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狐と八十一の嘘  作者: はんどろん
三章 神隠し
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 雪之丞(ゆきのじょう)が妻と出会ったのは、もう随分と前のことだった。鷺輪原(さぎわはら)の森で佇んでいた美しい娘を雪之丞が見初め、連れ帰ったのだ。聞けば身寄りもないという。

 連れ帰ったばかりの頃は、娘は放心状態だった。返事はするが、話し掛けても二三言口にするだけで自ら言葉を発することもなかった。

 誠実な雪之丞は、娘を連れ帰りはしたが、屋敷の小間使いたちに娘の世話をさせ自分は時折話しをしに行くだけだった。対して言葉を交わしたわけでもないのに、雪之丞はどうしようもなく娘に惹かれていくのを感じていた。娘には、妙な引力のようなものがあったのだ。美しさは強い力を持つことを娘と出会い、彼は知った。けれど、強く惹かれながらも触れてはいけないような尊さも感じ、雪之丞は踏み込めずにいた。

 屋敷の住人たちはみな雪之丞が連れ帰った娘を魔性と思っていた。

 どれだけ言い寄られようと、娘たちにたいした関心も持たずにいた雪之丞なのだ。きっと、あの美しい娘は魔性のものにちがいない。

 だから、雪之丞と娘(いち)との婚礼が決まった時には、みな目を円くした。まさか彼の父親である屋敷の主人がどこの者とも分からない娘を一族に迎え入れるとは思わなかったのだ。

 更に皆が驚いたのが、式の当日のことだった。娘は、白無垢の花嫁衣装を着込みながら、狐の面を付けていたのだ。みな、その異様さに度肝を抜かれ、やはり人間外のものなのだと噂した。その日から、娘は一時もと言っていいほど狐面を外すことはなかった。次第に、使用人や一族のものたちは一の顔を忘れていった。一が狐面を外すのは雪之丞の前でだけで、それは契約のように守られ、いっそ一途にも見えた。

 娘は日毎窓の外を見て過ごした。その姿はまるで何かを待っているようで、娘の小間使いである小さな少女は気が気でなかった。いつか娘は、急に現れた何者かに連れ去られてしまうのではないかと思った。けれどそんなものはとうとう現れず、娘だった一はいつしか女性になり、子を産み、年老いて屋敷で天寿を全うした。

 一方、夜渡蓮では一が亡くなってから不可解なことが起こるようになった。時たま不思議な客が訪れるようになったのだ。最初にそれを知ったのは、その時の店主で一の息子である三十重(みとえ)だった。彼は一からそうなることを聞いていたのか、少しの動揺もなくその不可思議な客を迎えいれたという。

 それから、夜渡蓮は時たま訪れる人々を希少な客として迎えいれるようになったのだと、黒葛原は語る。

「それは、俺でも知ってるよ」

 自分から話しをせがんでおいてその言い草はあまりにもあまりだったが、車椅子の老人は気を害した様子もなく鷹揚に頷いた。

 隣りの道路を乗用車が走り過ぎる。現実的な風景と、二人の会話はあまりにも似つかわしくない。

「君は何を聞きたいんですか」

 老人の質問に、東雲はにやりと笑う。その笑い顔が彼が苦手とする男の顔と似ていることに東雲自身気付かない。

「俺が聞きたいのは、おじいさんの昔話しだよ。結局狐は見つかるのか見つからないのか」

「それはさっき君が馬鹿げた話しだと言ったことですよ」

「でも、それに俺は付き合ってる。ゴールがあるなら、最後まで関わっていくつもりだよ。けど、それがないならそれほど馬鹿げたものはないと思わない?」

「途中を飛ばして結末を知りたがるのは不粋ですよ」

「それ、渡りのあなたには似合わない言葉だよ」

 はは、と東雲は軽やかな笑いを漏らした。それはそうですね、と老人は一つも表情を変えることなく呟く。それが可笑しかったのか、東雲はますます笑う。

 もともと、彼は老人の答えに期待はしていなかったのだろう。それ以上それ以上そのことについて問い詰めるわけでもなく、あっさりと引いた。

「いいや。じゃあ、狐のはなしを聞かせて」

 まるでそれが本題とでも言うような声で、東雲は言う。

 老人はそれによって遠い昔、狐のはなしをした女主人のことを思い出した。東雲も、夜渡蓮に関わってきた人間だから、ある程度のことは知っているだろう。彼の欲しがっている様な情報を果たして持っているだろうかと、老人は小首を傾げた。

 そもそも、東雲は老人と遠い血の繋がりがあるが綾織の血筋でもあり、どちらかといえばその血の方が濃い。いくつにも枝分かれした分家の子供だ。それでも、彼はもう何年も夜渡蓮で働いているし、あの店が抱える事情にも通じている。

「君は大体のことを知っているのでは」

「それが、知らないことだらけなんだ。狐のことも、八十彦さんの前に狐の店主になるはずだった子のことも」

「……狐の店主は代々女主人が選んできましたからね。いつも、狐に最もよく似た男が選ばれてきた。亡くなった彼のことは、私もよく知りません」

「じゃあ、天愛ちゃんのことは? どうして今まで部外者を関わらせることなかった夜渡蓮にあの子が招かれたの」

 老人は目を細め、全く馬鹿げた話しですが、と前置いた。

「狐の店主が選ばれる理由と同じですよ。狐との再会は、女主人の長年の悲願です。その可能を少しでも増やす可能性のあるものを彼女は蒐集する。彼女は、とてもよく似ているでしょう? あの着物姿の少女に」

 東雲は呆れたようにため息を吐いた。

「そんなことでねえ」

「そんなこと一つで何かが変わってしまうこともあるからですよ」

 そう言って小さく微笑む老人の顔を東雲は眺めた。皺が刻まれた顔には、以前見た写真に写っていた青年の面影がある。彼はこの歳になるまでどのような人生を歩んできたのだろうと考えても、到底想像もつかなかった。少なくとも他の時代に渡ることができてもそこには居着かなかったから今この姿で此処にいる。

 ふと、セーラー服を着た少女と目が合った。東雲が微笑むと、少女は愛らしい顔ではにかんだ。

「お久しぶりです、東雲さん。いつもおじいちゃんの散歩に付き合ってもらって、ありがとうございます」

 そういって頭を下げた少女は、老人にも笑顔を向けた。

「いや、付き合ってもらってるのはいつも俺の方だし。それにしても樟葉(くずは)ちゃん、女の子っぽくなったねえ」

 しみじみとした口調で東雲が言うと、少女は恥ずかしそうに頬を染めた。

「うちの孫娘をからかうのはやめて下さい」

 孫娘。

 その事実に強い違和感を感じる。彼は普通の人の様に結婚し、子を育んだ。そして今では孫までいるのだ。

「からかってないよ。人って変わるんだなあと思って」

「根本的なところはよっぽどなことがない限り変わりませんがね。晃君、君も随分と変わりました」

「根本的なところは変わってないけどね」

 にやりと東雲は笑う。それに対して老人は苦笑を浮かべた。

 今では柔らかな空気を纏う青年だが、中学生の頃は随分と荒れていたのだ。その頃の東雲を老人はそこまでよく知るわけではないが、彼のことは幼い頃から、親戚付き合いで年に二、三度は顔を合わせていた為に知っている。東雲は小さな頃から少し不思議な子供だった。溌剌としていて、小さな頃から友達もたくさんいた様だが、大人の目から見てもふいにどこか神秘的ともいえる空気を纏うことがあった。それも、血筋のせいなのかもしれない。

 彼が、個人的に老人と接触をとってきたのは、彼が夜渡蓮に通い始めた頃からだった。老人は東雲に渡りのことを話したことがなかった。家族でも知っていたのは老人の姉と、亡くなった妻のみだ。今目の前にいる孫娘は、そんな不可思議なことなどとは無縁なところで生きている。彼は、夜渡蓮で渡りのことを知ったのか、それとも彼自身で老人の他とは違うところを嗅ぎ分けたのか、老人は知らない。以前は前者だと思っていたのだが、今ではもしかすると彼自身で気付いたのかもしれないとも思える。

「じゃあ、もう行くね。今日はありがとう守衛さん」

 東雲が言って軽く会釈すると、樟葉が少し驚いた様子で目を大きくした。

「よかったら家に寄ってお茶でも飲んでいって下さい」

 慌てて言う孫娘の様子に、老人は彼女には判らない程度のため息を漏らした。彼女が東雲に対して恋心の様なものを抱いているのは明らかだ。それに気付かない東雲でもないだろう。けれど、東雲の好みを少しは知る老人は、孫娘に望みはないこともよく知っていた。望みがあればそれはそれで困るのだが、幼い孫娘が少し憐れに見えるのも確かだ。

 東雲は苦笑すると、小さく首を横に振った。夕方から用事があることを告げると、挨拶もそこそこに二人と別れた。







 ――きつねさん、きつねさん

 鈴音のような、愛らしい少女の声が響く。

 枯れ木のように身体中に皺を刻んだ老婆が、娘に狐の面を着けさせた。美しいものは、とても人の心を惹きつけるが、それはけして良いことばかりではないよ、と老婆は少女に言い聞かせる。時にそれは魔性と呼ばれ、悪いものを惹きつけることがあるのだ。だから、老婆は少女の顔を隠した。狐の面は少女の愛らしく、美しい顔を覆い隠した。

 その日から娘は村の子供たちにからかわれたが、それでも老婆に着けられた狐面を決して人前では外そうとしなかった。やがて子供たちは、いつまでも狐面を外そうとしない娘に不気味さを感じ始めた。

 誰もが少女の顔を忘れ始めた矢先のことだった。まだ幼い子供が神隠しに遭い始めたのは。

 ぽつりぽつりと消える様に、子供がいなくなったのだ。どれだけ大人たちが警戒しようとも、それは止めようもなかった。そんな大人たちをあざ笑うかのように子供たちは姿を隠していく。

 ある日、子供の一人がぽつりと漏らした。これは、狐面の少女の仕業なのではないかと。

 なんの根拠もないその言葉は、じわじわと子供たちに拡がり、やがては不安に塗れた大人たちにまでも拡がった。

 同時期、森で黄金色の髪の少年の姿が時折目撃されていたのだが、その少年と少女が会っているところを見たという子供が声高に言った。少女が狐の化け物と手を組んで、子供を攫ったのだと。

 それでも大人たちが踏みとどまったのは、老婆のお陰だった。老婆は少し風変わりだったが賢く、村人たちに一目置かれる存在だったのだ。けれど、その枷も娘は失ってしまった。年老いた老婆は、娘にけして狐面を外してはいけないと言い遺し、死んでしまったのだ。それ以降、娘への風当たりは強くなった。山と森に囲まれた村は狭く、人々の目は曇ってしまった。日に日に少女は暴言だけではなく、暴力までも振るわれるようになっていた。誰も止める者はいない。中にはそれに疑問を持つ者もいたが、その者も家族である幼い子供を失うと娘に辛く当たった。

 或いは誰でもよかったのかもしれない。不安を押し隠すことのできない大人たちは子供たちよりも次第に娘に辛く当たった。それでも、子供たちが姿を消してしまうという神隠しはあとを絶たなかった。

 娘が姿を消したのは、老婆が亡くなってから一月も過ぎない頃だった。

 それから、間もなくして村の男の家で「神隠し」にあった子供たちの死体が見つかった。男は、子供たちがいなくなり始めた頃、それを「神隠し」と言った者だった。

 村人たちは後味の悪い思いを抱きながらも、娘のことを捜そうとはしなかった。男の家に娘の死体はなかったのだ。黄金色の狐の神様がきっと娘を連れ去ったのだろうと誰かが言った。

 ――きつねさん、きつねさん

 また声が響く。

 川の流れに逆らっているようだと、天愛は思った。目を開けることができない。けれど暫くして、自分がどこか柔らかいところに寝転んでいることに気付いた。それが布団だということに気付いたのは、そのもう少し後だ。

 懐かしいが、最近では毎日の様に嗅ぐ畳のい草のにおい。ぱたぱたと枕元を過ぎる子供の足音。

 ようやく目を開けることのできた天愛は、古びた木の梁のある天井をぼんやりと眺めた。すごく長い夢をみた気がしたが、それがどの様なものだったかは思い出せない。けれど夢の余韻は天愛を物寂しい気分にさせた。あれは、誰かの夢だ。

 ぱたぱたと足音がまた響き、天愛は目線を横へと移した。真っ先に目に入ったのは、子供の白い足と赤い着物の裾だった。ぼんやりとしていた頭からさっと血の気が引く。そこまで間近に赤い着物の子供の姿を見たのは初めてのことだった。天井を見上げていた時には子供の姿は目に入らなかったのだが、子供は天愛のことを見下ろしているようだ。顔を見上げなくとも分かる。子供の足の指先は、天愛の方をじっと向いて動かない。

 天愛は、まるでそうすれば悪いことが起こるとでもいう風に、動きを止めた。息を潜めて子供の足を見つめる。何秒か、もしかすると何十分かもしれないと天愛が感じるほど、天愛と子供は互いに動かなかったが、やがて子供の方が動いた。くるりと天愛の目の前で踵を返すと、最初と同じ風にぱたぱたと足音を響かせながら部屋を出て行った。それでも天愛は暫く動くことができずにいた。足音が過ぎて大分経ってからようやく身体を起こすと、周囲を見渡した。

 十畳ほどのその部屋には、特になにか家具を置かれているわけではなく、部屋の真ん中にぽつんと敷かれた布団に天愛は寝ていたらしい。硝子戸からは柔らかな日差しが差込み、その縁側の外には広い庭が広がっていた。その向こう側には竹林が見える。どう見ても夜渡蓮の風景だ。

 天愛は小首を傾げて、自分が夜渡蓮で寝ていた理由を探してみたが結局分からなかった。制服を着ているところを見ると、泊まってしまった訳ではないのだろう。もしかしたら倒れでもしたのだろうか。

 体を起こして布団の上からもう一度周囲を見渡すと、天愛は縁側へ出た。炊事場の方を向いて染野を呼んでみたが、屋敷の中はしんっと静まり返っていて染野どころか誰もいない様に思えた。八十彦がいても、彼は普段本を読んでばかりであまり物音を立てないせいかもしれない。それに読書中は、彼自身他の音をあまり受け付けないのだ。

 天愛は小さなため息を漏らすと、長い廊下を歩いた。

 いつもは八十彦がいる居間を少し覗いてみたが、彼の姿はなかった。炊事場に染野の姿もない。

 異変に気付いたのは、店を覗いてからだった。たくさんある照明器具にはいつものように灯りが灯されているのにも関わらず、そこには誰もいなかった。









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