監視と契約の朝
──翌朝。
制服のネクタイを適当に締めながら、俺は玄関を出た。
春らしい、少し肌寒い風。
今日もまた、いつもの登校ルート──になるはずだった。
(……いや、“いつも通り”ってわけにはいかないか)
銀髪の転校生。
裏山での不可解な出会い。そして、“鍵の継承者”という意味不明な言葉。
今こうして家を出て歩いているのも、どこか他人事のように思えた。
──そのときだった。
「結城楓真。ちょうどよかったわ」
「うおっ!?」
振り向いた先にいたのは、昨日の張本人。
制服姿の銀髪少女、魔束彩菜がそこにいた。
「な、なんでお前……」
「監視を始めるって言ったでしょう?」
「いや……だからって登校路で待ち伏せかよ...」
「別に待ってたわけじゃない。偶然よ」
「嘘だ」
断言しておく。絶対に偶然じゃない。
そもそもこの道、地元民以外あまり通らない。
「それより、今日は学校で一日あなたの様子を見る。観察対象として」
「観察ってなに。俺はモルモットか」
「違うわ。危険物よ」
「なんだよ危険物って。そもそも俺は昨日の話をまだ信じたわけじゃないからな!?いきなりあんなこと言われて!」
「別に信じなくてもいいわ。これからわかるから」
「なんだよそれ...」
そんな調子で、朝の登校は最悪なものとなった。
言葉を交わせば交わすほど、どんどん距離感が読めなくなる。
けれど──
何も話さないと、それはそれで妙に気まずかった。
教室に入るなり、やっぱり騒ぎは起こった。
「よう楓真、見たぞ見たぞ!あの転校生と登校してきてたよね!?どういうことだよ!」
朝イチで三島慎吾がすっ飛んでくる。
めんどくさい奴に見られたな。
「何言ってんだお前」
「彩奈ちゃんとどういう関係だよ!答えろ!」
「なんでもねえよ!」
「おはよう楓真、なんか朝からラブラブだったみたいじゃん」
圭介までどさくさに紛れてきやがった。
「誰がだよ!」
横にいた魔束は完全スルー。無言で席へ向かっていく。
そんな彼女の様子に、クラスの女子たちもざわつき気味だった。
「ねえ、あの子やっぱキレイすぎじゃない?」「でも話しかけづらくない?」
「……あれ、結城君と一緒に登校してたよね……」
(……まずいな。俺、完全に噂の中心に放り込まれてるやつだ)
どっと疲れが押し寄せる中──
「……おはよ」
声をかけてきたのは、さくらだった。
いつも通り、笑顔を見せながら。でも、どこか微妙に空気が違う。
「お、おはよう。今日も朝練?」
「うん。そっちは……その、一緒に来てたんだね、魔束さんと」
「あー、うん。たまたま……っていうか」
言葉に詰まる俺に、さくらは一瞬だけ目を細めた。
「ふーん。そっか。……まあ、別に気にしてないけどね」
「いや、気にしてるようにしか見えないんだけど」
「気にしてないって言ってるでしょ。そう思うのは楓真の自意識過剰じゃない?」
「うぐっ……」
強烈な一撃を食らったような感覚。
さくらはそう言って自分の席へ戻っていったけど──
(……なんか、いつもより……遠く感じた)
授業中。
黒板の文字が、いつもよりやけにまぶしく感じる。
いや──正確には、“にじんで”見えていた。
(なんだこれ……目がぼやけてる?)
いや違う。視界じゃない。
頭の奥のほうが、熱を持っているような、妙な感覚。
胸の奥もざわざわして、なんでもない授業の声すら、遠くに聞こえる。
(……なんだよこれ。熱……? でも違う。中が、ざわついてる……?)
気づかれないように深呼吸をする。
冷や汗がじわっと背中を伝った。
何かが、俺の中で、動き始めている。
──放課後。
教室を出た俺は、鞄を肩にかけて一人、校門をくぐる。
三島と圭介は部活、さくらはまだ教室。
誰とも目を合わせず、ただ真っすぐ、帰る道を選んだ。
(……結局、あれからずっと体の調子がおかしい)
熱はない。けれど、内側が騒がしい。
自分のものじゃない感覚が、じわじわと心を侵食してくるような──
そのときだった。
「……結城楓真」
背後から声をかけられた。
「っ、うわっ……お前……!」
驚いて振り向くと、そこには魔束彩菜が立っていた。
姿勢も顔色も、朝とまったく変わらない。けれど、その視線だけが鋭くなっていた。
「あなた、今日の授業中。異変を感じたでしょ?」
「何言って」
「答えて!」
「うっ……感じた、っていうか……体の中で何かが動いた、みたいな……」
「それよ。あなたの中にある“鍵の因子”が、動き始めているの」
「……鍵、ね。昨日もその言葉聞いたけど……結局、それってなんなんだよ」
その瞬間、彩菜の左手の指輪が淡く光った。
「我から話そう」
「うおっ、また出たな!」
「何度驚けば気が済むのじゃ、おぬしは。
“鍵”とは、この世界の“理”に触れ、扉を開き、そして閉じることができる力。
おぬしはその継承者。いわば……“世界の均衡に干渉する資格を持つ者”よ」
「いや、急にそんなデカい話されても……!」
「まだ可能性の話だがな。だが現に反応は始まっておる。
この先、おぬしを“狙う奴”が確実に現れるじゃろう」
「“狙う奴”って……それ、なんだよ怪物とかそういう類のものだったりするのか?」
俺の問いに、彩菜は静かに頷いた。
「そう。それも、そう遠くないうちに現れる」
「マジかよ...」
そう言葉を飲み込んだ瞬間だった。
──ズゥンッ……!
地面が、低く鳴った。
「な、なんだ今の音……?」
「来たわ。早かったわね……!」
彩菜の瞳が細くなる。
「結城楓真、下がって」
「ちょっ、待──!」
言い終わるよりも早く、視界の先──街路樹の向こうから“それ”が現れた。
四足とも呼べぬ、ぬめるような奇怪な姿。
肉塊のような体が地面を這い、無数の目玉がこちらを向いていた。
「……なんだ、あれ……っ!」
「“ノクタニアの獣”。見た感じ知性のない使い魔ね。歪みに引き寄せられて来たみたい」
魔束が制服の胸元に手を伸ばす。
「今からこの場を結界に変える」
その瞬間、俺の知っている星ノ宮町の景色が変わったんだ。