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狐と八十一の嘘  作者: はんどろん
一章 希少なお客
5/23

05

 狐の主人と、東雲と天愛と寺島少年は、なぜか四人で座卓を囲って東雲の入れたお茶を飲んでいた。寺島少年は遠慮してか、帰ろうとしたが東雲がお茶に誘ったのだ。

 八十彦と東雲はゆったり座って寛いでいる様子だが、天愛と寺島少年はそわそわしていた。

 なんだこの状況、と思うが二人ともそれを口には出せなかった。

 八十彦は人前でけして狐面を外すつもりがないのか、東雲にお茶を頼んでおきながら一口も飲んでいない。

 四人の中心にある大きな座卓には、面の入った紙袋と、ちえ子の骨が入った小さな箱が置かれている。

「東雲、君達が来る前に向坂(こうさか)さんから連絡があったよ。今日は面はもういいらしい」

「へえ、そりゃまたなんで?」

「夕方から、出かけるって」

 八十彦はそう言うと、紙袋から面の入った箱を取り出した。中身が何か分かっている天愛は、その箱にさえ禍々しさを感じてしまう。一方の寺島少年は何を考えているのか分からない表情で、黙ってそれを見つめた。

 東雲は、二人の様子を見て密かに苦笑した。

「君はさっき、この面と似たものを知ってると言ったね?」

「……はあ、」

「君の知っている面の、作者の名前は?」

「……一之瀬、八重蔵です」

 一瞬不思議な顔をした寺島少年がそう答えると、八十彦は箱から出した面を天愛の方へ差し出した。

 部外者の気分で二人の会話に耳を傾けていた天愛は、唐突に前に出されたそれに戸惑う。蛙は変わらず不気味な面構えをして、空虚な眼で天愛を見つめる。

「……あの?」

「椿さん、裏見て」

 天愛はそれに触れるのが嫌だったが、八十彦にそう言われてしまったので、仕方なく受け取って裏を見た。ずっしりとしたそれは嫌に冷たかった。

 表面とは違って古い木の色を残した荒い面には、真ん中に黒く、達筆で何か書かれている。

 ― 一之瀬八重蔵。

 たった今、寺島少年が言った名前と同じだ。寺島少年が知っている面と同じ作者なのだろうか。

 天愛は八十彦の意図が全く解らなくて、多少慄きながらも八十彦の狐面を見た。微動だにしないその顔を見てもわかる筈もなく、今度は八十彦の隣に座る東雲の顔を見てみたが、東雲はただ苦笑するだけだ。

「やっぱり……一之瀬爺さんが作ってたのと、全く同じ形だ」

 寺島少年は天愛が持つ蛙の面をしげしげと眺めながら呟いた。

 近くで寺島少年の顔を見た天愛は、今更ながらよく見ると、その顔が見知った人の顔に似ていることに気づいた。

 友達の、綾香に似ている。

 奥二重の下にある真っ黒な大きな瞳も、通る鼻筋も。顔だけではない、その身に纏う雰囲気も少し似ている様な気がした。意識してみると、少年の声変わりのしていない声も綾香のものと近いもののように聞える。

 寺島少年は天愛にじっと見つめられていることに気づき、少し顔を赤くすると前に座る八十彦に向き直った。

「あの。これ、どうしたんですか?」

「これ、とはその面のことかな?」

「はい……僕の知ってる人が、さっき言った一之瀬八重蔵が作っているお面と、そっくりどころじゃなくて、全く同じみたいなんです。違うとこと言えば、色が付いてるかついてないか位に見えます」

「それは昔、土師(はぜ)さんと言う方から買い取らせてもらった物だよ……知ってるかな?」

 そう尋ねられた寺島少年は、横に首を振った。

 反応したのは、天愛の方だった。

 『土師』なら、綾香の苗字だ。

 この近辺では余り聞かない、珍しいその苗字は関西から来た綾香の父親のものだった。

「……その土師さんって、土に師って書く土師さんですか?……もしかして、この近くに住んでます?」

「ああ、そうだよ。よく知ってるね」

 間違いない。この近辺で土師という苗字は綾香の家だけで、よく苗字を読み間違えられて困ると彼女は言っていた。

 もしかすると彼女はこの蛙面のことも知っていたのかもしれない。

「あら、お客さん来てはるの? いらっしゃい」

 のんびりとした声がして、天愛と寺島少年は振り返った。

 染野だ。染野は天愛が手に持ったままの蛙の面を見て微笑んだ。

「それ、向坂さんに届けるんちゃうかったの?」

「明日持って行くことになったんだ。色々あって……天愛ちゃんと俺、袋間違えて持って帰っちゃってさ」

「あら、誰かの悪戯かしら」

 染野は先程の東雲と同じようなことを言って、楽しそうに笑った。

「天愛ちゃん、それ面白いでしょう? お客さんが来はる時は、狐の面じゃなくてそれに付け替えた方がいいって、何度も八十彦さんに言ってるんやけどねぇ。その方が縁起が良いし」

 面白い、だろうか。

 天愛からしてみれば狐面といい勝負だ。東雲からしてみれば、狐面なんかよりもその蛙面の方がよっぽど薄気味悪いのだろう。呪われてる、と言ってた位なのだ。

 東雲と天愛は同じく染野の言葉に苦笑いしていた。

「……縁起、いいの?」

 その、不気味な蛙面が。

 とでも言いたそうに東雲は聞いた。

「『無事帰る』って言うからね」

「しゃれじゃん」

 八十彦の言葉に東雲は苦笑したまま言った。

「『狐にばかされる』よりはいいんちゃうの」

 染野は何故か蛙面を支持している。

 そういえば、天愛が面接に来た日も、染野はそんなことを言っていた。あの時は染野の口調から、面白い蛙の面を思い浮かべていたが、こんな「呪いの蛙面」だったとは。八十彦がどちらを選んでいたとしても天愛への第一印象は最悪だ。出来れば選ぶ前にお面をつけないでほしいと天愛は切に願う。

「あの、すみません。僕もうおいとまします……用もあるんで」

 暫く黙っていた寺島少年が、よく通る声で言った。

 客ではあるが部外者の自分が、店員たちとお茶を飲むことがよっぽど居心地が悪かったのだろう。眉が下がり気味で少し情けない顔になっている。店員である天愛でさえもまだ慣れていないのだ。天愛はそんな少年の様子を見て、申し訳ないような、可哀想な気分になった。

「いや、ごめんね。引き止めちゃって」

 東雲がそう言うと、寺島少年は情けない顔に微妙な笑みを浮かべ軽く会釈した。

「つか、最後に聞きたいことあるんだけど、その骨本当に売っちゃっていいの? 後悔しない?」

 東雲の言葉に情けなかった寺島少年の顔が少し険しくなった。

「先程も言いましたけど、その骨があると、母は駄目になってしまいます」

 寺島少年はそう言うと、俯いた。

 天愛と東雲からしてみれば初耳な話しだ。

「母は、ちえ子がいなくなってからもちえ子の影を追い求めているんです。代わりを見つければいいのに」

「代わり?」

 天愛は驚いて顔を上げた。

「誰かの代わりが、違う誰かにできるの?」

 天愛がそう言うと、寺島少年は苦しそうに顔を歪める。

 八十彦と東雲と染野は、じっと寺島少年と天愛の様子を見ていた。

「……できないと思いますが、何もないよりは少しはましになる筈です。僕は、母がちえ子を失った悲しみをなくす為に、母の周りにあるちえ子の名残りを全てなくしてしまいたいんです」

「……」

 そういうものなのだろうか。

 天愛には解らなかった。物がなくても、亡くした悲しみが癒える訳ではない。けれどもしかすると、その悲しみが遠のくのは、物があるよりもはやいのかもしれない。

「まあ、君がそう思うのだったらいいんじゃないかな。生きてる、君がそう思うならね。俺達が君達のことに口出しできることでもないし……けど、さっき言ったように取引が終わると、もう二度と、君はちえ子の骨を取り戻すことができなくなるけど、いいかな?」

「……つーかさ、お母さんの了承なしで売っちゃってもいいの?」

 八十彦と東雲が続けざまにそう聞くと、寺島少年は苦々しい顔をして小さく頷いた。

 取引が終了すると、もう二度と取り戻せない。

 天愛は八十彦の言葉を疑問に思った。寺島少年がその気になれば、買い戻すこともできる筈だ。

「それじゃあ、失礼します」

 寺島少年はそう言うと、店になっている土間の方から外へと出て行った。

 それ以降、天愛がその寺島元基に会うことは二度となかった。


 それから数日後、ちえ子の骨の正体を天愛が知ったのは、意外な、天愛の近しい人物からだった。

「夜渡蓮での、バイトはどんな感じ?」

 いつもの調子で聞かれて、天愛は教科書から目を離して目の前に立つ綾香を見た。

 ざわつく休み時間の教室の中でも、綾香の声はよく通ていて、ざわつきが気にならない程すとんと天愛の耳に入った。

 艶やかなショートカットの黒髪は、大人びた美人顔の綾香の顔によく似合っている。

 けれどそれは、中学生くらいのあの少年を天愛に思い出させた。

「ん。やっぱり結構暇だよ。お給料貰うのが申し訳ないくらいに」

「変人な主人と付き合っていく代金だと思えばいいんじゃない?」

「別に、変人ではないんじゃないかなあ……」

「……狐面つけてて、よくわからない、人でも?」

 歯切れの悪い天愛の言葉に綾香は苦笑しながら言った。

 天愛は思わずじっと綾香の顔を見つめてしまう。

「綾香って、やっぱり夜渡蓮に入ったことあるの?」

「昔、近所で友達と遊んでる時の罰ゲームでね。昔からあそこの店主は実は化け物だって、近所の子供の間では有名なんだよ」

 綾香はそう言うと肩を竦めてみせた。

「それに、うちのおじいちゃんも昔行ったことあるらしいんだけど、あそこの主人の変人っぷりは代々受け継がれてるものみたいだね。多分、皆狐面を付けてるんじゃないかな」

 天愛は目をまるくして綾香を見た。

 代々、狐面をつけてる、ということは、八十彦のあれは代々受け継がれてきたものなのか。なにか、意味があるのだろうか。

 綾香は驚いた様子の天愛を見て、苦笑する。

「それに、昔私が罰ゲームで入った時、蛙の面を見たことがあるんだけど、おじいちゃんも昔あの店で見たことあるみたい……おじいちゃんの知り合いが作ったものらしいんだけどね。変な話しなんだけど……」

 綾香の言う蛙面は、恐らく天愛がこの前学校に持ってきていたものと一緒のものだろう。

「おじいちゃんが、子供の頃あの店で、その面の出来上がった状態のものを見たことがあるんだって。その時は、おじいちゃんの知り合いはまだその蛙の面を完成させてなかったから、似たような物なんだと思ったらしいけど、知り合いが完成させた面はその時見た物と全く同じものだったらしいよ」

 綾香の言う言葉の意味が判らない。けれど、知っているような話しだ。

 天愛は先日夜渡蓮に来た、綾香に似た少年の顔を思い出した。

「それに、猫の骨なんて買いとってくれたらしいから、やっぱり変だよ。あの店」

「猫?」

「うん。ちえ子って言ったかなー多分」

 その名前を聞いた途端、天愛は愕然とした。骨を買い取るということだけでもありえない話しなのに、その骨の生きていた頃の名前が同じなんて、ますますおかしい。

 まさかと思い、馬鹿な、とも思った。

 けれど綾香が言ったことと先日の出来事は天愛の中でまるで1本の糸のように繋がってしまった。

 そんな訳ないじゃない、と自分の考えを打ち消そうとしても、繋がってしまったものはなかなか離れてくれようとはしなかった。

 だからその日はバイトの日でもないのに、学校が終わると直ぐに夜渡蓮へと向かった。

 かなり馬鹿げた話しだし、もし違ったら相当間抜けだ。




「あれ? 天愛ちゃん」

 道でバイクを押す東雲と鉢合わせした途端、先ほどまでの自分の考えがますます馬鹿らしいものに思えて後悔した。バイトの休みの日にまでやって来て、何をしているんだろうと思う。

 天愛がまごまごしていると、東雲はにやりと笑い、まあ入りなよ、と軽い調子で言った。

「どうしたの? 今日は休みの日じゃなかったっけ? ……まあ、大体予想はつくけど」

「あの、予想って?」

「土師さんの娘さん、天愛ちゃんと同じ学校に通ってるだろ? 大方、友達とか?」

「……どうして知ってるんですか?」

「土師さんはね、常連さんなんだよ。それに天愛ちゃん、土師さんの家がここら辺って知ってたみたいだから、もしかして友達なのかなあって思ってたんだ」

 天愛は自分の知らないところで接点があったことにそわそわした。綾香も、何故黙っていたんだろう、と不思議に思う。

「で、先日の寺島元基さんのことについて、その土師さんの娘さんから何か聞いたかな?」

 すらすらと出てくる東雲の言葉に天愛はぎょっとして、扉の前で立ち止まった。

 東雲は振り返りかえると申し訳なさそうに、けれどやはりおもしろそうな色を瞳に滲ませて笑った。

「ごめんね。バイトが決まった時点で説明しとくべきだったんだろうけど、普通に信じられることじゃないから」

 そう言って首に巻いていたマフラーを取り、鞄につっこむとカウンター代わりの木の机の下に入れた。

 天愛もようやく足を動かし店内に入った。

 夜渡蓮の中は暖色の電球のせいか、昼間でも少し薄暗い。作られた場所も時間も全く違う物たちが隙間なく置かれていて、非現実的な雰囲気が出来上がっている。それに、あの狐の店主だ。先ほどまで頭の中で馬鹿にしていたことも、信じてしまいそうになる。東雲が言った言葉は、天愛の中の思い浮かびをますます確信に近いものにさせた。

「あの」

「まあ、八十彦さんにも説明してもらうから……八十彦さーん」

「っ!」

 天愛は思わず体をびくつかせて後ずさった。

 東雲が呼んだ途端に音もたてずに八十彦が、暖簾の間から狐面を覗かせたのだ。

「来たのか」

「八十彦さん、それやめようよ。天愛ちゃんマジでびびってるから。つか、俺でもびびるから」

「そうか。まあ、上がってきなさい。君が聞きたがってることを説明しよう」

「……は、はあ」

 悪びれた様子もなく言われた言葉に、天愛は擦れた声でなんとか答えると、どきどきと体を振るわせる自身の心臓の音を聞きながら、ゆっくりと八十彦と東雲がいる方へと進んだ。


「うちは色々事情があるから、アルバイトは滅多に雇わないんだ」

「どんなに好条件でも、こんな変な店ないもんなあ。正直そんなに人手もいらないんだけど」

「……」

「椿さんを八十さんが雇うって言って、実際椿さんを見た時は普通の可愛らしいお嬢さんやから、びっくりしたわあ」

「俺も、天愛ちゃんが此処に来た時に八十彦さんが電話で『その子をバイトで雇え』って言ってきた時はびっくりしたなあ。俺の場合は元々家同士の付き合いがあって、親が此処の事情を知っていたものの、天愛ちゃんは通りすがりの女子高生だし」

「あの」

 天愛はどう切り出したらいいのか分らなくて、三人の話しを黙って聞いていたが、痺れを切らして発言した。

 それと同時に三人共すっと黙りこんで天愛の方をみたものだから、天愛は少し顔を赤らめて俯いた。

「あの……」

 訊きたいことがあったが、どう訊いたら良いのか分らずに口篭もった。

 しんっと静まりかえった中で、頭のは冷えていくのに言葉が見当たらない。三人は、じっと天愛の言葉を待っている。

 天愛は小さく深呼吸をすると顔を上げた。

「どうして、土師さんのおじいちゃんの寺島元基さんが、『先日』やってきたんですか?」

 言ったあとで、自分の言葉の荒唐無稽さに苦笑いしそうになった。口元が笑みのかたちを作ることも叶わずにひくつく。

 綾香の祖父の名前を訊いてみるとやはり『寺島元基』で、今はもう亡くなっていないと言う。寺島元基は、綾香の母方の祖父の名前だったのだ。もしかしたら同姓同名なだけかもしれないが、綾香は猫の骨を買い取ってくれたとも言っていた。

 天愛はちえこの骨は人間の骨だと勝手に思い込み、本人に確かめることはできなかったが「ちえこ」はもしかすると猫だったのかもしれない。

 ペットロスの母親に心を痛めた幼い少年は、なんとかその猫のことを忘れさせようと手を尽くしていたのかもしれない。天愛は少年の様子から妹か何かだと思っていたが、猫だったとしても寺島少年の母親が大切に思っていたのならその悲しみは量り知れない。

 それに、蛙の面のこともある。けれど、そうは思ってみるものの、何十年前もの綾香のおじいちゃんの子供の頃の話しと、先日の出来事を結びつけるのはやはりあまりにも馬鹿らしいことだった。

 突拍子のないことを言ってしまったのではないかと、後悔したが口にしてしまったことはどうしようもない。しかし、八十彦は何でもないことの様に言った。

「この店はね、さっき東雲が言ったように、変なんだ」

「へ?」

 天愛は八十彦の言葉に間抜けな声を上げた。

 八十彦の隣で、東雲がうんうんと頷いている。

「変に、時間が交差する」

「簡単に、大げさに言うと、タイムストリップみたいなもんだねえ」

「……」

 天愛は俄かに信じ固い、八十彦と東雲の暢気な声を呆然と聞いた。自分の中で馬鹿にしていた考えを簡単に、答えとして出されてしまって混乱する。東雲が言った「タイムストリップ」なんて大それたことは考えていなかったが、それに似た不思議なことがあるのだとはなんとなく思っていた。けれど、実際それを人の口から言われるとかなりの違和感を感じ、真っ向から否定したくなってしまう。

「タイムストリップっつっても、俺達が色んな時間を好きに行き来する訳じゃなくて、客がたまーに勝手に違う時間の扉を開くんだ。ちなみに、俺の最初の体験は死んだばーちゃんの十八の頃、娘さんの時でした」

「夜渡蓮は昔から常にこの場所にあるけれど、そういう希少な客は取引が終了すると何故かもう二度とうまく同じ時間の夜渡蓮の扉を開けれないんだ」

「だから、寺島さんも多分、もう二度と俺たちと会うことはないんじゃないかなあ。凄い確率でまた会うこともあるかもしれないけど、それは俺達にも分からない」

「……あの、本当ですか?」

 天愛は二人が本気で言ってるのか冗談で言っているのか計り兼ねて思わず聞いた。余りにも可笑しな話し過ぎる。自分で思っておいて、二人の話しを聞いても中々信じられることではなかった。

「信じらんないってのが普通だよね。まあ、その内慣れるよ。多分」

「たまに、ここにいる人間の身近な人も引き寄せられるのか、やって来ることがあるから今は信じられなくても、きっとその内信じざる得なくなるんじゃないかな」

 続けて言う二人に天愛は思わず項垂れた。

 狐の仮面をつけた主人である八十彦がいるだけで、ここは充分異質な空間であるのに、その上場所自体がこんなにも可笑しな所であると言うのだ。

「あ、もしかして、自分の考えに否定を入れられてすっきりしたかった? だめだめ、慣れてもらわなきゃ」

 東雲が項垂れる天愛に追い討ちを掛けるように明るい声でそう言った。

 ちらりと見上げると、彼はあの可愛らしい笑顔を満面に浮かべている。染野も楽しそうだ。狐面をつけている八十彦の表情だけが読めない。

 三人分の視線を受けていると、それを信じられない自分の方がおかしい風にも思えてきて、天愛は大きくため息をつくと顔を上げた。

 驚きついでに言ってみるのもいいかもしれない。

「あの、彩織さん」

「なにかな」

「そのお面、取ってもらえませんか……私、実は昔から狐のお面が苦手なんです」

「君が苦手なのは知っているけれど。悪いけど、それは無理だな」

「どうしてですか?」

「君がもっと驚くことになるからだよ」

「……驚くこと? 今だって充分驚いてます」

 やけくそ気味にいう天愛を三人はおもしろそうに眺めた。

 天愛の方は今まさに、狐につままれた気分だ。

「それ以上に、君は驚くことになる」

 時間が交差するなんて馬鹿げたことよりも、お面の下に隠された八十彦の顔に驚くなんてことがあるのだろうか。

 天愛は到底信じられなかったが、少しの好奇心も沸いてくる。

「怪我してるとかですか?」

「違う」

「鼻とか、目とか、部品が欠けてるんですか?」

「違う」

「見たことのないような可笑しな顔をしてるとか……?」

「違う」

「……天愛ちゃん、もしかして怒ってる? おちついてー」

「落ち着いてます」

 そう言って天愛はもう一度ため息をついた。

 八十彦はどうしても狐面をとるつもりはないらしい。

「だったら、辞めさせてもらいます」

「え゛っ!」

「まあ」

 きっぱりと言い切った天愛に東雲は大げさな声を上げた。同時に染野はぽけっとした顔で呑気な声を上げた。

 天愛も自分がこんなことをあっさり言えるなんて予想もしていなかったが、変に勢いづいている今の内に言ってしまえと思ったのだ。

「天愛ちゃん! 落ち着いて、落ち着いて……八十彦さんも、なんか言ってよ!」

 天愛の本気に気付いたのか、東雲はやけにおろおろとして八十彦に助けを求めた。

 八十彦は狐面の下で目をすっと細めるとじっと天愛を見る。それは優しそうにも、人を馬鹿にしているようにも見える。

「じゃあ、ヒントをあげようかな。この面の下の顔は、君にも見覚えがある筈だ」

「え?」

「そのうち、君の中の問題が落ち着いたら、見せてあげよう」

「問題って」

「君が、どうして狐面が苦手なのか、とか」

 天愛はその言葉に目を見開いて八十彦の顔を見た。

 八十彦の顔のようにぴったりと顔についたそれは、馬鹿にしたように天愛に向けて真っ赤な口の端を吊り上げている。

「……苦手なのをなおせってことですか」

「なおさなくても、慣れるだろう?」

「……」

 八十彦から感じる威圧感の正体がようやくわかった。

 狐面に対する恐怖のせいで狐面のせいだと惑わされていたが、独特な発音の声に他人が聞き入ってしまうような力があるのだ。

 それでも。

 天愛は上目遣いに八十彦の、狐面の穴から覗く瞳を睨んだ。

 それでも、何様だろう。「見せてあげよう」とか「慣れるだろう?」とか。普通は人前でその面を取るのが礼儀ではないだろうか。血が上った頭で、ようやくそのことに気付く。

「夜渡蓮の店主が、変わり者で偏屈だって、本当だったんですね」

「ようやく気付いたの?」

 そう言って肩を竦める八十彦に益々腹が立ってくる。

 今の天愛の頭からは先ほどの不思議な話しが一切飛んでいた。

 東雲は天愛の言葉でぎょっとした様子で天愛の方を見て固まっていたが、やがて気付いたように声をあげた。

「まあ、ま、 もうちょっと続けてみたら? 天愛ちゃん。そういえば、染野さんのおいしいご飯もまだ食べたことなかったよね? やみつきになっちゃうよ! それに、高校生で時給千円なんてここ以外なかなかないからさ」

「……そうですね。続けます」

「よかった!」

「彩織さんの、そのお面の下を見るまで」

「………」

 東雲は大人しい天愛がこんな執念深さを発揮させるなんて予想もしてなかったのだろう。「よかった!」の表情のまま再び固まった。

「まあ、君にそれだけ続けられる根性があるならね」

 八十彦が、天愛を煽るようにそう言った。









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