見習い勇者になりました!
予想もしなかった辺境伯の申し出に誰もが口を閉ざしたが、一番最初に反応したのはアリアだった。彼女は一頻り笑った後、貼り付けた笑顔のまま辺境伯に答える。
「私が愛しているのは隊長だけ。隊長にお会いするためだけにこの国にやって来たの。ねぇ、伯爵閣下? 息子さんには、長生きしてほしいわよね? だったら妙な真似はしないことをお勧めしますわ」
「わ、私も……ラーベ殿に助けてもらってから、ラーベ殿以外の人と一緒になることは考えられません。もし、私が生きていることを領主様にお伝えになるのなら……何をするか、自分でもわかりません」
アリアに引き続いて素性を知られているレインもそう答えた。アリアもレインも真っ直ぐに辺境伯の目を見据え、手元に武器があったなら今にも襲いかかりそうなほどの熱を持っている。それに対して辺境伯は額に浮かんだ冷や汗を拭いながら答えた。
「す、すまん。言葉が足りていなかったな……。私も平民を家に入れるつもりは……息子が望めば別だが……。この先息子が呪いに苦しんだ時に助けて欲しいのだ」
先程の言葉の真意を説明した辺境伯は、彼の息子の状態について語り始めた。曰く、今は健康だがこの先何があるかわからないこと、万が一辺境伯のように体調に異常が発生した時に備えて、冒険者として薬草採取などの依頼を優先して請けて欲しいとのことだった。その言葉を聞いた彼女たちは表情を緩め、剣呑な雰囲気は一先ず解消された。
「……げ、現状で、と、特効薬のようなものは、そ、存在しませんよ」
「それでも、症状を和らげる薬はあるだろう? 私も辛い時はヤナギ液を飲んでいるが……冒険者なら、それよりも質の良いものを手にすることがあるかもしれないだろう? その時は、それを譲ってほしい」
腹部をさすりながら、博士の言葉にそう答えた辺境伯の顔色は渋いものだった。確かにヤナギには鎮痛作用があるが、その味は非常に苦い。息子には同じ苦痛を与えたくないのだろう。金板冒険者の実力を見込んでか、そう言いながら辺境伯は我々に対して頭を下げた。
「ち、鎮痛薬……い、痛み止めなら、あることは、あるのですが」
「何!? そ、それは、どんなものなのかね!?」
博士の言葉に食いつく辺境伯。息子のため、と言いつつも、本当に必要としているのは彼自身なのかもしれない。鬼気迫る剣幕で博士に顔を近づける辺境伯の態度に困惑した博士は私に目配せで助けを求めた。私は咳払いを一つしてから辺境伯に答えた。
「非常に強い痛み止めですが……依存性があります。もしお使いになられるなら、死を覚悟した時のみお使いいただくことをお約束願えますか?」
私の言葉に唾を飲み込んで辺境伯は頷く。『非常に強い痛み止め』と聞いて、アリアは納得したように頭を揺らした。
「非常に強いとは……どの程度のものなのかね? まさか二日酔いに聞くといったものじゃあ……」
興味津々の辺境伯は、半信半疑の体を取りながらも身を乗り出して話の続きを促した。
「私も過去に一度だけ使ったことがありまして、非常に良く効きましたよ。戦場で、右腕と左足を吹き飛ばされた時にね」
ひえっ、と小さな悲鳴をあげたシルヴィアが心配そうな目で私を見つめる。腕をぐるぐると回して笑顔を作ると、彼女はほっとした表情になった。ごくり、と喉を鳴らした辺境伯に向き直ると、私はその時の状況を語る。
「酷い塹壕戦で、敵の砲弾が至近距離で炸裂したんですよ。ついさっきまで会話していた戦友は指の一本も残りませんでした。……爆風で飛ばされた自分の腕と足を抱えた私を、仲間が野戦病院まで引き摺ってくれたんです。その時に使われたのがこの『鎮痛剤』です」
テーブルの下で空間術式を展開し、作戦資材から戦時治療薬を取り出す。それを辺境伯のカップの隣に並べると、彼は茶色のアンプル2本と注射器を繁々と眺めた。
「死への恐怖と人生で一番の痛みで気絶と覚醒を繰り返して、何度も繰り返して……死にたくないのに、痛みから逃れられるなら死んでしまいたい、そんな風に考えていたのが、これのおかげで痛みも恐怖も全て消えました。それどころか、非常に幸せな気分になれましたよ」
そう言って微笑みを向けたが、辺境伯の頬は引き攣っている。塹壕戦も野戦火砲もこの国にあるのかはわからないが、少なくとも私が経験した痛みや恐怖が消えたという点は理解してもらえたようだ。
「……と、東部戦線の、鬼子、か」
『鬼子』と私を指して言った博士にアリアは非難がましい目を向けたが、博士は何も言わなかった。スヴェア女史はアンプルをひょいと摘みあげると、ラベルを眺めた。
「見たことのない文字だわ。なんて書いてあるのかしら……」
「モルヒネ、ですわ」
苦々しい顔で答えたのはアリアだ。彼女は左の瞼を痙攣させながら、義眼を埋め込まれたときにモルヒネを投与されたことを語った。私は立ち上がり、アリアの背後に回ると預かっていた眼帯を彼女の左目に着けてやった。
◇
「この薬が優れていることは、わかった。しかし、気軽に使えないものは……」
悩ましげな顔で辺境伯は呟いた。彼の希望は、『それなりによく効いて、副作用が無い』そんな都合のいいものだ。果たして大陸東側にそんなものがあるのか……そう考えていると、シルヴィアが思い出したように口を開く。
「そいえば、この間採ってきたあの萬寿草はどうなのだ? すごい薬が作れるのだろう?」
「お嬢ちゃんちょっとその話はーー」
萬寿草と聞き、ぴくりと辺境伯の眉が動く。この薬草は霊薬の原料の一つであり、それは死の淵にいる病人ですら回復させる代物だそうだ。萬寿草はここ数年市場に出回っていなかったが、シルヴィアの生まれ育った里の周辺に大量に自生しており、この間それを採取してギルドに納品したのだ。
「私の領地で、そんなものが取れるというのかね? 初耳だが?」
「い、いやぁ……ははは」
咎めるような目線で責められたランド所長は、つるつるの頭頂部を掻きながら頭を下げ、シルヴィアをじろりと睨む。ぴっ! と短い悲鳴を上げたシルヴィアは顔をそっぽに向けながらも茶菓子を頬張るのをやめない。
「……では、こうしよう。君たちを私公認の勇者『見習い』にしよう」
勇者! とそっぽを向けていた顔を辺境伯に向けたシルヴィアが目を輝かせる。彼女の目的は勇者に助力して魔王を誅滅することだ。だが、まだ睨み続けている所長の視線に気付いてまたもやあらぬ方に顔を背けた。
「あの、『見習い』とは、どういう……?」
一度は勇者に指定されたレインがおずおずと尋ねる。彼女の問いに、辺境伯は柔かな笑顔で答える。
「最近は勇者狩りが横行していてね……それに、勇者になると国のため、民のために働かねばならんだろう? 『見習い』に留めておけば、それらから逃れられる。君たちも気軽に動ける。つまり、君たちの好きなようにしてもらいながら、『私の勇者』として活動してほしいのだよ」
「……そんなものかしらねぇ」
溜息を吐きスヴェア女子が独りごちた。彼女は前代勇者パーティーの一員として魔王封印に貢献した。そんな彼女は思うところがあるのだろう。ふんっと鼻を鳴らした彼女は茶を一口飲み話を続ける。
「勇者は高潔でなければならない。魔王を倒す希望の象徴なのよ? 今はあちこちで紛いものが増えてるみたいねぇ。あぁ、やだやだ……」
嘲るようにそう語る彼女にシルヴィアが食ってかかる。
「我らがオサは勇敢に闘ったと聞いているぞ! 我もそんな活躍をして魔王を倒すのだ!」
勢いよく立ち上がったために椅子が派手に倒れたが、そんなことは意に介さずシルヴィアは右手を天に突き上げる。そんな彼女にまた鼻を鳴らし、スヴェアが答える。
「あぁ、小娘はあの色ボケの……そう、勇者は高潔で在らねばならないのよ。あんな爛れた……あぁ、忌々しい!!!」
自由奔放に遊びまわりながら勇者を支えたシルヴィアたちのオサを思い出して苦々しい顔を浮かべたスヴェアはぶつぶつと恨み言を呟き続ける。そして何やら閃いたのか、うんうんと頷くと辺境伯にこう申し出た。
「いいじゃない、『見習い』! それなりの見返りはあるんでしょう? それなら小娘たちには通行税の免除でも与えればいいんじゃなくて?」
辺境伯は面食らっている。そんな彼を見て彼女は更に畳み掛ける。
「アタクシはもう一度勇者『見習い』に力を貸してあげるわ。今度は完全に存在を消滅させるために。だから伯爵閣下、アタクシにも便宜を図ってくれないかしら?」
ギラギラと妖しく輝くその瞳に気圧されたのか、かぶりを振ってそれに答える。それを見た彼女は満面の笑みを浮かべ、小さく拳を握って喜びを表現した。
「じゃあ、街の中心部の土地をいくらか下さいな! 一軒家が立てられるくらいでいいわよ。そこにね、建てるのよ! 私とメンゲレの愛の巣を!!!」
その場の空気がぴしりと凍った。ただ一人その言葉に反応できたのは、口内の茶を勢いよく吹き出した博士本人だけだった。
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最弱魔法の使い方! ~呪いを解くために、おっさんは魔王を目指します~https://ncode.syosetu.com/n9086gh/




