05 昔の話、ラーベの話。
「それで、ラーベ殿が助けに来てくれたんだ……」
空になったスープ皿に眼を落とし、ぽつりとレインが呟いた。戦争孤児となってから実験体にされたアリアの過去を聞いてか、その声は暗く、シルヴィアも悲しげに眉を下げてアリアを見ていた。
「……研究所で暴れたのは、僕だろうね」
瞑目してメンゲレ博士が静かに語ると、顔を下げていたレインが博士に顔を向ける。
「僕には軍曹と同じ年の子供がいたんだ。女の子でね、何処に行くにも後ろをついて回って来ていたんだ。ころころと笑う可愛い子だったんだ……」
「“いた”? その子は、どうしたのだ……?」
シルヴィアの問に微笑む博士だが、その眼には悲しみが浮かんでいた。
「東部事変でね、妻も子も……。だから、生き残った軍曹があんな扱いを受けているのを眼にしたら、身体が自然と動いてね」
彼女をすぐに助けたかったのだけれど、生憎僕には力がなくてね――そう語る博士は私に眼を向ける。私は博士から話を引き継いで、アリアとの出会いを語り始めた。
「博士とは東部事変で知り合ってな……と言っても一瞬顔を合わせただけだが。王都で偶然再開した時、博士から“実験”の話を聞いてな。あれは確か、十九の冬だった――」
私の言葉に彼女達は眼をこちらに向ける。次の料理が運ばれてくるまでまだ時間がかかるだろう。私は果実水を一口飲むと、もう一度彼女達を見回してゆっくりと語りだした。
――――
「おいユンカース、お前、配置調書はもう出したのか?」
「……いや、まだだ」
寒風吹きすさぶ王都を、私とヨーマンは外套の襟を立てながらパブに向かって歩いていた。春が来れば軍大学を卒業し、それぞれが少尉として任地に旅立つ。今は卒業に必要な研究成果を提出し、卒業までの期間を“研修”という名目で過ごしている。士官に任官すれば長期の休みを取ることもままならないため、この期間を通じてある者は帰省し、またある者は見聞を広めるための“研修旅行”に出たりしている。
私達二人はというと、特に何をするでもなく寄宿舎にてぐうたらと日々を過ごし、日が暮れればこうして飲みに出掛けている。年が明けたら故郷にでも戻ろうか、などと考えていると、ヨーマンから卒業後の希望配置について問われた。配置調書に第三希望まで記入するのだが、連絡帳をめくりながら面白そうな部署の名前をリストアップしては、その内容についてヨーマンからダメ出しをされる毎日が続いている。お前の配置について相談に乗ってやろう! が最近の彼の口癖だが、結局はグデグデになるまで飲むためのお題目となっている。
「大体なぁ、俺が薦めるところをあれは駄目、これはヤダ、じゃあ決まるモンも決まらんだろうが」
「……うるせぇよ。お前は俺の父ちゃんか」
そう言うとヨーマンは胸を張り、鼻の穴を膨らませて自信あり気にこう答える。
「まぁな! 幼年学校からの“お目付け役”だからな!」
彼の言葉に苦笑を浮かべて小さく首を振る。二人の間のお決まりとなったこのやり取りは私が彼に突っ込みを入れて終わるのだが、首を振った際に視界の端に不審な物を捉えた。やり取りを中断してその方向を注視すると、それはものではなく蹲った人であった。
「……なんだ? 浮浪者か?」
「厄介事に首突っ込むなよ」
ヨーマンの言葉に頷きながらも何故か視線を逸らせないでいると、その人物は顔を上げて私達を見る。彼の鼻から流れた血は固まって張り付き、胸ぐらを掴まれでもしたのだろうか、シャツの襟は破れて首元を晒していた。浮浪者かとも思ったが、全体的には小奇麗な身なりをしており、どうやら暴漢にでも襲われたらしい。先を促すヨーマンに肩を叩かれた私は、彼から眼を逸らして再び歩き始めた。視界の端には立ち上がり、片足を引きずりながら私達に向かって歩く彼の姿を捉えている。
「……お前がじっと見るからついてきてるじゃねぇか」
「……スマン、ただ、ちょっと気になってな」
その言葉に訝しげにヨーマンが私を見る。歩調を早めた私達の背後から、彼が大声で叫ぶ声が耳に入る。止まれ! 東部の鬼子!! と――
立ち止まって振り返ると、大声で叫んだ彼は、彼なりの早歩きなのだろうか、片足を引きずりながらも息を上げて私達のもとに寄ってきた。半身を開いて軽く腰を落とすヨーマンは、目線だけを忙しなく動かして警戒している。東部の鬼子と呼ばれるのも数年ぶりだな――そんな事を考えていると、無防備な背中を強めに叩かれた。ヨーマンが目線で『気を付けろ』と言っている――ような気がした。
「おぉ……! や、やはり間違いない……! い、生きていたか……!!」
「……アンタは一体? その格好、軍人ではないようだが」
「い、一応ぐ、軍属だ……! お、鬼子と見込んで、た、頼みがある! こ、この通りだ……!」
言葉を交わした彼はその場で跪くと、彼はその頭を地面に擦りつけ始めた。私は彼の肩を叩いて頭を上げさせる。警戒を解いたヨーマンに眼を向けると、両手の平を上にしていた。……今日の予定は変更だ。私は跪く彼にハンカチを渡すと、目的地をパブから喫茶店に変えて歩き始めた。
――――
「……き、君達の服は、軍大学の制服だろう?」
「まぁ待てやオッサン、自己紹介が先だろ?」
飲みの予定を潰されたことが腹に据えかねているのか、棘のある口調でヨーマンが彼に問う。行きつけの喫茶店に来た私達は店の奥にあるボックス席に陣取ってコーヒーを待っていた。私達に向かい合うように座った彼は、ハンカチで顔を拭って私達に眼を合わせる。……何処かで会ったような気もするが、それが何時、何処だったか思い出せない。私を“東部の鬼子”と呼ぶ人物は限られているし……そう思っていると彼は口を開いた。
「わ、私は、メンゲレ。か、開発隊の、技官だ。ぞ、ゾルタルで、会ったが……お、覚えてないか?」
“ゾルタル”の地名を耳にして身体が強張る。東部戦線で多大な被害を受けた町。ゾルタルの防備線が決壊したことが、レクセールとの停戦の契機となった苦い地名。私もその戦闘で左足が腿から吹っ飛んだ。戦時治療所に運ばれるのがあと少し遅れていれば、“修復”どころか命を落としていた。それから四年経ち、癒えたはずの傷跡が、ゾルタルと聞いて疼くような気がした。
メンゲレの言葉に左右に首を振る。ヨーマンは腕を組んで難しい顔をしている。私とヨーマンが自己紹介を終えると運ばれてきたコーヒーを一口啜り、メンゲレに話の続きを促した。
「……た、助けて欲しい、こ、子供がいるんだ。と、東部事変の生き残りのな。わ、私では力が及ばない。て、手を貸してくれないだろうか?」
道端で見かけたボロ雑巾のような雰囲気は消え去っており、その両目には力強い光が宿っていた。私は口に溜まった生唾をコーヒーと共に飲み下し、平静を装って彼に答える。
「……俺達はまだ学生だ。後ろ盾も……無い訳じゃないが……大した力もない。だが、力を尽くそう」
私がそう言うと彼は口角を上げた後、気を引き締めるように頬を叩いた。止まっていた鼻血が流れ始めるのも気にせず、彼は早口で捲し立てる。
東部戦線で戦い、破れた私に出来るささやかな罪滅ぼしが叶うと、彼の説明を聞きながら私は拳を強く握り締めたのだった。
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