13 草刈りラーベの交渉術
≪そこまでだ、山の最強――≫
“山の最強”との勝負はあっけないものだった。黒狐はその巨体を縮めたかと思うと、圧縮されたバネが弾けるような勢いで真っ直ぐ私に突っ込んできた。そして私が展開した防御術式に激突。もんどり打って倒れ込み、きゅうきゅうと呻き声を上げる黒狐を拘束術式で地面に縫い止めると、奴は碌な抵抗も出来ないままオサの宣言が場に響いた。
「言ったであろう! この男は我よりも強いのだ、と!!」
≪……人間よ、これは、なんだ≫
「俺は魔術が使えるんだ。只の人間だと思い込んでいたのが、お前さんの敗因だったな」
そう言うと黒狐は、溜息を一つ吐いた。一部始終を見ていたレインは呆けた顔をしている。彼女は事態を飲み込めていない様子だ。
「ラーベ殿、一体何をしたの……?」
「あぁ、真っ直ぐ突っ込んできたから防御術式を展開したんだ。奴はそれにぶつかって決着、だな」
「でも黒狐のあの速度は……並の反射神経じゃ対応出来ないよ。今まで見てきた中で、一番速かったのに……」
「レインよ、ラーベは最強だからな!」
まるで自分のことのように胸を張るシルヴィアの頭を撫で、黒狐の拘束を解除する。シルヴィアと初めて会った時とは違い、奴はいきなり襲いかかることもなくじっとこちらを見ている。
≪“山の最強”よ、俺はいつ何時でも挑戦を受けるぞ≫
≪……その言葉、努々忘れるなよ≫
≪無論だ。でもな、最強よ≫
≪……なんだ≫
一呼吸置きシルヴィアに目線を送る。彼女は何のことやら分からない様子で小首を傾げた。
≪俺が勝とうがお前さんが勝とうが……彼女の伴侶を決めるのは俺達じゃあない≫
≪では誰が? オサか?≫
≪――彼女自身だ≫
その言葉に呵々と笑う黒狐は二、三度頷くとその場から立ち上がり、自分の住処に戻っていった。また会おう、人間!と大声で別れの言葉を口にする黒狐を見送りながら、出来れば街中では出会いたくないなぁ、と思うのだった。
――――
「……薬師先生、お話が違うのでは?」
「いやいやクサカリさん、確かに一茎分で金貨十枚という約束でしたがね、この質では、ちょっと……」
黒狐の闖入というハプニングはあったものの、我々は概ね予定通りに行動し、期限を二日残してガダル薬品店に萬寿草の提出に来ている。薬品店のテーブルに着いているのは私と、この薬品点の薬師である老人の二名。テーブルには分厚い図本とカップに入った白湯、そして採集した萬寿草の葉が入った麻袋が置かれている。シルヴィアとレインは私の背後に控えさせている。
「しかし、金貨ニ枚というのはあまりにも……この図本にある通り、物に間違いは無いですし、この葉の瑞々しさを見てくださいよ。摘みたてホヤホヤですよ?」
「これだからシロウトは……いいですか? 葉の大きさを見てくださいな。子供の手の方が大きいぐらいでしょう? それにほら、ここんとこ……虫に食われてる。摘みたてって言ったってどうせアンタ、行商人か何かから買ったんでしょう? どこでコネを作ったのか知りませんがね。じゃなきゃ“クサカリ”がこんなに早く帰ってくる筈……」
薬師は萬寿草を買い叩こうとしている。彼が検分している萬寿草は、自生地の中で一番質の良いものを見極めて摘み取っている。それを薬師はああでもないこうでもないとケチを付けているのだ。虫食いなんて野草なら大なり小なりあるもんだ。それを彼は小さな瑕疵をネチネチと挙げる。そんな薬師を見るシルヴィアは苛立った様子だ。
≪ラーベ、もういっそこのじいさんをぶん殴るのだ!≫
≪……駄目に決まってんだろ!いいか、人間の強さは腕っぷしだけじゃあない。何でも腕力で片付けてたら、超一流にはなれないぞ?≫
念話を飛ばしてきたシルヴィアに、肩越しで振り返りながら返答する。私の念話にレインも軽く頷いた。彼女が今まで迫害されてきた中で似たような経験があるのだろう。シルヴィアは渋々ながら納得したようだ。
こういった状況の切り抜け方を身に着けさせるためにも、今回は二人に『見取り稽古』するように言い含めている。白狐の里から街に戻ってきた我々は、その準備のためにギルドに寄って準備もしている。
「で、どうするんです?普通ならこんな状態の物なんて買取しませんが……私も鬼じゃない。お情けで金貨一枚で買い取りましょう」
「……さっきより値が下がってませんかね」
「えぇ、よく見たらシナシナになってる部分が……ほら、ここです、ここ」
まるでお話にならないな。慇懃な態度を崩さない薬師はしかし、明らかに我々を見下している。ちらりと後ろを振り返ると、二人共額に青筋を立てていた。“鉢植え”を持たせていなかったら薬師に掴みかかっていただろうな。
「そうですか……わかりました」
「おぉ!それでは……ほら、こちらが報酬で――」
「いえ、今回の仕事は失敗です。依頼主の満足いく品質の物を納品できなければ“草刈り”の名が泣きますからね。それに、低品質の物を適当に納めるような真似したら、あっという間に噂になって……飯の食い上げです」
薬師の言葉を遮り私は交渉を打ち切る。薬師は片方の眉を上げ憤慨している様子だ。
「何を、馬鹿な事を……」
テーブルの上の拳は固く握られ、その目つきは鋭く私を見抜いている。
「馬鹿な事? なんです? いいですか、薬師先生……。私達はこの依頼書の通り仕事をこなしてきましたが、それが貴方の納得のいく結果とはならなかった」
「それがどうした! だから俺が買い取ってやろうと言ってるじゃないか!」
「金貨一枚で萬寿草を売るぐらいなら、ギルドに持ち込みますよ」
薬師は鼻で嗤うと椅子にふんぞり返る。先程までの馬鹿丁寧な仮面を外した薬師は本性を現す。
「何を言い出すかと思えば……いいか、今回俺は七日市で萬寿草の取引を行う予定だった!」
「それで期限が『七日市開催まで』でしたか……それで?」
「それに間に合わなければどうなる? そうだ! 俺の面子は丸潰れだ!」
「そもそもこの依頼を出した時期も条件も厳しいものだったと思うんですがね。不確実性を回避しようとは思わなかったんですか?」
「やかましいっ! 失敗だと言うんなら……金貨五十枚だ!」
「「五十枚っ!?」」
薬師の提示した金額に、後ろの二人が揃って素っ頓狂な声を上げる。驚いた拍子に鉢植えを落とされたらと思うとヒヤヒヤするな。
「五十枚、ですか……」
「そうだ! 銅貨一枚も負けんぞ! クサカリにゃ払えんだろうからな、この萬寿草で手を打ってやる。分かったらこれを置いてとっとと失せるんだな!」
意地の悪い笑みを浮かべた薬師は、ふんぞり返りながらテーブルの上の萬寿草を指差す。私は溜息を吐きながら萬寿草の葉を麻袋に詰め直すと、自分のリュックサックに仕舞った。
「おいお前……何してるのか、分かってるのか!?」
「えぇ、十分に。お話は終わりですか?」
「ば、馬鹿かっ!? 金貨五十枚払えなければ、借金奴隷だぞ!?」
借金奴隷……?聞き慣れない単語に、レインに意味を確認する。レインは冷たい目つきで薬師を睨みながら答える。
「借金奴隷は、こういう時とか、商売に失敗した人が落とされるの。ギルドの女の子もそうでしょ?」
「ギルドの女の子……?」
「えぇ、首輪を着けてた……」
読み上げ嬢のマリエ。彼女は黒いチョーカーを着けていると思っていたが、アレは首輪だったのか……。納得する私に薬師が畳み掛ける。
「分かったろう! さぁ、萬寿草を置いていけ! さもなければ衛兵に突き出してやる!!」
「どうするラーベ、いっそ殺――」
「シルヴィア、それだけは駄目だ!……金貨五十枚ですね、薬師先生」
シルヴィアの呟きに冷や汗をかいた薬師であったが、私が金貨を数え始めると訝しげな目をしてその手元に目を移した。
「は、払えるのか、クサカリの分際で……!?」
「“分際”って、酷い言い様ですね、薬師先生。……はい、こちらが金貨五十枚です。ご確認を」
テーブルの上には十枚重ねにした金貨が五つ。薬師は驚いた顔をして金貨の真贋を確かめている。私はその横に依頼書を置くと、余白にこの件を追記する。
「『依頼失敗につき、損失補填として金貨五十枚を受領した』……と。薬師先生、こちらに今日の日付と署名を」
「あ、あぁ……?」
「後々揉めるのも嫌ですからね。形として残しておかないと」
呆けた薬師は私の言うがままに依頼書に記入する。まさか私が違約金を支払えると思っていなかったのだろう。記入が終わった依頼書を手に取った私は薬師に問う。
「薬師先生、今までこういったことは何度も?」
「い、いや、そんな訳、ないだろ!」
「……そうですか。では、ギルド所長の認識が間違っていたんですかね」
「ぎ、ギルドには! ギルドには言わんでくれ!!」
「……何がです? 依頼の成否を報告する義務が、私達にはありますからね」
手元の依頼書をひらひらさせながら薬師に言うと、彼は歯噛みしながら低く唸る。
「……いくらだ? いくら欲しい?」
「仰る意味がわかりませんが……そうですね、薬師先生。貴方ならこれにいくら出します?」
先程仕舞った麻袋をもう一度取り出しテーブルに置く。薬師はニヤリと嗤うと伏せていた顔を上げた。
「金貨五枚だ! も、勿論違約金もいらない! なっ!?それならいいだろう!?」
「……お話になりませんね」
「じゅっ、十枚……いや、十五出そう! だから、なっ!?」
……この期に及んで買い叩こうとするか。私を何も知らない馬鹿者だと思って見縊っているのか。何にせよ同意できる金額ではない。
「……残念だ。本当に残念です、薬師先生」
「まっまっ待ってくれ! 後ろの二人が持ってるのも薬草か何かだろう? それも買い取ってやるから、なっ!? なっ!?」
水を向けられた二人はぴくりと身体を震わせる。私は二人が抱える鉢植えに掛けていた、日除けの布を取り去った。
――萬寿草。根から穂先まで丸のまま採集した、完璧な状態のそれが二つ。全体的に小ぶりではあるが、今朝採集したばかりのそれらは萎びた様子も無くぴんと背を伸ばしている。薬師はあんぐりと口を開け言葉を失っている。
「始めから誠意のある対応をしていただければ、全て薬師先生の物になったんですがね……。残念です」
「ぐ、うぅぅ……! ちゃ、チャンスを、チャンスをくれ! 頼む! なぁ、頼むよ!!!」
テーブルに頭を擦り付ける薬師を、我々は冷めた目で見やる。薄い天辺を見せつけられても良い気はしない。私は冷めたカップを手に取ると、その中身をテーブルにゆっくりと流す。水はテーブルから流れ落ち、床を濡らす。
「く、クサカリさん、アンタ何を――」
「薬師先生、カップに水を戻せたら……最初から交渉し直しましょうか」
薬師に笑顔を向けると、薬師は慌てて床の水を掬おうとする。慌てふためくその姿は、滑稽を通り越して哀れですらある。情けない声を漏らしながら床に這う薬師に別れの言葉を告げ、背後から呼び止める声を聞きながら、我々は薬品店を後にして再度ギルドに向かうのだった。
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