2-23:あの夏の日
ちょっと、過去話風。
オッサンと星女以外、誰も居なくなった室内。穏やかな光が細やかな細工を施されたガラス越しに室内へと差し込み、柔らかく温もりを与えてくれる。って、今はそんな情緒に浸るタイミングじゃないな。タイムリミットは10分しかない。時間は有効に使おう。
「どうされましたか? 何か私に話したい事があるのでは?」
おっと、星女様から先に話を振られてしまった。それにしても、そんなに顔に願望が出ていたのだろうか。次回から気を付けるとしよう。まぁ、今は取っ掛かりを向こうから与えて貰えたのだから、遠慮無く乗っかるべきだな。なんせ、相手は星女様だ。乗らなければ、むしろ失礼になる。
「以前、貨客船ディーシー号の船内でお会いしてからずっと、貴女に違和感を覚えていました」
「私に違和感ですか?」
「えぇ。それが分からずに、ずっと考えていました。何が私に違和感を覚えさせているのかと……」
「そのお顔からすると、その答えが出たのですね?」
「はい」
あの日から、ずっと考えていた。星女様から感じる違和感の正体を。何故、彼女の事が引っ掛かるのか。その答えを探し、……漸く辿り着いた。答えは最初から自分の中に在ったのだ。それも自身の過去の記憶の中に。あの、夏の日の記憶に……。
「貴女は、私の兄にそっくりだったんですよ。勿論、容姿がと言う意味ではありませんがね?」
「私と、貴方のお兄様ですか?」
「えぇ、そっくりですよ。その、歪みかたがね……」
「……」
あの暑い夏の日の記憶。この歳になって、鮮明に思い出すとはね……。遥かかなたの宇宙で、星女なんていう人間に兄を思い返すとは、因果なものだ。
あれは、俺が10歳になった年の夏の日の出来事。異常気象と言われる位に、その夏は暑い日が続いていた。その日も、近所の友人達と山や川で日が暮れるまで遊び、俺は腹を空かせて家に帰ってきた。そして、見てしまった。
紅かった。
全てが紅く染まっていた。
見慣れた筈のリビングも和室も縁側も。
全てが紅く染まっていた。
父も。
母も。
祖父も。
祖母も。
身体中を紅く染めていた。
4人共、滅多刺しにされていた。
服が紅い鮮血で染まり、見開かれた瞳からは光がとうに失われていた。
訳が分からず、両親祖父母の身体を揺すった。
でも、誰1人として反応が返る事は無かった。
血で染まった俺の両手。
そして、首筋に今まで体験した事の無い熱さを感じ、咄嗟に左手でその場所をおさえた。
僅かな時間で、急速に全身から力が抜けていくのだけは幼い自分でも理解出来た。
立っている事すら出来なくなり、床に俯せになる様に倒れ込んだ。
何が起こっているのか知りたかった。
なけなしの力を振り絞って、身体を返すと兄が居た。
笑っていた。
今まで見た事も無いような、感情を一切感じられない笑みを浮かべた兄の姿。
両手には血で染まった包丁が2本。
漸く、理解が追い付く。
父を刺し殺し、母を刺し殺し、祖父を刺し殺し、祖母を刺し殺し、そして……。
俺を切り付けたのが兄だと。
兄に問う。何故かと。
兄は答える。終わらせる為だと。
兄は俺を見下ろしながら、笑う。
これで、漸く解放されると。
兄は、俺に告げた。
「さようなら」と。
2本の包丁を躊躇いも無く、自身の喉元へと突き刺した兄。
引き抜かれる包丁と共に、色鮮やかな鮮血が俺へ降り掛かる。
綺麗だった。
この世のものとは思えない美しさだと思ってしまった。
崩れる様に倒れる兄。
お互いの目と目が合う。
ゆっくりと、兄の瞳から光が失われていく。
そして、兄は満足そうな笑みを浮かべながら逝った。
結果から言ってしまえば、俺は一命を取り留めた。まぁ、こうやって今も生きている訳だしな。治療に当たってくれた医者の話だと、首の傷は見た目に反して致命傷とはなっておらず、出血もそこまで多くは無かったらしい。それでも、小さな子供の身体では後少しでも発見が遅れていたら、手遅れだったとも言っていたな。あの事件の後、俺は母の弟夫婦の家に引き取られ養子として育てられた。子供のいなかった叔父夫婦には凄く可愛がって貰い、大学まで出る事が出来た。まぁ、今は遠い宇宙の果てで司令官なんぞやっているがね。
少し話は遡るが、死んだ兄と同い年となった16歳の誕生日。叔父から一冊のノートを手渡された。今のお前ならきっと理解出来る筈だからと。それは、兄が生前書き残していた日記だった。自室で俺は兄の日記を読んだ。
そこに書き連ねられていたのは、まさに兄の魂の慟哭だった。両親に祖父母、親戚、学校の教師、塾の講師、近所の人間。誰も彼もが、優秀な兄に期待し、過剰なまでに持ち上げた。中学から文武両道を掲げる進学校に通っていた兄は、その異常なまでの重圧に必死に耐えながら、それでも期待に応えようと血反吐を吐くような努力を重ね、常にトップクラスを維持し続けた。日記を読む限り、高校に上がる前には既に極端な程に乖離してしまった二面性を持ち合わせていた様だ。俺を含めた家族に見せる外面の良い顔と、日記上で見せる同一人物とはとても思えない程に狂気に染まった内面の顔。皮一枚でその狂気が表に出るのを止めている様な危険な状態。それでも兄は必死に皆の期待に応えようとしていた。自我が崩壊する様な痛みに耐えながら、誰からも手の差し伸べられない孤独に打ちひしがれながら。
でも、限界が訪れた。無理が祟り、体調を崩した兄は模試で大きく成績を落としたのだ。本来ならば、兄の体調を気遣うべきところだろうに、両親も祖父母も罵声を浴びせ兄を責めた。あの事件の前日の夜の事だ。そして、その日の日記に兄は書き記した。
全部、終わらせると。
内面に潜む狂気を堰き止めていた、最後の壁が崩壊したのだろう。兄は、その狂気を解放した。勿論、それがどういった事態を引き起こすか、聡明な兄なら理解していたのは間違い無い。でも、それでも兄は自由になる事を選んだのだ。あの日、家に居た両親や祖父母を台所から持ち出した包丁で滅多刺しにして殺害した。そして、そこへ俺が帰宅したのだった。では、どうして俺だけ切り付けられるだけで済んだのか。理由は、ほんの些細な事だった。
弟が、俺を心配してくれた。人生で一番嬉しかった。兄はそう、日記に書き殴っていた。
俺からすれば、ほんの些細な気遣いだった。具合の悪い兄に弟として声を掛けただけ。俺に取って、兄はヒーローだった。だから、具合の悪そうな兄が心配だった。たった、それだけの事。でも、兄はそれがフラッシュバックし、家に帰宅した俺を背後から切り付ける事しか出来なかったのだ。それが、俺の命を救った。まぁ、そもそも包丁で切り付けられた時点で、どうかとも思うが、それでも俺は今を生きている。兄に感謝とまではいかないのは当たり前の話だが、それでも日記を読む前ほど兄の事を恨んでいないのもまた事実だ。
そして、日記を読んだ後、細かい過去の記憶と兄の行動を照らし合わせた結果、俺は兄が何時もサインを出していた事に思い至った。ずっと、兄は助けを求めていたのだ。苦しいと、助けてくれと、誰でも良いから、俺を此処から救い上げてくれと。ずっと、兄はサインを出していた。勿論、弟である俺にも。でも、当時の俺は無邪気に、自身のヒーローである兄を慕っていた。それすら、兄には猛毒だっただろう。俺もまた、兄を追い込んだ側の人間だったのだ。あの時程、何かに後悔した覚えは無いな。幼さ故の残酷さを思い知らされた出来事だった。
それから幾つもの月日が流れて今の俺に至る。この宇宙に来てから色々と忙しくしていて当時の事は、記憶の奥底へと沈んでしまっていた。元々、深く思い返すのも家族の命日前後位になっていた事もあるしな。だけれども、星女に感じた違和感の正体を自身の中から探している中で、気が付いたのだ。兄が出していたサインと同じだと。兄と同じように、彼女もまた星女としてでは無く、1人の人間としてサインを出し続けているのだと。ヒーローだった兄では無く、1人の人間として助けを求め続けた兄と同じだ。星女たる彼女もまた、助けを求めている。それを、俺は知る必要がある。このままでは間違い無く兄以上の悲劇が起こる。そうなる前に、今度こそ俺は止めなくてはならない。
って言う、過去の黒歴史風の妄想を垂れ流した訳だが、如何だっただろうか?
えっ? 家族は? 全員ピンピンしてますが何か文句ある? 家族殺しをやらかした役の兄貴は奥さんと3人の子供に囲まれて賑やかに暮らしているし、両親も父親の定年退職後に田舎でノンビリとスローライフを送っている。叔父から兄の黒歴史ノートなんて預かってないしな。全部、若かりし頃の俺がこの世に生み出してしまった、負の遺産って奴だ。
じゃ、どうして星女の事に気が付けたのかって言ったら、その頃に馬鹿みたいに心理学に嵌ってね? 専門書とか読みまくったのよ。ぶっちゃけ、下手な専門家より知識だけは当時あったと自負している。まぁ、今はそのほとんどが抜け落ちたけどさ。彼女に兄が云々言ったのは、相手の内面を引き出す為のテクニックだよ。此方も如何にも心に傷があります風に語れば、彼女も話し易いだろうって寸法よ。オッサン、過去の負の遺産もちゃんと有効活用出来るんです!
お読みいただきありがとうございました。
次回もお楽しみに。