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狐と八十一の嘘  作者: はんどろん
四章 狐の少年
19/23

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 静かな住宅街を歩いていると、天愛は一人の老人に呼び止められた。

 その老人はコートに縁付き帽子を被り、細長い眼鏡のレンズ越しに天愛のことをじろじろと眺めると自分が呼び止めたにも係わらず不思議そうな顔をして首を傾げた。首を傾げたいのは天愛の方だったのだが、呼び止められた以上知らないふりをする訳にもいかずじっと老人の言葉を待った。一瞬知り合いかとも思ったが、彼女の様子から見ると人間違いだったのかもしれない。

「あんた、椿さんとこの子じゃないか」

 ぎょっとして天愛は手に持っていた茶葉の入った紙袋を落としそうになった。人間違いであってほしいと内心思っていたのだが、祖母か祖父の知り合いなのかもしれない。

 天愛が頷くと、老人は相好を崩した。

「やっぱり。あんたが小さい時会ったことがあるんだけど、覚えてるかな?」

 祖母や祖父の友人達なら小さい頃なら何度となく顔を合わせてきたが、その殆どを覚えてはいない。けれどそれをそのまま伝えるのも失礼な気がして、なんと言えばいいのか分からずに天愛は視線を彷徨わせた。それだけで答えには十分だったらしい。老人は解かったという風に頷いた。

「覚えてないのも無理はないよ。毎年祭りの時に小春さんが行っていた拠りあいにいた大勢の中の一人だから。……お使い?」

「はい」

「あんた、お狐様のところで働いているんだろ?」

 老人のご近所ネットワークとは恐ろしい。天愛は会ったことも覚えていない老人にそこまで知られていることに目眩を覚えそうになった。お狐様などという奇妙なあだ名で呼ばれるのは、どう考えても夜渡蓮の店主しかいない。祖母が話したのか、それとも夜渡蓮で働き始めた女子高生のことなど近所の老人達には筒抜けなのか。

 邪険にする訳にもいかないが、仕事中だ。店は相変わらず暇だろうが、ゆっくりと話すことも憚られる。それに染野に頼まれた茶菓子をまだ買っていないのだ。

「あの、すみません。わたしこれからまだ行かないといけないところがあるので……」

「どこに」

「え、あの、お茶菓子を買いに」

「それだったら山水さんとこのじゃない? 一緒に行くよ」

 なぜそうなるのだろう。天愛は驚いて目を円くした。確かに山水さんのところに買いに行くのは間違いないが、彼女ももしかすると用があるのだろうか。

 元々、天愛はどちらかと言うと人見知りな方だ。小さい頃に顔を合わせていたとしても、殆ど初対面の人と道のりを共にするのは苦行に近い。できれば断ってしまいたかったが、言ってしまった以上断り辛い。

 天愛がそんなことを悶々と考えている間にも、二人は和菓子屋への道を進んでいた。

「小春さんは元気?」

「え、はい」

 そう訊くということは、天愛が夜渡蓮で働いていることを祖母の小春から聞いた訳ではないのだろう。天愛は隣りを歩く、自分よりも背の低い老人を見た。腰を曲げてはいるが、彼女は早歩きだ。いつもゆっくりと歩く天愛は彼女に遅れをとらない様に慌てた。

「そう、よかった。私達くらいの歳になると、久しぶりの再会が棺の中と外ってこともあるからねえ」

 笑えない。

 老人はからからと笑ったが、天愛は笑うべきか笑わない方がいいのか分からずに、苦笑いを返すしかなかった。この手の冗談は苦手だ。夜渡蓮の客は老人が多いが、天愛はその中でもこの人は苦手なタイプだと思った。いくら祖母の友人とはいえ、仲良くはなりにくい様な気がする。

「そういえば、お狐様は、元気にされている?」

「八十彦さんですか? お元気ですよ」

 静かな印象を与える八十彦だが、不健康な訳ではないだろう。今のところ天愛は彼が体調を崩したところも見たことがない。けれど彼が外でいる所も見たことがない天愛には、健康的にも見えなかった。あの古書の積み重ねられた応接間でいつも本を読んでいる八十彦はどちらかと言うと線が細く、色も白い方だ。

「そう。最後に会ったのは去年の市だったかな。立派な店主になった様だったね」

 そう言われても、つい最近の八十彦しか知らない天愛はただ曖昧に微笑んで小首を傾げるしかなかった。そもそも彼が日中外で歩いている姿など想像もつかない。先日、彼が学生だった頃があると聞いた時にも大きな違和感を感じたのだが、やはり彼が普通の人間の様な生活をしていたということが信じられないのだ。今も言ってしまえばただのぐうたらな引き篭りの様なのだが、彼の纏う雰囲気やいつも被っている狐面がそうは見えさせないのかもしれない。

「前のご店主って」

「ああ、彼は今海外で仕事をしてるんじゃなかったっけ。けど最近日本に帰ってきたと聞いたよ」

 意外な言葉に天愛は思わず足を止め、ぽかんとした。

 天愛の中で八十彦よりも謎に包まれていた彼の父親が、急に現実的な言葉にぽんっと弾き出された。違和感どころか、頭が受け付けてくれない。東雲は八十彦の父親は気づけばいなくなっていたと言っていたのだ。行方不明にでもなってしまったのだと思っていた天愛は、その人が海外で仕事をしていたなどまさか想像もしなかった。それも最近日本に帰ってきたのだということは、実家である夜渡蓮にも帰ってくるのではないだろうか。

 八十彦とは似ているのだろうか。けれど狐の店主が全員変人だったわけでもないだろう。現に四壱は多少風変わりではあったが、八十彦の様に見せかけではなく本当に穏やかな青年の様だった。海外で仕事をしていたというくらいだ。至極まともな人物なのかもしれない。天愛はそれを願った。失礼だとは解かっていても、親子揃ってあの様な性格だったら堪らない。

「あの、ところでもしかしてこの辺では夜渡蓮って有名なんですか」

 天愛が訊ねると、老人は深く頷いた。

 そういえば、以前綾香にも聞いたことがあったのだ。彼女は近所の子供には化け物屋敷だと思われていると言っていた。そういう特殊な場所は子供の中でも話題になるものだ。間違いなく子供たちにとっては有名な場所だろう。老人たちの中には、狐の店主が妖怪か何かだと思っている人もいると加えて言っていた。

「昔から続く名家だしねえ。町内では有名なんじゃないかね。曰くつきの骨董店でもあるし」

「町内で? 曰くってなんですか」

「店主がいつも狐面を被っているだろう。それがまず異質で、それに店の前や中で幽霊を視たという人が多かった。まあ、これは尾ひれはひれだろうけど。あとは、時たま客に奇妙なことが起こる事があった」

 ああこの手の話しは苦手だと、天愛はあからさまに表情を引き攣らせた。それでも幽霊の正体に見当がついてしまう自分が嫌でならない。もし老人が言う様に尾ひれはひれではないとしたのなら、おそらくそれは赤い着物を着た女店主のことではないだろうか。

 天愛と老人の横を一台の黒い外国車が通り過ぎた。それをきっかけに天愛は周囲を見渡し、そこがもう目的地のすぐ近くだということにようやく気づいた。数メートル先に山水の木彫りの看板が見える。

「昔ある客が店に入った時、たまたまそれを見かけた客の友人が彼を追いかける様に店に入ったんだ。けれどいたのは店の店主だけ。店主に若い男が入ってこなかったかと訊いても店主は知らないと言う。釈然としないながらもその友人が店を出て門下を通った直後、店の戸が開いた。友人が振り返ると、彼が追っていたはずの男がそこにいたんだって」

 それはどう考えても夜渡蓮のあの不思議な特性のせいだろう。男は違う時代の戸を開けたに違いない。

「男は友人にどこにいたのか訊かれて、不思議そうな顔で言ったそうだよ。『僕はずっとこの店の中でいたよ』って」

 試されているのだろうか。それとも、鎌を掛けられているのだろうか。

 天愛がそう疑ってしまうほど、老人の口調は淡々としたものだった。なぜ、この様な話しをその店に勤めているという自分にするのだろうと、天愛はその意図を探る様に老人の顔を凝視した。けれどそんなことをしても老人の顔に刻まれた皺の数が分かるだけで、彼女の意図を読める筈も無い。一つだけ分かることは、彼女は天愛よりも長く夜渡蓮のことを知っているということ。そしてそれは天愛が知らないことも知っている可能性があるということだ。

 時間云々のことは、八十彦には外で話してはいけないとは言われていない。話しても普通の人は信じないだろうし、信じた人が店に行ったとしてもその怪異に出会うとは限らない。悪くてもその噂が拡がるだけだ。今も十分に可笑しな噂があるのだから、それも今更なことなのかもしれない。けれど、四壱はそのことは秘密なのだと言っていなかっただろうか。

「あの、信じられているんですか、その話」

「信じてるも何も、本当のことだろう? まさかまだ聞いてないのかい」

 訝しげに問われて、天愛は苦笑いした。この口ぶりから察するに、彼女も夜渡蓮の事情を知る人なのだろう。

「知ってます。何度か、そういうお客さんが来られました」

 老人の円らな目が細められる。その視線はまじまじと天愛の方に向けられた。

 その時、ちょうど和菓子屋の前に辿り着いた。二人は同時にそこで立ち止まる。木枠の硝子戸の向こうに見える店内は狭い。いつもの店番は柔らかな雰囲気の老女がしているのだが、今日はその孫娘一人しかいない様だった。そんなところでこの話しをしてもいいのかと天愛が考えていると、その隣りにいた老人が迷うことなく戸を引いた。いらっしゃい、といつもよりも元気な声が店内に響く。外の冷たい空気を開けっ放しの戸から入れてしまうのは申し訳ないと思い、天愛は慌てて老人に続いて店の中へと入り戸を閉めた。

 老人は硝子ケースの中に並べられた菓子の中から、さっさと練り菓子を数個選んで注文した。店番の娘がいつもありがとうございます、と満面の笑みで言う。どうやら彼女はこの店の常連らしい。

 お連れ様は、と訊かれ、天愛は慌てて硝子ケースの中を覗いた。花を模ったものや、薄緑色の葉っぱの形をしたものなど、色とりどりの練り切りや饅頭などがそれぞれのケースの中に行儀よく並べられている。天愛はその中から紅と白の椿の練り切りを一つずつ、花びらの形の練り切りを二つ、栗きんとんを三つ頼んだ。天愛自身はこういった甘い物が苦手だったのだが、最近では染野のお陰か美味しいと感じられる様になった。練り切りは外から中まで甘いのだが、苦いお茶との相性はいい。何よりその見た目の美しさは見ていて楽しいものがある。

「ここら辺の年寄りの中には、その客になったことがある者が結構いるんだよ。まあ、女は大体嫁に出たから残ってはいないけどね」

 もしかすると、そう言う老人もあの夜渡蓮の怪異に直接関わったことのある人間なのだろうか。

 それを訊ねようとして、天愛は老人の名前を知らないことにようやく気付いたが、今更訊き難い。結局訊かずにそのまま会話を続けることにした。

「もしかして、夜渡蓮の……その、違う時間の戸を開けたことがあるんですか」

 訊いてから自分の言葉が可笑しくて、天愛は思わず泣き笑いの様な情けない顔をした。こんなことを口にして自分で違和感を感じるなど、まだあの店の不思議を信じ切れていない証拠だ。現に自分自身も違う時代のあの店を訪れてしまったことがあるというのに、今までそんな不思議なことに一切出くわしてこなかったせいか心の片隅でそのことを否定してしまうのだ。

「あるよ。まあ、私自身ではなくて、私の妹がだったんだけどね」

「妹さんは、何か売り買いされたんですか」

 老人は小さく頷き、「銀の羊を売ったんだよ」と言った。その時、店の娘が元気な声で二人を待たせていたことを詫び、紙袋を差し出した。天愛はそれを上の空で受け取る。銀の羊。以前天愛は小さな銀の羊の置物を見たことがあったが、それはあの不思議な青年に買われていった物だった。売り買いのある骨董店では、店員から見れば売り買いをしていく客同士が頭の中で結びつくのでなんら不思議はないのだが、天愛はなにか不思議な気分になった。

 違う時代の戸を開けた彼女の妹が売った銀の羊を、違う時代からやってきたであろうあの青年が買っていったのだ。長く続いてきた夜渡蓮の営みの中では珍しいことではないのだろうが、天愛からしてみれば不可思議で複雑なことの様に感じられた。

「あんたは、何か売り買いしたのか」

 店を出る時、老人は表情のない顔で訊いた。

 天愛は首を横に振る。先日の夜渡蓮でのやり取りが思い出されたが、それを一から老人に説明するのは面倒だったし、する必要もない。彼女が訊いているのは、あくまで物品の売り買いのことなのだから。

 ありがとうございました、と背後から聞こえてくる明るい声に答える様に振り返り天愛は会釈すると、ようやくこの老人から開放されるのかと少しほっとした。失礼な話だが、この老人のことは出会ったばかりで殆ど何も知らないが、この老人との間に持つ奇妙な緊張感は天愛にとって疲れるものだった。老人は普段、愛想笑いなどしない人なのだろう。先ほどからからからと声を出して笑うことはあっても、その目は笑みの形に動くことはなかった。それも、天愛が彼女を苦手と感じる要因の一つかもしれない。何を考えているのか、さっぱり分からないのだ。表情が一見ある様に見えて、実のところあまりない。そういう人なのかもしれないが、天愛は初対面の人に対してそういう人なのだと割り切れるほどの、気の大きさを持ち合わせてはいなかった。

「それじゃあ、ここで……」

 そう言って、夜渡蓮に帰る道に足を向ける。

 店を出る前に感じていた怒りは今はもう跡形もない。時折怒りが爆発することがあっても、天愛のそれは大抵長続きしないものだった。

「久しぶりに、私も店に寄ろうかな」

 老人のその一言で、天愛の帰り道はどっと疲れるものとなってしまった。










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