朝の日常2
両親出ました。
「わっはっは! 今日も佐々木家は仲良しでよろしい!」
朝刊を読みながらコーヒーをすすっていた父さん――佐々木巌が、そんな俺たち三兄妹のやり取りを眺めて、豪快に笑い出す。
彼は渚姉と柚の実の父親だ。つまり俺とは血の繋がりはない。でも俺にとって最高に格好良くて、心から信頼できる父親だ。まだ母さんから紹介されてから半年ちょっとしか過ぎてないけど、母さんのことを安心して任せられるまさに大黒柱だった。
「ほらほら、二人とも。いい加減に食べちゃいなさい! とくに伸一は、早くしないと遅刻するわよ」
「――うわっ!? やっべ!!」
そんな父親の隣に座り、たしなめるように俺と柚を促したのが母さん――典子(旧姓は杉村)だった。俺の実の母親で、俺がこの世でもっとも幸せになってほしい存在だ。
父さんと母さんは、それぞれ互いの最愛の人と死別した。そして二人は、ここまで俺たちを必死に護り育ててくれた。父さんと母さんの出会いは、そんな頑張った二人に対する神様からの贈り物。そんな気がするくらい、二人はお似合いだった。
その母親の声で壁に掛けてある時計を見た俺は、予想よりも進んでいた時針に慌てて着席する。
柚は少し不満そうな顔をして離れようとしなかったが、帰宅したらなでるという条件付きで許してくれた。
そこそこ大きい長方形の木製テーブル。
右に渚姉、左に柚。二人に挟まれた真ん中が俺の定位置だった。
きっと世の中には百万払ってもいいからその席を譲ってくれとむせび泣く男もたくさんいるんだろうが、
ぜってえにお断りだ。この場所は、俺のエデンだからだ。
「はい、伸くん粒マスタード。つけたほうがソーセージ美味しいよ」
……どうだ、わかったか? 渚姉の口から『ソーセージ美味しいよ』なんて言葉をこの席にいれば聞くことができるんだぜ? ちょっと卑猥な感じだろ? ちなみに渚姉が言葉に出すと、『粒マスタード』なんて単語もちょっとエロく感じるから不思議だ。
「あ、ありがとう渚姉」
「わたしも付ける! わたしも付ける!」
「柚にはまだ早いわよ! いまだにお寿司もわさび抜きじゃない」
「……お姉ちゃんの意地悪!」
「なにも意地悪なんかしてないでしょ!」
今度は『まだ早いわよ!』と『抜き』いただきましたー!
そんなハートフルな姉妹の会話からも、いろいろ妄想してしまう思春期真っ盛りな俺。
油断すればニヤニヤと顔に出てしまいそうなところを必死に耐え、なんとか表情を崩さずにパンをかじっていると、
「本当につくづく伸一でよかった」
「……父さん?」
俺たち三兄妹の向かい、右側が定位置の父さんが、穏やかな顔でしみじみと口を開いた。
ちなみに『伸一』『父さん』と互いを呼ぶことは、両親から再婚を告げられた日にその場で決めた。変に間を開けるよりも、すぐにそうしたほうがいいという父さんの考えだった。
最初は父さんと呼ぶことがなんともこそばゆくて、変に小声になったり、逆に大声になったりと声量の調節が大変だった。でも今はこのとおり自然だ。
父さんの考えどおり、あそこで変に時間をかけてなんてやってたら、いまだに俺は『巌さん』なんてよそよそしい呼び方をしてしまっていたかもしれない。
「……いや、なんでもない。ただ、そう思っただけだ」
「なんだよ、気持ち悪いな」
「わっはっは! すまんすまん。つまり、俺は幸せ者だなあってこった」
「はいはい、巌さん。そろそろ出ないと遅れますよ!」
どこか感慨深げな父さんを呆れた目で見ていると、その左側に座っていた母さんが、大黒柱の背中をぺちっと叩く。
「おおっと、もうそんな時間か。じゃあ学校頑張れよ! 愛する娘と息子よ」
素早く背広の上着にそでを通すと、古いアイドルの決めポーズのようなものをして母さんと一緒に玄関方面に消える。
ちなみにこっから三分くらい行ってきますのキスタイムが続くので、俺は母親が戻ってくるまで絶対にここから動かないと決めている。両親がラブラブなのはいいことなのだが、さすがに遭遇すると気まずいのだ。一度経験済みだから間違いない。
「……ねぇ、おにいちゃん。今日、一緒に行きたいところがあるんだけど」
そのいつもの三分間を待っていたのか、柚が上目遣いでそう切り出す。
捨て猫が拾ってと訴えるかのような精神攻撃。
できればこんなかわいい妹のお願いは聞いてあげたいところなのだが……
「……柚ごめんな。今日は寄るとこあるから、帰りは遅くなるんだ」
「………………また、美咲さん?」
「……う、うん」
先ほど柚が嫉妬深いと言ったが、それが顕著に表れるのが美咲に対しての時なのだ。
今回もこれでもかと不機嫌オーラ全開の声で、怒っていることをアピールしてくる。
「柚! しかたないでしょ。美咲さんは伸くんの彼女なんだから! あんまりわがまま言って、伸くんを困らせないで」
そう、美咲は俺の大事な彼女だ。
きっと柚はせっかくできた兄という存在を、彼女という存在に取られてしまうんじゃないかと心配なんだろう。
「……お姉ちゃんは、またそうやっていい子ぶる。お姉ちゃんだってほんとは――」
「な、なに言ってるの柚! わ、わたしはべつに!!」
「あはは、大丈夫だよ渚姉。いつものことだし、こんなに好かれてるなんて兄冥利につきるってもんさ」
柚を一生懸命にたしなめようとしてくれた渚姉にお礼を言って、柚と向き合う。
(さて、どうしたものか……)
いつもならお菓子とか、次の暇な日に一日中付き合うことなどで許してもらってきたが、今日はそれで解放してくれるような気配じゃないな。
俺が困った表情をしていると、
「……じゃあ」
柚が口を開く。
「一つなんでも、わたしの言うこと聞くって約束して?」
「ゆ、柚!!」
「い、いいって渚姉」
「で、でも」
「こんなの、小学生のたわいもない可愛い約束じゃんか」
俺は、よっしゃ来たとその柚の提案に飛びついた。
それこそ腹をすかせた魚が、垂らされた針に食いつくように。
「……お兄ちゃん、ほんとにいいの?」
「ああ、約束だ。……あ、でも今日まっすぐ帰ってきてみたいなのはなしだからな!」
「ぷう。わたしがそんな酷いお願いするわけないじゃん!」
「ごめんごめん! もちろん、柚がそんな子じゃないことは知ってるから」
ほっぺを膨らます妹が差し出した可愛い小指。
それに自分の小指をそっと巻いて指切り。
「えっ!?」
それが終わった刹那、柚が口の端をニヤリと上げたような気がして驚愕する。
それは、俺が今まで一度も見たことがない柚の表情だった。
「どうしたの? お兄ちゃん」
でもまばたきをした直後、柚の顔はいつもの可愛らしいものだった。
(……気のせい……だよな?)
そうだ、柚がそんな表情になるわけがない。昨日遅くまで漫画を読んでて寝不足だし、きっとそのせいで見間違いでもしたんだろう。
「伸一。そろそろ本気で急いだほうがいいんじゃない?」
そんな思考に行き着いたころ、母さんがダイニングと廊下をつなぐドアをコンコン叩いていた。
いつの間にか朝チュータイムが終わっていたのだ。
「――って、うっわ、マジでやべえ!」
あと五分で出なければ、遅刻してもおかしくない時間帯だった。
三兄妹なかでは、俺が圧倒的に通学に時間がかかってしまう。
「あんたって、ほんといつもギリギリねえ」
そう思うんなら、あんたのキスも少し自重してくれ!!
そんなことを心の中で叫びながら、俺はトイレへ駆け込むのだった。
次は登校風景です。
彼女出ます。