10 囚われの塔を壊す時
ここはどこだろう。私は森を抜け塔の外堀に到着したはずなのに、待っていたのは上も下もわからない暗闇だった。突然訪れた暗闇に背負っていた大剣を抜き、息を潜めて周囲を探る。暫くの間気配を探るも、感じられるのは私の息遣いとじっとりと湿った空気だけだった。私は手探りで大剣を鞘に戻すと、両手を左右上下に伸ばして摺り足で進み始めた。
先程までとは全く異なる足元の感覚に戸惑いつつ歩を進めると、右手が何かに触れた。足元と同じく弾力のある何かを探ると、それはどうやら壁のようであることが分かる。目を開けているのか瞑っているのかすら分からなくなる闇の中で、私は右手の感覚を頼りに歩き続ける。
一体どれ程の時間を歩いたのだろうか。視界を奪われた私を焦燥感が襲う。『危険を感じたら、思いっきりこれを引っ張ること!』とラーベ殿に括り付けられた胸ポケットの帰還符を左手で掴みながら歩いていたが、終わりの見えないこの暗闇に恐れを抱いた私は帰還符を使用する。
左手の帰還符を引き千切ると軽い破裂音が響き、一瞬だけ手元が輝く。久し振りの光に目を細めて帰還に備えていたが、何かが起こる気配はまるっきりなかった。
「失敗、したの……?」
誰かが聞いてるはずもないが自然と呟きが漏れ、私の言葉は暗闇に吸い込まれていった。何か使えるものを……そう思いながら装備を探ると、板状の魔道具に指が当たった。そうだ、行動支援装置には色々な機能が付いていたんだった! 私はラーベ殿から教わった術式を起動し態勢を整えることにした。
「照明術式、展開」
右手をスナップさせながらそう呟くと、暗闇が取り去られ淡い光が空間を満たす。突然の光に目を瞑り、ゆっくりと開くと見たくもない物が目に入る。
「う、うわあああーー!!! あ、あああ……!」
私はどうやら円形の空間に閉じ込められているようだ。右手を壁に付きながら歩いていても終わりがなかったのも当然だ。ぐるぐると円を描いて歩いていたらしい。
床面には様々な幾何学模様が描かれており、その中心には、獣や人型の骨が積み重なっていた。今一番見たくない物に目を奪われた私は情けなく叫び、壁に背を付いてその場にへたり込んだ。
……落ち着け、落ち着け……私は胸を押さえて静かに呟く。今まで何度も死が眼前に迫ったじゃないか。死体だって沢山見てきた。その時に比べれば、これくらい……。息を整えた私はゆっくりと空間の中心に近づく。折り重なる白骨を確かめると、白骨の中には冒険者登録証を身に付けているものや、折れた剣を握っているものがあった。出発前にラーベ殿の舎弟がこの辺りのことを“迷いの森”と呼んでいたな。とすると、彼らは森を歩いていてこの空間に迷い込んでしまったのか。今の私と同じように。
まるで自分の未来を示しているような白骨から目を背け、私は再度大剣を抜く。暗くなり始めた照明術式を再度展開し、壁に向かって大剣を振るう。
……
…………
……………………
床にへたり込み荒くなった呼吸を整えると、何度目になるか分からない照明術式の展開を行う。大剣を握る両手をじっと見つめると、不意に涙が零れ落ちた。大岩すらするりと切り裂く大剣なのに、この壁に振るうと衝撃が全て吸収されてしまう。ぶよぶよとした壁の感触が大剣越しに両手に伝わり気分が悪い。しかし、ここでめそめそと泣いていても何も変わらない。顔を拭った私は立ち上がり大剣に魔力を込める。ぼんやりと白く光る大剣を、今までで一番の速度で横薙ぎに払う。だが、結果はやはり気持ちの悪い感触が手に伝わるだけだった。魔力が尽きた私はその場に膝をつき、ゆっくりと地面に横たわる。
もう、駄目なのかな。今まで、碌なことがなかったな。でも、人生の最後にあの二人に出会えて良かった。私を半魔としてではなく、記号としての“勇者”ではなく、ひとりの人間として見てくれた二人の未来を願って目を瞑ると、涙が溢れて止まらなかった。
人生を諦めた私に手を差し伸べてくれたラーベ殿とシルヴィアちゃん。私はどうやらここまでみたいだけど、二人にはどうか幸せな未来が訪れますように――勇者としてのリリスが死んでから今までの短い“余生”は幸せだった。それを想うと悔いなく逝ける。そう思い涙を流す私の口からは、意思に反して情けない声が上がっている。
「あぁ……嫌だ、嫌だよぉっ! まだ、死にたくない……死にたくないよぉ!! こんな、こんなところで……! ラーベ殿にもシルヴィアちゃんにももう一度会いたい……! まだ私は何も伝えてないのに! 好きだとも、抱きしめて欲しいとも!! こんな、こんなところで……っ!!!」
まるで駄々を捏ねる幼児のように泣き叫ぶのは私の本心だ。死にたいと思っていた私が生にしがみつくとは。そう思うと急に冷静になり、涙と埃で汚れた顔を袖で拭って立ち上がる。
もう一度。いや、何度でも――助かるために最善を尽くそう。覚悟を固めた私は大剣を上段に構えてなけなしの魔力を高めた。その瞬間、背後の壁が、爆発した。
――――
「ラーべ、レインがっ!!」
「落ち着けっ! 慌てれば二次災害だぞ!!」
突然、目の前からレインが消えた。発動の予兆すら感じさせないレインの転移に、私は警戒の度合いを最大限に高めて戦闘服に装備転換する。シルヴィアは即座に鉤爪を装着して周囲を窺っている。捜索術式を全周捜索に変更してレインの反応を探るも探知が得られない。
「ラーべ、こんなところで立ち止まってないで探しに行こう!」
「駄目だ! レインは罠に嵌った。迂闊に俺達が動けば、レインの救出どころじゃなくなるぞ!」
目に涙を浮かべながらレインを案じるシルヴィアを宥めつつ観測術式を再度展開し塔の上空から広角で俯瞰すると、塔を中心に幾何学模様が刻んであることが分かった。それは丁度レインが足を踏み入れた地点まで描かれている。
「これは……術式回路、か?」
訝しみながら空間術式で以前収納していた鹿を取り出し、幾何学模様に向かって放り投げる。しかし、地面に落下した鹿に変化はない。どうやら生物にしか反応しないようだ。
「何か分かったか、ラーべ!?」
「駄目だ……。シルヴィア、ちょっと耳塞いでろ。捜索の出力を上げる」
シルヴィアは大人しく私の指示に従う。捜索術式の出力を調整し遠近同時捜索を実施していると塔の付近で微かな反応があった。一瞬の探知であったが私は捜索形式を変更し塔に捜索波を指向すると、レインと思われる反応が塔の下部で水平面を移動しているのがはっきりと確認できた。
「ど、どうだ!? 見つかったか!?」
「……反響鋭い、映像状況良好。映像の大きさ小、探知目標はレインと思われる。確度高い!」
私の探知報告に顔色を明るくするシルヴィア。では今すぐ転移して救出するぞ!と息巻く彼女に、転移術式の制約を伝えると再び顔色を悪くする。
「転移術式だと着地点誤差が大きすぎる。転移したら壁の中って危険性が高くて使えない」
「で、ではどうするのだというのだ! このままでは、レインが……!」
「だからな、こうするのさ!」
狼狽えるシルヴィアを私の背後に移動させ、砲撃術式を展開する。
「砲起動! 主砲割当、主追尾指定!」
二つの帯状術式回路が私の号令に呼応して頭上に展開。それらは二つの円環となり、捜索術式を指向している塔に向かって角度を調整する。このままでは探知反応に砲撃してしまうため、私は更に攻撃諸元を追加する。
「光学照準、一斉砲撃手動発射! 弾種徹甲、炸裂無し、補修正無し、仰角零度に備えっ!!!」
号令に応じて円環の内側に魔弾が形成され、私は右手を塔の外側部に向ける。レインと思われる探知反応に動きがないこと、そして全ての砲撃準備が整ったことを確認し、最後の号令を叫ぶ。
「発射用意……、てェーーーッッッ!!!」
塔に向けた右手を号令と共に振り降ろすと、円環から轟音を発して魔弾が走る。二発の魔弾は照準点から寸分の誤差無く着弾し、塔を貫通して大穴を開けた。
「飛行術式でレインを救出する! シルヴィアは現地点で令あるまで待機、確認か!」
シルヴィアに指示をしながら振り返ると、彼女は砲撃の衝撃で失神していた。
――――
「アリア様、おかえりなさいませ」
「ただいま。はい、今日の“お布施”よ」
一仕事を終えた私は住処にしている王都の教会に帰還すると、稼ぎの一部を私に傅くシスターに手渡す。神のご加護がありますようにと胸元で手を組む彼女を無視して私は教会の最上部に向かう。
教会最上部。私の住処。捜索拠点――
「お、おかえり、軍曹。軍曹が、で、出掛けてから、コンソルが、ピーピー言ってたが――」
同居人は帝国から逃れてきた博士一人。私が大陸東部に到着して暫くの後帝国内でテロが激増。博士は私が渡した転移符を使って大陸東部に逃れて来たのだった。
博士を押し退けて、私は哨戒網指揮装置の前に駆け出した。震える手でログを確認すると、南西部の浮遊アレイが指定魔力波長を探知していた。探知波長は帝国式火器管制術式。――間違いない。
「……捜索形式、低域捜索から方位線捜索に変更」
自分でも声が震えているのが分かる。私は大陸東部に満遍なく敷設した浮遊アレイを南東部へ集中させ、位置極限に全力を注ぐと決意し、博士に有り金全てを渡して食料品等の買い出しを頼んだ。
ようやく、ようやく念願が叶う――
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