第75話 自由と幸福
そのまま時間が止まったようにウィルとグリドールが睨み合っていると、謁見の間にカルデの声が響いた。
「2人ともそこまでだ!グリドール、ウィルの力はもう十分わかっただろう?」
すると、グリドールはニヤリと笑い剣を収めた。
「フッ、なかなかやるじゃねぇか。魔力は相当なもんだと聞いちゃあいたが、まさか剣術の腕もこれほどとはな。正直、驚いたぜ。」
「まさか試したんですか?」
「まあな。俺は自分の目で見たもんしか信じねぇ主義でな。気を悪くしたんなら便所にでも流しておけ。」
謁見の間が静まり返る中、グリドールは困惑するウィルをよそに玉座に戻ると前屈みに腰をかけた。
「ウィル、マクグラン王国としてもお前を特別中立領の領主として認めてやる。爵位は辺境伯だ。好きなように治めるがいい。」
「あ、あの陛下、特別中立領とはどういうものなんでしょうか?」
「ハンバー、説明してやれ。」
「承知しました。特別中立領は我らがマクグラン王国とボルケニア帝国の平和条約締結を記念して両国の領地の一部を割譲して設けられる貴族領であり、どちらの国の王権にも属さない基本的には法的にも財政的にも独立した領地となります。」
「基本的には、ですか?」
「はい。特別中立領を与える前提としていくつかの条件があります。
まず、特別中立領はいかなる理由があろうとマクグラン王国とボルケニア帝国への侵略行為を行わない事。
次に、特別中立領がマクグラン王国とボルケニア帝国以外の国と外交交渉を行う場合はマクグラン王国とボルケニア帝国の承認を得る事。
このどちらか1つでも違反すれば特別中立領と爵位は没収となります。
そして、その上で特別中立領はマクグラン王国とボルケニア帝国と同盟を結んで頂きます。
同盟の条項についてはまた改めて説明する事になります。以上です。」
ハンバーの説明が終わると、あくびをしていたグリドールが口を開いた。
「まぁ、外交と軍事に制約はあるが王権に属さない分、普通の貴族よりは自由度がある感じだと思ってくれりゃあいい。そんで今後の大まかな流れだが…。」
「陛下!お待ちください!私はその者が特別中立領の領主になる事など納得出来ませぬ!」
グリドールが話をしているとそれを遮るように貴族席にいた恰幅の良い、いかにも貴族という巻き髪の中年男が声を上げた。
この男は、フィレオ侯爵家当主にして産業大臣を務めるフロック・タルターラ・フィレオである。
「フィレオ、俺の決定に文句があんのか?」
グリドールが睨みつけるとフィレオは一瞬怯みつつも言葉を続けた。
「も、文句ではありませぬ。その者の力は剣帝と呼ばれる陛下の一撃を退けたのを見れば本物なのでしょう。ですが、領主としての素良があるかは示されてはおりませぬ。聞けばその者はど田舎の初級普通学校に通っていたとか。しかも学校を出た後に領地経営の手伝いをしていたならまだしも、あのフライヤーの所で警備兵をしていたらしいではないですか?いくらバークリー大蔵大臣殿の孫であのブライト殿の息子であっても、そんな平民程度の学しか無い者に領主など務まる訳がありませぬ!」
フィレオがそう言うと、貴族達からどよめきが起こる。
この世界では貴族は通常騎士学校、魔法学校、普通学校のいずれであっても王都にある中級以上の学校で学ぶのが慣例であり、それは継承権のない次男や三男でも例外ではなく初級普通学校というウィルの学歴に貴族達からどよめきが起こるのも当然だった。
ちなみにウィルの父であるブライトも貴族になる前は傭兵をしていたが、学校はボルケニア帝国の上級騎士学校で学んでいた。
フィレオがそんな周囲の反応に満足げに出張った腹を揺らしながらほくそ笑んでいると、その近くに座っていた白髪の気品溢れる貴婦人がテーブルを叩き立ち上がった。
「フィレオ殿、あの熊男はどうでもいいとしてメリーの息子であるウィルを馬鹿扱いとは、来期の産業分野の予算はどうなっても良いという事ですね?」
この女は、バークリー侯爵家前当主にして大蔵大臣を務めるアンジェリーナ・ゲイツ・バークリーであり、ウィルの祖母である。
「なっ!?バークリー大蔵大臣、それは公私混同ですぞ!私はただ領主としての素良を問うているだけです!」
「まだ言いますか!?確か来期の予算にフィレオ侯爵領に新しく建設する繊維工場の助成金も計上されていましたがそれはどうやら不要のようですね?」
「うぐっ!?そ、それは…ひ、卑怯ですぞ!」
「フフフ、卑怯?そもそもこの事業は採算性に疑問があったからですが、それが何か?」
「それなら今その話を持ち出さなくとも良いではないですか!?これは明らかな公私混同ですぞ!」
2人が言い争っていると、アンジェリーナの横に座っていた金髪をオールバックにしたメリーによく似た男がその間に割って入った。
「母上!フィレオ殿の言う通り予算の話をこの場で持ち出すのは良くありません。少し落ち着いて下さい。」
この男は、バークリー侯爵家現当主のブラッド・レイモンド・バークリーであり、メリーの弟でウィルの叔父である。
「ブラッド!この母ではなくフィレオ殿の味方をするというのですか!?あぁ、母は悲しいです!うぅっ。」
「そ、そうです、ブラッド殿の言う通りですぞ!私は国の為だと思い苦言を呈しているのです!」
「このデブが!まだ言いますか!?」
「なっ!?デ、デブ!?今、デブと申されましたな!むむむっ、もう許さん!このババアめが!」
「ババア!?」
「そうだ!ババアにババアと言って何が悪い!?」
「ええーい!この牛蛙デブめが!丸焼きにしてくれるぅ!」
「母上もフィレオ殿も落ち着いて下さい!陛下の御前です!」
ブラッドが止めに入ったのも虚しく2人が取っ組み合いの喧嘩を始めようとしたその時、2人の不毛な争いに業を煮やしたカルデが声を上げた。
「貴様ら、いい加減にしろ!1つ言っておくがウィルは数百年前に存在したとある国の王の生まれ変わりだぞ。オグニイーナとの闘いの中でその力と記憶が覚醒しているのだ。フィレオ、貴様の言う素良という点については我が問題無い事を保証しよう。」
「う、生まれ変わりとは!?て、転生者なのですか!?」
「うむ、間違いないだろう。」
カルデの思わぬ言葉に再び貴族達からどよめきが起る中、気だるそうに成り行きを見ていたグリドールが興味深げにウィルを見た。
「ほう、そりゃあ俺も初耳だな。色々と聞きてぇ事はあるがここで聞いてもまた外野が騒ぐと面倒だ。だから1つだけ答えろ。お前が王の生まれ変わりっていうんなら、王都はどうあるべきかを持ってたはずだ。それはなんだ?」
「王としてどうあるべきかなんて、そんな大層なもの考えた事なかったみたいですね。ただ…。」
「ただ?」
「国民が自由の元で幸福に暮らす事の出来る、そんな国を作りたかった。その為に王になった。それだけの事です。」
「国民の自由と幸福か…。それは時として王としての権威や体裁を保つ上で真逆にあって相容れないもんだ。それをわかった上で言ってんのか?」
「はい。だけど自由と幸福を望まない国民なんていませんし、それを望まない王なんて存在している意味なんて無いでしょう?だって、王の為に国民がいるんじゃなくて国民の為に王がいるんですから。」
ウィルはグリドールの問いかけにグラヴィザードの記憶にあるヘクティアに対する想いを思い出していた。
それはウィル自身としても共感出来るものだった。
そんなマクグラン王国の絶対王政に近い統治体制を否定するようなウィルの物言いに周囲の貴族達から疑問の声が上がり謁見の間が騒然とする中、それを鎮めるようにグリドールは傍にあった剣を抜き放つと足元の床に突き刺した。
一瞬にしてその場が静まり返るとグリドールは玉座にもたれ掛かり笑い出した。
「あっはっはっはっ!随分とおもしれぇ事言うじゃねぇか!?あっはっはっはっ!俺の前でそれを言うかよ!あっはっはっはっ!」
グリドールが腹を抱えて大笑いするその横ではカルデが愉快そうに微笑んでいる。
「へ、陛下!あの、これはあくまでも記憶の中にあった事を言ったまでで、マクグラン王国の在り方を否定した訳では…。」
「あー、笑い過ぎて腹が痛ぇぜ。こんなに笑ったのは久しぶりだ。聞いたのは俺だ。別に気を使う必要はねぇよ。お前の言った事は1つの考えだ。俺が言うのも何だが悪くない考えだと思うぜ。」
「あ、ありがとうございます。」
「だがな、まだお前の考えを理解出来るほどにこの国の、いやこの天地界の民度は成熟しちゃいねえんだ。結局、民度が成熟してなきゃお前の考えで国を統治しても民が国を滅ぼしちまう。だから今はまだその考えを民に押し付け過ぎねぇように気をつけな。」
「はい。わかりました。」
グリドールは悟す様にそう言うと立ち上がった。
「ウィル・バークリー・サウストン!
マクグラン国王であるグリドール・ティオネ・マクグランの名において、お前を特別中立領の領主として認める!そして、この決定に意を唱える者がいるのなら、それは王であるこの俺に剣を向ける事だと知れ!」
それまでの傍若無人な態度から一転、これぞ王という威風堂々とした立ち振る舞いに、それまで反対をしていたフィレオを含む貴族達が一斉に立ち上がり承伏した。
『ハッ!マクグラン国王陛下の御心のままに!』
グリドールはそれを見届けると玉座へ腰をかけた。
「そんじゃあ、今後の大まかな流れだが、今から2週間後にここでボルケニア帝国との平和条約の調印式をやる事になっていてな。それに合わせてお前の特別中立領主の認定式もやるんだが、それまでに1つやって貰いたい事がある。」
その話にウィルはフライヤーがクーデターの為に領地内に魔物を集めていたという話を思い出していた。
「陛下、それはフライヤー伯爵が集めていたという魔物の事でしょうか?」
「ああ、知ってたのか?それなら話が早ぇ。そうだ。フライヤーは魔物を集めるだけじゃなくて、召喚魔法の研究もしていてな。そのせいでかなりの数の魔物が領地内にあるポテット山とその周辺の森に出現していて近隣の街に被害が出てんだ。今は王宮魔導士団長のラムと王宮騎士団副団長のカサンドラで対処しているが、数が減らずに手を焼いているみてぇなんだ。まぁどのみちお前の領地になるんだから、お前の手で片付けて来い。」
ラムとカサンドラの名前に貴族席に座っていたマッカランとトーマスの顔が一瞬にして青ざめる。
「は、はあ、わかりました。」
こうしてウィルは帰国早々、厄介事を押し付けられたと思いながらも元フライヤー伯爵領に住み着く魔物の群れの討伐へと向かう事になるのだった。
フロック・タルターラ・フィレオ
男性 40歳
フィレオ侯爵家当主にして産業大臣を務めている。
いかにも貴族という巻き髪をしたおデブおじさん。
爵位や学歴が下の者には強く出る嫌味な一面もあるが、心の底から王と国を想う愛国者。
恐妻家で小遣いが少ない為、たまに産業大臣の地位を使って小遣い稼ぎをしている。
アンジェリーナとは犬猿の仲。
アンジェリーナ・ゲイツ・バークリー
女性 60歳
バークリー侯爵家前当主であり大蔵大臣を務めている。
白髪の髪をアップにまとめた貴婦人。
普段は知的で大らかだが身内絡みになるとすぐに頭に血が昇り最大限に権力を振りかざしてくる。
ウィルの祖母にあたりメリーとブラッドの母親。
ウィルの父親であるブライトの事は熊男と呼んで毛嫌いしている。
ブラッド・レイモンド・バークリー
男性 28歳
バークリー侯爵家現当主。
金髪サラサラヘアーのメリーに似た美男子。
温厚な性格で人当たりも良いがどこか頼りなくいつもアンジェリーナの暴走を止められない。
妻と子供が3人の5人家族。
姉のメリーとは10歳以上離れているがとても仲が良く、メリーがサウストン家に嫁いだ時は寂しさのあまり不登校になったほどにメリーの事を慕っている。ウィルの叔父にあたる。




