だから私は、それから、もう逃げなかった。
友達として、たくさん話した。
どうでもいいことを笑い合ったり、部活のグチをこぼしたり、時には……ちょっぴり喧嘩もした。
そして、お互い、全力で部活に向き合った。ぶつかって、悩んで、それでも前を向いて。
さらに――たくさん、デートもした。
特に、愛宕山のプラネタリウムに行ったあの日。
星の海が天井いっぱいに広がる静かなドームの中、隣に座る大気君の肩が、ほんの少しだけ、私の肩に触れた。それだけで、胸がきゅっとなった。何も話さなくても、確かに通じ合っている――そんな気がした。
あの静かな時間は、今でも、胸の奥でずっと光っている。他のどんなデートよりも、あの“沈黙”が、私には大切だった。
そんな時間を重ねる中で、少しずつ、手応えも得られていった。
大会でも結果が出始めている。
たぶん――
私たちは、私たちなりのやり方を、ちゃんと見つけられたのかもしれない。
*
額に冷たい風が当たる。
意識が、表彰式後の静けさへと戻っていく。
「――聞いてる?」
横から少しむくれた声。瑠璃だった。
……やっぱり、見透かされてたか。
このあいだのことも、瑠璃には話していた。
「は? それはないわ」
「あの女、相変わらずウザすぎ」
――怒りの言葉が、嵐のように飛んできて、私はただ苦笑いするしかなかった。
でも、瑠璃は最後にぽつりとつぶやいた。
「……それでも、そんなあんたにちゃんと合わせてくれるあの人は、やっぱいい男だわ」
その言葉が、まるで自分のことのように――
すごく、すごく嬉しかった。
「チッ!」
瑠璃が小さく舌打ちする。
ちょうどそのとき、近くを竜王高校の生徒たちが通りかかった。その中に、茜がいた。
目が合った一瞬――
彼女は、私を睨むような視線をよこしてきた。
けれどすぐに、隣の瑠璃が、むっすりと睨み返していた。
そのやり取りがなんだか可笑しくて、私は思わず、ふっと笑ってしまった。
――ばかだな、私。
茜の気持ちも、分かるよ。でも。
もう、私は一人じゃない。
大切な仲間と……そして大切な人もいる。
私は小さく深呼吸して、吐いた息が白く浮かぶ。
「瑠璃、私……するよ。ちゃんと告白して、付き合うことにする」
「……ふーん」
ポケットに手を突っ込んだまま、瑠璃がちらりと私を見る。
「その顔、けっこう覚悟決まっているね」
「うん。もう、決めた」
「ふふ……そっか。で、いつ?」
「ちゃんと場所も決めてある。……秘密だけど」
そう言うと、瑠璃は口元を隠すようにマフラーを引き上げて、小さく笑った。
その目が、どこか優しくて――そして、頼もしかった。
「ゆえに我々は――」
遠くから、顧問の声が響く。
まだ、講評は続いている。
でも、私の中では、とっくに決まっていた。
――ここから。
ここからが、私――いや、“私と大気君”で選び取った、“本当の未来”の始まりである。




