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魔女達の支配者

 「……また、魔女がいなくなったってよ」

 「マジか? もう何件目だよ?」

 「裏で何かの組織が動いているって話だぜ。さらった魔女を売買しているとかなんとか」

 「俺は魔女解放同盟みたいな組織があるって聞いたがな」

 「まぁ、どちらにしろ、俺らみたいな庶民には関係ない話さ……」

 「……だな。セルフリッジの旦那辺りは、心配をしているかもしれないが」

 

 街の住人達が噂し合っている。

 ここ最近、富豪や権力者達によって使役されている魔女達が失踪する事件が相次いでいるのだ。いなくなった魔女達が逃げたのかさらわれたのかは不明だが、数の多さからいって少なくとも何者かが関与しているのはほぼ確実だろうと思われた。

 被害に遭った富豪達は、いずれも魔女達を巧みに使って富や権力を得ている事で有名だった。だからこそ狙われたのだろう。

 もし仮に、魔女を闇ルートで売買する組織が犯人だったなら、それら富豪達の所有する魔女達は扱い易い上に高い能力を持っているのだろうから商品価値が高く、魔女解放同盟が犯人だったなら、それら魔女達は富豪達から酷使されている可能性が高いから救い出さなくてはならない。つまり、いずれにしろ狙わられる理由があるのである……

 

 ――古来より、時折、凄まじい魔力を持つ人間が誕生する事があった。何故かそれは女性である場合が圧倒的に多く、大抵の場合、そういった女性達は“魔女”と呼ばれ、恐れられてきた。

 それら女性達が神聖視され、社会の中でその魔力が有効活用される事も稀にあったが、ほとんどの魔女は必要以上に警戒されて虐げられていた。

 男性優位の男性原理的な価値観を持つ社会では特にその傾向が強く、魔力で人々を救ったり協力したりする魔女が現れると、崇拝の対象になる前に捕まえ、異端審問にかけ、酷い場合にはそのまま拷問し、殺害すらした。

 つまり、権力者達は魔女達が力を持つようになる事を恐れたのだ。自分達の脅威となると考えて。

 ところが、その状況が近年に入り、変化をした。

 理由は明らかだった。通称“首輪”と呼ばれる“魔力制御が可能になる首輪”が発明されたのだ。

 その首輪は普通の人間がつけても何ら影響は受けないが、魔女がつけると自由に魔力を使う事ができなくなるばかりか、身体能力や思考能力すらも衰えてしまう。

 そして、その首輪の制御装置を手にした権力者達は、魔女の力を己の欲求を満足させる為に使い始めたのだった。魔女の力は莫大な利益を産み、首輪によって魔女を使役する権力者達の力は急拡大をしていた。

 

 ――そんな中、魔女の失踪事件が起こるようになったのである。

 

 オリバー・セルフリッジ。

 その男はまだ三十代と若かったが、多くの魔女を使役しており、ここ最近になって力を付けて来ている富豪の一人だった。

 彼は富を集める才覚に恵まれており、魔女を的確に使っては鋭い嗅覚で見つけて来たビジネスチャンスをものにする。政府の人間達もその実力を認めており、今では彼を頼るようにすらなっていた。当然、そこで生まれた人との関り…… コネクションは、彼の新たな力の源泉となっていた。

 

 ――王宮から、静かな足取りで、オリバー・セルフリッジが出て来る。

 政府の要人達から、何かしらの相談を持ちかけられた後なのだろう。

 やや長身の痩躯で、白い清潔そうな衣服を彼は身に纏っていた。姿勢が非常に良く、理知的な印象を受け、落ち着いた雰囲気がある。強引に皆を引っ張っていくリーダーというタイプではないが、悠然と歩くその姿からは何かしら人を惹きつける魅力を感じさせる。

 彼を先頭にその両脇には7人の魔女達が続いていた。皆、彼の後を従順に追っている。実はこれだけの数の魔女を一度に連れて歩くのは彼くらいのものだった。首輪で魔力を抑制されているとはいえ、魔女達に一度に逆らわれたらかなり厄介な事になる。だから、魔女を使う権力者達は魔女達を結託させないように常に注意を払っているのだが、オリバー・セルフリッジに関してはそんな素振りが一切ない。そして、だから、使役している魔女の人数では彼より多い者が他にたくさんいるにも拘らず、彼は世間の者達から“魔女達の支配者”とそう呼ばれているのだった。

 魔女達は彼に忠誠を誓っているように思える。何故か非常に協力的なのだ。

 

 王宮から出て来たオリバー・セルフリッジ達を、向かいのビルの壁に隠れて何者かが見つめている。フードを深く被っていて、分厚い布地の真っ黒な服を着ている所為で身体のラインはあまり目立たないが、どことなく丸みを帯びている。背もそれほど高くない。どうやら女性であるらしい。

 オリバー・セルフリッジに整然と従っている魔女達の姿を、彼女はとても痛ましそうな表情で見つめていた。

 歯ぎしりをする。

 彼女は大人しく従う魔女達は、裏でオリバー・セルフリッジという男から酷い仕打ちを受けているはずだと想像していのだ。でなければ、あのように大人しく彼の言う事を聞くはずがない。

 私利私欲の為に、魔女達に苛烈な境遇を強いる醜く恐ろしい男。

 それが彼女のオリバー・セルフリッジへの印象だった。

 許してはおけない。

 必ず彼女達を救ってみせる。

 そう彼女は心の中で誓う。

 オリバー・セルフリッジ達が王宮から遠く離れると、彼女はその場をそっと離れた。取り敢えず、男と魔女達の姿は確認できた。これで作戦を実行できる……

 

 彼女の名前はアンナ・アンリといった。魔女である。ただし、世間にその事は隠している。

 肩の高さくらいにまで黒髪を伸ばし、やや童顔の所為で、20歳という年齢よりは若く見える。

 自分に魔力があると自覚したのは、まだ彼女が少女と呼んでも差し支えのない年齢の頃だった。彼女はその力を隠したのだが、それはその力が“闇を操る”という美しいとは到底言い難いものだったからだった。そうでなければ、親や友達に見せびらかし、今頃彼女はどこかの屋敷で使役されていたかもしれない。闇の魔法に目覚めたのは、彼女にとって不幸中の幸いだったと言えるだろう。

 物心がつくようになると、その力が世間で疎ましがられていると彼女は理解するようになった。自分と同じ様な力を持つ者は“魔女”と呼ばれ、不当な労働を強いられている。それを知った彼女はそのような境遇に陥るのを恐れ、同時に怒りもした。

 魔女達は何も悪くない。ただ、力に目覚めただけの善良な女性達だ。なのに、まるで囚人か奴隷のような扱いを受けている。

 どう考えても理不尽だ。

 だから、なんとか解放してあげたいと思うようなったのだ。

 彼女は密かに自分の闇の魔法の能力を磨いた。その力を使って、一人でも多くの魔女を救うつもりでいたのだ。

 やがて街で魔女達の逃亡を支援しているという組織の噂を彼女は耳にした。彼女はその組織となんとか接触する事に成功すると、「自分が魔女を助けて来る」と訴えた。「だから、魔女達を逃がしてやって欲しい」と。

 そうして彼女は闇の魔法を使って、魔女達を解放する活動をするようになったのだった。今のところ、その活動は上手くいっていた。

 次の彼女のターゲットは、オリバー・セルフリッジだった。“魔女達の支配者”とまで言われている男だ。だから、彼女は彼の姿を確認していたのだ。彼に使役されている犠牲者の魔女達を必ず救ってみせる。彼女はそう考えていた。

 

 夜中。

 アンナ・アンリはオリバー・セルフリッジ邸に忍び込んでいた。

 オリバー・セルフリッジ邸は、思ったよりは小さかった。経験上、支配欲求の強い男は大きな家に住みたがるものだと彼女は思っていたのだが例外もあるらしい。或いは性根がケチな男なのかもしれない。金を貯める事を目的に生きているような守銭奴なのだ。

 彼女は闇に身を沈ませると、灯りがこぼれる窓を目指した。闇と同化している間は、気配を悟られる心配はない。窓からそっと中を覗いてみると、女が一人、ソファに寝転がって本を読んでいた。首輪をつけている。魔女だ。少し離れた場所にも何人かのやはり魔女だろう女達がいてお喋りをしていた。

 チャンスだと考えた彼女は、窓の近くにいる魔女に小声で話しかけた。

 「すいません」

 すると、その魔女は不思議そうな顔でアンナを見る。しばらく観察してから、「あんた、何?」とそう尋ねて来た。

 「あなた達を解放する為にやって来た者です」

 そう言ってから、もう一度アンナは中の様子を確認する。やはり魔女以外には誰もいない。

 「近くに男はいませんよね?」

 「うん? まぁ、いないけど」

 「そっちに行きます」

 そう言うと、アンナは影を部屋の中に這わせた。そこに身を沈ませると、部屋の中に侵入する。影が浮き上がり再び彼女の姿になる。

 それを見た魔女は「すごーい。それ、闇の魔法よね? 初めて見た」などと無邪気な声を上げた。

 「急いでください。首輪を外します」

 その呑気な反応を変に思いながらもアンナはその魔女の首輪を外そうとした。影を鍵穴に入れる為に形を整える。ところが、驚いた事に、彼女が首に手を伸ばそうとするとその魔女は自分で簡単に首輪を外してしまったのだった。

 ぶら下げるようにして見せつけて来る。

 アンナは「へ?」と思わず声を漏らしてしまった。

 澄ました顔で魔女は言う。

 「大丈夫よ。いつでも自分で外せるんだ、これ。そもそも魔力を抑える力もほとんどないし」

 その後で、部屋の奥でお喋りをしている魔女達に向けて大声で彼女は言った。

 「ねー キャサリーン! 本当にやって来たみたいよ、魔女失踪事件の犯人。どうする?」

 “キャサリン”と呼ばれた魔女はそれにこう返す。

 「じゃ、取り敢えず、眠らせておいて。後でみんなでどうするか決めましょう」

 「オーケー」と言うと、魔女はアンナに向って砂でもかけるような仕草をした。当たった感触は何もなかったのだが、その後で急速な眠気が彼女を襲い、気が付くと目の前が真っ暗になっていた。

 

 視覚のイメージは無だった。がしかし、不安は何故かまるでなかった。優しいものに抱きかかえられ、護られている。何故か、そんな夢をアンナ・アンリは見ていた。女性達の楽しそうな話声や笑い声が聞こえて来る。

 なんだろう? ここは何処だっけ?

 自分が何処にいるのかを思い出せない。どうしてそうなったのかも。少なくとも自分の家でない事だけは確かだ。そこで身体を動かそうとして、自分が後ろ手に縛られているのに彼女が気が付いた。その瞬間にハッと思い出す。

 “そうだ! オリバー・セルフリッジの屋敷に忍び込んで眠らされたのだわ!”

 慌てて身を起こした。危機感を覚え、緊張していたのだが、目を開けて視界に飛び込んできたのはとても和やかな光景だった。

 目の前にはソファがあって、恐らくは魔女だろう女性達が何人か楽しそうにお喋りをしている。自分はその向かいのソファに寝かされているようだった。縛られている以外で酷い事は何もされていないようだ。ただ、魔力は感じない。どうも、首輪と同様の何かの力で封じられているようだった。場所は見た目からしてリビングのように思えた。少し遠くにはテーブルがあって、そこにも魔女達がいてお菓子を食べている。

 背後で何かが焼ける音がしたので、拷問の準備でもしているのかと不安になって振り返ってみたが、専用のコックなのかただの使用人なのかは分からないが、長身の男性がこちらに背を向けてキッチンで一人料理をしているだけだった。かなりの量の食材を一人で捌いている。それなりに重労働のはずだ。

 もしかしたら、コックの料理が出来上がるのを皆で待っているのかもしれない。

 アンナは自分が平和なシェアハウスに場違いに迷い込んで捕まった泥棒であるかのような錯覚を味わっていた。

 「あー 起きたんだぁ」

 対面のソファに座っている魔女の一人が妙に間延びした声でそう言った。

 「あたしはブルー・ビー。あなたは?」

 アンナはそれに応えない。自分の名前は教えない方が良いと判断したのだ。

 「どうして、わたしを捕らえたのです? わたしはあなた達を解放する為にここにやって来たんですよ?」

 それを聞くと、ブルー・ビーと名乗った魔女は他の魔女達と顔を見合わせた。

 「か・い・ほ・う?」

 そして、ゆっくりとそう言ってから互いに笑いあった。おかしそうに。アンナはなんだか馬鹿にされている気分になって、「何を笑っているのです?」と文句を言うように尋ねた。

 すると、他の魔女の一人が

 「いや、だって、解放って何から解放されるって言うのよ?」

 などと返してくる。

 「もちろん、オリバー・セルフリッジからに決まっているじゃありませんか!」

 アンナとしては当然の事を言ったつもりだったのだが、それを聞くと再び魔女達は笑い合った。アンナは“不愉快だ”と言わんばかりに目を剥く。魔女達の反応が予想外過ぎて、彼女は多少混乱してもいた。笑い終えるとブルー・ビーが言った。

 「あー ごめんなさーい。つい笑っちゃった。でも、あたし達、別にここで働くのに不満を持っている訳じゃないからー」

 それを聞くと、アンナは苛立った様子で威圧するように言った。

 「あなた達はすっかり洗脳されてしまっているのですね」

 「洗脳?」

 「だって洗脳じゃありませんか! オリバー・セルフリッジに、まるで奴隷のようにこき使われているというのに、不満を抱かないだなんて!」

 アンナは激昂寸前だったのだが、そこでそんな彼女の気勢を削ぐように料理の美味しそうな匂いが漂って来た。

 そして、

 「みなさーん。夕食ができましたよー」

 続いてそう呼ぶ声が。

 すると、「はーい」という声がこの部屋からだけじゃなく両隣の部屋からも聞こえて来て、魔女達がわらわらと集まって来る。さっきのコックだろう男性は、キッチンから料理をテーブルに運んでいた。

 「――って、どうしてセルフリッジさんが料理作ってるのよ?」

 それを見てリーダー格だろう魔女の一人がそう言った。

 「今日はベールの当番だったでしょう?」

 それを受け、恐らくそのベールという魔女だろう女性がそれに返す。

 「だって、セルフリッジさんが作った方が美味しいんだもん!」

 それを聞いて、隣の魔女が言った。

 「あんた、毎回、それ言ってるじゃない」

 ベールは不服そうな様子。

 「何言ってるのよ? トトだって、今日、掃除をセルフリッジさんにやってもらっていたじゃない」

 「わたしは三回に一回くらいしかやってもらってないわよ!」

 「似たようなもんでしょーが!」

 それを聞いて、リーダー格の魔女が呆れた声を上げる。

 「あんたらねー…… セルフリッジさんは奴隷じゃないのよ? 頼んだら引き受けてくれるからって、いいようにこき使うのは止めなさいな」

 ただ、そう言いながらも魔女達をそれほど強く咎めている感じではない。そのまま席に腰を下ろす。

 

 “セルフリッジ?”

 

 その魔女達のやり取りを聞いて、アンナ・アンリは料理を運んでいる、さっきまで彼女がコックだとばかり思っていた男を見てみる。

 着ている服が随分とカジュアルだったからか、それとも料理など作るはずがないと思い込んでいたから気が付かなかったのか、じっくり見てみると、その男は確かに王宮の前で自分が見たオリバー・セルフリッジと同一人物だった。

 「そうだ。あなたの分も用意してありますからね」

 不意にセルフリッジが彼女に向けてそう言った。彼に目を向けていた所為で、アンナは思いっ切り彼と目が合ってしまう。

 穏やかを絵に描いたような優しい表情。

 勝手にイメージしていたオリバー・セルフリッジとのギャップにアンナ・アンリは驚いていた。

 「セルフリッジさん。その女の分も作ってあげていたの? お人好しすぎ」

 リーダー格の魔女がそう言う。

 「いえ、だって、キャサリンさん。仲間外れにしたら可哀想じゃありませんか」

 「そもそも、“仲間”じゃないでしょーが。侵入者で犯罪者なんだから」

 リーダー格の魔女だけじゃなく、他の魔女も呆れた様子だ。うんうんと頷いている。

 一体、何がどうなっているのか、アンナ・アンリはただただ戸惑うしかなかった。

 

 夕食を食べ終えた後、リーダー格の……、どうやらキャサリン・レッドというらしい魔女と、他の魔女数人がテーブルでアンナ・アンリと対面していた。セルフリッジは皆の分の洗い物をしている。

 キャサリンは綺麗な金色の髪の美人で、アンナは軽い嫉妬を覚えた。彼女は金髪に憧れを持っているのだ。

 アンナを縛っていた縄は既に解かれていたが、暴れる気も逃げ出す気も彼女にはないようだった。

 「取り敢えず、話を聞かせてください」

 キャサリンと魔女達に向けて彼女はそう言う。

 「一体、あなた方は、どんな関係なのですか? 魔女の皆さんは、どうして大人しく彼に従っているのです?」

 それにさも面倒くさそうにキャサリンは返す。

 「あー まずは、何から話しましょうかねぇ?」

 あっけらかんととした様子で、ブルー・ビーが言う。

 「やっぱり、キャシーと、セルフリッジさんの出会いの話からした方が良いのじゃない?

 それを知らなかったら、訳が分からないでしょーよ、この人も」

 キャサリンはそれを聞いて、とても嫌そうな顔をする。しかし、それでも口を開いた。

 「まぁ、あれね…… 簡単に言っちゃえば、わたしはセルフリッジさんに助けられているのよ」

 「つまり、その恩の見返りに、働かされているってことですか?」

 そう言いながらその想定は少し無理があるとアンナは自分で思っていた。今もセルフリッジが洗い物を一人でしている音が聞こえて来ている。働いているのはむしろ彼の方だ。

 「それは、ちょーっと違うのだけどね。ま、ちょっとと言うか、かなり」

 そう言ってから、キャサリンはアンナの背中の向こう側にいるオリバー・セルフリッジを見やる。

 「……まぁ、この態度を見れば分かるだろうけど、わたしは大人しく男達に従うような性格じゃないワケよ。以前は別のなんとかって役人に使われていたんだけど、それで何かと問題を起こしていたのよね。仕事をサボったり、逃げ出そうとしたり。境遇が酷かったから、反抗していたのだけど。

 で、わたしに手を焼いたその役人は、遂にわたしを手放そうとしたのだけど、売っ払おうとしていた相手が大問題でさ……」

 

 キャサリン・レッドはマシュウ・ホッパーというその男の顔を一目見るなり、身の毛のよだつ思いがした。

 奴隷を欲しがっている目ではない。その視線に肉欲が伴っているのは明らかだったが、“人間”を見つめる目つきではなかった。面白い玩具を見つけたような、或いは獲物を狙う獣のような。

 実はその男は、おぞましい手段で魔女を性的に凌辱することで有名だったのだ。嗜虐嗜好が強く、その行き過ぎた行為の結果、魔女を殺してしまった事すらもある。

 ただ、だからこそ世間から彼は軽蔑されていて、最近は彼に魔女を売る人間も減っていた。それでも高額で彼が買い取るのならば売る者もあったかもしれないが、彼はそこまで裕福ではない。つまり、もう彼は普通なら魔女を手に入れられる立場ではなかったのだ。

 がしかし、キャサリン・レッドの所有者は、そんな男に彼女を売る事を決めようとしていたのだった。もちろん、それは「逆らったら、こうなるぞ」という他の魔女達への見せしめの意味があったのだろう。

 話を聞いていた時点では、「きっと、噂がひとり歩きしているだけだ」と楽観的に捉えていたキャサリンだったが、品定めに来たホッパーを一目見て一気に自分の未来に絶望をした。

 “この男は、明らかにおかしい”

 なんとか逃げようと彼女は画策したが、彼女の所有者はそれを見抜き、厳重に監視を行った。逃げられそうにはなかった。つまり、キャサリン・レッドは絶体絶命の危機に陥っていたのだ。が、そこに救世主が現れたのだ。

 オリバー・セルフリッジである。

 彼はキャサリン・レッドを気に入ったから、是非譲って欲しいと彼女の所有者と交渉をし、相場よりも随分と高い価格で彼女を買い取ったのだった。

 もっとも、当初は彼女は彼が自分を救ってくれたとは思っていなかった。いかにも人が良さそうな外見をしているが、何か裏があると考えていたのだ。ただそれでもホッパーよりはマシだろうとは思っていたが。

 

 「いやー 家事をやってくれればそれで充分ですよ?」

 

 ところが、キャサリンを買ったそのオリバー・セルフリッジという男は、自分を酷く扱おうとはしなかった。それどころか、待遇はとても良かった。

 自室も用意してくれていたし、例えば、朝寝坊をしても何も文句は言われない。性的な道具として使われる事もなかったし、首輪を使おうともしなかった。そして彼は彼女にきつい労働をさせようともしなかったのだった。

 あまりに不思議だったものだから、キャサリンは、

 「――あなたは、一体、何を考えているの?」

 と、思わず彼を問い詰めてしまった。すると彼はあっさりとこのように答えるのだった。

 「いえ、実はあなたを助けるのが目的だったものですから…… 別にあなたに何か仕事をしてもらおうとかそういうつもりではなかったのです」

 キャサリンはもちろんそれを信じなかった。ただ、この男に何か“裏”があるようにも思えない。オリバー・セルフリッジは清貧という言葉がよく似合う暮らしぶりで、野心などという言葉からはかけ離れていたのだ。

 「あなたがそんな聖人だっていうのなら、他の魔女達も助けてあげてよ」

 だから彼女はそう言ってみた。取り敢えず反応を見てみようと思ったのだ。

 すると彼は慌てた様子でこう返す。

 「いえ、僕は聖人なんて大それた存在ではありませんよ。ただ、マシュウ・ホッパーの犠牲になった女性を知っていまして、それで放っておけなかったというか……」

 それほど深い関りではなかったらしいのだが、ホッパーの犠牲になった魔女の最期を彼は目の当たりにしたらしかった。そのあまりの凄惨さに慄いた彼は、今度はキャサリンが犠牲になろうという話を偶然に耳にして、捨て置けなくなったというのが彼女を助けた事情であるらしい。

 「ふーん」と、それにキャサリン。

 彼の話を全て信じた訳ではなかったが、いかにもこの男らしいエピソードだとは思っていた。

 “――さて、どう判断したものか”

 そう迷った彼女は、それからこのように言ってみた。

 「ホッパーじゃなくてもさ、この世の中には、男どもの犠牲になっている魔女がたくさんいるって知っているでしょう? ならさ、助けてあげた方が良くない?」

 その言葉に彼は大いに困ったようで、まるで言い訳をするようにこう返す。

 「いえ、知っているかもしれませんが、僕はそれほど裕福ではないので、助けたくても助けられませんよ。お金がないので」

 「ほー」と、それに彼女。

 「つまり、それって、助けられる力があるのなら、助けるってことよね?」

 オリバー・セルフリッジは、それに「まぁ、そうなりますが」と不思議そうに応える。

 「なら、助けましょうよ」

 そう言ったキャサリンは、何故か嬉しそうににんまりと笑っていた。

 

 それからキャサリン・レッドは、自分の魔法の力を使ってオリバー・セルフリッジの“金稼ぎ”に積極的に協力し始めた。彼が及び腰で、乗り気ではなかったのなら焚きつけて、時には自ら話を受ける事もあった。

 そのように彼女が積極的である理由は簡単だった。彼女には勝算があったのだ。他の魔女達は力を首輪によって抑えられた状態で無理矢理に働かされているのに対し、自分は全力で魔力を使える上に熱心に協力している。有利であるのは言うまでもない。その彼女の予想は見事に当たり、オリバー・セルフリッジの下には彼女の働きによって大金が転がり込んでくるようになったのだった。

 そして、約束通り、その金でオリバー・セルフリッジは悲惨な境遇の魔女達を買い取っていった。彼の家に来た魔女も当然ながら、彼に積極的に協力する。そうなればまた大金が入って来る。以降、この繰り返しによって彼は富豪の地位にまで昇りつめ、遂には“魔女達の支配者”と呼ばれるまでになったのだった。

 これはキャサリンの計画通りでもあった。

 どんな邪な計略をオリバー・セルフリッジが企んでいたとしても、これだけの魔女を集め、その力に依存してしまえば簡単には罠に嵌められない。自分を利用できない。彼女はそのように考えたのだ。

 ――もっとも、オリバー・セルフリッジが魔女達に危害を加えるつもりがあるとは、その頃の彼女には既に思えなくなっていたのであるが。

 

 「――なるほど。それが、今のこの状態に至った経緯だと言うのですか?」

 

 話を聞き終えたアンナ・アンリはそう言って、目の前にいるニコニコとした顔のオリバー・セルフリッジを見る。

 洗い物を終え、いつの間にかテーブルの輪に彼は参加していたのだ。

 「はい。恥ずかしながら、僕は“魔女達の支配者”などと呼ばれてはいますが、ほとんど雑用くらいでしか役に立ってないのですよ。実際に仕事をこなしているのは、キャサリンさん達で」

 無邪気な昼行灯といった言葉が似合いそうな様子で彼はそう言った。だが、アンナ・アンリはその言葉を疑っていた。

 本当にそれだけで、これだけの成功を収められるものなのだろうか?

 この人の好さそうな顔の向こうに、狡猾な顔が隠れているのかもしれない。

 「――皆さんはあっさりと騙されているようですが、わたしは信用しませんよ。あなたの本性など簡単に見抜いてみせましょう」

 彼を睨みつけながら、彼女はそう言い放った。

 それに彼は少し驚いた表情を浮かべていたが、直ぐに穏やかな顔を取り戻すと、にっこりと笑って、

 「そうですか。それは頼もしい」

 と、そう言った。

 言葉の意味は分からなかったが、なんだか余裕たっぷりだ。その反応に、アンナ・アンリは少しだけ苛立つ。

 

 “わたしはこんな男なんて、絶っっっ対に信用しない!”

 

 「――ま、それはいいとしてね」

 

 何がいいのか分からないが、そのタイミングでキャサリンがそう言った。

 「あなた、自分の立場をもう少し考えた方が良いわよ、アンナ・アンリさん」

 アンナはそれに驚く。

 「どうして、わたしの名前を知っているのですか?」

 「あんたねー、今までの話を聞いていなかったの? こっちには魔力をフルで使える魔女がたくさんいるのよ? そんなの簡単に調べられるに決まっているじゃない」

 キャサリンは悪賢そうな表情で続ける。

 「あなた、国の登録上は“魔女”って事になっていないわよね? 今まで隠して来たんだ。バレちゃったらまずいわよねー? ま、そもそも、あなたはたくさんの魔女を逃亡させて来た犯罪者な訳だけど」

 「わたしを脅すつもりですか?」と、それにアンナ。慎重な口振りだ。

 「脅すって訳じゃないけど、でも、あなたはわたし達に協力した方が良いと思うのよね。色々な意味で」

 「色々な意味って、どんな意味です?」

 「例えば、あなた、今までにたくさん魔女を逃がして来たけど、その魔女達が、その後どうなっているのか知っているの?」

 「知りませんが……、それがどうかしたのですか?」

 その言葉にキャサリンは大きく溜息を漏らす。

 「あー…… やっぱりねぇ」

 「“やっぱり”って、なにがです?」

 「まぁ、確証はないんだけどさ、その魔女達は、多分、売っ払われているわよ。闇市場で。普通は魔女を買えないような身分の金持ち達に。例えば、犯罪組織とか。

 それでも、もしかしたらそれまでよりはマシな境遇になっているかもしれないけど、どうだかは分からないわねー」

 「なっ!」

 そのキャサリンの言葉にアンナは目を大きくした。

 「どうして、そんな事が言えるんですか?! わたしは魔女解放同盟の方々に確かに彼女達を引き渡しているのですよ?」

 「どうしてもなにもさー その魔女解放同盟とやらの資金源をあなたは知っているの?」

 その質問にアンナは言い淀む。

 「それは…… 知りませんが、秘密を簡単には明かせない組織ですし、わたしはまだそれほど深く関わっている訳ではありませんので」

 「人を逃がすって、かなり金がかかるわよ? 資金源は絶対に必要よね。でも、魔女達の為にそれだけの資金を用意してくれる金持ちとか企業とかなんて聞いた事がない。

 まぁ、かつて魔女に救われた人達ってそれなりにいるらしいから、そういう人達からの支援はあるかもしれないけど、高が知れているとわたしは思うなぁ……」

 アンナはそのキャサリンの説明に少なからず動揺していた。“まさか、そんな……”と、考え込む。そんな彼女の様子をキャサリン達は黙って見ている。アンナは口を開いた。

 「それで…… それが、どうしたって言うのですか?」

 「だから、わたし達があんたが逃がした魔女達の行方を探してあげるって言っているのよ。仕合せにやれているようだったら、それでよし。そうじゃなかったら……、ま、その時に考えましょう」

 「助けてくれるって事ですか?」

 「だから、その時に考えるって言っているでしょう? 助けられるようだったら、助けるわよ」

 「それで、代わりにわたしは何をすれば良いのです?」

 「仲間になってよ。一緒に住み込みで働いてもらうわ。表向きは、事務仕事や雑用で雇われているって事にしましょう。あんたの力は使えるし、魔女の肩書きを持ってない隠れ魔女って実は意外に重宝するのよ。国から警戒されずに色々とできるから」

 アンナはそれを聞くとしばらく黙っていたが、やがて考えをまとめると、

 「分かりました。あなた方にわたしの素性を知られている時点で、わたしに選択肢はなさそうですし。あなた達に協力をします」

 そう言った。

 ただ、それからオリバー・セルフリッジに目をやると、彼にだけは噛みつく。

 「ただし、わたしはあなたの事は信頼しませんけどね!」

 オリバー・セルフリッジはそれを受けると困った表情で笑顔を浮かべた。何を考えているのかまでは分からなかったが、自分に敵意を持っていない事だけは分かった。アンナは複雑な気持ちになった。

 

 「――水不足で困っていましてね。何とかしていただけないか、と」

 とある農村から、そのような相談依頼があった。

 ただし、水不足といってもそれほど深刻なものではなく、このまま放置すれば収穫量が多少は減ってしまうといった程度で、しかもそれを解決しても大して金にならない。引き受けるメリットはなさそうに思えた。

 ところが、オリバー・セルフリッジは快くその依頼を引き受けてしまったのだった。

 アンナ・アンリはそれに驚く。

 魔女達にも彼は確り給金を支払っているから、それを考慮するのなら、この仕事自体の損益は恐らく赤字である。

 この男は何を考えているのか…… と、彼女は思いかけたのだが、その仕事に付き添ったお陰で彼の狙いに気が付いた。

 村の人間達からオリバー・セルフリッジはとても感謝されていたのだ。「いつもありがとう、セルフリッジの旦那」と農夫達からお礼を言われ、それに彼は「いえいえ、その代わり、大きな仕事があったらお願いしますよ」と笑顔で返していた。

 “大きな仕事”の決定権は、最終的には地主や地元の有力者にあるのかもしれないが、それでも農夫達の意向が完全に意味がない訳ではない。

 つまり、オリバー・セルフリッジは普段から恩を農村に売っておく事で、チャンスを逃さないという方略を執っているのだろう。子供の頃から高い身分にいる人間達には思い付かない発想かもしれない。いや、そもそも農村の人間達と仲良くするという発想自体がなさそうだ。

 「近くの森には、充分に水があるようですから、そこから分けてもらいましょうか」

 樹木と親和性の高い魔女達に森を探らせると、オリバー・セルフリッジは、集まった農村の人々にそう言った。

 近くには川が流れているが、流れる水の量はわずかしかない。彼はこれを増やそうというのだろう。

 「その代わり、旧くなった樹木の伐採をよろしくお願いします。交換条件で、水を分けてもらうようにしますので」

 次に彼がそう説明すると、村人達は顔を見合わせて頷き合ってから、満足げな表情で「分かりました。その程度なら構いません。材木にもなりますし」と返した。

 「それでは契約成立ですね」と彼が言うと、魔女達は魔法を使い始めた。森に向って両手を翳して魔力を送っている。

 「ねー ちょっと話があるんだけどー。水を分けてくれない? えー 良いじゃん。ケチー。何もさ、こっちもタダで分けてもらおうってんじゃないのよ。もう枯れていて、陽の光を防いでいるだけの樹とかってあるでしょう? 倒れたら、危ないやつ。そう。そういうの。そういうのを伐採してあげるからさー そうしたら、小さな草とか樹とかも助かると思うのよねー 森の新陳代謝を促せるってやつよ」

 呪文の詠唱…… かどうかは分からないが、森の精霊達と交渉をしているようだ。やがてしばらくが経つと、川の水量が増え始めた。交渉がうまくいったのだ。「おお!」と村人達は歓声を上げる。

 その村人達の嬉しそうな顔を見て、オリバー・セルフリッジは仕合せそうにしていた。心から喜んでいるように見える。

 その笑顔にアンナは少し見惚れてしまっていたのだが、我に返ると“騙されては駄目。あれはビジネスの為なんだから”と自身に言い聞かせた。

 キャサリンの話を聞く限りでは、オリバー・セルフリッジは人が好いだけの間抜けな男に思えたが、少なくともそうではない事が今回で分かったのだ。油断をしてはいけない。

 彼女はそう考えていた。

 そしてオリバー・セルフリッジは、ビジネスセンスに秀でているだけでなく、奸計にも非常に長けていたのだった。

 

 ある時、オリバー・セルフリッジは街の有名な病院の医師に招かれた。しかも、内密に話し合いがしたいのだという。アンナ・アンリは、闇の魔法を使って周囲の探査を行う為にそれに付き添った。もしも罠であったのなら、いち早く知らせる役割だ。

 「薬の調合で、実は困った問題があるのです」

 好々爺然としたその医師は、深刻そうな面持ちで彼にそう語った。

 不足している材料でもあるのかとそれを聞いて彼女は思ったのだが、どうもそうではないらしい。

 「調合の方法は簡単で、多少訓練をすれば誰にでも可能なのですが、現在、それは一部の薬剤師や医師達に独占されてしまっています。

 結果、薬がとても高い価格になってしまっている。これでは裕福ではない人達は買う事ができません」

 その医師はそう訴えた。

 「なるほど。つまり、“薬の既得権益をなんとかして欲しい”という事ですね?」

 セルフリッジは瞬時にその意図を理解したらしかった。医師は大きく頷く。

 オリバー・セルフリッジが行う仕事は大きく分けて二つあった。一つは魔女達を使って行う仕事。農村の水不足から、害獣退治、呪いを解く仕事など数多だ。もう一つはこういった利権関係のコンサルティング業務。政界や経済界とのコネと魔女達の力を使って、厄介事などを解決する仕事。時には自ら利権を握り、それで大金を稼いだりもする。

 「普通の医師や薬剤師などにも薬の調合を認めれば、一般の人達でも簡単に手に入れられるくらい安価になる薬です。しかも、最近、この薬で治るはずのミザネラ病が流行しかかっておるのです。栄養状態が良くない人がかかれば、死ぬ事もある。このままでは、助かるはずの多くの人命が失われてしまう!」

 どうやら義憤から、この医師はセルフリッジに相談を持ち掛けたようだ。語りながら興奮し始めた医師を「落ち着いてください」と宥めると、彼はこう尋ねた。

 「その薬の保存期間は、どの程度ですか?」

 「適切な保存方法なら、十年程かと」

 「充分です。それでは、今の凡その販売量と値段を教えてください」

 医師が説明すると、彼は紙と鉛筆を取り出して素早く計算を始めた。

 「仮に十分の一に薬の価格がなったとしても、販売個数が100倍になれば、マージンを引き抜いても充分な利益になりますね」

 そして、計算が終わるとそう言った。

 「よろしい。一計を案じましょう」

 そう言ったセルフリッジが何をするつもりでいるのかアンナには不思議だったが、良からぬことを企んでいるのだろうとは思っていた。

 それから2週間程経って、件の医師が訴えて来た薬の調合に関する規制が緩和した。期間限定ではあったのだが、それでもそれは画期的だった。

 規制が緩和された事で、大量生産が可能になったその薬の価格は大きく下がり、そして大いに売れた。

 それは、その薬が安い期間がそれほど長くなく、しかも流行り始めているミザネラ病に有効であるという話が一般の人達の間に広まっていたからだった。

 もちろん、その話はオリバー・セルフリッジが魔女達を使って仕組んだお陰で広まったのだが。

 彼は薬の既得権益を護っている政治家や医師会にこう掛け合った。

 「もしも、規制を緩和していただけるのなら、今の数倍の利益を出してみせましょう。生産設備を整える費用等は僕が持ちます。もちろん、僕も取り分は貰いますが」

 初めは難色を示していた政治家達だったが、彼が賄賂を贈ると話は途端に前に進んだ。それでも規制の完全撤廃は無理で、期間限定になってしまったのだが、それは彼の計画に既に織り込み済みだった。薬の保存期間は十年もある。薬が安価なのがわずかな期間であったとしても、その間に充分な量が出回ってしまえば関係がない。

 この計画が上手くいったのは、少なくない数の医師が、医師会の既得権益に固執する態度に反対をしていたからでもあった。私利私欲のことばかり考える医師は実はそこまで多くはない。善良な医師らの協力も得られたのである。

 因みに、セルフリッジは薬を大量生産する際に、一部、ズルをして本来なら薬を調合する資格のない魔女達にも活躍してもらっていた。一時の薬の生産の為に設備を整えるのは、コストパフォーマンス的によろしくない。だから魔女達を使ったのである。

 その計画が成功したお陰で多くの人が助かり、そして彼の下にはまた大金が転がり込んで来た。

 もちろん、これは“良い事”なのだろう。否、法律的には何かしら問題があるかもしれないが、少なくとも多くの人が助かっている。政財界の人間達も含めて、誰も大きくは損をしていない。

 が、それでも、いやだからこそ、これはかなり狡猾な計画で、言うなれば奸計の類だ。正道ではない。アンナはそう思っていた。

 

 「――キャサリンさん」

 

 ある日の就寝前、アンナ・アンリはそうキャサリン・レッドに話しかけた。

 「彼、相当に狡猾だと思うのです。本当に信頼してしまって良いのですか?」

 当初聞いていた話とは、随分と印象が異なっている。もしも彼女のオリバー・セルフリッジの見立てに誤りがあるのなら、問題だとアンナは思ったのだ。

 ところがそれに、彼女はあっけらかんとした様子で、「ふーん あなたもそう思うの? わたしもそう思うんだけどさ」などと返して来るのだった。

 あまりにあっさりと認められてしまった所為で虚を突かれたアンナは何も返せなかった。そんなアンナに向けてキャサリンは尋ねる。

 「――でも、悪い人にも思えないでしょう? みんな、そう思っているわよ。狡猾だけど、お人好しだって」

 それにもアンナは何も返せない。ただ、その沈黙は、今度は彼女の言う事を肯定してしまっていたのだが。

 「だからこそ、わたしはあんたに役に立ってもらおうって思っているのだけどね」

 それから、キャサリンはそう続けたが、それが何を意味するのかアンナには分からなかった。

 

 「まーた、あなた達は、セルフリッジさんに家事を押し付けて!」

 

 ある日の夕方、リビングで、アンナ・アンリがそう怒鳴り声を上げた。

 キッチンではオリバー・セルフリッジが一人で料理をしているが、今日の当番は彼ではない。つまり、また魔女が料理当番を彼に押し付けたのだ。

 「えー? なんで文句を言うの? アンナはいっつもセルフリッジさんは信頼しないとか言ってるじゃん」

 「それとこれとは別問題です! 自分の当番くらい確り自分でこなしてください!」

 そう叱られた魔女はふてくされた表情で何も返さない。アンナは他の魔女達が自分に加勢してくれる事を期待したのだが、彼女達は傍観者を決め込んでいるようだった。理由は大体察しが付く。自分達もセルフリッジに家事を任せられる時は任せてしまいたいから何も言えないのだろう。つまり、同じ穴の狢。それに、何より、彼が作った方が料理が美味しい。

 「はぁ」

 と、その魔女達の反応を受けて、アンナ・アンリは大きなため息を漏らす。怒った顔のままオリバー・セルフリッジが一人でがんばっているキッチンに向かった。

 「手伝います」

 そして、そう一言。

 彼は笑顔で「ありがとうございます」とお礼を言った。

 彼女にはそれが作った笑顔なのか、自然と感謝の気持ちが表に出て来た笑顔なのか分からなかった。

 オリバー・セルフリッジはよく笑顔を見せる。アンナは勘は良い方だと自分では思っているのだが、彼の笑顔が作ったものなのかどうかは見抜けていなかった。ただ、或いは、ほとんど本当の笑顔なのかもしれないと最近は少し思い始めている。

 「あなたがお礼を言う筋でもないでしょう。あなたの当番ではないのだし」

 そうアンナが言うと、「ええ、でも嬉しかったので」と言ってまた彼は笑った。やはり本当の笑顔かどうかは分からない。

 それからしばらく間があった。彼女の怒りは既に晴れていたのだが、それを彼に気取られるのがなんだか恥ずかしくて口を開かなかったのだが。

 「何故、彼女達を怒らないのですか?」

 野菜を切り終えたタイミングで、彼女はそう訊いた。今までこの家で暮らして来て分かった事だが、オリバー・セルフリッジはそれなりに強い立場にいる。仕事を取って来るのは彼だし、魔女達に指示を出してもいるし、彼がいなければお金も貰えない。魔女達の恵まれた生活は彼のお陰と言っても過言ではなく、それは魔女達も充分に分かっているはずだった。

 つまり、彼が本気で怒れば、魔女達は大人しく従うだろうと彼女は思っていたのだ。

 「いえ、お金を稼げているのは彼女達のお陰ですからね」

 惚けているのか、本心なのかよく分からない口調で彼はそう応える。

 「あなただって働いているじゃありませんか」

 「僕の代わりなんていくらでもいますよ。社会制度上許されていないだけで、魔女の皆さんにだって能力的にはできる仕事ですし。特にキャサリンさんなんかは上手くこなしそうです」

 それを聞いた彼女はキャサリンを思い浮かべて“確かに”と思う。こずるく立ち回って、せこく楽して稼ぎそうだ。

 「もし、僕よりも労働環境が良い雇主が現れたら、魔女の皆さんがそっちに行ってしまっても僕は何も文句が言えません」

 その彼の説明に彼女は疑問を覚える。

 「他の雇主の所になんか行けるはずがないじゃありませんか。彼女達はあなたの所有物で、あなたが認めなければ自由にここを辞める事もできないのですから」

 そもそも“雇主”という言葉からして間違っているのだ。魔女達は彼の所有物なのだから。ところが彼はその彼女の疑問にこのように返すのだった。

 「それは社会制度上で彼女達がハンデを背負っているというだけの話ですよ。純粋な能力の話ではありません」

 「どういう事です?」

 「そうですね。例えば、魔女の皆さんだけじゃなく、この国では女性が不遇な扱いを受けていますよね?

 女性も働いているのに、何故か家事をやるのは女性という慣習ができてしまっている。では、どうしてそれに女性達が逆らえないのかと言えば、経済的に弱者だからです。

 女性の収入は少なく、もし男性に見捨てられてしまったら生活が困窮してしまう」

 「それは、まぁ、分かります」

 アンナは戸惑いながらも頷く。

 魔女への扱いが最も顕著だが、それがなくてもこの国の女性への扱いは不当なのだ。それは彼女が常日頃思っている事だった。

 もっとも、それを男性であるオリバー・セルフリッジの口から聞くとは思っていなかったのだが。

 「そして、女性達の収入が少ないというのもフェアな競争の結果ではありません。女性では就ける仕事が限られているし、同じ仕事をしているのに女性の方が何故か賃金が低かったりもするのです。

 もし仮に、女性に充分な収入があったなら、きっと女性だけ家事負担が重くなるなんて事にはならないでしょう。

 実は実際に女性の収入が多い家庭では、そのような傾向にあるそうなんです。そして、その方が夫婦仲が良い傾向にもあるのだとか。

 これは簡単に分かる話ですよね。いくら経済的に優位だからと言って、男性が威張って来たら女性が良い気分でいられるはずがないのは当り前に想像できる話ですから。つまりは経済的に男女平等の方が家庭円満には効果的なのですね。

 ま、稀に女性の方が収入が多いのに、男性が尊大に振舞って離縁されてしまう残念なケースもあるみたいですが」

 それを聞いてアンナは思わず笑ってしまった。威張っている男性が、女性から離縁を言い渡されて愕然となっている姿を思い浮かべてしまったからだ。

 彼女の笑顔を見て、彼は気を良くしたようだった。

 「だから、僕はこうして家事をするくらいは別に構わないと思っているのです。彼女達にはそれくらいの仕事をしてもらっていますからね。

 それに、僕は料理を作るのは好きな方ですし」

 そう言いながら、彼は鍋に具材を入れて煮込み始めた。

 アンナはその時彼に対しての好ましい感情が自然と浮かび上がって来るのを感じていた。“こんな考えを持っている男性もいるのだ”と、彼女は感心していたのだ。もっとも、それでも彼の説明に完全に納得をした訳ではなかったのだが。

 「その理屈に一理あるのを認めるにしても、わたしはまだ納得しません。あなたばかり家事をやらされていたら、過労で倒れてしまうかもしれないじゃありませんか。普通の仕事もしているのに! 家事は決して楽な仕事ではありません! 重労働なんですよ?」

 彼女のその言葉に彼は驚いたような表情を見せる。

 「ありがとうございます」

 そして、そうお礼を言った。

 「だから、お礼を言うのじゃなくて、ちゃんと彼女達に家事をやらせてください。なんでもかんでも引き受けるのじゃなくって!」

 彼女はそう彼を叱ったが、語気に力はあまりこもっていなかった。

 

 ある時、オリバー・セルフリッジの下にまた依頼が入った。しかも、今回は王宮政府よりの正式な依頼だった。

 

 「街の機械職人が、とんでもないものを開発しましてな。これを事業化するべきかどうか、是非ともあなたの意見をお聞きしたいのです」

 

 その会合は王宮で行われたのだが、それにはアンナも付き添っていた。彼女は魔女ではないとされているし、彼女の能力は索敵には向いている。だから用心の為に同行したのだ。秘書だと思われている彼女は部屋の前で待機させられていたが、廊下に置かれた調度の影に触れるとそれを部屋の中にこっそりと伸ばし、周囲の様子を観察した。

 話声も耳に届く。

 「私も実際に目にしましたが、自動的に糸を紡ぐ紡績機です。羊の毛をセットしておくと、そのまま勝手に糸を紡いでくれる。断っておきますが、魔法ではありません。もし、あれを大量生産できたなら、糸の生産量が大幅に上がるのは言うまでもない」

 役人らしき男がオリバー・セルフリッジに向けてそう語る。彼はその話を既に知っていたのか大きく頷いた。

 「間違いなく事業化するべきです」

 自信に満ちた口調だった。しかし、そんな彼とは裏腹に役人の態度からはあまり自信が感じられない。だからこそ彼に相談を持ち掛けたのだろうが。

 「しかし、大きな問題があるのです。そのような紡績機が作られれば、職人達は失業してしまうでしょう。下手したら、暴動が起きてしまいますよ」

 セルフリッジは軽く頭をかく。だが、自信あり気な表情は崩してはいなかった。

 「失業者を社会問題として捉える方は大勢いますがね、僕はそうは思わないのです。それは“余った労働力”であって、つまりは資源ですよ。むしろ資源に余力が出たと見做すべきです」

 「はぁ」と、それに役人。不思議そうな顔を見せている。彼の言う事を理解できてはいるがイメージはできていない。そんな感じだった。彼はそれを見越しているかのように口を開く。

 「例えば、糸の生産量が上がるのなら消費量を上げれば良い。それでも労働力が余るようなら、他の仕事を創れば良いのです」

 が、役人は納得をしなかった。

 「“糸の消費量を上げる”と言いますが、そんなに簡単な話ではないでしょう?」

 「そうですか? しかし、寒い冬の日に薄い防寒着で震えている子供や大人はたくさんいるではありませんか。その為に糸を使えば、消費量が増えます」

 そのセルフリッジの説明に役人は揶揄するように軽く笑った。

 「そういった人々は貧乏人でしょう? 金は持っていない。防寒着を買えないのだから、消費量は増やしようがありませんよ」

 が、その役人の疑問にセルフリッジは即答するのだった。

 「お金がないのなら、刷れば良いのですよ」

 その発言に役人は驚く。

 「何を馬鹿な…… そんな事をすれば物価が上がってしまう」

 しかし、セルフリッジは動じなかった。

 「そうはなりませんよ。糸の生産量が増えて通貨需要が増える分に合わせて通貨を発行するのだから。

 物価が上昇するのは、通貨需要が増えないにもかかわらず通貨供給を行うからです。通貨需要の増加に合わせて通貨供給を行うのなら、少なくとも経済が混乱するような物価上昇は起こりません」

 役人はそれを受けて考えるような仕草を見せる。

 「いや、しかし、そんな事をずっと続ける訳には……」

 「もちろん、通貨を刷るのは初めの一回だけです。それで充分なのですよ。

 紡績業者などの収入がそれによって上がるでしょう? すると、労働者の給金が上がり、手にした通貨で何かを買います。それで他の生産物の売上げが上がれば他の多くの産業でも給金が上がる…… 要するに好景気になるのですね。多くの生活者の収入が上がれば、糸への需要は恒久的なものになり、失業は心配しなくてもよくなります。

 もし、それでも労働力が余るようであれば、新たな産業の育成に活用すれば良い。今説明したのと同じ原理でそれは可能ですよ」

 役人は考え込み始める。反論は思い浮かばないようだ。しばらくの間の後で、セルフリッジは続けた。

 「もちろん、それによって事業が成功すれば出資した者には多額の収入が約束されます。そして、初めの一回目の通貨を刷って賄う分に関しては“防寒着を買わなくてはいけない”というルールを設ければ、失敗する可能性はほぼゼロなのです。国民の懐が痛む訳ではないから、誰も文句を言わないでしょうし。

 つまり、この手段を用いれば、ほぼ確実に大金を稼げるという話ですよ」

 そう言いながら彼は笑っていた。いつもはアンナには彼の笑いが本物か偽物か判断が付かないのだが、その時は直ぐに分かった。偽物だ。だが、その偽物の笑いに釣られるようにして、役人は同じ様に笑みを浮かべたのだった。

 「なるほど。それは良い話ですね。当然、あなたも出資するのでしょう? お金をたくさん蓄えておいでだ」

 「はい。もちろん」と、それにセルフリッジ。偽物の笑顔。役人はその笑顔にまた笑い返した。悪そうな笑顔。そして、その役人はそれから彼の提案を受け入れたのだった。

 どうやら大きな仕事が決まったらしい。

 だがアンナは、その時のセルフリッジの様子に、微かな不安を覚えたのだった。

 

 夜中。

 アンナ・アンリはオリバー・セルフリッジの部屋の前にまで来ていた。

 彼の部屋は魔女達の部屋から離れている。そして、この家で男は彼一人だから当然と言えば当然なのだが一人部屋だ。それがこの屋敷で明確に彼が女性達よりも贅沢をしている唯一の点と言えるかもしれない。

 彼女はその点を怪しんでいた。

 魔女達から離れた場所で、彼は果たして何をやっているのだろう? 一人部屋であることについては納得するにしても、何故離れる必要がある? 不自然な気がしてならない。

 夜中だから当たり前だが、闇はたっぷりと辺りに溢れている。微かな橙色の光が、閉ざされたドアの隙間から漏れているのが見える。ランプの灯り。彼はまだ起きているのだ。彼女は闇の中に身を沈ませると、彼が何をやっているのか確かめる為に部屋に忍び込んだ。

 セルフリッジの部屋は、寝室も書斎も兼ねている。わざわざ部屋を分ける必要はないと、彼はくっつけてしまったのだ。彼はそのような事にプライドを覚える性質ではない。いや、そもそもプライド自体が低いのかもしれない。

 彼は机の上に座り、ランプの控えめな灯りを頼りに何かの書類作業を行っていた。恐らく、今日決まった出資に関するものだろう。今回の仕事に魔女の出番はないはずだった。“悪だくみ”だけでお終いだ。それが本当に悪だくみと言えるのなら、だが……

 彼は淡々と静かに作業を進めていた。ゆっくりと着実に仕事を進めるいかにも真面目そうなその姿は非常に彼らしいとアンナは思った。そのテンポは心地良くさえあった。気付くとランプの柔らかな光に包まれる彼の姿に、彼女は少し見惚れてしまっていた。

 考えてみれば、こんなにじっくりと彼の部屋にいるのは初めての経験かもしれない。

 仕事を進めるオリバー・セルフリッジの背中の先にはベッドが置いてある。彼はいっつもあそこで眠っているのだ。そう思うと彼女は少しだけ緊張した。ただそれは決して不快な類の緊張ではなかった。ベッドの上の布団は丁寧にたたまれてある。

 不意に、彼女は何故かその布団に触れて感触を確かめてみたくなってしまった。柔らかいのか意外と硬いのか。少しならバレないだろうと闇の中から身体を浮かび上がらせる。

 が、それにオリバー・セルフリッジは気が付いてしまったのだった。

 「そこにいるのは誰ですか?」

 ランプの光が彼自身の身体で遮られてしまっている所為で、彼からアンナの姿はよく見えていないようだった。アンナは一歩前に出ると「わたしです」と言う。なんだか、彼に認識されていないのが嫌だったのだ。

 「アンナさんですか」

 と、彼は安堵した声を上げる。泥棒か何かだと心配していたのかもしれない。

 「どうしたのですか? こんな真夜中に」

 そう言っている途中で、彼女は彼が自分のベッドに視線を向けたように思えた。軽くへこんだ布団の形に気が付いたのかもしれない。さっき自分が手で触れていたことに。

 「いえ、あなたの部屋から光が漏れているのが見えたものですから、こんな夜中に何をやっているのかと思いまして」

 アンナがそう返すと、何故かセルフリッジは「そ、そうですか」と上擦った声を上げた。彼女はそれを変に思う。

 「昼間の商談に関する書類をまとめていたんですよ。こればっかりは、魔女の皆さんを頼る訳にもいきませんし」

 彼の態度はいつもとは少しばかり違っているように彼女には思えていた。軽く動揺をしているようだが、何かを誤魔化している素振りではない。後ろめたさを感じているというよりは、彼女にどんな風に接すれば良いのか迷っているように思える。

 だが同時に、喜んでいるようにも見えていた。

 彼女は軽く首を傾げる。

 「あなたはいつも自分でできる仕事は自分でしようとするではありませんか。今日だって家事もやっていたし。むしろ、もうちょっと魔女達に仕事を振った方が良いくらいだとわたしは思いますが」

 「はい。そうですねぇ」

 彼は相変わらず軽く動揺をしているようで声が上擦っている。薄暗くて見えないが、目も泳いでいるのかもしれない。

 「あの……」と、言うと彼は机から離れ、暗がりの方に向う。そこにはワゴンカートが置いてあって、その上にはワインか何かが乗せてあった。

 「軽く飲みませんか? 実はちょっと飲んでから寝ようと思っていまして」

 アンナは少し迷ったが、「いえ、遠慮します」とそれを断った。

 「それよりも、そんな時間があるのなら、仕事を早めに切り上げて早く寝た方が良いと思いますよ。あなたはただでさえ過労気味なのですから」

 それにセルフリッジは「はぁ、ありがとうございます」と返したが、何か憮然としているように見えなくもなかった。

 「それでは失礼します」と言って、彼女はそれから外に出たのだが、やはり彼は少し元気がないようだった。

 “疲れているのなら、早めに休めば良いのに”と、彼女はそれで思う。

 

 「アンナ、どこ行ってたの?」

 魔女達のいるリビングに戻ると、彼女は仲間の魔女達からそう尋ねられた。一部の魔女達はよく夜更かしをする。彼女はそれには答えず、

 「セルフリッジさんの部屋だけが離れているのって怪しいと思いませんか?」

 と逆に質問をした。

 魔女達は顔を見合わせる。

 「なにがー?」とその内の一人のブルー・ビーが代表で訊く。

 「彼、一人でこっそりと魔女達に知られたくないことでもやっているのではないかと思いまして、部屋を覗いて来たのです」

 魔女達は再び顔を見合わせる。

 「で、セルフリッジさんは何をやっていたの?」と、今度はトトという魔女が訊いた。

 「不審な点はなく、真面目に仕事をしていました。もっとも、途中で気が付かれてしまったので、あの後で何をするつもりだったかまでは分かりませんが」

 「気が付かれた? それで、あなた達は何をやって来たの?」

 「何を? “何を”って何です?」

 「まさか、何もしなかったの?」

 「する訳ないじゃないですか。見つかった後、“灯りが見えて気になっただけ”と断って、そのまま外に出ましたよ」

 それを聞くとまたまた魔女達は顔を見合わせた。そして、それぞれが額に手を当てたり、肩を竦めたりといった“呆れている”を全身で表現した仕草をする。その後で彼女達は一斉に「残酷なことをするわねー」などと言うのだった。

 アンナにはその反応の意味が分からない。

 「残酷? 残酷って何ですか?」

 それにベールという魔女が返す。

 「いや、あんたさ、セルフリッジさんだって男なのよ? それを考えたら、一人だけ部屋を離している理由くらい簡単に想像できるでしょう? 我慢し切れないからに決まっているでしょーが!」

 「我慢って……」

 まだアンナは完全には分かっていないようだったが、それでも何となく分かりかけていた。

 あの時の彼のあの態度は……

 「この家にはこれだけたくさんの女がいるのよ? しかも、あの人は自分とわたし達は対等な関係ってことにしてはいるけど……」

 「わたしにはあなた達が彼を対等以下の存在として扱っているようにしか思えないのですがね」

 「茶化さない。とにかく、本当は彼の方が立場は上でしょう? わたし達は魔女で、彼はわたし達の所有者で、彼がいなかったらわたし達は酷い目に遭うんだから。彼がそういうのを笠に着て、威張ったりしないって決めているだけでさ。

 もちろん、彼もわたし達の力に依存しているけど、限度を超えて横暴に振舞いさえしなければわたし達には彼に逆らうだけのメリットがない。

 だから、もしも彼が我慢できなくなって、わたし達に肉体的なものを求めて来たら、わたし達は拒絶できない訳よ」

 その説明の後でブルー・ビーが、

 「まぁ、これだけしてもらっているんだから、一回くらいさせてあげても良いけどねー」

 などと軽いノリで続ける。

 アンナはそんな彼女を睨んだ。

 とにかく、その説明で彼女は先ほどのセルフリッジの態度に納得がいった。またベールが続ける。

 「で、真夜中、そんな悶々としている彼の所に気になっている女がやって来た…… 期待しない方がおかしいわよねー その期待をあっさりと裏切っちゃうなんて、かわいそー」

 「“気になっている女”って、わたしがですか? どうして?」

 「いや、だって、あんた、料理とか掃除とか時々あの人を手伝ってあげているじゃない。あれ、かなりポイント高いと思うわよ?」

 「ポイントって、わたしはそんなつもりで彼を手伝っている訳じゃありません! あなた達が彼を酷使するからいけないんです!」

 「あんたがどんなつもりかなんて関係ないのよ。“男の方から見てどう見えるか”なんだからさ。あんな風に優しくされたらなびくでしょう。セルフリッジさんの態度で分かるし。絶対にあんたを気に入っているって」

 そう言われてアンナはまたさっきの部屋でのセルフリッジを思い出した。あれは、間違いなく、期待していたのだろう。つまり、自分とシタガッテいた……

 少し赤くなる。

 彼は飲まないかと自分を誘って来たが、もしあの誘いを受けていたら、あれからどうなっていたのだろう? 別に彼の誘いが嫌だった訳ではない。早く休んだ方が彼にとって良いと思っただけだ。

 アンナはベッドで絡み合った自分と彼の姿を想像してしまっていた。そんな彼女に向けてまたベールが口を開いた。

 「どうしてそこまで彼が我慢しているのかは分からないけどね。わたし達の誰かと関係を結んでしまったら、わたし達の人間関係が壊れるとか心配しているのだとしたら、ちょっと自信過剰じゃないかって思うけど……」

 その説明が終わったタイミングで、ブルー・ビーがふと思い付いたのかこんな事を言った。

 「そう言えば、キャサリンって最初の頃はセルフリッジさんと二人きりで暮らしていたのよね? しかも、命を助けられている」

 それにトトが頷いた。

 「そう言えば、そうね。二人きりだから、人間関係とか気にしなくて良いのか。なら、お礼に…… ってパターンとかもありそう。ってぇか、むしろその方が自然な気がするわ。大人の男女が一つ屋根の下だし」

 そのままブルー・ビーはリビングの奥の方に目をやった。キャサリンがソファに座って何かの本を読んでいる。大声で尋ねた。

 「ねぇ、キャサリーン! あんた、昔、セルフリッジさんと二人だけで暮らしていたのでしょう? やっちゃたりしたのぉ?」

 「いや、あんた、表現。もっとオブラートに包みなさいよ」と、トトがそれにツッコミを入れた。

 キャサリンはゆっくりと顔を上げると、そんな彼女らを面倒くさそうに見やりながら、「フフ。さぁ? どーかしらねぇ?」などと妖艶な微笑みを浮かべて言った。演技っぽさが如実に分かる言い方だったが、それが逆に真実を誤魔化しているように思えなくもなかった。

 キャサリンは意地が悪そうな外見をしてはいるが美人だ。セルフリッジが肉欲を抑えきれなくなったとしても不思議ではない。

 アンナは彼女が彼と二人きりでしているシーンを想像してしまった。苛立ちを覚える。“さっき、わたしを誘ったくせに!”などと彼女は思う。時系列は逆なのだが、そんな理屈は今の彼女には無意味だった。追い打ちをかけるようにブルー・ビーが言った。

 「まぁ、あれよねー。あたし達魔女は、そういう経験していないやつの方が少ないのじゃない? 特に複数人の男に買われた魔女はさー」

 それを聞いた瞬間に、アンナは思っていた。

 魔女は…… いや、この社会では女性は男性に搾取されるのが普通なのだ。そういう男で溢れている。

 どんなに取り繕っても、オリバー・セルフリッジもそれは変わらない。薄い表皮を捲れば、醜く汚い男の素顔が現れる。初めから、色々なことに利用する目的で彼はキャサリンのことを助けたのかもしれない。

 暗い情念のようなものが、自分の心の底の方から湧き上がってくるのをアンナは感じていた。

 

 深夜、オリバー・セルフリッジが一人机に向っている。何らかの計算をしているようだ。恐らくは先日決まった出資に関するものだろう。

 集中をしているようだったが、やがてひと段落ついたのか、軽く「ふぅ」と息をつくと近くにあったコップに入れてある水を飲んだ。空になったコップを机に置く。まだ仕事を続けるかどうか迷っているようだったが、そこで背後に気配を感じたのか、振り返る。

 「アンナさん」

 と、そしてそう一言。

 ベッドの前にアンナ・アンリがいたのだ。薄暗い灯りでは、どんな表情をしているのか彼には分からないはずだが、いつもとは違う雰囲気だとは思っているようだった。

 「どうかしたのですか?」

 戸惑いを伴った声を上げる。

 アンナは静かに言った。

 「魔女達を利用して掴んだ儲け話は上手くいきそうみたいですね」

 彼女は“利用して”の部分を特に強調して言った。嫌味を込めている。彼女の不機嫌な様子を察したのだろうセルフリッジは困った表情で「そうですね。お陰様で」と返す。何故彼女が怒っているのか分からず困惑しているようだ。

 「あなたは魔女達に随分と優しく接していますが、それはあなたの策略の内なのでしょう?

 実際、それで魔女達はあなたに全面的に協力するようになっていますものね。他の男達には執れない策略…… 彼女達にとってもメリットがありますが、それでも狡猾です。あなたはその策略で、どれだけの富を手に入れたのですか?」

 アンナは淡々とそのように語る。

 「あの…… 本当にどうしたのですか?」

 それを聞いて、セルフリッジは困惑の度合いをより強めたようだった。

 「別になんでもありません。ただ気が付いただけです。方法がより狡猾というだけで、あなたも魔女達を利用して効率良くお金を稼いでいるくだらない男の一人だという事に」

 そう言い終えると、アンナはセルフリッジのベッドに腰を下ろした。その行動にセルフリッジは目を大きくする。

 彼は感じ取ったのかもしれない。不機嫌な様子で彼を罵倒するアンナの態度の何処かに妖艶な気配があることに。

 まるで誘われているかのような。

 「あなたのやり方がより狡猾であるからでしょう。魔女達は自分達が使役されているという自覚すらないままあなたに協力している。それこそ本当の意味での人間性の剥奪です。おぞましい!」

 なおも続くアンナの罵倒に、セルフリッジは自然立ち上がると彼女に近付いていった。ただ、それが怒りによるものなのか、彼女に誘われていると思っているからなのかは本人も分かっていないのかもしれなかった。

 近付いてみると、アンナ・アンリが薄い衣服を身に纏っているのが分かる。恐らく、ナイトウエアなのだろう。ふんわりとしていながら身体のラインが分かる。薄っすらと彼女の肌が透けて見えているようにすら思えた。

 彼の視線で、アンナは自分の肉体を彼が意識していると実感した。

 上背のある彼は威圧するように彼女を見下ろしていた。魔力など関係ない。動物的な本能で直に感じ取れる力関係では、明らかに彼の方が優位にある。しかしだからこそ、アンナの方が彼を支配していた。

 アンナは妖艶に挑発するように言う。

 「あなたはいずれ、揺るぎない権力を手に入れたなら、女達を凌辱するつもりでいるのでしょう?

 今はまだその醜い策謀の為にそれを我慢しているけど、時が来たなら、遠慮なくその欲望を解き放つつもりでいるのでしょう?

 ですが無駄です。あなたがいくら隠そうともわたしはそんなものにはとっくに気が付いているのですから」

 そう彼女が語り終えた途端、セルフリッジは彼女をベッドに押し倒した。両腕を押さえ付け、彼女の自由を奪う。

 その行動が、怒りによるものなのか、肉欲によるものなのかは分からなかった。いや、どちらも含まれてあったのかもしれない。

 「ほら、やっぱり」と、アンナは言う。彼の瞳の中に、欲望をたぎらせる男の本能を彼女は見出していた。

 それでもセルフリッジはなんとか自分を抑えているようだった。

 「あなたの魔力があれば、僕など簡単に跳ね除けられるはずです」

 言い訳をするように言う。

 アンナが自分を誘っているのだとそう訴えているのだ。

 それを受けて、彼女は面白そうに笑った。

 「いいえ、違います。あなたはわたしの雇主ですし、わたしはあなたに魔女であることを明かされる訳にもいきません。

 力関係上、わたしはあなたに逆らう事ができないのです。あなたは嫌がっているわたしを無理矢理に襲って肉欲を満たそうとしているのですわ」

 そうアンナが言うと、彼が目に涙を薄っすらと浮かべたのが分かった。まるで“おあずけ”を命じられた犬のようだった。

 アンナ・アンリはその時、明確に優越感を感じていた。常に理路整然としており、己を理性で制御し知恵を重んじる男が、自分の魅力に抗えず、肉欲を抑えきれずに自分を押し倒し、自分を抱く言い訳を必死に探している。

 彼女は彼の理性を蹂躙していた。

 或いは男性が女性に対する支配欲を満足させるとはこのようなものか、彼女はそのように妄想をする。

 

 ――涙目で自分を押し倒している彼を見つめた。

 

 アンナ・アンリには彼に酷い事をしているという自覚があったが、罪悪感はまったく感じてはいなかった。

 ただその代わり、その時彼女は堪らないほどに彼を愛おしく想っていた。

 

 「……もう部屋に戻ってください」

 

 オリバー・セルフリッジはそう言って彼女を押さえつけていた手を離す。しかしその瞬間、アンナ・アンリは自由になったその両手で彼の顔を包み込むようにすると、そのまま口を近づけて唇を奪ったのだった。

 オリバー・セルフリッジは彼女のその不意打ちに目を大きく見開く。

 彼女は舌を入れ、とても強く彼の唇を吸った。まるで彼女が彼を襲っているかのようだった。いや、実際にその通りだったのかもしれない。

 まるで競い合うように彼は直ぐに彼女と上下の態勢を入れ替えると、今度は彼が彼女を襲うように唇を奪った。

 「ん」と、彼女は高い声を上げる。

 ――その後は、二人とももう止まらなかった。

 

 朝。

 オリバー・セルフリッジは目を覚ますと、横向きの姿勢で白いシーツに包まれたアンナ・アンリの姿がすぐ隣にあるのを見つけた。

 彼女は既に目覚めていて、彼と目が合うと「おはようございます」と挨拶をした。

 「おはようございます」と彼も返す。その後で彼女は憂鬱そうに「はー」と軽くため息を漏らす。

 それを見て彼は不安を覚えたのか、「あの…… 後悔していますか?」と尋ねる。

 「いえ、違います」とにっこり笑ってそれに彼女。

 「これから絶対にあの人達にからかわれると思ったものですから。朝帰りじゃ、誤魔化せるはずもありませんしね……」

 「あー なるほど」と、それに彼。

 あの魔女達なら、面白がってしつこく追及して来るだろう。

 その時のアンナ・アンリからは不機嫌な様子が消え、もちろん妖艶さもなくなっていた。いつもの彼女だ。

 それに安心をしたような、少し残念そうな顔で彼は笑った。

 そんな彼に向けて彼女は言った。

 「少し質問があるんです」

 「なんでしょう?」

 「どうして、あなたは今まで魔女の誰ともこういった関係を結ぼうとしなかったのですか? わざと、ですよね?」

 彼が昨晩、ああいった行為をしたのは飽くまで自分が彼の理性を揺さぶったからに過ぎない。多分、彼女が積極的な行動に出なければ、彼は今でも我慢し続けていたはずだ。

 それを聞くと、彼は何故か彼女の横顔を撫でながら言った。

 「僕は怖がりなんです。多分、あなたが思っているよりもずっと」

 そこで一度言葉を切ると、彼はこう続ける。

 撫でている手を放しながら。

 「あなたは少し他の人と違いますからね」

 それをアンナは人間関係に不器用という意味で受け取った。実際に、彼は人心を巧みに操る術に長けているように思える一方で、とても不器用な一面がある。

 ただ、その言葉には、そのような単純な意味があるばかりではなかったようだったのだが。

 

 それから数か月が経った。

 オリバー・セルフリッジの提案によって事業化が推進していた紡績機の普及は、早くも大成功していた。

 大量生産が可能になった毛織物産業は生産量を拡大し、それによって今まで温かい衣服を身に纏うことなど叶わなかった貧困層の人間達も良質の衣服を手に入れられるようになっていた。その経済効果は他の産業にも波及し、社会全体の経済は急速に好転していた。

 この好況の立役者の一人であるオリバー・セルフリッジの地位は上がり、出資によって株を大量に購入していた彼の下には巨額の富が転がり込んで来てもいた。

 もちろん、そうなれば彼に取り入ろうとする者も多数出て来るし、同時に警戒し敵視する者も多く現れる。

 本来の彼の性格ならば、ここで敢えて頭を引っ込めるような策を執るだろう。少なくともアンナ・アンリはそう思っていた。しかし、彼はより目立つ行動に出たのだった。それは或いは自分の所為かもしれないと彼女は思っていた。

 

 「――アンナが逃がしていた魔女達が捕まってしまったみたいよ」

 

 ある日の昼休み、唐突にキャサリンが彼女にそう告げた。

 「わたし達も追っていたのだけどね、残念ながら準備が間に合わなかった。警察の方が早くに動いてしまったわ。彼女達はやはり闇市場で売買されていたようよ。予想通り、普通は魔女を買う事ができない犯罪組織で使われていたのね」

 アンナはちょうどセルフリッジ邸で休憩を取っていて、昼寝でもしようかと思っていたところだったのだが、それで一気に目が覚めてしまった。

 「わたしは騙されていたのですか?」

 アンナは魔女達を救うつもりで魔女達を逃がしていたのだ。魔女解放同盟に彼女達を引き渡して。

 「或いは、解放同盟とやらも騙されていたのかもしれないけどね。

 とにかく、警察が一斉摘発して、犯罪組織で使われていた魔女達もほとんど捕まってしまったわ。罰を受けるでしょうねえ。魔女は“使える”から、殺されはしないでしょうけど、多分、奴隷よりも酷い扱いを受けるわよ。

 まぁ、元より、彼女達は物扱いされていたのだけどね」

 その言葉にアンナは強い罪悪感を覚えた。自分は魔女達を救うつもりで地獄に叩き落してしまっていたのだ。

 彼女の訴えを聞くとキャサリンは言った。

 「安心しなさい。あなたが地獄に落としたのじゃない。彼女達はずっと地獄にいるのよ。前も言ったけど、金持ち連中に使われていても、犯罪組織で使われていても境遇に大差はないでしょう。いえ、犯罪組織の方がまだマシかもしれないわ」

 アンナは涙目になる。

 「でも、これからは違いますよね? 罪人として扱われてしまうのですから」

 まるで駄々っ子のようにそう訴える彼女をキャサリンは宥める。

 「それはどうかしらね? わたしはギリ間に合ったのじゃないかって思っているのだけど」

 「間に合ったって、何がですか?」

 「セルフリッジさんよ」と、それにキャサリン。

 「彼、随分とお金持ちになったし偉くもなったじゃない?」

 

 裁判所の法廷。

 傍聴者席がざわめている。

 それは先日一斉摘発された魔女達の裁判だったのだが、当事者の魔女達の姿はない。そもそも彼女達に真っ当な人権は与えられていない為だ。だからそれは裁判と言うよりは、魔女の所有者達がどのように逮捕された魔女達を扱うのかを決める為の“商談の場”と言った方がむしろ相応しかった。

 そして、その場には、何故かオリバー・セルフリッジの姿があったのだった。

 「もう一度、よろしいですか?」

 と裁判官が言う。

 彼は先ほど、魔女達の所有者に向けて驚くべき提案をしたのだ。裁判官は彼の提案の内容が信じられなかったのである。オリバー・セルフリッジは穏やかな表情で淡々ともう一度説明をした。

 「ですから、魔女達は逃げていたのではなく“リースされていた”という事にして、彼女達の罪を見逃していただきたいのです。そのリース料は僕が支払いましょう。

 ただ、その代わり、魔女達はそのまま僕が買い取りたいのです」

 その発言に魔女の所有者達は顔を見合わせた。用意周到に既に書類も用意されてあった。魔女達のリースを認める事後承諾用の書類だ。そして、同時にそれはリース買取契約の書類でもあった。

 もし彼らがその書類にサインをすれば、法律上は何の問題もなく魔女達の罪は消えてなくなる。“盗難・逃亡”の申請は誤りであったと棄却すれば良いだけの話だ。

 魔女達が失踪していた期間、つまり、リース期間はかなり長い。普通に魔女達を売るより遥かに高い金額で売れるのは明らかだった。

 「我々としてはそれで構わないが、一体、あなたにどんなメリットがあるのですか?」

 魔女の所有者の一人がそう尋ねる。セルフリッジの意図が彼らには全く理解できなかったのだ。

 逮捕され罪に問われている魔女達の人数は21人。全ての魔女の金額を支払うとなると一財産吹っ飛ぶほどにもなる。セルフリッジがそれくらいの金を持っている事を彼らは知ってはいたが、そこまで魔女達に価値があるとは思えなかったのだ。

 「なに、ちょっとばかり魔女が多く入用でしてね。それだけですよ」

 セルフリッジは、腑に落ちていない様子の彼らに向けて不敵な表情でそう語った。そしてその後、戸惑いながらも彼らはその契約書にサインをしたのだった。

 

 夕刻。

 セルフリッジ邸の庭に大きめのテントが幾つも張られてあった。裁判でオリバー・セルフリッジが買い取った魔女達21人の寝泊まりする場所が足らなかったので設営したのだ。幸いテントの中は快適だったようで、不満を漏らす魔女は一人もいなかった。

 否、どんな酷い目に遭わされるのかと覚悟をしていた彼女達にとって、多少の住居の過ごし難さなどどうでも良かったのかもしれない。

 セルフリッジ邸で既にそこで暮らしている魔女達の様子を見て、彼女達は安堵したようだった。セルフリッジは悪い人間ではない。自分達を悪く扱うつもりもない。セルフリッジの許にいる魔女達は、首輪こそしているがダミーで、しかも彼女達は自由に行動できている。その事実に彼女達は感動すら覚えているようだった。明るい表情で会話をしている。

 アンナ・アンリはやや怯えながらそのテントのうちの一つをくぐったのだが、中に入るなり彼女は魔女達から歓迎をされ、お礼を言われた。

 「ありがとう。あなたのお陰で助かったわ」

 と。

 アンナはそう言われて複雑な想いがした。

 自分が余計な事をした所為で、彼女達はより悲惨な目に遭うかもしれなかったのだ。むしろ恨まれていると思っていた。

 もっとも、彼女はセルフリッジが「アンナさんから助けて欲しいと頼まれましてね」と彼女達に告げていることを知らされてはいたのだが。

 確かに彼女はそれらしい約束をキャサリンとの間に交わしている。だが、それに見合うだけのお返しをしたつもりは彼女にはまるでなかった。だから、セルフリッジの善行を自分の手柄にしているような座りの悪さを彼女は味わっていたのだ。

 テントを全て周り、アンナは魔女達から犯罪組織でどんな扱いを彼女達が受けていたのか訊いて回った。「まさか魔女解放同盟が、犯罪組織と通じていたなんて知らなかったのです。許してください」と謝りながら。彼女達の境遇は大体はキャサリンの予想と一致していた。富豪達の下で働くのと同じか少しマシという程度。そして、暗黒街の奥では、彼女達よりも遥かに悲惨な境遇で犯罪組織で働かされている魔女達がいるという話をアンナはその時に聞かされたのだった。

 そのような事が行われているという噂を以前から彼女は知っていたが、事実であるかどうかは不明の半ば都市伝説のような認識だった為、ショックを受けた。

 やがてしばらくが経つと、「夕食の準備ができた」と声がかかった。魔女達はテントから邸宅内に移動する。リビングには大きな机が搬入されてあり、随分と狭く感じた。更に仲間が加わった事で魔女達の総勢は51人にもなっていた。一気に人数が増えてしまった。

 「皆さん、今晩の夕食は歓迎会代わりです。いつもよりも少しばかり贅沢にしました。楽しんでください」

 セルフリッジが中央のテーブルで代表してそう挨拶をする。彼はこういう場が苦手だろうと彼女は勝手に思っていたのだがそつなくこなしている。意外に器用な男なのかもしれない。

 「これからセルフリッジさん、料理作るの大変になるわねぇ」

 などとブルー・ビーがそこで冗談を言った。

 「毎回僕に全部、作らせるつもりですか?」

 そう彼が応えると笑い声が起こった。

 皆が楽しそうに食事を楽しんでいる。それは平和で和やかな光景そのものだった。だがしかし、その裏にある不穏な流れと不吉な兆候をアンナは知っていた。オリバー・セルフリッジがこのように魔女達を集めている事を快く思っていない者達もこの社会にはたくさんいるのだ。魔女達を蔑視し、危険視している人間達。彼はそんな人間達の“悪意”をどのようにして躱すつもりでいるのだろう?

 アンナは疑問と不吉な予感を覚える。

 この社会にはまだまだ救わなくてはいけない不幸な魔女達がたくさんいる。未だに金持ち達から物扱いされている魔女達、先程魔女達から聞いた暗黒街で苦しめられている魔女達。魔力を持ってしまったことを隠し、いつ明るみになるかと怯えて過ごす自分のような魔女達。

 もちろん、この世の中には魔女でなくても不幸な人間がたくさんいる。だが、それでも、アンナはそんな彼女達の事を救いたいと思っていた。そして、或いはそう考えるのは、自分のエゴなのかもしれない。彼女はそのようにも感じてもいた。

 そしてそれは、もしかしたら、彼女がそんな魔女達を救うのにオリバー・セルフリッジを自然と頼りに思っている自分に気が付いているからなのかもしれなかった。

 ふと、食事の最中、セルフリッジと視線が合った。彼はそんな彼女の胸の内を理解しているかのように優しそうに笑った。

 その笑顔を見た彼女は、仮にそれが自分のエゴであったとしても、彼はそれを許し、受け止めてくれるような気がした。

 しかしだからこそ、彼女は不安を覚えてしまったのだが。

 

 裁判の一件によって、オリバー・セルフリッジが魔女達を助けたという噂が広まっていた。すると少しずつ彼…… 否、彼も含めた魔女達への嫌がらせが始まった。

 この社会は魔女差別思想が強い。が、その中でも特に魔女を敵視している団体が、セルフリッジ達を標的にするようになってしまったのだ。

 “魔女を信仰する宗教”。強い魔力を持った女性達を神の使い、或いは神そのものとして崇める宗教。もちろん、邪教とされ、禁教とされているのだが、隠れて信仰をし続けている者達もいるとされている。

 セルフリッジは、その宗教の信者ではないかと噂されるようになってしまっていたのだ。噂が広まると、セルフリッジと組んでビジネスを行おうとする者も彼に仕事を依頼する者も激減してしまった。

 もちろん、莫大な資産を持ち、政界と浅くない関りを持つ彼は生活に支障が出ることはなかったのだが、それでも商売はし難くなっていた。新たな事業を手掛けるのはかなり難しいと言わざるを得ないだろう。

 しかし、セルフリッジはそんな状態でもまったく慌てていなかった。

 

 「ビジネスに協力する相手がいないと言うのなら、作ってしまえば良いのですよ」

 

 ある日、彼は魔女達を集めるとそのように述べ、それからこう発表した。

 

 「これから、僕らは暗黒街を攻めます」

 

 ――また、子供達を“入荷”したか。

 ジャックがビルの中を歩いている。陽の当らない場所にあって、いるだけで不健康になりそうな汚いビルだ。

 彼の所属している組織は様々な犯罪に手を染めているが、ここではその中でも最も胸糞が悪くなる商売の一つ“人身売買”が行われている。

 生活に困った親や、人さらい達から子供を買い取り、高値で貴族や金持ちに売るのが主な仕事内容だ。

 ジャックは子供を入荷したという話を聞き、品定めをしようと子供達がいつも入られている檻のある部屋に向った。だが、その途中で異変に気が付く。

 子供達が廊下に立ち尽くしているのだ。運び役も監視役も傍にいない。だが子供達に逃げ出す素振りはなかった。慄いた表情で何かをじっと見つめている。

 それはちょうど檻のある部屋の前だった。曲がり角になっている所為で彼からはその子供達が見ているものが何なのか分からなかった。

 「おい、どうしたんだ?」

 そう問いかける途中で気が付いた。倒れている誰かの足が見える。何者かにやられたんだ。ジャックは急いで駆け寄った。すると、子供達の視線の先に何人もの男達が倒れているのが見えた。

 「おい! 何があったんだ?」

 ジャックは子供の一人の肩を掴むとそう問い詰めた。子供は涙目になって小刻みに首を振りながら「分からない。突然、マフィアの人達が倒れて……」と返すだけだ。これでは埒が明かない。彼は倒れている男達を観察する。どうやら眠っているだけのようだ。しかし、一体、どこの誰が……

 まさか、この辺り一帯を仕切っているガタリ一家に襲撃をかける者がいるとは彼は思ってもいなかったのだ。

 やがて、彼にも急速な眠気が襲って来た。

 “やはり、魔法か!”と、彼は思う。

 

 「勝算はあります。情報はもう充分に集めてあるし、作戦も立ててありますから」

 

 オリバー・セルフリッジは魔女達の前でそのように述べた。

 それを聞いて、アンナ・アンリはキャサリンが“犯罪組織を追っていた”と言っていたのを思い出した。恐らく、その過程で犯罪組織の事も調べていたのだろう。

 「彼らガタリ一家は暗黒街を牛耳っている最大勢力です。その他にも小さな組織は存在していますが、いずれもガタリ一家の衛星組織に過ぎません。ガタリ一家が滅びれば生き残れないでしょう。

 暗黒街の中で圧倒的な勢力である為、彼らは油断をしています。まさか自分達が攻撃を受けるなどとは夢にも思っていないはずです。その為、奇襲に弱い。それが勝てる理由のうちの一つです」

 説明を終えると、セルフリッジは大きな紙を壁に広げて皆に見せた。様々な場所に散らばっているガタリ一家の拠点を記した地図であるらしい。

 「魔女の皆さんには、三人一組で動いてもらいます。一人は索敵、一人は攻撃、一人は防御、全員が臨機応変で回復役。攻撃は主に精神系の魔法で行ってもらいます。マフィアとはいえできる限り傷つけたくないですし、精神攻撃ならば音を発てずに行動不能にできますから奇襲がバレ難くて都合が良い」

 

 ジャックは眠り落ちそうになるのを必死に堪えながらビルの中を走っていた。途中、誰かに会うとその度に「敵襲だ! 外から睡眠魔法で攻撃されているぞ!」と声をかけた。そして自分自身はビルの屋上を目指した。

 魔法で攻撃をしかけるのに、そこまで遠くにいるはずがない。彼は敵の魔女はビルの近くにいると判断し、屋上から探すつもりでいたのだ。

 屋上に辿り着き辺りを探すと、近くにフードを被った人影が3つあるのを見つけた。敵かどうかは分からないが、もし間違っていても構わないと彼はその影に向って銃を撃った。ところが、そこで不可思議な現象が起こったのだ。途中で波紋のようなものが幾つも発生して、手応えがまるでないのだ。幾重にも重なられた水面に銃弾が激突して威力を殺されているような感覚。何かは分からないが、銃弾は届いていないと考えた方が良さそうだった。間違いなく魔法。魔女達だ。

 彼はそう確信すると大声を上げた。

 「おい! 魔女達を見つけたぞ! ビルの裏にいる! さっさといってぶっ殺して来い!」

 そして、本人はもう一度銃を撃とうと銃口を魔女達に向けた。ところが、そこでえぐるような鋭いつむじ風が起こる。銃を持った手にそれは当たり、拳銃は跳ね飛ばされてしまった。

 「なんだこりゃ?」

 ジャックは戦慄する。凄まじい攻撃精度だ。もしかしたら、わざと怪我をしないように攻撃をしているのかもしれない。

 やがて彼の報告によって魔女達を攻撃しに向った仲間のマフィア達が姿を見せた。銃を撃ったが、やはり魔女達には通じていないようだった。直ぐに静かになる。見ると、彼らはどうやら眠らされているようだった。

 ジャックは「クソッ」と吐き捨てるように言う。

 「こりゃ、うち単独じゃ勝てねぇぞ。本部や他の拠点の連中になんとかして連絡を取らねーと……」

 

 「……拠点はできる限り個別に潰します。各々の連携を防ぐ為に、交通の要衝を抑え、妨害をしましょう。それと、同時に魔法での連絡も防ぎます。重要な役割ですので、その為に人員を4分の一ほど割きましょうか」

 セルフリッジは淡々と作戦内容を説明していく。

 「そんなに都合良くいくもの? マフィア達だって魔女を使っているだろうし、魔法対策だってしているでしょう?」

 そこで疑問の声を上げたのは、トトだった。彼女はこういった謀略の類を好む性質らしく、興味津々といった様子だ。

 「いえ、大丈夫だと僕は考えています」と、それにセルフリッジ。

 「彼らは首輪をつけられて、魔力を抑えられた状態の魔女達しか知りません。つまり、魔女の本当の力を見誤っているのです。その計算違いは、魔女達を相手にする場合、或いは致命的かもしれません」

 

 スーリィは目を大きくした。

 「なんで、あんたら戻って来ているのよ?」

 彼女は麻薬製造工場の責任者で、魔女達の襲撃を受けていることを本部に伝える為に部下達を行かせたばかりだったのだ。

 「あれ? ここは本部じゃないですよね? なんで、戻ってるの?」

 部下達は狐につつまれたような様子でそう言う。

 「聞いているのはこっちよ! どうして、戻って来ているんだい?」

 「それが、本部に向っている途中で何か道が迷路みたいになっちまって、それでも進まなくちゃってんで懸命に走っていたんですが、いつの間にか戻って来ていて」

 その部下の弁明を聞いて、彼女は歯ぎしりをした。

 “クッ…… 魔法で罠が張ってあるのかい。どうやらここから逃げるのも難しそうだね。しかし、ここまで強力な魔法なんて聞いたことがないよ。どうなっているんだい?”

 そこで「大変だねぇ」といういかにも呑気そうな声が聞こえて来た。組織で使っている魔女のノーボーだ。その他人事のような台詞に苛立ったスーリィは、彼女の特徴的なマリモ頭を乱暴に掴むと脅すように言った。

 「何をお前はのんびりしているんだい? 本部との連絡はどうした? お前が魔法で連絡を取れれば助けを呼べるんだよ」

 ノーボーは「痛いよ、ボスぅ」という情けない声を上げると「だから、連絡を取ろうとしても通じないんだって。きっと妨害をされているんだよ」と許しを請うように言った。

 彼女がそう言っている間にも部下の一人が倒れた。眠らされている。この拠点の全員が眠らされるのも時間の問題だろう。彼女はより強く危機感をつのらせた。

 

 本部のマフィア達は中央の部屋の中心部に固まっていた。

 本部は周りを十数人の魔女達に囲まれていて、外壁に近い場所にいると瞬く間に眠らされてしまうからだ。

 「クソッ! なんであいつらにはアンチマジック用の銃弾が効かないんだ!」

 魔女達から襲撃を受けていると察知すると、本部のマフィア達は直ぐに対魔女用の装備を整えて対抗したのだ。ところがその全てが襲って来た魔女達には通じず、むしろそれを逆手に取られて大ダメージまで負ってしまっていたのだった。

 「単純な理由です。魔力の量が桁違いに強いのですよ」

 そう言ったのは、彼らに使われている魔女のリリーだった。

 「桁違いに強い? どうしてだ?」

 「さぁ? 或いは、首輪を外されているのかもしれませんね、敵の魔女達は」

 「首輪が外されている? それでどうして魔女共は言う事を聞いているんだよ? 一体、誰に使われているんだ?」

 「さぁ? それこそまったく分かりません。ただ、我々に残された対抗手段が一つだけだというのははっきりしています」

 リリーはそう言うと、一呼吸の間を作ってから首輪を指で示した。

 「これを外してください。私だけじゃなく、彼女達の分も」

 そう言って、彼女は後ろに控えている二人の魔女に目を向けた。冷徹な瞳のまるで人形のような少女が二人。

 「イグニとニグニ。彼女達の魔法がどれだけ凄まじいかはご存知でしょう? 首輪を外していただければ、あの数の魔女にだって対抗できますよ?」

 それを聞いてマフィア達は唾を飲み込んだ。それが危ない賭けであるのを彼らは自覚しているのだ。

 

 「そして、最大の勝てる理由です。

 “オリバー・セルフリッジは魔女達の味方”

 幸いにもそんな噂が広く流布されています。恐らくはマフィア達に使われている魔女達の耳にも入っているでしょう。悲惨な境遇で酷使されている彼女達が、やって来たのがそのオリバー・セルフリッジの仲間の魔女達であると知ったなら、どうするでしょうか?」

 

 セルフリッジがそう述べた。

 アンナ・アンリは、その彼の説明と態度に“もしかしたら、そこまで計画の内だったの?”と仄かな不安と共に思う。

 

 「サボってないで、お前は全力で本部へ助けを呼ぶんだよ!」

 麻薬製造工場のほぼ全員が既に眠らされていた。残っているのはスーリィの他は部下がたったの二人だけ。

 ノーボーはそんな中、何故か既に眠ってしまっている一人を屈みこむようにして眺めているのだった。

 スーリィはそんなノーボーのマリモ頭を思い切り掴むと、「さっさと働きな!」と言って引っ張った。

 それに「痛いよ、ボスぅ」といつも通りの情けない声を上げる…… と彼女は思っていたのだが、ノーボーはそんな声は上げなかったのだった。代わりに、

 「痛ぇな、クソババァ」

 と、そう言ったのだ。

 「なっ!」と、それにスーリィ。

 「なぁにぃ? お前は誰に向って言っているのか分かっているのかい?」

 ところがそう怒鳴った瞬間、ノーボーの掴んでいた髪から強烈な熱を彼女は感じたのだった。

 「熱っ!」

 驚いて思わず手を放す。

 「いつもいつもいつもいつも、髪を思いっきり引っ張ってくれちゃってさ、どれだけ痛いか分かっているの?」

 ノーボーは恨みを込めた視線で、彼女を睨み付けていた。

 そこで彼女は気が付く。

 ノーボーの首輪が外されている。

 この魔女に嵌めらているはずの首輪は眠っている部下の手に何故か握られていた。恐らく、この部下は外の魔女達に操られていたのだ。それで、ノーボーの首輪を外してしまったのだろう。或いは眠らされる前から操られていたのかもしれない。

 ノーボーは言った。

 「分かっているよね? 首輪が外された魔女がどれだけ恐ろしいかって…… あなたは今までボクにどんな酷い事をしてきた? あなたは忘れているかもしれないけど、ボクはよおっく覚えているからね」

 “ヒィー!”と、スーリィは心の中で絶叫した。

 “誰か助けてぇぇぇ!”

 

 ――本部の中心部。

 イグニとニグニの首輪が外されようとしていた。男達二人が鍵を持ち、首輪の鍵穴に入れようとしている。

 追い詰められたマフィア達は、いよいよこの二人の魔女を頼る事にしたのだ。

 ところが鍵が回された瞬間だった。

 イグニとニグニの視界が唐突に真っ暗になる。彼女達は直ぐに察した。これは精神攻撃だ。ただ、二人とも少しも動揺してはいなかったが。

 『初めまして』

 と、声が聞こえる。

 やや冷たい手が二人の頭を抱え込むように添えられる。

 『わたしの名前はキャサリン・レッド。オリバー・セルフリッジに協力をしている魔女の一人よ』

 イグニとニグニは目を大きくする。それを受けてキャサリンは言う。

 『二人とも知っているみたいね。そう。裁判の時に罰せられそうになっている魔女達を救った男の名前。

 彼は魔女を奴隷として道具扱いしたりなんかしないわ。ちゃんと一人の人間として接して来る。彼はなんとわたし達の為に料理を作ってくれることだってあるのよ。とても美味しい料理。デザート付き』

 フフ。とキャサリンは笑う。

 彼女の声を二人は黙って大人しく聞いていた。

 『あなた達は二人とも強い魔法の使い手ね。わたしには分かるの。利用価値があるから、あなた達はマフィア達から大切に扱われていたのかもしれない。

 でも、それは飽くまで利用していただけ。

 分かっているわよね?

 そして、あなた達はその代償としてとても酷い事をさせられてきたのじゃないの? 絶対にやりたくない厭な仕事を。彼は、セルフリッジさんは、そんな事は絶対にあなた達にさせたりしないわ。

 わたしにはあなた達がどんな事をさせられて来たのかなんて分からない。ただ、代わりに、セルフリッジさんがどんな人でどういう事をしてくれる人なのかは伝えてあげる』

 そうキャサリンが言った途端、二人の頭の中に仕合せなイメージが流れ込んで来た。セルフリッジと魔女達が和やかに暮らす温かい光景……

 気付くと、二人は涙を流していた。

 こんな場所で生きてみたかった。

 が、その温かいイメージは途中で強制的に遮断されてしまった。

 

 「さぁ、鍵を外したぞ! イグニとニグニ! さっさと外の魔女共をぶっ殺して来い!」

 

 キャサリン・レッドの通信が途切れるなり、イグニとニグニはそう命令を下したマフィア達の方を振り返る。そして、無言のまま、両手を上げる。それを見て、「まさか……」とマフィアの一人が呟いた。

 彼女達は無表情のまま両手を振り下ろした。

 次の瞬間、全てのマフィア達は吹っ飛ばされていた。そして、壁に激突した彼らは、そのまま眠らされていた。

 その後で、「リリー」とイグニとニグニは呟く。

 「知っていたでしょう?」

 リリーはにこにこと笑いながら、「さぁ? 何の事だか」と澄ました顔で応えた。

 

 オリバー・セルフリッジ達の手によってガタリ一家は壊滅した。犯罪の証拠を押さえられて、主要なメンバーは全て警察に捕まってしまったのだ。

 この国では犯罪の明確な証拠がある場合、組織や個人に危害を加える事が認められている。それどころか、犯罪を意図的に放置すれば罪に問われてしまう。もちろん、ガタリ一家のような巨大な犯罪組織に対しては有名無実の法律ではあるのだが、とにかく、セルフリッジ達によるガタリ一家襲撃は法律上は何の問題もなかったのだった。

 そもそも彼らは死者も重傷者も一人も出してはいない。ガタリ一家の中に多少は怪我をした者がおり、セルフリッジ側の魔女達も数人が軽傷を負ったがいずれも大したものではなかった。

 この件によって、セルフリッジは“魔女を信仰する宗教”を信仰しているとは思われなくなった。裁判で魔女達を助けたのは、魔女への信仰心からではなく、ガタリ一家襲撃の為に魔女の数を増やしたかったからだと解釈されたのだ。

 そして彼は、この件によって巨大なビジネスチャンスを手に入れた。

 貧民街などのガタリ一家の縄張りは、今まで開発対象からは外されていた。マフィアが支配する世界に真っ当な商売は入り込み難かったからだ。しかし、彼らは壊滅した。そこに住む住人達…… 労働力を使って新たな事業を起こし、それによって彼らに安定した収入ができれば同時に消費者にもなる。つまりは有効な経済圏が広がる。オリバー・セルフリッジが今まで使って来た手法で、急速な経済発展が見込まれたのだ。

 彼の今までの実績を知っている商売人や政治家達は途端に彼との協働を申し出てた。今でも彼を敵視している人間達もいることはいるが、彼との協力連携をチャンスと見る者の数も充分に多かったのである。

 

 ――夜中。

 アンナ・アンリはオリバー・セルフリッジの部屋に久しぶりに忍び込んだ。遅い時間帯を選んだのは、彼と二人きりで話したい事があったからだった。

 彼は機嫌が良さそうだった。仕事が順調だからだろう。熱心に書類作業を行っていたが、彼女が「セルフリッジさん」と話しかけると、とても落ち着いた様子で後ろを振り返った。まるで彼女が来るのを前もって予知していたかのようだった。

 「アンナさん」と呟くように言った。

 「何かご用ですか?」

 「あなたらしくありません」と、彼女はそれに返す。

 「何の話です?」

 少し考えると彼女はこう応える。

 「力に対して力で対抗するなんて、あなたのやり方ではないでしょう?」

 軽く肩を竦めると、セルフリッジは再び机に向かった。背中を向けたまま言う。

 「ですが、マフィアの一味に酷使されていた魔女達を救う事ができました。まだこれからですが、彼らに搾取されていた貧困層の生活レベルも著しく向上するでしょう。見返りとしては充分ではないですか?」

 「それは分かっていますが」とアンナ。少しだけ苦しそうに続ける。

 「そういう事ではなく、あなたのしている事は何かがおかしいように思えるのです」

 「“何か”とは?」

 「例えば、……あなたは、これからどうなろうとしているのです?」

 そうアンナが言うとセルフリッジは黙ったまま立ち上がった。そして、ゆっくりと振り向く。彼の戦闘能力は高くはない。魔法を使えば容易に打ち倒せる。にも拘らず、彼女はその時彼から恐怖を感じた。

 「そう言えば、あなたは以前にもこんな夜中に僕を訪ねた事がありましたね。あの時のようにまた僕を苛める気ですか?」

 彼はゆっくりと彼女に向って近付いて来た。背後にはベッドがある。発言の意図を彼女は理解した。

 「止してください。そんなつもりで来た訳ではありません」

 彼はそれに笑う。

 「また、残酷なことを」

 その態度も表情も今までのオリバー・セルフリッジと同一人物だとは彼女には思えなかった。

 ――本性を現した?

 少しだけそう思う。

 だが、それから瞬時に彼女は彼の嘘を見抜いた。

 ――ちがう、これは演技をしているんだ。

 態度が不自然だ。彼は嘘自体は下手なのかもしれない。

 

 「誤魔化していますね?」

 

 そう彼女が指摘すると、セルフリッジはピクリと動きを止めた。その反応を受けて、彼女は大きく溜息を漏らす。はぁ、と。

 「どうも、真っ当に答えてくれる気はないみたいですね」

 セルフリッジはそれに何も返さなかった。

 「一体、何を企んでいるのです?」

 じろりと彼を睨んだ。今度は彼が圧されている。だが、彼女は深くは追及しなかった。

 「あなたは一人で抱え込む性質ですからね。心配です。少しはわたしにも話してください」

 そう言っても彼は困ったような笑い顔を浮かべているだけで何も返さない。彼女は再び溜息を漏らすとそれから闇に身を沈ませる。

 「どうか、無理はしないでください」

 そしてそれだけを言って彼の部屋を出て行った。一人残されたセルフリッジは、彼女が消えた床の辺りを軽く撫でた。愛おしそうに。

 

 貧民街の開発は中々に厄介だった。

 荒々しい連中が多く、普通の対応では素直に言う事を聞いてくれなかったからだ。技能を身に付けてくれさえすれば、一気に生活の質が向上すると教えてもそれに反発する。中には特に理由もなく、ただ一方的に外の人間達を敵視している連中もいた。これでは説得しようもない。

 だがセルフリッジ達には、策があった。

 

 「だから、お前らの言う事なんか信じられねーって言ってるだろが!」

 いかにも素行の悪そうな若者が騒いでいる。彼は一応、ここら一帯の不良グループのリーダーで、彼らに仕事をしてもらうには彼の説得が不可欠だ。が、警戒心が強く、今よりも金が稼げるからと大手企業の職員が説明してもほぼ何も聞いてもらえない状態だった。

 職員は困り果てた様子だった。もう三十分も説得をしようと試みているのに一向に成果が出ないからだ。その職員は諦めかけていたのだが、そこで、

 「あら? ジーじゃない。ガタリ一家が全員警察に捕まってから、随分と偉くなったのねぇ」

 そんな声が聞こえて来る。

 見ると、ビルの二階辺りの高さから、箒に乗った魔女が騒いでいる彼を見下ろしていた。

 「げっ! リリー」と彼は呟く。

 それは元はガタリ一家で働いていた魔女のリリーだった。ジーという名らしい彼の視線は自然と彼女の首元に向っていた。

 “やっぱり、首輪をしてねぇ……”

 オリバー・セルフリッジの魔女達がガタリ一家を壊滅させた事件。その時、魔女達は首輪をしていなかったと噂になっていた。それでセルフリッジは首輪で魔力を抑えこまずに魔女達を使っていると皆は考えていたのだ。

 「私、今は、セルフリッジさんの所でお世話になっていてさぁ。色々と借りもあるし、彼に協力しない訳にはいかないのよ。大人しく話を聞いてくれると助かるんだけどなぁ」

 リリーはそんな彼の心中を見抜いているのか、明るい笑顔でそう脅しをかけて来る。

 “冗談じゃねぇ! あんな奴、相手にできるか!”

 それを無視して、彼はその場からの逃亡を試みようとした。しかし、そこでリリーはこんな忠告をするのだった。

 「断っておくけど、イグニとニグニもいるわよ?」

 すると、ジーは駆け出そうとする姿勢のままで固まる。ゆっくりと後ろを振り向くと、人形のような容姿のイグニとニグニの二人の魔女の姿が目に入った。

 彼女達は新しい服を着ていた。ロリ趣味の可愛い服で、ガタリ一家にいた頃は着ていなかった服だ。

 二人は同時に言った。

 「この服、セルフリッジさんに買ってもらったの。可愛いでしょ? お礼をしないといけない」

 彼女達の恐ろしさを彼は充分に思い知っている。しかも、彼女達も首輪をしていない。今まで以上の力が出せるはずだ。固まったままの彼の所へ、リリーが降りて来る。

 「そう言えばさぁ、ノーボーが柄にもなくやたらとはりきっていたわよ? 逃げても無駄なんじゃないかなぁ?」

 ノーボーというのは、マリモみたいな頭をした魔女だ。索敵や通信能力に秀でている。彼女も首輪を外されているのならば、確かに逃げても無駄かもしれない。

 「分かったよ、分かった! それで、俺は何をすれば良いんだ?」

 ジーは泣き出しそうな声でそう喚くように言った。どうやら観念したようだった。

 

 ガタリ一家壊滅から数か月が経ち、貧民街の事業開発は軌道に乗り始めていた。協働する企業や個人も増え、大きな経済発展が起こりそうな気配がある。既にオリバー・セルフリッジの下には、大金が転がり込んで来るようになっており、成功は約束されたようなものだった。

 だが成功しているからこその不穏な動きもあった。

 かつてはオリバー・セルフリッジを警戒していたのは魔女を嫌う団体が主だった。だが今は、彼を新手の勢力として捉え、警戒する人間が増えている。一番の切っ掛けは、彼が魔女達を首輪を使わないで従わせているのが明らかになった事だった。

 彼の許にいる魔女達は既に100人を超えていた。全ての魔女達が首輪をしてないと考えるのなら、それは最早“兵力”と呼んでも過言ではない。しかも、彼はまだまだ魔女を増やそうとしているようだった。何を考えているのか、何を狙っているのか、底が知れない。

 元より、魔女達の能力はこの社会では危険視されている。

 「国家の転覆を目論んでいるのではないか?」

 やがて、そのように邪推する人間達も現れるようになっていった……

 

 オリバー・セルフリッジは所有する魔女を増やし続け、今では総勢150名を超えていた。当然、彼の邸宅には入り切らないので、その魔女達は近くに宿泊施設を借りて拠点としている。

 その頃になると、セルフリッジが魔女達に付けている首輪はダミーで、ほとんど魔力を抑える効果がない事は知れ渡っていた。その事は国内ばかりか国外でも有名になり、彼の動向は注目されていた。

 魔力を抑制されていない魔女は脅威である。少なくとも凄まじい力を持っている事だけははっきりしていて、少数でも警察では対処困難なほどの戦闘能力を持っている。特に元暗黒街で使われていた魔女達は驚異的な力を持っていると噂されていた。暗黒街での彼女達を知る者は、誰もセルフリッジに逆らおうとはしないのである。

 彼の抱える魔女達は“兵力”であると既に見做されていた。その気になれば、軍隊とだって相対する事が可能だろう。

 もっとも魔女達の力は戦闘でのみ効力を発揮する訳ではない。土木灌漑建設農業その他様々な産業でその力は役に立った。今のところ、セルフリッジの魔女達の使い方は平和利用ばかりだった。戦闘を積極的に行ったりはせず、むしろ逆に諍いがあるとそれを治めたりしている。

 しかし、それで安心する程、この社会の権力者達は甘くなかった。

 

 「――特に危険なのは、魔女達が首輪が外された状態でもオリバー・セルフリッジに大人しく従っている点です。

 どうも、“自分を救ってくれた人物”として忠誠を誓っているようですな」

 いかつい中年男性が、難しい顔をしてそう言う。軍人のようだ。

 「そう。それが非常に厄介なのです。魔女共を使って対抗しようにも、普通、魔女共はこちらを嫌悪していますからな。下手すれば、ガタリ一家の時のようにセルフリッジ側に寝返ってしまう」

 別の痩せた男性がそう返した。こちらは軍人ではないようだ。恐らく、魔女を敵視している勢力の一人だろう。

 落ち着いた様子の禿頭の男がそれに続ける。

 「うちで使っている魔女達の中にもセルフリッジの仲間に入りたいと思っている者がいるようです。魔女達の中で彼は非常に人気があるようだ」

 この男はどうやら財界の人間であるらしい。

 

 それは非公式で行われている会合で、集まった男達はいずれも様々な理由でオリバー・セルフリッジを警戒している者ばかりだった。つまりは、これは“オリバー・セルフリッジ対策”の為の会合なのだ。

 アンナ・アンリは闇に紛れて、その会合を覗き見ていた。天井の隅の闇、ランプの光で生じた小さな影の中、彼女は男達の醜い欲にまみれた話し合いを耳にしていた。

 

 「つまり、もしセルフリッジが魔女を使って動き始めたら、下手すればこの国にいるほとんどの魔女達が奴に味方しかねないという事ですかな?」

 そう軍人が言う。財界の要人は「その通りです」と頷く。

 忌々し気な口調で、魔女差別派がそれに続けた。

 「どうも、あの男の成功を受けて、魔女に優しくしてご機嫌取りをする輩も現れているようです。由々しき事態ですぞ」

 彼としては当然の事を言ったつもりだったのかもしれないが、魔女を嫌悪している訳ではなく、ただセルフリッジの大きくなり過ぎた力を警戒しているだけの軍人や財界の要人達はその言葉に微妙な反応を見せた。

 もし、魔女達の境遇を改善して、それで事が上手く進むのなら、それでも構わないと彼らは思っているようだ。

 「いずれにしろ」と軍人が言った。

 「オリバー・セルフリッジがこれ以上魔女を集められないように妨害しましょう。奴に魔女を売るなと広く圧力をかけるのです。

 それでも、奴が強引に魔女を集め続けるようなら、その時は……」

 軍人がそう言うと、その席に緊張感が走ったように思えた。アンナ・アンリは敏感に察する。

 この男達は“軍事力”で、彼を潰すつもりでいるのだ。

 

 「――という訳です、セルフリッジさん。そろそろ魔女を集めるのは限界に来ているのではないですか?」

 

 アンナ・アンリは忍び込んで見たその会合の内容を書斎で仕事をしているオリバー・セルフリッジに伝えた。

 彼は「ありがとうございます」とまずはお礼を言ったが、その後で続けて「ですが、あまり危ない事はしないでください。もし見つかっていたらどうなっていたか」と彼女を軽く注意する。

 「危ない事をやっているのはあなたの方です!」

 と、アンナはそれに反発した。

 「これでもまだ魔女を増やすつもりでいるのですか?」

 彼は彼女に背を向けた姿勢のままで応える。

 「はい。その話を聞く限りでは、真っ当な方法ではもう無理そうですね。ですが、ちょうど良いかもしれません。まだ魔女である事が明るみになっていない若い女性をターゲットにしようかと考えていたところですから」

 それを聞いて「セルフリッジさん!」と、叱るようにアンナは言う。淡々とセルフリッジは返す。

 「魔力に目覚めてしまった若い女性は怯えている人が多い。魔女とされ、自分がこれからどんな酷い目に遭うのかと……

 助けてあげたいとは思いませんか?」

 そのように言われてしまっては、彼女には何も返す事ができなかった。自分もそんな立場なのだ。

 

 「――今日は、キャサリンさんや他の皆さんから、特別に要望があったので、久しぶりに僕が手作り料理を振舞います」

 

 とある食堂をまるまる貸切っての夕食会。オリバー・セルフリッジが大きな声でそう説明した。

 よく笑う男だが、今日も笑っている。しかも作った笑顔には思えない。

 アンナ・アンリは、彼が最近執っている計画は、彼の性格を考えるのなら不自然だと思っていた。だが、ならば彼の人格が変わったのかと言えば決してそんな事はなく、以前と同じ様に魔女達に対して威張ったりせず優しく接している。今日のように少し無茶な要望にも応えたり。

 だからなのか、食堂にいる魔女達は楽しそうだった。賑わっていて、セルフリッジの作ったあの料理が食べたいこの料理が食べたいなどと言い合っている。もちろん、彼の料理を初めて口にする者もいるのだが。

 「手料理と言っても、流石にこれだけの人数分を僕一人で用意はできないのでプロの方々にも手伝っていただきましたが」

 そうセルフリッジが言うのを聞いて、「料理、あんたも手伝ったの?」と近くにいたキャサリンがアンナに尋ねて来た。

 「いいえ、流石にプロが手伝っている所へしゃしゃり出たりはしません。他の仕事もありましたし」

 と、ややつっけんどんな口調で彼女は返す。何故かキャサリンは面白そうな顔を見せる。

 「ははーん。頼りにしてもらえなくて、すねてるわね」

 「何言ってるんですか?」

 「違うの? じゃ、どうしてそんなにとげとげしているの?」

 少しだけ悩んだが、キャサリンの前で意地になっても仕方ないと彼女は口を開く。

 「セルフリッジさんの方略が見えないんです。彼らしくない。一体、何を考えているのやら……

 どうしてあの人は、今この時期に魔女を増やすのです? 警戒されているのは分かっているでしょうに」

 そう。セルフリッジはやはりアンナが忠告した後も構わずまだ魔女達を集めているのだった。

 このままでは、彼を敵視する国の人間達がどう動くか分からない。

 キャサリンはそれに興味なさそうな様子を見せた。穿った見方をするのなら、演技しているように見えなくもない。少しだけ気怠そうな口調で返す。

 「でも、お陰で助かっている魔女達も多いでしょう? 感謝されているみたいよ」

 「魔女を助けたいのだったら、こっそりと目立たない手段でやれば良いじゃないですか」

 「それだと助けられる魔女の数は高が知れているわ」

 「警戒されたら妨害されます。いえ、下手すれば潰されますよ? そうなってしまっては元も子もないです!」

 無自覚の内にアンナは強い口調になってしまっていた。たが直ぐに冷静になり、そんな自分を反省する。その様を見て取ったのだろう。キャサリンは言う。

 「きっと、彼には彼の考えがあるのでしょうよ。今までもそうだったように」

 「そうかもしれませんが、だとしたって、何でもかんでも秘密主義で進めるのが気に食わないのです」

 そう言った彼女をキャサリンはじっと見つめる。

 不意にフッと笑った。

 「秘密主義が気に食わない? 違うでしょう? あなたは彼を心配しているだけだわ」

 アンナはそれに何も返さない。そのタイミングで夕食が運ばれて来た。皆、料理が来るなり食べ始めている。アンナはスープを見つめると無言のまま一口飲んだ。甘いコーンのスープでとても美味しかった。

 キャサリンはそれほど心配していないようだったが、このまま進めばまずい事になるのは明らかだ。

 彼女は不安を払拭する事ができない。

 そして、彼女のその不安は的中してしまうのだった。

 

 非公式の会合。

 オリバー・セルフリッジを警戒する一派がまた集まっていた。

 「まだ、あの男は魔女を集めているようですな。流石にもう見過ごせない」

 と軍人が言う。

 「コネのある政治家には既に働きかけています。いつでも動かせますよ」

 財界の要人がそう返した。

 「国家反逆罪の罪をでっち上げて潰すのですな」

 魔女差別派がそう言う。とても嬉しそうだ。「左様」と、それに軍人が返す。

 「もし歯向かうようなら、軍隊を動かす準備もできています」

 

 その日、アンナ・アンリは突然呼び出された。オリバー・セルフリッジが自分の邸宅のリビングに来いと言う。行ってみると、呼び出されたのは自分だけではなく、魔女達が全員集まっていた。

 リビングの机を外に出して、無理矢理に全員を詰め込んでいる為、かなり窮屈だった。

 ――どうして、こんな事をするのだろう?

 皆が不思議がっている。

 セルフリッジの所に来てから随分と経つが、アンナもこんな事は初めてだった。

 ほとんどの魔女達は事情を聞かされていないはずだが、不穏な空気を感じ取ったのか動揺している。

 彼はまず謝った。

 「――申し訳ありません。僕の計画ミスです」

 謝罪しているが、彼は少しも謝っているようには思えなかった。彼は多分嘘が下手だ。アンナ・アンリは不安を覚える。だから、こういう場で巧みに演技ができない。

 つまり、それは、彼は本当は計画をミスした訳ではないという事だ。

 「今、国の有力な人間達が僕を国家反逆罪で貶めようとしています。もちろん、皆さんご存知でしょうか、僕はそんな罪など犯していません。無実の罪です」

 彼がそう演説をすると、俄かに国の人間達に対する反感が魔女達の間で沸き立つのが分かった。

 「つまり、国の人間達は邪魔な存在になった僕を無理矢理強引な手段で排除しようとしているのです」

 “許せない!”

 言葉にこそ出さなかったが、それを聞いた魔女達の間からはそんな心の声が漏れて来そうだった。今の彼女達なら、何をしてもおかしくはない。アンナは不安を覚える。例えば、国相手に反乱を起こす事だって……

 セルフリッジはまた言った。

 「このような事態になってしまったのは僕の所為です。計画が甘かった」

 そう彼は語ったが、それが嘘であるのをアンナは知っている。随分前から、彼女自身が警告していたのだから当然だ。彼は意図的にこうなるように事を進めたのだ。

 「ですが、こうなってしまってはもう他に手段はありません。心苦しいですが、皆さん、どうか僕の言う通りにして欲しいのです!」

 ――違う。

 それを聞いてアンナは思う。

 彼は嘘をついている。

 彼はわざと魔女達…… 彼女達から選択肢を奪ったのだ。そのような状況に彼女達を追い込んだのだ。

 魔女達は怒っていた。

 大きな恩のあるオリバー・セルフリッジを罠に嵌めようとしている国の人間達に。

 ……まさか、

 アンナ・アンリは思う。

 

 “セルフリッジさん。あなたは、魔女達を使って戦争を始めようと計画していたのですか?”

 

 軍人の男は、地図を広げて考えている。傍らには自国の軍事力の詳細な資料がある。全て頭に入っているが、念の為である。

 「有り得ないとは思うが、もし万が一、セルフリッジが歯向かって来たら、叩きのめさなくてはいかんからな」

 確かに魔女達の魔力は脅威だった。それに裏切る可能性のある魔女が国中にいるのも厄介だ。だが、それが分かっているのなら、それを踏まえた戦略を立てれば良いだけの話だ。試してみたい作戦が幾つもある。どうやって魔女達の魔法を封じるか……

 実を言うのなら、彼はむしろセルフリッジが反乱を起こす事を期待していた。彼は根っからの軍人で、戦争が好きで好きで堪らない性質なのだ。

 彼は戦争が起こる事を期待しながら、楽しそうに戦略を練っている。まるでゲームを楽しむように。

 突然、そんな彼のいる部屋のドアが激しくノックされる。

 「失礼します!」

 「なんだ? 入れ?」

 ドアが開くと、そこには下級兵士の姿があった。

 「報告です! オリバー・セルフリッジの魔女達に動きがありました!」

 それを聞いて彼は期待に胸を膨らませる。

 「なんだ? 反乱でも起こしたか?」

 これで対魔女用の戦略を実践できる!

 彼は表情にこそ出していなかったが歓喜していた。しかし、それから兵士は彼の期待を裏切る驚くべき発言をするのだった。

 「いえ、それが、どうも、魔女達はセルフリッジを裏切って、逃げてしまったようなのです」

 彼はその報告に驚く。

 「“逃げた”だとぉ?」

 

 海の上、巨大な船舶が三隻、穏やかに進んでいる。海風は気持ち良く、真っ青な海の景色は美しかった。これでもし旅行だったなら、最高だろう。

 だが、その船の乗客達は少しばかり異様だった。全員、女性。しかも魔女ばかり。彼女達はつい5時間ほど前まで、オリバー・セルフリッジ邸にいた魔女達だ。

 もしもセルフリッジが国家反逆罪で捕まれば、彼女達は政府の要人達の所有物となり、再び奴隷の立場に戻ってしまう。また、もし武力で対抗したとしても無事で済まないのは明らかだ。

 だから、オリバー・セルフリッジは、彼女達に今直ぐに逃げるようにと頼んだのだ。恩人である彼の自分達を想っての“お願い”に彼女達は反対する事ができなかった。憤る気持ちを抑えてそれに従った。

 もっとも、放置していても、彼女達が国を相手に戦うような事にはなっていなかったのかもしれない。

 歴史上、女性達が武装蜂起した事など一度もないのだから。

 

 「……ねぇ、本当に良かったの?」

 

 そうブルー・ビーがキャサリンに尋ねた。

 「良かったって、何が?」

 「セルフリッジさんの事よ。置いて来ちゃったけど」

 キャサリンはやる気なさそうな感じでそれに返す。

 「仕方ないでしょー 狡猾で有名なセルフリッジさんがいたら、亡命先のセルディアの人達が罠じゃないかって警戒しちゃうじゃない。彼自身が“迷惑はかけたくない”って言うんだし」

 「そんなの、ふん縛って、無理矢理にでも連れて来ちゃえば良かったじゃん」

 「ハハハ」と、キャサリンは軽く笑う。

 「なーにー、あんた、やっぱりセルフリッジさんのことが好きだったの?」

 「違うわよ。家事やってくれる人がいなくなるじゃない。あの人の料理美味しかったし」

 「まだ家事をやらせるつもりか」

 少しの間の後で、ブルー・ビーはこう言った。

 「それにさ、セルフリッジさんが無事で済むとは限らないでしょう? この件で、財力も権力も大幅になくなったとはいえ、まだ睨まれているだろうし。流石に、国家反逆罪で捕まる事はないだろうけど」

 オリバー・セルフリッジは、亡命先での生活資金にと、彼女達の為にかなりの大金を用意していた。どうもそれでかなりの資産を処分してしまったらしい。もう彼は富豪とは言えない立場になっていた。

 「それは、まぁ、アンナが残ったから大丈夫なんじゃない?」

 「あー あいつ、やっぱり残ったんだ。頼んだの?」

 「頼もうかと思っていたんだけどね。なんか見ていたら大丈夫そうだったからさ、放っておいたらやっぱり残ったみたいだわ……」

 そう言い終えると、キャサリンは陸地の方に目を向ける。

 「今頃、二人でイチャイチャやってるんじゃない?」

 

 「……行ってしまいましたねぇ」

 

 丘の上で、海の上に浮かぶ三隻の船を眺めながら、オリバー・セルフリッジはそう独り言を言った。満足そうな表情だ。

 それから「あの家はちょっとばかり広すぎですかねぇ。早々に売ってしまいましょう」と続ける。

 寂しさから閑散とした自分の邸宅を連想してしまったのかもしれない。ところがそこでこんな声が聞こえたのだった。

 「そうですね。蓄えも随分と減ってしまいましたし、魔女の皆さんがいなくなってお金を稼ぐ手段も少なくなってしまいましたし。当面の生活には困らないとはいえ、もっと小さな家に引っ越すべきです」

 驚いて見てみると、いつの間にか隣にアンナ・アンリの姿があった。

 「アンナさん」と彼は声を上げる。

 「あの…… 皆さんと一緒に行ったのではなかったのですか?」

 「なんでわたしが行く必要があるのですか? わたしは魔女ではない事になっているのですよ? 逃げる必要はありません」

 「はぁ…… それはそうなのですが」

 少しの間の後、セルフリッジは言い難そうにしながら口を開いた。

 「あなたは僕に呆れていたようだったので」

 それに彼女は「セルフリッジさん」と叱るように言う。

 「わたしはいつか言いましたよね? “あなたの本性など簡単に見抜いてみせましょう”って。あの程度で騙されたりはしません」

 それを聞いて、セルフリッジは申し訳なさそうな表情を浮かべた。そんな彼に向けて彼女は更に続ける。

 「それに、あなたがわたしを抱いた時、“少し他の人と違う”みたいな事を言っていたのは、こういう理由だったのではないですか?」

 いずれ別れが来ると分かっている他の魔女達とは違い、アンナは逃げる必要がない。だから彼はアンナとは深い関係になる事ができたのだ。

 つまり、ずっと前からセルフリッジは魔女の逃亡計画を立てていたのである。そうでなければ、これほど急に亡命の準備を整えられるはずがない。

 「何故あなたは、そんなにも秘密主義なのです?」

 アンナは吐き出すように言った。

 「キャサリンさんだけでしょう? この計画を知っていたのは」

 セルフリッジは素直に白状する。

 「はい。その通りです」

 “やっぱり”と、それを聞いて彼女は思う。

 キャサリンは、彼女を雇う時『魔女の肩書きを持ってない隠れ魔女って実は意外に重宝するのよ。国から警戒されずに色々とできるから』と言っていた。多分、初めから彼を守ってもらうつもりだったのだろう。

 「――それで、魔女達を逃がした理由を教えてください。もっと大きな計画があるのでしょう?

 隠したって無駄ですよ。たった150人ほどの魔女達を逃がすだけにしては、計画が大き過ぎます。目立たないように活動して少しずつ魔女達を支援した方が長期的にはより多くの魔女を助けられるじゃないですか」

 セルフリッジは観念した…… と言うよりは、もう隠す必要がないからだろうが、素直に説明した。

 「亡命先のセルディアでは、魔女を奴隷扱いしないと約束してくれてあります。伝統的に魔女への偏見が少ない地域ですから、信頼できるでしょう。

 そして、魔女を支配し無理矢理に働かせるのではなく、対等な関係で協力し合った方がより良い効果を引き出せるのは僕が証明してあります。それに加えて、経済発展のノウハウをキャサリンさんに教えてありますから、セルディアはより発展するでしょう。

 すると、他の国もセルディアに対抗する為には、魔女達を奴隷扱いするのを止め、協力し合う必要が出てきます。実はこの国でも僕の成功を受けて、既にそれを試みている人達がいましてね。多分、巧くいくと思うのです。

 “北風と太陽”の寓話がありますよね? 

 これはその寓話と似た計画です。

 無理に“魔女達を差別するな”と力で訴えても聞き入れてはもらえないでしょうが、自らそれを選択するように有効な方略……、“環境”に働きかけるのなら話は別です。生き残る為に有利であるのなら、彼らは自らその道を選択するでしょう」

 彼の説明を聞き終えると、アンナは言う。

 「つまり、セルディアに魔女達を亡命させる事で、他の国の多くの魔女達も救う事ができるという訳ですか?

 いえ、魔女達だけじゃない。経済の発展によって、貧困に苦しむ多くの人達も助けられる」

 「はい。その通りです。ま、巧くいけば、ですけどね」

 彼女はそれに笑顔を見せる。

 「なるほど。確かに、リスクに値する充分なリターンですね」

 その笑顔にセルフリッジは安心をしたようだった。が、それから彼女は表情を急変させるのだった。

 「ですが、甘いです!

 あなたは魔女や他の人達の事ばかり気にかけて、ご自分の事を度外視しています! 権力者達は醜いんです! 力を失ったあなたを戯れに貶める事だって充分に考えられるのですよ?!

 少しは自分の身を護る事にも注力してください!」

 彼女はとても怒っているようだった。ただ、それから泣き出しそうな顔を見せると、彼の手を取り、「ずっと心配していたのですよ?」と本心を告げる。

 「どうして、自分を護ってくれとわたしに頼まなかったのです?」

 戸惑いながらセルフリッジは返す。

 「それは……、あなたに迷惑をかけてはいけないと…… 多分、僕はこれから苦労をすると思いますから。もし頼めば、立場的に無理強いになってしまいますし」

 それを聞いて再び彼女は少し怒った。

 「馬鹿にしないでください。わたしがいくつあなたに借りがあると思っているのですか?

 助けられてばかりなんて冗談じゃありません! 助け合ってこそ、本当の平等でしょう? 借りは絶対に返します。例え、一生をかけてでも」

 セルフリッジはその言葉に驚いた顔を見せた。しかしそれからゆっくりと笑うと、「そうですか。そうですね」と言い、こう続ける。

 「それでは、よろしくお願いします、アンナさん」

 アンナはその彼の言葉と笑顔に「はい。任せてください」と胸を張ってそう返した。

 とても嬉しそうな満足げな表情で。

 

 遠くには、まだ三隻の船が見えていて、気持ち良さそうに海原を進んでいた。

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