プロローグ
この光景を、どう理解すれば良い?
「…………は?」
「!? な、澪!? お前今日は会食で遅くなるって、」
「先方の都合でリスケされたの。……で? あなたは何をしていたのかしら?」
ここは私の部屋。
二十七歳にして、付き合って四年になる恋人と同棲している部屋。しかも数週間後には結婚式が控えていて、彼は婚約者でもある。
私は婚約者と一緒に暮らしている部屋に、仕事を終えて帰宅しただけ。それなのに、目の前にはベッドから飛び起きて慌てて服を着る婚約者の宏人。……と、もう一人。
「ああごめんなさい。あなたたちと聞くべきね」
まだベッドの上にいる女性にも聞こえるように声を張る。しかし、その女性は顔を見せず、宏人が答えた。
「違うんだ! これは、その。なんというか……!」
ドラマでよく聞く台詞を、まさか自分が聞くことになるとは思わなかった。
けれど、青ざめた顔で言い訳をしようとする彼はひどく滑稽で、自分は思ったよりも冷静だった。
ベッドに裸の男女。
この状況は明らかに、事後だろう。
むしろこの状況で言い訳ができると思っている方が訳が分からない。
「……っ」
浮気された悔しさからか、私が何も言えずに唇をぐっと噛みしめていたところ、未だベッドに裸でいた女性が口を開いた。
「ていうか、悪いのはそっちもでしょ?」
「お、おいエリ」
「ヒロくんいつも言ってたじゃん。彼女が仕事ばっかりで全然相手してくれないって。同棲してからはデートも減って、家の中ではオシャレもしないし、最近は女に見えなくなって困ってるって」
宏人の抑制虚しく、エリと呼ばれた女はペラペラと話し始める。
「それでも付き合って長いから責任取って結婚はしようとしてくれてるんだよ? あなたはヒロくんに感謝してあげなきゃ。それで、あなたが相手してあげなかったんだから浮気くらい許してあげなよ」
「…………は?」
私は今、浮気相手に責められている……の?
浮気現場をおさえたこの瞬間に、裸の浮気相手が開き直ってこちらを責めてくるって……そんな意味が分からないことある?
しかもどう見たって、相手は私よりずっと年下でもあるのに。
「エリは黙っててくれ!」
「えー。エリ間違ったこと言ってなくない?」
「そういうことじゃなくて! 今はとりあえず謝らないと、」
「“とりあえず”……?」
私は、宏人が慌てて口にした一言に引っ掛かりを覚えてしまった。それに彼は、エリの言葉を否定していないのだ。
……ああそう。そういうこと。
「つまり、そちらのエリさんが言った話は本当で、私が悪いってこと?」
「いや、う……。澪、一旦エリを帰すから二人で話を、」
「いいえ結構」
私の気持ちは、もう氷点下まで冷え切ってしまったから。
これからどんなに言い訳を並べられても、多分もう元に戻すことはできない。
「出て行って。エリさんだけじゃなく、あなたも」
「澪……!」
「もちろん、婚約は破棄させていただきます。式場には私からキャンセルの連絡をするので、キャンセル費は全額そちらが負担してくださいね」
自然と口調が敬語へと変化していた。
このときから、宏人はもう私の中で婚約者から他人に移り変わったのだと思う。
「それから慰謝料はあなたとそちらのエリさん両方に請求しますのでそのつもりで」
「ええ!? エリそんなお金ない!!」
そんなもの、知ったこっちゃない。
「お互いの両親には、それぞれが報告しましょう。……自分の浮気が原因だと、そちらのご両親にもきちんと伝えてくださいね」
「澪……! 俺が悪かった! だから、」
「あとこの部屋は私の名義なので、即刻出て行ってください」
「で、でも荷物とか!」
「後でぜーんぶ、あなたの実家宛に、着払いで送ってあげますから、ご心配なく」
送料すらも負担してやるもんか。
しかも、後で取りに来るとかそんな、後日会う予定だって残したくない。
今日この場で、この人と会うのは最後にしたい。
「じゃ、出て行ってくれますか? もう同じ空気を吸っていたくもないので」
私は、最後まで笑顔で、二人を玄関へ誘導する。
今はもう何を話しても無駄だと理解したのか、宏人は渋々動き始め、エリにも服を着せて二人で部屋を出て行った。
玄関の扉がパタンと閉まった音を聞くや否や、私はキッチンへ一直線に向かい、冷蔵庫からよく冷えたビール缶を取り出す。そして、プシュッという心地よい音を立てながらプルタブを開け、勢いよくビールを喉の奥へと注ぎ込んだ。
……こんな展開、飲まなきゃやってられない。
結婚式の数週間前に婚約者に浮気され、その上浮気相手からは私が悪いのだと責められて。
浮気された側の私が、どうしてこんな惨めな思いをさせられるのか。
怒りなのか、憎しみなのか、悲しみなのか。
なんとも表現し難い感情が心の中で押し寄せて、気づけば冷蔵庫にあるだけのお酒を全て飲んでしまっていた。そうしていつの間にか眠ってしまった、そんな夜。
─────目を覚ますと、またしても理解できない光景が広がっていた。
「…………?」
虚ろな目で辺りを見渡すと、テレビで見たヨーロッパのお城のような華美な内装と、自分を取り囲むように立っているたくさんの人。それから目の前には、金髪碧眼のいかにも王子様みたいな格好でキラキラと輝いている青年。
「成功したのか!?」
「はい。そのようでございます」
「よくやった!」
王子様のような青年が、神父様のような格好をしたお爺さんとそんな会話をしている。
「さて、では聖女の顔を見せてもらおう……う、酒くさ」
近寄ってきた青年にそう言われ、私はハッとして慌てて口を覆う。
そりゃ寝る前にあれだけ飲めばお酒の匂いは致し方ないだろう。とは言え初対面の人に「酒くさい」と言われるのは少しショックである。
「聖女なのに酒を飲むのか?」
さっきから『聖女』と呼ばれている気がするが、私のことだろうか。
「聖女様の元いた世界では当たり前なのかもしれません」
「ふむ……。余は酒くさい女はあまり好きではない。それにこの女……見た目もパッとせずなかなかに地味ではないか。でもまあ仕方ない。召喚されし聖女よ、光栄に思うが良い!」
酒くさい女とか見た目もパッとせず地味だとか初対面から失礼な青年。
しかし間違いなく、青年は私に向かって言っている。
……召喚されし聖女?
「そなたを余の四番目の妃としてやろう!」
この青年が何故こんなに偉そうなのか、という疑問は一旦置いておき、とりあえずは今、言われたことに対しての返事だけしておこう。
「お断りします」
……こうして私の、異世界での生活が幕を開けたのだった。
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