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狐と八十一の嘘  作者: はんどろん
一章 希少なお客
6/23

06

 あの、昨日言ったのは本当に勢いで。本当は思ってもみなかったことで……。

 そこまで考えて天愛は盛大にため息をついた。今更なにを言ったって言い訳だ。そう思いつつも、次から次に湧いてくる言い訳を頭の中で持て余していた。できたら、昨日のことは戻ってやり直したかった。「じゃあ、辞めさせてもらいます」以降から。あの勢いはそこで止めておけばよかったのだ。

「――わっ」

「わあっ!」

「おはよー。天愛ちゃん」

「……おはようございます、東雲さん」

 急に肩を叩かれ、驚いて振り返るとにこやかな東雲が真後ろに立っていた。悪びれのない笑顔を見て、天愛は少しうんざりする。

 そんな天愛に気づいてか気づかずか、東雲はにこにこと笑ったまま、天愛が今最も思い出したくないことを言い出した。

「いやー昨日はびっくりしたよ。天愛ちゃんって意外と執念深い女だったんだねー」

 東雲は冗談交じりに言ったつもりだろうが、天愛にとっては足取りを重くさせるものだ。さあっと血の気の引く頭で昨日の皆の視線を思い出す。いきおいで、彩織に物凄いことを色々言ってしまったのだ。

「あーっ」

「大丈夫、大丈夫」

 急に声を上げて頭を抱えた天愛に、東雲はのん気な声でそう言って、慰めるように肩をぽんぽん、と叩いた。

 なにが大丈夫なのかさっぱりわからない天愛は、思わずじとりと東雲を見てしまう。

「てか、今日は八十彦さんいないし」

「え?」

「買い付けに、ちょっと市まで出てるんだよ」

「いち?」

「うん。まあ、骨董市みたいなの」

「はあ……」

 天愛は少しほっとしながらも、嫌なことを先延ばしにされた気分になり、項垂れた。けれどすぐ目の前のことではなくなったからか、少し心に余裕ができて、昨日の八十彦と東雲の言葉を思い出す。

 時間の交差とかなんとか。

 一日経てば昨日聞いた時よりも、天愛のなかではその話しは現実味がないものになっていた。

「……あの、昨日のことって本当ですか?」

「んん、嘘じゃないつもりなんだけど……まあ、信じなくてもいいよ。幽霊の話しみたいなもんでしょ?」

 東雲は曖昧にそう言うと片手で髪をくしゃっとした。

「幽霊の、はなし?」

「半信半疑。正体が分かりそうで、分からない」

「はあ」

 天愛は力なくそう呟くと、前を見た。いつの間にか夜渡蓮の門をくぐり、東雲は門と店の間にある大きな松の木の下にバイクを停めていた。店の戸口まで続く石畳は、いつもきれいに掃除されている。

 小さな鈴の音が聞こえた気がして辺りを見渡したが、別に何もない。門の内側に掛けてある風鈴は音が鳴らないことは、先日気づいたことだ。

 たまに天愛は夜渡蓮でこの鈴の音を遠く近くで聞いていたが、それらしきものは見つけたことがなく、その度に少し薄ら寒い思いをしている。東雲は気づいていないのか、聞こえないのか、なんの反応も示さない。

 この夜渡蓮に入るきっかけになったのが鈴の音だったから、天愛はもしかしてなにかに憑かれているのかも、と最近思い始めていた。

「天愛ちゃん、入らないの?」

 ぼんやりと奥の竹林の方に目を向けていた天愛に、東雲は戸の前から声をかけた。手にはヘルメットと古びた鍵を持っている。

「今日、染野さんもいないんだ」

 そういいながら硝子戸の木の淵にある鍵穴に鍵を差し込んだ。

 がたがたと鈍い音がして戸を開くと、誰もいないからか、いつもより中は薄暗かった。

 天愛が肩を強張らせたのに気づいたのか、東雲は苦笑しながら言う。

「まだ慣れない?」

「此処自体はそんな恐いと思ったことないんですけど……今日はいつもより暗いし」

「昨日あんな話、聞いたばっかだしね」

「……はあ」

「俺もいるから大丈夫だよ」

 確かに、一人でなんてとても居ていられないだろう。東雲の外見はいかにも今時の人だから、正直この店の中で見ると少しほっとするのだ。けれどこの東雲だって、十分得体の知れなさがあった。

「……東雲さんって、藤浮の附属の大学に行ってるんですよね?」

「うん。そうだよ」

「友達とか、此処に来たりとかするんですか?」

 天愛は荷物を木机の上に置きながら聞いた。東雲は離れたところで店の中の電気や、電灯の大きなランプをつけたりしている。

 橙色に染まった店の中は、それでもやはり少し薄暗い。

「来ないよ。此処でバイトしてることなんか二人くらいしか知らないし」

「そうなんですか」

 東雲は友達が多そうなイメージが、天愛の中ではある。

 机の上で東雲の置いた携帯のバイブが鳴って、ぼんやりしていた天愛は小さく肩を震わせた。今人気のキャラクターの、小さなプラスチックのストラップが、振動でカタカタと揺れている。

「あの、東雲さん。鳴ってます」

「あー切るの忘れてた。ほっといて」

 東雲はマフラーを外しながら、どうでもよさそうにそう言った。友達からなのか、しつこい位に鳴り続けている。

 天愛が気にして目を離せずにいると、東雲はひょいと机の上から取り上げて開き、鳴り続ける携帯の電源をあっさりと切ってしまった。天愛が少し驚いてそれを見ていると、東雲はなんでもないようにまた携帯を元の場所に置いた。

「……あの、大丈夫なんですか?」

 余計なことだと思いつつも、思わず聞いてしまう。

「だいじょうぶ、だいじょうぶ」

 東雲が可愛らしく笑いながら、手をひらひらさせそう言うものだから、天愛は気にしないことにした。東雲はマフラーをはずして鞄と一緒に木の机の中につっこみ、肩を少し竦ませた。天愛はマフラーを巻いたままだ。店の中は外と余り変わりなく寒い。もしかしたら、外より空気が冷えているかもしれない。

「そろそろ暖房器具出さないとね……確か蔵の中に直したかな」

 東雲はそう呟くと手を擦り合わせた。天愛も指先が冷えているのを感じて、手のひらに息を吹きかけた。

 東雲は「ちょっと取ってくるよ」と言ってスニーカーを脱ぐと、それを手に持ち廊下の方へ行った。暖簾をくぐる時に、思い出したように振り返って天愛を見ると言う。

「そういや、言うの忘れてたけど、この店で携帯の電源はできる限り切っといて。それか居間の方とかに置いとくとか……携帯見てびっくりするお客さんもいるからさ。まあ、どのみち大概電波悪いんだけどさ」

「……はい」

 びっくりするお客さん、とはやはりあれだろうか。

 天愛は微妙な表情をして頷いた。東雲はその様子を見て少し苦笑していたが、すぐに奥へとひっこんで行った。

 蔵へ行くのは中を通って行った方が早いらしい。

 天愛は東雲の後ろ姿を見送ったあと、指定席になりつつある木の椅子に座った。座るところだけ、座り心地が良いように皮が張られていて中には綿が敷き詰められている、古びた椅子だ。これももしかしたら商品の一つかもしれない、と思い天愛はできるだけ椅子を引きずらないようにしている。

 東雲がいなくなって、室温が二、三度は下がったような気がして天愛は小さく身を震わせた。

 一応此処も住宅街の中にあるのだから、騒音や人の声が聞こえてきてもいいはずなのに、しんっと静まりかえって全くなにも聞こえない。

 天愛はできるだけ、机の上に置かれたままの東雲の携帯に意識を集中させた。

 いかにも一時の流行もののそのキャラクターは、少しずつ表情と色が違うものが三体連なっていて、可愛らしいといえば可愛らしいが、馬鹿っぽく、嘘くさくて少し不気味だ。

 携帯自体は、多分最新の型のものだろう。天愛はそういうのには疎かったが、最近CMで見たことがあるのを思い出した。

 意識を集中させているつもりでも、やはり背後が気になって何度も振り返る。

 暖簾の下から見える長い廊下は少し薄暗い。

 薄暗いその中から、急に狐面をつけた八十彦がひょいと出てくる想像をしてしまう。その度に背筋に軽く悪寒が走っても、その想像は止められなかった。

 それに、先程から耳についたままの鈴の音も離れない。

 実際は今も聞こえているのだが、天愛は空耳と思い込むようにしていた。

「天愛ちゃーん、ちょっとこっち来てくれない?」

 のん気な東雲の声が聞こえて、天愛はほっとして長い廊下の方に振り向いた。

「は……」

 はーい。

 そう返事するつもりだったのに、喉の奥で乾いた音がするだけだった。

 暖簾の下からは、真っ赤な着物の裾から伸びる、小さな白い素足が見えた。天愛の方を向いて直立不動で立っている。暖簾で腰より上は見えない。

天愛は声も出せず、少しも動けないままその足を凝視した。指先と頭のてっぺんから、さぁっと血の気が引いていく。

「いち」

 その足の持ち主は、暖簾の間から白く細い腕をにゅっと突き出して天愛を指差すと、高い少女の声でそう言った。

 そして次の瞬間、天愛が瞬きした間に微かな鈴の音を残して、忽然と姿を消してしまった。





 呼んでもなかなか来る気配がない天愛を見に、東雲が店の方まで戻ると、天愛は東雲の方を向いて目を見開いたまま、じっと固まっていた。けれど東雲の姿を見ると、少しずつ眉ねを寄せて、目に溜まった涙をこぼさないようにするためのような、必死な顔になっていった。

「いぃいいいちって、」

「いち?」

 震える声で言いながらも天愛は恐ろしいのか、首元のマフラーをぎゅっと握っている。状況の分からない東雲は、ただ首を傾げるばかりだ。

「市のこと?」

 東雲はそう言ってみたが、天愛は自分の言ったことなのに「わかりませんっ」と言って首を横に振った。分からないのは、何があったか全く知らない東雲の方だ。今にも泣き出しそうに体を震わせる天愛に、困ったように頭を掻く。

「……てか、どうしたの?」

 東雲は暖簾の下でしゃがみこんで、天愛の顔を覗き込んだ。ちょうど、先ほど少女の足が見えた手前辺りだ。天愛は顔を逸らして言った。

「女の子が、わたしのこと指指して『いち』って……」

 そう言ってやはりまた悪寒が走って、天愛はますますマフラーをぎゅっと握った。

 東雲は、大きな目を見開いて口を薄く開けた。

「へえ。それは、恐いね」

「……信じてくれないんですか?」

 力の篭らない声で言われた天愛は、東雲の方を見て眉ねを寄せた。東雲は少し考え込むような顔になっていて、天愛に向けてた視線は、どこか遠くを見るようなものに変わっていた。

「ううん。ただ、本当に恐いなあって思って」

 そう言う東雲の様子は前にも見たことがあったので、その時のことを思い出して天愛は身震いした。

 前に天愛の話しを聞いて東雲が、こんな風に考え込むようにしていた時も、天愛がここで鈴の音を聞いて正体不明の赤いものを見た時だった。その『なにか』が、先程の足の持ち主の着物と結びつく。

 まさか、あの時から?

 天愛はそう思うと肩を竦ませて、マフラーを前に寄せた。

 あの一瞬ちらついた赤い『なにか』が着物の端で、先程の足の持ち主だとすると、あの足の持ち主は寺島少年が来ていた時からいたのだ。もしかすると、天愛がくるずっと前からここにいたのかもしれない。

「あの、東雲さん」

「ん、なに?」

「あの女の子のこと、知ってるんですか?」

「赤い着物着た幽霊?」

 天愛はその言葉に固まった。多分、東雲が言っているとおり、あの足の持ち主は幽霊だろう。そうじゃないと、説明がつかない。ぱっと現れたと思ったら、一瞬で消えてしまったのだから。

「俺は知らないよ。霊感零だから……八十彦さんと染野さんにもそんなこと聞いたことない。天愛ちゃん、憑かれてるんじゃない?」

 東雲は少しおもしろがるように、最後にはにやりと笑ってそ言ったが、それでも天愛の背筋はまたぞくぞくした。

「寒い? ごめん、ストーブ取りに行ってたんだった……ちょっと取ってくるよ」

「私も行きます!」

 天愛が必死に、叫ぶように言うと東雲は苦笑した。東雲が「じゃあ、ついてきて」と言うと、慌てて学校指定のローファーを脱いで手に持った。

 暖簾をくぐる時に体を強張らせたが、先程の足の持ち主の少女はいなかった。まるで幻を見ていた気分になったが、それでもやはり恐怖ははっきりと残っている。

 軽快に歩いていく東雲の後ろに隠れるようにして、恐る恐る廊下を進む。たまにぎしっと嫌な音がして、それさえも天愛の恐怖を増幅させた。

「し、東雲さん」

「んー?」

「そういえば、どうして赤い着物ってわかったんですか……」

 天愛がそう言うと、東雲はきょとんとした顔で天愛を見た。

「どうしてって、さっき天愛ちゃんが言ってたよ?」

 そう言われて思い出そうとしたが、全然思い出せなくて、天愛は眉を顰めた。もしかしたら、恐怖の余り色々無意識に口走っていたのかもしれない。

「そうですか……」

「そうだよ」

 東雲は苦笑すると天愛の肩をぽんぽんと叩いた。




 蔵の中は、暗くて埃っぽかった。小さな箱みたいな外観とは違って、中は意外と広く、天井が高い。明かりは天愛たちが立つ入り口から、地面を力なく伸びる外の明かりと、東雲の持つ懐中電灯の丸い光だけだ。扉を開けると同時に、中からあふれ出てきた冷たい空気が足に当たって、天愛は肩を竦ませた。

 天愛が躊躇していると、東雲は慣れた様子で蔵の中に入っていきごそごそとなにかを探し始めた。白く塗られた円柱型のレトロなストーブは、蔵の入り口に置かれている。天愛は訝しげに声をかけた。

「……あの、東雲さん?」

「うん? なに?」

「ストーブなら、ここにありますけど?」

「うん。だってそれさっき俺が出したから」

 東雲は懐中電灯を右手に持って、がさがさと何かを探している。たくさん積まれた箱を下ろしては、開けて中身を探っていた。

 天愛は眉を顰めながらそっと蔵の中に足を踏み入れた。外よりも冷たい蔵の中の空気は、不思議なにおいがする。祖母の家の古い畳のにおいと、それは少しだけ似ていた。

 辺りを見渡すと、木の箱やらダンボール箱が積まれていて、そのどれもが古い。見たことのないような古びた大きな乳母車や看板などは、そのまま置かれていて埃を被っていた。他にも木の箱に詰められた古い本の束や、木でできた、店にも置いてあった古くて大きい西洋のオルゴールなどもある。天愛の身長よりも大きなそれは、東雲にオルゴールと教えてもらうまで、なにか分からなかったものだ。

 ごちゃごちゃと物が多い蔵の中を、天愛がきょろきょろと見渡した。その最中に、また少し離れたところで、りんっ、と鈴の音が聞こえた気がして、はっとして慌てて東雲のところまで走った。

 東雲は「たしかここら辺で見た気がするんだけどなあ」と呟きながら尚も箱を次々と探っていっている。

「なにを探してるんですか?」

 天愛は東雲の横にしゃがみ込むと、東雲がごそごそ中を探っている箱の中を覗き込んだ。古い新聞につつまれた、黒い漆塗りの椀がちらりと見える。

「絵」

 東雲は懐中電灯を天愛に手渡すと「照らしてて」と言ってまた中を探り始めた。天愛は言われたとおりに、次に東雲が下ろした木の箱の中を懐中電灯の丸い光で照らした。

「絵って、何の絵ですか?」

「天愛ちゃんは知らない人だけど、多分見たら大体どういう人なのか分かる人の絵」

 東雲は手を休めずにそう言った。天愛は訝しげに眉ねを寄せると小さく首を傾げる。東雲が言っていることは、全く意味不明だ。

「お店の方は、大丈夫なんですか?」

 天愛は蔵の入り口の方に顔を向けて少し不安げに言った。今心配なのは、天愛たちがいない間にお店に人が来ることより、蔵の扉がひとりでに、勝手に閉まってしまいそうなことだった。

「多分、大丈夫だよ。それに、八十彦さんがいない間に天愛ちゃんに見せておかないと、と思って。あの人は君になにも言わなさ過ぎる」

「え?」

 天愛は蔵の入り口の方から、また東雲の方に顔を戻した。懐中電灯の灯りが少しずれていたことに気づき、慌てて元に戻す。

 小さな箱の中には、マトリョーシカの顔が見えて、天愛は顔を顰めた。蔵に不似合いな、異国のカラフルな服を着たその人形の艶やかで少し嘘くさい顔は、東雲が携帯につけていたストラップのキャラクターの顔にどことなく似ている。そういえば、東雲は携帯を店に置いたままだ。ぼんやりと天愛がそんなことを考えているうちにも、東雲は次の箱を取り出していた。その箱が、天愛の持つ懐中電灯の白い光を反射したので、天愛は目を細めた。光の位置を少し移動させて、まだ開けられていない黒く艶やかな漆塗りの蓋を照らす。東雲が蓋を開けた時に一瞬古い紙のにおいがしたが、東雲は少し顔を顰めたあと、「これはいいや」と呟いて直ぐに横によけた。そして、次々にまた違う箱を開けていった。

 序々に懐中電灯の灯りがずれていくことに気づいた東雲は、顔をあげて天愛を見たが、天愛はそんな東雲の様子にも気づかずに東雲の開けた箱の中を凝視していた。懐中電灯の灯りはもう完全に天愛の真下を照らしているだけだ。

「……それ、」

 天愛は掠れた小さな声で、呟くようにそう言ったまま箱の中身から目を離せないでいた。東雲は不思議に思い天愛が見つめている箱の中を覗き込んだが、入っているのはなんの変哲もない、古びたブリキの玩具だった。手の中に納まりそうな大きさのそれは、暗くてよく見えないが多分青い色をした車だ。おそらく小さな男の子がもともとの持ち主だろう。それが今はその子の元を離れてここにたどり着いている。サインペンで名前を書かれた後があったが、擦れてところどころしか読めない。子供らしい、拙い漢字だ。

「これがどうかした?」

「……いえ、なんでもないです」

 そう言った天愛の声は、明らかに震えていた。眉ねには険しく皺が寄せられている。

 それは、天愛に見覚えのあるものによく似ていたけれど、どこにだってあったような、ありきたりな車の玩具だった。

 天愛は東雲が黙りこくって自分を観察するように見上げているのに気づくと、眉ねに寄せていた皺を引き伸ばした。りんっと鈴の音がした気がしたが、それをちゃんと聞き取れないくらいに天愛は動転していた。どうにか、なんでもないような顔を必死で作る。

 東雲は怪訝そうな顔をしていたが、「そう?」と言うと立ち上がった。

「もういいや、ごめんね、つき合わせて。ありがとう」

 そう言って笑うと天愛から懐中電灯を受け取り、蔵を出るように促した。

「……いいんですか?」

「なにが?」

「なにが、って……絵ですよ」

 今度は天愛が怪訝そうな顔をしてそう言うと、東雲はあっけらかんとした顔で頷き天愛の背中をそっと押した。天愛はもう一度小さな車の玩具が入った箱を見たが、その箱はもう東雲によって元の場所に戻されていた。

 どの箱も、もう何十年も同じ場所に置かれているような感じがする。きっと実際そうである品物もたくさんあるのだろう。それらの以前の持ち主たちは、この場所に、かつては自分の持ち物であったものが眠っていることを知っているのだろうか。それとも、そんな物を持っていたことさえ忘れてしまっているかもしれない。

 それがどれだけ大切な物であったとしても、自分の手から離れてしまえば、あとは忘れる一方なのだから。





     *





 祭囃子の音に狐の仮面を被った男の子。その手にはその子が大事にしている青いブリキのおもちゃ。

 小さな身長には、ジャングルジムは大きな遊び場だ。地面から離れて上まで登れば、視界が開けて自分まで大きくなった様な気分になれる。

 男の子を見上げると、真っ白な顔に真っ赤に切れたような口が笑いを作っていた。三日月型の三白眼の瞳に開けられた穴からは、光りを宿したこげ茶色の目が見下ろしてきている。

 ――きつねさん、きつねさん

 くすくす笑いながらそう呼んだ小さな女の子は、確かにあの時の天愛だった。

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