最後に通帳を持った者
桜井刑事はイライラしていた。署へ戻る頃には腹を立てていたと言ってもいい。
「何なんだあの人達は!あの兄弟姉妹は!母親の死を悲しむどころか、 "任せていた"、"関わりたくない"、"面倒はごめんだ"とまるで他人事だ。終いには "遺産を貰ってないから面倒を見ない" ときたもんだ!実の子より" タエちゃん" の方がよっぽど優しく感じられる!」
「…感情持っちゃいかんな」
矢野刑事が机で頬杖をつき、窓の外を見ながらポツリと言った。
驚いた桜井刑事が振り返った。
「は、はい...スイマセン」
桜井刑事はドキッとしてすぐに謝罪の言葉を口にした。矢野刑事は独り言でも言うように話し出した。
「結婚して家庭を持つと、一番大事な人が親から妻や夫になる。更に子供が生まれると子供が一番大事になる。だからといって親が大事じゃなくなるわけじゃない。家庭を一生懸命守っていくうちに余裕がなくなっていくんだ。お金の面でも、身体の面でも、精神的にも…」
桜井刑事は口を真一文字に結んだ。
「この前見た時代劇でなぁ、『兄弟は他人の始まり』って台詞があった。親と子は...人によるのかな…」
矢野刑事は、思いにふけりながら呟いた。
「なあお前、誰が一番動機があると思う?」
桜井刑事は真面目な顔をして答えた。
「自分は、志津を調べるべきだと思います」
「あれ?山村さんちの所にタクシー止まってますね」
桜井刑事が指差した。タクシーは道路沿いの山村宅の裏の所に止めてある。あの三人の老人が手を合わせていた場所だ。
「ちょっとこの辺で様子見てみようか」
矢野刑事は停止を命じ、少し離れたところから様子を伺った。
「タクシーの運転手もいませんね」
通常、タクシーが乗客を乗せてきたら、そのまま運転手は待機しているものだが、誰も乗っていなかった。五分ばかり経った頃、七十代位の女性と中年の男性が山村宅から出てきた。どうやら中年男性は運転手らしい。後部座席に女性を乗せ走り出して行った。
二人の刑事を乗せた車は静かに前へ進み、先程タクシーが止めてあった場所まで来て停車した。すぐ脇に山村宅の窓がある。
「この窓、フミさんの部屋の窓だな」
矢野刑事は立ち止まり、その窓を眺めた。矢野刑事の肩の辺りに窓のさんがあたる。老人達は手を伸ばし、背伸びして差し入れ物を渡したのだろう。
二人は車を離れ、玄関へ向かった。
「ごめんくださーい、こんにちはー』
家の中へ声をかけると、誠一が出てきた。
「はーい、あ...」
誠一が言葉に詰まった。急に刑事が来て緊張したらしい。
「突然すいません。先日はどうも。あれから何か思い出されましたか?」
矢野刑事は朗らかに言ってみせた。
「あ、いや、何も...」
誠一は戸惑いながら答えた。
「先日、山村誠次さんと平野清子さんにお話を聞きに行って来ました」
誠一はハッとした様子で
「それは遠いどこ、ご苦労さんでした。何か言ってましたか?」
と問いかけた。
「特にこれと言ったものは。誠一さんや誠さんが話したことと大体同じでした」
「あぁ、そうですか...」
「ところで、」
矢野刑事が本題とばかりに声のトーンを上げた。
「さっきタクシー止まってたようですが、どなたが?」
誠一がなんともないことのように
「タエちゃんとケンが畑の野菜を...」
と言いかけた時、矢野刑事と桜井刑事は二人して目を大きく開け「あ!」と声を上げた。
「あの方が "タエちゃん" !」
誠一はニッコリ微笑んだ。
「んです。タエちゃんと息子のケンジです」
二人の刑事は、山村フミに関わりあいのある人々に話を聞くうちに "タエちゃん" という人物が気になっていた。そしてさっき見かけた女性がその "タエちゃん" と知ると、まるで芸能人とすれ違ったことに後から気付いたような、なんとも不思議な感覚になった。それはフミの子供達から"タエちゃん" に対して愛情のようなものを感じ取っていたからだった。
そして二人の刑事は、山村フミの預金通帳を最後に持っていたという山村誠一の長女 斎藤百合に話を聞くため、勤務先の『O町民芸品観光センター』へ向かった。
民芸品観光センターの所長だという、白い髭を蓄え、眼鏡をかけた老人に応接室へ案内された。
「ああ、んですか。"丸誠" のフミばあの事ですか。さぁさどうぞ、どうぞ。今百合ちゃん呼んでくっから」
「山村フミさんをご存知で?」
矢野刑事の問いに、所長は寂しそうに答えた。
「この町で知らねぇ年寄りはいねぇです。みんな"丸誠"に世話になったもんばかりです。この町の年寄りは皆、フミばあの事に心痛めてます」
「"フミばあ"と呼ばれてるんですか?」
「昔、丸誠で駄菓子も売ってたんで、子供達がそう呼んでたんですわ。その子らも今ではいい大人です」
そう言って、所長は少し微笑んでドアを閉めた。
少しすると、ノックがして一人の女性が入ってきた。
「斎藤百合です」
百合は面長でショートカットがよく似合い、少し誠一に雰囲気が似てる三十代後半の女性だった。姉妹がおり、下に早苗という名の妹が、東京で美容師をしていると言った。百合は長女ということだった。
「『斎藤』ということはお嫁に出たんですね?」
「はい」
「家を継がなかったのは何故です?」
「夫が "丸誠の婿" と呼ばれるのが嫌だったからです。それだけです」
百合は本当に嫌そうに答えた。矢野刑事が誠次の話を思い出し、聞いた。
「家を出ることを、よく許されましたね?」
「亡くなった祖父が許してくれました。私、"おじいちゃん子" だったので。でも結局、私が嫁に行ったのに、夫はこの辺の年寄りに "丸誠の婿" と言われるんです」
百合はそう言うと、溜め息を吐いて迷惑そうに答えた。百合の夫は役場で働いているが、丸誠商店の破綻を受けてから、I市内へ転属を願い出てるらしい。それが叶えば百合もここを辞めると言った。
「フミさんの預金通帳を持っていたそうですね?」
「はい」
「それはどうしてですか?」
百合は思い出すのも嫌そうに眉間にシワを寄せた。
「始めは親の借金返済に使わせてもらう為でしたが、家や土地を取られてからは、親の生活費に充てようとしてました」
「フミさんの恩給ですよね?フミさんは了解したんですか?」
百合はムッとして答えた。
「一応、断りはしました。元々、祖母の時代から続いた借金が元凶だったので」
刑事二人は緑の話を思い出したが、それを口にするのは避けた。
「何故父親の誠一さんや母親の志津さんではなく、あなたが持つことになったんですか?」
「I市の叔母に、『母にやるなら渡さない』と言われたからです」
ふて腐れたように話す百合を見ながら、矢野刑事が言った。
「お母さんの志津さんが言ったことと、印象が違うようですが?」
すると百合はうなだれるように下を向き、また溜め息をついてから顔を上げ答えた。
「母は、お金の管理が上手くないんです。だから週に一度、一週間分のお金を渡すようにしてました。でも、祖母が亡くなって、それも厳しくなってきたので、同居しなくちゃいけないかなと考えてるところです」
そして、黒い小瓶の心当たりと、当日訪問したかを質問したが、どれも答えはNOだった。
「生命保険などは掛けてましたか?」
「保険かける余裕なんてありませんでした。だから祖母が亡くなっても入るお金なんかありません」
「そうですか。フミさんは認知症でしたか?」
「はい」
「どのような症状でしたか?」
「嘘をつくし、感情の起伏が激しいし。耳が遠いから話を理解してないのかと思うこともしばしばでした」
「嘘とはどんな嘘を?」
「母に叩かれるとか、お金取られるとか。食べさせてもらえないとか。本当に大変でした。嫁いびりのようでした」
淡々と答える百合とは対照的に、刑事二人は重苦しさを感じてきた。
「いつから症状が表れましたか?」
「祖父が亡くなってからです。祖父がいた頃は本当にいいおばあちゃんでした」
二人の刑事は、なんともやりきれない思いになった。