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狐と八十一の嘘  作者: はんどろん
五章 夜鳴く鳥の見る夢
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 古びた格子戸から見えた月はどこか遠い世界のものの様だった。ぼんやりとした目で娘はその月を眺め、子供の頃に聞いた話を思い出していた。光り輝く竹から産まれた赫映姫(かぐやひめ)。村の子供が話していたのを離れたところからこっそりと聞いていたから、娘は内容をはっきりとは知らなかったが、たしか、美しい姫君は結局は元いた自分の場所へと帰ってしまうのだ。

 月明かりは、劣化した木の床を格子の黒い影を残して照らしていた。その床に散らばる金色は、この世のものではない様に儚げに輝いている。娘はそっと壊れ物に触れる様に、床に寝そべる少年の金色の髪を梳いた。ぬるり、と生温かいものが指先に付く。月を見る様なぼんやりとした眼差しで、娘は白い指を濡らす赤を眺めた。

 さわさわと木々を鳴らし、風が吹く。大きな生き物の様に、廃寺を囲む黒い竹林は揺れ、その葉を散らした。格子戸の間から風に舞った葉が入り込み、娘の足元や少年の体の上に落ちた。

 娘は被っていた面を外すと、目を閉じてぴくりとも動かない少年の顔にそっと被せた。その時、虚ろな目からは一滴の涙が零れ落ちた。






 何度もくしゃみをしたあと、天愛は思わず鼻を啜った。

 その日、夜渡蓮は休業日をとっていて、それでも彼女は店に足を運ぶことになった。東雲と共に蔵の掃除を頼まれたのだ。店や屋敷の掃除ならともかくとして、蔵の掃除など理由をつけて断ろうと思った天愛は、咄嗟に良い嘘も思いつかず、東雲の憐れさを誘う視線に追いやられて結局、蔵掃除を任されることとなってしまった。

 流石に以前の正体の分からない不安に襲われることはなかったが、それでもやはり温度が低く暗い蔵の中は不気味で仕方が無い。古い物で溢れかえっているのも不気味さを感じさせる原因の一つだろう。

「あんまり日当たりがいいと、物が傷むったって、暗いよねえ。てかやっぱマスクした方がいいんじゃない? さっきからくしゃみ凄いけど。埃っぽいもんねえ」

 コンビニで買ってこようか、と訊く東雲に天愛はむずむずする鼻を摘まみ、渋い顔で首を横に振った。夜渡蓮のある閑静な住宅街周辺には、コンビニエンスストアがあまりない。一番近いところで徒歩二十分は軽くかかるだろう。薬局もあるが、ともかく天愛はこの仕事を早く終わらせて帰りたかった。蔵の戸は開け放たれているが、外よりも寒いそこに長いしていては本当に風邪を引いてしまいそうだった。

 蔵の外には大きな布が敷かれている。その上に天日干しするものを出さなければいけない。力仕事は東雲に任せて、天愛は小物などの掃除をすることになった。小物と一言で言っても、その数は半端ない。天愛が休もうとした時の東雲の潤んだ目は仕方のないことだったのだろう。染野が手伝ってくれたとしても骨の折れる作業だ。

 それにしても、そんな骨の折れる作業にどうして此処の店主は手を貸そうとしないのだろうかと、天愛は苛立ち混じりに大きなトランクの蓋を勢いよく開けた。雇用主としても、個人的な、家の物もある蔵なのだ。心の中で文句を言うくらい許されるだろうと、天愛は口には出さずたらたらと文句を連ねる。

 そもそも、先日知ったことのせいで、天愛はますますこの店の店主、八十彦のことが苦手になったのだ。そこには嫌いという感情が混ざっていると言っても間違いではないだろう。ともかく彼には秘密が多すぎるのだ。そのどれもが自身の心を逆撫でするものではないだろうかと思うほどに、彼女の被害者妄想の度は上がっていた。

「ああ、だめだよ。古い物だから、丁寧に扱わないと」

 大きな木箱を運びながら、東雲は言う。

 一見細身に見える彼のどこにそんな力があるのかと、天愛は意外に思いながら小さく頷いた。東雲の言う通り、少し乱暴に扱ってしまったトランクに再び視線を移す。その中には布張りの冊子がいっぱいに入っていた。木箱を抱えて蔵を出て行こうとする東雲の後ろ姿を一瞥してから、天愛はそっとその頁を捲った。黄ばんだ厚紙の頁には、白黒の写真が直接貼られていた。どうやら古いアルバムらしい。着物を着た壮年の男性と優しげな老齢の女性、そして色素の薄い髪の少年が大人たちの笑顔とは別に、一人口を引き結んだ硬い表情で映っていた。場所は恐らく夜渡蓮の門の前だ。貼られた写真の下には、そこに映っている人物たちの名前と年号が達筆で書き込まれている。

 天愛は眉を顰めてその写真を見つめた。なんら変哲のない写真だ。けれど、そこに映る一人の少年は異色だった。白黒の写真なので断定はできないが、おそらくその髪は金色に近い色合いをしているに違いない。そして、その顔。それは天愛の見知った顔ととてもよく似ていた。あの夏の日、狐面を被っていた少年の顔と。

 頁を捲る。その時には掃除のことなど頭から抜け落ちていた。がちゃんと物を落とした様な音が外から聞こえてきたが、それも気にならなかった。大きく見開かれた黒目がちな目は、恐怖に揺れていた。次の頁を埋め尽くす写真は、異様なものばかりだったのだ。そこに貼られているのは、この屋敷で撮られたものばかりだった。そのどれもに、着物を着た佇まいの美しい一人の女性が映っている。縁側に座る姿、その腕に小さな赤子を抱く姿、庭でどこか遠くを見る様な姿。そのどれにも、女性の顔がなかった。女性の顔の部分だけ、黒く滲んでいる。焼かれたのだ。それが誰の仕業か想像もつかないが、天愛はそこに人の念の様なものを感じ、身震いした。冗談で済ませられる範囲ではない。そこには明らかな悪意が篭っている様だった。女性を恨んだ者がそうしたのだろうか。それとも、女性自身が。

 天愛はまるでそうしないと何かに襲われてしまうとでもいうふうに、恐る恐るといった素振りでアルバムを閉じた。ぞわぞわと肌が粟立ち落ち着かない気分になる。そうだ、此処は狐面の娘の屋敷でもあるのだ。それに気付くと、あの小さな赤い着物の子供に多少は慣れていた彼女の心に、以前の恐怖が戻ってきた。

「天愛ちゃん? どうしたの。世界の終わりみたいな顔して」

 暢気な声に、天愛は無意識に体の力を抜いた。

「……そんな酷い顔してますか、わたし」

「うん。あ、それ、そんなとこにあったんだ」

 見つからなかった筈だよ、と東雲はぼやき腕を伸ばした。その手がトランクに入ったアルバムを掴むのを見て、さっと天愛の頭から血の気が引いた。その様子を横目で見ていた東雲が苦笑する。

「ああ、中身見たの?」

 天愛は頷いていいのか一瞬迷ったが、小さく頷いた。

 そのことで納得したように東雲も頷く。

「酷いよね、これ。まあ、どの道顔が映ってる写真なんて殆どなかったんだけどさ」

 そう言って長い指が頁を捲るのを天愛はじっと見守っていた。今頃になって、掃除の続きをしないと、と思い出す。日が暮れる頃までこんなところでいたくない。

 再び早く此処での仕事を終わらせたいという気持ちを彼女が募らせているうちに、東雲は先ほどのアルバムの頁を捲る手を止めた。そこから一枚の写真を取り出すとそれを天愛に差し出す。天愛は写真を見る前に恐る恐るといった様子で東雲を覗き見た。先ほどの不気味な写真を見せられるのであれば遠慮したいと思う。

「まあ、見てみなよ。八十彦さんとかが言ってた言葉の意味が、きっと解るからさ」

 渋々と天愛はその古びた写真を覗き込む。そこに写っている人物を見て、天愛は息を呑んだ。そこに映っていたのは、間違いなく彼女自身の姿だったのだ。僅かな笑みをその表情に乗せてはいるが、それが心からのものではないのは、たとえ小さな写真上でのことであっても伝わってきた。椿の柄の着物に、結いあげることもなく背中に垂れ流した黒髪。そのせいだろうか、この屋敷に嫁いできたという割には、その姿はとても幼く見えた。

「……この人が、女主人ですか?」

 訊かずとも答えは分かりきっていたことだが、天愛は思わずそう訊いていた。写真に写っている女主人と彼女は似ているどころの話ではなかった。瓜二つと言ってもいいだろう。こんなにも、赤の他人が似ることがあるのだろうかと思いながら、天愛は自分と同じ顔の人が世界に二人はいるという話を思い出していた。それは誰かが確かめたわけではなく、都市伝説の様なものだったはずだ。けれど、その理由がつくのであればまだ納得もできる。

 自身と同じ姿を持つ他人がいると、こんなにも不気味に感じるものなのだと天愛はその写真から目を離すことができなかった。どこか、なにか違うところはないかと探しても、分かるのはどう見ても同じ顔にしか見えないということだけだった。

「うん、そうだよ。初代の夜渡蓮の店主、綾織(いち)さん」

 その名前を言う瞬間、東雲の目が懐かしむ様な目をしたことに、写真を見つめていた天愛は気付かなかった。細められた目は天愛の手の中にある写真に向いている。

「当時の綾織の若旦那と結婚して、夜渡蓮を創った人だよ」

「私かと、思いました」

「そうだね。天愛ちゃんと一さんはそっくりだ」

 その声の響きに天愛は思わず顔を上げた。

 その時ようやく彼女は東雲の表情に気付き、微かな違和感を感じた。

「……東雲さん?」

「彼女と狐は、お互いの姿が見えないんだ。だから、探せない。見つけられない」

「なのに、捜すんですか」

 東雲の言う通りならば、女主人と狐が再び会うことは叶わないだろう。もし目の前にいたとしても、気付くことさえできないのだから。きっと夜渡蓮の人々が狐を見つけたとしても、どうすることもできないのだろう。

 呆れたように、東雲は肩をすくめてみせた。

「おかしな話だよね。それでも、此処の人たちはほんの少しの可能性にかけて、狐を捜そうとするんだ。ほら、話はこれでおしまい。掃除の続きをしよう。こんなとこにいつまでもいたら、風邪引いちゃうよ」

 差し出された手に写真を載せると、天愛は再びトランクの中に入っているアルバムの束に目をやった。これはすべて、綾織家のものだろうか。肌が粟立つような不気味さを感じたにも関わらず、彼女の中で彼らへの興味が沸いて来る。それらの冊子はやけに秘密めいて彼女の目に映った。

「気になる?」

 そう言った本人の目こそ、なぜか好奇心で輝いていた。

 頷いていいのか天愛は一瞬迷った。アルバムは言わば人の家の、それも見ず知らずの人々のプライバシーのようなものだ。東雲の何にたいしてか分からないがあからさまな好奇心を見て、そこに踏み込んでいいものかと思ってしまう。そもそも、東雲は我がもの顔でアルバムを見ていたが、彼も年数は長いとは言え天愛と同じアルバイトだったはずだ。

 天愛は口を引き結ぶと首を横に振った。くすくすと笑われて、睨む様に見上げる。

「自分と同じ顔の人がいたら、興味が湧くのは当たり前だと思うけど。一さんは、子供を二人産んだんだ。一人がこの夜渡蓮を継いで、もう一人は養子に出された。どうしてだと思う?」

 話はここで終わりと言ったばかりの東雲は、天愛と視線を合わすようにしゃがみこんだ。薄暗闇で見る細められた目は、天愛の記憶を刺激する。

「わかりません」

「そうだよね。別にお金に困っていたわけでもないし。けど、彼女は息子を余所の家に預けたんだ」

 話の筋が読めずに、天愛はただただ眉をひそめた。自分の子を養子に出す親の心境など解らないと思う。親になってみれば、少しは解るのだろうか。

「理由はすごく単純なことだったんだ。子供が、狐と同じ金の髪だったか、旦那と同じ黒髪だったか。一さんは、金色の髪の子だけを手元に残して、もう一人の子を手放した」

「旦那さんは、反対しなかったんですか?」

「さあ、どうだろうね。そこまでは分からないけど、いい気分はしなかっただろうね。それでも彼女の言う通りに子供を手放してしまったのは、彼女を繋ぎとめておくのに必死だったからかもしれない。一さんは大体その顔を狐面で隠していたし、その穴から見える目はいつもどこか遠くを見てたから」

 ぱたぱたと駆ける音が、開け放たれた蔵の扉の外から響いてきた。子供が外で遊んでいるのだろうか。そのすぐあとで染野の笑い声が微かに聞こえてきて、天愛は一瞬その目を外へと向けた。そろそろ小学校が終わった時間帯なのかもしれない。

 よし、と呟いて、東雲は様々な大きさのトランクを積み重ねると、それを持ち上げた。中に何か入っていたのだろうか。重そうにしているのがその姿から分かる。

「東雲さん」

 天愛は蔵を出て行こうとする後ろ姿に呼びかけた。東雲は微かに身体を傾けると、首だけで振り向く。

「見たことがあるみたいに言うんですね」

 少し垂れ気味の目が、大きく見開かれる。余程、天愛の言葉が意外なものだったのだろうか。何気なく言った言葉だったので、そんな反応で返されるとは思っていなかった天愛は、彼と同じく目を大きくした。

 けれどそれも一瞬のことだった。東雲は目を細めると薄く微笑んだ。

「そうかな?」

 それは普通の、当たり前の返事だったに違いないのに、天愛はそれを白々しいものに感じて、すぐにその気持ちを打ち消した。








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