スカーレット・デヴォンシャー(後編)
騒がしい一日目の休息日を終え、翌日になった。
今日は二日目の休息日で、婚約者であるルーカス様とデートである。昨日と異なり、騒がしくはないが、心は落ち着かない。
銀色の髪に、紫色の瞳をした麗しの王子であるルーカス様が、お忍び用であっても、豪華な馬車に乗って、我が家にやってきた。ルーカス様は、子供の頃は、王族の高貴な雰囲気を持つ中性的な美形であったが、成長するに従って、男性の逞しさも身に付けられている。
私が出迎えると、ルーカス様は王族独特の輝く笑みを浮かべ、それだけで、周囲が華やいだ雰囲気になった。
「やあ、スカーレット、会えて嬉しいよ」
「恐れ入ります」
昨日まで外交の経験を積むため、隣国へ行かれていたというのに、ゆっくりしたいという気持ちを欠片も見せず、本心からそう思っているというように、その言葉を出せるのがすごい。
「今日も凛と咲くバラのように美しいね」
「ありがとうございます」
ルーカス様の方がずっと花々も恥じらう美貌であるのに、悪役顔のこの気の強さばかり目に付く私に、やはり本心からそう思っているというように、その言葉を出せるのがすごい。
「昨日は友人達と楽しく過ごしたようだね」
「えっ、何故それを……」
「勿論、婚約者の君のことは報告を受けているよ」
こんなちょっとした日常のことまで……? 取り戻した記憶では、ルーカス様は私に無関心だったはずだ。いや、それとも、実はゲームでも、私が婚約破棄の瑕疵となりそうなことがないか見張っていたということなのだろうか。
「昨日も会いに来たかったところだけど、誰かのせいで、邪魔もあったし。今日は婚約者同士、水入らずで懇親を深めよう。愛しているよ」
――呆然としている間に続けられた、甘い直球の言葉に、もう内心で突っ込むこともできない。
私の知る前世のゲームの世界と比べ、違和感があることは色々だが、最たるものが、婚約者であるルーカス王子と言ってもいいかもしれない。めちゃくちゃストレートに愛を囁いてくださる……。
記憶を取り戻してしばらくこそ、この世界の筋書き通り、悪役令嬢として、付きまといとか贈り物攻撃とかを続けてみたけれど、殿下はこちらが驚くぐらいの熱量で向き合ってくださるので、気が引けてしまい、このところは受け身になってしまっている。
うまく悪役令嬢を演じられていないとなると、現状は、当然と言えば当然かもしれないですわよね! 王家の身分やお金に執着してこないのであれば、普通の婚約者ですわよね! 王家と公爵家の合意で結ばれた婚約で、婚約者に冷たくする理由もありませんわよね!!
ルーカス様に促されるまま、馬車に向かった。エスコートを受け、私が先に乗り込むと、ルーカス様が私の隣に座った。本来であれば、悪役令嬢として、ルーカス様にしなだれかかって、金の掛かった贈り物をしたり、逆に何かをねだったり。悪役令嬢を演じると覚悟したなら、そうすべきだ。
しかし、隣にいるルーカス様を見上げると、ルーカス様は熱を持った瞳で、私を見ていた。その視線の熱さに、何だか取って食われてしまいそうな心地になり、迫ることもできず、身を竦ませた。
思い出したゲームの世界では、散財系悪役令嬢である私は、ルーカス王子に婚約者として、誰よりも尊重することを求める一方、王族として誇りを持ち、公平を重んじるルーカス王子は、高慢で浪費家の私を冷ややかに見ていたはずなのだが……。やはり、悪役令嬢をうまく演じられていないことが影響しているのだろうか……。
私を見て、ルーカス様は楽しそうに笑った。
「今日は買い物をしよう。学園で、新入生歓迎のパーティーがあるだろう。その時のために、スカーレットに贈り物をしたいと思って」
「まあ、恐れ入ります……」
「遠慮せず、好きな物を選んでくれ。贈り物は、長く使ってほしいからね」
眩しい笑顔を前に思う。ルーカス様はスカーレットへの態度だけでなく、他にもおかしい。何というか明るい。
ゲームの中でルーカス様は、自らの出自に自負を持ち、自制的で、重圧にも耐え、周囲の期待に十分応え、自分がこの国の王子であるという自覚は十分にあるものの、一人の人間と実感することがなかった。そして、自分のことを王子ではなく、一人の人間として見てくれるヒロインに出会って、恋に落ちていたはず。
でも、目の前のルーカス様は朗らかに笑い、婚約者との触れ合いを楽しんでいるように見える。演技かもしれないが……。二年後の卒業式で、婚約破棄されるはずなのだけど……。
考え込んでいる間に、馬車が止まった。目的地に着いたということなのだろう。ルーカス様に再びエスコートされ、馬車から下りると、王家御用達のジュエリーショップだった……。
この店にあるのは、高級品ばかりだろう。更に、二年後に婚約破棄され、今日、何か買ってもらっても無駄になることを知っている。世間のことを学ぶにつれ、お金の大事さを覚えるようになった私は、怖気づいて、店に入る前から涙目になった……。
店に入ると、準備がいいことに、予め、いくつかのジュエリーをルーカス様が選んでいたらしく、すぐに宝石を見せられた。どれも宝石が大きくて、輝度もあり、つまり、高そうだった。
ルーカス様から贈り物を貰うことはあったが、宝石はこれまで重過ぎて、なんとか贈られないように逃げてきた。なのに、初めて贈られるものがこれって……。贈られるにしても、せめて、何とかもう少し質素な物にできないだろうか……。
縋るように、ジュエリーショップの支配人の男性に聞いた。
「……これだけですか?」
「勿論、他もございます!」
支配人は、私の言葉を聞くと、目を輝かせて、引き返して行った。
異を唱えたのに、何故、そんな反応をするのかと考え、『今、出されたジュエリーでは物足りない』と解釈された可能性があることに気が付いた。ち、違う。逆なのに……。
想像は当たっていて、戻って来た支配人は、プラチナをベースに、バイオレットサファイアの周囲にダイヤがいくつも埋め込まれた豪華な指輪、つまり、これまでより更に高そうなジュエリーを持っていた。私に向かって、ニッコリと微笑んだ。
「流石、お目が高い」
支配人やジュエリーショップの店員は生き生きしていて、ルーカス様は何を考えているか分からない笑みを浮かべている。
贅沢過ぎると断ろうとした瞬間、ハッと、それは『スカーレット・デヴォンシャー』らしい行動だろうかと疑問が浮かんだ。
この数年、ルーカス様に婚約者として何かを求めることも、贈り物攻撃もしてこなかった。ゲームが始まった今、悪役令嬢として物語を軌道修正するなら、今が最後のチャンスなのでは……?
「あ、あら、殿下……。とっても素敵ですこと!」
ルーカス様は笑顔を崩さず、じっとこちらを見ていた。心を決めたものの、震えそうになる声を抑えて、高飛車に言った。
「わ、私に相応しい、わ、悪くない贈り物ですわね!」
手と足が震える。高過ぎる買い物の前って、きっと、こんな感じ。これも、私のお金では買わないけれど、それでも怖い。
私の言葉を聞き、目をますます輝かせた支配人と店員が、ルーカス様を見た。私も、ルーカス様の反応を恐々と確認する。皆の視線が集まる中、唇に綺麗な弧を描きながら、ルーカス様は落ち着いた口調で言った。
「私がこれを求めるとすると、血税からだ」
その言葉に、何処かホッとした。ルーカス様は、婚約者への贈り物としても贅沢過ぎると判断したようだ。
店を出てから、「欲しかったのに」とでも文句を言えば、きっと十分、私のことは我が儘な散財系悪役令嬢として印象付けられる。物語の軌道修正もできるだろう。
しかし、私や周囲の予想に反し、ルーカス様は宣言した。
「昨日、隣国との貿易協定を結んできた。その褒美を父である国王から認められて、君への贈り物を求める許可を取ってきた。
この指輪を、喜んで君に贈る。今後も、君を幸福にすること、そして、この指輪を君に贈ることを、この国の皆に祝福されるくらい、この国を良くしていくと誓ってだ」
その言葉を聞き、青褪めた。国王陛下からの褒美はご自身のためにお使いください。そして、そんな重い指輪、要らないいいいいい……!!
しかし、支配人と店員はルーカス様と私を持て囃した。
「ルーカス殿下の国を想う気持ち、我々も嬉しく思いますわ」
「スカーレット様、愛されていらっしゃるのですね」
支配人は指輪を包ませるため、店員に渡してから、ルーカス様を嬉しそうに見た。
「ルーカス殿下にはなかなか当店の品を選んでもらえなくて、もどかしい思いをしましたが、ようやく初めてお求めいただき、光栄に思います」
ルーカス様ははにかんだ笑みを浮かべた。
「初代王にあやかり、装飾品は生涯を誓う人だけに贈ると決めていた」
えっ、そうなの? 初耳なんですけど……! ヒロインが現れたら、物語終盤のイベントで必要なプレゼントのアクセサリーはどうするの……?!
こちらの焦りなど気にも留めず、ルーカス様が輝く笑顔でこちらを見た。
「王家の威信と私の愛をかけて、君との結婚を必ず成し遂げるという決意で贈るよ」
そんなもの勝手にかけて欲しくない……!
「殿下!! やっぱり――」
「『やっぱり、やめます』なんて言わないでくれよ。愛おしい婚約者の願いを叶える甲斐性がないとは思われたくない」
「私、心を改めました。どうか、どうか、おやめくださ――」
しかし、ルーカス様は私の言葉を聞くことはなく、思い出したように支配人を見た。
「そうだ。指輪に名前を彫ってくれ。今すぐに」
名前が彫られては、指輪を返すなど到底できない。半泣きになりながら、青い顔をした私は、屋敷に帰って、ヨハンに顛末を吐かされた。
「姉様の馬鹿! 何でそんな物受け取る約束をしたんだ!!」
「だって、だって……」
しょんぼりとする私に、ヨハンが言った。
「姉様、殿下に贈り物はしても、何かを受け取ることは避けようとしていたし、殿下との婚約にあまり前向きではないみたいだから、もっと姉様が希望する方向に、何とかできないかと思っていたのに……」
「えっ……。そうでしたの……?」
「そうだよ。母様とシャーロットもだよ。クランベルとアンナは姉様がどこに行ってもついて行くつもりみたいだけど」
ルーカス様とは幼い頃から知る仲だが、出会った時から、王家としての役割を真摯に受け止め、立派だと思っている。尊敬も敬愛もしている。幸せになって欲しいと思っている。
でも、私がうまくルーカス様に迫れないことで、この世界の物語に変な影響を与えているのかもしれないとは思っていた。それどころか、ヨハンや周囲にも、こんな心配をさせてしまうなんて……。
「あ、あの、私は殿下との婚約に前向きではなかったかもしれないけれど、それは、嫌というわけではなく、その、きっと殿下には他の方との方が幸せになれるのではないかというだけで……」
「殿下が姉様以外の誰かを望むはずないだろう……。あれだけ、いつもネチネチ、姉様を囲い込もうとしているんだから……」
オロオロしながら弁解する私に、ヨハンは吐き捨てるみたいに言った後、続けた。
「殿下も殿下だ。姉様が及び腰だってことくらい分かるはずなのに、空気も読まず、距離を詰めて……」
私が悪役令嬢として上手く振る舞えなかったせいで、物語が破綻しているような気はしていたけれど、やはりそうなのか。ここからどうすれば、本来の物語に戻せるのか。……いや、そもそも私がしたかったことは、本来の物語を実現することなのだろうか。
あああああ、分からない……!
頭を抱えていると、ノックされ、ヨハンがドアを開けると、引きつった顔をした義母がいた。
「母様、暗い顔をしてどうかした?」
「……スカーレット、王家から贈り物が届いていますよ」
義母に呼ばれて行った先には、ルーカス様の髪色と同じ銀色の光沢の美しい布地に、ルーカス様の瞳と同じ紫色の糸で見事な刺繍が刺されたドレスと、今日、貰った指輪に負けず劣らずの豪華な首飾りと耳飾りがあった。
煌びやかなドレスと装飾品を前に、義母が教えてくれた。
「王妃陛下御用達ブティックで誂えたドレス、そして、国王陛下から譲られた、英雄王エドワード五世が生涯愛した妻に捧げたという首飾りと耳飾りだそうよ」
更に、執事が言い添えた。
「ルーカス殿下から、新入生歓迎パーティーではスカーレット様にこちらを着てほしいと言付かっております」
ヨハンがドン引きした。
「何、この贈り物……。今度予定されているのって新入生歓迎パーティーだよね? 披露宴じゃないよね? 絶対、姉様を王家に嫁がせるという圧がすごいんだけど……」
豪華絢爛で重厚なドレスと首飾りと耳飾りを見つめたまま、思う。
これを売り払えば、ルーカス様も私に愛想をつかすかもしれない。これをぞんざいに扱えば、国中から呆れられるかもしれない。
でも、私には無理――
ゲームの最初の強制イベントである新入生歓迎パーティーで、物理的にも精神的にも重い装飾品とドレスを纏った私は、ヒロインさんと物陰で対峙していた。
新入生歓迎パーティーでは、ヒロインさんは履いていた靴が合わず、攻略対象に助けてもらうというイベントが発生するはずだった。しかし、イベントが進んでおらず、攻略対象が誰もヒロインさんの靴擦れに気付いていなかったので、アンナにこっそり靴を届けさせた。そのことで、転生者であったヒロインさんは、私も転生者だとピンときたらしい。
「あんた、転生者?」
「ええと、多分そうですわ」
「多分って何よ」
「前世の記憶と思われるものが頭に入ってきて、この世界が乙女ゲームの世界だと知りました。でも、知識だけというか、前世の人生は覚えていないので……」
「そんな微妙な違い、どうでもいいわよ!」
ピンクブロンドの髪に柔らかな水色の瞳をしたヒロインさんは、私を詰った。
「おかしいと思ったのよ。学園に入学しても、イベントは全然発生しないし、今日、ようやく発生したと思ったら、助けに来るのは悪役令嬢だし……。
記憶を取り戻して、悪役令嬢ではなく私に成り代わり、無双することにしたのね。まさか、逆ハーレム狙い?!」
「まっ、まさか。そんなつもりは……。むしろ、悪役令嬢の運命を受け入れ、目指したのは断罪後のスローライフだったというか……」
「これだけ引っ掻き回して、どこがよ!!」
丸い瞳にふわふわの頬っぺたの可愛らしいヒロインさんが、私に食ってかかってきた。でも、毅然と答えた。ここ数日考え抜いた結論だった。
「ええ、仰る通りですわ。でも、物語とは違いますが、私、覚悟を決めましたの! 私、ヒロインさんではありませんが、ここで幸せになります。公爵家には迷惑を掛けませんし、仲良くしてくれているシャーロットとクランベルとアンナを社会から冷遇させませんし、ピエールには自由に絵を描かせますし、商会との取引も続けますし、殿下を幸せにします! この場所は譲りません!!」
ヒロインさんがぐっと言葉に詰まった。物語と反してでも、自分の意見をヒロインさんに伝えられたことにホッとした。少し目線を落としたことで、手元にある指輪が目に入り、ルーカス王子の姿が頭に浮かんだ。
「それに、この指輪を贈られるくらいには、殿下もどうしても私がいいと仰るので……。私も決して嫌というわけではありませんし……」
「腹立つわ。どこにノロケ挟んでんのよ」
私が頬を赤らめてしまったのを、ヒロインさんが冷ややかな目で見てきたので、コホンと咳払いをする。
「そんなわけで、ヒロインさんがまだ殿下を好きになる前なら、穏便に話し合えるとありがたいのですが――」
「スカーレット、何をしているんだい?」
凛とした声が響き、振り返ると、クランベル、クランベルの兄で未来の騎士団長とも名高いフェルディナンド、シャーロット、シャーロットの信奉者であり、宰相の息子であり、我々と同級生のカール、ヨハン、そして、ルーカス様がいた。
恐らく、ヒロインさんと私の不穏な空気を察したアンナの仕業だろう……。
皆にニコッと笑い掛け、ヒロインさんの腕を組んだ。
「あら、皆様、お揃いで。私達、仲良しになったのですわ」
「はあ? だれが……」
私のドレスを掴みながら、不服そうにするヒロインさんを、超小声で咎めた。
「いいから、話を合わせなさいませ! 今の私は王家から贈られた装飾品とドレスを身につけていて、ルーカス様も皆も、貴女にケチをつけ放題ですのよ! 今、貴女が断罪の危機ですのよ!!」
それを聞き、ヒロインさんは顔をぴくぴくさせながら、引きつった笑顔を浮かべた。
「スカーレット様に助けていただいたので、お礼を申し上げておりました」
「そう」
ルーカス様や皆は、ヒロインさんを一瞬だけ冷ややかな目で見た後、私に向かって、いつもの優しい微笑みを向けた。しかし、目は笑っておらず、真偽を確かめようとしているみたいだった。
「スカーレット、出会ったばかりの同級生の異変に気付き、更に仲良くなったというのは本当?」
ヤケクソで、胸を張って言った。
「ええ、勿論ですわ。出会ったばかりであったって、同級生の異変には気付きますし、仲良くもなりますわ。私を誰だとお思いですか? スカーレット・デヴォンシャーですわよ!」
◇◇◇◇◇
その後、私達は平穏で楽しい学園生活を送り、卒業を迎えた。
卒業後、ヒロインさんは「ヒロインに転生したからには、逆ハーレムを築いて、不幸な男達を全員救ってハッピーにするつもりだったのに。悪役令嬢が既に問題解決している王都で、私がすることなんてないね。あばよ!」と王都を離れた。
そして、噂で聞くところによると、ヒロインさんは人里離れた森でカフェを開き、噂には英雄や聖獣も立ち寄るという人気店となったという。それ、記憶を取り戻した直後に、私が目標にしていたこと……。人生は奇なり……。
とはいえ、ヒロインさんが開くカフェでは、謎の茶色の半固形の調味料を使った料理が評判だと聞くので、いつか、こっそりと食べに行きたいと思う。私の予想では、謎の調味料は、多分、味噌。