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狐と八十一の嘘  作者: はんどろん
二章 二人目の客人
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 酷く冷たい風が吹く日だった。

 東雲は用事があるからと休みをとっていて、店内には天愛と染野が二人でいた。暇だからと、染野は昔話しを始め、天愛も染野が作った梅昆布茶を飲みながら染野の若い頃の話しを聞くことになった。

 ここ数日のところ、夜渡蓮の客数は以前のものより少なく、学校が終わってから働く天愛は客を全く見ていないほどだった。そしてその日もそんな調子だったのだ。ただでさえ普段から少ないのに、本気で店が潰れる心配を天愛はしてしまう。

「女学生の時は、映画をよく見に行ってたんよ」

 女学生という響きに高等さを感じた天愛は、興味を惹かれて目を大きくした。天愛は以前から、染野はお嬢様育ちだろうな、と思っていたのだ。お店をしていたからもあるかもしれないが、一つ一つの動きが上品なのだ。お茶の淹れ方一つをとっても、身の内から滲み出すものもあるのか、天愛が真似しようとしても到底真似しきれないだろう。

 染野は昔の光景を思い出したのか、楽しそうにくすくすと笑う。

「今みたいに綺麗な色もついてないけど、二週間に一回の楽しみやったの」

「二週間に一回もですか?」

 天愛は思わず聞き返した。いくら好きと言っても、かなりの割合ではないだろうか。染野は天愛の驚きっぷりに恥ずかしくなったのか、はにかむように笑った。柔らかに微笑むその様は、この老人を少女の様にも見せる。美少女だったであろう染野の若い頃の姿を想像しながら、天愛は染野を見た。

 珍しい客人がやってきたのは、二人がそんな風に会話を楽しんでいる時だった。

 天愛は、戸が開かれたすぐあとにやってきた覚えのある耳鳴りに、顔を顰めた。染野の方は特に変化もなくいつもののほほんとした様子で、客人にいらっしゃいませ、と告げた。

 耳鳴りの意味をすぐに理解した天愛は、すぐに東雲の言葉を思い出して戸の方を見た。入ってきたのは、スーツ姿をした若い青年だ。その姿は小奇麗で、カンカン帽を被り手には大きな革の鞄を持っている。スーツの上から羽織ったコートは、質が良さそうだ。その青年が戸を閉め切る前に、天愛は戸の向こうを見つめた。硝子戸の向こうは、いつもとなんら変わりのない景色。けれど、戸の隙間から見えた景色が、一瞬自分の見知っているものとは違ったような気がして、天愛が目を円くしている間に戸は閉められた。硝子戸の向こうは、いつもとなんら変わらない風景だ。ほんのりと赤く染まり始めた道路を小学生くらいの子供たちが楽しげに通り過ぎていく姿が見えた。

「こんにちは。こちらに、狐の店主はいらっしゃいますか?」

 柔らかな声で天愛は先ほど入ってきた青年に目を向けた。優しげな顔には、人懐こい笑みが浮かんでいる。狐、と言うからには此処の店主が狐面を付けていることを知っていてやってきたのだろう。

 天愛は困った様に染野を見た。目の前に立つ青年が違えようもなく『希少なお客』であることは分かったのだが、どう対応していいのか分からない。間の悪いことに今此処にいるのは天愛に染野の二人だけだ。天愛はまだ新米アルバイトで、染野は八十彦の世話をするお手伝いさんで普段店に出てくることも滅多にない。けれど、そんな天愛の心配を他所に、染野は浮かべた微笑みを崩すことなく小首を傾げた。

「店主は今出ておりまして。御用でしたら私がお聞きしますが」

 落ち着いた様子で言う染野に天愛は心底ほっとしたが、ふいに青年に見られていることに気付き背筋を伸ばした。その様子を見てか青年はくすりと笑う。

「いえ、急用ではありませんから。また改めます。けど、その前にお店を見せて頂いても?」

「どうぞどうぞ」

 愛想良く答えたのは染野で、天愛は慌てた様にこくこくと頷いただけだ。そのことでか青年がまた笑んだので、天愛は恥ずかしくなり俯いた。どうやら、相手には天愛の慌てっぷりが丸分かりの様だ。

 天愛は、染野の言動である程度緊張を解してはいたが、解けきった訳ではない。一度目の時は事後に知ってしまったが、今はこの客がどういう客なのか分かっているのだ。半信半疑だったとはいえ、いざその客を目の前にしてしまうと信じきっている自分がいることに気付いていた。それに、先ほど戸の隙間から見えた景色だ。ほんの一瞬のことであったから、幻かとも思ったのだが、青年の身なりはどこか古めかしい。今時こんな若い男性で、スーツ姿にツバ付き帽子を被る人などいるだろうか。極めつけはその手に持つ革のトランクだった。夜渡蓮でも革のトランクが商品として置かれているが、それと青年の持つ物は似通っている。一見してお洒落にも見えるそのトランクとスーツを合わせているところが、どこか古めかしく怪しかった。けれど、青年の髪色は薄茶色で顔立ちもどちらかというと、今時と言ってもおかしくはなかった。最近の若者の様にも見えるのにそんな格好をしているから、青年は益々怪しく天愛の目に映った。一体、いつの時代の人なのだろうか。近世には違いないだろうが、見ただけでは分からない。もしかすると、ごくごく最近なのかもしれない。

 青年は、天愛の不躾な視線にも気付いていないのか、わざと気付かないふりをしているのか、慣れた様子で店内を見回った。様々な型のランプに虫取り瓶、鉛筆削りに蝋燭立て。中でも青年の気を引いたのは、小さな銀の羊だったらしい。青年の親指よりも少し大きいくらいのそれはイギリス製の物だと、天愛は以前東雲から聞いていた。

 青年はその銀でできた小さな羊を摘み、持ち上げるとまじまじとそれを見た。

「それが気に入りはりましたか?」

 染野がいつの間にか淹れ直してきた三人分のお茶を文机の上に並べながら聞くと、青年は困ったように微笑んだ。人好きしそうな笑顔に天愛は徐々に残っていた緊張を解いていった。

「ええ。これを頂けますか?」

「ありがとうございます」

 天愛は青年からその羊を受けとった。小さいのに、中々ずっしりとしたそれは毛並みまで精密に表現されている。以前天愛が金額を聞いた時には驚いたものだが、青年はそれを聞いても驚いた様子もなく長財布から数枚の札を取り出し差し出した。けれど、それを受け取らないといけない天愛は差し出された札を見て目を円くした。青年が差し出したのは『千円』とは書かれているが、天愛の見たことのないものだったのだ。けれど歴史の授業で何度か目にしたことのある絵を見て、天愛は眉を顰めた。

「聖徳太子……?」

「三千円、ちょうどお預かりします」

 そうにこやかに言って、札を凝視して動かない天愛に戸惑った表情を浮かべていた青年から染野は札を受け取った。偽札か、はたまた玩具のお金かと疑っていた天愛は染野の行動に驚いたが、はっとして慌てて銀製の羊を包んだ。相手はいつの時代の人なのかも分からないのだ。天愛の知らないお金を持っていても不思議ではない。

「すみません。お待たせしました」

 小袋に入れたそれを手渡された青年は、ありがとう、と先ほどのことなどまるで気にしていない様に言って微笑んだ。

「学生の様だけど、ここの手伝いをされているのかな?」

 青年に聞かれて天愛ははい、と頷く。すると青年は笑みを深くして、染野の方を見た。

「私は、何度かこの店に訪れているのですが、覚えておられますか?」

 その青年の言葉に、天愛も隣りにいる染野を見た。染野も笑みを絶やしはしなかったが少し不思議そうに小首を傾げた。

「以前は、これと同じ様な銀製の白鳥の置物を買わせて頂きました。その時は男の子もいたのですが」

 その言葉にようやく合点がいったように、染野は小さくああ、と呟いた。けれど首を横に振ると青年に対し、申し訳なさそうな顔をした。

「すみませんこんな年寄りになると、中々物覚えが悪くなってしまって。特に若い方のお顔は、若い方が私みたいなおばあちゃんの区別が付かないのと同じくらい、覚えるのに苦労するんです」

 染野の言葉が嘘だと知っていた天愛は、目をぱちくりさせて染野を見たあとに青年へと視線を向けた。青年は特に気分を害した様でもなかったが、少しだけ哀しそうな表情を見せた。男の子とは、恐らく東雲のことだろう。この青年も十分に若く東雲とそこまで年が離れているようには見えないが、見た目ほど年若くはないのだろうか。

 天愛がじっと青年の姿を眺めていると、青年は染野に向けていた視線を天愛に移して苦笑する。

「お嬢さんも、その時おられましたよ。狐の店主の娘さんですよね?」

 天愛は目を円くした。狐の店主の娘、ということは八十彦の娘ということになる。狐面を外しているところを見たことがないから、天愛には八十彦の本当の年齢など分からなかったが、それでも体型などを見てみるとまだ若いように見える。とてもじゃないが、高校生にもなる娘がいる様には見えなかった。どうもおかしい。青年が言うことは、矛盾だらけだ。それに、天愛が此処の娘である訳がない。

「……え。いや、私は……」

 ただのアルバイトです。そう言おうとした天愛を止めるように、染野はそっと天愛の腕に掌を当てた。

「そんなこと、言ったかしら?」

「ええ、貴方から聞いたんですよ。染野さん」

 それには流石の染野も驚いた顔をした。この青年は誰かと人違いをしている訳ではないらしい。以前、この夜渡蓮にやってきて確かに白鳥の置物を購入したのだろう。天愛から見れば染野はこの青年を知っている様にも見えたが、知らないようにも見える。どこか探るように話しているふしがある。それに比べてこの青年は染野のことを確かに知っているのだろう。天愛に関しては本当に人違いだろうけれど。

 その時、りんっと鈴音が鳴り天愛は後ろを振り返った。ここ数日間は聞かなかった音だ。廊下の方にじっと目を殺して天愛はあの赤い着物を探してみたが、どこにも見当たらない。

「おや」

 感心したような声で呟いた青年の方を聞き、天愛は我に返って姿勢を正した。けれど当の青年は声と同じ様に感心した様な表情で、じっと暖簾の向こう側に続く薄暗い廊下を見つめたあと、天愛を見た。

「どうやら、貴方は狐と縁があるようだ」

「……狐、ですか?」

「ええ。狐です。黄金色の、見事な尾を持つ狐だ」

 狐と言われて咄嗟に八十彦の狐面を思い出していた天愛は、青年が言う本物の狐を示すであろう言葉に戸惑った。分かるはずもないのに助けを求めるように染野の方を見ると、染野は二人の方を見ずにただ黙って茶を啜っていた。

「あの、狐なんて見たこともないんですけど」

 よくよく考えてみれば、天愛は本物の狐も見たことがない。小学生の頃、祖母が北海道旅行へ行った時に買ってきてくれたポストカードで初めてその姿を知ったくらいなのだ。縁があるとはとても思えない。まさか、また奇妙奇天烈な話しになるのかと思えば、天愛はそれを避けたくて逃げ口を探し始めた。オカルト話しはもうたくさんだ。時間を行き来する骨董店に狐面の店主。赤い着物の正体不明の子供、時折聞こえる不思議な鈴の音。それらに慣れつつはあるが、流石にそれ以上のことが降りかかると頭がこんがらがりそうだ。

 青年は手で口元を覆い隠すと、何かを考えるような表情で店内をぐるりと見渡した。当惑したままの天愛はそんな青年の仕草にも気付かずに、視線を彷徨わせていた。ぐるぐると回る思考を押し留めるのに必死なのだ。青年が最後に自分を見て笑ったことにも気付かず「それでは、後日また来ます」とやけに爽やかに言われ、ようやく顔を上げた。

「ああ、名乗り忘れてました。黒葛原(つづらはら)守衛もりえと云います。狐の店主にどうぞ宜しく、とお伝え下さい」

 青年はにこやかに言うと、小さなビー玉を天愛に手渡した。訳も分からずに天愛が目を白黒させているうちに、青年は優雅なお辞儀をして店を出て行ってしまった。その時にも見えた戸の間からの景色に天愛は目を疑ったが、硝子戸が締められればその景色も、たった今まで此処にいた青年さえも幻だったような気がした。けれど、手元に残るビー玉は本物だ。

「……染野さん」

「なあに? 天愛ちゃん」

 最後、何も話さなかった染野は柔らかに笑いいつも通りの口調で聞いた。

「なんですか、今の人」

「さあ。また来られるみたいやから、その時に訊いてみたらいいと思うよ。さあ、私は狐の店主が散らかした本でも片付けてこようかしら。天愛ちゃん、店番宜しくね」

 染野はよっこいしょ、と立ち上がると三人分の茶器が載ったお盆を持って去っていった。

 人差し指と親指の間でビー玉を転がしながら、天愛はそれを光りに透かす。少し気泡の入った薄い水色のビー玉だ。それは少し懐かしい気分になる物だった。

 それを渡された理由も、次に青年がこの店の門をくぐってやってきた時に聞いてみよう、と思った。

 その日の帰り、店を出た天愛は意外な人物が門前に佇んでいるのを見て目を円くした。薄暗い場所で電柱の影に隠れるようにしていたから人がいることに気付かなかった天愛は、びくりと体を震わせたあと、ぼかんとその顔を眺めた。相手は街灯で照らされた青白い顔で笑う。

「綾香……? どうしたの? こんなところで」

「いや、ちょうど近く通りかかったからさ。もしかしたらもう終わる頃かなあって思ったんだ」

「寒いから中に入ってくればよかったのに」

 そう言って天愛はマフラーにしている大判ストールを手繰り寄せて、肩を竦めた。今日は染野しかいなかったから、綾香が夜渡蓮に入っても八十彦と顔を合わせるということはなかったのだ。正確には、面を合わせるだが。外は冷えるし、天愛の友人が店に入ってきたとしても染野は文句を言う様な人ではない。むしろ歓迎してくれただろう。そう思い、天愛は橙の灯りで包まれた硝子戸の向こうを見た。電気は点けていったままでいいと言われたから、そのままだ。外から見たほんのりと明るいその室内は、やはりどこか異質なものに見える。

「ねえ、最近おもしろいことはあった?」

 まるで久しぶりに会ったかの様な綾香の口調に、天愛は怪訝そうに眉を顰めた。綾香とは今日も朝から顔を合わせ、学校が終わると同時に天愛は夜渡蓮へ、綾香は部活へとそれぞれ別れたのだ。それからまだ四時間ほどしか経っていない。それに、普段綾香はその様なことを聞かない。そこで、天愛はあることに思い至りああ、と呟いた。

「夜渡蓮のこと? とくになにもないよ」

 天愛は、綾香や他の誰にも、夜渡蓮で起こった不思議な出来事のことを話していなかった。言っても、冗談か頭がおかしくなってしまったのではと疑われるのが関の山だ。特に夜渡蓮に不信感を抱いている綾香には、冗談でもその様なことは言えない。

 二人は喋りながら、どちらともなくゆっくりと歩き出した。街灯で伸びた二つの影は、長く暗い。天愛は、いつもそんな影を見るとぞっとする。いつもなら東雲が駅まで送ってくれるのだが、東雲がいない時、天愛はこの道を一人で帰るのがいつも恐かったので、綾香が来てくれたことに少しほっとしていた。

「狐の店主は相変わらず変だけど?」

「そう、店主は相変わらずだけど」

 本当に苛立ちを含んだ口調で天愛が賛同すると、綾香はおかしそうにくつくつと笑った。

「狐面の店主に、古めかしい骨董屋かあ。まるでホラーだね」

 ついでに顔の見えない着物の少女に、得体の知れない鈴の音までついてくる。

「けど、天愛はちょっとその場所に馴染んできたみたい」

 その言葉に天愛は反論することはできなかった。確かにあの店は、当初思っていたほどに居心地の悪さを感じる場所ではなくなっていた。恐らく天愛が慣れてきたせいもあるのだろう。狐の店主はあの横暴さと不気味な狐の面を抜けば、案外普通の人間の様にも見えるし、染野の作る料理はとてもおいしい。それに、東雲とは最近友人の様にもなってきている。東雲は同じ敵を持つ、時折裏切る仲間と言ってもいい。時間どうこうの不思議はさておき、天愛はあの赤い着物の少女にも鈴音にも、裏に広がる薄気味悪い竹林を見ることにも慣れてきていた。

「けどさ」

 街灯に群がっていた蛾の一匹が、羽をばたつかせながら天愛たちの前を横切った。白いその姿は、薄暗闇の中でも目立つ。綾香は指先で二度、自転車に付いたベルの表面を弾いた。鈍い音が人気のない住宅街の道に、やけに大きく響く。

「慣れた頃に、思わぬ落とし穴に嵌るもんだから気をつけてね」

 まるで根拠のない言葉だ。そこにはからかいも含まれている。けれど、それが嫌な予言のようにも聞こえて、天愛は寒さに肩を竦めた。








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