閑話 夜烏の眼は、別れを告げる。
「アリアちゃん、今日は定時で上がって、何か食べに行こうか」
係長は大きく背筋を伸ばしながら、欠伸混じりの間の抜けた声で私に問う。ユルゲン・ユンカース。今年の春に開発隊群に着任した、士官候補生過程を修業したばかりの若手少尉だ。私は係長の胸元を見ながら答える。
「係長、わたしの料理、お飽きになりましたか」
「いやいや、そういう訳じゃないんだが……毎日作ってもらってるだろう? なんだか悪いな、と思ってさ」
「……なるほど、わたしの料理が重たい、と」
係長は困った顔をしながら口元をモゴモゴさせている。目線を上に下に、頭をかいたり顎を撫でたり落ち着きがない。……なんだろう、何か悪いことでもしてしまったのだろうか。わたしが悪いことをしたら、また地下室に戻される?それは嫌だな。係長はいい人だ。わたしに痛いことをしたり、酷いことをしたりしない。
「あー……その、な。アリアちゃんがウチに来て三ヶ月だろう? お誕生日のお祝いも兼ねて、外食しようと思うんだが……どうだ?」
顎先を撫でながら係長は、私から顔を少し背けながらそう言う。誕生日のお祝い……?言葉の意味が分からずわたしは首を傾げる。その様子を、係長はまた困った顔をして見つめている。
「一年間の無事と健康、それと益々の成長と発展を祈って、お酒を飲んだりご馳走を食べたりするんだが……」
「ごちそう!」
「そうだ、お肉も沢山、ケーキだって付けちゃうぞ! という訳で、今夜は外食にします!」
右手を大きく突き出した係長はおー!と掛け声を掛けている。その様子を呆気にとられて見ていると、係長は私の右手首を握り、天に掲げさせた。
「おー! ほら、アリアちゃんも、声出して!」
「……おー?」
そうそう、と満足げに頷く係長の笑顔は温かくて安心する。地下室からわたしを引き上げてくれたこの人の傍に、出来ることならずっといたい。そんなことをぼんやりと想っていると、部屋の扉が勢い良く開かれた。息を切らしながら入ってきたのは隣の科の研究員だ。彼は額に汗を浮かべながら、液体の入ったビーカーを係長に手渡す。
「ゆ、ゆ、ユルゲン君! つつついに! か、完成したぞ!!!」
「……メンゲレ博士、これは?」
係長はビーカーの液体を陽に透かしたり臭いを嗅いだりしている。その様子に研究員は笑みを浮かべて答える。
「こ、この間話しただろう! こ、この術式があれば、か、渇き知らずだ!」
「……兵站維持の件、でしたっけ?」
二人は何やら話し込んでいる。難しい単語が多くてよくわからないけど、係長を取られたみたいでモヤモヤする。でもこの研究員も、わたしを引き上げることに協力してくれた、いい人だ。大人しく二人の話を聞くことにしたわたしは、係長の傍の椅子に腰掛ける。
「こここれが! じゅ、術式を展開した成果だ! さ、さぁ!グイッと、い、いってくれ!!」
「博士、その……味見は?」
「しとらん! い、一番最初に、き、君に試して欲しいんだ! ぜ、前線を知ってる君にこそ、い、一番手を!!」
興奮する研究員は眼をギラギラと輝かせている。それとは対象的に、係長は口元をへの字に曲げてその液体を見つめていた。
「ハカセ、これは何ですか?」
「こ、これは、兵隊さんが、飲水に困ったときに、つ、使う術式で、作った水だ!」
「そうだ、アリアちゃん。水が無くなると戦えなくなるから、飲水の確保は重要なんだ。なんだが……流石、馬鹿と天才の境界線で反復横跳びしてるだけはあるな……」
「さ、さぁ! 一気に! グイッと!!!」
「係長、なんで泣きそうな顔してるんですか……?」
私の疑問に、係長は難しい顔をして答えない。……なにか不味い事でも聞いてしまったのだろうか?なんと言葉を接げばいいのか悩んでいると、研究員は大声で叫ぶ。
「へ、変な物など入っとらんから! さ、さぁ! わ、私の小便をオゴォッ!?」
「ユルゲン様に何を飲ませるつもりだっ!!!」
小便!?小便だって!?私の係長になんて物を飲ませるつもりなんだこのおじさんは!!!頭より先に体が動き、研究員の鳩尾に拳をめり込ませた私を、係長は羽交い締めにしながら優しく宥める。
――――
「お、起きたかね? ほ、ほら、一式、も、持ってきたぞ」
「ん……」
博士を待つうちに眠っていたらしい。ソファで横になる私には白衣が掛けられていた。足元には台車に載せられた、大小様々な用具が置かれている。起き上がった私は用具の使用法を確認しながら、一つずつ空間術式でコンテナに仕舞っていく。
「感謝しますわ、ハカセ。これで東部に行く目途が立ちます」
「そ、それはなにより。そ、その……ユンカース軍曹とも、な、なんだかんだで、長い付き合いだから……さ、寂しくなるな」
伏し目がちな博士の肩を軽く叩き、用意したスクロールを手渡す。
「こ、これは何だね……い、移動系の、術式のようだが……」
「長距離転移術式を。使い方は記載の通りですわ。発動すれば、このペンダントの半径十メートル以内に転移します」
「な、何故そんなものを……?」
博士は困惑した表情をしながら私に問うた。……浮世離れしている研究員だけあって、世情には大分疎いようだ。私は溜息を吐きながら今日の新聞を手渡す。
「ん……? 『立ち上がれ、国民諸君! 夜明けの日は近い!!』……? な、何だね、これは?」
「ここ最近、帝都だけじゃなくあちこちでデモやテロが起こってるの、ご存知無いのですか?」
「てててテロだって!? ななななんでまた!?」
……呆れた。世情に疎いどころではない。私は簡潔に今の情勢を博士に説明すると、彼は薄くなり始めた頭をガリガリと掻きむしる。
「たた確かに、ふ、不可解な停戦だと、お、思っていたが……」
「……あの暗愚の首が落ちるのも時間の問題ですわ。そうすれば、君主制が維持されるのか共和制になるのか、分かりませんが……」
「そ、それで?」
「後ろでイリルが絵を描いているのは間違いありませんわ。まず間違いなく公職追放が行われるでしょうね。“夜烏”は全員除隊して田舎に帰りましたわ」
「ななななんだとっ!?」
「……私には肉親の記憶がありませんが、ハカセの事は、親代わりだと、想ってますの。だから、ハカセには長生きしてほしいな、と」
「そ、それでこれは……?」
「命の危機を感じたら、躊躇わずに使ってくださいな。退職金も受け取りましたので、ハカセ一人ぐらい食わせていくことぐらいはできますわ。それに、東部でもきっと研究できますわよ? 隊長もハカセに会いたいでしょうし」
私がそう言うと、博士はスクロールを胸ポケットに仕舞った。暫く無言でお互いに見つめ合うと、博士は右手を差し出した。私はその手をしっかりと握る。
「あ、ありがたく、う、受け取らせてもらうよ。ユンカース軍曹、ど、どうか無事に、ユルゲン君の元に辿り着いてくれたまえ!」
「……えぇ、博士もどうか御息災で」
研究所を後にすると空は明らみ始めていた。少し仮眠をとって、商店が開き始めたら物資の補充をしなきゃ。特に隊長が好きそうな物を中心に。それが終わったらようやく私は東部に旅立つ。
後少しです。後少しで、お傍に参りますので――
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