2026年10月28日(水)19時47分
2026年10月28日(水)19時47分
「はい、カット! チェック入りまーす!」
夜のパン屋さんの駐車場。渚の明るい声が響き、近くのモニターにさっきの映像が映し出される。
モニターの前には、渚、生徒会の功刀君、プログラミングクラブの宮木君、そして、私の脚本をもとに絵コンテを描いた美術部の富田君。さらに今回から撮影のサポートに入る卒業生の安野さん——無精ひげが印象的な、三十代、菜食主義者のアマチュア監督の姿もあった。
一同で、さっき撮った大気さんと姉のイチャイチャ(という名の重要シーン)を真剣にチェックしている。
「うん、悪くないね」
「そっスか?」
「渚さん、功刀君。今のでも十分いい感じだと思うよ。ただし、編集は宮木君たちと調整して、ちょっとプラン修正したほうがいいかも」
皆がそんなふうにやり取りしながら、ふいにこっちを見た。
「……春、チェック見ないの?」
渚に言われて、ハッとする。いつの間にか自分が手で顔を覆っていた。
「あ……いや、だってさ……」
言葉を濁す私の様子を見て、渚はすぐに察したらしい。
「はいはい、撮影部隊は今日はもう上がりでーす。撤収お願いしまーす。功刀君、お店の人にもちゃんとお礼伝えといて。私もあとで行くから」
渚のキビキビした声に、生徒会と放送部の撮影部隊たちはササッと動き出す。
パン屋の駐車場に張り詰めていた緊張感が、ふっと緩んだ。
「春ー、原作書いたんだから、ちゃんと見なよー?」
渚が苦笑しながら、ゆっくりこっちへ歩いてくる。
「え、で、でもさ、ウチ、わりと終わってない?」
「なにが?」
「いや、自分の姉のアオハル恋愛を映画にしてんの、ヤバくない? ふつーに病んでるよね?」
「あれ? 今さら気づいた系?」
「ちょ、やっぱ自覚あったん……?」
「あるよ。てか、小説にした時点でまあまあアウトでしょ。重度のシスコンで乙」
「で、でも小説ならさ、インタビューに沿って書いてるし、なんかこう……雑誌の特集記事ノリでいけたじゃん。これは……もう……」
実のところ、もういくつかのシーンは撮り終えている。そして、その後の演出と編集を一手に担っているのが――さっきのプログラミングクラブの宮木君だ。
丸眼鏡にくるんとした天然パーマ、ややぽっちゃりの愛され体型。見た目だけなら「ジブリの背景美術やってそう」で済むんだけど、実は裏で自作動画を投稿するYouTuberとしても一部では知られているらしい。SNSでバズったショート動画の制作者が実は彼だった、なんて話も。
試しにプロ向けの編集ソフトと契約して、「ちょっと触ってみる?」と軽い気持ちで言ってみたのが間違いだった。半日後には、エフェクトやカラーグレーディングまで完璧に操っていた。インターフェースのどこに何があるか全部把握してる感じ。操作の無駄が一切ない。
「す、すごいよ生徒会長! 君のくれたこの『Adobe Premiere Pro』は、まるで僕の神経と直結してるみたいだ……!」
なんなの、あの人……ニュータイプなの?
しかも絵コンテを描いてくれたのは、これまたメガネの富田君。いつもキャップ帽を深くかぶり、いかにも「深夜にロボットアニメの設定画を描いていそう」な雰囲気の持ち主だ。 私と渚の「ここはこうしてほしい!」「いや、もっとイチャイチャを!」という小学生レベルのわちゃわちゃ要望を、「ったく素人どもめ」と言いながら見事に咀嚼し、構成に落とし込んでくれる。
さらに演劇部も、アイドル部も、そして映像を観た他の文化部の面々も、どんどんテンションが上がっていく。気づけば勝手に個人練習が始まり、それに比例して練度も着実に上昇。そしてその熱気にあてられたように、体育会の部活動からも、「私も参加したい!」とエキストラ希望者まで増えてきた。
第二甲府、驚異のメカニズムである。
「でも、やっぱ――このシーン。妹からしたら、ちょっと生々しいかな?」
渚がぽつりと呟いたから、私は即座にツッコミを入れた。
「生々しいに決まってんじゃん。てか、編集も演出も変に上手いから逆にリアルすぎてキツいのよ。姉のイチャラブ見せられる妹の気持ち、ちょっとは想像してくんない?」
「うーん……そうかなぁ。でも、でもさぁ……こういうウブな恋って、やっぱ良くない? なんか……ふふ、尊い……」
「うわ、出た。渚、キモっ。おま、アラサーかよ」
「はぁ!? アラサーとか今JKの私に向かって言う!? もっと配慮とか、さぁ……!」
「――あの、すみません。監督、こちらに……」
生徒会スタッフが控えめに声をかけてきて、そっちを振り向くと、あれ?
丸坊主ではないけれど、写真で見たあの頃の面影がちゃんと残ってる。前に信二さんが見せてくれた集合写真――たぶん、あの二人だ。
卒業生で、元野球部の「りんさん」と「はじめさん」。大気さんの同級生だ。
「君たち、差し入れだよ!」
「さあさあ、遠慮せずにもってけ〜!」
「あっ! りんさん、はじめさん、ありがとうございます!」
「「おお〜、渚監督じゃないか!」」
渚はノリノリで二人の元へ駆け寄り、差し入れの、なぜか大量のプロテインバーをありがたく受け取っていた。
それにしても、やっぱり渚って謎だ。
最近は撮影中、差し入れに来る当時の卒業生たちも増えてきたけれど……不思議なことに、その多くと渚はすでに何度か顔を合わせているらしい。
どこでそんな人脈つくってんの? てか、なんでそんなにフットワーク軽いの?
正直、将来、港区あたりでバリキャリしてそうな気しかしない。いや、もうすでにそうなりつつある説もある。
撮影機材も、初期のころはタブレットに外付けマイクっていう、いかにも「文化祭の延長」みたいな感じだったのに、気づけばプロ顔負けの装備になっていた。
最近じゃ、監督用に古いメガフォンまで導入されてるし……。
しかもそれ、どう考えても生徒会の予算じゃない。月末の収支報告、私も確認してるけど、特別会計からの支出はまだ無いはず。つまり、渚のポケットマネーってことになる。
いや、それともどこかに裏の資金源が……?
渚本人に聞いても、「ふふ。まだ、ひ・み・つ♡」って。
その言い方がまた妙に意味深で、それ以上突っ込むのが、ちょっと……怖い。
そういえば、良かったこともある。
このプロジェクトが、ついに地元の山梨日日新聞にも載った。
『第二甲府、高校生の小さな挑戦。目指せアカデミー賞!』
……いや、アカデミー賞って。書いちゃって大丈夫? とは素直に思った。
取材してくださったのは、文芸部の田口さんという女性記者。
三十代後半くらいで、パンツスーツに短めボブが似合う、クールでかっこいい大人の女性って感じだった。
わざわざ学校まで来てくださって、渚がキャストやスタッフを順番に紹介しながら、作品への思いや制作の裏側を丁寧に語っていた。
田口さんは、パソコンではなく、キャンパスノートを取り出して話をメモしていて、なんだかそのアナログさがちょっとホッとした。キーボードのカチャカチャ音よりも、人の気配がちゃんと伝わってくる感じがして。
そして、取材の最後には、「原作者としての声も、ぜひ」と言ってくださり、私がインタビューを受ける流れに。
緊張しながらも、自分の言葉でぽつぽつと思いを語っていった。
その中で、田口さんに聞かれたある質問だけが、ずっと胸の中に引っかかっている——。
「でも……亡くなられたお姉さまが、最後に“初恋の人との思い出を残してほしい”っておっしゃったんですね。とてもロマンチックな方だったんですね」
言われてみれば確かにそう思ったけれど、実際どうだろう。
姉はロマンチックだったのか。
いや、どちらかと言えば割と現実的なところがあった気がする。
どうでもいいことには徹底的に合理的でサバサバしていたし、ビジュアル系のホスト風には全然興味がなくて、作品の中のロマンチックさは好きだけど、現実世界でそれをやられたらちょっとキツイと、いつも月9ドラマを例にして笑っていた。
でも、考えてみると妙な話だ。
なぜ、あの現実主義だった姉が——最後の言葉で「大気君との思い出を残してほしい」なんて、そんなロマンチックなことを口にしたのだろう。
もっと、他に言うべきことがあったんじゃないかと思ってしまう。
たとえば、「今までありがとう」とか、「あの頃の思い出は忘れないよ」とか、「あなたは幸せになってね」とか。そういう、家族としての最後の言葉を——私はどこかで、期待していたのかもしれない。
姉がいなくなったことは、いまだに現実のこととは思えない。ふとした拍子に「今日帰ってくるのでは?」と錯覚するほど、私の胸の奥は、ぽっかりとしたままだ。
それでもあの言葉——「思い出を残してほしい」——だけは、一度思い出してみると、まるで棘のように、今も私の中で静かに引っかかっている、
思い出というのは、そもそも「残す」ものなんだろうか。
忘れようとしない限り、失くなることなんてない。私だって、姉との記憶は、何も書き留めなくたって、ちゃんと胸の中に刻まれているし、いつでも取り出せる。
笑い合ったこと。泣きながら抱き合った夜。ちょっとした言い合い。写真一枚、香水の匂い、似たような笑い声——そのすべてが、ふとした瞬間に鮮やかに蘇る。あの時間は、私の中で生きている。
だからこそ、わからない。なぜ、あの姉が「思い出を残してほしい」なんて言ったのか。
私が小説として記録することに、どんな意味を託したのか。どんな想いを、そこに忍ばせたのか。
考えれば考えるほど、答えは霞み、形を失っていく。
そして、思考の底でふとよみがえる、もう一つのひっかかり。
——あの夜のことだ。
姉の態度が変わった、あのきっかけ。
確か、友人とご飯に行くって言っていた。仕事帰りに、ちょっと遅くなるって。
それまでは私の質問をうまくかわして、インタビューなんて絶対に応じようとしなかったのに——その夜を境に、急に話してくれるようになった。
……姉は、あの夜、誰に会いに行ったんだろう?
確かに、私、聞いたはずだ。けれど思い出そうとすると、何も浮かばない。
名前も、顔も、会話の断片すら。
まるで、その部分だけが、ぽっかりと切り取られてしまったみたいに。
いや、もしかして——私は最初から、聞いてすらいなかったのかもしれない。
そんな風に、記憶の糸をたぐり寄せながら、気づけば私は、自分自身の内側へ深く沈み込んでいた。
——そしてちょうどその時だった。
「隙あり!!」
不覚だった。
渚が差し出したプロテインバーが、何の前触れもなく私のほっぺたに軽くぶつかってきた。おいおいおい異端児よ。ここは戦場か。痛ぇよ、普通に。
「痛いって……」
「あはは、ごめんごめん。でもさ、ちゃんと食べとかないと、来週からもっとハードになるんだから」
「えっと……脚本②のこと?」
「そうそう! ついに告白シーンよ〜! いやん♡ 楽しみ〜♡」
テンション高めの渚が、勝手に盛り上がっている。
そしてあろうことかこの女、プロテインバーの包装をぺりっと剥くと、そのまま私の口に、甘ったるいバニラ味をぶち込んできやがった。
無言で受け止めながら、私は遠い目になる。
ふとスマホを見ると、もうすぐ20時。外は、すっかり冬の夜の顔をしていた。
はあ、とひとつ、ため息。
……脚本も、思い出も、プロテインも。全部、重ため。




