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狐と八十一の嘘  作者: はんどろん
二章 二人目の客人
11/23

11

「それって、ラムネのだよね」

 眠そうな、欠伸混じりの声で天愛は顔を上げた。

 所狭しと並べられた商品の間の細い道で、東雲はしゃがみこんで大きな箱を掃除している。その大きな箱は海賊船に乗っていそうな、古びた木でできたずっしりと重い箱だ。人二人でやっと持ち上げられる。

「これですか?」

「うん。それ。どうしたの? 懐かしいなあ」

 東雲の言葉で、天愛は納得した。先日客である青年が天愛に手渡したビー玉は、ラムネの瓶に入っているビー玉とそっくりなのだ。もしかすると、本当にラムネのビー玉かもしれない。天愛は青年の顔を思い出して顔を顰めた。あれから一週間経つが、日をまた改めて来ると言った青年は、それっきり姿を現す気配もない。東雲にそのことを言うと、東雲はもしかするともうこないかもしれない、と言った。

「この前、東雲さんがいない間に来たお客さんがくれたんです」

 天愛がそう言うと、余程意外だったのか、東雲は目を円くして天愛の手のひらに載せられたビー玉を凝視した。

「それを? お客さんが?」

 聞きなおして首を傾げる。けれど、箱を拭く手は止められることなくせっせと動いている。

「希少なお客さんが、ねえ。ふうん」

「え、なにかあるんですか? もしかして、物貰ったりしちゃ駄目とか……」

「ううん、別にそんなんじゃないよ。ただ、意外だなあと思って。それで、そのお客さんは何か言ってた?」

 その意外さがどうしてなのか分からない天愛は小首を傾げた。希少な客が来たと聞いた時は大して興味がなさそうな顔をしていた。それが、今になって興味が湧いてきたかの様な口ぶりにも不思議さを感じたが、割とこの男も気まぐれなところがあるのだ。

 天愛は小さなビー玉をブレザーのポケットに入れて頷いた。染野のことや天愛のことを知っている様だったということももう伝えてある。他にも、青年はよく分からないのことを言っていた。

「私が、狐と縁があるって言ってました」

「へえ」

 ぴたり、と手が止まった。

「誰なんだろうね、その人」

 東雲は、天愛の言葉のことを別段不思議に思ったわけでもないらしい。ただ、青年が何者かが気になったようだ。先ほどまでほのかにあった笑みは消え、表情のない顔で箱を見つめている。その様子になにやら只ならぬ雰囲気を感じた天愛は、不安になった。けれど、それも束の間のことだった。すぐに東雲の顔には先ほどまでの柔らかい表情が戻り、にっこりと微笑んだ。その表情を見て、天愛はあ、と思う。青年と東雲は笑い顔が少しだけ似ている。だとしたら、寺島少年と綾香が血縁者であったように、東雲とあの青年も血縁者なのかもしれない。それは突飛な考えだと天愛は自分自身で思ったが、以前東雲はこの店の者と関係のある人間が現れる確率も高い、と言っていたのだ。

 悶々とそんなことを天愛が考えているうちに、東雲は吹き掃除を終えて天愛の横に座り込んだ。シャーという、はねと歯車が回る音と、カチコチと振り子の揺れる音がやけに耳につき、天愛は柱に掛けられた振り子時計を見た。こんなにも可動する音がうるさい時計を見たのは、ここに来て初めてだった。最近では慣れてきていたが、それでも時々うるさく感じる。それにぜんまいを巻かなければ止まってしまうから、時たま東雲か天愛が巻いているのだ。

「もう日が沈むねえ」

 東雲が伸びをしながら言った。その気の抜けた様子に天愛は苦笑する。今日はまだ客らしい客が一人も来ていない。日埜が少し顔を覗かせたが、差し入れだと箱入りの饅頭を置いてお茶も飲まずに出て行ってしまった。八十彦は奥の居間でおそらく本でも読んでいるのだろう。相変わらず店に顔を出すことはない。

 東雲が言った通り、前の道は夕日で赤く染まっているが、それももうじき青暗く塗り重ねられるだろう。

 天愛は制服のスカートを引っ張った。スカートの丈は膝よりも大分下まであり、黒のタイツを履いているからそこまで寒くはないが、それでもこの土間は冷えた。ストーブの上に置かれたケトルは白い湯気を噴き出している。スカートを引っ張ったままぼんやりとその様子を眺めていると、くすくすと笑い声が聞こえた。

「なんですか」

「いや、なんか可笑しくて。制服着た天愛ちゃんがここにいるのが」

天愛は過去の自分の姿を思い出してみたが、ここに来る時は休日を除いて殆どが制服だったはずだ。今更なにを言うのだろうか。それとも、制服を着た娘がこの店にいるのが可笑しいという意味なのだろうか。そんなことを考えている内に、東雲は次いで言った。

「昔、狐と云われた男の子がいてね」

 唐突な言葉に天愛は目を円くして隣に座る青年を見た。狐、という言葉がやけに強い響きを持って耳に響いた。

「狐と呼ばれた由来は、狐みたいな髪色をしてたかららしいんだけどね。妖狐に育てられたと、昔の人達は信じたらしい。その男の子は、人間の言葉を理解せずに獣の言葉を理解したんだ」

 天愛が目をぱちくりさせていると、東雲は肩を竦めて、まあ日本昔話みたいなもんだよ、と言った。

「狐は村人たちに忌み嫌われていたんだけどね。ある日村の子供の一人と仲良くなる」

「あの、なんなんですか。その話し」

 天愛はやっと口を挟むことができて少しほっとした。急に始められた脈略のないはなしが意味があるものなのかないものなのかも量り兼ねて困惑していたのだ。天愛の問い掛けに、東雲は微笑みで返すだけだった。その笑みに天愛はもどかしさを感じる。八十彦も東雲も、時折同じ空気を纏うことがある。それは、秘密を知っている者の表情だ。

 ボーンと一つの振り子時計が鳴り始めると、それに続くように店中の時計が鳴り出した。もう六時だ。天愛は東雲の答えを待たずに立ち上がった。今日は八十彦に特別な客人が来るから店を早く閉めていいと言われている。

「俺も親父に聞いた話しだよ。ここら辺では知ってる人は知ってる話しだってさ」

 天愛は入り口近くの照明を消しながら、へえ、と相槌を打った。もしかすると、綾香も知っているのだろうか。

「狐に縁があるって言葉で思い出したんだ。で、さっきの続きなんだけど、村の子供と狐が仲良くなるところまではよかったんだけど、村で疫病が流行ってね。その時に狐に目がつけられた。村の人たちは疫病は狐の仕業だと考えたんだ。それを恐れて、村の子供は狐を連れて逃げた。それから数年、二人の姿を見かける者はいたけど、二人はその数年の間に、他の人たちにとって幻みたいな存在になってしまったんだ」

 幻の様な存在。子供がたった二人で数年もの間どうやって生きたのだろうか。御伽噺のようなものだとは分かっていても、なんとなく気になって天愛は東雲の方を見た。机の上でくるくると器用にペンを回す東雲は、父に話しを聞いた時のことを思い出しているのか、それともこの物語に思いを馳せているのか、どこか遠くを見ているようだった。

「けど、その数年後、領主に村の子供だった娘だけが発見されて連れ帰られた。領主がどれだけ尋ねても、狐のことは殆ど何も言わなかったみたいだよ。ただ一言、黄金色の髪をした少年が本当の狐になって自分のもとを去ってしまった、とだけ言ったらしい。それからその娘は領主の息子と結婚をしてそのまた数年後に子供を産んだんだけど、その子供は狐みたいな黄金色の髪をしていたんだ」

「え……浮気してたってことですか?」

 目を円くして言った天愛に対して、東雲は苦笑して首を振った。

「違う。狐はその女の子の前からいなくなってしまったから。その子が嫁入りしてからは一度も姿を現していないし、その証拠に、その子は嫁入りをする時に一つの条件を出したんだ」

「なんですか?」

「狐を探し続けることを許してもらうこと。領主の息子はそれを許した。けど、狐は娘の生涯見つかることはなかった」

 そこで東雲は言葉を切って、ようやく鳴り終わった時計を見た。時刻を告げる音を鳴り終えた時計は、歯車やはねの回る音や振り子の揺れる音がしていたが、それでもボーンという鈍い音が鳴り終えた後だと静かに感じられた。

 店の前の道路を学校の帰りなのか、寄り道の帰りなのか、ランドセルを背負った小学生たちが楽しそうに笑いながら横切った。先ほどよりも景色は暗く沈みつつある。

「狐と縁があるって言葉で思い出したんだけどね。変な話しでしょ」

「はあ……」

 オチのない話しにどういう反応をしたらいいのか迷っている途中で言われて、天愛は気のない返事を返した。本当にあったことなら、黄金色の髪をした少年は外国人だったと想像できる。それだったなら言葉が通じなかったことも納得できる。海外からやってきた人がまだ珍しい頃だったのなら、その姿を始めて見た人たちが、まだ今よりも身近な存在のように考えていた妖怪などと勘違いしていた可能性もある。

「女の子に、家族はいなかったんですか?」

「いたよ。産婆をしていた祖母が一人。けど、その女の子が村を出る少し前に亡くなったんだ」

 まるでその時を見知っているような口ぶりだ。天愛は思わず首を傾げた。先ほどから東雲の口からすらすらと出てくる少女と狐の話しは、父親から以前聞いて、先ほど思い出したというわりにはよく知っているように見える。よほど何度も聞いた話しなのか、東雲にとって印象深い話しだったのだろうか。

 東雲が口を閉ざし静かになった店内に、時計のボーンとした音が響いた。もう今日は鳴ることはないと思っていたその音に、天愛はびくりと肩を竦ませた。見ると、音を響かせた時計は先ほど鳴ったばかりの時計だった。

「……あの時計、壊れてません?」

「ほんとだ。さっき鳴ったばかりなのにね。おかしいなあ」

 大して不思議そうにでもなく言うと、東雲は膝に手をかけて立ち上がった。

 その後もやはり客が来る様子はなく、その日は結局日埜が顔を覗かせただけになった。狐と少女の話しはその後話題に上らなかったが、それはやけに天愛の印象に残った。大した特徴もなく、終わり方も微妙な話しだったが、不可解だからこそ妙に印象が強くなったのかもしれない。それに、少女の前から去ったという狐のことが気になった。その話しを聞いた時、天愛の中で何かが繋がりかけたのだが、それは結局繋がることなく消えてしまった。けれど、その繋がらなかったことにもどかしさを感じ、ますますその物語について考えてしまう。

 もうすっかり暗くなり、街灯に照らされた店の前の道路で天愛が難しい顔をしてバイクを出す東雲を待っていると、リンッと遠くで鈴の音が聞こえた。それに釣られて竹林の方を見たが、そこには明かりもなく、本当のしんっとした暗闇に包まれていた。手前の方にある竹より奥は真っ黒で何も見えない。

 天愛はぶるりと身を震わせてストールを胸の前で手繰り寄せた。最初は不気味に感じていた竹林も、殆ど毎日のように夜渡蓮に通い続けているうちに見慣れてきていたが、やはり夜のそこは不気味で怖い。

「おまたせー」

 間の抜けた声に、天愛はほっと息を吐いた。

 東雲はバイクを押すのを一旦止めると、ダウンジャケットのポケットからビー玉を出して差し出した。青年に渡された薄水色のビー玉だ。どうやら店に忘れてしまっていたらしい。別に店に置いたままでも問題なかったのだが、天愛はあ、と声を出しそれを受け取った。

「すみません。ありがとうございます」

「いや、いいよ。あと、ちょっと言うの忘れてたんだけどさ、俺明日休みなんだ」

「え。何かあるんですか?」

 東雲はたまに休むこともあるが、天愛と同じく殆ど毎日夜渡蓮に来ているのだ。特に明日、金曜の夜は毎週やってくる客人がいて、その人は東雲と話しをする為にやってきているようなものだった。そのためか天愛が知る限り、東雲は金曜は休んだことがない。

「あー。うん。合コンがある」

 悪びれもなく言われた言葉に、天愛は隣りに立つ男の顔をぽかんと見上げた。八十彦が聞いたら、静かな怒りが天愛にまで降り注ぎそうだ。

 暫くその調子で東雲を見ていた天愛にも、少しずつ怒りが湧き思わずむっとした表情になった。アルバイトだからそこまで縛られる必要もないとは思うが、そんな理由で休まれて迷惑を被るのは天愛の方なのだ。東雲がいなければ、天愛は八十彦に二人分の嫌がらせとも思える扱いを受けることになる。それにタイミングの悪いことに、明日染野も休みをとっている。

「また今度にしてください。明日は諦めてください」

 天愛が強い口調で言うと、東雲は目を円くした。

「明日の合コンは明日にしかないんだよ。もし明日の合コンに俺の運命の人とかが来てたらどうするの」

「運命の人ならまた出会えますよ」

 力の篭った口調で返されて、天愛はため息混じりに言った。そもそも、合コンに運命の出会いを求めるという考えが天愛には理解できなかった。東雲は時たま行っているが特定の彼女を作るつもりはなそうに見えたから、運命の人なんて言葉に説得力はない。

「いや、まあ、休みとっちゃったし、明日は八十彦さんも店に出てくれるって言ってたから大丈夫だよ」

 天愛はぎょっとして東雲の顔を凝視した。

 八十彦が店に出てくるなんて、冗談じゃない。しかも、今の口調からすると、顔を出す程度ではなくずっと店にいるような感じだった。今まで店の方に顔をだすことはあっても、狐の主人が店番をしていたところを見たこともないし、見たいとも思わなかった。日がな一日居間の方で本を読みお茶を飲んでいるか、出かけているかのどちらかだ。確かに天愛一人ではもし客人が来た時分からないことが多すぎるが、それでももしなにか困ったことがあれば、居間はすぐ近くなのだから呼んだり質問すればいい。その方が、天愛も気詰まりせずにすむのだ。けれど、八十彦はそれを知ってわざと店に出る可能性もある。あの狐面の店主は、天愛が嫌がる姿を面白がっているふしがあるのだ。

 八十彦の顔に蓋をする狐面を思い出して、天愛は重いため息を吐いた。

どうにかならないものだろうかと考えつつも、明日のことはもう諦めるしかないと思った。殆ど毎日アルバイトに帰っているが、平日は学校が終わってからだから時間も短い。ほんの数時間を我慢すればすむのだ。

 もんもんと考えている天愛を見て、東雲は苦笑した。

「そんなにいや? まだ慣れない?」

 そう聞かれたら、是とは答えにくい。天愛は思わず首を横に振ってしまった。

「……いやというか、苦手なんですよ」

 慣れてきた今となっては、八十彦に対しての苦手意識が狐面からくるものなのか、その性格ゆえなのかわからなくなってきている。おそらく両方なのだが、以前はその身につけられた狐面がひたすら恐ろしかった。

「ああ、始めの頃は尋常じゃない怖がり様だったからねえ。八十彦さんの面見る度に青い顔してたよ」

「そうですか?」

 知らん顔で言うと、東雲は苦笑した。

「八十彦さんもよく毎日狐の面なんかつけて生活できるよね。俺なら我慢できないよ」

 そういえばそうだ、と天愛は頷いた。もしかすると夜渡蓮にいる間だけなのかもしれないが、よく面をつけたままで生活することができるものだ。

「祭りの時くらいだよね。面なんか見るの」

 ぽつりと言われた言葉に天愛はぴくりと体を震わせた。静かな住宅街に二人の歩く音とバイクのタイヤがジリジリと動く音が響く。東雲は天愛の様子に気付いてか気付かずか、明るい調子で笑った。

 天愛は、もう何年も行っていない祭りの様子を鮮やかに思い出す。緩やかな橙に染まる提灯に、賑やかな屋台の棟、多くの人の行列。耳につくのは、祭り雛子の笛と太鼓の音だ。

それらを、少し離れた公園のジャングルジムの上から眺めていた。

 いつも、祭り雛子を聞くと耳を塞ぎたくなる。目を閉じて見えるのは、人を馬鹿にしたようでいて無機質な、狐の面だ。

「天愛ちゃん?」

 知らず知らずのうちに立ち止まっていたらしい。天愛は数歩先で振り返って不思議そうに見てくる東雲を見返した。

 見事な黄金色。

 ふと、そんな青年の言葉を思い出す。街頭の青白い光りに照らされた東雲の髪色は、まさしくそんな感じだ。自分の内にある微かな記憶とその姿が重なったような気がして、天愛は小さく首を振りそれをかき消した。

「なんでもないです」

 微笑んでそう返すと、一瞬東雲の瞳が何かを探るように動いたような気がしたが、天愛はそれに気付かないふりをして帰路を急いだ。





     *





 皮肉にも、その日は雨になった。

 まるで自分の気持ちを表しているかのようなどんよりと重く、雨粒をこぼし続ける空を見上げて、天愛は思わずため息を吐く。こんな調子では、今日も客はやって来ないだろう。過去何度か雨が降ったことがあるが、そんな時は大抵誰もやってこない。ましてやこんな土砂降りでは、夜渡蓮の近くに住む冷やかしで常連の客でさえもやってこないだろう。見ると、校庭は大きな水溜りのようになっていた。運動部の殆どが今日は休部になってしまった為に、靴箱周辺は生徒でごった返していた。綾香はミーティングのあと体育館で部活があるからと、授業が終わると早々に別れてしまった。

「椿、今日もバイト?」

 すぐ後ろから声を掛けられて、また漏れそうになったため息を呑み込んで天愛は振り返った。

 天愛とちょうど同じ身長をした小柄な男子が、目が合うと同時ににかっと笑った。

「うん。そう。三秋(みあき)も?」

「うん。そうそう。今日も働くよー。ところで綾香は?」

 偽ることなくきょろきょろと視線を彷徨わせる三秋に、天愛は思わず苦笑した。三秋は綾香の隣り近所に住む幼なじみだ。二人が並ぶと一見姉弟のようにも見えるが、三秋が綾香のことを好きなことは、たとえ本人が口に出さなくとも天愛には分かった。おそらく三秋もそれを天愛に隠すつもりはないのだろう。たまに相談じみたことも言ってくる。

「綾香は今日も部活だよ」

 残念だね、と言う言葉が頭の中で続いたが、あえてそれは口に出さないようにした。言わなくても三秋は明らかに残念そうな表情をしている。

 家が近所なのだからいつでも会えるだろうと以前天愛はこの少年に言ったことがあったが、小さい頃はいつでも気軽に遊びに行くことができたけれど、今は昔のことが嘘みたいに気軽に行くことなんてできなくなってしまったという。

「そういや、椿あの骨董品屋でバイトしてるんだって?」

 あの骨董屋、と三秋が呼ぶのは、綾香と同じく彼も幼い頃から夜渡蓮のことを知っている近所の子供だからだ。

 言われて、天愛は彼には夜渡蓮でアルバイトをしていることをまだ言っていなかったことを思い出し、眉尻を下げた。別に隠していた訳ではないが、ばつが悪い気分になってしまう。

 天愛が頷くと、三秋はうわあ、と呟いた。

「本当だったんだ。狐の店主は相変わらず狐なのか?」

 実際に見たことのあるようなその口調に天愛が目を円くすると、三秋は苦笑いした。

「いやさ、うちの死んだじいちゃんがあそこの常連だったんだ。それで俺も小さい頃何回か連れていかれたことがあるんだけど、店主がいつも狐の面をつけてて不気味だったんだよ」

 その言葉に天愛はますます目を大きくした。天愛たちの通う高校からだと、夜渡蓮は歩いて行ける距離だ。地元の子供たちの多くがこの高校に通っているから、夜渡蓮を知っている者がいてもそう不思議ではないが、常連客の家族ともなれば話しは別だ。

「……そうだったんだ」

 天愛が半ば呆けながら言うと、三秋は大きな目を瞬かせた。

「そうなんだよ。今は違うのか?」

「今もだよ……」

 天愛は心底うんざりした様子で言った。その様子で全てを察したらしい三秋は、眉をひそめた。

「……相変わらず変な人? 俺、あの人に散々からかわれたんだよ」

「変な人なんだけど……違う人なんじゃないかなあ。若い男の人だし。息子さんだと思うよ」

「ええっ息子も狐の面つけてるの? そりゃ変だなあ。なんかこええ」

 パンッと小気味よい音を立てて三秋は傘を開いた。それに続いて天愛も傘をさす。折りたたみ傘を持っていてよかったと思う。朝は晴々としていたのだ。周囲では傘を持たずに途方に暮れている生徒もたくさんいた。

 ふと、聞き慣れた音がした気がして天愛は立ち止まった。周囲を見渡しても、傘をさした生徒たちが校庭の泥が跳ねないように気をつけて歩いているだけだ。赤い着物など見えない。

 今聞いた音は、確かに鈴の音だったが、よく考えれば鈴をつけている人などたくさんいることに気がつき、天愛は一人苦笑した。鈴の音に過敏になりすぎている自分がおかしくなる。今まで夜渡蓮以外であの不思議な鈴音は聞いたことがなかった。だから、あの鈴の音を鳴らすものは夜渡蓮にいるものだと思い込んでいる。

「椿? どうしたんだ?」

「ううん。なんでもない。雨足も強くなってきたし、急ごうか」

 言って天愛は先ほどよりも少し歩みを速めた。多少の泥が跳ねるのは仕方がない。

 リンッと、また鈴の音が聞こえたが、今度は立ち止まって周囲を見渡すことはしなかった。







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