VSラグリア 前編
「ねえ、楓真」
歩いていたさくらが、ふいに俺の顔を覗き込んできた。
「……?」
「やっぱり元気ないでしょ? うーん、元気がないというか……ちょっと雰囲気が違う感じ?」
「え?」
「昨日からさ、なんていうのかな……ずっと何か考え込んでるみたいで。顔がちょっと固いし」
「……そ、そうか?」
思わず苦笑いでごまかす。
「さっきも言ったろ……ちょっと寝不足なだけだよ」
「ふーん……本当に?」
さくらの瞳がじっと俺を見てくる。
……鋭い。昔からこういうところは妙に勘がいいんだよな。
「まあ、大丈夫だから。心配すんな」
言葉を濁して前を向き直る──その時だった。
ビリ……と、足元の空気が震えたような感覚が走る。
一瞬だけ、何かが空間の奥で歪んだ気がした。
(……気のせいか?)
そう思った直後──
ビリリッ!
今度ははっきりと空気が軋む音が響いた。
地面に浮かんでいた淡い魔法陣が、一瞬強く輝き、その紋様が拡大しながら急速に広がっていく。
「なっ──!?」
気づいた時にはもう遅かった。
周囲の景色が、まるで水面に石を投げ込んだように波紋を描き、歪み始める。
「楓真!? これ──」
さくらの声が揺れる。
「下がれ!」
俺は思わずさくらの腕を掴み、自分の背後へ引き寄せた。
空間全体がぐにゃりと歪むと同時に、現世が切断されるように音が消えた。
人の声も、車の音も、風の音も──何もかもが途絶え、まるで閉じられた異空間に押し込められたような静寂に包まれる。
──結界だ。
あの時、魔束が作ったものに似ている。けれど、これはあいつのものじゃない。
「楓真……ここ、どこ……?」
さくらが怯えた声で俺にしがみつく。
だが──空間の中心、淡い紫色の光の渦の中から、誰かの気配が現れた。
──女だった。
高いヒールのブーツが音を立て、ゆっくりと姿を現す。
肩まで流れるダークパープルの髪に、艶やかな黒と赤の衣装。
手には細短剣を持っている。
瞳は妖しく赤く輝き、唇にはわずかな嗜虐の笑みを浮かべている。
「ふふ……やっと捕まえたわ、“鍵”の少年」
「……っ!?」
“鍵”という言葉に、背筋が凍る。
俺のことを狙っている──間違いなく。
「あんた、何者だ……!」
ゆっくりと微笑みながら、女は一礼にも似た仕草をする。
「自己紹介? そうね──私はラグリア。あの方に仕える執行者、というべきかしら」
あの方──
誰のことなのかは分からない。ただ、その言葉に込められた異様な忠誠心だけが伝わってくる。
ラグリアは艶やかな唇に冷たい微笑を浮かべたまま、さらに言葉を重ねる。
「あなたを持ち帰ればあの方が喜んでくれる。
まあ**あの方が必要としているのは、あなたではなく……あなたの中にある“それ”**なんだけど」
「“それ”……?」
それとは──鍵のことか?
俺は無意識に自分の胸元を押さえた。まるでそこに何かが宿っているかのように。
「ふふ。さあ私があの方のところまで連れて行ってあげるわ──」
そういうとラグリアは持っていた短剣を軽く横に払った。
その動きに呼応するように、彼女の周囲に淡い紫黒の魔力が渦を巻く。
「ただその前に少し遊びましょ。“鍵”の器として、どれほどのものか見てみたいの──」
空中に浮かぶ黒い光弾が、いくつも現れる。
まるで毒針のように鋭く細長いそれが、ヒュンと音を立てて放たれた。
「くっ……!」
俺は咄嗟に隣のさくらを抱き寄せ、背中を向ける形で覆いかぶさる。
光弾は俺たちのすぐ背後の地面に突き刺さり、鋭い破裂音と共に火花を散らした。
「──キャッ!」
さくらの悲鳴。
間近で炸裂した衝撃に、彼女はバランスを崩し、そのまま俺の腕の中でぐったりと意識を失った。
「さくら……っ!」
呼びかけても返事はない。
ただ小さく呼吸しているのが、せめてもの救いだった。
「……ふふ。今のはあくまで軽い挨拶よ?」
ラグリアは面白がるように微笑んでいる。
──マズい。
俺にはこの状況を打開する術なんて、何もない。
胸ポケットに手を入れて──小さくなったルクス=ブレードをそっと握った。
震える手を押さえながら、必死に立っている自分が情けなかった。
「さて──次は少しだけ本気を──」
その瞬間だった。
「──《ライトニングシュート》!」
ラグリアの背後上空に突如、淡い蒼光の魔法陣が広がり、光の刃が空間を割った。そしてそこに現れたのは──銀髪の少女、魔束彩菜だった。
「結城楓真はやらせないわ!ノクタニア!」
風に揺れる銀髪。鋭い青紫の瞳がラグリアを真っ直ぐに射抜く。
「おや……これはこれは。守護役のお出ましか。でも遅いんじゃない?」
「……この空間内の魔力を感知するのに少しかかっただけよ」
彩菜は静かに言い放ち、左手の指輪が淡く輝きを放つ。
「結城楓真、下がってて!」
「……っ、わかった」
俺は気を失ったさくらを抱えながら、そっと後退した。
結界の中央に対峙する二人の魔法使い。
緊張感が、再び張り詰めていく──。




