01 祖国に裏切られた元軍人は、辺境の地で決意する。
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…………あ゛あ゛ぁ~~~~…………
湯に浸かると声が出るのは何故なんだろう。二十代半ばの頃にはそんなこともなかったはずなんだがな。
街へ向かう街道の脇に仮設した湯船の中で大きく手足を伸ばすと、一つ大きな欠伸をした。二ヶ月ぶりの入浴に心が潤う。頭を湯船の淵に預けると、満天の星空が目に入った。手を伸ばせば届きそうな星の群れを眺めていると、まるで自分が空に登っていくような、空が自分に落ちてきているような、不思議な感覚を覚える。
湯の中の浮遊感と眼前の星の瞬きがまるで死の間際に見る夢のようで、自分が今生きているのか死んでいるのかすら分からなくなってしまった。湯を掬い顔を洗う。この感覚も果たして本物なのか……いっそこのまま湯に溶けて、自然に還ってしまおうか。そんなことを考えながら、私は目を瞑った。
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ルクト帝国とイリル王国の間に勃発した、大陸西部の覇権を巡った戦争――私は帝国陸軍の一員として、イリル王国の侵攻に対抗した。
――ルクト帝国陸軍 開発隊群実験航空隊。それが私が所属していた部隊だ。帝国の北西に位置するイリル王国。軍備の近代化を背景に野心的に領土を拡大する彼の国に対応すべく創設された実験航空隊は、高い魔力適性を持った軍人を航空魔術師として教育・養成し、空対地攻撃を主軸にした戦法で戦術的優位を確保するものであった。
部隊創設から軍籍剥奪までの三年間、常に最新の術式理論に触れ、自らもその理論発展に携わった私達の部隊は、それまで実用的ではなかった飛行術式を飛躍的に向上させた。
半年前にイリル王国の南侵により勃発した大陸戦争は、イリル王国の機動化された火砲と電撃侵攻により抵抗も虚しく帝国北部を占領されるに至る。
占領地域の解放作戦。それが実験航空隊の初陣であった。
優れた飛行術式と反撃の手段のない上空からの対地攻撃により、王国虎の子の機甲部隊は瞬く間に壊滅。占領地域を解放した我々は、イリル王国への足掛かりを築くための北進を開始した。
歩兵部隊の進軍の支障となる砦を先制攻撃し、橋頭堡を築く。それが我々の主任務となった。
我々の飛行術式が戦争の形を変えた。物資と時間を浪費していた攻城戦は過去のものとなり、空間術式を活用した航空輸送は、伸び切った兵站線の維持を可能とした。
観測術式や航法術式を発展させた実験航空隊は全天候性を手に入れ、特に優れた夜間戦闘能力と黒一色の戦闘服から“夜烏”と称された。
帝国側の損害を軽微に抑え円滑な補給を実施。驚異的な速度で進軍し、大陸戦争は帝国の勝利が確実視された。
開戦から四ヶ月、我々帝国軍はイリル王国首都を包囲するに至り、イリル王国とルクト帝国の間に停戦協定が結ばれる。
王国が提示した降伏の条件は唯一つ。実験航空隊を率いた私、ユルゲン・フォン・ユンカースを、戦争に関する罪で裁くことであった。
――騎士の誇りを踏み躙る夜襲や戦闘準備の整っていない部隊への空対地攻撃、後方物資を貯蔵するための倉庫や輜重部隊への一方的攻撃等による無闇な殺戮が、私の“戦争に関する罪”だ。一種の意趣返しに過ぎないこの条件を、事もあろうに帝国議会は受け入れたのだった。
私は失望した。故郷を出て幼年学校から数えて二十年以上、帝国に忠誠を誓った結末がこれか。帝国のために命を張った結末がこれか!私が国を愛したように、国は私を愛してくれは、しなかったのだ。
実験航空隊は解散されることとなり、私は帝都地下にある牢獄に収監された。……比較的衛生的な高級貴族向けの牢に収監されたのは、これまでの功績を評価されてのことだろう。
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――罪人よ、前へ。
芝居掛かった声に苦笑いを浮かべる。先程衛兵の話が聞こえてきたが、処刑場の周りは見物人で埋め尽くされているらしい。救国の英雄から大逆人への転落。人々はその死に様を一目見ようとしているのだろう。宣告官は大勢の見物人を前に気取っている。
処刑台の上から辺りを見渡す。大勢の見物人に混じって、私の部下達も見に来ているようだ。
宣告官が私の“罪状”を読み上げている間に戦術通信を受信した。見物に来ている部下達からだ。
≪隊長、絶好の機会です。屑共を潰して退避しましょう。今なら、全員潰せる≫
≪……バカタレ。俺は此処では死なん。逃げ切ってみせるさ≫
「隊長!嗚呼、隊長!!!私は隊長にお供します!!!すぐに、すぐに逝きますから!!!」
≪おい誰かアリアを止めろ!アイツは本気だぞ!!≫
部下の叫びに通信が慌ただしくなる。声に目を向けると、見物人の端に動きがあった。先程叫んだ部下は取り押さえられ、憲兵に連行されていったようだ。
≪誰かアリアに伝えてくれ。『心配するな、俺は逃げる』と≫
≪……了解しました。しかし隊長……どうやって逃げる御積りで?≫
≪……見物人がハケたら安置所の無縁仏と“相転移”する。後はそうだな……適当に逃げるさ≫
「最後に言い残すことがあれば、発言を許可する」
宣告官が告げる。首に縄を掛けられ、頭巾を被せられた私は身体の周囲に魔力操作を行い、首から伸びるロープを伝って梁まで魔力で包む。
「祖国万歳!」
精一杯の皮肉である。
足元の床板が抜かれると、私の身体は自由落下する。
≪……どうだ、副長?死んでいるように見えるか?≫
≪……本当に死んだ様に見えます。完璧です。肝が冷えましたよ……≫
≪そりゃ済まないな……。今この場に誰がいる?≫
≪“夜烏”全員集結しております。アリアは今、外しておりますが……≫
≪そうか……。では彼女には後で伝えてくれ。……諸君、本日をもって実験航空隊は解散する。諸君らは十分に義務を果たした。残りの人生、好きなように生きろ!!通信終了――≫
彼らの声は聞こえない。願わくば、彼らには安らかな最期を――
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湯船の中で眠っていたようだ。吸い込んだ湯に鼻が痛む。手鼻をかみ、痛む鼻を擦りながら目尻の涙を拭う。夢を見ていたようだが、上手く思い出せない。中々引かない鼻の痛みに、こんなくだらないことで生を実感するとはな、と自嘲する。
風呂から上がった私は作業服に着替えて簡易テントに潜る。うつ伏せになった私は、照明術式を展開し一冊の本を開く。
「東部冒険記」と記された古びた本が、今の私に使える最大の武器である。
これは収監中に看守が持ってきた貸本リストにあったものを失敬したもので、前半部分が東部諸国を訪ねた記録であり、後半部分が東部諸国で使われている言語の辞書になっている。
処刑場から逃亡した私は、大陸西端から飛行術式を駆使して大陸東端に降り立った。
大陸中部を縦断する急峻な山脈に隔てられ、大陸東西間での交易は殆ど行われていない。数年に一度交易船が陸岸伝いに訪れるが、それも複雑な海流によって難破することが多くあり、定期航路の啓開は難航している。
私の顔も名前も知る者がいない、追手の心配をすることがないこの大陸東部で、私は静かに平凡に暮らすのだ。
この地に降り立って一ヶ月。私にとって“始まりの村”はとても温かく居心地のいい場所だった。この東部冒険記と村人達の御蔭で、ある程度の常識と、簡単な意思疎通が図れる言語能力を身につけることができた。
夜が明けたら辺境伯領の街に入り、冒険者としてギルドに登録をしよう。
私の魔力や術式理論を活用すれば、今すぐにでも成り上がれるだろう。しかし、もう誰かに使われるのは懲り懲りだ。いいように利用され、いいように捨てられる。
目立たず、騒がず、落ち着いて――明日から私は、一介の冒険者として平凡に生きていく。そう決意しながら、夜が更けるまで東部冒険記を読み込むのであった。
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