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閑話 夜烏の眼は、移動手段を確保する。

 眼を覚まして頭を上げると、頬がぱりぱりとした音を上げた。デスクに突っ伏している間に垂らした涎が乾き、デスクと頬を貼り付けていたらしい。首と肩を大きく回しながら壁掛け時計を確認すると、間もなく日付が変わるところだ。大きな欠伸をして背を伸ばすと、私の肩から白衣がずり落ちる。一休みする前にハンガーに掛けていたはずなのに、何故白衣がここに……。研究員の誰かが私に掛けてくれたのか?不審に思いながらも屈み込み白衣を拾い上げると、背後から声を掛けられた。その声に驚き椅子から転げ落ちると、咄嗟にデスクに置いていたファイルを盾にして声の主に向き合う。

 

 

「……そんなに驚かれるとは光栄ですわね、ハカセ」

「ゆ、ユンカース軍曹……!?」



 研究室の隅に置かれたソファで肘置きにもたれるように座る彼女は、アリア・ユンカース。私の顔見知りだ。確か“彼女の隊長”が処刑されてすぐ除隊して行方をくらませていたと聞いていたが、何故ここに――

 

 

 薄っすらとした笑みを浮かべる彼女は徐に立ち上がり、腰を抜かして“盾”を構える私にゆっくりと近づく。

 

 

「ハカセ、一つ、ご相談が」

「そ、そ、相談? な、なんだね一体……」



 上ずった声を上げる私を面白そうな目付きで眺める彼女は、驚いた拍子に倒れた椅子を起こすと私に向かい合うようにその椅子に座った。

 

 

「大陸東部に行きたいのです。何か、役に立ちそうな成果物があれば、頂きたいのですが」

「た、大陸東部……?」

「えぇ、可能な限り速やかに」



 胸元のロケットペンダントを開け閉めしながら、遠い目をした彼女は静かに答える。ぱちん、ぱちんと開閉するロケットの音に急かさせるように、私は書庫から役に立ちそうなファイルを取り出すのだった。

 

 

 

 

 ――

 

 

 

 

「『高高度気球による観測手法に関する一考察』、『質量弾投射方法について』……? ハカセ、私は気球でも砲弾でもないのだけれど」

「い、急いで東に行くんだろ? こ、これなら、さ、山脈を越えて、あっという間に東部に――」

「知ってますか? 上空は結構寒いのですよ? 何なら今から体感してみます?」



 デスクに積み上げたファイルをペラペラと捲りながら、彼女は少し不機嫌そうな顔をしている。可能な限り速やかに――その注文に応えられそうな研究資料を持ってきたのだが、あまり彼女の参考にはなりそうになかった。

 

 

「しかもこれ、隊長が気球から緊急離脱した、失敗したやつじゃないですか……」

「し、失敗から導出される新たな課題に取り組むことこそが研究者の大事な――」

「あ、今そういうのいいんで」



 私の持論をさらっと流す彼女はため息を付き、椅子に深く座り直す。デスクに頬杖をつき思案する顔つきは、数年前に会った時から随分と大人びて見えた。



「そ、そもそも、な、なんでまた東部なんかに……」

「隊長に会いに。だから、すぐにでも出発したいのですわ」

「た、隊長……? し、しかし、ユルゲン君はもう――」

「隊長は生きてるわ。今吊るされてるのは替え玉ですわよ」

「なななんだって!? そ、そ、それは、ほ、本当かね!?」



 ユルゲン・フォン・ユンカース。救国の英雄。彼と初めて会ってから約十年。開発隊群の中でも特に気の合った彼とは、彼の配置が変わってからも度々食事を伴にする“飲み友達”だった。彼の処刑には随分と落胆したのだが、彼が生きているなら私もまた彼に会いたい。しかし、彼女はどうやってその情報を入手したのだろうか――私の疑問に気付いたのか、目線を合わせた彼女は左目に装着している眼帯を人差し指で数度叩く。

 

 

「“聞き込み”しましたから。生きているのは確実。で、多分ですが……大陸東部で旅人をしてるんじゃないかと」

「そ、それは、か、確実ではないのかね?」



 私の問に彼女は渋い顔をする。

 

 

「そうですわね……。哨戒網にも掛かりませんし、探していないのは東部だけですので……それを確かめるためにも、大陸東部に行きたいのです」



 物憂げな彼女の横顔には焦りが浮かんでいる。トントンと眼帯を叩く彼女は軽く声を上げ、その口元を緩めて私に眼を向ける。何か思いついたようだ。

 

 

「移動術式で……自律航法に関する研究をされてましたわよね?」

「あ、あぁ……で、でもあれは耐久性に、な、難が……」

「耐久性?」

「れ、連続して使用すると、じゅ、術式が焼ききれてしまうんだな」

「……とりあえず、どんなものかお見せいただけますか?」



 棚から新たに取り出したファイルを彼女に手渡すと、興味深そうに頁を捲り始めた。

 

 

 

 

 ――

 

 

 

 

「成程、わかりました」

「ど、どうだろうか? や、役に立つかね?」



 ファイルから眼を離した彼女に尋ねると、満足そうに微笑んで軽く頷いた。どうやらお目当ての物は見つかったらしい。

 

 

「確かに長時間の連続運用は出来ませんが……山越えするぐらいなら、なんとか保ちそうですわね」

「で、でも、上空は、寒いんだろう?」

「えぇとっても。ですのでハカセ、気球実験の装備もいただけますか?」



 彼女の要求には素直に応える。特にユルゲン君が絡んでいる時は……。私は倉庫棟の鍵を取り出すと、彼女に手渡す。しかし彼女は軽く首を傾げるばかりだ。彼女が要求しているのに一体――訝しげに彼女を見つめると、口元を歪めながら答える。

 

 

「倉庫の中に何があるかなんて、分かる訳ないじゃないですか。ハカセ、ちょっと取ってきてくださいな」

「ひ、ひ、人使いが荒いなぁ!」

「まぁまぁハカセ、おしっこを飲んであげたことあるじゃないですか! 恩返しだと思って」

「の、飲んだのはユルゲン君だろう! き、君は私を、ひ、引っ叩いたじゃないか!」



 彼女は椅子から微動だにせずニコニコとした笑顔を向けるだけだ。このままでは埒が明かないし、最悪の場合は物言わぬ骸にされる。私はすぐに倉庫に向かうと、彼女の目当ての物を取ってくるのだった。

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