第38話 にゃんにゃん軒
ここはウィル達の泊まる宿屋から程近くにある市場。
数百メートルはあろうかという市場は、朝市の時間帯のせいか威勢の良い掛け声が飛び交い、沢山の人々で賑わっていた。
「はぁー。まさかあんな事になるなんて、勘弁してよ…。」
ウィルは先程の事を思い出し、トボトボとあてもなく市場を歩いていた。
「うわああああああっ!」
悲鳴をあげながらウィルはベッドを転げ落ちると、テーブルの上にあったトレイを手に取り大事な部分を隠した。
すると、テスカは眠い目をこすりながら上半身を起こした。
「ふわぁ…。ウィル大きな声を出してどうしたさねぇ?」
テスカも何も身につけておらず、かろうじて下ろしている髪で大きな胸の頂は隠れているが、ウィルには十分すぎるほどに刺激的な姿だった。
「うわぁ!な、何かで隠して下さいよ!っていうか、な、何でこんな事に!?」
ウィルはトレイを持っていたのも忘れ、両手で目を覆おうとするがトレイが落ちそうになると何とか片手でキャッチし、もう一方の手で目を覆った。
「何でって、外で寝てたからベッドまで連れてきてあげたんじゃないか?」
「そ、それは有難いですけど、な、何で裸なんですか!?」
「あぁ、それはねぇ。あちきは寝る時は何も着ない主義なのさ。そんなあちきのベッドに寝るんだからウィルも裸になってもらわないとねぇ。ほら、郷に入りては郷に従えってことわざもあるじゃないかねぇ?」
「どどど、どんな郷ですか!?お、おかしいでしょ!」
「フフッ、何をそんなに恥ずかしがってるんだい?心配しなくてもそっちの方は随分と立派だったよ。」
ウィルが持っているトレイに目をやるとテスカは艶っぽい笑みを浮かべ唇をペロリと舐めた。
「いやあああああっ!」
いくら前世で10代の頃に童貞を卒業していようと、それ以降一度もそのような経験がないウィルにとっては、今の状況を乗り切るだけの甲斐性がある訳もなく、恥ずかしさに耐えかねたウィルは服と荷物を手に取ると逃げるように部屋から飛び出したのだった。
そんな事を思い出しながら歩いているとお腹が鳴りウィルは足を止めた。するとどこからともなく前世で慣れ親しんだ事のある食べ物の匂いが鼻をくすぐった。
「んっ?なんか良い匂いがするぞ。この匂いはもしや…。」
良い匂いを頼りに市場をしばらく進むと、ウィルは市場の裏通りにある寂れた店に辿り着いた。
看板にはサーシャのにゃんにゃん軒と書いてある。
「やっぱりラーメンの匂いだったか。ボルケニアの食べ物は前の世界とほとんど同じだからラーメンもあると思ったんだよなぁ。よしっ!入ってみよう。お邪魔しまーす。」
『ガラガラガラ』
ウィルが引き戸を開けると、店の中には客がおらず頭にねじり鉢巻をした頑固そうなオヤジが布巾でカウンターを拭いていた。
「なんだ客か?まだ準備中だ。出てってくれ。」
店名とは裏腹のあまりに無愛想な物言いにウィルは少しイラッとしながらも、準備中に訪れた自分が悪いと心を落ち着け店から出ようとしたその時、店の奥から焦った様子でオレンジ色の髪をした若い女の子が出てきた。
「ちょっと待って!お店開いてますから!もうっ、ゲンさんったらまたお客さん追い返そうとするなんてダメですよ!
ほらっ、お客さん案内して!」
女がそう言うとゲンは気だるそうに頷き、カウンター席の椅子を引いてウィルを手招きした。
ウィルが席に着くとゲンは箒を持ち外へと出て行ってしまった。
「あれ?オヤジさん店の外行っちゃいましたけど注文しても良いですか?」
「はい!ゲンさんは接客担当なんです。厨房担当はアタシなので大丈夫ですよ。何にしますか?」
ウィルはその分担に違和感しか感じなかった。まさに適材適所とは真逆にある分担である。
「そうなんですか。てっきりあのオヤジさんが作るものだと…。」
「いえいえ、よく間違われるので。一応このお店アタシのお店なんですよ。ほら、お店の名前サーシャのにゃんにゃん軒ってあるでしょ?これアタシの名前なんです。」
サーシャはエプロンに刺繍してある店の名前が入ったロゴを指差した。
「へぇー、若そうなのにすごいですね。それじゃあ、このおすすめの特製にゃーシューメンってのを大盛りでお願いします。」
「かしこまり!ちょっと待ってて下さいね。」
注文を受けたサーシャは厨房に立つと麺を茹で、その間にスープの準備を終え、手際よく茹で上がった麺の湯切りをするとスープの入ったどんぶりに麺を浸した。
そして大きなチャーシューとメンマ、薬味を盛り付けると、ウィルの前へと置いた。
「お待たせしました。特製にゃーシューメンです!」
目の前に置かれたラーメンからは食欲をそそる芳しい香りが立ち上っている。
ウィルはゴクリと唾を飲み込むと割り箸を割った。
「おおっ、うまそう!いただきまーす!」
まず手始めにレンゲで濃厚そうなスープを口に含むと、その見た目からは信じられない程のすっきりとした味わいが口の中に広がった。
その余韻を残したまま、続いて麺をすすると小麦の香りが口の中で弾け、スープの余韻と混ざりなんとも言えない高揚感が頭の中を支配した。
だがまだ終わらない。チャーシューである。
箸で持とうとするだけで切れてしまいそうなとろとろのチャーシューを優しくレンゲにのせ口に入れると、三位一体のマリアージュから解き放たれた至高の幸福感が体全体を支配した。
そして、ふと気がつくとウィルの目の前のどんぶりは空になっていた。
「ぷはあ!美味しかったぁー!いやぁ今まで食べたラーメンの中で一番美味しかったですよ!」
「ホントですか!?嬉しい!」
「でもこんなに美味しいのに、その何て言うか…お客さんいませんね?」
ウィルは一瞬ゲンの接客のせいかとも思ったが、流石にこれだけ美味しければ多少接客に難があろうと、もう少し繁盛していてもおかしくはないのではとウィルは思っていた。
「あの、実は…。」
その言葉に少しためらいながらもサーシャが何か言おうとしたその時、店の外からゲンの怒鳴り声が聞こえてきた。




