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03 昔の話、アリアの話。

 シャンデリアに照らされた店内で、テーブルに供された白い皿にちょこんと乗った野菜を前にシルヴィアは落胆した吐息を漏らした。フォークとナイフをこんなにたくさん使うとは! お祭りか! とはしゃいでいた彼女の姿は今は見る影もない。そんなシルヴィアの様子を微笑みながら見ていたアリアが優しく説明する。

 

 

「シルヴィー、これは前菜と言ってね、準備運動みたいなものなのよ?」

「……腹一杯になれる気がしないぞ……」



 教えられた通り端のフォークを手にしたシルヴィアは、皿に乗ったブロッコリーをちょいちょいと弄りながら唇を尖らせる。その様子に喉の奥を鳴らした私を悲しそうな瞳で見つめるシルヴィアの頭を撫でると、渋々といった体で野菜を口にし始めた。

 

 

「そう言えば、ラーベ殿とアリアさんと、メンゲレさんはどこで知り合ったの?」



 早くも皿を空にしたレインが私達に尋ねる。会話に交ざろうとシルヴィアも口を挟もうとするが、私とアリアの目線を受けて再度皿の野菜に取り掛かった。

 

 

「俺が二人と出会ったのは、十年前になるか。……いや、博士とはそれ以前に――」

「そうだなぁ。あの地獄で、僕たちは出会ったんだったなぁ……」

「……地獄!?」

 

 

 メンゲレ博士の口から意外な単語が飛び出して、シルヴィアとレインは驚き声を上げた。博士が手にしているグラスを見ると、ふつふつと泡立つ飲み物を飲んでいた。シャンパンか何かだろうか、酒の入った博士の口調はいつもよりも滑らかだ。……一人だけ酒を飲んでズルい。訴えるような目でアリアを見つめると、彼女はただにっこりと微笑んだだけだった。どうやら私に飲ませる酒はないらしい。

 

 

「……そうね、確かに彼処は“地獄”だったわね。まぁ、あの地獄が無ければ私達は出会えなかったと思えば、少しは……」



 淋しげな表情を浮かべるアリアの顔を、心配そうに覗くシルヴィアとレイン。アリアはそんな彼女達に微笑むと、二人に問い掛ける。

 

 

「旧い話よ。楽しい話ではないけれど……聞いてくれるかしら?」

 

 

 アリアの言葉に二人が頷くと、アリアはゆっくりと彼女の人生を語り始めた。

  

 

 

 

 ――――

 

 

 

 

「あのね! ごさいのたんじょうびはね! あたし、いもうとがほしいな!」



 両親にそう言うと、二人は困ったように笑いあった。早寝したら神様がきっとお授けくださるよ、と私の頭を撫でる父の手はゴツゴツとしていたが、力強く、優しいその手付きに私は目を細めた。ルクト帝国の南東部に位置する私の故郷は牧畜が盛んな田舎町だった。絵に描いたような幸せな家庭だった。国境に接する街は隣の国と戦争していると大人達が話していたが、子供の私には全くと言っていい程関係がなく、私は毎日野に山に遊び回って楽しく暮らしていた。その日が来るまでは。

 

 

 

 

「……いいかい? 二人とも、絶対に、家から出ちゃいけないよ?」

「嗚呼、アナタ……」



 手に鋤を持った父は、私と母を抱き締めて、母には唇に、私には額に優しいキスをして家から飛び出していった。窓の外からは大人達の怒号や何かが破裂する音、そして地面を細かく揺らす振動が伝わってきていた。

 

 

「おとうさん、かえってくるよね?」



 私の問に、母は何も答えずただ私を強く抱き締めた。暫くすると母は私に分厚い頭巾を被せてくれた。震える母の手は上手く顎紐を結べなかったが、私がしっかりと結んで見せると、母は泣き笑いのような顔でもう一度私を抱き締めたのだった。

 

 

 日が暮れ始めても、父は帰ってこなかった。私はお腹が空いていたが、母の憔悴した顔を見たら何も言えなくなってしまった。窓の外の怒号に代わって、ぱちぱちと何かが燃える音だけが静かな家の中に響いていた。

 

 

 突然、家のドアが勢いよく開け放たれた。父が帰って来たにしては様子がおかしい。ドアの音に驚いて伏せていた顔を上げた母は、私に向かってただ一言叫んだ。

 

 

「逃げて!!!」



 私は突然のことに体が強張って動けない。どかどかと野蛮な足音を立てて入ってきたのは、見たこともない服を着た男達だった。男達は私と母を見て汚い笑顔を浮かべていた。男達は聞いたことがない言葉を喋り、ゆっくりと母に近付いた。

 

 

「早く、逃げなさい!!!」

「やっ、やだよぉ! おかあさん!」



 私を背に隠した母を男達が組み敷いた。この状況になって初めて、私達の身に起こっている事を理解したのだ。“この街は戦場になったのだ”と。

 

 

 私は押し倒された母を助けようと男達に飛びかかる。だが、文字通り、赤子の手を撚るように私は壁際まで投げ飛ばされて背中を打ち付ける。

 

 

「子供に何をするっ!」



 そう叫んだ母は、押し倒された時に散らばった食器からスプーンを掴むと組み敷いている男の目にそれを突き立てる。顔を押さえて呻く男は、腰に下げた杖を母に振りかざすと、母の身体は炎に包まれた。

 

 

「に、逃げて……逃げなさい!!!」



 炎に身を焼かれながら母は男達を羽交い締めにする。母の火は身体を伝わって男達に燃え移る。藻掻く男達を尻目に、私は夢中で駆け出した。

 

 

 

 

 ただひたすらに走った。遊び場にしていた野原を駆け、山を抜け、息が続かなくなっても走り続けた。限界を迎えた私は立ち止まって来た道を振り返る。

 

 

 

 

 幸せだった町は、炎に包まれていた。

 

 

 

 

 恐ろしくなった私は息をするのも忘れて、ただただ走る。

 

 

 

 

 躓き、転んで、泥に塗れても、私は止まらなかった。

 

 

 

 

 幼い身体を、限界を越えて走らせ続けたからだろうか。獣道を駆け下りていた私は足をもつれさせて、駆ける勢いそのままに獣道から、崖に向かって転げ落ちた。

 

 

 

 目前に迫った木の枝が、私の左目が肉眼で捉えた最期の光景だった。

   

 

 

 

 ――――

 

 

 

 

「おはよう! よく眠れたかい?」



 目を覚ました私は、柔らかいベッドから跳ねるように起き上がった。身体中が悲鳴を上げ、幼い私は痛みに涙を流す。壁も床も天井も白い部屋には、私の他に数人の白衣の人物が手に書類を持って立っていた。

 

 

「どうかな? 気分は?」

「……おとうさんは? ……おかあさんはどこ?」



 私の質問に困った顔をした白衣の男は、私の頭をゆっくりと撫でた。つんとする臭いを放つその右手は薄い手袋をしていたのか、私の髪をやや引っ掛けながら繰り返し頭を撫でる。

 

 

「残念だけど、あの町の生き残りは君だけだよ?」



 男の無慈悲な答えに声を上げて泣く私に、眉を下げた男が優しい口調で私に話し掛ける。

 

 

「どうかな? 憎いよね? 君のお父さんとお母さんを殺したレクセールが。君の故郷を焼き払ったレクセールの軍人が、許せないよね? 復讐、したいよね?」

「……わたしはなにを、なにをすればいいの?」



 私の答えに満足げな笑顔を浮かべた男は、首を大きく縦に振り、泣きじゃくる私に喜びの声を上げる。

 

 

「そうかいっ! 物分りの良い子供は大好きだよ! それじゃあ、今日から君の名前は『二十九号』だよ! 君の頑張りが、帝国の兵隊さんを、軍隊を強くするんだ!!」


 

 

 

 

 腕を大きく広げて、まるで演説するかのような口ぶりの男の顔は、酷く醜く歪んでいた。この日から六年間に渡る、私の“地獄”が始まったのだった。

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