VSノクタニアの魔獣 前編
「今からこの場を結界に変える」
魔束彩菜はそう言って、《エスフェリア》を嵌めた指を前に突き出し、静かに呪文 のような言葉を唱えた。
すると次の瞬間、エスフェリアが蒼白い光を放ち始め、彼女の足元を起点にして、 青白い魔法陣が一気に広がっていく。
幾何学模様が淡く、しかし鮮やかに地面に刻まれていく。
光の円環が視界いっぱいに広がり、空間そのものが塗り替えられていく感覚──
そして。
──景色が、変わった。
ほんの一瞬前まで住宅街だったはずの場所が、まったく別の世界に塗り替えられて いた。
空は鈍く濁った灰色。
足元には、ひび割れた石畳。
空気は重たく、肌を刺すように冷たい。
ここはもう、“現実の世界”ではない。そう、体が本能的に訴えてくる。
「な、なにこれ……!? どこだよここ……!」
「“結界空間”よ。魔法で周囲と切り離した、戦闘専用の領域。──こうでもしないと、この町が壊されてしまうから」
「結界? 魔法……? そんなの、現実にあるわけ──!」
喋る指輪。魔法陣。空間の歪み。
目の前で起きていることが、頭では理解できても、心が追いつかない。
(信じられるわけがない。……いや、きっと、信じたくないんだ)
そう思わなければ、きっと──この“日常”が壊れてしまう気がした。
だが。
そんな俺の思考を、容赦なく打ち砕くように──
獣が唸り声を上げて迫ってきた。
どすっ、どすっ──。
肉の塊が地面に叩きつけられるたび、足元が震える。
「結城楓真、逃げて!」
「……わかってる! けど……!」
恐怖と混乱が頭の中で渦巻く。けれど、俺の足は地面に縫い付けられたように動か なかった。
そんな俺の前に、魔束がすっと立ちはだかった。
彼女は木の棒──いや、杖のようなものを手に握り、静かに呟く。
「《リヴェリオ・フィルス》」
空気がびりりと震えた。
次の瞬間、彼女の背後に一本の剣が現れる。眩い光を帯び、魔力そのものを凝縮し たかのような、“光の剣”。
──そして、魔束が動いた。
足元を踏み込み、風を裂くように疾走する。
獣の巨体が咆哮を上げるが、彼女は一切怯まず、光の剣を交差させて跳躍──
ズバッ!!
音すら置き去りにするような鋭い斬撃。
魔力の光が獣の身体を切り裂き、肉の一部が蒸発するように消える。
──しかし
「……チッ。再生能力、か」
裂いたはずの部位が、瞬く間に修復されていく。
「簡単にはいかない相手ね」
魔束の表情は変わらない。だけど、その目だけが──燃えていた。
冷静で、鋭くて、そして……どこか楽しそうでもあった。
(……なんなんだよ、お前……)
あまりに現実離れしている。
でも、これは“現実”なんだ。目の前で起きてる、今この瞬間が。
戦闘は、さらに激しくなっていく。
それを、ただ見つめることしか俺にはできなかった──