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狐と八十一の嘘  作者: はんどろん
一章 希少なお客
8/23

08

 日埜がやって来た次の日以降、天愛はあの赤い着物を着た少女らしき子供の姿をよく見かけるようになった。東雲がいつもバイクを停めている大きな松の木の影で、店の中で、客間の物陰で、通る度ぎしぎしと鳴る縁側で、裏の竹林の中で。あの少女のようなものは、ふとした瞬間に天愛の視界の隅に入っては、赤い残像を残して消えた。

 最初は恐怖で動けなくなったりもしたが、そんなによく見るようになると流石に少しは慣れた。慣れたといっても、恐怖で背筋に走る悪寒は相変わらずで、ただ動けなくなるほどではなくなっただけだけれど。

 そうよく見るようになっても、どうしてか子供の顔はよく見えないことが余計に不気味だった。その存在ははっきりとしないけれど、天愛は少女だろうと思い込んでいた。そう思わないと、不確定な要素が多すぎる存在は益々不気味だ。

 鈴の音は子供のものだと思っていた天愛だったが、それはどうやら違う、また別の場所から聞えることもあることにも気付いた。少女が姿を見せた一瞬の間に、何処か遠くの方で鈴の音が響いたことが一度だけあったのだ。耳を澄まさなければ聞き逃してしまう程の、本当に微かな音だったけれど、天愛は何故かそれはいつも聞く鈴の音と同じものだと思った。


 初めて会った時以来、日埜も天愛がアルバイトにやってくる日に偶然毎回顔を出してくるようになった。と言っても、何かを買うでもなく天愛や東雲と、八十彦がいる時は八十彦と茶を飲み、店の中を物色もせずに帰っていくのだった。だから常連客と言うよりも、知り合いと言ってくれた方が天愛にはしっくりくるのだが、東雲はあくまで常連客だと言い張った。たまに大きな買い物や、変わった物を売りにくるらしい。

 日埜は柔らかい物腰で、相手を安心させるような雰囲気を持つ老紳士だったから、天愛はすぐにこの人に好意を抱いた。東雲は誰に対しても態度が余り変わらないからはっきりとはわからないが、東雲も少なくとも懐いているのだろう。日埜がやってくると嬉しそうにしていた。

 冬から春になる季節の変わり目、天愛もこの不思議な店『夜渡蓮』にようやく慣れ始めた頃、八十彦に呼ばれて居間の方へ行くと、日埜と八十彦が座椅子に座っていた。

「……あの、なんですか?」

 東雲は店の中で、呼ばれたのは天愛だけだ。

 天愛は少し警戒しながら二人を見た。いくら『夜渡蓮』に慣れてきたとは言っても、狐面の店主にはまだ慣れていない。寧ろ印象は益々悪くなる一方だ。

 優しげな言葉使いに惑わされてすぐには気付けなかったけれど、八十彦はかなり傲慢な性格の持ち主だったのだ。とにかく人使いが荒いし、それも相手の都合を考えはしない。天愛はそこまで使われることはなかったけれど、東雲に対してはかなり我侭を通している。天愛はそんな場面を度々見ていて、益々この男が苦手になっていた。

「日埜さんが、椿さんに渡したいものがあるらしいよ。そこにかけなさい」

 八十彦は言って、自分達の向かいにある座椅子を勧めた。相変わらず部屋の中は古書で散らかっている。染野がいくら片付けてもすぐにこうなってしまうらしい。そこかしこにある本を踏まないように気をつけながら、天愛は座椅子まで向かった。

 天愛が座椅子の上で正座すると、日埜は納得するように微笑みながらうんうんと頷いた。

「……あの、日埜さん?」

「天愛さん。天愛さんは昔ここが山に囲まれた森の中だったことを知っているかな?」

「……え? いや、知らないです。どうしてですか?」

「そこには、小さな村があったんですよ」

 天愛は、日埜の言葉に思わず怪訝な顔をしてしまった。何を言いたいのか全く掴めない。

「そこに住んでいた娘さんに、天愛さんはよく似ている」

「はあ、そうなんですか」

 唐突過ぎて、天愛はぽかんとして間抜けに返した。村なんて、一体いつ頃のはなしだろうか。天愛が小さな頃にはこの周辺はもう、今と余り変わらない住宅街だったはずだ。

 日埜は、気の抜けた天愛の反応を気にした様子もなく、足元に置いていた風呂敷包みを座卓の上に置いた。

「なんですか、それ」

 見覚えがあるような気がしたけれど、それがどこで見たものなのか思い出せずに天愛は小首を傾げた。藤色の風呂敷に包まれているのは、黒い箱だ。日埜が取り出したその箱を見て、天愛はようやくそれをいつどこで見たのか思い出して、あ、と声を上げた。

 黒い漆塗りの蓋の真ん中には、藍色と鮮やかな水色で描かれた大輪の花。日埜と初めて会った日に、日埜が持ち帰った物だ。

「ああ、覚えていたかな。けど、中身は見ていないだろう?」

 静かにそう言うと、日埜はゆっくりと壊れ物を扱うようにその箱の蓋を持ち上げた。

 中に入っていたのは、古ぼけた一枚の紙だ。かなり変色してはいるが、大切に保管されていたのだろう。破れも折れもない。

 日埜はそれを箱に入ったままで天愛にさし出した。目で伺うと、頷かれて天愛はそれを受け取って紙を取り出した。やはり古い紙らしく少しパリッとしている。両手でしっかりと持つのは躊躇われて、紙の端と端を指で摘んで紙を見た。古い紙のにおいがする。

 その直後、天愛はその紙に描かれているものを見てぎょっとし、思わず紙を落としてしまった。

「す、すみません!」

「なにか、驚くようなものでも描かれていたかな?」

「いえ……」

 天愛は紙を拾うと、もう一度そこに描かれているものを見た。

 そこには少女が一人、上半身だけ真ん中にぽつんと描かれていた。茶色の着物を着た娘だ。分かりにくいが、おそらく年の頃は天愛と同じ位だろう。色味は殆ど残っていなく、顔も紙の色そのままだった。もしかしたらもとから塗られていなかったのかもしれない。

 そこまでは、なんの変哲もなかった。けれど、肝心の顔の部分。少女がどんな顔をしているのかもわからない。古ぼけた紙に描かれた少女は、狐の面を被っていたのだ。それは、八十彦と同じような。

 けれど天愛は、八十彦には感じるのとはまた別の、背筋がぞっとするような禍々しさを感じて、すぐに箱の中に紙を戻した。

 理由も分からず、そのただの絵をなぜか恐ろしく感じたのだ。

「あの……なんなんですか、それ」

「俺の、先祖だよ」

 ずっと口を閉ざしていた八十彦が言った。

「え? 先祖……? どうしてそれを日埜さんが持ってるんですか?」

「ああ、元々日埜さんの家にあったものだから。この間はそれを日埜さんに返したんだ」

「うちは代々絵師の家系でね」

「はあ……けど、どうしてそれを私に見せるんですか?」

「怖がると思って」

「……は?」

「狐の面が怖いんだろう?」

 天愛は呆気に捕られて八十彦の狐面を凝視した。普段ならそんなことはできないけれど、狐面に対する嫌悪感よりも驚きと呆れの方が勝ったのだ。まったく、昼行灯のような性格をしていながら、嫌がらせには労力を注ぐ。けれど、日埜までもがそんなことをわざわざするとはとても思えなかった。

「なにか、意味があるんじゃないですか?」

「ないよ」

「こらこら、狐。悪ふざけが過ぎる」

 きっぱりと言い切った八十彦に、日埜が苦笑しながら言った。

「この絵では面を被っていて分からないが、このお嬢さんと天愛さんは、まるで双子のようにそっくりなんだよ」

「はあ、そうなんですか」

 またもや天愛は間抜けな調子で答えた。他にどうやって答えればいいのか、分からないのだから仕方がない。似ているからと言って、それが一体なにか意味があるのだろうか。

 日埜の次の言葉を待って、じっと見つめていると、あることに気付いた天愛は目を大きくした。

 赤い布が、日埜の座る座椅子の後ろからほんの少しだけとび出している。あの少女だ。

「だから天愛さんと初めて会った時は、正直少しびっくりしたよ」

 日埜は気にした様子もなくゆったりとした調子で続けた。気付いていないのだろう。天愛の方は、その布に目を引かれて仕方がない状況だ。それにやはり不気味過ぎる。

「あ、あの。この絵の子って、彩織さんのご先祖なんですよね? だったらどうして日埜さんがその顔を知ってるんですか?」

 天愛が日埜の座椅子の方をちらちら見ながら言うと、八十彦と日埜は目を合わせて、日埜の方は少しきょとんとした顔をした。

「ああ、先祖って言ったのは、狐の嘘だよ」

「……あの、彩織さん。わたし、店に戻っていいですか?」

「うん? どうして」

「うんざりです」

「君も、言うようになったね」

 言って八十彦は、狐面の下でくっくっと笑った。

 その様子に苛立ちが募る。この店にはもう二ヶ月近くアルバイトに来ているのだ。いくらこの狐面の店主と顔を合わす機会が少ないとは言っても、少しは慣れ始めている。八十彦が被る狐面を見ると、毎度背筋をぞわぞわとしたものが背筋を駆け上がるけれど、それが恐れに変わる前にいつも八十彦は天愛がうんざりする様な言動をする。

 いつも天愛をからかって楽しんでいるが、天愛が反撃を行うことは難しかった。八十彦が打撃を受けるところなんて天愛には想像もつかないし、天愛が反撃のつもりで言葉を返したところで、意にも介さない。そしてそのことで天愛がフラストレーションを溜める様子を見て、八十彦は楽しんで、天愛はまた悔しい思いをする。天愛にとって、かなりの悪循環だ。

 天愛はこのところ、自分がここでアルバイトをしたいと言った時に、東雲が必要以上に喜んでいた意味を今更ながらに理解していた。東雲は天愛がやってくるまで、理不尽な嫌がらせを一身に受けていたのだ。天愛がやってくることでそれが分散、または全て天愛に向けられるのだと思っていたのだろう。

 天愛としては、蜘蛛の糸に飛び込んでしまった虫の気分だ。

 せめてもの抵抗に、最近は受け流すことをやっと覚えてきた。

「じゃあ、わたし本当に戻りますね」

 そう言って立ち上がった時に、鈴の音が聞えて天愛は殆ど無意識に振り返った。赤い着物はまだ日埜の後ろでひらひらと動いている。音が鳴ったのは、裏にある竹林の方からだ。天愛たちのいる部屋からは縁側を通して、竹林がよく見える。

「どうかしたのかい? 天愛さん」

「いえ、なんでもないです。それじゃあ日埜さん、失礼します」

 天愛は深くお辞儀をすると、少し慌てた様子で部屋をあとにした。薄暗い竹林の方から鈴の音が聞こえて、ますます不気味になったのだ。


 天愛が部屋を出て行くと、日埜は天愛が凝視していた竹林の方を探るように見ていたが、結局なにも見えなかった。八十彦の方は、染野が淹れたお茶を啜っている。

「狐、お前は本当に悪ふざけが過ぎる。お前の父も、そんなには酷くなかったぞ」

「そうですか? あの人は、悪ふざけの達人でした」

 おどけた様子もなく言う八十彦に、日埜は思わずため息を漏らした。大体、悪ふざけの達人というのもおかしな言い方だ。

「まあ、いい。それにしても今更だが、どうして夜渡蓮に縁も所縁もないあの娘さんを雇うことにしたんだい?」

「縁ならとうの昔に。それに、似ているからです」

  言って八十彦は指指した。その指先は、漆塗りの箱を通り過ぎて日埜の方を指す。

「そこで、着物を揺らしている娘に」



 天愛が店に戻ると、東雲は暇そうに硝子瓶を磨いていた。今日も客は少なく、暇すぎるほど暇なのだ。店内の商品が必要以上に綺麗に光っているように見える。別に東雲は商品を磨くことを趣味にしている訳でも、メインの仕事にしている訳でもない。

 天愛を見て、「なんのはなしだった」と興味なさそうに聞いてきた。

「何の話しもなかったです。変な女の子の絵を見せられて、その子は私ととそっくりなんだよって言われただけでした。いつもの嫌がらせです」

「天愛ちゃん、別にあの人はいつも意味なく嫌がらせをするわけじゃないよ」

「あるんですか? 意味」

「あると思いたい。そうじゃないと、報われない」

 硝子瓶を磨きながら言う東雲を天愛は、思わず哀れみの混ざった目で見てしまう。

「それにしても、最近来ないですね。えと……希少な? お客さん」

「ああ、そうだねー。けど、そんなしょっちゅう来るわけじゃないから」

 東雲は笑いながら言って、硝子瓶を机の上に置いた。磨くことに飽きたのか、その目はきょろきょろと、することを探して店内を見渡したが、最後には隣に座る天愛に辿りついた。

「どんな、絵だった?」

「え? あ、狐の面を付けた、女の子の絵でした」

 東雲は、いかにも興味があるようにふんふんと頷く。

「それって、誰なんだろうね?」

「昔、ここに村があって、そこに住んでた子だって聞きました」

「村? 一体いつの話しなんだそれ。それしか言ってなかったの? 八十彦さん、一体なにがしたかったんだろ」

「そりゃあ、いやがらせなんじゃないですか?」

「そんなの、嫌がらせのうちに入らないよ。てか、暇だなー。希少なお客さんどころか、普通の客も来ないね」

 頬杖をついて眠そうに言う東雲を横目で見ながら、天愛も硝子戸の向こう側を見た。白線を引かれたアスファルトの道路の向こうには空き地が見える。草が生え始めたその場所の向こうの方には、古びたレンガの塀が見えた。いつもと変わらない風景だ。

 天愛はふと首を傾げた。寺島少年がやって来た時、外の風景はどうなっていたのだろうか。今と変わらない風景だったように思うが、意識をして見ていなかったからだろうか。どうしても思い出せない。

 もし、本当に寺島少年が過去から夜渡蓮へやってきたというのなら、その背景が今と同じでは違和感がある。

「あの、東雲さん。前に寺島っていう男の子が来たじゃないですか?あの子がこの店に入ってきた時、外の風景ってどうなってました?どうしても思い出せなくって……」

 聞くと、東雲は少し眠そうに、ああ、と頷いた。

「覚えてないってことは、劇的な変化があった訳じゃないってことだよ」

「へ?」

「外は、今と同じ風景だったよ。干渉してきたのはあの男の子だけだ。あの男の子だけが、門をくぐってこの店にやってきた。だから、別に俺達にあちらの風景は見えないよ」

「そういうもんなんですか……」

「あんまり深く考えない方がいいと思うよ。考えても答えなんか多分見つからないから。俺ももう諦めてるし。不思議なことが多すぎるだろうけど、まあそのうち分かることもあるんじゃないかなあ」

 もう何年も前からこの夜渡蓮に通っている東雲が言うのだから、その通りなのだろう。通い始めてまだ数ヶ月しか経っていない、ましてやあの現象に一度しか遭遇していない天愛に、夜渡蓮の真実なんて知ることはできない。

 ただ、なにか掴めそうで掴めないものが、この店には漂っている。それは八十彦や東雲の言動の端々や、赤い着物の少女、それにあの狐面などに、見え隠れしては天愛に少しの違和感を残すのだ。けれどその違和感の原因も、なにか知ろうとしても脇を通り過ぎていく。

「東雲さんは、彩織さんのお面の下の顔を見たことあるんですか?」

「あるよ。まだ先代がこの店の店主だった時、八十彦さんはお面つけてなかったし」

「……どんな顔してるんですか?」

 天愛が何故か少し後ろめたくなりながら聞くと、東雲は首を捻った。

「別に……普通だよ? そういえば俺、八十彦さんとちょっとだけ似てるって言われたことあるなあ。八十彦さんが言う、天愛ちゃんが見て驚くってのがよくわからないけど」

「実はおじいさんだったりとか」

「しないしない。そうなると先代が化け物になっちゃうよ。八十彦さんはあんななりだけど、若いよ。推定二十二、三歳」

「推定?」

「実際ちゃんと歳聞いたことないから。あんま気にしたこともないなあ。八十彦さんに直接聞いてみれば?」

「いや、いいです」

 出来る限り自分から八十彦に話しかけたくなかった天愛は、きっぱりと断った。








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