2027年7月26日(月)17時12分
2027年7月26日(月)17時12分
『と、このように、こちら第二甲府高校では、生徒主体の映画作りを進めております。校舎の建て替えが迫っている今、部活動横断で、全校生徒一体で映画の撮影作りを進めております。撮影自体、残すはおよそ三分の一とのこと。そして、そのきっかけとなったのが、こちら、橘春さんの”フィクション”小説です。橘さんは中学生から小説を書き始め、一時期スランプに苦しみましたが、最近はその調子を取り戻し、自作の小説を脚本化する作業として、この撮影に参加されています。橘春さん……いえ、もう橘先生とお呼びした方がよろしいでしょうか? 今後の意気込みはいかがですか?』
『あ、その先生は……でも、はい……。正直、今日の撮影のように地元の球場をお借りできたり、その……他校の生徒の方々にも協力していただき、その……もう、本当に有難くて。だからこそ……その、何があっても、最後まで、やり遂げられたらと思っています』
『そうですか。まさに地域一体、いや、映画作りを通じて様々な人たちが繋がり始めています。以上、山梨県甲府市からの特集でした』
生徒会室で、渚や撮影スタッフたちと一緒にテレビを見つめていた。
画面の中の自分を見て、思わず顔が熱くなる。頬が赤くなり、手で顔を覆ってしまった。視線を逸らしたいような、でも少し誇らしいような、複雑な気持ち。
そんな私を横目で見た渚が、ふっと微笑む。「ええやん。かわいらしい」と軽く囁くように言った。その言葉に、胸の奥がふわりと和らぐ。
「さあさあ、残りも頑張りましょう~」
渚の明るい声に、スタッフたちの表情も一斉にほころぶ。「うぇ~い」と生徒会室からバラバラと出ていく音が、軽やかに響いた。
何人かは振り返りざまに肩を叩いてくれる。「よくやった」と笑う背中に、思わず小さく笑い返す。
考えてみれば、初めての撮影からもうすぐ一年。日々の細かい打ち合わせ、夜遅くまでの編集作業、暑い夏も寒い冬も共に乗り越えてきた。ここにはもう、家族よりも長く一緒にいる人たちがいる。小さな衝突も、笑いも、疲労も、全部が積み重なって、今の“共同体”を作り上げているのだ。
本当に、不思議だった。
そして、その不思議の中で、私をまた迎え入れてくれたこの場所と人たちに、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
「春ちゃん、かわいかったじゃん」
渚はバカにするようにクスクス笑う。その声に、私はつい顔を背ける。
「ちょくちょく渚は最近、私を“ちゃん”呼びするけど、やめな? バカにしすぎ。まったく、そもそも渚が出ればよかったのに」
「え? それ言いますか? あれ? 誰のせいで脚本が遅れて、撮影スケジュールを押したんだっけ? それに誰が撮影から逃げ出したんだっけ? それに、戻ってきたときに『何でもします』って言ったのは、どこの誰だっけ?」
渚の言葉に、心臓がぎゅっと締め付けられる。叱られているわけではない。けれど、その軽妙な口調と圧のある迫力に、自然と私の背筋が伸びる。
「すみません……」
思わず小さな声で謝ると、渚は軽く肩を揺らして「もう冗談だって!」とケラケラと笑った。
その笑い声に、私は少し戸惑いながらも、心の奥でほっとした。もちろん、実際に申し訳ない気持ちはちゃんとあった。それ以上に、こうして許してくれる渚の寛容さが、胸にじんわりとあたたかさを広げた。
信二さんと会った後、すぐに渚たちに謝りに行った。最初は怖かった。怒られるかもしれない、拒絶されるかもしれない、そう思うと胸の奥がぎゅっと締め付けられた。
でも、生徒会室の扉を開けて目に入ったのは、笑顔で待つ渚だった。彼女はただ一言。「おかえり」
その瞬間、何かが胸の奥でふっとほどけるような感覚があった。緊張も不安も、ほんの少しだけ解けて、自然と肩の力が抜けた。
だからこそ、私はもう、渚のためなら何でもやろうと、迷いなく思えた。
「でもさ、春。後半の脚本、めちゃくちゃ良くなったよ。本当に、スランプから抜け出したって感じがする」
「ありがとう……うん、でもなんだろうね。中学の頃から抱えていたモヤモヤも、少し消えた気がする。後悔もたくさんあるけど、もう前に進むしかないって、素直に思えるようになった」
「そっか……」
渚は目を細め、軽くうなずく。言葉少なに見せながらも、ちゃんと私の気持ちを受け止めているのが分かる。
「でもね……ちょっと惜しいのは、信二さんと話したときに、どうしても気になる部分が出てきちゃったこと。最終的には脚本にうまく反映できなかったんだ」
「気になる部分って、もしかして……大気さんの日記に関わるところ?」
「そうそう……でも、調べてもはっきりとは分からなかったんだよね。日記に出てくる神社……おそらく昇仙峡の『夫婦木神社』だと思うんだけど、そこにもこの前行ってきた。けど、ただただいい神社、っていう印象しか残らなかった」
「そうなんだ」
「まあ、でも自分なりには、脚本は最後まで満足いく形に直せたから、それは嬉しいかな。それに……今後は、他の仕事も手伝えるかもしれない」
「あはは、じゃあ今日みたいに広報担当とか?」
「それは絶対嫌! てか、いつもみたいに渚が出ればいいじゃん。そういうの、好きでしょう?」
「え? 春……私が根は暗いの知ってるでしょ? いつも無理してるんだから」
「え……ごめん……」
「いや、嘘だけど」
「嘘かい!」
思わず笑い出しそうになる私を、渚はじっと見つめて、くすっと笑った。
「あはは、反応おもしろ。でもさ、メディアだって私ばっかり出てたら面白くないでしょう? 実際、新聞社の田口さんたちの記事も、映画作りに色んな人が関わっているから話題になったんだし。今日みたいに全国のワイドショーでも取り上げてもらえたのは、そのおかげだよ。春も今後のことを考えたら、名前を広めた方がいいし、それに宮木君や富田君みたいに、もう私が指示しなくてもみんな引っ張ってくれる。足りないところは、映画に魅力を感じた綺麗な大人も汚い大人たちも自然に手伝ってくれるから」
「……なんか」
「何?」
「まるで、何かを手放すみたいな言い方だね」
渚は少しだけ目線を落とし、肩の力を抜くようにふっと笑った。
「大丈夫よ。最後までやるわ」
その笑顔は静かで強く、それでいて優しい。胸の奥にじんわりと熱を残した。なのに、私の口から言葉は出ず、ただその笑顔を見つめることしかできなかった。
「てか、春、それよりも、あなたは脚本しかできないクソ陰キャだし、来週も取材受けて。私は忙しいし」
「え……またですか。てかさ」
「なーに?」
「前のテレビもそうだけど、この話、”ノンフィクション”ってちゃんと言ってね? なんか勘違いしている人が多くて困るんだ。渚、しっかり言っている?」
「あれ……どうだっけ……、私の不注意かも。あはは、最近忙しくて」
渚の笑いはいつもより少し力が抜けていて、疲れが見える。私は軽く眉をひそめた。
「もう渚らしくないな……。まあ、周りの人もそうか」
「周り?」
「うん。大気さんの日記をもう一度調べるとき、ほら、りんさんとかはじめさんとか雪さんとか瑠璃さんとか、みんなから話を聞き直したんだ。でもさ、みんな認知症なのかと思うくらい、『あれどうだっけ?』みたいな発言が多くてさ。もう、やってられないよ」
「そうなんだ……」
「だから渚もしっかりしてね。本当に」
「うん……ごめん」
いつもなら渚はすぐに「春には言われたくない!」と顔を赤らめて言い返すのに、その日はなぜか静かだった。眉の間に少し疲れの影が落ち、肩の力も抜けている。夏の暑さのせいか、連日の撮影や打ち合わせでの疲労のせいか、はっきりとは分からない。
私はそんな渚を見ながら、心の中で小さく安堵した。けれど同時に、軽く胸が締めつけられるような気持ちもあった。無理をしていないか、体調は大丈夫か。いつも元気いっぱいの彼女の静かな様子に、私は自然と気を配らずにはいられなかった。
窓の外では、夕陽が校舎の影を長く伸ばし、静かに光を落としている。夏の夕暮れの匂いが、微かに窓から流れ込み、部屋の空気を少しだけひんやりとさせていた。




